こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
2025年9月15日月曜日
カール、枇杷の枝を剪定する
2025年9月14日日曜日
マイナ免許証か従来免許証か
午後から交通安全教育センターへ5年ごとの運転免許更新に出かけた。
以前は日曜午前に受けていたが余りにも更新者が多く並ぶので前々回から午後にしている。 それに今日午前はドジャース対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦もあったしね。ドジャースが大差でリードしていて今日は勝つな。さて今年から運転免許証はマイナンバーカードにも組み込むことが出来るそうで、更新者は受付の段階でこれまで通りの免許証カードにするかマイナンバーカードに組み込むかを選択しなければならない(もしくは両方も可)。ちょっと迷ったなぁ。従来どおりは安心感はあるが、マイナ免許証の方が更新手数料が850円安くなるのと、今日も受けたが更新時の交通講習がオンラインでも可能になる(ただし更新そのものは視力検査や写真撮影などは運転免許センターや警察書などで受ける必要はある)、住所変更時の手続きが簡単になったり、出張などで更新期間中は居住地県外に出ている人でも手軽に免許更新ができたりなどのメリットがあるということで思い切ってマイナ免許証を選択した。2025年9月13日土曜日
閉所恐怖症から昭和戦前の子どもまで
特に予定を入れていない3連休の初日、休みなのに病院へ行って、入院患者の指示出しをした。重症の患者が2人いて、今朝の採血結果をもとに点滴指示を出そうと思ったからだ。着いて見ると、昨日までより悪化しているデータもあって変更を行った。まあ家から電話指示でもいいのだが、重症患者となると指示も多くて細やかになるので、やっぱり行って正解だった。
さて昨日のこと、外来で看護師らが話題にしていたのが、閉所恐怖症の中年男性患者の一件だった。MRI検査を受ける予定のその患者が検査室に入るのを怖がりその扱いに大変だったんだそうだ。見た目屈強ないわゆる強面(こわもて)の男性だったらしがなかなか検査台に入ろうとせず難儀だったんだとか。まあ本人にしてみれば怖くて仕方なく、MRI検査ではたまにこういった反応を示す患者もいて鎮痛剤を使うこともある。
さて、そんな話題を今日カールに聞かせたら、その後話がどんどん進み、亡くなった父デンコーが靴を履きだしたのが40歳代半ばだったという話題になってしまった。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話だが、いったいどういうこと?
先ほどの話題の後、私はカールに「閉所恐怖症の人の気持ちって私には分からないが、高所恐怖症だったら分かるナァ」と解説してみせた。例えば私が地上100mくらいのビルの屋上から出ている幅20cmくらいの板を歩けなんて言われたらMRI室に入りたがらない例の患者と同じような反応をするに違いない。まあ分かりやすい例えでしょ。
で、その時ふと思い出したのだ。ある日、自宅兼旅館の鉄筋3階のビルの屋上でデンコーはそれこそ幅20cmくらいの塀の上にぴょこんと乗って網で囲う作業をしていた。足を踏み外せば地上へ15、6mくらいは落下し命に関わるというのに平気で作業を続けていた。私は背筋が冷や〜として正視出来なかった。
何でそんな危なっかしい作業をデンコーはしていたのか?実は自宅で卓球が出来るようにと卓球台を購入して、日頃は屋上のボイラー室に保管して晴れた日には台を出し卓球を楽しもうということだったのだ。で、ピンポン球が下に落ちないように棒を立て網で囲ったのである。近所の人たちは「あの網は何のため?」なんて訝(いぶか)っていたよ。私たちもちょくちょく卓球をして楽しみはしたが、いかんせん本格的に卓球をやっているわけでもなく早々に飽きが来て台も網もへたってそのうちほとんど遊ばなくなった。
すると、今度は魚釣りをやろうとデンコーは思い立った。小さなボートを買ったのか借りてたのかは知らない。私が中学生の頃、ある日曜の朝早く、私と弟はデンコーに起こされ、「今から魚釣りに行くぞ」と錦江湾に連れて行かれ、ボートでの海釣りに付き合ったのだ。私は今でも魚釣りはしたこともしたいとも思わない質(たち)で、その日も眠いし船酔いするしで最悪の日曜だったことしか記憶はない。もう二度と魚釣りには誘わないでと切に思った。
