2025年2月28日金曜日

プードルは撮れなくても

今日の午後は年休を取ってカールと鹿児島空港から千葉のセージ宅へ向かった。ココちゃんのひな祭りの節句祝いをするためだ。鹿児島空港の駐車場は最近満車になることが多く、駐車場探しに一苦労することがあるので少し早めに家を出た。鹿児島空港周辺の駐車場空き不足は県内各地と結ぶ連絡バスの減便で車を使う人が増えたかららしい。枕崎や鹿屋いった地域と空港を結ぶ路線は便数が半減したままで、南国交通と共同運行している鹿児島市方面の便数も8割程度にとどまっており、運転手不足のあおりがこんなところに影響しているのだ。いつもは送迎付き駐車場も利用するが今回は送迎なしのコイン駐車場を利用した。値段もやや安い上に空港からも遠くないし帰りなど送迎待ちしているより早く帰れることも多い。

17時半には羽田に着き、京浜急行で品川を目指した。終末の通勤列車でもありほぼ満員であったが運よく座席には座れた。しかしカールとは席は離ればなれのままだった。周囲を見ると、私と居眠りしている男性以外、みーんなスマホを見たりいじったりしていた。私の隣の高齢男性もチラッと見たら、乗り換え案内の画面をいじっていた。いや、世はまさにスマホ時代と言ってもいいね。

ふと、対面の茶髪のオバさんを見たら、なんと膝に乗せた袋の中にトイプードルが入っていてその頭と顔だけちょこんと覗かせていた。電車の中でじーっと温和しくしている。可愛いー。きっと賢いんだろうね、ここでキャンキャン吠えたら迷惑だって分かっている風だった。品川で乗り換える必要があって電車を降りたが、デジカメで写真を撮りたかったよ〜。で、すぐにカールに「ほら見てみて、可愛いから」とホームから電車の中を見るよう仕向けると、カールも「あら可愛い」と。私が「写真撮りたかったがさすがに出来なかった」と言うと「隠し撮りは絶対に良くないけど、『可愛いから撮らせてー』って言えば大丈夫だったと思う」と言われたが、大勢の客もいる中でそれを言う勇気は出なかったわ。まあ、仕方なかった。

船橋駅のビル中のファミレスの「不二家」で夕食を摂ってからセージに連絡し車で迎えに来てもらった。家に着くとさっそくココちゃんがお出迎えだ。あー、可愛いねぇ。

ほんと赤ちゃんの笑顔って最高だ。まだつかまり立ちしかできないがハイハイでは活発に動き回る。ふむ、プードルも可愛いが人間の赤ちゃんには敵わない。さっきとは打って変わって写真を撮りまくる私であった。

2025年2月27日木曜日

理事長講演&食事会

可愛いんだ理事長が夕方製薬会社のMR向けにリモートでの講演会を行った。青雲会病院から外来の30症例以上集め、診察と画像や検査データを交えてどのように治療したかを解説、説明していくやり方で、以前医局会で行ったものに症例を増やし、個人情報にも留意して1時間ほどしゃべり続けた。最後は「もう口が疲れたぞ」とのボヤキも出るほどだったが、モニター越しにMRらからいくつか質問も出るなど、なかなか有意義な会だった。

で、終わってすぐに「『鎮座のまんま』で食事をするから」来るようにと言われ、ちょこっと病棟指示を出してからすぐ隣の和食店での夕食会に参加した。この会を担当したMRとそこの所長さん、カワゼンDrと5人で食事をし、今回の会のことや薬品の効能や医療界のことなどいろいろと話題が出た。その中で昨今の製薬会社情報で「うちの製薬会社は日本では中堅クラスですが、今や大手の会社はMRをかなり減らす方向で動いています」と教えてくれた。最大手の某製薬会社など鹿児島県にたった3人しかいなくなってしまったそうだ。これには驚いた。そういえばそこは最近病院に来ていないわ〜。リモートで代用したりするようになったということもあるが、MRの人海戦術で薬情報をDrにアピールしまくるというのがもう古い時代のやり方になっているようで、それとコスト削減の意味もあるらしい。ふむ、なるほど・・。

ただ、そう言われても私は、きめ細かな薬の情報をMRから直接聞いて「なるほど」とか「そうかいう場面で処方すればいいのか」とヒントをもらえることが多い。たまには私の趣味や嗜好であるボウリング、麻雀、囲碁などでたわいもない会話をすることもあり、メールやリモートTVだけではなかなかそこの会社の製品になじみが出ないんだよなぁ。今回は可愛いんだ理事長が、車の一時停止違反で反則金を払ったばかりでなく、後日認知検査も含めた運転テストも受けさせられた話題を出すと、「私も一時停止違反で捕まって」と某MRとカワゼンDrがばらし、私も「年末に信号無視で・・」とほぼ全員が違反切符を切られていることが分かった。みんなで苦笑いし「なんでそんなに危なくないような一時停止なんかで隠れて捕まえようとするのか」などとK察の横暴(?)に不満をぶつけ合ったりした。共感。

2時間ほどで会は終わり、私は「じゃー失礼します〜」と挨拶だけし、そそくさと車で帰るふりをして、実際は病院に舞い戻った。月末のレセプト業務が残っていて、明日は午後は年休を取る予定で、いつも月末にはちゃんと済ますように心がけているため、どうしても今夜やり終えておきたかったんだ。すでに明日で2月が終わってしまうんだよ。たった3日とはいえいつもの月より全く余裕がない。まあ、美味しい和食が食べられたから居残り業務もよしとしましょうか。

2025年2月26日水曜日

孫自慢

医師会の救急医療対策委員会の会議が終わった後、サブアラドDrと「みよし家ラーメン」に寄った。このパターン、もう恒例になりつつある。帰りの道にあるし料金も手頃なんだ。彼はチャーハン&ギョーザ、私はラーメンとチャーハンの半々を頼んだ。

サブアラドDrは去年4月に生まれた孫娘を可愛がっていてスマホ画像で「ほら」と見せてくれた。ほう、うちのココちゃんより1ヶ月ほど早く生まれただけなのにずいぶんおねえさんに見える。「髪の毛が多いんよ」とサブアラドDr。確かにー。立ち上がるがまだ歩けないとのことだ。
ココちゃんも最近ようやくつかまり立ちが出来るようになった。毎日のように「家族アルバム 見てね」にアップされているので成長ぶりが自然と知れる。
髪の毛の量はさすがにサブアラド孫娘にはかなわないが、ココちゃんもずいぶんと可愛くなってきているねぇ。そう言って二人の孫自慢がしばらく続くのだった・・やれやれ。

2025年2月25日火曜日

カールの幼なじみの息子は実はJUONだった

 カールがこてる家のLINEに「今夜の踊るさんま御殿を見てー」と連絡があった。何でも子どもの時からの幼なじみの息子がその番組に出るということだった。

へー、この若者はいったい誰?カールに言わせるとミュージシャンということだ。「ほう、さんまの番組に出るということは結構有名なんやろな」と私が感想を言うと、カールは「私もよく知らないけど友人が可愛がっていて今度番組に出るとのことで20時から見ようかなと思って」という。番組が近づくと、こてる家LINEでも息子らが反応し、セージが「だれW」テルが「誰だW」とハテナ印だった。そんなに有名な歌手ではないのかしらん?

