年末年始期間中にどうしても採血チェックしておきたい入院患者がいて午前に病院へ向かった。結果をみるとおおむね改善傾向でよかった。正月休みはどうにか乗り切れそうだ。
青雲会病院は休み期間中の午前9時から11時まで発熱外来を行っている。有り体(てい)に言えばコロナ検査をその時間帯にはしますよということだ。病院玄関から100m近くはなれた病院駐車場にプレハブを建てそこで電カル記入や諸検査が出来るようにしている。被検者には車に乗ってこちらは防護服で検査をする。↓写真参照。
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
年末年始期間中にどうしても採血チェックしておきたい入院患者がいて午前に病院へ向かった。結果をみるとおおむね改善傾向でよかった。正月休みはどうにか乗り切れそうだ。
青雲会病院は休み期間中の午前9時から11時まで発熱外来を行っている。有り体(てい)に言えばコロナ検査をその時間帯にはしますよということだ。病院玄関から100m近くはなれた病院駐車場にプレハブを建てそこで電カル記入や諸検査が出来るようにしている。被検者には車に乗ってこちらは防護服で検査をする。↓写真参照。
今日は仕事も遊びもなく自宅でほとんど寝て過ごした。明日の大晦日は休みだが、採血指示しその結果で点滴や処方など指示を出す患者がいるので、完全な休みの日は今日が今年最後だ。年賀状もこの前出し終わっているし、何もしなくていいってのはいいわー。
忙しい年だと年賀状も30日まで作っていたこともあったナ。今日の日記をアップするのは1月の2日か3日だからここで年賀状裏を披露しても問題ないか。↓が2021版年賀状。
竹林にゲンちゃんが全部で9匹跳梁跋扈し、カールは「鬼滅の刃」の禰󠄀豆子(ねずこ)のように竹筒をくわえている。左下のゲンちゃんの羽織は言わずと知れた鬼滅の刃の竈門炭治郎(かまどたんじろう)のパロディだ。竹林の場所は2020年5月24日にドライブで訪れた湧水町栗野の丸池遊歩道である。カールが手にしている道しるべに「名水丸池遊歩道」と「←展望広場 せせらぎの道→」と彫られていたが、フォトショップで全部消している。もともとは竹林とカールしか写っていない(2020/5/24のこてる日記に元写真が載っています)ので同じ日に別場所で写した私の写真をここに移動させた。だがその写真では私はまったく笑っていなかったので、フォトショップに表情を変える機能があってそれを初めて使ってみた。ほんのり微笑んで見えれば成功だ。そしてちょっぴりだが顔を細くした(ハハ)。で、ゲンちゃんはネットでネコ用の炭次郎羽織をコピペして着せた。ゲンちゃんが猫背過ぎて羽織で覆いきれずそこはスタンプツールでコピーし増幅させた。
と、ここまででほぼ終わったかなという感じだったが、たいして面白くない。「鬼滅」をモチーフにしたからあとはカールに竹筒を噛ませようとこれもまたネットで拾ってきた。本物で竹でなくおもちゃのプラスチックだ。そのままでは安っぽいので色を背景の竹に合わせ少し濃くした。しかしこれだけはなんだかイマイチで、見た人が「ふーん」で終わってしまいそう。そこでゲンちゃんを何匹も登場させ竹林で遊び暴れさせることにした。そういえば一度こういうことをしてみたかったんだ。もう10年以上にもなるが、ネットである人が自宅の居間で飼いネコをコピー&ペーストし10匹くらい配置させる画像を出していて面白いと思っていたのだ。
ゲンちゃんの写真はたくさんあるが、竹林が縦の画像なのでゲンちゃんの立っている写真を使わねばならない。が、本来ネコは立つ動物ではない。使える画像がやはり少なく配置する場所を工夫して座っているゲンちゃんも使った。白黒ネコゆえに白部分が昼と夜では撮った色調が違いすぎたため、そこは一部を明るく補正する「覆い焼きツール」を使って白さが少しでも違和感ないようにした。これもフォトショップ様々だ。
何匹も配置してまあまあかなと思ったがどうも単調な気がした。そこでふと思いついたのが「竹と言えばかぐや姫じゃん」と竹の中からかぐや姫ならぬゲンちゃんということで、ネットで竹をくりぬいた画像を貼り付けそこにゲンちゃんの顔を貼り付けた。使った顔は昔から待ち受け画面にしているそれである。うん、これはいい。他になにかさせられないかな。そうだ、ゲンちゃんにブランコさせるのは?だが良い画像がなくその代わりハンモックをしているところを付け加えた。これでほぼ完成。これなら見た時に「ふっ」と笑ってくれるだろう。昔からの人は「相変わらずやってるナ」ってね。
こういうことをやっていると、ふと来年の画像用のアイデアがひらめくことがある。こてる日記の背景にもなっている「家族馬」の時がそうだった。今回久しぶりにまたひらめいた。うまくやればまた面白年賀状になるかも。次の年末はフォトショップを1ヶ月購入してまた頑張りますかー。
今日の仕事は半日で外来患者もそう多くはなくゆるりと昼過ぎの仕事納めを迎えられると思いきや、なぜか妙な忙しさがあり仕事納めの会に間に合わなかったりすることが多い。今年も外科患者の下血がまたあり浣腸後大腸内視鏡を行ったり、近医の院長先生の御母堂の入院指示があったりとギリギリまでかかってしまった。
今年の業績発表の後、各所属長が今年の改善努力した内容を発表し後、恒例のラブカメ先生の今年を振り返る講演があった。やはり「コロナに始まりコロナで終わった一年」であったという話と、青雲会病院がコロナに素早く対応し鹿児島大学や県から非常に良い評価をしてもらったということ、創立40周年を迎え今後も一致団結頑張りましょうとまとめていた。その中で、ピッピDrの急死については全く触れられず、それは私にとっては今年一番の出来事だったのだが、しんみりした話はあえて触れなかったのだなと配慮を感じた。
帰りはかなり眠くて、帰宅してからは仮眠を取った。というのも18時から見せたまえのところで今年最後のリアル麻雀があったからだ。今日打つのが決まったのがつい2日前だったのでいつものメンバーの腹出しDrは参加出来なかった。そこで初参加となるたつやまDrを誘うことにした。彼は現在天鳳は四段。リアルは最近打っていないそうだが、私がネット麻雀を教えてから何百回も打っていて、最近も15回半荘中トップ10回2位3回3位2回と絶好調だ。聞けば毎年12月30日に以前いた大学医局のDrらと雀荘で麻雀をするのがお約束だったらしいが、今年はコロナで中止になり残念に思っていただったそうだ。私の誘いはまさに渡りに舟だった。
今年の私たちのリアル麻雀の成績データを調べてみると、サブアラドと私が勝ち、去年は見せたまえと腹出しが勝っていた。4人のうち誰かが打てないときはゲストを呼んで打っていて、ジャズ魔だったりMR、会社経営者だったりが参加していたがみんな負けていた。つまり見せたまえ雀荘ではゲストは不利なのだ。はたしてたつやま四段はどうだったか?
