3月4月は年度末年度始めということでドクターの移動も多い。そこで次年度くらいから青雲会病院での勤務を希望するドクターの面接も最近数例あった。病院とドクターの相性や要望などを聞いて互いにマッチングすれば就職となる。
本日の面接の相手は外科でそこそこの経歴を持っていて現役で某中核病院の部長を務めているドクターだった。年齢も私とほぼ同じ、ていうか鹿大入学年がいっしょで同級生でもあった。ただ、途中で学年が違ってしまい、卒業後はたまに挨拶することはあっても会話はほとんどしたことがなかった。
面談は順調に進み、可愛いんだ理事長も受け入れに問題はない様子で5月くらいから青雲会の一員として勤務ということになりそうだった。それはいいとして雑談に近い時間帯で、私は「そういえば、先生は大学入学時の自己紹介文に出身校と一浪した時の予備校で面白いことを書いていましたね」と切り出した。それはYMCA(Young Men's Christian Association:キリスト教青年会)の予備校に通っていたとあり、その時はまだ西城秀樹の「ヤングマン」が出る直前でYMCAとはなんぞやと私は思っていた頃だ。そのYMCAを彼はわざと「You must come again」と略していたのが可笑しかった。YMCA界隈ではよく使われる言い替えらしいが、浪人生にとっては受験に失敗して「あなたはまたここに来るべきだ」との意味になる。それを言うと、彼も記憶にあったようで「ようまたそんな昔のことを・・」と驚いていた。
さらに、彼が面談終わって理事長室を出ようとした時に、これは私もふと思い出したのだが、なにかの医療系の冊子で彼が面白い文章を書いていたのを確認してみた。それはある医療行為を「NHKのプロジェクトXのナレーション田口トモロヲが語っているつもりで読んで下さい」と綴っていたのだ。「へえ、面白いことを書くなぁ」と印象に強く残っていて「あれは医師会の雑誌でしたっけ?」と尋ねると「いやー、確かに書きましたけど、ようそんなものまで・・」と驚いて「あれは同門会の年報誌に書いたものです」と答えてくれた。それには私もちょっと驚いた。外科の同門誌まで私は読んでいたのか・・。たぶん20年ほど前の医局にその同門誌があったのだろう。その手の冊子があれば私は興味を持って読む方だ。ついこの前も某内科の同門誌を読んだばかりでなかなかに興味深かった。私の鹿児島大旧第二内科の同門誌より読み応えがあったくらい。
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