で、番組が始まってこの男性ミュージシャンは「JUON」という名前であることが分かった。それが分かれば今の時代ネットですぐに検索し詳細が判明される。FUZZY CONTROL(ファジィ・コントロール)というロックグループのボーカルとギターを担当しているとか。今度はチッチが「奥さん吉田美和なの?すご」「(そういえば)この人、前にモニタリングにも出ていた」、セージも「良だ美和の旦那?マジで?」と徐々に正体が分かっていき、私がさらにWikipediaで調べたところ、なんとあの「私は泣いています(1974年)」の歌で有名なりりぃの息子だとあった。なに?!ということはカールがいうところの幼なじみの子どもではないじゃない。いったいどういうことだ?「じゃぁ誰なのよ」とチッチの投稿があってしばらく、カールもその幼なじみに確かめたようだ。

「息子だけど、旦那さんの前の奥さんが、りりぃだって」「私も、初めて知った!小さいときから、幼なじみの彼女と居たから、その息子だと思っていた。私が子育てで忙しく、沖縄に行ってなかったから(詳しい事情を聞かされていなかったとのこと)。旦那さんの連れ子だったんだって!」カールはずっと幼なじみの実子だと勝手に思い込んでいて、ついさっきそうじゃないって知ったのだった。

番組では北海道生まれの吉田美和と沖縄育ちのJUONとの間で方言も出てきてそのやり取りでは「20%くらいは相手の言葉を理解していないと思います」とか、「二人で歌うとかするの」とサンマが尋ねると一人が「ヘイージュード」と歌えばもう一人が「ドンメィキィバッドー」と答えて二人でハモって最後は「ナーナーナーナナナナー!」と盛り上がるんだと身振り手振りで応えると、さんまが「ええなー結婚してぇ〜」と大受けでみんなも爆笑していた。
このJUONというミュージシャン、さんま御殿には初登場だそうで、これまであまりTVにも出て来なかったが、今回の登場ぶりからは他のバラエティ番組に出てきそうだ。カールも友人の子どもが活躍してくれれば嬉しいだろう。と、チッチが昨年秋11月28日のTBSのモニタリングにこのJUON君が出ていたと覚えていたのは、なんとその番組にチッチ自身がチラッと映っていたからだという。なにそれ?番組で素人がカラオケの点数を競うコーナーがあるが、函館で偶然そのロケを見かけて映っていたと。だからその番組に出ていたJUONを覚えていたそうだ。その画像もこてる家LINEに投稿してきた。↓。ああ、確かにチッチの横顔だ。でも本人でなければ絶対に気づかないくらいの映像だわ〜。
でもJUON君のおかげでこてる家LINEに全員参戦し、家族団らんの場が出来た。ありがとうねっ!

2025年2月24日月曜日

当直終えて

今日は月曜だが休日だ。実は昨日夕方から今朝まで病院当直だった。深夜に気管挿管&人工呼吸管理をしたり、明け方来た救急の腹痛&血便患者には明日の大腸内視鏡を予約させて帰宅させたりした。虚血性大腸炎の典型的なパターンだと思ったからだ。まあ予想どおり、午前8時半の時間通りには帰ることは出来ず、10時過ぎに病院を出て帰宅した。

このところ休日に外食をしていない。今日のお昼はカールの手作りで山梨名物の「ほうとう」だった。寒い日には野菜も肉も麺も入った「ほうとう」は美味しくいただけるねぇ。この麺は去年の忘年会で余興の「ジェスチャー」で私が獲得した賞品の一つだ。
そのカールは朝から昼過ぎにかけてずっとM2 MacBook Airとにらめっこをしていた。そしてようやく「やっと終わったぁー」と安堵の声を上げた。確定申告のネットでの送信を無事終えたのだ。「今に時期はこれが終わらないと何も落ち着かないのよ。終わった直後は覚えているけど来年になるともうやり方を忘れているんだけどー」とぼやいているが表情は落ち着いている。それを横目に私はMOGUソファで寝落ちしていた。やっぱり当直明けは寝るに限る。

夜は日記書いた後、天鳳をやった。この1年六段でずっとくすぶっている。以前はすぐに七段に上がれたのになぁ。でもサブアラドやたっつんはまだ五段だ。まだまだ私の方が上だってことで余裕がある。今日は1位3回2位2回4位1回でポイントをだいぶ取り戻した。それでも六段のまだ下位の方だ。七段への坂はまだまだ遠く長いぜー。

2025年2月23日日曜日

ドラマから彼の国の実情を思う

朝、「ザ・グローリー」の最終話を見終わった。テーマは「いじめ」と「復讐」なのは明白で、脚本家のキム・ウンスクは「いじめられた人たちが加害者に何を求めているのか」と取材してみて、被害者たちはお金や相手への懲罰ではなく「暴力の犠牲になった瞬間に失われた尊厳や名誉、栄光を取り戻したいと思い、それこそが被害者にとって真の回復になりうる」と感じたそうで、それで「栄光=glory」というタイトルにしたという。ふむふむ。

しかし視聴する側からは、復讐行為で溜飲を下げられるという面白さをみるわけで、最近の韓ドラでは「いじめ」がしょっちゅう出てきて枚挙に暇がない。そして、ドラマや映画だけでなく現実にも過去のいじめが発覚し謝罪に追い込まれキャリアごと失ってしまう俳優やスポーツ選手も多い。韓国はこの日記でも以前から触れているように長く続く儒教精神のせいだと思うが、他と自分を常に比較する習慣、文化が根付いていて、どっちが上か下かがつきまとうため、それがいじめの多発につながりやすいのではないかと私なりに思う。わかりやすく言えば、儒教社会とは周りに100人いたらその100人に1位から100位まで順位を付ける社会なのだ。例えば1日でも早く生まれた方が先輩になり格上になってしまうわけ。

現実には家柄、職業、学業成績などで序列は決まるのだろうが、かつての科挙の影響もあって学業成績は特に重視される傾向にある。高校生になると部活動なんてなくみんな夜の10時くらいまで学校に残って勉強をするのが普通なのだ。大学に行くのは当たり前でちなみに韓ドラ俳優女優のほとんどが大学に入学している。日本の芸能人は最近でこそ高学歴も多くなったようだがまだ高卒くらいが多いんじゃないか。韓国では芸能人であろうが大学入学はマストだ。そうしないと逆に周囲から疎んじられるので無理にでも大学に行こうとする。勉強以外の一部スポーツ選手はエリートクラスのみ専門の高校に行きプロを目指す。だから日本のように将来プロになる気はない多くの生徒がしのぎをけずって甲子園を目指すなんてことはない。日本のアニメで部活動がよく出てきて男子先輩と恋愛が芽生えるなんてストーリーも韓国では考えられないのである。