すると私が中学の終わりか高校の始めのころ、デンコーはゴルフを始めた。これはハマったね。打ちっぱなしにもよく行っていたし、そしていよいよゴルフコースデビューとなった。私が覚えているのは、帰って来た日に「足が痛くてきつくて・・」とゴルフシューズを履いてのコースを回ったのがえらくきつかったとぼやいていた。そしてその時のデンコーの言い分に少し驚いた。「靴なんてこれまで履いたことはなかったのに、何キロも歩き回ってきついのなんの」と言うのだ。靴を履いたことがない?大げさなと思われるかもしれないが、デンコー親父の人生を振り返ればあながちウソでもなかった。昭和一桁で田舎生まれのデンコーは「小学校には裸足で通っていた」そうで高校も戦争末期から終戦の混乱期でどうにか卒業したくらいで、すぐに祖父デンシローの貨物船で働き始め、その後大きな貨物船の船長をするようになっても皮靴とは無縁の生活だった。船が沈没し保険が下りたのを幸い、祖父に勧められて鹿児島で旅館を買取りそこのオヤジになった。だから靴を履いてあちこち回る仕事はしてこなかったのだ。
そんな昭和の初めのころの人たちの話題に、カールは「ギボヒサコから聞いたことあってー」と戦争末期に沖縄から鹿児島に疎開したヒサコ一家のことを思い出した。ヒサコ一家は那覇の市街地に住み比較的いい暮らしをしていたそうな。すると疎開先で「(沖縄の人なのに)靴を履いている!」と驚かれたんだとか。今じゃ考えられない発言でしょ。それを聞いて、デンコーが裸足で通学していたという話もやはり本当のことだったんだと思った。昭和の前半の子どもらの写真を見てもせいぜいわら草履か下駄を履いているくらいで靴を履くなんて滅多に見られないことだったんだ。↓の写真はネットで拾った戦後まもなくの田舎ではなく都会の子どもの写真だ。靴ではなく草履だね。戦前の田舎の子たちの履き物は推して知るべし、だ。
閉所恐怖症から靴なしで通学の話題に飛んだわけだが、たかだか80数年前の日本はまだまだ相当に貧しかったのだ。
2025年9月12日金曜日
こてる日記のミスを指摘される
2025年9月11日木曜日
カンボーゴって何?
夜、こてる家のTVはNHKを映していた。「あしたが変わるトリセツショー」をやっていて今週のテーマは「嗅覚」だった。特に嗅覚を失う病気やその対策についてためになる話題を提供していた。耳鼻科は専門でもないし、嗅覚の病気になったこともないので根を詰めて見る気はなく、和室に移り自分のチェアに座ってチラ見程度で過ごしていた。
すると「嗅覚を失う原因」というグラフが大きく出ていてその1位はダントツで慢性副鼻腔炎とあり「ああなるほど」と思って次の2位を見たら「うん?」と困惑した。
「カンボーゴ」とある。はて?カンボーゴって何だ。私は番組が解説する前にGoogleで検索し始めた。専門外とはいえ私も医者の端くれ、全く知らない病気または症候群があるのは落ち着かない。カンボーゴって初めて聞く病名だが、耳鼻科では以前からの病名を最近そのように言い替えたのだろうかとも思った。以前も書いたが、昔言っていた「痴呆症」が「認知症」になったり、精神科での「精神分裂病」が「統合失調症」になったり、ひらがながカタカナになったケースでは「らい病」が「ハンセン病」がある。「カンボーゴ」もその類いか・・。しかし、全く出てこなかった。な、ばかりか「カンボンゴ」が正しい表記じゃないですか、ぐらいに言ってくる。検索されるのは韓ドラの「力の強い女カンナムスン」がらみばかりでどうも登場人物に「カンボンゴ」がいるようで、主人公カン・ナムスンの父親の名前だった。そのドラマは以前見たが、絶対に嗅覚障害とは無縁のドラマだ。いったいどういうこと?と番組を見ていると・・
おいおい、「感冒後」のことかい。「いわゆる風邪などウイルス感染のあと」に起きる嗅覚障害ってことだ。紛らわしいぞ、NHK!特に新型コロナ感染後には嗅覚や味覚障害が出やすいことは知られている。これはウイルス感染が起きると鼻の嗅覚細胞はウイルスもろとも細胞死をすることで脳へのウイルス浸潤を防御するシステムがあるのだそうだ。「計画的細胞死」という。
