元鹿児島商業野球部監督で夏の甲子園ベスト4の実績もある塩瀬重輝さんが亡くなったと南日本新聞に大きく出ていた。 MBC(南日本放送)でも映像付きでニュースになっていた。
塩瀬監督を知ったのは1986年(昭和61年)の夏の甲子園の時だった。久しぶりに甲子園出場を果たした鹿商の監督として準決勝まで勝ち進み、鹿児島県二度目のベスト4進出で当時の県民を大いに湧かせたものだった。あの時の鹿商は優勝した天理、準優勝の松山商に匹敵する力があった。その証拠に秋の国体では優勝をしている。私とは医師と患者として、そして高校野球好きとして20年来の付き合いだった。会えばたいてい高校野球の話題になり、外来がヒマだったら診療そっちのけで高校野球談義をしたものだった。特に日曜当番で他に患者さんがいなかったときなど30分とは言わず語り合う羽目になり、終わって監督は「いや〜、良か先生に出会った」と喜んでくれていたなぁ。こてる日記ではこれまで「シオシゲ」監督「シオシゲ」さんの名前で何度も登場している。→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/search?q=シオシゲ
諸事情で鹿児島市内の病院に転院療養となって2年以上が過ぎていた。80歳も後半になっていたし、今回のニュースでは驚くより「そうか・・やっぱり」という気持ちだった。青雲会病院に入院中に甲子園大会があった時など、観戦に熱中し「TVカードがすぐになくなってかなわん」とぼやいていたなぁ。野球が好きで若い頃は広島商、中京など伝統強豪高に手弁当で出向いてどのような練習をすれば勝てるのかなど教えを請うこともしたそうだ。
最近鹿児島県の高校野球は神村一強だが、10年くらい前は「小田(神村監督)君にも地域密着の態度で地域に愛されるようにしないといけないと言いたい」と私には語っていた。その声が届いたかどうかは知らないが、神村学園が全国的な強豪高になって2年連続夏ベスト4を達成したと知ったらどうだったかな。病状からしてTVは見ることは出来なかったはずで、出来ていたらきっと大いに喜んでいただろう。鹿児島の高校野球に大きな足跡を残した(8年ほど前かな、「そう、ネットでも評価されていますよ」とパソコン画面(↓)を見せたらニヤッとして満足げな表情だった)塩瀬監督のご冥福を祈ります。
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