今回の「ザ・グローリー」はドラマとしてはかなり面白く、いじめを受けた人間が社会に出てどう回復を求めていくかはよく描かれていたが、根本のなぜいじめは起きるのか、起こさないようにどうすべきか、学校や家庭や社会はどうあるべきかについてはさほど問われてはいなかった。韓国の実情を韓ドラや一部のマスコミ情報でしか私は知らない。ただ、他人と自分を常に比較しまくる社会はやはり健全ではないと思うのだ。日本やアメリカでもいじめ問題はあるが、韓ドラや韓国映画でのいじめ描写はかなりひどいものが多く、それが本当なら、韓国社会のあり方まで考えていかないといけないのではと思った。

もう一つ思い出した。昨年9月25日に「胸くそ悪い記事ってこんな記事のことをいう」と日本の某ジャーナリストが「すでに日韓はあらゆる面で逆転した。それを物語るのが、グアムである」と韓国を持ち上げ日本をけなす記事を書き、私は猛反論したことがあった(→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2024/09/blog-post_25.html)。日本のジャーナリストの中には「日本はダメだ、日本は遅れている」と言いたがる傾向の人がいるのである。まあそれは置いておき、韓国が日本を凌駕しているなんて論説が間違っているかは、たとえば昨年の韓国の中央日報誌に出ていた「韓国籍を捨てて海外移住をする韓国人の多さが日本とは比較にならないほど多い」という記事を読んでも分かる。

記事では、2012年から2022年の間に韓国籍を喪失・離脱した人が26万2305人に上るという韓国法務部の統計を紹介している。毎年約2万人が韓国籍を手放している計算だ。日本で国籍を喪失・離脱した人は、2013年から2022年の10年間で計約2万人。韓国人が国籍を手放すペースは日本の約10倍だ。韓国の人口が日本の半分以下であることを考えると、社会に与える影響はより大きいと言えるだろう。

本当にその国が住みやすく経済成長も上回っているならなんでその国を脱出しようとするの?日本では戦前や戦後の貧しい時期に海外移住は盛んだった。しかし最近ではその様な理由で海外移住する人たちってあまり聞かない。韓国には自国を捨てる国民が日本の約20倍もいるという事実。そういえば「ヘル(地獄)朝鮮」という言葉もあった。いじめだけでなく生活のしづらさもあり韓国はまだまだ問題を抱えているのだ。まてよ、そういう韓国もだがまだ北朝鮮に比べればずっとずっとマシだったわ。他人と比べないほうがいいとは書いたが彼の国は・・。おっと、長くなった。今日のこてる日記はこのあたりで止めておこう。

2025年2月22日土曜日

放置ドラマ「ザ・グローリー」2年ぶりに続きを見る

今日2月22日はニャンニャンニャンから猫の日だってか。うちのネコらもゲンちゃんとハナビ、仲がいいとは言えないけれど適度な緊張感をもって過ごしている。

世間では三連休らしいが私は土曜午前の外来勤務があった。これがまた忙しかった。2人の入院指示出し中に緊急内視鏡が重なった時に、院外電話があって「コロナ陽性の人の入院依頼がありますけど」と来た時がストレスのピークだったな。結局コロナの人は断ってどうにか乗り切った。

夜は久しぶりにNetflixでの韓ドラを見た。実は2年前に全16話中8話まで見ていて放置していたソン・ヘギョ主演の「ザ・グローリー〜輝かしき復讐〜」を第9話から見始めたのだ。なんでそんな中途半端なことをしたかというと、このドラマネット配信のみで前半8話が配信された後、3ヶ月経ってから後半の8話配信だったからだ。そうとは知らず8話まで見てしばらくしたらドラマのことを忘れていて、後で思い出した時にはなかなか配信ボタンをクリックするのが億劫になっていた。だってそれだけ経てばストーリーや登場人物なんて半分くらいは忘れているでしょ。放置してしまい、その間2年で20作以上も他の韓ドラ作品を視聴していたわ。

見直すと意外にストーリーも人物もだいたい覚えていて、かつていじめられていた主人公の復讐劇が始まり、加害者たちの自業自得やクズぷっりが露わになりどんどん回が進んでいった。特に主犯格の女性パク・ヨンジン役のイム・ジヨンがこのドラマでは目立っている。私は彼女をデビュー映画「情愛中毒(2014年)」で知ってはいたが、この作品で知名度を上げその後は主役でドラマに出ていて今年始めの「オク氏夫人伝 -偽りの身分 真実の人生-」では最高の時代劇との評価でスター街道をひた走っている。このドラマ、イム・ジヨンが主人公だったと言っても過言ではないかも。特に顔芸だ。悪役が初めてとは思えないくらい際だっていた。まずは↓。セリフといい表情といい、たった1枚でこの人が悪役だってわかるよね。
さらに悪役仲間同士でけなしあう場面↓。悪い顔つきだよね〜。
基本地上波の韓ドラではヌードシーンや喫煙シーンは禁止されているがそこは配信のみということで↓のようなびっくりシーンもある。私の読んだ韓ドラ雑誌によれば相手女優は実際に脱いだが「豊胸」とのことでCG加工がなされている↓。
しばしばタバコを吸うシーンも出てきてヨンジンの悪っぷりが表現されている↓。放送中、イム・ジヨンの実の母親ですら彼女のことを「ヨンジン」って呼んでいたそうな。
さてさてソン・ヘギョと復習仲間に追いつめられ逮捕され収監されたヨンジンは牢獄でラストシーンを迎える。これは素晴らしい出来映えだった。有名脚本家のキム・ウンスクがなんでヨンジンをお天気キャスターに据えていたのか、このシーンをやりたくてではなかったかと思えるほどだ。
いや、2年間も放置していたのが申し訳なかった。夕方から見始めて一気に未明の布団の中で最終第16話を見ていたが、さすがに寝落ちしてしまったのだった。また明日〜。

2025年2月21日金曜日

「霧島市立医療センター」今と昔

夕方、国分の京セラホテルで「第18回始良地区地域連携NetWorks情報交換会」に出席した。実はこれ、加治木温泉病院が主催で前回は昨年10月3日にもあり、その時は私は別の会議の影響もあってだいぶ遅れて駆けつけての参加だったと日記にも書いた。今回は20分前には到着し席に着いた。その席もやはり中央前のテーブルだったが、今回はメインのゲストは霧島市立医師会医療センター院長の河野嘉文先生だった。加治木温泉病院のリハビリ部門の発表の後、河野院長が今月リニューアルオープンした医療センターの概要を紹介、アピールするスピーチを行った。古かった建物をほぼ全部建て直し、先進機器の導入、そして鹿児島県では初めての病室の全室個室など新病院といってもいいほどの新改築になった。

河野院長は「旧病院では猿や猪が出没していましたが・・」とスライドで院内に野生動物が出没するなどの状況であったと少々の笑いとともに説明をしていた。
そしてロボット支援手術、PETーCTやICU・CCU増設など紹介され、地域の基幹病院としての充実ぶりがよく分かった。直近の利用者アンケートもあって「さっそく少々のクレームも出てきまして・・」といくつかそれを取り上げていた。↓に列挙してみる。