出だし、見せたまえが独走した。1回目2回目トップでプラス140を上げ今日の負けはないだろうという状況になった。私は3位3位でどうにかマイナス40でこらえ、サブアラドとたつやま君がマイナス50程度で並んでいた。3回目の半荘は私がトップ、そして4回目たつやま君が初トップを取りサブアラドの一人負け状態になった。最後の半荘は私がずっとリードする展開が続いた。しかしラス親のサブアラドが粘る。オーラスになって連荘をしここで私が少々あせった。7萬8萬か4ピン5ピンのどちらかの面子をきらう場面でサブアラドに安全な4、5ピンを切るべきだったのに逆の方を切ったらサブアラドへ7700点の放銃、逆転トップを取られてしまった。それでも浮きの2位に終えられたが少し悔しかったな。サブアラドは今日は負けても年間トータルはプラス530で私が510、わずかに及ばなかった。たつやま君は4半荘までプラスだったが最後3位でマイナス10。ゲストは負けるというジンクスを変えられなかった。
この最後の半荘ではちょっとどっきりする手がいくつも来た。上がれなかったがなんと配牌で国士一向聴という手が来たのだ。クズ牌だらけで「北」と「1ピン」だけがない。トップ目だし流局にも出来たがさすがに役満一向聴は狙うだろう。
しかし聴牌できずに終わった。序盤、誰も私が国士狙いと気づかず、中盤以降は当然気づかれていたが、たつやま君なんか大丈夫だろうって「北」の対子落としもやって来たしー。麻雀人生で配牌国士一向聴は初めてというエピソードだけで終わってしまった・・。さらにラス前のこと。萬子をよくツモってくるので集めていたらなんとチンイツトイトイ三暗刻、ツモれば役満四暗刻という大物手を聴牌してしまった。
待ちは4萬と9萬はすぐ分かる。あと1萬でも上がれる。赤ドラもあるので4萬か9萬ロンなら三倍満、1萬で上がればトイトイ三暗刻は崩れるが一盃口と赤ドラがつくので倍満はある。それと4萬ならばローカル役満の四連刻もつくがそれは私たちの場では認めていない。いずれにせよ倍満以上あるのでリーチせずダマ聴に構えた。そして1萬をツモって倍満を上がった。それはそれでうれしかったが、もしリーチしていればなんと裏ドラが5萬で数え役満になり、親の見せたまえがドボンしてここで半荘終了、私の大トップになっていた。そうしておけばこの後だらだらとサブアラドの連荘が続き逆転されることもなかったのにー。まあ、そんなことは宝くじが当たっていたのにーと言っているようなもので、麻雀は卓上で波瀾万丈を経験出来るとっても楽しい遊びだってことだけは確か。今年も来年もずっとやめられませんわー。
仕事納めは公的機関は今日までとのことだが、民間はまちまちで青雲会病院は明日の29日の半日までだ。サブアラドDrのところは30日半日までらしい。
昼過ぎまでは内視鏡検査などで忙しかった。その中で某下血患者は診察しただけで虚血性腸炎(虚血性大腸炎)だろうとほぼ分かって内視鏡検査したら案の定だった。入院させるかそのまま外来で診るかはDrによって判断が分かれるところで、私は生活指導を十分にして入院はさせない方針を取った。虚血性腸炎って最初の2日を過ぎればほぼ症状はなくなるし、入院させると年末でいつ退院させるか少々悩む。タイミング的に私が休みの時に退院となりそうで入院や事務のスタッフも仕事がやりにくいだろう。
そもそも虚血性腸炎は発症数が多く、月に1、2人、多いときは4、5人も発生する病気だ。症状はかなりの腹痛を伴い、その後に下血や血便が出て、びっくりして病院に駆け込む患者が多い。だから一般の人がよく知る病気かと思いきや、案外その名前は知られていないのだ。病院の内視鏡スタッフにすればありふれている病気なのに、みなさんが日常会話で「この前、虚血性腸炎になってね」とか言ったり聞いたりすることはあまりない。昔からあったはずなのになぜさほどこの病名は流布していないのか。それを自分なりに考えてみた。
まずはこの病気が出だしの症状の激烈な割には治りが早く、かつ後腐れがない点にあるからと思う。腹痛は1日2日、下血も3日以内にはほぼなくなる。そして後遺症が残るケースは1割にも満たない。虫垂炎や憩室出血のように放置されれば悪化する可能性がある病気ではなく、喉元(いや肛門か)過ぎればあの痛みや出血は何だったんだろうで済まされていたのではないか。そして一生に一度しか発症しないことが多く、くり返す人でもせいぜい二度までで何度もくり返す病気ではないことも人口に上ることが少ない理由だろう。
そして大腸内視鏡の普及がここ30年前くらいからでそれ以前は大腸内視鏡はそう簡単に受けられる検査ではなく、血便があっても即日浣腸して検査するケースは少なかった。レントゲン+バリウムや後日改めて大腸内視鏡をするケースが多かった。ところが1週間も経過すると大腸粘膜はかなり改善が進んでいてへたするとほぼ正常化している場合もある。それは今でもあって、他医から紹介され10日くらい経って大腸内視鏡すると「うーん、虚血性腸炎だったのでしょうねえ」としか言えないことが多い。だから私はできるだけ初日に浣腸のみの前処置で観察することが多い。診断名が付かずに治る病気であった、これが病名が普及しない理由でもあろう。
検査については、発症部位のほとんどが下行結腸でその次にS状結腸と場所も決まっているのがこの腸炎の特徴でだから浣腸のみで観察は十分なことが多い。ただ奥の方に大腸癌でもあったら怖いのでそのまま奥まで見るか、残便が多い場合は後日きちんと前処置して全大腸内視鏡を行うようにしている(何百例と見た虚血性腸炎の中で癌もあったケースが2例ほどある)。