いったんは細胞死するがおおよそ数ヶ月で元に戻ることが多いらしいが繰り返すと元に戻らないこともあるから注意が必要とのことである。いや、ためになる情報ではあったが、カンボーゴには参った。いや、いったい何だろうと思わせて注意を引きつける技だったんだな。やられましたよ、NHKさん(-_-)。
2025年9月10日水曜日
患者を救え
水曜日は外来&救急担当日、そんなに忙しくない日もあるのだけれど、今日はそうじゃない日ていうかよくある水曜日だった。
前日当直の脳外科Drが救急入院させた内科系患者2人を私とダヒロDrとで1人ずつ受け持った。どちらも肝胆膵系の疾患で重症だ。ダヒロDrも外来担当で、私はさらに午後は定期の会議2つがあり、午後にはめまい症の救急患者が来た。他に近医からの内科紹介患者もいてどうにか夕方17時ごろに一段落したかと思いきや、内視鏡室から「こてる先生、レントゲン室に来てERCP手技を交代してくれませんか」との依頼が来た。「はあ?」と思ったね。
担当していたのは今日の内視鏡担当ではないダヒロDrだった。今朝受け持った患者さんが総胆管結石で急性の胆管炎を起こしていて今日中に処置が必要だ。非常勤の内視鏡担当Drらはもう帰ったか帰る頃でダヒロDrが内視鏡を握っていたのだが、胆嚢は切除済みでしかも胃や十二指腸の位置が通常とは違っていて1時間近くチャレンジするも十二指腸乳頭にすらアプローチ出来ていないという。
検査着に着替えることなく放射線防護のエプロンを掛け、私が代わりに内視鏡を握った。やってみるとやはり挿入と観察が困難だった。しかし私は簡単に諦める方ではない。30分さらに1時間近く経とうとする頃、どうにか十二指腸乳頭までたどり着いたが、内視鏡の位置からして総胆管内にカニューレを挿入出来そうになかった。私が四苦八苦している時、ダヒロDrは患者家族に病状説明をし次の手を打っていた。
とうとう私も諦めた。検査開始から2時間以上を経過し患者もスタッフもへろへろだ。その間、ダヒロDrは家族に説明をし外科に急遽対応を依頼していた。なんと、今夜開腹手術で総胆管結石を排石することになりそうという。本来なら手術は明日あたりが妥当だが、明日も2件手術が入っているそうで、それ以降は胆管炎が悪化する恐れもあり、大変だが今夜決行となったようだ。いや、内科もそこそこ大変だけど外科の先生方には頭が下がります。
翌朝、結果をみると、手術はうまく行き、立派な総胆管胆石が何個も摘出され、感染源である膿汁も出てきた。Tチューブという胆汁排出用の管がしばらく腹部に残りまだしばらくは入院は必要になりそう。それでも各科Drやスタッフの協力のおかげでおそらくは無事に済ませられると胸をなで下ろしたことだった。ふう・・。
2025年9月9日火曜日
物ではなくて
夕方、外来のベテラン看護師ブルゾンさんから院内電話あり、「今から院長室に来ていいですか」という。OKすると、何かしら袋を持って来た。「それは?」「外来患者のスキルフルさんが先生にこれをって。ハガツオですよ」と聞き、「ああ」と思った。
このスキルフルさん、かなり年配の男性患者で、以前からお魚系のレトルトやパックものなどを「先生、食べてください」と持って来ていた。それはまあ有り難いのではあるが、受け取っても食べきれないか、毎日お魚ばかりが料理に並ぶことにもなり、多くを外来看護師らに譲ったりしていた。つい、1週間ほど前もレトルト系をたくさん持って来られてほとんどを他の職員に譲ったばかりなのに・・。まあ何かしら頼みたいことがあったようだが、その時間帯は外来担当ではなかったので丁重にお断りした。で、ハガツオも生だし、氷もいっぱいビニール袋に入っていて持ち帰る気力をなくした。これまた「みんなに分けて」とブルゾンさんにお願いした。いやはや。どうもねぇ、こうしたおくりものはやはり今後はお断りしないとな。ていうか断っていたんだが、置いて行かれたりしてそれこそ捨てるわけにもいかず今日みたくなってしまっていた。「先生のおかげで」とか「いつも診ていただきありがとうございます」の言葉だけでも医療関係者は嬉しいものなんだ。物ではなくて言葉で。これをよろしくー。
