こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
2025年9月30日火曜日
誰が電話に出るかいっ
2025年9月29日月曜日
デジタルって桁違い
この前の日本料理を食べに行った際、天文館通りや和食そのものをデジカメで何枚も写真撮影したのだが、再生しようとすると変な画像になっていて、しまいには撮影そのものが出来なくなった。↓がその変な画像。まるで水平に切り刻まれたかのようだ。
同日のこてる日記に上げた写真は、一部は実際に撮影したものだが、一部はネットで拾ってきたりしてどうにか形になった。帰宅してSDカード(64GB)を取り出し、接触不良だろうかと接点復活剤などで拭いてみたりしたがよくはならなかった。SDカード取り込みアイテムには反応し、不具合写真をゴミ箱に捨てたりしてデジカメ撮影は出来るようになった。しかしなんとなく不安定でこれはSDカード自体を新調するのがいいと判断した。なんてったて2016年の12月からずっと酷使し続けて来たんだ。その間、10万枚以上もの写真や動画記録をしてきたはずで、もう悲鳴を上げているのかも。それでそれ以前に使っていた32GBのSDカードを取りだし応急的に使うことにした。そして新しい64GBのカードをネットで調べると、売れ筋は何と千円以下じゃないか。10年くらい前からすればずいぶん安い。それでもいいかと思ったがまた10年くらい使うことを考慮しブランド品の1600円台のものにした(あんまし変わらないか)。この手のカードは20年以上前、正確には23年前だが、コンパクトフラッシュ(CF)512MB(64GBの128分の1しかない)をネット注文した時、1枚5千円以上したのを思い出す。今ではそんな低容量のカードはほぼ存在すらしない。桁が違うってこのことだ。デジタル製品って年月とともに大幅な価格低下を来すものよねぇ・・。
2025年9月28日日曜日
ガーディアンズの試合を見て日本プロ野球を危惧する
メジャーリーグのレギュラーシーズンも明日で全162試合が終わり、日本時間の10月1日からポストシーズンが始まる。なのに、ア・リーグ、ナ・リーグともにまだポストシーズン進出チームが半分くらい決まっていないという事態になっていた。両リーグともに全15チームのうち6チームまでがポストシーズンに進出出来て、内訳は東中西の3地区の優勝チームと残りがいわゆるワイルドカードで勝率の上位3チームが生き残れる。それが残り2試合しかないのにア・リーグは東と中の両地区の優勝がまだ決まっておらず、ナ・リーグはワイルドカードが決まっていない。こんなに切羽詰まった時期までポストシーズン進出チームが決まっていない年もめずらしいが、そのためレギュラーシーズンの消化試合が少なくなり最後までファンにとっては楽しめるってわけで、これってメジャーリーグ機構のよく考えられたシステムによる恩恵だろう。
今日のドジャース対シアトル・マリナーズ戦は両チームともすでに地区優勝が決まっていていわば消化試合だった。大谷は休養で試合に出ていないしお互いのチームも先発投手が調整投球をしてブルペン投手らが交互に投げていた。だからドジャース戦より他の熱く鎬(しのぎ)をけずるようなゲームを見たくてSPOTVNOWでア・リーグのクリーブランド・ガーディアンズ対テキサス・レンジャーズ戦をネット視聴してみた。
ガーディアンズは残り2試合のうち1試合勝てば少なくともポストシーズンには行ける。しかし2年前のワールドチャンピオンのレンジャーズはもう進出の望みは絶たれている。だからレンジャーズにしてみれば勝っても負けても特にどうってことない試合だった。しかし真剣だったのよ。これって将棋の今は亡き米長邦雄の名言を思い出した。それは「将棋の対局でタイトル戦などより大事な対局がある。それは相手には昇級が掛かっているが自分には消化試合の対局だ。勝っても負けても自分には関係ないかもいしれないがその対局こそ真剣に臨むべきである」というものだ。今日のレンジャーズの立場がまさにそうだった。
試合は2対2で9回の裏ガーディアンズの攻撃に入っていた。2アウトランナーなしだったのでこれは延長タイブレークに入るかと思ったら、レンジャーズ投手はフォアボールを出してしまった。たったこれだけでホーム球場の観客から歓声が上がる。そして次打者が平凡なレフトフライかと思いきや、ポテンヒットになった↓。
