2024年5月31日金曜日

最後の一花

 4月初めに院長就任祝いでもらった胡蝶蘭の一鉢が月曜日についに全部枯れ落ちてしまっていた。朝来たら最後の一花が床に落ちていたのだ。

ついに落ちたかと一抹のさみしさを覚え「あの花が落ちたら私の命も尽きるかも・・」などとオー・ヘンリーの「最後の一葉」を連想した。あれは肺炎になった若い女性の画家が庭の壁のツタの葉が全て落ちた時に自分の命も尽きると思い込んでいて、ある夜嵐が来て「ああ、ついに」と覚悟したが、翌朝も一葉だけ残っていたのを見て生きる勇気が出て助かった。でも実は・・という話だった。

ただ1週遅れでもらったもう一つの胡蝶蘭は結構元気で半分以上も花を咲かせている。

だが、さすがに少しずつ花は落ち始めていて、水が不足しているかもと思ってこの後少量足してやった。どうしてこんなに元気さに違いが出たのか分からない。生花店が違っているのと微妙に種類が違うからなのか。で、生花ってやはり入院患者には合わないって思った。だいたいは枯れ落ちるから病気の人にとっては見た目の華やかさよりも「最後の一葉」みたく生きることのはかなさが連想されやすい。それに水の衛生上の問題もあり病室には置いてはいけない決まりもある。

でも院長室では、毎朝元気をもらっていて、後しばらくは花を咲かせていてほしいな〜。

2024年5月30日木曜日

その名はクラノスケ

午後の内視鏡室、仕事も終わってみんなゆったりしていると、放射線科のタッチゲンさんがやって来て、花ゆりNsに何か表を渡していた。「ああ、助かるわ〜」と花ゆりNs。「何それ?」と尋ねると「クラスの年間スケジュール表です」という。「クラス?」「小学校のクラスです」ほう、二人の息子さんは小学6年生で同じクラスメートなのだった。

タッチゲンさんは上は大学から高校生、小学生が2人と4人ものお子さんがいて、3番目の次男は今風に「ノエル」と呼ぶんだそうだ。実際は漢字が当てられ下の子も「シオン」とか言って、花ゆりNsに言わせると「外人さんっぽい名前なんです」そしてタッチゲンさんによると「完全に音(おん)で名付けました。意味は特にないんです」とのことだ。ノエルだからクリスマスと関係して12月生まれかと思ったら全く違った。シオンもきっとエルサレムにある丘の意味ではないだろう(笑)。

で、花ゆりNsの息子さんはいうと、私は知っていた。なんと「クラノスケ」なんだ。おいおい、ノエルやシオンはいかにも平成令和風だがクラノスケって江戸時代じゃないかと私は揶揄した。しかし「古くさいけど滅多にいなくて一発で覚えてもらえる名前だと思って」と彼女は説明した。ただ、その後に「でもですよ。何と同じクラスにもう一人『クラノスケ』がいるんです」だって。なになにー!今どきクラノスケっていうだけでもちょいと珍しいのに同クラスに二人もいるんかい。いやはや驚いた。もしかして俳優の佐々木蔵之介が影響している?私なぞ忠臣蔵の大石内蔵助を真っ先に思い出すのだがー。↓は11年前、生後数ヶ月のクラノスケ君。

でもクラノスケ君が生まれたときからその名を私も覚えていたから彼女の狙いはぴったしだったわけだ。江戸風も令和風もそれぞれよしっ!ってことで、私は内視鏡室を後にしたのだった。

2024年5月29日水曜日

哀悼、テンちゃん

 そうだ、昨日のこと、ギボヒサコは早くも退院し、元の老人施設へ帰っていった。カールが付き添って施設に行くと、「テンちゃんが亡くなっていたのー」だって。テンちゃんは施設で飼われていたネコで、今年1月2日に日記ネタになっていた。10年以上前から施設に住み着いてお年寄りたちのアイドルネコだった。施設ではテンちゃんの遺影が飾られていたとか。白黒ネコでゲンちゃんやハナビと同じ柄だったし、他人事じゃないなと思った。最近痩せてきていて近々こうなるかもと周囲は危惧していたそうだ。みんなに好かれて幸せだったネ、テンちゃん。↓は今年1月2日の施設訪問時のテンちゃん。