最後に虚血性腸炎の治療だが特に何もない。せいぜい安静と食事制限くらいでこれも話題に上りにくい理由の一つだろう。この患者さんには「今日と明日を絶食にして水分のみで過ごせられれば入院はしなくてもいいが」と説明したら本人もそっちを選んだ。まあ当然か。虚血性腸炎に限らず普通の感染性腸炎でも絶食は腸炎の最大の治療法である。ただそれだと脱水気味になるので水分摂取は必ず勧める。あとこの人は日頃が便秘気味だとのことで緩下剤を処方した。便秘でうんうん唸ってしまい腸管の内圧が上昇すると一過性に大腸を栄養する動脈にけいれんが起き虚血(血が流れなくなる)が起きる。その結果腸の粘膜が壊死に陥り剥離、出血して下血や血便を起こすのだ。
そんなわけでこの患者の内視鏡画像を載せたいが写真に撮っていなかった。憩室出血の場合は撮っていることが多いのに・・。これもあまりにもありふれていて撮影意欲が湧かないってことだ。ネットで拾った画像を載せておこう。↓はまさしく典型像。この患者さんものと言っても何ら不思議はないな。
午前は年賀状の宛名プリントをやっていた。ここでも1回ミスプリントをやらかした。昨日は裏表のミス、去年は上下逆さまのミスだったが今回は同じ相手に2枚プリントミスをしてしまった。そのプリントはカールの沖縄の姪っ子宛てで「どうしようか」と相談すると、カールが「大丈夫、彼女は結婚して住所が変わったばかり。名前はそのままにして元の住所に住む甥っ子宛てに作り替えよう」と修正テープを駆使してどうにか無駄にせずに済んだ。姪っ子は新住所と旧住所の二つ年賀状が届くことになった。ハハ。
最後はそれぞれ一言添えを書いてようやく出来上がり。昼食を済ませてから鹿児島中央郵便局へ向かった。近くのポストだと1日2日配達が送れる場合があるので12月25日を過ぎた場合は毎年こうしている。今日は久しぶりの雨だ。郵便局の駐車場が空いていればいいがなと思っていたけどやはり満車だった。路上駐車して年賀状はポスト投函ですぐに済んだが、書留の不在受け取りをしに局内に入ったら列がたくさん出来ていた。これを見てあきらめた。すぐにスマホから再発送を依頼した。固定電話だとこの依頼は無料だがスマホでは有料だ。まあ仕方ない。
帰りがけに1200円カットに寄った。まだそんなに茫々でもないけれど正月前だしちょうど帰り道に店はあるしついでだからガソリン代も浮くしー。で、カットしてもらったけどちょっといつもより短めになった。切る人が毎回違うのでこれもありか、1200円だしと納得する。
今日は午前は外来、午後は日直だった。午前の外来患者は少なめだ・・と思っていたら、外科入院患者が下血をしていて緊急大腸内視鏡になった。この患者さん、12月17日にも下血があって直腸の潰瘍から動脈出血していたのを内視鏡止血していた。一旦止まっていたのに・・と思ってまた直腸を観察すると今度は別の部位からの潰瘍出血だった。ドクドクと出ていて噴水のような出血、まさに動脈出血のパターンだ。HSE(高張エピネフリン液)とクリップでどうにか止められ一息つけた。患者の腸から血がピュッ!ピュッ!と出て・・逆に治療する側はアドレナリンがドバッと出ます。↓動画参照。私も少し慌て気味ですねぇ。
作詞家、小説家のなかにし礼が亡くなったという。私にとっては昭和歌謡の作詞家大御所のイメージが強く、子どもの頃自分が歌う歌謡曲が実はなかにし礼の作品だってことはしょっちゅうだった。特に昭和40年代前半はなかにし礼の時代といってもいいくらいの活躍ぶりだった。
子どもの頃の愛唱歌、森進一の「港町ブルース(昭和44年)」は素人の募集作品がそのままでは具合が悪く氏が補作したものだった。昭和45年のレコード大賞の放送ではにしきのあきら「もう恋なのか」対 野村真樹「一度だけなら」という最優秀新人賞争いに興味があった(にしきのあきらが受賞)が、大賞発表の時、え、「今日でお別れ」って何?菅原洋一って誰よ知らないぞと思った。今となっては実に味わい深い名曲だと思っているが、当時小学5年生の私にはよく分からない歌だった。ただなかにし礼にとっては二度目の受賞で実は黛ジュンの「天使の誘惑(昭和43年)」ですでにレコード大賞は獲っていた。
多くの人が氏の代表作、名作にあげる北原ミレイの「石狩挽歌(昭和50年)」はすごすぎて歌謡曲の範疇を超えている。日本作詩大賞受賞も当然という気がする。https://www.youtube.com/watch?v=9O1om6K9PM8北島三郎の「まつり(昭和59年)」は後年の作品だが紅白での定番曲となり都合7回も歌われている。
また、氏の作品は印象的なフレーズが多い。タイトルそのものが歌詞として印象に残るのが、先の「今日でお別れ(昭和45年)」、ピーター「夜と朝のあいだに(昭和44年)」、朝丘雪路「雨がやんだら(昭和45年)」いしだあゆみ「あなたならどうする(昭和45年)」で同時代を生きた人ならホラすぐに口ずさめるでしょ。あと作曲も手がけた黒沢年男「時には娼婦のように(昭和53年)」も強烈過ぎる。
