2025年3月30日日曜日

慈眼寺公園で花見だったが

さて、日曜のお昼に外食をするかどうか、これはある法則があって、前日麻雀を私がした場合、勝てば外食、負ければ自宅となる。で、昨日は勝ったので、「今日はどこ行く?」とカールは尋ねてきた。「それに花見もしたいしー」というので、どっちもかなえるために「慈眼寺公園で花見して近くにあるウナギの『美鶴』に行くのはどうだろう」と提案した。どちらも行ったことがないというのも理由の一つだ。これにカールは「いいわよ」と完全同意したので、まず時間が気になるウナギの美鶴をネットでチェックした。しかしー。がーん、なんと美鶴は日曜は定休日だった。となると、慈眼寺公園は変えずにどこか近くの産業道路あたりで食事をしようと昼前に出かけたのだった。

谷山の端にある慈眼寺公園は実は60年ほど前の小学1年生の遠足で行ったはずだが、全く風景や実地の記憶がない。覚えているのは担任の石原先生(中高年の女性教師だった)が黒板に「慈眼寺」と書いて「これは『じがんじ』ではなく『じげんじ』と読むのが正しいのですよ」と教えてくれたところ、帰宅して親に「じげんじ」に行くと言うと「違う、それは『じがんじ』だ」と訂正され、いったいどっちが正しいのだろうと子ども心に迷いと不信とが芽生えた。後になってやはり「じげんじ」が正しかったものの、多くの当時の鹿児島県人は誤用で「じがんじ」と呼び、それが通用していたということが分かった。

で、花見の季節になると、たいてい谷山の慈眼寺公園が一番早く咲き始め、満開になるのも早いと報道がなされる。今回はSNSで友人のバンバ君が3日ほど前に「慈眼寺公園、満開なう🌸。凄い数のお客さんが敷物広げて楽しそう」とアップしているのを見たこともあって行ってみようかと思ったのだ。平日の昼間だったそうだが「市内でも、とびきり早く満開になるから、人気集中😊」と書いていた。
高速を使うと15分ほどで近くの国道225線に出る。まずはどこかで食べようとなったが、「このあたりはあんまし好みの店があるかどうか・・」とカールは気にしていた。で、ぐるぐる回ったところでカールが「あそこのモスバーガーでもいいよ」というのでそこにした。実は近くに博多ラーメンの「暖暮」もあったのだが、気づいたのはバーガーを食べ終わった後だった。「暖暮」には行ったことがないカールはそこでもよかったそうだがねー。

でも、モスバーガーは二人にとっては独身時代の思い出の店でもあった。最初こそ上等な日本料理店に食事を誘った私だったが、付き合い始めるとしょっちゅうモスバーガーに行くため、カールは「この人、結構ケチなのかな」とも思っていたとか。いやそんなことはない、ただあの頃の私も今の私も店探しが苦手なんだ。どこ行こう?と尋ねられても、すぐに行くべき店を思い付けないのだ。最近のチッチなんかはスマホをちょこちょこといじって「この店なんかどう?」とそれなりの店を見つけ出してくるが、それすらなかなか真似出来ない。
でもさ、単なるハンバーガーチェーン店でも食べて満足してくれたらいい。「お腹いっぱいになった」とカールは満足してくれ、その後、慈眼寺公園に向かった。

しかし、少し予想はしていたが、やはり散り始めの桜だった。なぜか慈眼寺の桜は早咲きなんだよな。
↑の写真で親子3人写真を撮っているが、この人たちにこの後スマホを渡され「私たちを撮ってもらえませんか」と頼まれ、2枚ほど撮って上げた。iPhoneの写真のボタンを押すのを何度か失敗したが「わあ、いい写真です」と言われ、ほっとした。

もっと公園内を回ってみようかとも思ったが、カールはそこそこ満足し「帰ろう」というので、来た道とは違い裏道に行き、いずれのためにウナギの美鶴の場所を確認し、谷山インターまでを目指した。すると、とても鹿児島市内とは思えないド田舎道に入った。「頴娃や知覧でもここまで田舎道じゃないよな」と言いつつ車を走らせると、道端にハナモモらしき木が植えられているところがあった。

一見、サクラの木かとも思ったがハナモモだろう。同じバラ科サクラ属の春の花だが見分け方がネットに出ていた。
ただ、モモは花と葉が同時に咲くともあって、となると上の写真では葉が出ておらず、サクラの一種なのかな?しかしGoogleで写真検索するとハナモモが優勢だった。花の付き方がちょっとサクラっぽくない気がするしー。ともかくも綺麗な花は春らしくて見ていて気持ちがいい。それでいいんじゃない。

2025年3月29日土曜日

おや、あなたはヤマミュー看護師さん

今日の午後は東洋Drのクリニックで久しぶりの麻雀だった。昨年11月以来だ。いつもの見せたまえDrのクリニックでは毎月最低1回はあるが、東洋内科では年に数回といった頻度か。で、14時半にスーパーたっつんDr、テッシーDrも集まって来てそろそろ闘牌開始かという時、東洋内科の日直当番看護師が麻雀卓のある3階休憩所に顔を見せた。なんと、1年前まで青雲会病院に勤務していたヤマミューNsじゃないか。

