ひょんなことから、夕食後のこてる家の話題があの「冬彦さん」になった。言わずもがな1990年代のTBSドラマ「ずっとあなたが好きだった」に出てくる佐野史郎扮するマザコン夫の名前である。
きっかけはチッチが「紹介された患者が胃や食道のやや珍しい疾患だから内視鏡所見を見なさい」と指導医に言われたのだが、その紹介してきた開業医が「キジマ」という女医さんだったという。それを聞いて「その先生は私の大学時代の後輩女医さんだろう」と下の名前を言うと「確かにその名前だった」と一致した。そこで「キジマという名前のドクターは鹿児島には何名かいるな」「キジマって鹿児島に比較的多い名字なのかな」「漢字は違うけど見た目大したことないキジマという中年女性が男をだまして殺した事件があった(首都圏連続不審死事件)」などときて、私が「『冬彦さん』のドラマのプロデューサーが貴島誠一郎という名前だった」と言ったので、そこから冬彦さんネタが出てきたのだ(私も些細なことをよく覚えているものである。ついでに言うと貴島プロデューサーは鹿児島市出身である)。こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
現在、おおよそ2日遅れでアップしています。
2026年4月10日金曜日
キジマから「〇〇さん」を連想する
2026年4月9日木曜日
「我 夢中人」でボウリング
病院に「大塚薬報」4月号が届いていた。大塚製薬が提供する表紙が読者投稿写真の月刊誌で医師にはおなじみの雑誌だ。昭和25年創刊で今号が814号というからかなり続いている。今回は桜を背景に魔女の宅急便を模した少女が写っており遊び心のある表紙だった。
私は毎回、表紙写真と選には漏れたが佳作の写真6選の解説を読んでから本文に入る。その写真の良い点、やや物足りない点などプロの写真家が分かりやすく教えてくれるんだ。雑誌の内容はカルチャー、医療、歴史、文学、絵画、小説、ペット紹介など多岐にわたり、病院紹介では10年以上前だったか青雲会病院も紹介されたことがある。ドクターの趣味、レジャーを紹介する「我 夢中人(われ むちゅうじん)」というのもあって、今回は「おおっ」となった。今回の紹介ドクターは夢中対象が「ボウリング」だったのだ。紹介されていたのは宮城県石巻市で内科クリニックの副院長をされている佐藤文彦氏である。年齢ははっきりしないが小学生の頃一大ボウリングブームの頃の小学5、6年生に父に連れられ初めてボウリング場に行ったとある。私より約2歳ほど下のようだ。
NBFというアマチュアのボウリング団体の会員になり、リーグ戦に参加したり、年1回10月にある「医師またはその配偶者」が参加資格の「全日本医師ボウリング大会」2日間が一番の目標で、2008年にその大会で準優勝したのが最高成績だという。その全日本医師ボウリング大会だが、私が沖縄に出張して大いにボウリングにハマっていた頃、私の噂を聞き、直接は知らないがボウリング好きな年配のドクターから「いっしょに参加しませんか」とMRを通じて打診されたことがあった。4人チーム戦やダブルス戦があるということだからそのドクターも参加仲間が欲しかったのだろう。しかし出張3年目のその頃の私は、投げ過ぎが原因で右手首の腱鞘炎に罹ってしまい、数ヶ月間投げられない時期だった。ゆえに丁重にお断りをし、参加することはなかった。佐藤先生が使っているボールに私は興味があり、ロゴははっきりとは写っていないが見覚えがあった。確かメーカーはDV8社かラディカル社だったような・・。そこでGeminiとChatGPTに切り抜き画像を送って調べさせた。するとGeminiは「このボールはブリジストンのターボXです」なんてとんちんかんな答えを出すし(タイヤじゃないのよ)、ChatGPTは「このボールはかなり高い確率でStorm社のTropical Surge系列(特にブルー系カラー)です」との答えだったが、調べるとロゴが全く違っていた。結局、自分で探した方が早く、DV8社のウィケッド・コリジョンというボールであった。オープンAIも提供した情報量が少ないと間違うね。私のメインボールもつい先月までDV8のプロウラーであった。それにしても佐藤先生、青色系のボールが好みとみた。ボールはそれぞれ動きに特性があり色はまあ関係ないのだけれど、ボウラーは色やロゴのデザインで選びたくなる意味合いもあるんだ。私も青や紫系が好きなのでそんな気がしたよ。
2026年4月8日水曜日
PTGBAが一気に3人も
この日の外来は私に1日で4人も入院があった。うち1人は予定入院だったが、残り3人は80歳代後半から90歳代とかなりの高齢者たちだった。それが症状はみんな腹痛で、採血では同じように炎症反応悪化があった。病状からしたらいずれも入院が必要で3人連続入院指示で昼休み時間になっても1時間以上費やさざるをえず、結局、水曜定期の院内会議には出席できなかった。
3人とも胆嚢が腫大気味で胆石または胆泥による胆嚢炎かと思われた。となると外科Drに胆嚢を穿刺して停滞している胆汁を排泄する手技をお願いしたいところだったが、あいにく皆、手術に関わっていた。ならば絶食点滴にして抗生剤も滴下指示を出して今日はしのごうか。少なくとも91歳の女性患者は明日くらいまでにはそれらの手技を実施した方が良さそう。で、カルテへ外科Dr宛てに手技依頼のコメントを残した。