2025年9月8日月曜日
大谷中毒
日本時間の月曜のメジャーリーグの試合は現地時間で日曜昼間にゲームが行われる。西海岸ならば午前5時過ぎ開始が多い。しかし今日のドジャース対オリオールズ戦は東海岸のボルチモアであり、午前2時半開始予定だった。この時刻、起きたまま見るにしても寝てから見るにしてもどうにも中途半端だ。パーソナルチェアで寝たり起きたりを繰り返しながら、午前4時ごろにどうにか起き出し、ビデオ再生をし観戦を始めた。
すると早送りして止めたところが、大谷が相手の菅野から初っぱなにホームランをかっ飛ばした場面だった。おお、今日はイイ感じだ。やっぱりホームランは野球の華だ、気分上昇し気が晴れる。さらに第2打席でも大谷はホームランをかっ飛ばした。センターバックスクリーンの少しライト側のぎりぎりの場所だった。実はその付近にあのミニタニさんがカメラ構えていたんだ。ミニタニさんは芸名アキ・テリヤキといい、全試合ドジャースの試合を観戦し、大谷のホームランがあればそれを自身のYouTube(TERIYAKI TIMES(テリヤキタイムズ)→https://www.youtube.com/feed/subscriptions/UCgTScpqNaT_oQDSqMwZOFIA」で情報発信している。「打ったぞー!オオタニ、今季第47号だぁー」といった掛け声で始まり、ホームランボールを取った人にインタビューをし、後半は球場から帰るドジャースファンらにゲームの感想を聞き、子どもらには「大谷みたいになりたいかぁ」「大谷のようにスイングしてみよー」と煽ってそれを動画に収め、公開している。
試合は大谷やベッツのホームランなどで5ー2で勝利した。いや、大谷がホームラン打ってドジャースが勝つというのが一番精神衛生上いいんだ。昨日の落ち込みがこれで8割くらいは回復したわ〜。夜にもう一度ホームランシーンを見直すと、ミニタニさんが右手にカメラ構えてホームラン落下地点方向を見ているシーンも分かった。
いや〜、結果は知っているけれどこういったYouTubeを見直すことでまた満足する。これを野球シーズンは繰り返している。全国で私みたいな大谷中毒のような人が何百人、何千人、いや何万人もいるのではないかと思っている。それくらいの影響力を彼は今持っているのだ。
2025年9月7日日曜日
こんなに落ち込んだ野球の試合はなかった
沖縄最終日の今日午前はメジャーリーグ中継を見ていた。ドジャース対オリオールズの第2戦だ。ここまでドジャースは4連敗、今日の先発はいつも連敗ストッパー役が回ってくる山本由伸だった。試合は山本が絶好調で四球が2つあるだけで相手打線に1本のヒットも許さず、ドジャースは1点ずつ加点し3ー0で終盤に入っていた。普段なら6回7回あたりで投手交代となるのだが、山本がノーヒットピッチングを続けているので8回も投げていた。ドジャースのメンバーは誰も山本に声を掛けない。これはノーヒット状態に時にはよくある光景だ。ベンチもヒット1本打たれるまでは続投させるという意思がはっきりと出ていた。
そしてついに9回の裏に入った。ヒットを打たれず後3人をアウトに取ればノーヒットノーラン達成だ。メジャーリーグでは野茂が2回、岩隈久志が1回やり遂げている。山本は日本プロ野球では2回すでに達成しているがメジャーでは無論初めてのことだ。
すぐに2人をアウトにし、最後のバッターは1番の若手ジャクソン・ホリデーだった。こいつと3番のガナー・ヘンダーソンの2人がやっかいだなと私は睨んでいた。しかしそれでも今日の山本なら相当の確率でノーヒッターを達成出来ると思った。そこで私はデジカメで写真と動画を撮り始めていた。↓「あと一人!」とTV画面を指さす私。
