今日は外来&救急担当日であったが、特に日記ネタはなかった。まあそんな日もある。ネタといえば、最近はネコがらみが多い。8月だけで9日も登場している。ちょっとネタがないなって時にネコは取り上げやすいんだ。従妹のヒトミンチョなんか完全にネコブログで毎日よくネコだけで書けるなというくらいそれは徹底されている(→にゃんこ☆最大幸福数)。まあ話のマクラとしての今日のゲンちゃん&ハナビの様子は↓だ。
引き出し台は最近のハナビのお気に入りで邪魔されにくいし、上から見下ろせるしでキャラに合っている。ゲンちゃんが何やつって感じで見ているネ。その後、互いに緊張は取れて、べた〜となっていた↓。いや、実は今日はYouTubeで見た詰将棋の作品を紹介しようと思う。私、将棋はいっさい指さないし、詰将棋もルールを知っているくらいでほとんどやらないのだが、YouTubeで解説してくれているサイトはたまに見たりする。パズルみたい(実際パズルといってもいい)で面白いんだよな。囲碁好きな私は碁の対局紹介はよくYouTubeで見るが、詰将棋と違って詰碁はあまり見ない。今一好きになれず、それが私が碁の棋力が上がらない理由なのかも。詰将棋はよりパズル性と一種芸術性もあってすごいなと思っている。今日は江戸時代の有名な将棋指しの伊藤看寿の作品を見てそれを話題にしようと思う。伊藤看寿は兄の名人伊藤宗看とならび幕府に献呈する詰将棋問題集100選を著したことで有名だ。米長邦雄元将棋名人は自著で「将棋のプロになるには宗看と看寿の詰将棋本「将棋無双」と「将棋図巧」200題を絶対に答えを見ずに解き切る訓練をすればよい」と勧めていたほどだ。だから新聞や雑誌に載っている7手詰め問題なんかとはレベルが違い、まず第1問からして69手詰めなのである。これを米長邦雄少年(中学1年だった)は毎日毎日6時間ほども考え続け1週間でどうにか解き切ったという。かように「脳が汗をかく」ほどの訓練がプロの将棋指しには必要なのだと。
伊藤看寿は名人になれるはずであったが40代で夭折し後に贈名人となった。しかし彼の作った詰将棋作品集「将棋図巧(1755年)」はすごい。名作だらけなのだが、100題のうち最後の3題は特に有名でかつ奇跡的な作品として知られている。何がどうすごいか言葉に出来るほどなのだ。3題ともすごすぎて、それらと同じような作品が作られるまで実に200年近くを要したほどである。神品と評される3作品を披露してみよう。
その一つ目、98番は「裸玉(はだかぎょく)」と言われている(31手詰め)。相手(詰まされる側)の駒がたった玉1枚しかないのだ。詰み手側は「飛車、金2枚、銀」の4枚が駒台にある↓。ビジュアルがすごい。
こんな問題ってある?いや看寿が献呈するまでなかった。そして驚くべきはこれと同様の「裸玉」の2番目の作品は1942年(昭和17年)まで待たねばならなかったのだ。二つ目。99番は「煙詰(けむりづめ)」だ。煙詰ってどういう意味?これは最初は盤上に自陣玉を除くすべての駒39枚が配置されているが、どんどん詰ましに行くと盤上から駒が取って取られて行き、最後は相手玉と摘み手側の2枚しか残らず、王手なので相手玉がその駒を取ると自分の駒1枚が残るだけ、まるで煙のように駒が消えていくという詰め物なんだ。↓が出題時点。
そして詰め上がり図が↓のようになる。王手されている玉は馬を取るしかないが、と金に取られてしまい盤上にはと金1枚のみ残るという117手詰め・・すごすぎる。この煙詰にいろいろな詰将棋作者らが挑戦したが簡単にはできず、2作目は1954年(昭和29年)で199年後であった。そして「将棋図巧」の最後を飾る100番が「寿」という作品だ。上が出題図で、下が詰め上がり図だ。
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