今日は8月27日だがこの日記を書いているの2日後の8月29日である。
読売新聞がその水曜日8月27日の朝刊で、日本維新の会の池下卓衆議院議員について、公設秘書給与不正受給の疑いで東京地検特捜部の強制捜査が近日中に行われる旨を報じた。朝刊右上、すなわち新聞紙的にはもっともニュースバリューが高い記事を置く位置に、大きく「公設秘書給与 不正受給か 維新衆院議員 東京地検捜査」という記事の書き出しが池下議員で始まり、同議員の顔写真も添えられていた。新聞の一面で他社は報じずスクープとも言える報道だった。ところがこれが、近年まれに見る大誤報だったのだ。実は、強制捜査の対象となったのは日本維新の会の石井章参議院議員だった。同日強制捜査が入り、実は報じたと読売も人間違いだったと気づき、オンラインの記事を27日午前に削除し、その日の午後には池下議員の事務所を訪れ、誤報を謝罪したという。池下議員は読売側に抗議文を手渡したとのことだ。
いやはや、天下の読売がこんな誤報を犯すとは。これに関して元テレビ東京社員の下矢一良(しもやいちろう)氏が自身のYouTubeチャンネルで取り上げ、「ネタ元からイニシャルなどで情報を知り、維新のI氏で元地方議員といったことからイニシャルと経歴が似ていた池下議員が公設秘書給与不正をしていたと思い込んでしまったのではないか」と推測していた。実際は石井章議員が不正疑惑の対象だったのだが池下卓議員とも名前が似ている。しかし取材もし、幾人かのデスクの監視もすり抜けて誤報してしまったというのは読売の罪は重いかな。
下矢氏はまた「似たようなケースで産経新聞もやらかした」と一例を挙げていた。2000年の日本でのサミット候補地を某関係者から「O」と聞いた産経の記者は「大阪やっ」と捜査四課ばりに確信し「大阪にサミット決定」と一報をぶったそーな。当時沖縄も最後発で立候補してはいたが、誰も選ばれるとは思われていなかったというのもあったらしい。この時にイニシャルで速断したのが誤報につながったということだ。今回の場合もそうだが他社よりもいち早く報道をというスクープ優先の態度が背景にあったということだな。
だとしたら、私がふと似たようなケースで思い出したのが、往年のアメリカ映画の名監督フランク・キャプラのエピソードだ。イタリア移民で映画界に入り監督として頭角を現し、1933年の映画「一日だけの淑女」でアカデミー作品賞と監督賞にノミネートされ、発表当日、フランク・キャプラはタキシードを新調し授賞式に臨んだ。きっと自分が受賞すると思っていた彼はプレゼンターの「フランク!」という声に「やったー!」とばかりに立ち上がった。しかしこれはプレゼンターの俳優ウィル・ロジャーズのちょっとしたいたずらというかどっきりのようなものだったのだ。実際に受賞したのは同じフランクでも「カヴァルケード」のフランク・ロイドの方だった。スポットライトを浴びるロイドを見て赤っ恥をキャプラはかいてしまった。この経緯は中公新書の川本三郎著「アカデミー賞」に詳しく記されている。引用しよう。
「受賞者の名前の入った封筒を開いたあとウィル・ロジャーズはこう言った。『ああ彼か、彼か。皆さんご存じですか。私はこの若者のことをずっと見つめてきました。彼が底辺から這い上がってくるのを見ました。そう、まさに底辺です。このナイスガイにぴったりの賞です』キャプラはこれを聞いただけど自分のことだと信じた。イタリア移民の子として底辺から這い上がってきたからだ。しかも、ウィル・ロジャーズはこう続けたのだ。『さあ、ここへ来て賞を受け取ってくれ、フランク!』キャプラは長い間夢に見たアカデミー賞がついに自分のものになったことを知った。興奮して立ち上がり舞台に向かって歩きはじめた。よろけて近くの席にいたノーマ・シアラーやロバート・テーラーにぶつかった。スポットライトが受賞者を探して会場のあちこちをさまよった。キャプラはライトマンに向かって『ここだ』と叫んだ。しかしスポットライトは別の人物をとらえた。・・・中略・・・屈辱的な瞬間だった。キャプラはうなだれて席に戻っていった。キャプラはのち1971年の自伝でこの時の歩みを『もっとも長い、もっとも悲しい、もっとも胸張りさける歩み』だったと書いている。そのとき彼は『もし今後、アカデミー賞を与えられることがあっても決して授賞式には出席しないだろう』と思ったともいう。」
イニシャルとは違うが名前が同じではやる気持ちを見越していたずらしたウィル・ロジャーズは当時最高ギャラを取る有名俳優だったがちとたちが悪かったな。ちなみにだがこの「カヴァルケード」という作品、アカデミー作品賞を全て見たという映画オタクによると「記録映画のようで今みると本当に全然面白くなくて逆にすごい」という評です(笑)。↓フランク・キャプラ。
キャプラはしかしあきらめなかった。翌年クラーク・ゲーブル主演の「或る夜の出来事」で大ヒットとアカデミー賞の両方を手に入れる。そしてこの作品は主要5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞)全てを総なめにした初の映画となった。ゲーブルはこの映画でスターになった。そこからキャプラは都合3回も監督賞を受賞し大監督として名を残している。受賞作ではないがジェームズ・スチュワート主演の「スミス都へ行く(同年に「風と共に去りぬ」があり受賞出来なかった)」「素晴らしきかな人生」は名作だし、実際今見ても楽しめるのがすごい。
もしかして「不正受給疑い議員は日本維新の地方議員出身でイニシャルはIだ」などと漏らされたのは、読売記者の感違いを見越した悪意ある捜査関係者の極秘情報だったのかも。読売はなぜに勘違いをしたのか後日きっちりと報道してほしいものだ。今回は読売の大失態なのは間違いないが、もし悪意ある情報漏らしだとしたらそっちには罪はないとしてもなんらかの天罰が下るかもしれない。実は「フランクー間(ま)」のいたずらをしたウィル・ロジャーズはキャプラがアカデミー賞を初受賞した年の1935年8月15日に飛行機事故で亡くなってしまったのだ。トラウマを起こすほどのいたずらってーーーー良くないネ。