カウントは2ボール1ストライクだった。私はスプリットを投げて欲しいと思っていた。今日の山本のスプリットは右外にそして下にすごく落ちて狙って打ってもとても当たりそうには見えなかった。カウントがやや悪いのが気になっていてストライクボールは投げずにボールになるスプリットを投げればたとえフォアボールでも記録は途切れない。しかし山本の投げた球はやや内角のほぼ真ん中に来た。あちゃー!しっかりボールを捉えられたぁ〜。その瞬間は動画に残っている↓。ボールがスタンドに入る前に、私は「ホームランだぁ〜」と声を上げていた。がっくり・・。しかし、それよりもこの後山本は降板するだろうが、ちゃんとアウトを取って3対1でドジャースが勝利して欲しかったのだ。解説の小早川さんも「まだアウトは26個しか取っていません。27個取るまでは試合は終わりません」と言っていたが、なのにドジャースベンチは試合は終わっていないのになぜか山本への祝福モードって雰囲気だった。あとでこの日は解説ではなかった武田一浩が自身のYouTubeで「あれ、山本は打たれたけど、ここでリリーフには交代させない方がいい。まだ気力は残っているし、代わったら(リリーフは)打たれるよ」と言っていた。私も一抹の不安を持って見ていたが、その不安が本当になってしまった。トライネンがヒット打たれた後、制球が定まらずデッドボールフォアボールと満塁にしてしまったのだ。そしてここでピッチャー交代をベンチはミスった。次打者は左バッターだったので左のスコットに代えるタイミングだったのにそのまま動揺しているトライネンを続投させたのだ。結果はまたしてもフォアボールで押し出しとなり3ー2になった。さすがにここで交代させ、スコットが登場したが、もうダメ。彼は昨日もそれほど悪い球ではなかったのにサヨナラホームランを浴び1ー2で負けていて、一言で言えば今はツキがない選手なんだ。それがこんな酷な状況を任させると実力以下のパフォーマンスしか出せないもの。低めの明らかなボール球を痛打されランナー2者が帰り3ー4で逆転サヨナラ負けを喫したのだ。はあ・・がっくり。本当にがっくり。ノーヒットノーラン逃したことよりも負けたことに呆れ、どっと疲れたのだ。
敢えて言えばホームランキャッチをやろうとしなかったライトのパヘスは悪くなく(あれは取れなかった)、2ボールにした時点で内角のカットボールを選択した山本に責任がある。いつもの攻め方をしてしまったのだ。ここはさっきも書いたようにノーヒットをさせない投球をすべきで外角低めへとあと2つフォアボールを出してもいいやくらいのスプリット中心の投げ方をすれば良かった。昨日のスコットも2ストライク取っていたのにホームランになる可能性のある内角に投げて延長へのチャンスを逃したわけで、山本の投げたのは昨日と全く同じコースだったのよ。その後のリリーフのトライネンは山本のナイスピッチングを無駄に出来ないという意識が強すぎて硬さが前面に出てしまった。結果チームが勝てばええんやという開き直りが出来ていなかった。まあ後からならいくらでも言えるが・・。
しっかし、こんな天国から地獄への暗転ってある?いや、滅多にあるものではない。少し後にどこかのAIかなにがはじき出したデータでは99.6%の確率で勝利するはずだったという。100に1つもないことが起きたのよ。午後は何もする気が起きずふて寝していた。U18の試合が琉球朝日放送であったがビデオでちょこっと結果を見ただけ。夜は21時ごろ飛行機で帰鹿し駐車場で阪神の優勝シーンを見たがどこかよそ事で「ふーん」って感じ。私らが子どもの頃、巨人が負けると機嫌が悪くなるオヤジがよくいたそうだが、その気持ちがよく分かるわ。
この塞ぎ込みが多少なりとも改善するには、仮眠を取って午前2時半から始まる第3戦のビデオを2時間遅れで見始めた明け方まで待たねばならなかったのである。
2025年9月6日土曜日
旧盆よりも野球
2025年9月5日金曜日
沖縄旧盆の中日に着く
今日は午後から半日有休をもらって夕方沖縄へ向かった。沖縄は昨日から旧暦での旧盆3日間があり、昨年亡くなったギボヒサコをお迎え(ウンケー)、お送り(ウークイ)するためで、カールはすでに月曜には沖縄に行っていた。旧暦の旧盆は毎年日時が異なり、今年は9月4日から6日までだが、例えば昨年などは8月16日から18日までと結構揺れ幅がある。
最近の鹿児島空港は駐車場の空きが少ないケースがままあるので、余裕をもって出航の17時40分より前の17時ちょうどには着いた。幸い、駐車場は空きがあって、それは予定通りだったが「出航が18時30分に遅れます」とのアナウンスがあり、結果的にもう少しゆっくり出来たわけだが、これは仕方ない。なぜに飛行機が遅れたのかといえば台風15号のせいだった。東海、関東地方に大雨と突風竜巻を起こし鹿児島へ向かう羽田発の便が遅れたのだそうだ。