↓チッチにも素直に抱かれる優しげなネコでした。
対してこてる家の白黒ネコたちは取っ組み合いこそしないけれど、相変わらずの緊張感は保ってます。
ゲンちゃんがやはり強いんだけど、ハナビはゲンちゃんの隙があればすぐにちょっかいを出す。この後、動かないハナビをじっと見すえつつ離れていって先輩の貫禄を見せつけたゲンちゃんだった。テンちゃんがこてる家にいたらもっと平和な感じだったろうな〜。

2024年5月28日火曜日

メジャーリーグ視聴方法

今日のドジャース対ニューヨーク・メッツ戦は雨のため中止になった。明日ダブルヘッダーが組まれるという。メジャーリーグ(MLB)は試合数が162試合と多く、引き分けがないので、試合空白日があまりなく、ダブルヘッダーがよく組まれる。明日は日本では早朝に試合がありそれはNHKBSでは放送されない。ううむ、最近、大谷の試合視聴はタイミングが悪い。

ネット調べると、AbemaTVではちょくちょく無料のMLB戦が放送されているが有料になることも多い。SPOTVNOW(スポティーヴィーナウ)は月2000円でMLB戦が1日8試合見られる。当然大谷のドジャース戦は入っている。しかしたまにNHKでやっていないだけで月2000円支払いは気が引ける。しかしー、いい方法を見つけた。私はこの5年ネット配信サービスのUーNEXTに加入している。このUーNEXTがSPOTVNOWと提携していてUーNEXTが毎月1200P無料配布していてそれを1200円分使うことが出来るのだ。ということは毎月800円でSPOTVNOWを視聴出来る。いや、このUーNEXTのポイントは使わずにいると最大3600Pまで貯まり、私は最近ほとんどポイントを使っていないので3600P丸々残っていた。ここから2000P(2000円)を使ってSPOTVNOW1ヶ月に加入出来るというわけだ。つまり1円も支払わずに1ヶ月分視聴可能ってことだ。

やってみたら簡単に視聴出来てリアルタイムでも最初からでもクリック一つでOKだ。野球は2時間以上あるので自分が見たい場面だけクリックで見たりもできる。いいねぇ。今までムダに捨てていたポイントの有効活用も出来て気分がいい。日付変わって朝5時からドジャース対メッツ戦を見てみた。大谷は1打席目三振に終わった。さすがに眠くてこの後寝てしまったが結局大谷は5打席凡退で不調極まれりだった。そしてダブルヘッダー2試合目は休養だって。NHKでは放送はあったものの大谷抜きになった。なんかツイていないないなぁ。翌5月30日のNHKは今永のカブス戦を放送するらしいから大谷の試合はまた見られない。今度の対メッツ戦はNHKだけの人は1試合も大谷のプレーをリアルタイムで見られないことになる。ここはSPOTVNOW加入していて正解だったわ〜。

2024年5月27日月曜日

北朝鮮のバッキャロー

昨日も書いたように、最近の私のスポーツ観戦は大谷翔平のドジャース戦が中心だ。といってもリアルタイムにいつも観戦出来るとは限らないから、平日夜22時45分からのNHKBSのスポーツ情報番組「ワースポ&MLB」を毎日見ている。時間帯が私の眠気とマッチングすることが多いので録画して後から見ることも多い。今夜も仮眠から覚めて真っ先に「ワースポ」の録画ビデオをクリックしたのだが・・。

ドジャース対レッズの試合ダイジェストが始まり、試合序盤を見ていると・・1分ほどで、突然、アラート画面になってしまった。はあ?北朝鮮のロケット発射だってよー。これが始まると10分や20分で終わるはずもない。念のため早送りして45分の終盤あたりを眺めると「我が国には飛来しないとみられる」なんてほざいている。バッキャロー!結局、今日の番組はパァだ。ドラマみたいに1週遅れで放送なんてしてくれないしどうしてくれる。番組を作る側もせっかく準備したものが放送されないなんて悔しいだろうて。それに北朝鮮さー、人工衛星だったらしいが失敗だったんだって?失敗はどうでもいいがなんで、「ワースポ」と同時刻に発射するんだ。あと45分遅らせてからやれよ。ケッ!!