出だしが有名なのが菅原洋一の「知りたくないの(昭和40年)」だ。♪あーなーたの過去など〜で始まるが、「過去」という言葉が歌になったのはおそらくこれが初めてだったのでは?と氏は言う。菅原洋一は「この『過去』の部分が歌いにくい」とクレームしたそうだが、氏は「そこがこの歌の命」と突っぱねた。この曲は元々アメリカのカントリーソングですでに「たそがれのワルツ」というタイトルと訳詞もあった。だが氏のひらめきで作られた「知りたくないの」が銀座のホステスの間で評判になっていて2年後に大ヒット曲になった。氏のみならず菅原洋一にとっても初のヒット作品になったのだ。https://www.youtube.com/watch?v=ej6UjNxCOo4
サビの歌詞が印象的なのが、奥村チヨ「恋の奴隷(昭和44年)」で♪悪い時はどうぞぶってね〜ってすごい。SM趣味なのに規制されない範囲で上手に歌詞にまとめている。あと弘田三枝子の「人形の家(昭和44年)」♪わたしは〜は(あ)なたにぃ〜命を〜あずけたぁ〜は弘田の劇的な歌唱もあいまって大ヒットした。https://www.youtube.com/watch?v=EmHY9ZP4Mboそう、弘田三枝子も今年73才で亡くなっていた。今年は筒美京平、数日前の中村泰士といい昭和歌謡の大家たちが多く亡くなった。まさに「昭和は遠くなりにけり」だ。
そのなかにし礼が歌謡曲の中で一番の曲と言ったのが、美輪明宏の「ヨイトマケの唄(昭和39年レコード化は40年)」だ。それを聞いた時は私はその歌をまだを聴いたことがなかった。そんなぁ買いかぶりすぎじゃないのと思ったが氏の言わんとするところは曲を聴いてみて分かった。余談だが私はコンサートなるものにはほとんど行ったことのない人間だけど2回だけ行ったことがある。1990年のポール・マッカートニーの日本初公演の初日と美輪明宏のコンサートだ。「ヨイトマケ」は聴けば今でもぐっと涙が出そうになる。https://www.youtube.com/watch?v=8NK9jtPyQdkその美輪明宏もすでに85才。大丈夫か?去年は脳梗塞になったとか聞いたが・・。ビートルズと昭和歌謡大好きな私には気がかりな時代になった。私の年末恒例、コラージュ年賀状作りを始めている。適当に風景や家族写真、干支にからむ 絵柄などを貼り付けて作れば済むものをフォトショップを使って凝ったものを作り出す苦行を20年以上続けている。去年はカールの提案でまったく違う路線に方向転換した。コラージュはほとんど使わず、必ず入れてきた子どもらやボウリングネタも入れず鮮やかな京都永観堂の紅葉を背景に夫婦写真を載せただけのものだった(2020/1/2記載)。
作る側としては簡単に出来てきつくないのは良かったが、「こてる先生の年賀状が楽しみだ」とか「年賀状を受け取ると真っ先ににこてる先生のから見る」などとあちこちから言われて、今年はまた以前の路線も交えて作ろうとしている。ただ前にも書いたようにコラージュ作成に絶対に必要なソフト、フォトショップ(エレメント2018)が使えなくなってしまい、年賀状のためだけに1本2万以上もするソフトは買えないと困っていた。しかし調べれば最新ソフトが1週間無料体験できるし、延長しても1ヶ月2700円程度の使用料で済むと知り早速使い始めた。最新版はさらに使いやすく性能アップしているのが分かる。20年以上使っているので説明書は読まなくても操作は分かるが、あまり使ったことのない操作もアニメで分かりやすく説明してくれるのでやってみようという気になり、今度の年賀状にも登場するゲンちゃんの画像処理に大いに役立った。
昨日、長島の町立診療所で副院長をしているブンぺぇDrから電話がかかってきた。近々院長が引退するが自分一人になっては大変で医師の派遣が出来ないかというものだった。
彼が診療所に勤務するようになってから2年半くらい経ち、2人医師体制で患者も増え、1日外来100人に往診も50人くらい抱えているそうだ。そこへ医師1人いなくなれば忙殺されるのは見えている。ただうちからはとても応援に出せる人はいない。逆にこっちが欲しいくらいだ。本来なら県単位で考えいかねばならない問題で「(地域医療、僻地医療に関わっている)うちのラブカメ先生に頼んでみる」と返事した。早速、昨夕にラブカメ先生にこの一件を伝えると、ブンぺぇDrは元々自分が教授の時の教え子でもあり「頑張っているよねぇ彼は。分かった、できるだけ派遣できる人がいないか掛け合ってみる」と快諾してくれた。今すぐとはいかないかもしれないが何らかの援助がきっとあるだろう。
そもそも長島町1万人の住民は病気になればなにかと不便だ。病院はなく診療所が4つくらいか。ブンぺぇDrのところは病床19床あるが例えばゼンコンDrのクリニックは病床は止めている。町の人口からして不足は明らかだ。となると入院が必要だったり大きな手術となると島外に出なくてはならない。今は黒瀬戸大橋があるから車で出られるが、それでも出水、阿久根までとなると1時間はかかる。住民にしたら遠くの大病院より近くの診療所が安心のはずだ。その診療所で一番大きいところが医師1人いなくなるだけで危機に陥る、僻地診療の危うさが露わではないか。
問題は医師の偏在だ。僻地も大都会も医療機関の設立基準が同じなのかな。僻地認定した地域を何かと優遇すれば都会の医師の中にも僻地診療をやってみたいという人は増える気がするが。ブンぺぇDrは鹿児島市内に家はあるが週の大部分を長島で過ごしている。もともと僻地診療に関心があって長島の診療所の行くことに手を挙げたブンぺぇDr、彼のような心ある医師の気持ちをくじかないためにも行政はなんとかしてほしいものだ。↓は3年前にKKB「かごとき」で放送された「離島・へき地診療」の特集。ラブカメ先生こと愛甲孝はここでも僻地診療について熱く語っていたのであった。下は今度引退される当時の院長先生。