出発時にはまだ少し明るかったが徐々に暗くなっていき、眼下には志布志湾上空から南西諸島にかけての夕焼けと海から湧き上がる雲の様子見られてなかなか良かった。
旧盆が9月にあると盆の最終日(ウークイ)は1日学校を休みにしているようで今年は今日の中日(ナカビ、ナカヌヒー)を休みにしたという。沖縄では沖縄戦の終わったとされる6月23日も休みでこのあたりローカル色がよく出ている。
2025年9月4日木曜日
右か左か、渋滞を避けろ
朝、出勤直前にサブアラドDrから電話が来た。彼は高速道路を走っていて鹿児島市から霧島市にある病院に向かっているところだった。「高速道路の北インター前の坂で交通事故があったばかりで軽自動車がひっくり返っていて渋滞が始まっているぞー」だって。おお、それは貴重な情報だ。高速で渋滞に巻き込まれると遅刻してしまう可能性がある。しかし、県道25号の鹿児島蒲生線を通ると病院に着くのは早くて30分、始業時間の8時半に間に合うかどうかだ。家の駐車場から右に向かうと高速道路コース、左に行けば一般道から吉田インターに入って残りは高速を使うコースだ。いつものように高速オンリーコースで最初の渋滞さえ乗り切れれば渋滞があっても早いかも・・と思ったが、せっかくのサブアラド情報を活かすには後者かなと思って、一般道+高速の左を選んだ。
結論から言おう。いつものように右の高速コースを選んだほうがおそらく早く着いた。始業時間にはきっと間に合っていただろう。私がまずそう思ったのは県道と高速が交わる場所、高速を下に見る橋から吉田姶良にむかう車の流れがいつもとほとんど変わらなかったからだ。↓図の下方赤色楕円の部位。
そして吉田インターに向かい近づいた時に(↑図ピンク色円の部位)判断ミスを確信した。三叉路の信号待ちで結構な渋滞にハマったのだ↓。この渋滞がなければぎりぎり間に合っていたとは思うが・・。病院に連絡し「交通事故の渋滞で10分は遅れるだろう」と伝え、実際その通りになった。後で、サブアラドDrから詳しい情報を聞くと、「軽自動車が道路に真ん中付近にあったのを当事者や周りの車から降りた人たちが4、5人道路の端に車を寄せて、それから車の通行がスムーズになった」そうで、まだ警察は来ていなかったのだとか。確かに事故担当車両らしき車が鹿児島からではなく姶良方面から向かっているのを2台は見た。警察が交通整理し始めると渋滞がさらにひどくなるが、あの時私が右に向かっていればまだそのタイミングを避けられ遅刻せずに済んだだろう。
いや、サブアラドDrのありがた迷惑なアドバイスがなければ・・いや、それはやはり言うまい。右か左か、あの時の瞬時の判断を誤ったのはやはり自分のせいなのだ。次回、同じようなケースがあったればそれを活かすことにしよう。うん。
2025年9月3日水曜日
伊藤看寿、神品の3局
今日は外来&救急担当日であったが、特に日記ネタはなかった。まあそんな日もある。ネタといえば、最近はネコがらみが多い。8月だけで9日も登場している。ちょっとネタがないなって時にネコは取り上げやすいんだ。従妹のヒトミンチョなんか完全にネコブログで毎日よくネコだけで書けるなというくらいそれは徹底されている(→にゃんこ☆最大幸福数)。まあ話のマクラとしての今日のゲンちゃん&ハナビの様子は↓だ。
引き出し台は最近のハナビのお気に入りで邪魔されにくいし、上から見下ろせるしでキャラに合っている。ゲンちゃんが何やつって感じで見ているネ。その後、互いに緊張は取れて、べた〜となっていた↓。いや、実は今日はYouTubeで見た詰将棋の作品を紹介しようと思う。私、将棋はいっさい指さないし、詰将棋もルールを知っているくらいでほとんどやらないのだが、YouTubeで解説してくれているサイトはたまに見たりする。パズルみたい(実際パズルといってもいい)で面白いんだよな。囲碁好きな私は碁の対局紹介はよくYouTubeで見るが、詰将棋と違って詰碁はあまり見ない。今一好きになれず、それが私が碁の棋力が上がらない理由なのかも。詰将棋はよりパズル性と一種芸術性もあってすごいなと思っている。