ああそうか。鹿児島市に移ってこの東洋内科に勤務していると聞いていた。そうだ、つい最近結婚もしたんだって。「ええ、この間しました」「で、名字は何になった?」と尋ねると旧姓とあまり変わらないものだったので「ヤマミュー」のまま日記には登場させよう。まだおめでたとかではなくこれからのようで、せっかくだ青雲にいた時のようにツーショットを撮ろう。
彼女は昔から写真を撮られることは嫌がらないタイプだったので私の「写真」カタログには昔のもいっぱい残っている。辞める時に主だったのはLINEで送っておいた。それで麻雀が終わって帰宅直前、LINEで「先生、今日の写真を下さいね」と来たのでさっそくちょっぴり修正してから送ったわ〜。まだ20歳代だからお肌の修正もワンクリックで終わり、逆に私はシミやホクロやシワなどで十ヶ所くらい修正が必要だった(↑の写真)。

彼女が青雲会病院に入職したのは2015年の4月だった。まだ新人の腕章付けたままの写真があった。このころはまだ青雲会病院はナーキャップも付けていた頃で見た目や仕草にも初々しさがあるねぇ。

6年前、今は亡きギボヒサコが初めて青雲会病院に入院した時に担当看護師になったのも彼女だった。そうだ、ヒサコが去年亡くなったことは伝え損ねた。でもいいか。いつまでも元気でいてくれていると思われた方がいい。
ヤマミューNsの新しい門出に幸あれだ。

2025年3月28日金曜日

同じような春だけど

 出勤前の自宅庭でベニカナメが赤く染まっているのに気がついた。春だなぁ。

一時、樹勢が弱まっていたのに戻ってここ数年はちゃんと赤色を見せてくれる。すぐ近くには枇杷の木も少しずつ実が成ってきている。ただ若干成長は例年より遅いようだ。
遅いと言えば桜も少し開くのが遅いかな。姶良の用水路脇に植えられている桜の木もまだ咲き始めだった。同じくハナモモの木も特に今年は遅い。3月下旬は満開に近いはずなのに3月25日撮影ではまだポツポツってところだった。
2年前の3月24日の状況は↓だ。ね、全然違うでしょ。
てなことで、こてる日記2年前の3月30日を見ると、なんと同じようなテーマで春の花の様子を語っていた(「春爛漫」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/04/blog-post.html)。うぷっ。この時季は日記ネタがなくて花の話題が多い。そしてネコの話題も。2年前くらいから家の庭にお顔を見せるようになったクロちゃんはこの前の3月25日に久々にエサもらいに来ていた。
そして2年前の4月9日、クロちゃんは兄弟かもしれない白黒ネコを連れてきて、それが今やこてる家のネコになったハナビだったのだ(「ハナビちゃん登場」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/04/blog-post_9.html)。2年経って変わらない花やネコもいるし、すっかり家ネコ化したものもいる。わずか数年でも変わるものは変わるねぇ。

2025年3月27日木曜日

春の「5K」って

昨日のNHKの天気予報で「春の5K」なる言葉が紹介されていた。なにそれ?

気象現象の中で春という季節に注意すべき5つの事柄を指すもので、それは頭文字がすべてKが付く「花粉」「黄砂」「強風」「寒暖差(気温差)」「乾燥」の5つであるという。

へーえと私はすぐにこの5つを頭の中で繰り返し覚えようとした。別に試験問題に出るわけじゃないからそんなことをしなくてもいいはずなのに、子ども時代からの受験教育の悪癖かな?上の5つはここ最近の気象を思い浮かべれば確かによく当てはまる。黄砂がうっすらと上空を被っていたし、昨日一昨日は初夏を思い起こさせる暖かさなのに今度の土曜日は2月並みに気温が下がると予報しているし、花粉は当然で強風もすごくてニュースになっていた。

で、今日の明け方、例によって1階床でうとうとしていた私はピカピカ、ゴロゴロにびくついていた。雷(かみなり)がすごいんだ。団地の上空に落ちているようで、ピカッと光ったらすぐにゴロゴロと鳴って、ハナビなんかピタッと体の動きが止まりびくつき、ゲンちゃんはキャットハウスに入り込んで出て来ない。さらに私が心配したのは今朝は私がゴミ出しをしなくてはならないことで、1週間に1回ネコのトイレ用砂と家庭ゴミを2つの大きなゴミ袋に入れて近くのゴミ集積所に運んでいく・・げ、こんな雷の日に?!

雨も降っているし、こんな状況ではすぐには絶対にゴミ出しは出来ない。しばらく居間でじっとしていた。何度も雷が落ちるが少しずつ頻度が落ちてきたので、午前6時半頃にゴミ出しの準備を始めた。で、両手にゴミ袋を抱えて家を出たが、遠くでまだゴロゴロ音が聞こえてくるんで「もしここで自分が雷に打たれたら死んじまうよ〜。カールも家にいないしネコの糞の混じったトイレ砂にまみれて死にたくはないなぁ」なんて思いながら向かった。集積所にはまだ誰もゴミを持って来ていなかった。ゴミ袋を置いてカラスよけの網を掛け小走りで家に帰っていった。駐車場の屋根の下に着いてようやくホッと出来たよ。で、その頃には春の5Kの中に「雷」がすっかり刷り込まれていた。

