朝3時半くらいからずーーっと朝礼スライド作りを続けていた。途中、ドジャース対ダイアモンドバックス戦で佐々木朗希の好投眺めたり、甲子園の試合も眺めたりはしていた。しかし頭の中は歌謡曲「王将」のことでいっぱいだ。さすがに昼食後は眠くて仮眠を取ったりはした。また起きて作り続け、17時20分、一応の完成をみた。ふう〜。
まだ全体の3分の1ほどしか作っていない時に、カールにスライド発表形式で見せてみた。私の「偏愛」する歌の紹介(「ビートルズ」「昭和歌謡」「童謡唱歌」)から始まり、「王将」の歌手村田英雄、作詞西條八十、作曲船村徹を呈示し、村田英雄の生い立ちから浪曲とはどんなものか、古賀政男に見出され歌謡界デビューしたまではよかったがなかなかヒット曲に恵まれず、あせりを覚えた村田のスタッフ(浪曲界出身のプロダクション社長、日本コロムビアのレコードディレクター)が戯曲「王将」をテーマに新進の船村徹に曲を依頼する手はずになった。ただそれまで面倒をみてきた古賀政男には一言伝えねばならない。意を決して伝えるも、案の定古賀は「君たちは浪曲出身なのに義理も人情もないのか!」と激怒した。普通ならここであきらめるところだが、すでにデビューして3年、陣営は切羽詰まっていた。「一応は一言伝えはした」と、残るは作詞を大御所の西條八十に依頼へ・・。
で、つぎのスライドは・・全くの空白。「え?!」とカール。「どう、次を見たいか」「うん」「よし」
どうやらつかみはOKだ。今回のスライドで村田英雄と同じくらいの比重を置いたのが西條八十の詩才だ。「王将」を名曲たらしめた根源は一番から三番までの一言一句無駄なく表しきった彼の作詞の素晴らしさにある。日本初の曲がついた童謡「かなりや(♪唄を忘れたかなりやは〜)」さらに戦前戦後の歌謡曲で大ヒットをいくつも飛ばしていることなどもスライドにまとめた。


0 件のコメント:
コメントを投稿