これで2アウトランナー3塁1塁だ。レンジャーズ側は選手、監督がマウンドに集まり、次打者を敬遠し満塁策をとった。ふむ、投げるの左腕だし右打者を歩かせ次の左打者と勝負ってのは守りやすさからもありうる策だ。ドジャースも9回や延長の場面でよくやる。結果リリーフが打たれてなんてのがこの9月は多かったが・・。じっと固唾を呑んで見ていたら・・予想外の結果がー。動画&写真↓をどうぞ。
いやはや、満塁からは四球で押し出しってのはあるがまさか死球とは!当てられた方は死球どころか勝利の大生還球になり球場内は大歓声に包まれた。実はガーディアンズがポストシーズンに行けるなんて8月から9月始めにかけて、私も含めてほとんどのファン、メジャーリーグ関係者が思っていなかったはず。ア・リーグ中地区はデトロイト・タイガースがそれまで絶好調で2位になんと15.5ゲーム差を付けていて9月2日の段階でも11ゲームも離れていた。それが今日でタイガースとならんで同率首位だよ。このまま同率首位ならタイブレーカーを保持しており大逆転優勝となる。タイブレーカーとは同率で並んだ場合、直接対決で勝ち越したチームを上位とする権利でガーディアンズがタイガースに直接対決で上回っているので有利なんだ。これは過去最大の逆転劇になるらしい。2025年9月27日土曜日
「先生、『ペントハウス』が面白いですよ」
病棟の比較的若い女性患者が本日退院だったため、今後の注意点など病室に話しに行くと、彼女、スマホで韓ドラを視聴していた。「韓ドラならよく知っているよ私は」と話すと、「え、院長先生は忙しいのに韓ドラも見られるんですか」と聞き返されたので「いや、見始めると続けて見るがここ半年は全く見ていない。ところでそのドラマは何と言うタイトル?」と尋ねると「カンコンです」という。カンコンと聞いて「環魂」とすぐに漢字が浮かぶ人はまずいないだろう。だが私は韓ドラ雑誌を毎日のようにチラチラと読むのが日課みたいになっているので「環魂(2023年)ねぇ、知っていますよ」と言い、その作品が「ファンタジー時代劇で脚本がホン姉妹の作品でしょう」と概要を語ってみせた。そしてホン姉妹の昔の作品で私の大好きなラブコメ「ファンタスティック・カップル(2006年)」のことも教えたが、彼女はNetflixに加入するもそれが見られるUーNEXTには入っていないのでそれほどお勧めするわけにはいかなかった。
彼女は両親が韓ドラ好きで小学生の頃からよく見ていたという。「どんなのを見ていたのかな?」には「天国の階段(2004年)」ときた。いいねぇ。「『天国の階段』はかつて韓ドラを見たことがない人から韓ドラってどうなの」と聞かれたら「まずは『天国の階段』を見たらいい。まさにザ・韓ドラだから」と勧めていた作品だ。良きにつけ悪しきにつけ韓ドラの特徴がてんこ盛りだった。ええ、交通事故、記憶喪失、財閥、難病などなど全部そろってますから(笑)。
それはいいとして「今、お勧めの作品は?」と聞くと「めっちゃ面白かったのが『ペントハウス』です」と言う。「ペントハウス(2020年)」もちろん知っていた。ていうか、私も見てもいいかなという候補作品でもあった。女性主人公が3人いて超高級マンションの住人らが織りなす確執、事故、不倫などなどてんこ盛りの内容ってことも知っている。評判が良くて、シーズン2、シーズン3まで作られたこともね。ただ、見始めると次をどんどん見たくなるらしいから何か仕事を抱えている時とか、別のことに夢中になっている時は手を出せない。でも彼女が次回外来受診する4週間後までには十分視聴は可能かも。
女性主人公の3人(左からキム・ソヨン、イ・ジア、ユジン)は私が韓ドラに一番ハマった2000年代にドラマの主人公、そのライバルなどとしてよく出ていた。2010年代は3人とも単独で主人公を張るようになっていたからこのドラマの噂でその3人が出るらしいと言われていた頃、韓国のドラマ女性記者らには「3人のうちの1人が出るんだろう」と思われていた。しかし3人全員がキャスティングされたと聞き、「いったいどんなドラマになるん?」と驚いたそうだ。彼女らの熱演で大ヒットし、翌2001年に3人のうち悪役を演じたキム・ソヨンが長いキャリアで初の演技大賞を獲って面目を施した。ううむ、全くドラマを見ていないのでこれ以上書いてもちょっと乗りが悪い。近々視聴してみよう、「ペントハウス」!。