そんなこんなで朝食を済ませ、出勤し、院長室で朝の各部署の報告を受ける業務についていた。総務部長の畠鏡君が報告を済ませた後、「今朝は雷がすごかった」という話題になった。私は今朝のゴミ出しの一件を語った後、おもむろに彼に尋ねたものだった。「ところでさぁ、春の5Kって気象用語知っている?」「春の5Kですか、いや知らないです」「だろうな、私もNHKのニュースで知ったんだが『花粉』『黄砂』『強風』『寒暖差』そして『雷』なんだよ。確かに今週いずれもこの5つはあったよなー」「はあ、確かにそうですねぇ」と合点する畠鏡君に私は得意げに物知り顔をしたのだった。(ああ、今となっては恥ずかしい)

2025年3月26日水曜日

現状変えたい甘えん坊ネコ

カールとチッチが沖縄に行った後は当然自宅で一人で過ごすことになる。寝るのが嫌でネットやTV、ビデオを見るのが好きな私は1階の床で寝て動画鑑賞しつつ、結局はそのまま床寝するようになった。最近は暖かくなってきて床寝しやすく、なおさら布団のある2階まで行くのが億劫になっている。

しかしーだ。その安眠を妨げるのがハナビなんだ。夜間はゲンちゃんは1階、ハナビは2階に行かせて給餌器も別々にしている。私たちがいないところでエサの取り合いやケンカをしないようにだ。が、ハナビが1階を恋しがってドアを叩いたり開けようとうるさいのよ。自分が起きていると開けてあげて2階に行く時にいっしょに出てドアを閉めるんだが、ハナビは一人ぼっちになりたくないみたい。↓が立ち上がってドアノブに手を掛けようとするハナビ。

まあ、その激しいこと。今日は写真とビデオを撮ってみた。

いやぁ、激しいねえ。そのうち本当にドアを開けるんじゃないかとさえ思う。うるさすぎて結局は開けて居間に入れて上げる。ゲンちゃんはここまではしないな。ミャーミャー鳴くだけ。ハナビって野良の時から現状を変えたい、もっといいところに行きたいって行動するネコだった。その気質は家ネコになって1年半経っても変わらないもんだ。それに意外と甘えん坊だしー。床寝はこのようにハナビに邪魔されがちだが、2階に寝ても・・明け方ごろに寝室のドアを「開けろ!」とガチャガチャしがちだ。そこで↓のように衣服袋を重しにして侵入を防いでいる。それしないと入って来たハナビは私の胸の上に乗っかってくつろぎチュパチュパ自分の前足を舐めるなどする。私は逆にくつろげなくなってしまう・・。

安眠のためのハナビ対策、最近のこてる家では必須だという話でした。

2025年3月25日火曜日

「会うは別れの始めなり」よりも

最近、今年度末で病院を辞める職員らが毎日のように院長室にお別れの挨拶にやってくる。今日はリハビリの若手男性職員と病棟の中堅女性看護師リバーツモロさんの二人が来た。若手男子とはほとんど話す機会はなかったが、リバーツモロNsは10年近くも勤務しており、日頃もよく会話することも多く、少々残念ではあった。彼女は以前高齢の白黒ネコを飼っていて、食事も摂れなくなった愛猫のため動物病院に点滴に連れて行っていると朝礼スピーチで聞いたことがある。さすがにそのネコはもう亡くなったそうだが、まだ2匹飼っているという。ふむふむ、てえことはきっと結婚を考えている相手もいなさそうだな。そうだと確かめたわけではないが、最近はそれほど結婚をする気はなく自活していこうという態度の人も多い。ただ、一人ではさみしさもあるのでネコも飼う気になるのだ(たぶん)。
「会うは別れの始めなり」・・出会いには必ず別れがあるのが人間の常であり、会うこと自体、すなわち別れの最初である、という誰が言い始めたのか知らないが、年度末には毎年そのように感じ入ることが多い。へー、先の言葉は唐の詩人白居易の「和夢遊春詩一百韻」の「合うは離るるの始め」に由来するんだって。初めて知った。白居易は平安文学を始めその後の日本文学ひいては日本人の感性に多大な影響を与えているな。

午後は早帰りで帰宅したが、前夜が寝たり起きたりの生活パターンだったせいか、ほぼずっと床で寝ていた。その後いったん起きるも食事の後はまた寝てしまった。私は一人になるとぐたーらが過ぎる。結婚していて良かったと常々思うのである。

一人より 二人
これを これを
忘れたもうな
サトウハチローの詩である。むかし、実家のどこかの部屋の壁の色紙にそう書かれていて自然と覚えていた。私はやはりこっちの方が好きだな。

2025年3月24日月曜日

それは私でも「それは脳梗塞、MRIが必要」って言えるけれど

昨日の夕方から病院当直だった。忙しかったかというとさにあらず。このところ非常に暖かくなってきたせいか患者はほとんど来なかった。日中も3人しか外来患者は来ず、夜は一人も来なかった。しかし今日の明け方、右片麻痺の高齢患者が救急で搬送されてきた。おそらくは脳梗塞だろう。CTでは早期の脳梗塞は見つからない。ただし脳出血は早期でもCTで一発で分かる。手順上CTを撮り、異常なしを確かめて、MRIを指示した。すると左の脳に1cmほどの専門外の私でさえそれと分かる脳梗塞の所見が見つかった。入院指示を出して、後は今日の脳外科オンコールのカワゼンDrにバトンタッチした。 その画像をここで披露するわけにはいかないので、ネットで拾ってきたほぼそのままの画像が↓だ。