あれから2日経過、この日記を書くに当たってほぼ結論が出ている。全員、急性の胆嚢炎でPTGBA(経皮経肝胆のう吸引穿刺法:percutaneous transhepatic gallbladder aspiration)という手技を行い、汚染胆汁を吸引したのだった。2026年4月7日火曜日
地域医療連携だ
先週、近医から電話で「食欲不振、疲労感あり、検査で白血球増加、軽度貧血、血小板低下でLDH上昇のある高齢女性を明日診てもらえないか」と依頼があった。翌日、私の外来に来てもらい、紹介状に添えられた検査データを見ての私の第一感は「何らかの血液疾患」だった。そこで採血再検とCT撮影を実施した。内臓に癌らしき所見はぱっと見ではないようだが、脾臓が大きいのがまたもや血液疾患を思わせた。検査科の難ガターさんに鏡検でよく見て欲しいと依頼すると「(白血病が)怪しいが断定出来ない」とのことだった。
その人は娘さんが東京に居てかかりつけ医から連絡があったようで、午前の便で鹿児島まで駆けつけていた。私は「どうも血液の病気が一番疑わしい。となると青雲会病院では詳しい検査も出来ないし、血液疾患であれば治療するにも専門医がいない。だから紹介状を今すぐ書くのですぐに診てもらえる病院に明日行ってもらいましょう」と説明し、ソーシャルワーカーに相談し、鹿児島市内の某病院なら明日でもOKとの確約をとってすぐに紹介状を書いた。娘さんも予定では明後日また東京に帰るということだったし、ここは急ぐに越したことはない。
近医には他医に紹介した経緯を書いて返書を郵送指示し一段落したと思っていたら、夕方、その近医から「あの患者さんは・・(どうなりましたか)」と確認の電話があった。いやこれは失礼した。経緯を話すと「やはりそうでしたか。ありがとうございました」とお礼を言われたが、私も郵送だけで済ませず、やはり電話で一報を入れておくべきだったな。
で、1週も経たない今日、その鹿児島市内の病院から返書が届いていた。担当医はなんと私と同い年、大学卒業も医局も同門の女医さんだった。↓写真参照。
うーむ、やはり「急性白血病(おそらく急性骨髄性白血病)」とのことで受診したその日に入院になっていた。病気の重さは仕方ないとして、迅速に対応していただき娘さんも安心されたことだろう。近医から電話があって2日後には専門医のいる病院に入院出来たというのは医療機関同士の連携がスムーズにいっていると言えよう。で、最後に担当医から(4月から月・火・木で非常勤勤務となりました)と近況報告も添えられていた。これは明らかに私宛てに書かれた文言だ。もう常勤は下の世代に任せる、そういう年代だよな。が、まだまだ地域医療を担うには大きな戦力だ。世間では定年だ年金だという世代でも、医者はまだまだ頑張らねばーってことだよ。
2026年4月6日月曜日
「大腸に白い風船」
今日は朝礼発表があるというのに、未明にドジャース対ナショナルズの第3戦をTVで視聴した。ただしソファ寝して、半分ウトウトしながらだった。佐々木朗希が投げ、前半大谷翔平が今季第2号ソロホームランをかっ飛ばし、良い感じでまた勝つのかなと思いきや、3回裏に2点、4回裏に3点を取られ1対5で佐々木は降板させられてしまった。いや、ストライク先行していたし投球はそんなに悪くなったように思えた。私が一瞬寝ていたときに一塁ベースにボールが当たってアウトになるはずがセーフになってその後3ラン打たれたとか。後でロバーツ監督も「取られた点数ほど悪くはなかった」とコメントしていた。ふむ、私と同じじゃん。
この試合は負けかなと思ったが、ドジャースはその後粘り強く点を重ね、終盤はナショナルズのリリーフ陣の弱さもあって大谷の犠牲フライで7対6とついに逆転し、最終的には8対6で勝ってしまった。9回裏はエメロン・ディアスが締めて万全の終わり方。なんかナショナルズのリリーフピッチャーがじりじり打たれて負けるパターンは去年のドジャースみたいだったよ。逆転にここ10試合くらいのドジャースの戦い方は去年よりずっと安定感があり、頼もしい。
さて、朝礼発表はスムーズに進められた。そしてここ数回の発表の中では一番の反響だった。
職員みんなが「面白かった」「ためになった」と言ってくれ、夕方の所属長会議では可愛いんだ理事長など「今日のこてる院長の朝礼スピーチは面白かった。先生は動画をうまく使うから面白いんだろうな。それでだが、スピーチを毎週やってくれんか」だって。いや、それはさすがに無理というもの。朝礼スライド作成時のストレスって相当なものなんですよ。毎週どころか月1でも大変で、現状の3、4ヶ月に1回でご勘弁をー。なんでみんなに受けたのか。これはある程度予想が出来た。私の内視鏡検査&処置の中でも屈指の面白い症例がいくつも含まれていたからだ。なかでも「大腸に白い風船」は2017年1月のこてる日記では披露したものの、院内の勉強会などでは発表したことはなかった。見せれば誰もが興味を抱かざるを得ない代物だ。そこで今年2月の医局会で症例発表しようと思ったが、他の症例も多くて「後半はまた次の機会に」で終わってしまっていた。そこで今回の1週間前の「朝礼発表をして」だ。よし、ここで使おうと思った。
↓はこれも受けた症例。その男性は3ヶ月前に電池を2個飲み込んだ時は、内視鏡を完全拒否していたが、今度は取ってくれという。そこで内視鏡で覗くとなんと10個以上の電池が胃の中に入っていた!胃の中の蛙(かわず)ならぬ電池のその数に職員も「わぁ」と声を上げていた。
一番受けるであろう「風船症例」は無論最後に呈示した↓。面白いのは取り出す瞬間だ↓。2026年4月5日日曜日