・外来待合の椅子が少ない
・バス停の椅子がなくなった
・無料のお茶がなくなった
・会計待ち時間が長い
・会計の近くにトイレが必要
・A〜Fのブースではなく番号にしてほしい
・駐車場が足りない
・設備は一流、対処は二流

「無料のお茶」はそもそもがなくてもいいはずだし、「椅子が少ない、駐車場が足りない」については「実は従来なら患者1人につき付き添いは1、2人程度だったのが6、7人も付いて来ているケースがかなり多い」らしく、実は新病院の見学がてらの人が多いそうだ。会計待ち時間もクレームでは1時間と書かれてあったが実際にチェックすると約20分であったそうだし、会計の近くのトイレも確かにすぐそばにはないが10mちょっと歩けばトイレはあるそうで、「A〜Fのブース」問題については「それなら『いろはにほへと』にしましょうかねぇ」とのことだった(笑)。ま、「設備は一流、対処は二流」との指摘には「今後努力改善していきます」とのことであった。まあ、クレームだけ取り上げれば以上のようになるが実際はお褒めの言葉のかなり多いそうでなによりだ。

後でテーブルでの河野院長の話で「うちは平均在院日数は10日未満に抑えなくていけない」と聞き、大変だなと思った。医療センターは完全紹介型の病院ゆえに次から次へと患者さんを受け入れては出していかねばならないわけで、ある程度改善すればまた紹介元に帰すか介護施設へ転所させねばならない。平均在院日数が10日を超えると基準を満たせず収入が減らされる仕組みなのだ。青雲会は同じ急性期病院でも紹介状なしでもOKでかつ高齢者の入院もかなり多くとても10日未満に退院とはいかない。

実は私は今から38年前に前身の国立療養所霧島病院時代に半年間勤務したことがあった。それまでにいくつかの大きな病院に勤務したことがあったが当時の霧病は一番雰囲気が違った病院だった。病院内には「民間移転反対!」などのビラも貼られていたし、職員も看護師さんたちがみないわゆるおばさんばっかしで20歳代は病棟に1人か2人くらいしかいなかった。患者さんも長期入院が多く、3年4年はおろか10年近く「住んで」いる人もいた。看護師さんが「あの人はもう帰る家がもうないそうですよ」とこそっと教えてくれ驚いたものだ。また、私は消化器内科として内視鏡検査をせねばならなかったが、そこにあった大腸内視鏡は見たことないくらいの古い機種で(無論電子内視鏡ではなくファイバースコープ)、硬くて操作性も劣り、私は半年の間一度も回盲部まで到達出来なかったのだ(今ではあり得ない)。

そして今から25年ほど前の2000年7月にとうとう「霧病」は閉鎖となり、隼人町立で運営は姶良郡医師会が行う病院(当時は隼人町立医師会医療センター)として再出発となった。偶然ではあるが、私は青雲会病院に就職したばかりではあったものの、立ち上げの最初の9ヶ月を週1日水曜日に内視鏡検査担当になった。内視鏡医が不足気味で大学第二内科に依頼があって当時の内視鏡室のボスの松ピカ先生に「最後のご奉公」として頼まれたのだった。毎週、胃カメラ7、8名、大腸内視鏡4、5名をやっていたな。今度は回盲部までは100%入ったヨ。雰囲気も国立病院時代とは結構変わって来ていて、河野院長によると「国立時代は人件費率が80%(!)もあったのが、医師会への移管時は40%にまで落とせた」そうだ。もっとも20年以上経ち、さすがに今はそんなに低い人件費率ではないそうだが、80%というのは単独では経営維持出来る数値ではない。病院の人件費率は50%台が妥当で60%を越えると経営が厳しくなると言われている。80%とは普通はとっくに倒産レベルで、国からの補助が合ってこそ成り立っていたのだろうが、さすがに国も面倒見切れなくなったってことだ。

ちなみに昨今の建設費人件費高騰の煽りで当初移転予算は100億円くらいの予定が150億から160億近くまで膨れ上がったそうだ。河野院長曰く「どうにか予算を出してもらえた」そうで、他県のケースでは病院移転や新築が白紙撤回や中止になったなどのニュースもあり、今後の病院経営の厳しさを加治木温泉病院(玉昌会)の高田理事長も語っており身が引き締まる思いだった・・。

2025年2月20日木曜日

そんなことまで覚えているんですか

3月4月は年度末年度始めということでドクターの移動も多い。そこで次年度くらいから青雲会病院での勤務を希望するドクターの面接も最近数例あった。病院とドクターの相性や要望などを聞いて互いにマッチングすれば就職となる。

本日の面接の相手は外科でそこそこの経歴を持っていて現役で某中核病院の部長を務めているドクターだった。年齢も私とほぼ同じ、ていうか鹿大入学年がいっしょで同級生でもあった。ただ、途中で学年が違ってしまい、卒業後はたまに挨拶することはあっても会話はほとんどしたことがなかった。

面談は順調に進み、可愛いんだ理事長も受け入れに問題はない様子で5月くらいから青雲会の一員として勤務ということになりそうだった。それはいいとして雑談に近い時間帯で、私は「そういえば、先生は大学入学時の自己紹介文に出身校と一浪した時の予備校で面白いことを書いていましたね」と切り出した。それはYMCA(Young Men's Christian Association:キリスト教青年会)の予備校に通っていたとあり、その時はまだ西城秀樹の「ヤングマン」が出る直前でYMCAとはなんぞやと私は思っていた頃だ。そのYMCAを彼はわざと「You must come again」と略していたのが可笑しかった。YMCA界隈ではよく使われる言い替えらしいが、浪人生にとっては受験に失敗して「あなたはまたここに来るべきだ」との意味になる。それを言うと、彼も記憶にあったようで「ようまたそんな昔のことを・・」と驚いていた。

さらに、彼が面談終わって理事長室を出ようとした時に、これは私もふと思い出したのだが、なにかの医療系の冊子で彼が面白い文章を書いていたのを確認してみた。それはある医療行為を「NHKのプロジェクトXのナレーション田口トモロヲが語っているつもりで読んで下さい」と綴っていたのだ。「へえ、面白いことを書くなぁ」と印象に強く残っていて「あれは医師会の雑誌でしたっけ?」と尋ねると「いやー、確かに書きましたけど、ようそんなものまで・・」と驚いて「あれは同門会の年報誌に書いたものです」と答えてくれた。それには私もちょっと驚いた。外科の同門誌まで私は読んでいたのか・・。たぶん20年ほど前の医局にその同門誌があったのだろう。その手の冊子があれば私は興味を持って読む方だ。ついこの前も某内科の同門誌を読んだばかりでなかなかに興味深かった。私の鹿児島大旧第二内科の同門誌より読み応えがあったくらい。