今日は江戸時代の有名な将棋指しの伊藤看寿の作品を見てそれを話題にしようと思う。伊藤看寿は兄の名人伊藤宗看とならび幕府に献呈する詰将棋問題集100選を著したことで有名だ。米長邦雄元将棋名人は自著で「将棋のプロになるには宗看と看寿の詰将棋本「将棋無双」と「将棋図巧」200題を絶対に答えを見ずに解き切る訓練をすればよい」と勧めていたほどだ。だから新聞や雑誌に載っている7手詰め問題なんかとはレベルが違い、まず第1問からして69手詰めなのである。これを米長邦雄少年(中学1年だった)は毎日毎日6時間ほども考え続け1週間でどうにか解き切ったという。かように「脳が汗をかく」ほどの訓練がプロの将棋指しには必要なのだと。
伊藤看寿は名人になれるはずであったが40代で夭折し後に贈名人となった。しかし彼の作った詰将棋作品集「将棋図巧(1755年)」はすごい。名作だらけなのだが、100題のうち最後の3題は特に有名でかつ奇跡的な作品として知られている。何がどうすごいか言葉に出来るほどなのだ。3題ともすごすぎて、それらと同じような作品が作られるまで実に200年近くを要したほどである。神品と評される3作品を披露してみよう。
その一つ目、98番は「裸玉(はだかぎょく)」と言われている(31手詰め)。相手(詰まされる側)の駒がたった玉1枚しかないのだ。詰み手側は「飛車、金2枚、銀」の4枚が駒台にある↓。ビジュアルがすごい。
こんな問題ってある?いや看寿が献呈するまでなかった。そして驚くべきはこれと同様の「裸玉」の2番目の作品は1942年(昭和17年)まで待たねばならなかったのだ。二つ目。99番は「煙詰(けむりづめ)」だ。煙詰ってどういう意味?これは最初は盤上に自陣玉を除くすべての駒39枚が配置されているが、どんどん詰ましに行くと盤上から駒が取って取られて行き、最後は相手玉と摘み手側の2枚しか残らず、王手なので相手玉がその駒を取ると自分の駒1枚が残るだけ、まるで煙のように駒が消えていくという詰め物なんだ。↓が出題時点。
そして詰め上がり図が↓のようになる。王手されている玉は馬を取るしかないが、と金に取られてしまい盤上にはと金1枚のみ残るという117手詰め・・すごすぎる。この煙詰にいろいろな詰将棋作者らが挑戦したが簡単にはできず、2作目は1954年(昭和29年)で199年後であった。そして「将棋図巧」の最後を飾る100番が「寿」という作品だ。上が出題図で、下が詰め上がり図だ。
2025年9月2日火曜日
65歳以上って・・
朝の医局会では薬品説明会があり、今週はファイザー社のコロナワクチンやコロナ治療薬の紹介とその説明だった。5年前の新型コロナのパンデミック以来、何度も流行が起き今は第何波なのか知りもしないし、知ろうとも思わないほどに当たり前の感染になった。面白いのは毎年夏に大きな流行があり10月ごろにかなり収まるがまた冬になると流行し出すというサイクルが続いていることだ。今の9月冒頭は大きな波の後半ってところか。
コロナで入院したり、重症化して不幸になくなる人ってどんなケースが多いのか。それを重症化リスク因子といって↓のスライドにも紹介されているように「65歳以上の高齢者」「喫煙」「肥満」「高血圧」「糖尿病」「喘息」「ワクチン未接種者」などが因子として出ていた。しかしだよ、肥満で糖尿病で高血圧を持っている人は相当気を付けないといけないのかというと必ずしもそうではないのだ。上のリスク因子を平等に並べて論じるから誤解を招きやすい。↓のスライドを見て欲しい。どんな重症化リスクを持っている場合が特に危ないのか?↑のスライドで一目瞭然だ。「65歳以上」かそうでないかが一番重要で、他の因子に比べて20倍も影響がある。肥満なんてリスクとは言えないほどでしょ。65歳以上の次に危ない因子は糖尿病でも喘息でもなく「50歳以上から64歳まで」と、要するに年齢が一番重要なんだ。持病があるかどうかよりずっと大事ってこと。これは高齢者ほど免疫力が低下するからだと考えられている。自治体がコロナワクチン接種について65歳以上に補助があるのも肯けるわ。してみると・・・すでに65歳以上の私は危ないってことだ。やだねー。気持ちはまだ40歳くらいなんだがー。今度のワクチンは新しい株にも有効ということだから秋に予定されているコロナワクチンはちゃんと打っておこうと思ったわ〜。