東京、名古屋、大阪、そして鹿児島の「ありがとう」
明日の朝礼スピーチスライド作成のためずっと家にこもっていた。が、がっつりパソコンをにらっめこしているわけではなく、YouTubeを見たり時にTVを見たりしていた。そんな中、思わず笑ってしまうYouTubeがあり、珍しく保存ボタンを押しちゃったよ。
それは方言の違いで、「ありがとう」のアクセントが東京、名古屋、大阪、そして鹿児島で違うっていうのを分かりやすく、記号と発音で示したものだった。特に、最後の鹿児島の発音を聞くと何度も笑いが出てしまう。「ありがとう」を「こうむいん(公務員)」と言い直してもほぼいっしょなのが可笑しい。
そうそう、チッチが言っていた。「もう5、6年くらい前だけどさー、同じ大学(岩手医科大学)の宇都宮君から不意に電話が掛かってきて、こう質問して来たんだよ」「ほう」「YouTubeで知ったことなんだけど、鹿児島ケンミンのお前に聞いてみるよ『将来何になりたいのぉ?』」チッチはその時ウトウトしていて「何この面倒くさい質問はー」と思ったけれど、そこは鹿児島ケンミン、「医者」などとは言わずに、ほぼ反射的に「こーむいん」って答えたら爆笑してくれたんだって(笑)。
↓はデジカメ動画に撮ったもの。
動画が上手く開かないときは、直接YouTubeで→https://www.youtube.com/watch?v=BYIhKEIr1Wk&list=PLOxkhOVfIkC7IkQCxBD1sUSZaamYKo3nO「ありがとう」一つとっても言葉ってこんなに違うのよねー。
2026年4月4日土曜日
締めのラーメンを食べるって
昨日は新人教育のための院長スピーチを無事終え、ホッとしたのもつかの間、今日と明日で4月6日月曜の朝礼スピーチのスライドを作らねばならない。2月も医局会スピーチと医療安全のためのスピーチが同じ週にあったがこれって大変なストレスだ。ましてや朝礼スピーチは1週間前に急に言われた(本来は事前に決まっていたらしいが)ため、実質2日間で作り上げねばならない。
で、出だしの1枚目だけは作った。おっと、でもこの1枚目を作るというのが大変重要で、それをするかしないかでこの後の進み具合がえらく違ってくる。↓が今回の1枚目だ。
まさに今の私の心境をそのまま言葉にしスライド化したもので、最後の「TSU・KAI・MA・WA・SHI」は「つ・かい・ま・わ・し」とあの滝川クリステルが言った「お・も・て・な・し」のように言うつもりだ。そして2枚目がタイトルスライド↓だ。これで半分は出来たようなもので、2月17日に医局会で私がレクチャーしたものを前半に持ってきて、後半は「異食癖&異物挿入」の症例を何例か提示すれば終わる。まあ、ドクター向けと一般職員向けとではより簡易に分かりやすくスピーチしないといけないので少し手間取るがあと2日あればどうにかなるだろう。後半の症例にはとっておきの動画があるので絶対に受けるはず。それは2017年1月25日にこてる日記ネタにしたものだが、あの時は画像を日記にアップするわけにいかず言葉のみだった。今回は院内症例でもありたっぷり動画を披露出来る。ふっふふ。そんなわけでスライド作成を続けず、YouTube視聴の後、仮眠を取って、深夜2時過ぎからドジャース対ナショナルズの今季第1戦をNHKBSで視聴し始めた。ただ、深夜過ぎてうつらうつらしていたら何か音がして、ふと顔を上げるとチッチがこんな時間に帰ってきていた。病院の歓迎会とその二次会が遅くまであり、締めが「とんとろラーメン」だったそうで、こんなに遅くなったそう。え、チッチは「とんとろ」は嫌いじゃなかったの?すると「自分はあっさり系のラーメンが良かったけど新人Drのほとんどが『とんとろ』って言うのよ。それで小盛りを頼んで食べた」んだとか。いやいや、思えば私も研修医の頃、同期の飲み会の帰り、サブアラドDrが「締めは三平ラーメンで」と言うので、鹿児島では比較的珍しい味噌ラーメンの「三平」で食べてから帰ったものだった。最近は飲み会にも行かないし、ましてや締めのラーメンって20年くらい前、青雲会病院の飲み会が天文館であった時にそれこそ初めて「とんとろラーメン」を食べたのが最後だったかも。そんなのが出来たのも若かったってことやなー。
その後、野球を見ていたら、チッチのいるところから何の音もしないので、1時間後くらいに覗くと、チーはテーブルでスマホ握り占めたままぐったりと寝入っていた。からだ揺すって「おいおい、もう寝たらどう?」と言うもぴくりとも動かず、それは2時間くらい経った午前5時過ぎまでそうだった。明けが土曜の休みでよかったねぇ〜。
2026年4月3日金曜日
太宰府アカデミーへ感謝
昨夜はチッチが浪人時代にお世話になった全寮制・医進予備校「太宰府アカデミー」のスタッフが城山ホテル鹿児島に滞在していると連絡があり、親子3人でホテルまで出向いた。元々、今ぐらいの時期に太宰府までお礼に行こうって予定していたが、 ちょうど予備校生の入れ替えのタイミングでスタッフは慰安旅行に出かけると聞いていたので遠慮していたら、偶然にも今年は鹿児島行きになったということでちょうど良かった。
最初に総務のクライムさんがエレベーター前でチッチと会うなりガッチリ握手をし、滞在部屋に入ると今度は代表の後藤先生が「おお、良かったな、おめでとう!」とこれまた力強く握手をしてくれた。