東京は板橋区にある某脳神経外科のクリニックからの画像で、解説では「夜間に右手足の動きにくさを主訴に救急受診しCT検査を行った患者です。CT検査で異常所見なしと診断され帰宅となりましたが、症状が改善せず翌日私の外来に受診されました。神経学的身体所見で左脳の異常が示唆されMRI検査を施行したところ脳梗塞(黄色矢印の箇所)を認めました。MRI検査では正常な脳組織は灰色、脳梗塞部位は白色で描出されるため脳梗塞の検出が容易なことがわかると思います。一方CTでは脳梗塞の際、色調のコントラストがありませんので非常に検出が困難であることがわかると思います。つまり、脳梗塞が原因となる手足の麻痺、痺れ、めまいはMRI検査が良いです」そのとおりである。私が診た患者の症状も「夜間トイレに行こうとしたら右側の手足の動きが悪く行けなかった」というものだった。一応は動くが実用的な動きが出来ず、これはおかしいと家人が電話で娘に連絡し、娘から救急要請があった。

だから症状をよく聞けばCTがいいのかMRIがいいのかある程度判断できる。CTしかない施設であれば「念のためMRIでが撮影出来る施設で精査を」をアドバイスするのがよかったろうと思う。私も25年間、青雲会病院の当直、日直をして脳血管の病変をたくさん見てきたので上の脳神経外科の先生くらいのアドバイスは出来る。ただ、入院して加療となるとやや手に余るんだ、これが。過去一度だけ、旧青雲病院時代にそのまま脳梗塞の患者の主治医になったことがあったが、大変きつかった。最初の治療方針は教えてもらい点滴や処方は出せたが、その後の症状変化に対して本人や家族に説明をすることが出来ない。目に見える症状がどのくらいの程度でそれに対してどう治療を変えていくべきかなどとんと分からなかった。専門家からみたら簡単なことでも細かなことはテキストにも載っていないし病状説明など意外と難しいのだ。

それ以来、初期対応は別にして、担当医としては脳血管障害の患者は持たない。まあ言えば、大腸憩室出血の患者を脳外科の先生に「数日絶食点滴してあとは食事させて再下血なければOKですから〜」と言って担当させるようなものだ。患者の逐一の訴えをその程度は様子見でよいとか、いやそれはきちんと検査しなくてはいけないとか細かなノウハウはたくさん患者を診てきた専門医でないとスムーズに運べないものなのだ。

専門家同士が連携しあって患者を診る。これが大きな病院で働く際のいいところだな。

2025年3月23日日曜日

あと3秒遅れていたら

朝早く、私たちは鹿児島空港へ行く準備をしていた。カールとチッチが沖縄に行くためで、私は二人の送迎役だ。カールは顔面パックをしていて、まるで映画「悪魔のいきにえ(1974年)」に出てくるレザーフェイスみたいだった。こわっ。

無事レザーフェイスが剥がされた後はまともな人間の姿に戻り、出発直前はゲンちゃんとパチリ。ハナビもいるんだけどまだこんなに安全に抱っこは出来ない。
空港に着いて二人を降ろし、その様子を写真に収めた。「いってらっしゃいー、気を付けてねー」といつもの感じでそのまま私は空港前道路を出てすぐ近くの高速道路インターに向かった。
インター入り口まであと10mくらいという時にスマホが振動し始めた。電話だ。高速には進入せずに道路脇に車を止めた。きっとカールかチッチからの電話に違いなくなにか忘れ物でもあったのだろうか。出ると、チッチからで「高速に入っていない?」「ああ、直前だった。どうした?」「バッグを車の中に忘れているって」だと。「すぐに引き返すから待ってな」と急遽Uターンとなった。運転席からはバッグがあるかどうかは確認出来ないものの出発時間もあるから急いだ。

二人は先ほどと同じ場所で待っていた。出発時刻まであと25分ほどしかない。カールの小さなバッグはやはり私の背後の席下にあったようで「よかったー」と手に取った様子をまた私は写真にパチリ。後で時間を確かめると9分が経過していた。すぐ近くなのに思っていたより時間がかかっていた。

もし私が高速道路に進入していたら加治木インターまで行きまた帰って来なくてはならない。さらに20分は必要になったはずで、バッグはあきらめなくてはならなかった。電話するのが3秒遅れていたら・・アウトだったねぇ。いやはや。

げに、携帯電話の普及した現代ならではのハプニングで、平成前半までなら「あーあ、バッグを忘れちゃったぁ」で終わっていたはず。その様子を写真に収められるのもデジタル機器が普及した今ならではで、昭和のころならそんな様子を貴重なフィルムを使って写真に撮ろうとも思わなかった。写真屋にフィルムを渡し現像、プリントされるまで待たねばならなかったしー。思えば、2日後にこうしてネットにアップロードしているこの事態もインターネットの普及した平成半ば以降のことでわずか20年ほどしか経っていない。昭和時代とは隔世の感あり。最近TVで昭和と令和を比較するバラエティー番組が多いのも肯けるねぇ。

「悪魔のいけにえ」も平成の始め頃、レンタルビデオ屋で借りたものを見た。ホラー映画の中でスプラッターというジャンルのはしりで後の「13日の金曜日」シリーズなどに大きな影響を与えている。最近はそんな映画はほとんど見ない。今日は些細なことで時代の違いを大きく感じる日であった。

2025年3月22日土曜日

YouTube「脱・税理士スガワラくん」100万人突破の秘訣

私もよく見るYouTubeの人気番組「脱・税理士スガワラくん」がチャンネル登録者数が100万人を突破したという。
脱・税理士スガワラくんとはどんな人なのか?

