2026年1月5日月曜日

アメリカのベネズエラ攻撃それとは別にアムレト・モナチェリ

最近の社会的なニュースで一番の話題はアメリカのベネズエラへの軍事攻撃だ。精鋭部隊のデルタフォースがマドゥロ大統領夫妻を拘束し、マドゥロ大統領は麻薬犯罪との関わりがあるとの名目でアメリカに移送され起訴された。

他国に侵入し、その元首を拉致(とアメリカは言っていないが)し連れ去るなんて、明らかに国際法違反であり、これはウクライナ侵攻のロシアや台湾を狙う中国に対しアメリカは批判も出来ないし今後憂慮される事態になる、という批判が日本や他国のみならずアメリカ自国内でも起きているという。共同通信と連携している鹿児島の南日本新聞もそうした批判をしていた。

ただそうした批判に対し、私はかなり違和感を覚えた。というのもベネズエラの現状があまりにもひどいからだ。原油生産が豊富でかつて比較的裕福だった国であったが、貧富の差が激しく貧困層からの支持を受けた1999年以降のチャベス政権は21世紀の社会主義を掲げ原油施設を国有化し反米的政策を押し進めてきた。チャベスが2013年にガンで死去後はそれを継承するマドゥロ政権となったが、これがはっきりし言って無能で「金がないなら紙幣を刷ればいい」ってな100年前の前近代国家がしそうなことをやって超ハイパーインフレになりトイレットペーパーより札束の方が安いなんてことになった。国民の約95%が貧困層となり国民約1/4の800万人弱が国外に逃げ出す事態になりこれはもう国家破綻状態となっていた。一応選挙でマドゥロ大統領は何度か選ばれたことになっているが、2024年の選挙結果では51%投票獲得したというが、その証拠をはっきりと示せず不正選挙であったのは間違いなかった。そしてなにより麻薬組織と政府、軍が結びつき犯罪国家に落ちぶれ、しかもそこにつけ込んだ中国が資金補助する代わりに原油を安く購入するという状況で、アメリカはベネズエラが自国とその周辺(西半球)を脅かす脅威なると危惧したわけだ。

そうした背景を深く考えずにアメリカのやり方が横暴だと批判するのは現実世界を考慮できない理想的主義主張にこだわり過ぎって気がするんだ。それとアメリカのやり方が元々気に入らない人たちが一定数いるからね。確かにいろいろな意味で世界一の国アメリカには嫌なところもある。でも、ロシア、中国、北朝鮮ほか民主主義でない専制国家に比べてどれだけマシかって私は思う。一応前述3ヶ国の首脳は選挙によって選ばれているとの体を取っているが、一般国民は現政権を表立って批判出来ない、そうすると牢屋に入れられる(言い方が古いが)か抹殺されるという点では専制国家だ。それらの国々がベネズエラのマドゥロ政権を支持していたのも笑っちゃうけどね。

今回のアメリカの攻撃があまりにも順調にいったのは何もアメリカがすごいってだけでなく、明らかに内通者がいて国内でもマドゥロ大統領一派から人心が離れていたということだ。そうでなければこんなに上手く行くはずがない。私など北朝鮮の金正恩も今回のような方法でアメリカが拉致し体制を崩壊させ、日本人拉致被害者が解放されたらいいななんても妄想するが、現時点の彼の国では国民が洗脳されているから、いくらアメリカがすごいって言っても無理だろう。

話を変えると、ベネズエラ人で知っている人がいるか言われれば、表舞台に登場するマドゥロ大統領や昨年のノーベル平和賞受賞者のマリア・コリナ・マチャド氏などを除いて、私は一人のプロボウラーしか知らない。アムレト・モナチェリ(Amleto Monacelli)だ。ベネズエラでイタリア系移民の実家がボウリング場を経営する環境で育った彼は、1980年代にアメリカのプロボウリング組織であるPBAに加入し、1989年、1990年には2年連続で最優秀選手になり、日本で行われるPBA大会ジャパンカップでも2度優勝、さらに2016年54歳時に日本で開かれたDHCカップPBAジャパンインビテーショナルで20回目の優勝を飾り、殿堂入りも果たしているレジェンドである。
現在の日本のプロボウリングで主流になっている投げ方(一般にはローダウンと呼ばれる)を駆使して小柄ながら一世を風靡した。彼は1987年に日本で行われたジャパンカップでPBA初優勝をしているが、その時の日本のボウリング界では彼のフォームに衝撃を受け「モナチェリショック」という言葉が出たそうだ。当時のオーソドックスな投法とはかけ離れていたからである。私がボウリングを始めた1991年は湾岸戦争が始まった年で、当時絶頂期にあったモナチェリはそのせいでベネズエラからウインターツアーにすぐには参加できなかった。しかし参戦後はまた優勝を重ね、メジャー大会の一つファイアーストーン大会で決勝戦に進出した。この時のゲームは私はよく覚えている。モナチェリのボウリングを見たのはそれが初めてだったからだ。

モナチェリの対戦相手は教科書的フォームで安定感抜群のデイビッド・オジオだった。トップシードのモナチェリは「勝つのは当然ボクさ」ってインタビューでも語り自信満々だった。しかしたまたま残った5番ピン、スペアの中で一番簡単な1本残りをいつもの高回転ボールで取ろうとしたらピン直前でボールが曲がりすぎてすり抜けてしまった。結局このミスが響き優勝を逃してしまう。「えっ?」と大きく目を見開いた彼の表情を今でも思い出す。この年のMVP争いは混戦でファイアーストーンでの優勝が効いてオジオは生涯唯一のMVPを獲得出来た。その他にはデル・バラードJr、ピート・ウェーバーなども有力だったがバラードはフェアレーンズオープンでの有名な最終投球ガターでの優勝逃し、その時に逆転優勝したウェーバーは他選手へのいたずら(ボールの穴にビールを入れた?)などで出場停止数ヶ月をくらい、どちらも殿堂入りを果たしながら、結局生涯MVPには縁がなかった。

いやちょっとマニアックな話題になってしまった。しかし1991年は私がボウリングにのめり込むきっかけとなった年で、ベネズエラのモナチェリ、「こてる」とならんで私のもう一つのネットネームである「デルバラド」の元ネタのデル・バラードJr、ディック・ウェーバーというボウリング界のレジェンドを親に持つピート・ウェーバー、ナンバーワン左腕のパーカーボーン3世、PBA最多勝のウォルター・レイ・ウィリアムズJrなど今でも有名ボウラーが活躍していた。私にとってのいわゆる胸アツ世代だ。

そんなモナチェリを生んだベネズエラが国民が逃げ出すような状況から脱却し再生することを願うばかりで、それのヘルプをするのがアメリカなのは、完璧ではないかもしれないが専制国家が食い込むよりずっとマシって思いたい。

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