2025年9月26日金曜日
「腰掛け割烹その」でコース料理
午後は早帰りで、夕方はカールと17時半ごろに団地からバスに乗って天文館まで向かった。外食をするためで、事前に和食の店をカールが予約していたのだ。
ここ最近、天文館へ行くのは年に10回もないな。T-MAXボウルでボウリングをしている頃はそれこそ毎週出かけていたものだったがー。見慣れない店があったりして街の様子も少しずつ変わって来ている。中でもセンテラス天文館ビルの一角にある$nooup®︎ (スヌープ)天文館店はラーメン店なのに一等地に店を構えていて少し驚いた。ラーメン店で土地代、賃代なども支払いながらやっていけるんだろうか。カールによると「けっこうお客は多いらしいわよ」とのことで、トマトスープを使っているとかで店全体確かに赤い色が目立っていた。昔はここ、確か永田シロアリのビルだった気がする。「殺し屋参上」ってね(笑)。そこから文化通りを少し南に下って山之口本通りより1本手前の通りに入った。目的は「腰掛け割烹その」という店だ。スマホで店の印を見て入ったのだが、そこはスナックのビルなどが多く、ほとんど入ったことがない通りだった。周囲には二本松馬場通りとか萩原通りとか名前がある通りがあるのに地図に通り名が記されていない。通りで知っている店が西口の「豚とろラーメン」店くらいであまりのなじみのなさに驚いたくらい。子どもの頃からこの周辺はよく歩いていたのに・・。後でなんでそんなになじみがないのかなと思って地図で見れば、東口がT字路になっているからからだろう。流れが遮断されてしまい利用しずらい通りになってしまっている。なぜにそうなったのかブラタモリあたりで解明できないかな(笑)。2025年9月25日木曜日
エクシードが止まってしまったぁ
朝、布団の中で夢を見ていた。何の夢だったかは覚えていない。少しずつ意識も出てきてうつらうつらしていると、階下から「テルくん〜起きてるぅ〜」と私を起こす声が聞こえた。「ふわぁ〜い」と返事をし、腕時計を見ると午前6時40分ごろで、まだ起きなくても大丈夫やと目を閉じた。それから30分以上は経過したか、またカールから「早く起きないと〜」との声が聞こえてきた。そこでまた時計を見ると・・あれ?6時40分のままじゃないか。時計盤をじっくり見ると、秒針が止まっている。あちゃー。
実際の時刻は7時20分過ぎで、急いでトイレ、ひげそりなど済ませ、食事をして出かける準備をした。私の腕時計はシチズンのエクシード。なぜそれにしたのかは以前日記ネタにしている。→2016/9/8「その時計にしたワケ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2016/09/blog-post_8.html電波時計で光発電でもあるから購入して丸9年、これまで止まったりしたことはなかった。もしこれが故障ならちょっと面倒だ。
出かける少し前に窓際に光充電しやすいように、またネコが触れないところに置いてみた。秒針は動かない。しかし玄関を出て窓から内を覗くと秒針は動き始めていた。ふむふむ、これなら復活の期待が持てる。
今日は半日、時計なしで過ごしたが、何度も左腕を見ては「ああ、時計がない」という動作を繰り替えしたね。やはりそれは習慣になっている。スマホがあるから時計はなくても困らないという人も増えてきているだろうが、私はやはりウォッチがないとなー。
その後、カールからスマホにエクシードの写真が送られてきていた。
おお、11時49分になっている。ということはちゃんと動いているということだ。そして送信タイムを見ると11時49分ぴったし。ということは動いているだけでなく電波にも反応しているということだ。復活!思えば、連休の時など外にも出ず家にこもっていたから充電が弱くなっていたのか。ともかくまだまだシチズンの電波時計にはお世話にならなきゃ。ちなみに2016年に購入した時には新発売だったこのエクシードだが、いまだに販売されている。当時は10万円以上していたが最近はAmazonなどで5万円くらいに値下がりしているようだ。デザインに飽きが来ないのでもし壊れたらまた買い直してもいいかな〜。
