2025年9月3日水曜日

伊藤看寿、神品の3局

今日は外来&救急担当日であったが、特に日記ネタはなかった。まあそんな日もある。ネタといえば、最近はネコがらみが多い。8月だけで9日も登場している。ちょっとネタがないなって時にネコは取り上げやすいんだ。従妹のヒトミンチョなんか完全にネコブログで毎日よくネコだけで書けるなというくらいそれは徹底されている(→にゃんこ☆最大幸福数)。まあ話のマクラとしての今日のゲンちゃん&ハナビの様子は↓だ。

引き出し台は最近のハナビのお気に入りで邪魔されにくいし、上から見下ろせるしでキャラに合っている。ゲンちゃんが何やつって感じで見ているネ。その後、互いに緊張は取れて、べた〜となっていた↓。
いや、実は今日はYouTubeで見た詰将棋の作品を紹介しようと思う。私、将棋はいっさい指さないし、詰将棋もルールを知っているくらいでほとんどやらないのだが、YouTubeで解説してくれているサイトはたまに見たりする。パズルみたい(実際パズルといってもいい)で面白いんだよな。囲碁好きな私は碁の対局紹介はよくYouTubeで見るが、詰将棋と違って詰碁はあまり見ない。今一好きになれず、それが私が碁の棋力が上がらない理由なのかも。

詰将棋はよりパズル性と一種芸術性もあってすごいなと思っている。今日は江戸時代の有名な将棋指しの伊藤看寿の作品を見てそれを話題にしようと思う。伊藤看寿は兄の名人伊藤宗看とならび幕府に献呈する詰将棋問題集100選を著したことで有名だ。米長邦雄元将棋名人は自著で「将棋のプロになるには宗看と看寿の詰将棋本「将棋無双」と「将棋図巧」200題を絶対に答えを見ずに解き切る訓練をすればよい」と勧めていたほどだ。だから新聞や雑誌に載っている7手詰め問題なんかとはレベルが違い、まず第1問からして69手詰めなのである。これを米長邦雄少年(中学1年だった)は毎日毎日6時間ほども考え続け1週間でどうにか解き切ったという。かように「脳が汗をかく」ほどの訓練がプロの将棋指しには必要なのだと。

伊藤看寿は名人になれるはずであったが40代で夭折し後に贈名人となった。しかし彼の作った詰将棋作品集「将棋図巧(1755年)」はすごい。名作だらけなのだが、100題のうち最後の3題は特に有名でかつ奇跡的な作品として知られている。何がどうすごいか言葉に出来るほどなのだ。3題ともすごすぎて、それらと同じような作品が作られるまで実に200年近くを要したほどである。神品と評される3作品を披露してみよう。

その一つ目、98番は「裸玉(はだかぎょく)」と言われている(31手詰め)。相手(詰まされる側)の駒がたった玉1枚しかないのだ。詰み手側は「飛車、金2枚、銀」の4枚が駒台にある↓。ビジュアルがすごい。

こんな問題ってある?いや看寿が献呈するまでなかった。そして驚くべきはこれと同様の「裸玉」の2番目の作品は1942年(昭和17年)まで待たねばならなかったのだ。

二つ目。99番は「煙詰(けむりづめ)」だ。煙詰ってどういう意味?これは最初は盤上に自陣玉を除くすべての駒39枚が配置されているが、どんどん詰ましに行くと盤上から駒が取って取られて行き、最後は相手玉と摘み手側の2枚しか残らず、王手なので相手玉がその駒を取ると自分の駒1枚が残るだけ、まるで煙のように駒が消えていくという詰め物なんだ。↓が出題時点。

そして詰め上がり図が↓のようになる。王手されている玉は馬を取るしかないが、と金に取られてしまい盤上にはと金1枚のみ残るという117手詰め・・すごすぎる。
この煙詰にいろいろな詰将棋作者らが挑戦したが簡単にはできず、2作目は1954年(昭和29年)で199年後であった。

そして「将棋図巧」の最後を飾る100番が「寿」という作品だ。上が出題図で、下が詰め上がり図だ。

これは何がすごいのか。実は詰ますまでに何と611手(!)もかかるのだ。なんじゃそら。詰将棋作家としても著名な會場健大さんによると、詰将棋というのは何手まで長くすることができるのか、というのも重要な問題意識のひとつだったそうで、それ以前の長手数記録は「将棋無双」75番の225手だった。それを一気に倍以上更新したのがこの「寿」で、持駒変換という新奇な構想を取り入れたことで手数が飛躍的に伸びたのだという。私にはその意味はよく分からないけれど600手を越えて王手し続けてようやく詰みに至るように作っていくというのはどんな頭脳をしているんだ?「寿」の長手数が更新されたのはちょうど200年後の1955年。時代が看寿に追いつくまでに2世紀もの時間を要したのだった。すごすぎないか。

そして先の米長邦雄の発言「宗看の『将棋無双』と看寿の『将棋図巧』を自力で解き切る訓練をすればプロ棋士になれる」を受けて、羽生善治少年は途中中断をはさみながら6、7年で解き切ったという。さらにすごいのが現代の藤井聡太だ。なんと小学4年で解き切ったという。彼は将棋を指すだけではなく、詰将棋もものすごい才能で、9歳の時に詰将棋専門誌「将棋世界」の「詰将棋サロン」という欄に作品を投稿した。9歳の子どもが専門誌に詰将棋作品を投稿してくること自体が異例だったが、その作品は採用されて掲載されただけでなく、年間優秀作品として元名人谷川浩司の名を冠した「谷川賞」を受賞している。さらに2015年小学6年の時に「詰将棋解答選手権」に参加し優勝してしまう。これは何がすごいって参加者はアマチュアではなくプロ棋士も含めての優勝なんだ。それからアマチュアの身で3年連続優勝も果たすのである。そして彼は14歳2ヶ月で史上最年少でプロになる。もう天才過ぎてなんて言っていいやら・・。

天才の系譜は時代を超えて受け継がれている。今回は、コンピューターも将棋ソフトもない江戸時代に天才伊藤看寿が新奇性、創造性の極み発揮して神品とも言える詰将棋作品を作り出したことに感銘を受け、この日記にも残して置きたかったのである。

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