結局、がっくりしてふて寝したのは言うまでもない。ちくしょ。

2024年5月26日日曜日

スポーツ観戦三昧

日曜はスポーツの試合がたくさんある。

朝はこのところ恒例のメジャーリーグ観戦でドジャースの試合を見た。今、ドジャースは投打ともに低調期に入っていて、比較的弱いはずのシンシナティ・レッズに負け越している。4月から5月半ばにかけて毎試合4点以上を取り続けていたのに1点とか0点じゃ勝てやしない。大谷もホームランが出ていないしヒットも1試合1本くらいだ。

お昼は天文館のホテル・レクストンでランチのつもりで駐車場にまで行ったが、なんと1時間待ちと聞き、諦めて出て、中央駅裏のトンカツの寿庵にした。

で、帰宅早々、バスケBリーグのチャンピオン決定戦第2戦、琉球対広島をTVで見た。沖縄出身のカールがかなり気にしていたからだ。「でも、今日はなんか負けそう」と第1戦で勝利して有利なはずなのに心配していた。序盤その予感はあたり、広島にリードされていた。私も床で寝そべりながら見ていたがいつの間にか寝入っていて、実はその間琉球が逆転していたらしい。しかし眼を覚ました時は広島が第4Qでリードし琉球はかなり苦しい状況となっていた。残り30秒切って逆に広島に得点され、そこでもう琉球はデフェンスを止めた。つまりは広島の勝ちで、チャンピオン決定は明後日の第3戦に持ち越された。カールは「今度は勝つよ」と。予想が当たっているのでそうなると信じたい。

バスケが終わるやいなや、今度はラグビーのリーグワンのプレーオフトーナメントの決勝が満員の国立競技場であり、リーグ1位の埼玉パナソニックワイルドナイツと2位の東芝ブレイブルーパス東京が戦っていた。東芝がややリードしていたが接戦でどうなるかはまだ分からない中、競馬の日本ダービーにチャンネルを切り替えた。

ちょうどスタートするところだった。競馬は一度も馬券を買ったことがないがG1の大きなレースは見るのは好きだ。勝ったのは9番人気ダノンデサイルでこのレース最高齢騎手で勝った横山典弘騎手が「ダービーを勝ったことはうれしいんですけど、やっぱり皐月賞(競走除外)をね、あの時に自分の決断が間違ってなかったんだなって」と語るの聞いて、ああ、あの馬かと思い出した。皐月賞のレース直前、どこか怪我でもしていたのかゲートに入らずスタート前に出走取りやめになった馬がいて、それが今度のダービー馬だった。だったら予想はしづらく、本来は実力があったのにだから9番人気だったんだ。
またチャンネル変えたらラグビーは東芝が24対20で勝利していた。どちらにもラグビーワールドカップでよく見た顔があった。この後、ネットでプロボウリングの決勝戦(Glicoセブンティーンアイス杯)も観戦した。女子は第一人者の姫路麗が10フレパンチアウトして相手の久保田彩花に223対223で追いつくが、ワンショットプレーオフで9本対10本で惜しくも敗れた。しかし姫路は負けてなお強しを印象づけたわ。
プロ野球は途中巨人阪神戦をちょこっと見てこれも接戦で阪神が1点リードしているのは確認し、ネット麻雀を始めた。で、TVは大相撲に切り替えた。この数年は毎場所優勝力士が変わり、若手有望株が優勝し大関にまでなってもその後はパッとしなくなるのを繰り返している。今場所は小結大の里が12勝3敗で初優勝した。確か先場所も入幕したばかりの尊富士とかいうのが優勝しよったが今場所はどうなっているの。え、休場していた?!先場所14日目の相撲で痛めた右足の回復が遅れていて相撲を取れる状況じゃなかったそうな。大の里も大丈夫か、来場所。今場所のような相撲を取り切れれば大関にはなれるだろう。でもそこから上りつめていく力士がほとんどいない。万年大関ならいいほうで、すぐに陥落だよ。霧島もせっかくそのしこ名をもらったのだからまた復活して欲しい。
いやはや日曜はスポーツ三昧や〜。え、阪神、逆転負けくらったの。この前はたまたまTV付けたら巨人の戸郷にノーヒットノーランをやられていたしー。それと巨人がこれまでのYGマークじゃなくてTG(東京ジャイアンツ)になっている。ビジター用らしい。調べると70年前はTGマークも使っていたとか。まあ、メジャーリーグではフランチャイズの地域とチーム名しか名乗れず、日本みたいに企業名は絶対に入らない。サッカーJリーグもそれにならっている。世界的にそれは当たり前で日本のプロスポーツが少し異端だってことだ。
夜になると、昼の観戦&麻雀で疲れて、またばったり床寝となったのだった。