2025年9月24日水曜日
最後は大腸憩室出血の止血でビシッと
メジャーリーグのレギュラーシーズンも大詰めで、ドジャースの今日の対戦相手は同地区対決のアリゾナ・ダイアモンドバックスだ。しかも大谷が先発で投げるとあらば経過をちょくちょくチェックしたいではないか。しかし今日の水曜は「忙しい」方の水曜だった。なにやかにやとやっていると13時半を過ぎそうで、ずっしり師長から「院長先生、午後の会議は欠席だと連絡しましょうか」と打診があり、カルテ見たまま「ああ、そうしてー」と返事した。まだ昼食も摂らないといけなかったし、それにドジャースの試合結果も気になった。
大谷が抜群の投球で相手に1点も与えず、しかも味方が4点を取ってくれていたので「今日は大丈夫やろ」と余裕だったのだが・・。大谷が6回で降板した後、なんじゃそら、このところベタ弱いリリーフ陣が打たれ始め、それでも9回裏までどうにか1点リードしていたのにスットコがいやスコットが緊張しまくりの表情であらま・・またやられそう。しかし、はあ・・。毎度おなじみの逆転負けにやりきれんわっ。
急いで食事済ませた後、いったん院長室で気を取り直して、まだ会議をやっているかもと小会議室に向かった。予想通り、まだ医療リスク対策委員会はやっていて、席に着くと、委員長が「以上で終わりですが、院長先生、一言ありますか」と来た。「ドジャースが不甲斐なくて気分悪いわ」と言いたいところ、「いや、遅くなりまして・・特にないですね」と穏やかに答えた。「そうですか、ではこれで終わりにします」と、わずか1分程度の出席で終わった。帰り際、難ガター検査室科長に「(それでも)間違いなく私は出席済みだよな」とつぶやき、ニヤリとしたのだった。
そこから1時間くらいは仮眠を取った。しかし15時からまた外来と内視鏡からお呼ばれだ。今日は大腸憩室疾患が2人いてどちらも入院になった。1人は大腸憩室炎で腹痛が特に目立ち、もう1人は1日半前から新鮮下血ありとのことで大腸憩室出血がかなり疑われた。大腸内視鏡を開始すると案外に血液の腸管付着が少ない。まあ経口下剤で前処置をしているからあらかた便と血は排泄されているからだろう。出血源憩室を求めてじっくり探していると、上行結腸に「これは」という憩室があった。
血糊のようなものが憩室内から顔を覗かせている。「これ、犯人くさい」とスコープの先端でちょいと刺激することにした。直後、わっ!出たよ、やっぱり。これは100%間違いなく出血源憩室だ。ここで大事なのはまずはクリップをこの憩室そのものかその近くに掛けておくことだ。こんなにはっきりしているのに見失うおそれがあるからだ。大腸の管の中って有り体に言えばどこを切り取っても似たような背景、模様なので出血が止まってしまうと、あれ、さっきの憩室はどこ?となりやすい。しかも憩室ってだいたい近くに多発していることが多くて紛らわしいしー。今回は吸引絞扼ではなくてクリップ縫縮で止血を行った↓。まあこれでほぼ一件落着よ。
忙しくて疲れもたまっていても、1日の最後がこれでビシッと決まった。ドジャースが負けようが仕事が忙しかろうが、これがあればやって行けます、ハイ!。2025年9月23日火曜日
オハナボー
秋分の日の休み、これがまたずっと家の中だったのよ。「暑さ寒さも彼岸まで」とは言われるけれど、朝から蒸し暑くてあんまし出かける気分でもなかった。お墓参りもちょくちょく行っているしねー。録りだめビデオをREGZA75Z870Nでまったりと見て過ごす。これやね。
おっと、働き者のカールは「お日さまが出る前にー」と庭の草むしりを頑張って済ませていた。それで朝シャワーを終えて居間に来て私の椅子に陣取っていたハナビに挨拶をしようとしていた。ハナビはなぜかこの前購入したパーソナルチェアがお気に入りで、席を離れるとすかさず乗ってきてくつろぐんだ。仕方ないので古いボロ椅子に私は座らざるを得なくなる。
で、「オハナボー」とカールが呼びかける。オハナボーことハナビは「ううん、なんじゃい」てな感じで見ている。
オハナボー、これからもずっと可愛がって上げるから素直に抱っこくらいさせてよね〜。
2025年9月22日月曜日
パンチングするヤツ
廊下からドア越しにハナビがこっちを覗いていた。覗いている先は・・
