2024年11月21日木曜日

ギボヒサコ、みんなを集める

今日は午前午後とも内視鏡担当の日だった。しかし午後の検査をできるだけ早く終わらせるようにし、もう1件の追加検査も13時を過ぎても続けた。で、急いで昼食を摂り、病院を早退した。鹿児島市内の米森病院へ昨日緊急入院したギボヒサコのことが気になっていたのだ。

しかしカールからのLINE連絡で「ママ、血圧40台になりました。チッチのお迎え行けそうですか?」とあったので、いまわの際に間に合うか怪しくなった。チッチは飛行機で夕方16時過ぎに空港到着なので私が迎えに行くのは大丈夫だろう。テルは16時20分の新幹線で鹿児島に着くということ。セージは旅行中で今夜にしか帰って来られず、明日早くに飛行機で駆けつけるという。

昨日の昼、ヒサコの入所している施設から連絡があり、脳血管の発作を起こしているようだとのことだった。こんな場合、この前までは青雲会病院へ救急搬送していたが、ちょうど脳外科Drがその日は一人しかいないの上に私も忙しく、カールに「鹿児島市内の救急を受け入れてくれる病院に救急車で運んでもらったほうがいい」とアドバイスし、与次郎ヶ浜の米盛病院に搬送されたのだった。結果、脳幹出血と判明し、もう助からないと宣告され、当初は延命措置は受けないとカールは考えていたが、現場で日頃面倒を看てもらっている施設の人とも相談し、気管挿管と人工呼吸での対応を受け入れ、孫たちの集まるのを待つことにした。しかしみんな県外在住で急いで予定変更し鹿児島に向かうことにしたものの3人とも間に合いそうにない。私ですら厳しい。姶良から10号線を下っている途中に電話で「もうだめみたい」と来て、その後は連絡は取らなかった。

病院に着くと、受付で案内の人に「伺っています。後を付いて来て下さい」と5階病棟に向かった。カールはロビーの椅子に座っていて「13時47分だった」と。その後、病室に入るとすでにベッドで静かに眠っているヒサコがいた。やはり以前のふくよかなお顔ではなかった。カールに施設の担当の人から電話がかかってきた。死亡時刻を伝えたり、お世話になった話などしているとカールは涙顔になった。さっきまで涙は見せていなかったのにー。

14時過ぎには私は早くも病院を出た。空港に向かってチッチ拾い、その足で今度は中央駅でテルを乗せる予定だ。葬儀屋は15時半に迎えに来るそうだ。17時ごろ、二人を乗せてセルモ玉泉院中央会館に着いた。入ると、家族控え室にすでにヒサコは置かれていて、テルがベールを剥がしチッチともども祖母の姿を見つめていた。
今後のことだが、本来なら明後日あたりが告別式かと思ったら友引にあたるため、明日22日に打ち合わせ、23日通夜、その次の24日を家族葬で告別式にするとのことだった。となると、23日は私は病院の日当直に当たっているため誰かに代わってもらわねばならない。明日は午前までの仕事をして午後は休みをもらおう。カールも「忙しくなる」と言い、ご飯も作る余裕がないようだった。と、テルが「明日の食事はボクがカレー作るから」と言ってくれてその材料をすぐ近くのスーパーに私と買い出しに出かけた。夕食は「寿司にしたい」とのことで4人で食べに行った。

葬儀屋の人が「今日はゆっくりと休んで下さい。明後日から忙しいですから」と気遣ってくれたが、今夜からすでに忙しさは始まっているようだった。

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