ともかくも私が昔読んだものを異常によく覚えている偏執的なヤツ(あなたが病院長?)と認識してくれたのは間違いないナ。ふふ。

2025年2月19日水曜日

お茶生産 鹿児島が日本一に

南日本新聞の朝刊一面は「鹿児島県産荒茶 初の首位」というものだった。「2024年が2.7万トンで静岡を抜く」すごーいというものだった。

昔から鹿児島は静岡に次いで茶葉の生産は全国2位というのは知っていた。私の出身が頴娃、知覧ゆえに実家に帰る時は茶畑を見ながらなので鹿児島はお茶王国でもあるとは子どもの頃から実感はしていた。しかし、以前のニュースで生産は増えてもお茶全般のノウハウや施設はまだ静岡には敵わないとも指摘があった。

で、この見出しの横に生産量グラフが出ていた。↓をよーく見てみよう。

あれれ?!鹿児島の摘栽面積、荒茶生産量ともにこの20年はさほど変化がないじゃない。それに比べ静岡は摘栽面積が毎年減り続け、それに伴って生産量も減量して来ている。20年前は倍以上の生産量だったのが40%以上減少しているのだ。これって鹿児島が増えたというより静岡の衰退が原因と分かる。もともと鹿児島は平坦な土地に茶畑があるのに対し、静岡は丘陵地帯にあって作業効率が悪い。そもそも日本人は急須にお茶を入れて飲む習慣がぐっと減ってきているところに農家の高齢化で鹿児島に比べ機械化が進まずお茶生産から離れる人が増えているのだろう。紙面の下の「解説」でも同様の指摘だった。確か以前の南日本新聞には「静岡のお茶関係者が鹿児島の平坦で大規模茶畑を見ると皆驚く」との記事もあった。
夕方のローカルニュースでもこれは大きく取り上げられていた。喜ぶ鹿児島県関係者の中には「日本一の山は富士山と誰も知っているが二位の山は誰も知らない。だから今後も鹿児島のお茶が日本一であるよう努力する」と語る茶農家の人もいた。うん、日本第二の山は「北岳(3193m)」と私は知っているが、多くの日本人は富士山の一位に比べ10人に1人も知らないだろう。そして静岡のローカルニュースもネットで見てみた(↓2枚参照)。やはり一位陥落には悔しがっていたなー。そして解説も静岡と鹿児島の茶畑の形状の差が大型化、効率化の差を生み、それが茶葉生産の総量への影響を及ぼしていると明快であった。
これを見れば今後も静岡の凋落は避けられない。鹿児島が油断しない限り少なくとも生産量では一位を継続出来るとみた。後はブランド力だろうね。まだお茶日本一の伝統力が静岡にはある。鹿児島のお茶関係者は今回の結果に奢ることなく今後も努力を続けていかねば、ネッ。

2025年2月18日火曜日

ちょっと目を離した隙に

 うひひ、毎回消化器内視鏡の話題を続けているが、昨日の下血患者は大腸憩室出血でちゃんと出血源を見つけたのよ〜。

ほぼ出血は止まっていて出血源は見つけにくい状況にも関わらず、丁寧な観察で横行結腸にあった憩室が犯人と突き止めた。最初見つけた時はまさに露出血管って形状で正直嬉しかった。見つければこっちのもんだから・・。

上の写真を見ればまあ素人でも穴ぼこの中に小さな露出血管があってこれが出血源と分かるかと思う。で、この後、手順通りにクリップを掛けて、スコープをいったん抜き、結紮ゴムデバイスを取り付ければ終わる。10分もかからないはずだった。だがクリップを掛けようとしてちょっと目を離した後、私はその出血源憩室を見失なってしまったのだ。「あれ、さっきこの付近にあったはずなのに・・」と探すも見つからない。回盲部に戻ってスコープを引き見直すもなくて、ついには直腸にまで来てしまった。はあ?

スコープを置いてパソコンの内視鏡写真をもう一度見直したりした。上行結腸から横行結腸に絶対あるはずと思ってさらに二度三度見直したかな。ようやく見つけ直した時、上の写真とは全然違う形状に見えた。ていうか、正面視出来ていたのが言わば横顔しか見られなくなっていたのだ。今度は見失わないようにすぐ近くに目印クリップを掛けておいた。↓の黄色矢印がさっきの憩室だったのだ。憩室の存在すら分かりづらくなっているではないか。送気やスコープのねじれなどで簡単に見た目が変わってしまうんだ。ここまで来るのに30分も経過していた。

憩室に直接クリップを掛け、その後ゴムバンド結紮法(EBL)を実施した↓。
大腸憩室出血の専門家を自認する私でもこの疾患は全く油断ならないと改めて思うことだった。

2025年2月17日月曜日

下血で腹痛あるなし、どっちが重症か

週明けはやはり忙しい。金曜日終業間際に来た下血患者(急性直腸潰瘍出血)の処置が上手くいっていなくて再度大腸内視鏡を行い、今度はしっかりと止血余地が出来た。さらに大腸内視鏡で言えば、前立腺癌の放射線治療(陽子線治療も含む)で下血が出るようになったという初老男性の大腸を見たら案の定、直腸に新生血管が出来ていてこれをアルゴンプラズマ止血で処置した。鹿児島は指宿に陽子線治療の専門施設があるからか、去年も4、5人は同様の治療を行っていて毎年一定数の合併症治療が生じている。↓テクニック的にはそれほど難しくはないが多少の根気がいる治療法だ。

明日も他Drから下血症状の中年男性の大腸内視鏡が入っていた。以前大腸憩室を指摘されているというから先週に続いての大腸憩室出血か?そちらはテクニックがどうのというより出血源憩室をいかに見つけられるかが勝負だ。よいタイミングで検査をすることが大事で本来なら出血のあった今日実施がよかったが件数枠がもうなかった。ま、明日は明日の風が吹くってか。

だが下血で多いのは虚血性大腸炎や痔出血などだがこれらは内視鏡治療せずに済むことが多い。治療が必要な下血は腹痛を伴わないことが多く、今日話題にした下血治療疾患3種はいずれも腹痛はほとんどない。これは一番の重大疾患といえる大腸癌もいっしょだ。痛みがない出血の方が放置すると重症になりやすいってなんだか哲学的でもありますな。

2025年2月16日日曜日

瓶詰めを開けたゾー

朝、ふと気が向いてモモの瓶詰めの蓋開けにまた挑戦した。実はこれ、カールの山梨の友人コマミさんから送られて来たのはよかったが、二瓶あったうちの一瓶の蓋が固くて2週間前から毎日ようにチャレンジするも開かず、ここ4、5日は放っておいたのだった。ちょうどTVで果物の瓶詰めのシーンが出てきたのでふと思い出した。なんだか今日は出来る気がするぅ〜。

そんな予感が当たってか、あんなに固かった蓋が少し動き、とうとう開けることに成功した。カールに「開かないんだけど・・」と言われれば、そこは男子。これまで男子らしく頑張って開けてみせてきた。しかし今回のモモの瓶詰めは難敵だった。当然ゴム手袋を嵌めて力を込めて開けようとしたのだがびくともしなかった。カールが「すこし温めるといいかも」とやってくれたがそれもダメだった。ネットで様々な方法が伝授されていて、それらも試し毎日チャレンジするもダメ、こんなに固い蓋は初めてっていうくらいだったのだ。