鹿児島県人は城山ホテルには会議や式典などで利用することはあっても部屋に泊まる機会はほとんどない。さすがに丘に建つホテルだけあって部屋からの眺めは素晴らしかった。部屋には教務のオーシャンバードさん、英語のマウントパディ先生などチッチをよく知るスタッフもいて、8年も経っているのに、全寮制の予備校で3年間もいっしょに生活していたせいか、チッチのことだけでなく他の生徒の話題などを昨日のことのように語り合い、あっという間に2時間ほどが過ぎていった(「チッチのお父さんからの年賀状は毎年楽しみでー」とも言われたよ)。チッチはここぞとばかりに入塾時の各教科テストで散々な点数だったプリント(物理など0点だった)や化学担当の後藤代表の朝テストのプリントも持って来ていて大いに受けていた。
オーシャンバード教務など「最初は1、2年したら他学部に転向するパターンの生徒さんかも・・」と踏んでいたと正直に語ってくれた。確かに、とても医学部に行けそうな成績じゃなかったからそう思われても仕方なかった。全く勉強していなかったチッチが3年で合格出来たのはまあチッチも相当努力したわけだが、アカデミーのおかげであったと私もカールも何度も感謝の言葉を述べた。太宰府アカデミーは大手予備校よりも実績は良く、塾生のうち4、5割が医学部に実質進学出来ているという。たったの半分と言うなかれ、これって相当に優秀な結果だ。単純な合格実績数などは優秀な生徒が何校も合格するので実態を正しく反映出来ていないことがままある。そのおかげか「次年度定員(35名)は3月始めにはすでに達した」そうで、こんなに早く達するのは今までになかったそうだ。
後藤代表はアカデミーのホームページ(https://dazaifu-academy.jp)でこう語っている。「私は「若い時の苦労は宝」だと考えています。“若さ”というのは、それだけで財産であり、努力次第で可能性が無限に広がっています」と。まさしく私もそう思う。例えば30歳過ぎて家庭を持ってから「医師になろう」と思い立ってもほとんどが挫折するだろう。「鉄は熱いうちに打て」チッチは周囲の助けもあったとはいえ「若い時の苦労」を敢えてやったからこそ、今、医師としての道が開けたのだ。ともかくも太宰府アカデミーさん、ありがとうございます!2026年4月2日木曜日
三日坊主理論を実践するぞー
2026年4月1日水曜日
日本、イングランドに勝つ
昨日、病院の非常勤循環器内科医であるイキナリDrから「明日から(息子の)ナリケンが『昔町』病院で研修が始まる」と言ってきた。ナリケン君はチッチの高校時代のサッカー部の後輩でもあった。「うちのチッチは鹿児島医療センターでだよ」と答えると「サンシンDrの娘も医療センターなんだってよ」と教えてくれた。サンシンDrも鹿大医学部の同期生だ。なんと同級生の子同士がまた医師同期生とは。よく医者の子は医者になるって言われるが、それって世襲の意味ではなく、将来を考えた時に親の姿を見れば選択しやすいということなんだろう。
イキナリDrは「うちのは明日から初仕事だっていうのに明け方のサッカー日本代表対イングランド戦が気になるってそればっかりなんだわ〜」と半ば呆れた風だった。「ナリケン君はサッカーに対しては熱いからねー」とはチッチの弁だ。彼はクラブチームにもいたことがありサッカーもかなり上手だったそうな。「自分もイングランド戦は興味あるけど、さすがに睡眠不足で初出勤は出来ない」と常識的な判断をしていた。私は最近は野球観戦がメインなのでサッカー日本代表の試合はチェックしてないかったが、深夜未明に起きていることも最近は多く見てもいいかなぐらいだった。
で、私は夜のワースポ&MLBを見ながら寝てしまい、気が付いたら午前3時過ぎ。ちょうど対イングランド戦が始まった頃で、これならとTVでUーNEXTを付けて観戦を始めた。ちょうど「目が覚めてしまった」と珍しく未明にカールも起きてきた。前半20分過ぎに、押されていた日本代表が自陣でボールを奪った直後、カウンターを仕掛け、最後三苫にボールがつながり綺麗に相手ゴール右隅に得点を決めた。その瞬間「やったー!!」と大声上げたら、カールが「びっくりするじゃない」と少し怒られたんだが、「日本のゴール、決まったんだよ。ここで声を上げないでいつ上げる」と突っぱねた。
それでも実力的にはイングランドの方が上なのは見ていて分かった。ただサッカーは先制点を奪った方がかなり有利だ。このまま勝ちもあるかもしれない。後半も観戦していたがさすがに眠くなり覚えておらず、後半アディショナルタイムが終わって「日本勝利!」のアナウンサーの声で少し目が覚めた。「ああ、勝ったか」これってエイプリルフールじゃないよね。この勝ちが本番のワールドカップでなら何倍も嬉しいがねぇ。ナリケン君はきっとギラギラで一睡もしてないに違いない。チッチは明け方起きて、結果を見ないようにしてYouTubeかなにかのダイジェスト版を見たそうだ。そこは結果さえ知ればいい一般ピープルとは違う。ついこの間、チーは鹿児島から関西に行き、Jリーグのヴィッセル神戸対サンフレッチェ広島戦を観戦に行っている。やはり元サッカー部やね。
日本代表がイングランドの有名なウェンブリー・スタジアムでイングランドに初勝利を挙げた。これって実はすごいことだ。最近のサッカー日本代表は前回大会でドイツやスペインを初めて破っているので6月のワールドカップは大いに期待出来るかも。ちょうどメジャーリーグも中だるみというかさほど緊張感がある時期じゃないので、あと数ヶ月後はサッカーネタが多くなりそう。ぜいたくは言わない、日本代表よせめてベスト8は行ってくれー。
