YouTubeで知った「どんでん返しミステリー(国内)」数作をネットで注文していた。その中の一冊、歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」(2003年)を夜までかかって読み終わった。事前に最後はきっと騙されていることに驚くと言われて読み進めていたが、案の定驚いた。というより、何でも屋の男性が知り合いに頼まれた事件を追ってあちこち探り、その過程で自殺未遂の女性を救ってなんとなく好きになってしまうストーリーにそんなに特別感がなく、ただ普通に読んでしまわざるを得なかった。
いわゆる叙述トリックといわれる手法が使われていて、読者に誤った思い込みをさせるテクニックがすごい。ただミステリーとしての謎の提示や解決の仕方もきちんとしておりそこが2004年の「このミステリーがすごい」「本格ミステリベスト10」「日本推理作家協会賞」「第4回本格ミステリ大賞」受賞とその年の関連賞を総なめにしたのも分かる気がする。そのどんでん返しだが、リチャード・ニーリィの「心ひき裂かれて」や我孫子武丸の「殺戮にいたる病」と似たテクニックに思えた。詳しくは言えないがそれらよりもちょっと大がかりでより精緻だ。見破るのは相当困難だろう。
しかし叙述トリックを使ってその作品に感動するかどうかは別ものだ。私は横溝正史の作品でいくつか唸ったことが何回かある。いずれも作品全体の叙述トリックではなくて部分的に使われているだけだが、指摘されて思わず膝を打ってしまうほど感心したものだ。特に初期の作品「本陣殺人事件」「獄門島」などは作品としてもそっちの方が上に思える。「殺戮にいたる病」などはサイコキラーを扱っているが最後に叙述トリックが使われていると分かって「なんだ、それを使いたかっただけじゃないか」と否定的に感じる人もいると聞く。「獄門島」では決してそんなには感じないばかりかストーリーとも上手く絡まって「素晴らしい」という感想がほとんどだ。日本のオールタイムミステリーのベスト1に何回もなっただけのことはある。
「どんでん返し」作品で多くの人が挙げるのが綾辻行人の処女作「十角館の殺人」(1987年)で、これは終盤に出てくるあのセリフ「〇〇〇〇〇〇です」で全ての人が「ええっー?!」となるのがすごい。そのセリフが一気にどんでん返しであることを示しており、覚えていないとすればその人は「十角館」を読んでいないとさえ断言できるほどだ。最近の新装版ではそのセリフが出てくる前にページが変わり、めくるとそのセリフが目に飛び込んでくるよう工夫されているらしい。「十角館」はYouTubeでもどんでん返し代表作に無論入っていて私は以前読んでいた。久しぶりに取り出してみると、「2000年5月30日〜6月4日」に読んだと鉛筆で見開きに書かれていた。それにちょっと驚いた。2000年6月1日は私が今の青雲会病院に就職した日で、まさにその前後に「十角館」を読んでいたとは・・全く覚えていなかった。就職した直後の数日は慣れない仕事場ということもあり帰宅したらぐったりしすぐに寝ていたという記憶しかない。でもなぜかその頃「十角館」を読んでいた。へーえだ。だから私はいつも読み始めと終わりを記すようにしている。たったそれだけでいろいろなことが思い出されるのだ。
その叙述トリックをこのこてる日記でもわずかだが使ったことがある。ブログ化する前の15年以上も前のことだ。2004年1月7日のこてる日記でそれが使われている部分を抜き出して抜粋してみる。
「今日は朝からVIPのオペがあるため、医者はもとより看護部から総務に至るまで皆忙しかった。癒着がひどい患者だったようで胃の手術にしては時間がかかり、通常の倍近い時間がかかったと外科の先生も言っていた。私も術中内視鏡検査に立ち会わねばならなかったり、外来をしたりで、夕方にはぐったりだった。VIPゆえ、鹿児島で一番大きい病院の院長先生をお呼びし、その部下の先生や麻酔科医などもいて、一時オペ室には総勢10人以上もの人があふれかえっていた。外科のDrも疲れただろうが、一番疲れたのはやはり可愛いんだ院長だったろうね。」
こてる日記には嘘は書かないのがモットーである。しかしそうすると個人情報に引っかかるので曖昧な書き方にならざるを得ない場合もある。そんなわけで上の文で私はあるテクニックを使った。それはどこでどういうものか分かるかな?正解は明日のこてる日記で。
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