コマミさんの家はかつて果樹園を営んでいたが、跡継ぎがおらず叔父にゆずったそうだ。それでも夏にはモモの実を毎年送ってくれている。ただ昨年はカメムシにやられて果実ではなくカットして瓶詰めで送ってくれていた。1本目は開けられ既に食べたが2本目が開かずこの冬にまで保存されたままだったのだ。

瓶の入口を見れば若干糖分の残りのようなものがくっついている。はあ、これが開かなかった原因だったか。もしかしてちょっと最近は暖かくなってきていたからか?先週先々週は寒かったしー。

で、念願のモモの缶詰を食べたのかというとさにあらず、また蓋を閉めて保存に回ったのだった。うちにはまだこの前もらったサワーポメロがたくさんあり、そっちが優先なんだ。

このポメロも実家の庭の木産で何本があるうちで一番出来のいい木から獲れたものらしく確かに美味しい。食後のつまみに食べているがまだまだ食べ終わりそうにない。モモはそうだね、3月ごろがいいかも。桃の節句もあることだしねー。

2025年2月15日土曜日

医師はなぜに患者を説得するのか

土曜日で休みだったけれど少しだけ病院に行くことにした。胆石性胆嚢炎で入院させた患者を外科に今後診てもらおうと伝えそびれていたためだ。昨日の夕方にそれを言おうと構えていたが、外科Drは手術中だった。そのうち、下血の救急患者が来てその対応に追われ、約2時間過ぎたら18時過ぎになっていて既に外科Drは帰宅していた。

その胆石の患者さんは水曜の午後来院し、腹痛で3日以上も食事が摂れていない上に、採血結果も炎症反応が極めて高く即入院が必要と私は判断した。当然そう説明したが「どうしても仕事が・・」と入院することに抵抗しなかなかウンと言わなかった。もう70歳代後半というのに仕事熱心なのはすごいことでも、医師としては「ハイそうですか」とは引き下がれない。その人でないと代理が効かず、しかも会社がつぶれる恐れがあり、何十人、何百人という職員らが路頭に迷うくらいの極めて大事な仕事なら私も条件付きで帰宅を許したかもしれない。もし青雲会病院の仕事で私でなければ困る業務のために命をかけて仕事を継続することってあるかな?たぶんない。総理大臣ですら命が掛かっていれば代理を立てそうな気がする。私は入院を説得するのに2、30分は粘った。結局、入院に同意する妻といっしょに廊下に出して外来ベテラン看護師にその後を託した。しばらくしてようやく入院に同意してくれ、私は入院指示を出すことが出来た。

で、内科的治療を施し、ある程度は改善してきているが、根本的には外科的に手術が必要なケースだろうと昨日の午後判断し、外科に依頼するつもりだった。今度の月曜を待ってからでもよかったが、患者さんにすれば2日ほど無駄に時間を過ごすことになり、今日、外科の信号Drに今後の加療を頼んだ。彼はさっそく手術を前提に検査を組み、絶食点滴のままだったからスムーズに検査も進み、結局、月曜午後には手術が決まった。来週は手術の予定が毎日入っていて、月曜は軽めの手術があり、その後に2件目として入れ込んでくれた。わざわざ今日、病院に来た甲斐があったというものだ。

そう、もう一人、これは大腸内視鏡検査だが、それ受けされるための説得に時間がかかった人がいた。昨日のこと、検診で便潜血陽性がありその場合は当然大腸内視鏡検査が必要だ。しかし、比較的若い40歳代の女性が「その検便をした日は生理で出血があったから」と再度検便を希望したというのだ。人間ドックの看護師が「理事長がそれでもええよ」とOKしたというので私に念のため相談に来たのだった。それを私は拒否、「検便の再検は意味がない。有無を言わさず大腸内視鏡を受けるべき」とその患者本人を呼んで説明をした。

そもそもが大腸内視鏡検査というのは、40歳を過ぎて一度も受けていないならば必ず一度は受けるべきものなのだ。症状がなくてもである。なぜなら大腸癌はそのほとんどが無症状で検査をしないとあるかないかがわからない。なぜに最近大腸癌で亡くなる人が多いのか、そして大腸癌で亡くなる人の共通点が一つだけあるがそれはなにか。それは一度も大腸内視鏡を受けていないか、10年以上受けていないかで、つまりは大腸癌を防ぐには大腸内視鏡検査を受けることが一番効果的なのだ。

ならば、国民全員40歳以上になったら大腸内視鏡を受けさせればいい。だが、現実にはそれは無理である。4、5年前にコロナワクチンをほぼ国民全員に接種を受けさせたがそれですら極めて大変であった。それが大腸内視鏡になれば・・やはり無理だ。そこで出来るだけ大腸癌の疑いがある人をセレクトして検査を受けさせようと始まったのが便潜血検査なのである。平成の始めごろから検診事業で始まり、人間ドックなどでも行われるようになった。便潜血陰性の人を大腸内視鏡すると100人に1人も大腸癌は見つからないのに対し、便潜血陽性の人を大腸内視鏡すると鹿児島県で言えば約30人に1人に大腸癌が見つかる。早期癌の比率も高く、大多数の人が内視鏡治療か手術かで助かっている。効率がいいのだ。

しかし、便潜血検査で陰性が出れば安心というわけではないので便潜血検査を繰り返すのはあまり意味がない。医者でもそれをよく理解していないケースもある。便潜血検査はあくまで大腸内視鏡検査を受ける人をセレクトしているだけで、陽性が1回でもあればその後何回陰性が出ても大腸内視鏡を受けるべき人であるのは変わらないのだ。そして陰性でも何らかの腹部症状がある人も大腸内視鏡を受けるべき対象患者になる。前述したが40歳以上(私は30歳以上でもと思っている)で一度も大腸内視鏡を受けていないならば、本来便潜血陽性陰性に関わらず大腸内視鏡を受けるべきである。私が大学病院時代の前の前の教授が便潜血陽性なのをすぐに内視鏡受ければいいのに、これでもかこれでもかと便潜血検査を受け、陽性や陰性がそれぞれ出てうだうだしていたことがあった。結局、大腸内視鏡を受け、早期癌が判明し、ただし内視鏡では切除不能で手術になったのだった。

その女性はなかなかウンと言わず、確かに検査自体が不安なのと面倒くささを感じているようだった。しかし、私は30歳代女性の大腸癌の当院での実例まで出して説明し、ようやく承諾を得た。やはり2、30分はかかったはず。胆石の人も便潜血陽性の人も言えるのは「人の行動を変えさせるのは難しい」ということだ。でも医療はもしかすると本人が思っている以上に命が掛かっていることが多いので、説得力を身につけるのは医師にとって重要である。最近の風潮で、自己責任だから〜と言って簡単な説明で検査や治療を受けようとしない人をそのままにしておくのはいけないと思う。多くの患者さんはそれが大事になるとは思わず、日常生活をこれまでと同じように続けたがる習性がある。その40歳代の女性患者には何事もないことを願うが、もし大腸癌でも見つかれば昨日の説得が一人の命を救ったことになるかもしれない。つまりは医師というのは人の命に関わるやりがいのある仕事ってことなのだ。