あはは、ゲンちゃんが毛布の上でまったりと寝ていたのでした。これにハナビ、「ボクもそっちへ行きたいよぉ〜」と私を見つめた。私は「そんな、すぐに入れてはやらないよー」と態度を保留していた。すると、お顔を手で掻き掻きした。それって次の動作に入る準備なんだ、分かっているよ〜。うわっは、やりやがった。ドアのガラス(実はそこだけプラスチックに変更している)をパンチングだ。実際の様子を動画でどーぞ。2025年9月21日日曜日
「こども詰め将棋入門」やってみる
居間の子ども机が片付くと、背後の本棚が露わになった。それで、その中から「こども詰め将棋入門(永世十段中原誠監修)」を取りだしてみた。この本、私が買った記憶はなく裏表紙を見ると、「ブックスミスミ与次郎 98/3/8(日)」と購入日が書かれてあった。長男のテルのつたない名前が漢字であり、日付は後で私が書き足したもののようだ。
2025年9月20日土曜日
肥薩おれんじ鉄道、1便消滅す
今日は長島のクリニックから大腸内視鏡検査を頼まれていた。新幹線に乗って出水駅まで行き、そこから肥薩おれんじ鉄道に乗って阿久根市の折口駅で待機している事務長の車で拾ってもらうのがいつものコースである。で、出水駅で折口駅へのチケットを買い、おれんじ鉄道のホームに入ろうとした。がしかしー。
駅の窓口でチラッと次発の時間を見て「ううん?」と思った。「9時21分発」となっている。あれぇ〜、8時40分発ぐらいじゃないの。すぐさま駅受付の女性に確かめた。すると9時21分で間違いないという。そして「8月からダイヤが変更になっていましてー」と言われた。ダイヤ表をもらうと確かにその通りだった。
あちゃー。9時21分発なんて待ってられない。9時には事務長が折口駅で待っているんだ。すぐにクリニックに電話をし院長との連絡を頼んだ。どうにか連絡が付き、さらに事務長と電話でつながり、私の方から「私がタクシーに乗って、折口と出水の駅の間くらい、高尾野インターの下で落ち合いませんか」と提案した。出水駅まで来てもらうのは20分くらい時間が掛かるし、内視鏡検査を待っている患者さんらを大きく待たせてしまう。ちょうど客待ちのタクシーがいたんで都合がいい。話はついて、タクシー乗り場に行こうとすると、なんとタクシーが出て行くではないか。「おーい」と呼び止めてもそのまま行っちまった。がーん。タイミング悪いぞー。乗り場にあったタクシー会社に電話すると「4、5分掛かります」とのことだった。はあ・・。
全く、乗る予定の列車がなくなってしまうなんて全く思いもよらなかった。地方路線は縮小、あるいは廃線などあまり景気のいい話題はない。肥薩おれんじ鉄道も人員不足や乗客減少もあるんだろう。でなければ本数を減らすなんてするわけない。7,8分したらタクシーがやって来た↓。
タクシーに事情を話し、高尾野まで目指してもらった。10分ほどで着き、ファミマの駐車場ですでに来ていた事務長の車に乗って長島を目指した。それで次回からは直接出水駅まで迎えに来てもらうことになった。かなり迷惑をかけしまう。でもおれんじ鉄道の1便前に乗ろうとすると鹿児島発の新幹線は午前7時の便に乗らなくては間に合わない。今日乗った8時6分発より1時間も前になり、出水駅での待ち時間も30分以上と無駄が多い。いやはや、赤字地方路線の現状と問題点を図らずも実感した1日となってしまった・・。2025年9月19日金曜日
母も娘も全校応援経験者
朝早く、カールと二人でかつての子どもらの勉強机を玄関前の道路に出した。廃棄処理するためである。この2ヶ月、居間の一角を占拠しネコの寝床になったり本や雑誌を乗せたりしてそれなりに役にはたっていたがとうとうお役御免となった。
