2024年11月19日火曜日

プーさん病院地域医療連携会

夜は城山ホテル鹿児島でプーさん病院の地域医療連携会に出席した。無論スーツをピシリと着てのことだ。

出席表を眺めると、全出席者140名以上のうちゲストの約100名以上がドクターだった。テーブルの左隣には元第二内科講師のビューティフルガーデンDr、対面には元青雲会病院常勤だったブックリバーDrもいた。左隣はプーさんの消化器内科のマツリゴトDrで私は「学生の時のポリクリでお父さんのマツリゴトシニアDrに胃透視の講義を受けたのが印象に残っていますよ」というエピソードを話した。お父さん先生が亡くなってもう30年以上は経っているだろうか。今日の病院紹介ではその名を冠した消化器病研究所が今も残っているということだ。

プーさん病院は今年で70周年になるという。ベッド数も338床もあり青雲会病院の3倍弱もある。1年前から院長を拝命したヨッシン先生は私の大学入学同期で、急性期医療と高度先進医療の提供と地域支援医療病院として頑張っていくという決意をミニ講演で述べていた。昨年は救急車受入数を2千台越えを目指すとして毎日ホームページにその数を更新して年末に達成出来たとか、今年から来年の休みが下手すると9連休にもなるため、12月28日と1月4日の土曜は平日と同様の終日診療を行うつもりだと積極的な姿勢がよく出ていた。

参加者ドクターの名簿を見てバスケット部先輩のええ楽Drや卒業同期のアンダーブックDr、元青雲会病院外科のカホDr、同じく非常勤だったナマテツDrなど久しぶりに会って互いの現況を語り合った。その中でわざわざ私のところに来てくれたのが整形外科出身で30年以上も前に霧島労災病院(現在は廃院)でいっしょだったサメコーDrだった。彼は以前プーさん病院に勤務していた。ただ様子を見て驚いた。右腕を曲げていて動きがぎこちない。「脳出血をしたんですよ。4年前です。でもクリニックの診察はまだ頑張っています」「こてる日記も時々見ていますよ」とまだまだくたばってたまるかと気持ちは折れていなかった。その意気やよしだが、さすがにボウリングは無理だろうな。以前ボウリング場で会って「マイボール作ったらいいよ」と勧めたら後にちゃんと作ってマイボールを投げていた。あ、彼はサウスポーだった。うーんでも無理はしないでいい。ボウリング出来なくても人生やることはいくらでもあるさー。
2内科後輩女医の雉子マリコDrに声をかけられ、内心「はて、誰だったかな?」と思いつつも「おお、久しぶり〜」と応答した。幸か不幸か「今は〇〇ですけど△△ですー」と結婚して姓が変わったと言うので「ああ、だから分からなかったよ」とヒヤヒヤながら話を合わせられた( 本当に忘れていて帰宅後に名簿でようやく思い出した)。他、開設した在宅クリニック名を見て相手がナマテツDrだと思って「在宅クリニックをやっているんだって」と話しかけると、人違いでアンダーブックDrだった。「あ、しまった」と思ったが、アンダーブックDrは「そうなんよ。もう16年になる」と素直に応じてくれた。「アンダーブック医院」という名前だったけれど実質在宅クリニックをやっていたんだ。ふう(汗)。

まあ、懇親会ではあるけれど同窓会の趣もあり、名前や顔を思い出せないなどの勘違いは大いにありうる。実は加治木温泉病院の会でも某女医さんに別の女医さんと専門科を勘違いして会話したりして、後から冷や汗かいた。それでも懇親会はなかなかに楽しい。コロナも一段落してこの手の会が増えていいことだ。今年はこれでこの手の会も終わりだ。また来年もお誘いがあったら出席しよう。みなさんよろしく!

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