2025年2月14日金曜日

今日が何の日か誰も言わなかった

 今日はバレンタインデーということだが、出勤時から帰る時まで誰からもチョコレートはもらわなかった。な、ばかりか、誰からも「今日はバレンタインデーですね」なる言葉を一言も聞かなかった。私も何も言わず静かに1日が終わった。こんなことは初めてで、帰宅後、カールから「チョコレートケーキを作っていたんだ」と手作りチョコケーキのプレゼントがあったくらい。これは毎年恒例なんだ。

小中学生の頃、チョコをもらえないかなとドキドキしていた時代や義理チョコ全盛の昭和の終わりから平成時代、そしてお返しのホワイトデーなどイベントが盛りだくさんだった頃とするとあまりにも静かな1日だった。これはいったいどういうことか。自分なりに考えてみると、年賀状仕舞いが増えてきているというニュースがあって、これは「伝統的な慣習や人付き合いを重要視しない価値観が広がっているから」という説明で私は納得いくが、バレンタインデーも特に義理チョコについてはそのような人と人の付き合いを重要視しない価値観が広がりつつある影響かと思う。もらう側も「またホワイトデーでお返ししなきゃいけないのか」と思うと煩わしさを覚えがちだ。お葬式にしても家族葬や小さなお葬式が増えてきていて、世間との人付き合いは最小限にしたいという現代日本人の生活傾向を反映していると思われる。

バレンタインデーについて言えば、好いた惚れたが盛んな若い人には楽しいイベントかもしれないが、義理でチョコプレゼントをしたりされたりするくらいなら私らはまあなくてもいいかな。高価なブランドチョコでなくたって心のこもったチョコ↓で私は十分。ぱくぱく。

2025年2月13日木曜日

鹿児島県で初めて大腸憩室出血にエンドライガーを使う

 昨日の108歳の患者さんの内視鏡検査直前のことだった。内視鏡室スタッフが「先生、こんな方が面会をしたいと来ています」と名刺を渡された。見ると、大学内視鏡室の同期の女医浅見Drだった。おう、珍しい。なんでここ(青雲会病院)まで来た?

実は、高齢の母親が青雲会病院隣のサービス付き高齢者向け住宅サザンブルーに越してきていて、当院にも現在通院中なのだという。それで「ここには最近ちょくちょく来ているの」だという。母親の面倒も診るために仕事は週2回だけ非常勤をしていると。一つは鹿児島市内の病院で女性外来や内視鏡検査などし、一つは父親がやっていたクリニックを他Drにゆずり、自分はそこに週1回の勤務なのだとか。私と同じ年だからたいてい父親は亡くなり母親は要介護ってことだ。いや、もう両親ともいない人が多いかも。久しぶりゆえに知り合いのDrの話題など話せば長くなりそうだったが、「先生、ERCPの準備が出来ています」と連絡きて、お開きとなった。でも、母親がらみでまた縁があるだろう。では、自身初の100歳代のERCP検査へ参ろう。

が、十二指腸乳頭にアプローチするまではよかったが、肝心のカニュレーションが難しかった。しばらくチャレンジしたが、私は早々に「エイエイコーDrを呼んでほしい」とスタッフに頼んだ。いつもなら多少上手く行かなくても粘って結局はカニュレーションは成功するパターンが多い。しかし、今回は最初からスムーズに行かなければ非常勤のエイエイコーDrに早めの交代をと目論んでいた。100歳超の患者さんにあまり無理を強いたくなかったのだ。で、手技を交代したエイエイコーDrだが、さすがの彼も難渋した。もしかしたら無理か・・と思いかけた時、「入ったかも」との感覚があったようでレントゲンでガイドワイヤーが総胆管に入って行くのが見えた時はホッとしたと同時に嬉しかった。首尾よく手技を終え、私は「エイエイコーDrを呼んだ私がえらかった」って変な自画自賛をしたよ〜。

ERCPを急いで昼休みにやったのは、午後は内視鏡室スタッフが不足していたのと、本日外来担当のタクミDrから「大腸憩室出血の患者さんを内視鏡検査して欲しい」と昼前に頼まれたからだ。憩室出血を止めるのならこてる先生ってみんなの暗黙の了解がある。で、夕方最後の検査はその患者さんだった。大腸を全部見て出血源はS状結腸にあると踏んだ私は丁寧に憩室腔を確認していった。ただそうしてもS状結腸だけで50個くらい全部で10個近くも憩室多発している人で、たいていのDrは出血源を突き止めるのをあきらめる場合がほとんどだ。しかしERCPと違って私は簡単にはあきらめない。出血の痕跡はあるが現在は止まっていてニフレック液で追加洗浄をしつつ粘り強く観察を続けていると・・「おやっ?」という所見があった。憩室内に小さな赤いものがくっついている。「たぶん出血源の露出血管だ。見つけたぞー、うひっひひ」と喜ぶその様子にスタッフみんなは吹き出した。いやいや発見出来さえすればこっちのものなんだ。

露出血管にクリップを掛け、これだけでも止血効果は得られるが、外れる場合もあり、私は結紮ゴムを追加で掛けるようにしている。これをEBL(ゴムバンド結紮法)というが、今回は昨年のDDWで紹介されていたEndoligar(エンドライガー:センチュリーメディカル社製)という新しいゴムバンド結紮法を試すことにした。おそらく鹿児島県ではこれが初めてのケースになる。旧来のEBL法でも今日のケースは十分に治療可能だが観察時に視野が狭いという欠点があり、しかも絞扼に失敗するとまたスコープを抜き出して入れ直す必要があった。このエンドライガーは視野がまったく普通観察と変わらない程度でしかも2回まで結紮が可能になる。↓憩室内の小さな赤い点が出血源だ。知らないと見過ごしそうなくらい。

エンドライガー装着した状態の大腸内視鏡↓。2ヶ所に結紮ゴムが入っている。
クリップ掛けた後、エンドライガーを憩室に近づける↓。視野の狭窄はほとんどない。
エンドライガーで吸引結紮する様子↓。
結紮後の憩室↓。クリップごと結紮するのが青雲会病院式だ。今回はゴム1個で十分。

結紮された大腸憩室は数日で壊死しゴムは脱落し使命を終える。出血血管ごと壊死処理され、その後は潰瘍化し、瘢痕治癒していく。ふふふ、上手くいった。若干終業時間を過ぎてしまったが、こんな時は気分よく家路につくことが出来るというもの。いぇい!