机の引き出しの中に誰かの授業予定表が張り付けられていた。高校3年の内容で10数年前のものだった。残りの勉強机は1台のみカールが自身の作業台として使うため生きながらえることになった。良かったね。午前の外来は救急を非常勤の外科Drが診てくれたおかげでまずまず落ち着いて診療することが出来た。診察時に着ていたアロハは久しぶりトムとジェリーのあの最強アロハだ。(参照:2025/6/11「最強のアロハシャツ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2025/06/blog-post_11.html:2022/6/25「ちやほやアロハ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2022/06/blog-post_25.html)とある中年男性の診察が終わる頃、その人が「先生、そのアロハシャツ、いいですね」とわざわざ言ってきた。いや〜これまで何十回となく職員や女性患者には素敵だと言われてきたが男性患者からも言われるとはねぇ。「妻が沖縄から買って来たものでー」といつものように語ったが改めてこのアロハの最強ぶりを知らしめたわ。
診察時には医師事務作業補助者のコンフォートさんが先週に続いて付いてくれた。こてる日記にその名前で初登場していたのももちろん知っていて「素敵な名前にしてくれてありがとうございます」と言われた。あはは、こてる日記に登場させるときはたいてい変な名前にすることが多い。彼女のケースでは名前を英語読みにしてみていくつかの候補の中から選んだ。外来師長は「ずっしり」、彼女と同期入職のベテランNsは「エンドグッド」、医師事務作業補助者生チーフは「山の神」さんてな具合で、たいてい名前をもじったり、英語読みにしたりして名付けることが多い。コンフォートさんの場合、ドジャースの助っ人外野手と同じ名前になってしまった。コンフォート外野手は春から「期待外れ」「解雇だ」なんて言われ続けて来たがここ最近どうにか活躍してきていてレギュラーからはまだ外されていない。少なくとも変な名前と言われなくて良かった〜(⌒о⌒)。2025年9月18日木曜日
丸亀製麺の話題から「うどん」を語る
2025年9月17日水曜日
早くもポストシーズンの予想
本来は忙しいはずの水曜日、全くヒマだったねぇ、ふふ。午前の他医紹介状も午後の救急車も来なかった。午後の会議も下手すりゃ1時間近く掛かることもあるのに20分ちょっとで終わった。おお、毎週こうあってくれよ〜〜。
そんなわけで昼休み、ドジャースの試合を終盤はじっくり見られたのだが・・大谷が完璧な投球を5回までやったのに、ハァ、リリーフ陣がまたしてもねぇ。いや、この時期だからこそまだよかったと思いたい。勝負はポストシーズンだ。思えば去年は逆で先発陣が手薄も手薄でリリーフ陣が代わる代わる投げてどうにか乗り切って勝ち上がった。そして現在マイナーで投げている佐々木朗希だ。現在手薄なドジャースリリーフ陣に加わって160kmのフォーシーム(速球)と絶品のフォークが決まればもしかしたら救世主になれるかも。期待しているぞぉー。
2025年9月16日火曜日
高校生クイズ、四日市対旭丘に注目したわけ
1週間ほど前になるが日テレ系の9月上旬のお決まり番組「高校生クイズ」が放送された。私はすぐには見ずにビデオ録画を昨日見た。毎年応援する鹿児島ラ・サールは本戦出場はなったものの1回戦ではかなく散り各地を転戦する上位チームには入れなかった。10年くらい前まではスタジオで超難問ばかり出題する時期が続き、開成や県立浦和など受験難関校ばかりが上位独占することが多かったが、このところは運や運動なども味方につけないと勝ち上がれない従来のシステムに戻って見る楽しみが増えた。
出だしが関西万博の大屋根リングのランニング○×クイズでこれはタイムリーで良かった。今年しかできない形式だったしー。小田原城ではどろんこ〇Xクイズがあり、外れたら泥まみれってのはずっと昔から続いているけれど、参加者には悪いが見ていて楽しいんだよなー。↓を見れば一目瞭然。
3回戦は北海道のひまわり畑でのダッシュ早押しクイズで、ここでは走力も相当影響があった。正解は分かっても両サイドの両校は相手より早く走ってボタンを押さねば勝てない。ここで何番目かの対戦が東海勢同士、三重・四日市高校と愛知・旭丘高校になった。四日市がリードして決着が付くかもしれない問題が「顔写真がのこっておらず肖像画は弟やいとこの・・」ここで正解は西郷隆盛と私でも察しが付く。先に走り出したのは・・画面を見れば分かるとおりわずかに四日市が早かった。私はしかし、高校生クイズという立場を離れて、この2校の対決に興味を持った。この2校には見過ごせない共通点があったのだ。番組でもまったく触れられていなかったし、多くの視聴者が思いつきもしない視点だろう。