朝、通勤途中のMBCラジオで「今夕、木星と土星の大接近が見られます」と言っていた。17時半から18時半くらいの南西方向の地平線付近とのことで、18時過ぎ病院の駐車場に着いてその方向を眺めてみた。すると肉眼でも惑星らしき星が見えたので自分のデジカメで撮影してみた。すると一見一つの星に見えていたものが明らかに大小二つの星と分かった。(18時08分15秒)
青白く写っているのが木星で右斜め上のややオレンジっぽいのが土星だ。この時左上になんか妙な薄い線が入っているなとは気づいていたが木星土星を手ぶれしないように写すのに精一杯であまり気にしていなかった。次が18時08分42秒の写真だ。後で写真を見て思ったが、左上の線は彗星じゃなかろうか。↓。朝、郵便受けを見ると、いつもお世話になっている近くの動物病院からの葉書があった。なんと「令和3年1月30日をもって閉院いたします」とあるではないか。ゲンちゃんを飼い始めて10年余り、お世話になっていた動物病院で、ワクチン接種や旅行に行くときなど結構安くで数日預かりもしてくれて助かっていたのだがー。団地の近くに他にも同じような病院が出てきたし、それにこの前のカールもだが飼い主にきびしい先生だったとかで、徐々に人気がなくなってきていたのかもしれない。いや、去年の理髪店の閉店も同様、この伊敷ニュータウンの人口が減って来ているせいかも。商売ってのは一時人気があってもライバル店などの影響でつぶれたりとか栄枯盛衰難しいもんだね。
そこへいくと車業界では50年以上ずっとトップのトヨタ自動車、今日は2回目のプリウスの車検とかで車を持っていった。数時間の間だけだったけれど直前に代車を希望したらちゃんと用意してくれすぐに自宅に戻ることが出来た。このあたり、弱小の会社では対応できないところがあるかもしれない。車をトヨタにして10年以上経つが確かにサービスというかしっかりしているのよねえ。車も故障の少なさは特筆もので大きなトラブルはほとんど経験したことがない。それにプリウスはハイブリッド車として最先端のテクも頑張っているし、以前のようなトヨタの車には乗りたくないというひねくれた気持ちはなくなった。これだけトップであり続けるというのは安心と革新、この二つを両立させているからだろう。
ただ、ガソリン車受難の時代となりこのままでは大トヨタもうかうかとはしていられない。環境政策のためガソリン車がなくなるかもしれないとの方針が打ち出され、トヨタの社長からは「EV車やHV車を作るのにも結構なCO2を排出しているではないか」とあまりに急なEV化へのシフトぶりに反発する発言もしていた。業界の本音が出ていて面白い。トヨタがつぶれるようなことがあれば日本も危うい。日本を代表する企業としてトヨタには今後も頑張って欲しい。
21世紀に入り、情報を扱う企業が躍進した。GAFA(ガーファ)、あるいはGAFAM(ガーファム)と呼ばれる5社(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)の企業の時価総額は日本企業全体のそれを今年上回ったと聞く。これら全部アメリカの企業だ。誰だい?「ジャパンアズナンバーワン」って言っていたのは。アメリカの底力はまだまだすごい。
今は製造業さえ頑張れば成長出来る時代ではなくなった。「君たち、30年も経つと医学の教科書は変わっているんだよ」とは学生時代鹿大第三内科の井形昭弘教授に言われた言葉だ。その時は本当にそうかなと思ったが、実際どの科目、分野でも進歩、変化し大きく変わってい枚挙にいとまがない。最先端企業もそうだ。30年前の30年前(60年前)は重工業や繊維産業が一番力を持っていた。さらにその前の90年前はというと・・一番はなんと農林水産業で絹織物などの繊維産業も盛ん、さらに海運業、鉄鋼など軍需産業が目立っていた。情報産業って電話があるくらいでまだまだの時代だった。
これから社会で一旗揚げてやろう思う若者は今ではなく30年後に発展している業界を目指すべきだろうな。
今日は土曜勤務と午後からリアル麻雀の予定だった。何事もなければ余裕で見せたまえDrのところへ行けるはずだったが・・。
まず朝一でタール便でかなりの貧血の入院患者がいて緊急内視鏡をしなければならなかった。十二指腸潰瘍が原因でそこの露出血管をソフト凝固法で焼いて止血出来た。さらに昼前に近医のサンキング内科から紹介された高齢女性の胃カメラもしなくてはならなかった。これがおそらくは胃癌で入院が必要、何やかにかしていたら13時半前になりゆっくり食事するどころじゃなくなった。医局にあったUFO焼きそばをかっ込み、見せたまえの院長室へ急いだ。
どうも今回が今年最後のリアル麻雀になりそう。そう気合いを入れて臨んだが、なんと開始から4連続ビリを取ってしまった。一気にマイナス200Pだ。どこか大きなミスをした気はしない。こんなはずでは・・。そこから頑張ってラスを引くことなく少しは取り戻したが、前半のマイナスは大きくー110Pで一人負けに終わってしまった。腹出しDrが久しぶりの勝ちの+70P、サブアラド、見せたまえ両Drが+20Pで、これで年間トータルの成績が私が2位になりサブアラドが1位になって逆転された。