2026年3月31日火曜日
自宅でのリモート会議で起こること
2026年3月30日月曜日
新人の入職式
まだ新年度は始まっていないが、青雲会病院の入職式があって、新人17名のうち、今日は看護師やリハビリなど計13名が新人として辞令を受け取った。それを渡す役目は院長の私である。いつもは新人さんの名前を私が呼ぶはずが事務局長の畠鏡さんがマイクで呼ぶ方式に変えた。畠鏡さん曰く「なかなか読めない名前の人も多いですから」だって。確かに平成も後期生まれの名前は、ぱっと見、読めないものも多い。個性を尊ぶ教育が以前から叫ばれていた気がするも、名付けにおいてはとっくにそれは達成されているね(笑)。
あと青雲会病院では2026年度からネームには名字だけで名前は記さないことになった。これは個人情報保護の意味もあるがカスハラやSNS対策の意味もある。なにがしか病院職員に対しカスハラ、セクハラなど行う連中に余計な個人情報を教えないほうがいいということだ。とりあえず名字があれば呼びかけや仕事の上でそれほど不都合はないしー。
ただ私は職員の名前を見てより覚えられたし、名前の由来などがきっかけでその人との会話が弾むことが多々あり、少々残念な気がする。今後は「名字は〇〇さんだけど名前はなにかな?」のパターンで尋ねていこう。↓は会が終わった直後の新人さんたち。この直前まで緊張した面持ちだったが、全体記念写真が終わった直後を狙って撮影すると、みんな和らいだいい表情になっていた(⌒о⌒)。
今度の金曜日には新人教育の一環として院長スピーチも予定されている。スライドはまだ作っていないが、例年の使い回しで一部変更するだけなので余裕はある。しかし、今日の午後、「来週の朝礼スピーチはこてる院長です」と聞かされ、ガーン!となった。え、聞いてないよ。あ、でも新年度は理事長に続いて私が朝礼スピーチするのが恒例だった。すっかり忘れていたよ。余裕が一気になくなった。暇つぶしにYouTuber見たりネット麻雀したりなんて出来ないわー。しかし昨夜は夜更かししていて、月曜の今夜は夜更かしすることも出来ず、椅子寝でバタンキューなのであった。2026年3月29日日曜日
カスハラな若者
いや〜、街中でびっくりするシーンに出くわした。
昼前、カールとチッチと外食しようと私の車で市内に出かけた。カールが「〇〇ホテルのレストランに行ってみようか」と提案したのはそこの3千円のチケットを持っていたからで、ホテル内の立体駐車場に入って、前の車が空くのを待っていったん停止していた。と、前の車から20歳代せいぜい30歳代前半くらいの男性がこちらに向かって来た。いや、私の車の横にいた駐車場誘導員のオジさんに向かって来ていたのだ。
その男性、誘導員にぐっと近づき、えらい大声で「おいっ!謝れよ。さっきは何よ。敬語を使わんか。何よその態度。オレはお客やぞ!」とすんごい剣幕だった。聞いた瞬間、こっちは無関係だけれど何かムカムカとなった。誘導員はいったん「すみません」とは答えたものの弁明したそうだった。しかし若者が「敬語で話すのが当たり前だろ」「分かってんのか!」と何か反論したら殴りかかりそうな勢いで何も言える雰囲気ではない。ちょうどデジカメもそばにあったのでよっぽど動画を撮ろうかと思ったが、すぐ目の前なのでそれはしなかった。いや、どんな応対があったにしてもあの言い方、態度はないよ。
実は助手席にいたチッチがこっそりスマホで動画を撮っていた。さすがだ。↓にそのごく一部をアップしておこう。
先に降りていて車に近づいたカールは私がその若者に怒られているのかと思ったそうだ。若者が車に戻っていく時に、私は窓を開け誘導員に「あれはカスハラですよ」とそっと話しかけたが、あまりのことに誘導員の返事はなかった。私を含めチッチもカールもドン引きのシーンだった。誘導員のオジさんが何かぞんざいな言い方で車の誘導を行ったのか、いやそれでもあんな切れられ方をされる筋合いはない。チッチは「あの人、よっぽど沸点が低い人だね」とつぶやいた。カールも「あんな怒り方して恥ずかしいとは思わないのかな。家族だったら注意しないといけないのに、親もどんな育て方をしたのかしら」と不思議そうな表情だった。実はホテルのレストランは予約していないとダメだったとかで、カールは車に戻って来たのだ。駐車場の雰囲気も最悪だったし、何も悪いことをしてないのに私たちは這々(ほうほう)の体でそこから出ていった。その後も、次の店を探す道すがら、さきほどのカスハラ若者の話題がずっと続いた。敬語を使ってもらえなかっただけで不愉快になるなんて、日本人は店員などから日頃丁寧過ぎるくらいの接客を受けているからじゃないか。実はそれが世界的には当たり前ではないと知らない。フランスなんか店員が客を馬鹿にするわけではないけれど見下すくらいの態度らしい。日本人は馬鹿丁寧に接客されるのに成りきっているせいで自分がかなり偉くなってしまっているのだろう。だからあんな若者が出現してしまう。
もし私が誘導員なら「オレはお客やゾ!」と怒鳴られたら「だから何よ、そんな大声張り上げる客なんぞ来なくていい。さっさと帰れ!」と言い返しそうだった。いや、実際あんなに大声張り上げたら、例え客でもアウトだ。まず「そんなに大声出されたら『怖いです』」と返答しておく。そうすることで威圧的な態度にこちらは萎縮していると伝えていることになる。一応は「何か気に障ることを言いましたか」と応答はするが、あの感じではそうはならないかな。ともかくもあんなに大声、暴力的な物言いをする客はホテルにとっては迷惑そのものなので、今後一切来てもらわなくてもいいしそれがホテルのためにもなる。監視カメラもあるはずだし、誘導員はホテルに伝えてもいいくらいだ。