彼のホームページ(https://sugawarakun.com/)での紹介によると、YouTubeチャンネル「脱・税理士スガワラくん」はチャンネル登録者数100万人突破し、ブログ 「脱!税理士 菅原のお金を増やす経営術!」は全国税理士ブログランキング第1位を獲得しアメブロ【公式】トップブロガーに選任され、お客様の85%を黒字に導く節税と資金繰りの専門家で、講演実績はGoogle、アパホテルなど上場企業、外資系企業も含め1,000回を超え、各メディアからの取材も多数受け、書籍「究極の資金繰り」「激レア資金繰りテクニック50」は累計2.7万部のベストセラーとなっている。また2024年2月22日に「タピオカ屋はどこへいったのか? 商売の始め方と儲け方がわかるビジネスのカラクリ」を発売しベストセラーになっている、とのことだ。

税理士菅原由一さんは最近さんまのトーク番組でも税金の話題を語っていたりし一般にも知られてきている。私はYouTubeで知った。専門の税金の話よりも企業のコンサルタントがらみの話が面白くよく見ている。YouTubeの登録者数100万人突破というのはえらい数のようで、YouTubeから得られる月収が最近1200万円を越したらしい。年収じゃなく月収だよ、すごい。YouTubeって儲かるなーと思ったが、スガワラ君によるとそれより本業に波及する影響の方が大きいらしい。それに撮影、編集など全部専門業者に丸投げでその支出も何百万かするらしいしー。で、YouTubeで成功する秘訣を、「毎日アップし続けること(そうするとGoogleも優先的に紹介してくれるそう)」また「自分が話したいことではなく視聴者が知りたいことをしゃべる」と聞き役のミシロ君に語っていた。ミシロ君が「それにして毎日毎日よくネタが続きますね」と言うと「ネタなんてそんなにあるわけない」「でもね自分は15年前から毎日ブログをアップし続けるためそれこそネタを探して来た」とかでその経験をYouTubeにも活かしているという。

これを聞いて私は思った。毎日ネタを探してブログにアップするって行為は私がずっと続けていることだ。同じことをスガワラ君もやっていたわけで、もしかすると私もYouTubeを始めればちょっとは登録者数が稼げるかも・・。いや、やはり面倒だな。続けているのはGoogleのブログだがせいぜい200人/日くらいだし。スガワラ君の場合はテーマがお金という多くの人が関心を寄せる分野に特化し、しかもためになる話題を毎日提供しているわけだから人気も数も稼げるわけだ。唯一私が勝っているのはブログを続けている年数で、今年の5月で丸25年になる。継続年数だけは負けちゃいないぜぇ〜。えへん!

2025年3月21日金曜日

あの鹿児島市立病院が・・

 夕方、青雲会病院の年度末理事会に出席した。業績報告では今年度はどうにか黒字になっていて、昨年前半の入院患者減少から赤字もあり得るのではいう状況からよく盛り返したものだ。

その後の懇親会で某出席者から「鹿児島市立病院の赤字が大きくて大変」という話を聞いた。内部留保があるからすぐに危機的状況にはならないそうだが、現状の赤字体質が続けば問題になりそうとのことだった。2月の南日本新聞では「鹿児島市立病院で医療事務の業務委託入札が2度にわたり不調となり、4月以降の委託先が未定であることが2月17日分かった。2024~28年度の複数年契約を結ぶ入札で、人手不足や人件費高騰が影響したとみられる」という芳しくない報道もあった。

鹿児島市立病院に限らず、全国的に大学病院・公立病院は赤字が多い。大学病院だと42の国立大学病院のうち32施設が赤字なんだ。国立病院全体で赤字は250億円以上にも上るとか。背景には人件費上昇や物価高騰による支出増があり、国立大学病院の存続そのものが危ぶまれるかもしれないという。鹿児島市立病院のような公立病院はもともと人件費率が高い傾向にあり(昔の国立療養所霧島病院などなんと80%というトンデモ比率だったことはこてる日記2月21日に書いた。この比率は50%くらいなら良好で80%というのは即倒産レベル)、もう一つは患者数の減少もあるだろう。鹿児島市立病院では周産期病床などベッドが空いていると聞く(公的病院の新生児・周産期病棟では国内最大の病床数で有名)。人口減、出産減で周産期医療対象の患者も徐々に減っているはずなのに空きベッドを抱えていれば当然収入は増えない。物価が高騰しても国の医療費抑制政策で治療費などの単価アップはなく、支出の機器購入には消費税込みで支払う必要からその負担も大きいのだ。公的病院は先端医療にも力を入れる傾向があり、例えば手術支援ロボットで有名なダヴィンチを導入すると3億円かかるそうだが、となるとそのための手術代は保険診療ではアップ出来ないため、導入即赤字は決定的だ。そもそも国は今後病院の数を減らそうと目論んでいるから収益はなかなか上がらないんだ。