どちらも古くからあり旧制中学由来の県立高校ってこと?うむ、それもある。四日市高校は三重のかつての県立二中だ(ちなみに三重一中は現在の津高校)。旭丘は愛知一中で今でも進学実績は愛知の公立ナンバーワン高校だ。ここまで書けばうちの三男のチッチならちょっと思いつくかも。実はこの2校、夏の全国野球大会の優勝校なのだ。今ではどちらも甲子園どころか夏の県予選を勝ち抜くことなど及びもつかないが、堂々たる優勝校だ。旭丘は愛知一中時代の大正6年(1917年)の第3回大会で関西学院中を破り優勝、四日市は昭和30年(1955年)の第27回大会で坂出商に勝って優勝している。
特に愛知一中は高校野球オタクならば知らない人はいないくらい特異な優勝をした学校として知られている。それは一度負けたのに優勝してしまったからである。実は第2回と第3回大会では敗者復活戦というシステムがあり、1回戦で長野師範に負けた愛知一中は勝ち進み、決勝では関西学院と対戦し6回裏2アウトまで来て0対1で負けていた。しかしここで豪雨となりノーゲームで、再試合となってしまった。もし、7回に入ってからの豪雨ならゲームは成立し関西学院中の優勝が決まっていたのだが・・。翌日の再試合では0対0のまま延長戦に入り、延長14回ついに愛知一中が得点し1対0で優勝したのだった。厳しい試合を勝ち抜き優勝を手にしたわけだが、敗者復活校が優勝したことは物議を醸し、翌年以降その制度はなくなった。
昭和30年の四日市の優勝はあまり語られることは少ない。しかし甲子園オタクの私は以前その優勝にまつわるエピソードを何かで読んだことがある。三重代表は実はこの頃は岐阜代表と決戦をして勝たねば出場は叶わなかった。当時岐阜は強豪県で三重代表はなかなか甲子園には行けず初出場の四日市でわずか県勢3回目のことだった。無欲の勝利という言葉があるが三重勢初の夏勝利からあれよあれよと勝ち進み、準決勝の愛知・中京商(現・中京大中京)戦が山場だった。なにせ昨年の優勝校(5度目)だ。しかしそこを勝ち抜いたところ、相手の坂出商には「中京商よりは組みやすし、勝てる」と思われたらしい。しかし勝負事は多少の心の隙があるとダメだよな。4対1で見事四日市は勝ち、甲子園初出場初優勝を遂げたのだった。ここ最近では2007年の佐賀北の優勝を彷彿とさせる。
しかしかつての強豪校がなぜ今は全く振るわないのか。まあ100年以上も前の大正時代は野球が東京大学から始まり、旧制中学や大学付属中に普及していった頃で、愛知一中のみならず、和歌山中(現・桐蔭)、神戸一中(現・神戸)、慶応普通部(現・慶応)、関西学院、甲陽中(現・甲陽学院)らが強くて優勝している。その後全盛となる商業高校が優勝するのは大正13年(1924年)の春の高松商、夏の広島商以降のことだ。昭和に入ると商業系の学校が野球に力を入れ、勉学もこなせねばならない旧制中学は徐々に勝てなくなった。そして戦後だが戦争の影響がしばらく残り、戦前の強豪校が勝てない時期が10年ほどあった。この時期の優勝校には夏は兵庫の芦屋、神奈川の湘南、春は静岡・韮山、兵庫・洲本、長野・飯田長姫などが優勝しているがいずれもそれ一度切りでその後は出場すらほとんどない。四日市はその混乱時期の最後を飾る優勝といっていいかもしれない。
いずれにせよ、野球では活躍出来なくなったが勉強やクイズで全国大会で活躍できるようになった。学校もその特色が年代とともに変遷していくものだと、甲子園大会やクイズ番組が好きな私には感慨深かったのであった。
あと余談だが、今日の記事を書くに当たって特に愛知一中のところは若干言い替えをしている。「夏の全国野球大会の優勝校」「高校野球オタク」と記しているが、その後は「甲子園優勝」とか「甲子園オタク」とか書いている。これは当然のことなんだが、当時の中等学校野球人気は凄まじく、西宮の鳴尾球場ではスタンドに収容しきれない観客がグラウンドに流れ込み、試合が一時中断したりするなどしたため、大正13年(1924年)第10回大会から新規に甲子園球場を開場し今に至っているので、それ以前は「甲子園」という言葉は絶対に使えないからであった。なお甲子園球場はプロ野球の阪神との関係でいうと、球場建設の経緯もあり、使用については今でも高校野球が優先されるのが続いているというわけである。