公共の場で些細なことなのに切れて大声を上げるのは恥ずかしいし品格を大いに下げる行為だ。こてる家ではみんなそれで意見が一致した。
2026年3月28日土曜日
井形昭弘先生の至言(古谷博和先生の一文より)
「私は鹿児島大学医学部卒業後すぐに九州大学医学部脳研神経内科に入局したため、井形先生に教えを受けたのは医学部の4年生から6年生までの2年半ほどにしかすぎません。しかし授業の合間に先生がお話しになった言葉が別にメモしたわけでもないのに、今も心の中に刻み込まれ日々の診療で困った時に助けてくれます。いずれも授業中に語っていただいた言葉で、それが何の疾患の授業だったかは全く思い出せないのですが、皆様方も先生の言葉を味わって下さい」
学生として授業中にこの言葉を聞いた時は、「そんなことはないだろう。人の生き死が一目でわかるようになるには相当な経験と知識が必要だ」と思ったのですが、国家試験に合格して医者になり、当直アルバイトの病院で夜中に電話でたたき起こされた時、井形先生のこの言葉を思い出して患者さんの顔を見に行くと、本当にピーンとわかりました。生死に関する人間の本能というものは凄いということを実感した言葉です。
神経内科という難病(特定疾患)と切っても切れない診療科を生涯の仕事として選んでから、時として疾患の重篤さにこちらの心がくじけてしまいそうになる事があります。 その時にこの言葉を思い出し、「このわけのわからない病気にも原因があるのだ!」と自分を鼓舞しています。
●「富士山に登る人はたくさんいます。箱根山に登る人もたくさんいます。でも箱根山と富士山はつながっているのに、その境目に登る人はあまりいません。人があまり登らないその境目に登ると面白い景色が見えるかもしれませんよ」
●「ガンは(1982年の段階で)午前4時の病気になってきました。 東の方が少し白んできて、進む方向がわかってきたのです。神経内科疾患は(1982年の段階で)午前2時の病気です。右も左も真っ暗でわからない状態にあります。でもこの時計の針を進めるのは君たちの仕事です」
2026年3月27日金曜日
野球づくし
いや〜、今日はもう野球観戦づくしだったわ〜。
昨夜は椅子寝をしてしまって寝たり起きたりの繰り返しで、午前4時前くらいにどうにか椅子から離れてTVの前のソファに移動した。村上宗隆がホワイトソックスに入団して初の試合が午前3時から始まっていてそれを録画で早送りしながら観戦した。村上はブリュワーズの剛速球ピッチャー、ミジオロウスキーに対し、2ストライクと追い込まれるもその後ボール球を見きわめ四球を選んだ。この打席がなかなかいい。メジャーデビューということでいきごんでバットを振り回すのではなくちゃんと野球をしている。次打席も四球を選び、これは相手ピッチャーにしたら嫌な打者に映るだろう。3打席目は強い打球だったが相手内野に上手くはばまれた。で、6時になって試合終盤の放送がサブチャンネルになり続きをいったん見られなくなった。その頃私はまたウトウトとし始めその後の打席を知らずに過ごした。だから村上が4打席目にメジャー初ホームランを打った映像をライブでは見られなかったのだ。残念。2026年3月26日木曜日
カール、帯状疱疹ワクチン接種を受ける
カールが青雲会病院で帯状疱疹のワクチン接種を受けた。帯状疱疹ワクチンには2種類あり、簡単に言えば簡易型(生水痘ワクチン)と高性能型(シングリックス)で、高性能型は有効率が9割も効き、有効期間も10年くらいと長い。今回はその高性能型を打っておきたいと希望したのだ。カールは数年前に簡易型のワクチンを接種済みなのにである。
費用も結構かかるのになぜにそこまで予防したいのか。それは叔母のヨーコバーバが帯状疱疹を発症しその後遺症を患い、それを見て「ああはなりたくない。予防出来るものなら是非したい」と強く思ったからだ。当時、高性能型のワクチンは病院にはなく簡易型の生ワクチンを接種したが、「できれば高性能型が良かった」と言っていた。なぜ青雲会にそのタイプのワクチンがないのか、当時のとっくん薬局長に尋ねると「1本2万円でそれを2回打つ必要があり、高いですから」という。うん?うちのカールは高くても性能がよく有効期間もずっと長いワクチンの方を打ちたかったという。「私の妻のように高性能型を希望する人はほかにいないのか」とさらに尋ねると「ぼちぼちあります」というではないか。「ならば導入してよ」とそのタイプ=シングリックスも使えるようにしてもらったのだった。↓に2つのワクチンの違いを表にした。
また2025年度から帯状疱疹のワクチンの定期接種が実施され公費助成が受けられる可能性があり、カールも「いずれ助成可能だが」と打診すると「思い立った時にやっておきたい」とのこと。確かに、後でやれば安くすむと思っているうちに感染していまったりすると後悔もする。その点カールは徹底している。他の例では、知り合いの女性新聞記者が子宮頚癌で亡くなった、義従姉が乳癌になったなどと知り、もしや自分もと毎年必ず検診も受けている。決して他人事とは思わないその姿勢は徹底している。シングリックスは副反応も強いと聞く。実際、カールは午後から筋肉痛や微熱、倦怠感で相当きつかった。「以前のコロナワクチンよりきつい」という。ふらふらしているのを見て、私は解熱鎮痛剤を投与させた。それでも「ワクチン接種しなければ良かった」などという後悔はない。後遺症や命に関わることを思えば副反応なんて一過性のことだって、カールは物事を本質的に理解し実行に移せるタイプなのだ。