そんな国策がらみの赤字傾向もあるが、各施設でいろいろ出来ることはやらねばならない。私は研修医時代に3ヶ月だけ外科研修で鹿児島市立病院に勤務したことがある。その時、市立病院の職員への強烈なコスト意識の植え付けが非常に印象に残っている。カールも1年半ほどバイトで市立病院の臨床検査室に勤務経験があり、「そうそう、ゴム手袋も簡単に捨てちゃいけないって言われたわ」と私と同じ感想を言ってきた。ちょっと丈夫めのゴム手袋は再生用として滅菌に回し再利用、再々利用するんだというの。さすがにすぐ破れるようなものは即廃棄だったが、ゴム手袋まで再利用する施設って、それ以前にもそれ以後にも鹿児島市立病院以外なかった。当時の時任院長に研修の挨拶に行った時も「仕事を頑張れ」ではなく「コストを意識しろ」って言われたもん。当時、公立病院で独立採算制とかやっている施設は全国的にもあんましなかったんじゃないかな。

その鹿児島市立病院が大きな赤字というので隔世の感を覚えた。ちなみに私は新病院移転し丸10年にもなるというのに現鹿児島市立病院には一度も足を踏み入れたことがない。なんか縁がないんだよねぇ。おまけに赤字赤字って言われればお近づきになるのも・・おっと、公立病院の雄、鹿児島市立病院には頑張ってもらわねば。陰ながら応援していきたい。

2025年3月20日木曜日

初めての「五郎家ラーメン」

春分の日は休みで、正午にはローズ歯科受診があった。インプラントって1ヶ月おきくらいに治療があって今は土台を作っている状況。今回は歯茎を切開する処置があって久しぶりに痛みと麻酔が少々残った。昼食は一人で外で食べるつもりだったので、待ち時間の間にGoogleマップで周辺の店をチェックしたら「ラーメン五郎家」というのが目に入った。さほどラーメンオタクでもない私でさえ知ってる店だ。鹿児島のラーメン1位を決めるイベントで何度も1位になっていたはず。ただ私は一度も行ったことがなかった。道路一つ渡れば店はそこにある。この機会、行かねばー。

もし十何人も行列が出来ていたら入店をあきらめていたかもしれない。しかし店内に数人の待ち客がいただけで私もそこに並んだ。券売機方式ではなく、店員がメニュー表から「何になさいますか」と尋ねてきたので、迷うことなく一番図柄が大きくメインメニューと思われる五郎家ラーメン950円とご飯の小100円を頼んだ。
ほどなくカウンターに通され、しばらく待っていると品が届いた。
ほう、豚骨スープではなく醤油ベースのようだ。しかし見た目も味も濃そう・・。ふむ、味は確かに美味しいが、塩分は多そうで、今読んでいる「10000人を60年間追跡調査してわかった健康な人の小さな習慣」ではラーメンの汁はNGって書かれてありどうしたものか。しかし結局は麺も汁も具も完食!した。まあ滅多に来ないしいいかな。食べ終えた直後はまだ物足りないぐらいの感じだった。でも、帰宅して水分はよく摂るし、夕方になってもさほどお腹は空いていなかった。やっぱりラーメンって塩分もカロリーもかなり多めなんだ。

一般的なラーメンは塩分が6g以上あり、それだけで日本高血圧学会の推奨する1日の塩分量は約6g未満を越えてしまう。週に何度もすするって人は減らした方がいいぞ〜(私は月1程度にしている)。また本によると、うどんかそばでは、そばがいいという。うどんもパンも小麦粉から作る製品はどうしても塩分を加えて作る必要があるからだ。とにかくラーメンを始めとする塩分多め食品の食べ過ぎは禁物。塩分多量摂取が健康寿命を縮めると1万人の追跡調査で判明しているんだからさぁ・・。

2025年3月19日水曜日

千両役者

 いやー、大谷翔平ってやっぱりすごい!千両役者って言葉が歌舞伎にはあるけどまさに現代の千両役者だ。

カブスの2番手ピッチャーは私は初めて見たが、時速100マイル160kmの直球をバンバン投げていて、そうは簡単に打てないと思った。しかし大谷はこれまでも昨年の160km右腕で新人王パイレーツのポール・スキンズに対してもホームランをかっ飛ばしたからやってくれるかもとじーっと見ていた。すると、打った瞬間ホームランと分かる打球音と角度で、大谷自身も確信歩きをしたほどの完璧な打撃を見せた。「すごい!」。

がしかし、意外にもフェンスぎりぎりでファンが手を出してしまいこれは2塁打になってしまうかもと危惧した。しかし判定はホームラン。当然のごとく相手監督がアピールをしビデオ検証になった。ビデオでは手には当たったのは分かっても軌道上ホームランは間違いなかった。しかし、後で知ったがドームの天井にわずかに当たってしまって軌道が少し落ちてあんなギリギリになったそうだ。それなら大谷の確信歩きも当然だったと分かり、カブス外野手がホームランだという態度だったのも理解できる。ちなみにスローで見るより2倍速で見た方が軌道が変わったのがよく分かる。YouTubeでどうぞ→https://www.youtube.com/watch?v=dhjV8Dz-Jj0

ドジャースは佐々木朗希が先発で160kmも投げたかと思えば四球、押し出しもあって1点取られ3回裏で降板した。うん、球速も改善しているし、腕は振れていて今日はこれで良かったんだじゃないか。その後のドジャースの戦いぶりも安定感が去年より増していて今年も地区優勝は間違いない。ポストシーズンも十分勝ち上がっていけそうでワールドシリーズ連覇も現実的に思えた。

