その中で1990年代の少女アニメセーラームーンのテーマソング「ムーンライト伝説」(1992年)が、今は女優の中谷美紀が所属していたKEY WEST CLUBの「夢はマジョリカ・セニョリータ」という歌であると指摘していた。その曲をアレンジし直して大成功したのが「ムーンライト伝説」であると。ふーんと思ってはみたもののさほど興味は湧かなかった。がしかし、Wikipediaでこの曲を調べると俄然興味が湧いてきた。実は「ムーンライト伝説」は1965年の倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」のパクリだったのだ。
「さよならはダンスの後に」を作曲した小川寛興は「ムーンライト伝説」が自作曲との酷似に気付き、日本音楽著作権協会(JASRAC)を仲介して交渉し、最終的に著作権使用料の一部を小川に分配することで和解したという。同楽曲のプロデュースに関わった長戸大幸は作曲段階から本楽曲を模して「ムーンライト伝説」を作っており、バレないだろうと考えていたが後に上記の問題が生じた事を証言している。そもそも作曲者名も「小諸鉄矢(こもろてつや)」と小室哲哉のパロディであるのは明白だ。本名は吉江一男で長戸大幸とよくいっしょに曲を作っていた作曲家&プロデューサーとのことだ。ただ、この「ムーンライト伝説」、1990年代を代表するアニメソングとしてよく挙がり、アニメ曲の人気投票でもたいてい上位に入るし、カバー曲としてレコーディングする歌手もかなり多い。その人気は日本だけでなく今や世界中に広がっていて、そもそも1週間ほど前、YouTubeチャンネルでフランスの30歳代40歳代の女性がこのアニメを見て育っていて、「日本に行ったらセーラームーンのコスプレをして『ムーンライト伝説』を歌って踊るのが夢」というのを見たばかりだった。
ムーンライト伝説を知らない人もいると思うので↓をどうぞ。
この曲の出だしが特に「さよならはダンスの後に」↓と酷似しているのだ。
そもそもある楽曲が作られる過程において、それ以前の楽曲の影響を全く受けていないことってほとんどない。パクりとまでは言えなくても昔聴いた曲の良さを自分の曲にも活かしたいと思えばどうしてもどこかが似てしまうものだろう。
この曲は何度聴いても全く飽きが来ないし「素晴らしい曲だ、レコードも欲しい」と探すもすでに20数年前の洋楽レコードなどそう簡単には見つからなかった。医師になり1985年、すでにレコードに代わりCDが主流になりつつある頃、鹿児島天文館の十字屋でアメリカのシックスティーズの名盤ばかりを集めたシリーズ物のCDがあり、その中に「Save the Last Dance for Me」を見つけた時は嬉しかった。喜びすぎてレジの女性店員に「この曲が入っていてホントに嬉しいんすよ」と言ったため、「何、この人?」と変な目で見られたのを思い出すわ〜。良い曲なのにどうも女性とは相性悪いんかな・・。名曲中の名曲「Save the Last Dance for Me(ラストダンスは私に)」をどうぞ。→https://www.youtube.com/watch?v=n-XQ26KePUQ&t=53s
で、なんでこの流れで「ヘイジュード」を取り上げたのかというと・・そう、実は「ヘイジュード」は「ラストダンスは私に」という曲があってこそ出来上がった曲なのだ。作者のポール・マッカートニーは「ラストダンス・・」を聴きながら作曲したと言われている。その証拠にこの2曲のコード進行はほぼ同じなのである。「ヘイジュード」は「ラストダンス・・」とはメロディは違うし作詞もジョン・レノンの息子ジュリアン・レノンを励ますために作られたというエピソードはあまりにも有名で、「ラストダンスは私に」とはテーマが違うためパクリ疑惑すら出ず、ビートルズきっての名曲かつ最大のヒット曲としてよく知られるところである。しかしコード進行がいっしょということで日本の大瀧詠一がプロデュースしキングトーンズというドゥーワップグループに歌わせマッシュアップした「ラストダンスはヘイジュード」(1981年)という面白い曲がある。だいぶ経ってからこのことを知り、自分の大好きな曲が実はとても似通ったものだったのだと知ったのだ。→https://www.youtube.com/watch?v=CwiPJZGZnPU
名曲をそのままパクらずいわゆる換骨奪胎(かんこつだったい)してさらにまた良い曲が出来上がり連綿とつながっていく。今日私が話題にした曲は「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」であるが、調べればこの曲もきっと何らかの曲から影響を受けているはずである。
しかし、とりあえずの本日の結論は・・全ては「ラストダンスは私に」から始まった、だ。フフフ。
0 件のコメント:
コメントを投稿