例えば一般の患者さんに「癌検診を受けた方がいいですよ」と勧めると、躊躇したり嫌がる人がいる。「なぜ受けないのですか」と尋ねると「癌ですって言われるのが怖いから」と答えるんだ。検査を受けると癌を指摘されるかもしれない、受けなければ癌だと言われることはない、だから検診や検査は受けない・・・何かおかしくない?私はこうした人たちを「感情で物事を判断するタイプ」と勝手に呼んでいる。検査を受けずに放置したままが一番怖いのは自明のことではないか。
ワクチンも世の中にはうがった見方をして反対論や恐怖を訴え「ワクチンなんて」とあらぬ方向に誘導する輩がいる。コロナワクチンや子宮頚癌ワクチンの時がとくにひどかった。ワクチン反対派の扇動には乗らないことが大事だ。帯状疱疹になって後遺症で苦しむより帯状疱疹ワクチン、特に高性能型のシングリックスは予防効果も効能期間もすぐれているのでぜひお勧めしたいね。
2026年3月25日水曜日
「あの日のふるさと」より「鹿大卒業式」
一昨日、MBCの「あの日のふるさと」での古い映像を元に日記を書いた。実はこれまでも何度もこのミニ番組をネタにしてきた。検索すると8回も取り上げている。古い順に列挙してみよう。ここ5年ほどは毎年のように取り上げていて、理由は「知人が出ていた」、「自分に関係ある映像だった」などが多い。
2015/7/21:高校野球100年わがふるさとのベストゲーム
2021/5/05:「あの日のふるさと」にうちが!
2022/1/20:「極寒の中、禅修行に励む寺の兄弟」とは
2023/1/31:これが鹿中央高の校風だっ
2023/6/9:「名前は長いが効き目は早い」
2025/5/23:「薩摩義士慰霊祭」よりも後ろの風景が気になった
2025/6/27:天文館を走る理由の違い
2026/3/23:48年前の鹿大合格発表
今日3月25日は毎年鹿大の卒業式の日で、私も1985年の同日出席していた。ただその頃は医師国家試験が4月上旬にあり、どちらかと言えば勉強の息抜きと同級生の顔見たさに出た記憶がある。今日の「あの日のふるさと」の映像では1991年、1989年、1965年の鹿大卒業式が取り上げられていた。1991年1989年には当時の学長で鹿大医学部元第三内科教授の故井形昭弘先生が訓示を述べていた。お懐かしい。
1965年といえば昭和40年。さすがに白黒フィルムの映像でそれ以上に学生の容貌、服装などが眼鏡に七三分けの髪型、スーツや詰め襟が多く、なにより男性ばっかしで女学生の数がほとんどなく数えるほどだった。平成に入った1989年は女学生も多く、またそのカラフルな袴姿にとても同じ大学の卒業式とは思えず隔世の感がある。袴姿での卒業式は昭和の終わり頃、「ハイカラさんが通る」というドラマをきっかけに流行りだしたそうだ。それで今日の卒業式の映像を同じMBCのニュースで見ると・・女学生の服装は単色の袴姿より華やかな色使いのものが多いようだ。カールによると着付け教室には借り物の袴を所望する学生さんが数名いて「ここだけの話、練習着の袴で数千円で済ませた人もいたらしい」とのことだ。いやはや、華やかさや堅実さ、時代とともに卒業式の様子も変わるものですな〜。2026年3月24日火曜日
年度末になると
朝出かける時に家の駐車場に並ぶ三台の車。私のプリウス、チッチのポロ、カールのゴルフ。白、青、赤で並びは違うがフランス国旗だぁ。
家を作るとき、駐車場は縦に三台入るように設計されていたが実際にそうなるケースは滅多になかった。まあ1週間もすればチッチが出ていくし、1ヶ月もすれば青ポロがなくなり赤ゴルフも新車の白ゴルフになる。期間限定のフランス国旗シーンでした(笑)。今日は午前中だけの仕事で内視鏡担当だった。このところ内視鏡での胃瘻造設が続いている。10数年前からの厚労省の方針で胃瘻造設が一病院あたり年間で実質50件未満しか造れなくなった(それ以上造設も可能だが実質無理な条件が課されている)。「今綺麗」病院のエイキDrに聞くと「うちは1月から12月までで切っていますが、毎年12月になると49件に達し、胃瘻造設が出来ずに年が明けるのを待っていますね」と苦笑する。350床の今綺麗と136床の青雲会がどちらも年間の造設件数49件以下にしないといけないというのは何か変だがそうなっている。
青雲会病院も毎月4名程度に調整し(4件x12=48)、年度末には50件を超えないように特に3月は気を付けている。昨年度は48件とぎりぎりだった。それが今年度は件数が少なく特に1月2月が少なくて3月に入った時点で34件程度とかなり余裕があった。そこで「胃瘻造設を検討している患者がいたら出来るだけ3月中に指示を出してもらえませんか」と各Drにお願いしたら「胃瘻お願い出来ますか」と次々に依頼があり、今月の私の週3回の内視鏡担当日は毎回胃瘻造設実施となっているのだ。これ、年度末の道路工事増加といっしょやな(苦笑)。