それと今回のMLB開幕戦や練習試合で阪神って結構強いってのが印象に残った。ピッチャーがいいよねぇ。単純な成績だけで言えば阪神、ドジャース、カブス、巨人だったしー。センバツ高校野球も始まったし、まさに球春だ。野球好きにはたまらない季節が始まったよ〜。

2025年3月18日火曜日

こてる家のドジャース対カブス

メジャーリーグの開幕戦、ドジャース対カブスの東京シリーズが今日始まった。なにせ大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希に今永昇太、鈴木誠也と5人もの日本人メジャーリーガーがいるんだから興行を打つ側からすれば日本開催は当然の帰結といってもいい。私も出来るならチケットが欲しかった。でもTV観戦も悪くない。今永、山本投げ合いから始まり、大谷翔平が相変わらず今永を打てないのが不思議でもありすごいでもあり、画面でじっくり見られる。

ただ、チーム力はやはりドジャースが上で、今永が4回でヒット打たれていないにもかかわらず降板後にすかさず得点し、カブス監督がまずったなぁという表情が印象的だった。ドジャースはフリーマンやベッツを欠いての余裕ある勝利だからさすがワールドチャンピオンだ。もう決着が付こうとする21時半ごろ、こてる家ではゲンちゃん対ハナビの対決が始まろうとしていた。暖かいホットカーペットの上で縄張り争いなのか険悪なムードになった。

ここに私やカールが「こら、ケンカするんじゃない」と声で制した。すると見つめ合い(?)を止め、なんでしゅかとこちらを向いた。TVの中では鈴木誠也が、打てないしチームは負けそうだしで呆然の表情・・。

ううむ、こてる家でのドジャース対カブス戦はどっちがドジャースかカブスかは不明で、結局、引き分け!でした(⌒о⌒)。

2025年3月17日月曜日

ゾウがベース弾くクリニック

 昨日の夜のTV番組の話題だが、TBS系の「バナナマンのせっかくグルメ!!」という番組で鹿児島は霧島市の料理が紹介されていた。

魚の静岡・下田と肉の鹿児島・霧島という対決という趣向だった。霧島はケンコバと小杉がぶらりと訪れ(という趣向で)、事前に調べておいたTV映えする料理店を披露するわけで、特にこだわりのラーメン店「凛」が美味しそうだった。
しかし、私が日記ネタにしたいのは、その店を訪れる直前のこと、道路脇にあった耳鼻咽喉科の大きな看板を見てケンコバが、「スゴイ」「ゾウがベース弾いている」といじり始めたのだ。小杉が「何でなん?」と応える場面だ。
あはは、「みみ・はな・のど としクリニック」の看板で、開業当時からその図柄は使われているんだ。20年以上も前、私はそのクリニックの開業日に見学に行ったからよーく知っている。院長のトシマロDrは開業直前まで青雲病院(現青雲会病院)の耳鼻科Drだったからね。小杉さんに教えよう。ベース弾くゾウさんなのは耳と鼻が大きい動物が耳鼻科を象徴しているし、トシマロDr自身がベースプレーヤーだからだ。

ケンコバはそのゾウさんの様子から「ドラムのカウントを見ている時」の様子だぁとなかなかにこだわりを見せていたが、バナナマンから「どうでもいいよ!」と笑いを取っていた。

実は「としクリニック」のトシマロDrとこのこてる日記は浅はかならぬ関係がある。私が25年前の2000年5月17日からこの「こてる日記」を始めた時、鹿大医学部ボウリング同好会の一ページのコーナーから始まったはいいものの、アクセスが時に滞ったり検索がしづらかったりで、その後自身のホームページを作成したいと思った。しかしホームページ作成のテクのない私はトシマロDrに作ってもらうことで、背景の「家族馬」の合成写真張り付けと日記を書くだけで大いに助かった。彼が開業してからも困った時にはメールでWebの操作をしてもらっていた。2015年にブログに移行する際もほぼ全てを手伝ってもらい、現在に至るわけである。そういえば、当時の青雲病院のイベントで「青雲バンド」の名でバンド演奏も披露していたナ。

ベースと釣りとバイクを愛し、家ではネコの多頭飼いをしている愛すべきトシマロDrと「としクリニック」に幸あれだ!↓ゾウよりアグレッシブなトシマロDr!

2025年3月16日日曜日

田舎からのいただき物

 昨日、チッチが帰ってきていて、昼過ぎには家族3人で田舎へ墓参りに出かけた。お正月には田舎にみんな帰っておらず、彼岸も近いしで、行こうとなったのだ。ただ、あいにくの雨模様だった。するとチッチが「ああ、この雨って南国だって感じがするぅ」という。同じ日本でも関東、東北地方では雨の強さがもう少し弱いんだと。へぇ、それは言われないと気がつかない。

お墓に行く前に実家とヒラーキ宅に寄った。庭を見ると、1ヶ月以上前にもらったサワーポメロの実はすでになく、代わりに紅甘夏(べにあまなつ)の実がちょうど完熟の頃を迎えていた。すぐ隣には大きなツバキもあり花が通常のものよりかなりが大きかった。