2025年2月12日水曜日

煩悩の数まで生きて

 雨の水曜日、実はこれが少しラッキーだった。いつもは水曜日休みの可愛いんだ理事長が「こんな日はゴルフが出来ない」と出勤してくれたのだ。朝の医局会カンファレンスにも出ていろいろ意見をしていたし、外来も新患を診てくれ大いに助かった。

しかし、昼前からこの前の金曜同様に近隣クリニックからの紹介患者が幾人が来た。夕方までに3人を入院させたが、その中で医師人生で初めてという超高齢者をも引き受けた。最初電話で「大正6年生まれなんですが・・」と聞いた時に「うん?大正6年って何歳くらいだっけ」とすぐには計算出来なかった。紹介医が「108歳なんです」と言って初めてお口あんぐりとなった。ひゃくはち?!いや100歳以上の患者さんをこれまで何人が引き受けたことがあったが、確か104歳が最高齢だった気がする。少なくとも105歳を越えた入院患者は記憶がない。一気に108歳だなんてー。しかもある症状があってそれを改善させて欲しいというミッションもあった。家族もそれを望んでいるという。

これまでの私の経験上、90歳程度だと、家族も「もう寿命ですから」とさほどの延命治療を望まないケースが多いが、100歳を越えるとなぜか「もっと長生きを」と言われることが多い気がする。しかしあと数年も生きれば県内一から日本一も狙える年齢の患者さんとは・・。入院に当たってどの程度まで治療をするか、今回病気とは別に急変する可能性も十分あり得ることをしっかり説明し同意してもらってから入院させた。明日は内視鏡検査も予定している。いやー、気を遣うがやりがいもあるわ〜。108とは仏教でいう煩悩の数と一緒だ。大事に扱わせていただきます。


2025年2月11日火曜日

チエコンさん&新顔ネコ登場

今日は「建国記念の日」で休み。晴れていたけれど結局自宅から外に出ることはなかった。ゴルフ好きやドライブ好き、外食好きの人なら絶対に自宅を出たことだろう。

昼食はカールが「ふるさと納税で家にあるものシリーズよ」と、北海道の十割蕎麦と福岡の牡蠣てんぷら入りだった。蕎麦って腹持ちがあまりよくないのが相場だが牡蠣入りだと夕方までほとんどお腹は空かなかった。

その後、ゆっくりとTVなど見ていたら、ピンポンとやって来たのが弟嫁のチエコンさんだった。田舎の実家に出来たサワーポメロと水仙の花を持って来てくれた。
ハナビは真っ先に2階に逃げたが、人懐っこいゲンちゃんはさっそくチエコンさんに近寄っていた。これは野良だった期間が1〜2年と1〜2ヶ月の差だろう。警戒心がゲンちゃんにはほとんどない。この後もなでなでされても平気だった。
サワーポメロもデンコー親父が生きている時からよくもらっていた。水仙は香りがきつすぎるくらい漂うのでカールがトイレに飾っておいた。
その水仙を見た私、一言「これが本当のスイセントイレだぁ」。

チエコンさんが帰ってしばらく、庭に黒っぽいネコが来ていたのでいつものクロちゃんかと見てみたら、なんと初顔の白黒ネコだった。毛並みふさふさのちょいと外国の血が混じったような顔つきだ。急いで写真を撮ったのだが、その様子を警戒したかそそくさと逃げていった。
うーん、どこのネコなんだろう。首輪があったかどうかは確認出来なかった。ハッピーやキタローなど裏のモリサンチー家のネコだろうか。また来たら今度はビビらせずエサを上げてみよう。こてる家ではネコは基本大歓迎よ〜。

2025年2月10日月曜日

金曜日の後始末

先週金曜日の怒濤の紹介患者攻勢で詳しく検査や治療が出来なかった二人の患者のうち、貧血と上腹部症状のある老年男性の胃カメラをした。行う前、内視鏡室のスタッフに「きっと胃潰瘍か胃癌があると思う」と私はつぶやいた。で、結果は予想どおり胃の幽門前庭部に典型的な胃癌が見つかった。年齢、貧血のパターン、上部消化管内視鏡をほとんど受けていない病歴などで臨床的な勘が働くのだ。生検を数個取り、病理検査に回し、患者本人と家族には正直に「胃癌の可能性が高い、病理結果を1週間ほど待ってからまた説明する」と話した。癌だとしても進行具合はまだ手術を受ければ十分に助かる可能性があると私は判断している。

もう一人、総胆管結石の患者は本日外来担当のダヒロDrに任せていたが、来なかった。いや、連絡があって「妻が亡くなったので来られない」というものだった。あーそうか。この前説明した時に「昨日、妻が入院した」と言っていた。いや、それは仕方ない。本人の病状は落ち着いていてすぐに内視鏡処置をしないといけないほどではないし、思えばあの日に入院させなくてよかった。急いで内視鏡処置をしておればすぐに退院出来なかった可能性すらあったしー。

今日は午後にふと「そうか、明日は休み(建国記念の日)かぁ」と気がついた。それで一気に気分が良くなったネ。週の半ばに祝日があるって何かしら儲けた気分になる。そんなおり、嫁のマーヤさんからココちゃんの写真や動画が「みてね」にアップされていて癒やされるんだなぁ。ココちゃんも先月末くらいからどうにかつかまり立ちが出来るようになってきて、成長ぶりを見るのが楽しい。↓這えば立て、立てば歩めの何とやら・・。

2025年2月9日日曜日

最近になって知ったこと

最近になって知ったこと。

その1→飲食店ではすでに配膳ロボットが活躍している。国分のジョイフルと鹿児島の大阪王将で食事をした時にいずれもロボットが配膳をしていた。先月末、沖縄でカールの叔父夫婦と食事をした時に「最近はロボットが食事を運んでくる」と言っていたのを聞き、「へー」と驚いたばかりだった。↓は上が王将、下の動画がジョイフル。


その2→鹿児島市のT-MAXボウルのボウリングのピンが吊りピンになってしまっていた。昨年末にそうなったらしいが、そこの元専属ボウラーの日置プロの動画を見たら本当にそうだった。「ストリングピンセッター」という新しい器械だそうで、従来のものと違って消費電力は80%削減(3分の1とも)だとか。メインテナンスも簡単でコストがかなり安いということだ。日本では2022年に初めて導入され、まだ公式の試合ではほとんど使われていないようだがいずれこの手のものが主流になるかもしれない。ボウリングのプレイ代も高くなってT-MAXボウルは普通に1ゲームやるとなればなんと昼700円、夜は800円にもなる。3ゲーム込みだと昼1400円夜1600円、5ゲーム込みなら昼1700円夜1900円で、投げ込みたい人にはまあまあの値段か。裏から見ると↓こんな感じ。

ピンのセット法もバイト職員に1時間もレクチャーすれば出来るようになるらしく、人員削減にも寄与するのかな。ボウリング場がどんどん減って来ている現状を考えれば致し方ないのだろう。

二つに共通するのは電子機器の発達と背景としての人手不足があると思われる。最初は驚くが人ってあっという間に慣れるもの。スマホなんてみんなが手にし始めたのはほんの15年ほど前くらいからで、電話するだけでなく、何でも調べられ、ビデオ見て音楽聴いて、ゲームしてはては通訳までしてくれる機器を使いこなしている光景って昔は絵空事だった。60歳過ぎてもこんなに新しいこと、ものがどんどん出て来る。まだまだくたばるわけにはいかないなぁ。