ネットでは私が七段、サブアラドが六段の降段間近とリアル麻雀とは逆だ。これは来年以降もライバル関係は続いていくね。あと、そうだ。麻雀しながらBSのTVを付けていたら「ゴジラ映画の女性たち」とかいう嗜好性の強い番組をやっていた。これに私と見せたまえは逐一反応し「ああ、こん時のゴジラはこうだった」「メカゴジラはかっこよかった(見せたまえの感想)」「ヘドラでは怪獣が来るのに麻雀しているシーンがあってそいつらやられちゃうんだ(これは私)」と盛り上がったが、同い年の腹出しはずっと黙ったままで「おれは全く見ていないのよねえ」と乗ってこなかった。というのも彼は幼稚園から小学低学年まで親の仕事の都合で奄美大島で過ごしたらしい。昭和40年代前半のころだ。まさにゴジラ、ウルトラマン全盛期の頃をNHKのみのTV放送で過ごし、映画も見ていなかった。あわわ。天文館地域に住んでいた私と話が盛り上がらなかったわけだ。
ところでコロナだが、今夜私の知っている人がまさかの陽性が出たんだと。本人は症状はない。ただ発症した人と濃厚接触した経緯があり保健所の要請で今朝PCRを受けた結果がそうだった。いやはや、コロナが間近に迫っているよ〜。
そしてそろそろ年賀状の時期だ。これが毎年頭を悩ます。まだいいアイデアが浮かんでこない。去年から家族そろってのコラージュは止め、お笑いはなくしたが、こんな世の中、せめて賀状で初笑いを届けられたと思う。まずはパソコン修理の後使えなくなったフォトショップを買うか試用で使うかを申し込むかしなくては。年末はやることがいっぱいだぁ。
朝、カールがご飯を作っている音を聞きながら天鳳をしていた。いつもより作るのに時間がかかっているので、どうしたのだろうと見ると「チーズケーキを作っているの」だと。「青雲会病院の内視鏡室のみんなに上げようと思って。テルくんが日頃お世話になっているから」と感心なことを言う。「去年はシフォンケーキだったのよ」と言われ、だったナーと思い出した。↓作業終了直前の様子。
昨夜は当直だったが救急や外来は一人も患者が来なかった。では、楽勝だったのかというとさにあらず。午前2時半ごろ4階病棟のウクノーダNsからピッチに連絡あり「フォエバサンNsが心窩部痛で苦しんでいます」だと。患者じゃなくて職員かい。結構痛がっていて空いている個室のベッドでうずくまっていた。診察後、注射と内服の指示をした後、当直室で休むことにした。ゆっくりシャワーも浴び、朝まで一眠りできるかと思いきや・・。
午前4時頃だったか、また4階のウークノダNsからピッチに連絡があった。先のフォーエバーさんの件かなと思ったが、「XXさんが下血していて大変です。見に来て下さい」と。うわ、何でこのタイミングで下血なんかと思っても実際そうなのだから仕方ない。見に行くと確かにどろどろした赤黒い血が出てオムツを汚している。この時間が日中なら大腸内視鏡をすぐに指示するところだが今はスタッフが足りない。まだしばらくは点滴などで様子をみられると判断した。すべては夜が明けてからだ。
朝一でXXさんのまずは上部消化管内視鏡(胃カメラ)から始めた。胃や十二指腸に潰瘍が散在している。この中のどれかから出血したのか?しかしはっきりこれといった出血点は見つからない。十二指腸潰瘍が大きく、少し疑わしい部位にクリップを掛けたが、本当の出血源はきっと大腸だろうとこの時点で推測でき、排便を促す前処置なしですぐに大腸内視鏡に移った。
入れてみると、やはり血液がいっぱい付着している。驚いたのは直腸からS状結腸にかけてそこそこの潰瘍が多発していたことだ。この中のどれかから出血したに違いない。こうした潰瘍の場合、出血部位は直腸に多い。で、観察はS状結腸までにとどめ、ゆっくりスコープを引いてくると・・肛門直下にそれはあった。潰瘍の中心に血餅のようなものがくっついている。今は血が止まっていて露出血管を塞ぐように凝血しているのだ。何もしないのならそっとしておくのがいい。しかし私はその凝血塊をスコープ先端で剥がした。そのせいでドクドクとまた出血してきた。昔ムッちゃんNsが「こてる先生はわざと出血させるから(イヤだ)」てなことをよく言っていた。確かに止まっているものを出血させるのは怖いが、出血源ははっきりさせないと確実に止血させられないのだ。
確実に止められる自信がないとこのように出血させるのは良くない。この後、HSE(高張エピネフリン液)を局注し、出血の勢いを弱めさせ、クリップをうまく掛ければ止血できる。それで下の画像写真にもあるようにきっちり止めることが出来た。↓。本音は当直が明けたらそのまま帰りたい。しかし前日から深夜にかけて診た患者さんは翌日午前までかければ診断、治療が何かとやりやすい。今日なんか特にそうだ。してみると28時間連続勤務の制限はまずまず理にかなっていると思ったことだった。
その人は初めて診る患者だった。中年の男性とだけ書いておこう。その人の訴えは別にして私は糖尿病があるのでは?と気になって採血をチェックした。案の定糖尿病のコントロールスコアであるHbA1cがやや高かった。「糖尿病ですね」というと男性は少し驚いたような表情を見せたが「痩せないといけませんね」とポカリスエット片手に笑っていた。
体重110kg。
太りすぎやろ、アナタ!そいでちょいと前にあのライ〇ップもやったんだそうだ。2ヶ月やってー10kgになったそうだ。「あぶく銭が入ったもんだからちょっとやってみようかなと思ってですね」でも「止めました。だってサプリが月に7万もして、2ヶ月で合計100万もかかりましたから」だって。えーー!そんなに?