ヒラーキもその後出てきて、正月三が日のころすぐ近くの家で火事があった話題になり、それなら実際にと焼け跡を見に行ってみた。深夜0時過ぎに火事が発生し、チエコンさんもすぐに通報、ヒラーキは道路隔てた隣家に燃え移らないようホースで防災していたところ、消防車が到着したそうだ。残念ながら高齢の住人が一人亡くなったそうだ。2ヶ月以上前とはいえ、まだかすかに焼けた跡の臭いが残っていた。
火事見物(?)の後、庭に戻ってくると、チエコンさんが紅甘夏をプレゼントしてくれるそうで摘果していた。聞けば、デンコー親父が鹿児島にいる時に鉢植えしていた1本を植え直した木なんだそうだ。紙袋いっぱいにもらって満足げなカール↓。
墓参りはいつものごとく粛々として終わり、ヒトミンチョ家の前まで車で寄ってみたが、日曜はAコープで働いているというから車もなくしそのまま通り過ぎた。だが、その働いているAコープはすぐ近くなためちょっと中に入ってみた。ヒトミンチョはレジにはいないので会えなかったが、紅甘夏が売り出されていて一玉200円ほどもするんだ。10個もらったからていうことは計算の苦手な私でも2千円もらったに等しいと分かる。う〜む、素晴らしい。
帰宅して、実はツバキも数本もらっていて、カールはそれを台所の前にペットボトルで水差しで飾っていた。豪華で艶やか。いいぞ。
花に果実に田舎は有り難や。これも墓参りの御利益みたいなものか。おおそうだ、ヒトミンチョは昨日の私の日記を読んで、あの手書きの祝儀袋の字に「いくらなんでもその字読めません(笑)」とコメントしていたわ。ふむ、それは子どものころランドセルを焼かれて習字の手習いを止める羽目になったからだ。私のせいではないんだよ。日記を読んでいるんならそれはきっと分かるよねぇ・・ふふふ。

2025年3月15日土曜日

祝賀会出席直前に失策!

昨日は書き忘れていたことがあった。ネコのことなんかより、私が帰宅した時の状況を書かねば。

普通に「ただ今」と言って居間に入った私を、カールはちらっと見て「あら、手ぶらなの」と少しなじるような口調で声かけて来た。それに対し私は「え」と返事し、少し間を置いて「ほら、カールのために今日はモンブランケーキを買ってきたぞ」と。「ホワイトデーなのに」というカールの発言を途中で消してやったよ。

帰宅前に姶良の森三に寄って「SAKURA絹モンブラン」という今の季節に販売しているケーキを買っておいたのだ。いつも気が効かないと言われているから、そうはいかじと前からこの日はそうするつもりでいたんだ。ちょっと桜の葉っぱの風味もあって「美味しい」と喜んでくれたよ(⌒о⌒)。

で、今日の夕方は城山ホテル鹿児島での鹿大糖尿病・内分泌内科の西尾喜彦退職記念祝賀会に出席した。青雲会病院はそこの教室から週1回非常勤のドクターを派遣してもらっている関係で理事長が出席するところ名代で私が出ることになった。事前に祝儀袋も渡され余裕をもって自分で運転して城山まで出かけたのだが・・。あのくねくね坂を上っている最中に、ハッと気がついた。思わず「アーーーーッ!」と大声を上げた。なんと祝儀袋(お金込み)を自宅に忘れてしまっていたのだ。引き返そうと思ったがそうすると夕方の渋滞時間でもあり往復で40分は掛かってしまう。さっと頭の中で善後策を巡らし、駐車場からすぐにホテル内のコンビニに寄って祝儀袋160円を購入し、筆ペンを借りて可愛いんだ理事長の名前を書いた。お金は自分の財布の中から取りだして入れた。ちょうどピン札を入れていたからよかった。ふう・・字面は少々汚くなったがまずこれで問題はなかろう。

退官祝賀会は2時間ほどで無事終わり、西尾教授は直接は面識がなかったが、会には知り合いのドクターらもそこそこいてまずまず楽しい雰囲気で過ごせた。それより何より、今回は土壇場の失策をカバー出来たことが一番良かった。。いやー、準備万端と思っていても日頃しない(祝儀袋を出す)ことはつい失念してしまうもんなんだ。ふう・・(汗)。

2025年3月14日金曜日

ネコミチ

朝早く、あの白黒ふさふさネコが1ヶ月以上経ってまた庭に現れた。前回は視線が合うとそそくさ逃げていったが、今回はコンクリートの上でくつろいでいた。ゲンちゃんが警戒の声を上げてじーっと見つめるもどこ吹く風って感じだ。



ふ〜む、お口周りの黒ブチが印象的で、毛並みはふさふさ、普通の日本ネコとはやや血統がちがうか。首輪は見あたらず、この地域いったいをウロウロしている野良ネコかなぁ。この後、道路隔てて向こう正面の家に行ったが、我が家からそっちは「このあたりのネコ道だよ」とカールに教えてもらった。ネコ道?そんな道があるんかい。そういえばハナビも野良時代はよくここを通っていた。ネコミチ・・なんか速水もこみちみたいだ。オリーブオイル欲しいかい?

駐車場が道路から縦に裏まで突き抜けているからネコミチになっているんだろうな。この前の茶色の夢ネコといい新顔さんが今年になって出てきてこてる家の庭も少しにぎやかになってきた。ネコミチを擁するネコ家のこてる家。それにふさわしくエサも上げるからいつでも寄って来てねー。