2024年5月25日土曜日

アイマスクの効用

土曜日だけれど、朝は外来、午後は居残り日直当番だった。午前は90歳代の高齢女性を入院という予定だったが、息子氏(私よりも高齢)が「やっぱり家に連れて帰ります」と言って、なしになった。もともと息子氏が「入院をさせたい」というので検査してからこちらもそのつもりだったんだがねー。 

午後は病院の計画停電が予定されていて1時間くらい電子カルテやレントゲンも使えなくなるとの触れ込みだった。でもいつ停電になったか分からず、15分くらいの自家発電が終わって、館内放送で「ただいま復旧しました。電子機器のチェックをお願いします」と言われてようやく気づいたくらいだった。

その間はすることがなかったので、約1時間、院長室で新しく買ったアイマスク着けて仮眠グタイムだった。このアイマスク、amazonのタイムセールで800円台で買えた安いやつだが、なかなか着け心地がいい。見た目も上等で千円以上と言われても納得できるほど。

↓口が開いてバカ面(ヅラ)の私。
光をしっかり遮断することが眠りの質を高めるってほんとだな。いつもよりずっと疲れが取れた気がする。今までアイマスクって、もらったことがあっても自分で買ったことはなかった。院長室に出入りするようになってその認識が改まったものの一つだ。ただこれが必要になるってことは、もしかして院長疲れ?いやいや、院長室が明るすぎるんだよ〜(ホント)。

2024年5月24日金曜日

ギボヒサコがまた・・

今日は外来担当でそこそこ忙しく過ごしていた。そんな中、カールから「ギボヒサコが脳梗塞らしい。担当クリニックの先生が連絡をしたいと言っている」と電話が来た。うわ、またか。いやここ最近は落ち着いていたはずだ。しかし本当に脳梗塞おこしたならばすぐに救急搬送&入院だ。そして「まずはクリニックDrが直接電話でお話ししたい」と言っているとのことで「いいよ」と返事し、しばらく待った。

が、ちょうど救急車が来て別の人の対応をせざるをえなくなった。JRの乗客だった若い女性で気分不良な様子があり、他の乗客が救急へ連絡したものだった。本人の訴えでは「貧血がある」ということだったが、私の経験上たいてい貧血はないことが多い。一般人の「貧血症状」というのは実は「低血圧」のことを指している。このケースは・・うん、低血圧ではなく過換気症候群じゃないか?いろいろ調べるとそのとおりでまず間違いなかった。SpO2は100%だったし採血でヘモグロビンは13以上の全くの正常で貧血はやはりなかった。「心配なし」と説明し、わりに短時間で診察は終わったが、ギボヒサコはどうなった?私に連絡があるはずでは・・。

これが脳外科のポンシンDrに連絡が行っていた。ギボヒサコが私の義母とは担当医は知っていたようだが、脳梗塞なので脳外科Drを連絡相手にしたとのこと。で、結局ポンシンDrが「私が診ますので」と言ってきた。これまでは私がまず主治医になった来たが、脳外科にしょっちゅう指示を仰いできたのでまあ助かる。そしたらすぐに救急車でギボヒサコが、カールがマイカーで救急外来にやって来た。施設長も付き添いで来て、カールも少し心配そうだった。施設長は「最初は血圧が下がり様子もおかしかったがその後はいつものヒサコさんになってきている」という。でもまずは頭部のMRI検査をしなくちゃ。