結局すぐにリバウンドだってさ。炭水化物を摂らないダイエットらしいがやはり長続きするものでないとあまり意味はないよねぇ。私はカルテに「今のところ内服は不要、減量すべし」と書いたのだが多少の無力感があったのは否めなかった・・。
YouTubeを寝ながら見ていたら案の定寝落ちしていた。しかしノートパソコンが腹の横に落ちていても、YouTubeはそのまま次の動画に入り延々としゃべりまくっていた。目が醒めたのは未明の何時くらいだろう。動いているYouTubeを寝ぼけた頭でそのまま見ていた。若い予備校講師のような人がなんだか自分の大学生活を振り返って熱く語っている動画だった。どこかで見たような顔だなと思いつつその熱い語り口にじっと見入ってしまった。
宇佐見天彗(すばる )というこの人は東大の理Ⅱに入学してその後「進振り」という制度があり、勉学をがんばり何と薬学部や農学部ではなくて医学部に進級出来たのだという。そこでの頑張り具合など見聞きしているとこれはちょっと最初から見直してみようと思った。普通、YouTubeって10分前後で終わって続きがまた10分程度と続くことが多い。しかしこの動画は1時間9分もありしかもノンストップ、ずっと早口でしゃべり続けているのだ。
「【23歳 最後の授業】東大合格から医学部卒業までの“6年間の全て"をお話します」https://www.youtube.com/watch?v=2ScYLZ5Wixc&t=29s東大生になってバイトである塾の中学1年生を受け持つことになった。最初は生徒になめられていると感じた。ところがその教室は都内で20くらいある教室では13番目の成績だったがすばる先生の指導で数ヶ月後にはなんと1番になってしまうのだ。その辺りから彼は教育というものに目覚める。本を出し学生の身でパソラボという塾まで経営するに至る。今春医学部卒業し医師にもなっているが教育界で生きていくことを決意している。
もう一つの「【激励】東大合格までの”受験のリアル”をお話しします」https://www.youtube.com/watch?v=zsH4dbGWEZsも熱い。その中で「一番大事なこと」と語っていることを聞き、あ、かつて自分もそれは経験したと思い至ることがあった。特に受験を控える生徒、学生に見て欲しい動画だ。二つ併せて2時間ほどにもなり時間がないときはお勧めできないが、時間があり手中出来る時に一度視聴することをお勧める。もしかすると人生が変わるかもしれない。
もし45年前の高校1年生時に見ていたら私ももっと頑張れたかも。少なくとも勉強法は大きく変わっていただろう。「与えられることをただこなすだけ」の勉強法でどうにか鹿大医学部に合格出来たから文句は言えないのかもしれないがその副作用は大学入学後に露呈した。卒業前くらいにどうにか勉強法が変わり1年留年しただけで卒業、国試にも受かることが出来たが、未だに高校までの勉強法の悪影響が残っている。人は急には変われない。
宇佐見先生も順調にこれまで来たわけではない。話を聞いていて少し心配したのが、これだけ熱いといわゆるバーンアウトしやしないかということだ。彼が最初の本を出版したときに本人のちょっとしたミスでネット上で叩かれるという憂き目に遭った。その時の誹謗中傷が思いのほか本人を傷つけ、しまいには「もう死んでしまおう」とさえ思ってしまう。しかしネットをやっていなかった女学生から感謝の手紙をもらうことで救われ復活する。現代ではありがちな話でネットの功罪両方を経験していたわけだ。間違って死ななくて良かったよ。クズみたいな中傷に負けて人生を棒に振るなんてまったくツマラナイからな。
ひょんなことから面白い動画を見た。昨日も書いたがYouTubeって世界が広がるんよねえ。最近韓ドラを見なくなっているのはYouTubeにハマっているからに他ならない。
週1回の一人ボウリング練習は続けていて今夜もT-MAXで4ゲーム投げた。200アップは1回だけでレンコンが荒れてなくていい感じの割りには打ててない。また珍しく4階フロアを指定され、ドリル中だった日置プロとも目が合い、お互い会釈した。とにかくボウリング客は明らかに減っているから私みたいな常連はボウリング場にとっても貴重だろう。ほんとは仲間を連れてもっと歓迎されたいのだけどネー。
家に帰れば最近はTVよりもYouTubeを見ることがすごく増えた。相変わらずジョシュ・ターナーがギターを弾くビートルズ楽曲「アンド・ユア・バード・キャン・シング」は聴いている。飽きないんだよねえこの曲。https://www.youtube.com/watch?v=TPAtGpU_xY8&list=RDTPAtGpU_xY8&start_radio=1
今夜は医師にして受験塾経営をしている細井Drのシリーズを見た。医学部を目指す人たちのためにというテーマで受験や医学部のあらゆるネタを面白くかつ分かりやすく紹介している。本人は渋谷幕張高から一浪して千葉大医学部(現役の時後期で受かったが東大理Ⅲを狙って浪人した)を出ている。特に医師や医大生をゲストに迎え、その医学部の現状を教えてもらうシリーズや美人の医学生、ちょっと変わり者の医学生(9浪で東大理Ⅲ合格するもトホホの国士浪人3浪目)などのゲストは面白かった。https://www.youtube.com/results?search_query=細井龍&pbjreload=101
なんで医学部受験のコーナー見ているかというと、ちょっと前までは将棋を知らない私が詰め将棋の動画をよく見ていた。鈴木貫太郎さんという人が分かりやすく5手詰めなどの問題を中心に出してくるから素人の私でも挑戦しようかという気になった。ところがこの鈴木貫太郎さん、実は教育系YouTuberで入試問題解説をする人だったのだ。https://www.youtube.com/results?search_query=鈴木貫太郎それらをクリックしているうちに受験系のYouTuberの動画が増えてきた。その中に細井Drのもあったわけだ。
後は日本のいいところをアピールする動画や逆にお隣の国をディスる動画、本来の趣味の囲碁の動画、ボウリングプロの実況動画などを見ている。しかし麻雀系は見ない。というのもそんなヒマがあったら天鳳を打ちたいからだ。YouTubeを見始めて私は意外に数学が好きだったのは?と思った。受験に出た整数問題や図形問題などの解説動画をなぜかよく見ている。理論立てて解き明かされる過程が面白い。https://www.youtube.com/results?search_query=数学整数問題
