2026年10月4日日曜日

たとえ受賞予想が外れても

ついこの前の南日本新聞に今年のノーベル賞予想者の記事があった。日本人で受賞できそうな研究者たちがあれこれと紹介されていた。毎年のようにこうした記事が出るが受賞者が全く関係のないアメリカの研究者だったりするとこんな記事あったの?というくらいに忘れられてしまう。たまーに予想記事が当たることもあるがまあ10年に1回くらいなもので宝くじよりはマシかなぐらいだ。この日記がアップされる10月6日夜などは物理学賞発表の日だから↓に写真を載せておくので当たったか否かはすぐに比較出来るハズ。まあ当たるどころか研究内容の予想なども外れることがほとんどだって思っていた方がいい。

ええと、7日発表の化学賞はさらに地元鹿児島の南さつま市出身の堂免一成氏に期待かぁ。いや、予想記事だから景気のいい話題は外れたって構わない。ちょっと驚いたのは去年は医学生理学賞と化学賞で日本人2人が受賞していたってことだ。忘れていたし、誰が何の功績でって思い出せない。まあそれくらい日本人のノーベル賞受賞者は多くなったしね。

それに引き換え、中国、韓国の自然科学分野での受賞者はまだいないんじゃないかな。韓国なんか喉が渇くくらいノーベル賞を欲しがっているからねー。11年前のこてる日記でそんな韓国や韓国人のことを話題にしていた(「2015年10月6日「韓国人はなぜノーベル賞を取れないのか?」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2015/10/blog-post_14.html)。しかし韓国オタクのYouTuberなんか「国民性からいって無理」って断言もしていたな。それは研究をしてノーベル賞級の成果が出たとしても「それを金儲けにしないのはバカだ」という国民性があるからだとね(YouTuber「カイカイ管理人」1年前の動画→https://www.youtube.com/watch?v=08O9G3aC8fs)。多くのノーベル賞受賞者らは研究をして社会に大きな貢献をしてもその結果大金持ちになっているというケースは少ないんじゃないかな。日本人なら自身が金を儲けなくても社会に貢献出来たら研究者として本望だと言う人の方が多い気がするが韓国人はそうじゃないらしい。

日本に住むある韓国人ジャーナリストは80年代にソウルで学校生活を送ったが「教科書で理科の実験のことは習ったがただの一度も実験器具に触れたことはなかった」と指摘している。1972年生まれの崔碩栄(チェ・ソギョン)氏だ。昨年日本人がまたノーベル賞を受賞した際に↓のように日韓の差について言及していた。

私は1980年代、ソウルで中学、高校に通った。今、振り返ってみると、学生時代に受けた教育は、ノーベル賞とはあまりに縁遠い気がしてならない。あのような教育を受けたら仕方ない、と思うからだ。まず、理科の授業。私は中学1年から高校を卒業するまで、一度も理科学機材に触れたことがない。教科書にはアルコールランプ、試験管、顕微鏡など、いろいろな機材が登場したが、全て紙面の上での「イメージトレーニング」にとどまっていた。使い方も含めた化学実験の方法などは、「体験」ではなく、全て「文字」としてだけ頭の中に蓄積されたのだ。

理科だけではなく、3年間の高校時代、国語や現代文学の時間には「作文」するチャンスがなかった。授業中、ただの一度も自分の意見や考えを文章として表現する機会がなかったのだ。学校では大学入試のための準備、問題集ばかりやっていた。一方的な「入力」だけがあり、自分の意見、発想を披露する「出力」の機会が全くなかったのだ。

私は、日本で同世代の日本人に会うたびに、中高校時代の話を聞いてみた。すると、地域、学校による多少の差はあっても、ほとんどの人は多かれ少なかれ、実験、作文の機会はあったという。正直、うらやましかった。普通の日本人は、そこに大きな意味があると思わないかもしれないが、そこに韓国と日本の大きな差があると思う。学生時代に好奇心、興味、モチベーションを感じる経験の有無は、計り知れないほど大きいからだ。

ま、毎年のこの時期、日本人はともかく韓国人が受賞したら大いに驚き、喜んで上げよう。

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