2025年9月1日月曜日
暁のゲンちゃん、何をした
9月になった。でも暑い。外はもちろんだが家の中も暑い。エアコンを効かさないと特にうちの場合2階は蒸し風呂みたいになる。それで1階の居間でTV見ながらそのまま寝入って未明に覚醒しても2階の寝室に上がらず・・ってなりがちなんだ。特にこの前パーソナルチェアを購入して半分寝ながらTVを見られるので寝落ちしやすくなった。
未明に起きがあり、1階をうろつくとネコ2匹もうろつき始めた。もうすぐご飯の時間でゲンちゃんは給餌器の前でじっとしていた。しかしその後和室に来て何をやらかしたかというと、「ケッ!ケッ!ケッ!」と胃液と胆汁が混ざった液をゲロりやがったんだ。うわ〜またかよ〜。この間も明け方にやっていたけど、空腹時の胃の中に溜まるから出したくなるんかな。
急いでティッシュで拭き、その上をアルコール液の吹きかけ消毒を行った。この前もいっぱい使ったからティッシュがすぐなくなるじゃん。おーそうか、昨日ガソリンスタンドでティッシュいっぱいもらったのはこのためだったか。それに和室に防水用カーペットに入れ替えていたのもよかった。一見畳に見えるが合成のカーペットで下に染みこまないんである。ふむ、ゲンちゃん、こっちは準備万端だったぜー、どうだ。その頃、ハナビは浴室の脱衣室の蛇口にいて水が欲しそうだったんでチョロチョロ流して飲ませてやった。カール曰く「ハナビは野良時代があったからこうした水に反応するんじゃないかな」だって。そうかもな。ゲンちゃんは蛇口の水は飲もうとはしない。ついでに言うとゲロるのもほとんどしない。せっかく口に入れたものを吐き出すなんてきっともったいなくて仕方ないだろう、ねぇハナビ。
2025年8月31日日曜日
ティッシュをもう1セットもらう方法
朝、日曜ということでゆったりしているとカールに「近くのガソリンスタンド、ガソリン入れに行ったらいいよ。キャンペーンでティッシュもらえるわよ」と言われた。しかし「水曜日に満タンにしたばっかしだよ」と渋ると「それでもいいじゃない。少し入れるだけでももらえるんだから」となおも勧められた。
カールによると「最初はさー、ガソリン20ℓ以上の方だけプレゼントとかだったんで、ガソリン切れそうなのにガソリン消費を我慢に我慢してそろそろ大丈夫と行ったら来場者全員がもらえたのよ〜」なんだそうだ。そうまで言われれば家から1分のところにあるガソリンスタンドに行かない理由はない。部屋着に裸足のまま靴履いて、免許証とキーだけもって行ってみた。道路脇にで店員らが旗を振っていて「大キャンペーンでーす」とやっていた。
「どーぞ、どーぞ」と店員に誘導され、セルフスタンドでガソリン入れようとすると、カールの言ったとおりティッシュ3箱1セットをもらった。給油量はわずか7ℓとちょっとだった。店員は「ガソリンスタンドのクレジットカードを作りませんか」とこのキャンペーンの目的を明かし、名前と住所、携帯番号を記載する紙を持って来た。「あー、私、ここのカード持っているんですよ」といつも使っているクレジットカードを見せようとした。そこでハッと気がついた。なんと今日は財布を持ってきていなかったのだ。ズボンに財布をいつも入れているはずが、今日はステテコみたいな格好でいたんで持っていなかった。「あいちゃー、すみません、家はすぐそこなんで持って来るということでいいですか」と詫びると「いいですよ」とOKだった。
帰宅し、すぐに財布持ってガソリンスタンドへ引き返した。「すみませんでした」とカードを支払機に入れ支払いを済ませた。するとだよ、先ほどとは別の店員が「本日はありがとうございました」となんとまたティッシュの箱をくれたのだ。「いや、さっき・・」と言おうとしたがぐっと唾を飲み込み「ありがとうございます」と頂戴したのだった。
カールに「ほら2つもらったよ」と見せると、「もしかしてそうなるかもとは思った」んだそうで、「3箱1セットなら買えば2、300円はするわよ」とのことだった。へーえ。行って良かったぁ。ミスが逆にもうけにもなったしー(⌒о⌒)。
以上が、日曜の朝のお医者様とその令夫人の会話と行動である。何か参考になりましたでしょうか。