午後は帰宅前に国分スターレーンに寄った。頼んでいたニューボールの「アイオン・マックス・パール」が来たというのでドリル依頼のために「プロウラー」を預けたのだ。「できれば2日後くらいには出来ませんか」と頼んだ。ちょうど姶良郡医師会にその日行く用事があるから都合がいい。「ううむ、出来るだけ早めるようドリラーに頼んでみます」とスタッフの言葉に期待しよう。↓左が今の私のメインボール「プロウラー」、右の箱と下の画像が最新のボール「アイオン・マックス・パール」。
2026年3月23日月曜日
48年前の鹿大合格発表
いつもよりやや遅く18時40分過ぎに病院を出た。春分の日も過ぎてまだ明るい。普通に高速に乗って19時過ぎには帰宅出来るはずだったが・・。
鹿児島北インターの料金所を出て10mくらいのところで急に渋滞になり、車の動きがピタッと止まってしまった。ううむ、事故でもあったのか。まあしばらく待てば動き出すだろうと思ってTVモニターでチャンネルをMBCに変えた。ちょうど「あの日のふるさと」が放送される時間帯だったからだ。テーマは「鹿大の合格発表」だった。最初は1991年3月20日の映像で「ふーん」と見ていた。が、その次1978年4月3日の映像には思わず「うわっ!」となった。↓の画像にもあるようにその年は国立大学二期校として最後の合格発表だった。次年度から共通一次テストが始まり戦後の大学入試が大きく転換する直前の年で、今では一期校、二期校という概念を若い人に説明するのにちょっと面倒するくらい。
そえはいいとして、なぜ私がこの映像に釘付けになったかというと、自分が鹿大医学部に合格した年で、まさに上の写真のその場所、桜丘への移転2年目くらいの医学部の整備中の中庭に、父デンコーと発表の瞬間を待っていたからだ。そして↓の合格者番号の書かれた大きなパネル板を学部職員らが提示する瞬間は、発表の時の私の記憶とまさしく合致する。もしかして48年前の自分やデンコーが映っていやしないかとさらに目をこらした。しかし、この映像は歯学部の発表の瞬間だった。1978年は歯学部1期生受け入れの年だったのだ。久しぶりの国立歯学部新設ということで定員80名に対し800名以上もの受験者が殺到したそうだ。↓の合格者の3人はその後大学でなんか見たことがあるような・・。上の写真を見て、注目されていた合格発表の場にしては発表待ちの人たちがまばらな気がしないかな。実は発表時間が最初午後4時とか言われてたんだ。しかし午後2時だという情報もあり、私の学校の先生たちは午後4時だろうと情報収集に動いていなかった。しかしデンコーが「2時かもしれんから見に行こう」と、私を連れ桜丘まで行って待っていたのだ。合格者のパネルの中に自分の受験番号「919」番を見つけた時は「あった!」と思わず父親に抱きついたのを覚えている。そんなことをするなんてその時の一度切りしかない。当然、デンコーも喜び、というよりは興奮して右のズボンのポケットに手を入れ何かを取りだそうとして上手くいかない様子だった。ジャリジャリと音がして何かと思ったら手に10円玉をいっぱい握り占めていた。家や親戚に合格の一報を知らせるために準備していたのだった。喜び合っている私たちにどこかのTV局カメラマンが寄ってきてインタビューをしに来た。たぶんKTSだったかな。「誰に喜びを伝えたいですか」には少し考え「母です」と答えたのを覚えている(実際、あこネーサ母に私が直接伝えると「およ〜」とうれし泣きしていた)。そのニュース映像は夕方のローカルニュースで流れたと誰からか聞いたが、当時はまだビデオもそんなに普及しておらず一度も目にしたことはなかった。だから歯学部合格の発表瞬間とはいえほぼ同様の瞬間の映像を見ることが出来て嬉しくも感激した。
車はピクリとも動かない時間が長かった。TV画面を止めて、スマホをテザリングしてYouTubeの映像をあちこち見て時間をつぶした。ようやく少し動き出したのが20時20分。少しずつ前進して、事故が起きた坂道を通りすぎたのが20時43分だった。ワゴン車がひっくり返っていたわ。
帰宅出来たのは20時50分となんといつもは20分で済むのに2時間以上も掛かってしまっていた。ただ、48年前の感激の瞬間を見ることが出来たのは事故のおかげと言えなくもない。こうしてこてる日記ネタにもなったしー。ふふ、ここまで書いて、謎かけが浮かんだ。
「歯学部合格発表者と掛けてなんと解く」
「交通事故に遭ってひっくり返った車と解きます」
「その心は?」
「どちらも歯医者(廃車)になるでしょう」(⌒о⌒)。
2026年3月22日日曜日
本屋でめっけもん
やや遅い朝食の後、チッチと函館君は青ポロに乗って指宿方面へ向かっていった。デザートにカールがこの前田舎で星娘従姉にもらったサワーポメロを出して上げた。実家からもらったものに比べて種が多く、それをカールが丁寧に剥いて出すと、函館君「美味しい」って。蜜柑ってだいたいが南国のフルーツだもんね。
お昼時になる頃、カールが外食がいいとのことで、特にどの店にするか決めずに出かけた。「大阪王将は?」「昨日餃子食べたからいいや」「豚カツ、ラーメン、蕎麦、焼き肉・・」「うーん」となかなか決まらない。で、私がセンバツ特集号を買っておきたいとの希望もあり、城西TSUTAYA店を目指してみた。すると1ヶ月ほど前にも行った回転寿司「めっけもん」が目に付き、すでに12時半にもなっていたが入ることにした。前回は開店直前の午前11時前に行きそれでも30分近く待った。で、今回は?なんと12、3分ほどで席に着くことが出来た。グッドタイミングだったわ〜。
