で、ポンシンDrの診察を前にMRIを私は見てみた。うん?脳梗塞ならあるはずの信号が出ていない。さきほどの症状からしても脳梗塞は起こしていないんでは?その後ポンシンDrと話すとやはり「脳梗塞じゃないようですねぇ」とのこと。どうも単なる脱水症だったみたい。でも念のため入院してもらうことになった。調べると2年ぶりだった。なんかしょっちゅう入院していたのでそんなに前だったかと思った。

まあ重症じゃないし入院もそんなにはかからない。カールも安堵していた。あんまり入院期間が長いと今の施設を出ないといけなくなるしー。私は他に2人の入院があり、ギボヒサコは副担当医でということにしてもらった。夕方は薬疹の救急患者が来たがそれは非常勤外科Drにまずは入院指示を出してもらい、その後は内科のタクミDrを主治医に指定した。何でも自分が診なきゃだといっぱいいっぱいになる。役割分担指示も院長の役割なのであった。ふむ。

2024年5月23日木曜日

遠くにいてもあくびが分かる

昨日の夜、カールが帰って来た。鹿児島空港まで迎えに行ったが、飛行機の車輪の故障で予定より大幅に遅れての帰着だった。事前に「故障で飛べるかどうか・・修理しますがよろしいでしょうか」とアナウンスがあったそうで「誰もその修理に反対する人はいなかった」「当たり前よねぇ」とカールは苦笑いしていた。

セージは育休を取って赤ちゃんの世話やら写真など撮り、ネットの「家族アルバム みてね」というアプリにたくさん写真、動画を送ってきていた。その中から1枚だけ↓。

大きなあくびが可愛いねー。ネット社会の急激な普及でどんなに遠くでも瞬時に関心対象を見ることが出来る。テルの時は1、2ヶ月ほど沖縄と鹿児島で離ればなれで、セージの時は同じ沖縄に出張中で、身近に子どもはいたけれど、チッチの時は約半年間私だけ鹿児島にいて、カールから「今度の子(チッチ)はとても可愛いわよ」と電話で聞いて「ふーんそうなのか」と思い浮かべるくらいしかなかった。10年でさえ時代が違うと感じるのに30年近くも前は歴史が違うくらいの差だわ。

最近初孫のことばかりが話題だったが、うちのうるさネコ2匹も相変わらず、バトル&緊張状態でちょっかいハナビに威圧ゲンちゃんといったところ。

居間に入ろうとするハナビに「お前、こっち来るんじゃないよ」と威圧するゲンちゃんの構図だ。じーっとゲンちゃんを見つめるハナビのお顔は動かない。私が写真を取った後、ゲンちゃんがにじり寄り、ふっとハナビは廊下に逃げていった。2匹とも縄張り意識が強いタイプなんだろうな。時には同じ空間で特にケンカもせずにゆったりすることもあるんだが・・。

2024年5月22日水曜日

医者の不養生

循環器内科のイキナリDrと初孫の話をしたことを昨日書いたが、他にも話題があった。驚いたのがマツタケ先生が3月に急死していたことだった。第2内科の後輩であり、その息子さんはチッチが高校の時の同級であるばかりでなく同じサッカー部にも属していた。マツタケ先生は循環器を専門にしていて仕事で直接関わることはなかったものの、見た目も実際も非常に優秀なドクターだった。アメリカ留学なども数回し、帰国後は旧1内科の循環器グループに属していたようで、それだけなく循環器とは少し違う新しい医学教育へも取り組み、別の地方国立大に転勤し准教授となりそこの大学の教育賞も受賞されるほどだった。その後関東の私立大へ転勤となりそこでも同様の活躍をしていて、大したものだと陰ながら感心していた。

イキナリDrは「詳しい死因などは知らない」と言うが、仕事中だったという噂もありならば多くは心循環器系のはず。「そのケースと似ているが私の知り合いの心臓専門のDrも2ヶ月ほど前に心筋梗塞になった」と言っていた。まさしくそれが専門の分野だったのにーと。いやはや、昔から医者は自分の専門分野の病気で亡くなりやすいなんてよく言われる。「医者の不養生(ふようじょう)」ってね。「紺屋(こうや)の白袴」や「坊主の不信心」も聞くが「医者の不養生」が一番よく言われる気がする。どちらも還暦を迎えたばかりの年齢でまだまだこれからやることやれることはいっぱいあるはずなのにー。