そんなの見ていたから細井Drのサイトに行き着いたようだ。だから一つの分野からあちこちへ広がって行く様もそれなりに面白い。TVより面白い感じがする。TVだと興味のないことも見せられるからね。昔、4年前か、オイドリッチNsに「スマホで主に何をする?」と尋ねたときに「YouTubeとか・・」と聞き「へー、そうか、オレはあんまし利用しないけどな。若いからか」と思ったものだが、私も若者の感覚に近づいて来ているのかも。
YouTubeってホントにその人の趣味的な興味を満足させてくれる。でもそれは本当に個人的なもので私が今回紹介したYouTube動画は多くの人にはほとんど興味がないに違いない。でもそれでいい。TVと違ってそこがネットのYouTubeのいいところなのだ。天鳳七段は七段以上のみが参加できる鳳凰卓に参戦出来る。久々に参戦とあって妙によそ行きの麻雀を打ってしまい初戦は3位に終わった。ふう、まあ3位ならポイントは減らないのでまずまずだ。やはりこれまでの特上卓と違い相手の攻撃が手強い。一局のうち必ずリーチか鳴きの仕掛けが入りそれらへの対応を余儀なくされるので集中していないとやられる。それに自分のチャンスもそう多くはないため上がれる手を逃すとなかなか浮上しない。いやはや大変なところに来てしまった。こうなると以前の特上卓がすでに懐かしくさえある。今より気楽に打てたもんなぁ。
久々と言えば、昨日は何年ぶりかにゲロを吐いた。それが出水駅のトイレでだ。朝からなかなか便が出ていない状況だったが、そのまま長島での内視鏡の仕事を終え、少しお腹が張ってはいたけど弁当が出たのでそれを全部食べた後、車で出水駅まで送ってもらった。ところがこの時に排便しようにも出来ずむかむかしてどんどん気分が悪くなった。脂汗をかきながら早く駅に着いてくれ〜そしたらすっきりする〜と思いつつ、ようやく着くと、運転してくれたクリニックの事務長への挨拶もそこそこに構内のトイレへ向かった。嘔吐する前に排便をーー。
洋式トイレのドアを開けたが最後、便器に向かって「ウエェ〜」と吐いてしまった。2回、3回合計4回嘔吐した。ぐったり。便も出たけど遅いヨ。よろよろしながら新幹線のホームへと向かった。他の客はみんな立って新幹線を待っていたけれど私だけベンチに座って待った。さすが日本の新幹線、定刻通り来てくれ何事もなかったように終点鹿児島中央駅に着いた。私はうとうととしてしばらく動けず周囲がざわめくのでハッとして列車を降りた。以前、1回だけそのまま寝入っていたら清掃員に「終点ですよ」と起こされたことがあった。
アミュの紀伊國屋書店にでも立ち寄りたい気もあったのだが、結局そのまま家に帰った。それでばったりと床寝となったが、やっぱり夜更かしというか生活リズムが狂っているせいかなぁ。それともすでに還暦過ぎているこの年のせいか。無理は利かない年頃になってますわ〜。
昨日夜寝落ちしてしまい、午前2時半ごろ覚醒した。しばらくして頭がすっきりした頃、天鳳を立ち上げ、いよいよ七段昇段戦に臨んだ。
最初の半荘は3位で終わった。次の半荘、いきなりリーチ一発ツモドラ1の満貫からスタートしその後の親の7700、5800と上がって楽勝かと思いきや放銃2回で2位に落ち、ラス前にぎりぎりトップ目に立ったが、オーラスでトップ争いをしていた下家にまくられ2位に終わった。即昇段とはならないが、今日の調子はまずまずの感じだ。
これで2355Pとなり昇段の2400Pまであと45Pとなった。しかし2位の30Pではまだ足らず1位の75Pでないと昇段できない条件はいっしょ。ふぅーと息を吐き「今度こそ」と3度目の半荘に臨んだ。
これが最初から調子いい。2000点、7700点と上がりトップ目で迎えた東4局2本場親番だった。配牌がなかなかにエグい。
ドラ
小三元、大三元、混一など大物手が狙える配牌だ。ここで私は最初から中をカンした。(これには後からサブアラド六段から異論があった)私としては三元役などにこだわるつもりはさほどなく、字牌とピンズ以外はバラバラで聴牌に時間がかかりそうでツモやドラを増やしてこの手を親マン手以上にしたかったのだ。王牌から持って来たのは八萬。さほどの有効牌ではない。打北。次のツモ牌が北でちょっと失敗したかなと思った。西でも良かったかと。しかし後で牌山を検討するとこれが絶妙だった。その次のツモ牌が発!おおっ。これには誰もが胸がときめくだろう。当然の打西でこれを対面の西家がポンした。次のツモが二萬。牌姿はこうなった。
大三元の二向聴で、こうなったら一番いらないのはドラの1ピンだろう。そしてすぐの対面から発が出てこれをポン!打八萬。周りには三元役が露わでここで中カンが手の内をさらしたことになり、どうだったかとサブアラド六段らの意見が出てくる。大三元を上がらねばならない局面なら確かにそうだが、私は小三元、もしくは混一、いや親ゆえにとにかく上がりさえすればいいと思っていた。
それでこの後どうなったか。意外に早く決着がついた。麻雀が出来る人は以下のアドレスをクリックしてみてー。https://tenhou.net/3/?log=2020121204gm-0029-0000-0ac47cf7&tw=3&ts=4
あっという間に大三元を上がり下家をドボンさせトップ確定。七段昇段に花を添えた。未明にも関わらずこてる家のLINEにこれを投稿したら、午前4時台というのにチッチから「おめでとう」とすぐに返信が来た。テルからは夜が明けてから、大三元上がった打ち方に対しサブアラド六段同様「いきなりの中カンはしないなあ」とか「待ちを二萬、6ピンのシャボ待ちではなく間7ピンにする。場の状況からみてそっちが上がりやすいと思う」と言ってきた。そこは確かに肯ける。6ピンが私の手かみて3枚見えていて相手には7ピンは使いづらい。そうすればやはり下家がすぐに7ピンを放銃していたはず。いずれにせよこの人は役満を打つ運命にあったようだ。
ははー。こてるのIDで本格的に打ち始めて4年半。六段に上がったのが3年前、そこから五段と六段をくり返すこと4回。5回目の正直でやっと七段に上がった。ようやくという感じだ。それもコロナで巣ごもり状況が続きネット麻雀に打ち込める環境になったからだろう。コロナ禍で珍しくプラスになった事態だ。
これで、いよいよ最強者らが集まる鳳凰卓への参戦となる。サブアラド六段には悪いがお先にぃーだ。悔しいなら早く上がってらっしゃい。