私はイキナリDr(彼も心臓関係の病気を起こしたが一命をとりとめた)に「自分は胃癌と大腸癌だけはそれが原因で死にたくはない」と言った。自分の専門とするところで気を付けていさえすればそれで死ぬことはない。膵臓癌は治療困難ゆえにたとえ専門でも仕方ないが、胃癌大腸癌はきちんと検診や定期的な内視鏡検査を受けていればほぼ対処可能だからだ。

昔、第1回講談社ノンフィクション賞受賞作の柳田邦男の「ガン回廊の朝(あした)」という有名な本があって、国立がんセター設立から黎明期のガン撲滅のための医師の奮闘を描いたものだが、目次の第一部の添え書きにこう書かれている。「昭和37年国立がんセンターは学閥を超えて発足した。病院長の久留(くる)が初代総長の田宮を診察すると明らかなガン症状がー」そして、この長いノンフィクションは<総長の顔色がすぐれない>という文から始まるのだ。結局は総長の病気は進行胃癌と判明する。当時はまだ早期胃癌を発見するのは難しい時代だった。がんセンターはレントゲンでの二重造影法という画期的な撮影法で早期胃癌を次々に発見し胃癌の発見治癒に大きく貢献することになるが、始まった当初は総長をガンで亡くすという皮肉な結果から始まったのである。

医学部4年生だった昭和57年(1982年)の春休み、3月22日から3月26日の4日間で上巻を読み終わり、面白くて下巻も3日間で読み終えた。思えば消化器内科に進んだのはこの本の影響もあった気がする。胃癌大腸癌で死ぬわけにはいかない、この本を読み、強くそう思った。本の影響って大きいねっ!

2024年5月21日火曜日

パン屋とおにぎり屋、税理士スガワラくん語る

YouTubeで菅原由一という税理士のチャンネルが面白くていくつか見てみた。プロフィールには「1975年、三重県生まれ。SMG 菅原経営株式会社 代表取締役 / SMG 税理士事務所 代表税理士。 元国税調査官の師匠からの学びにより、圧倒的に税務調査に強い税理士として知られ、全国から税務調査立会い依頼が後を絶たない。 銀行が絶賛する独自資料の作成で赤字会社も含め融資実行率は95%以上。顧問先の黒字企業の割合は85%を実現し、全国平均30%を圧倒的に凌ぐ」などなど、すごい方のようだが、見た目は普通のそこら辺のあんちゃんって感じだ。
「脱・税理士スガワラくん」というチャンネルで、今うまくいっている商売と廃れている商売を上手に解説していた。最初に見たのは「パチンコ屋のガイアが倒産した本当の理由」というやつで、今日見たのが「倒産急増パン屋の次はあのお店!」という話題だった。高級パン屋がブームになったはいいが、大手の「乃が美」が一時全国チェーンで256店舗あったのが今は100店舗ほどになったとか、昨年度の倒産が37件とその前の倍以上になったとかブームは定着しなかったという。その原因として小麦粉の高騰があり、コロナ融資の返済が迫ってきたこと、それに高級食パンなど物珍しさから飛びついてもしょっちゅう買いたくなるような店は少ないなどの指摘があった。なるほど。この手の食品業界ではまた行きたくなるいわゆるリピーターが増えないと続くものではないという。いわゆるその店の「ファン化」がないといけないというのが一番大事ということだった。(→https://www.youtube.com/watch?v=I_mCNMGMkwA

この菅原由一さんは「タピオカ屋はどこに行ったのか?」という本を出しているようで、一時ブームになった食品、タピオカやその後のから揚げやパンなどどれも同じ原理でブームになるものの続かない現状を指摘しているそうだ。で、パン屋の後に今ブームになりかけているのが何かとアシスタントに質問していた。答えは「おにぎり屋」だと。なるほど。数ヶ月前に見たTV(NHKの突撃!カネオくん)でもそれを特集していた。おにぎり屋の利点は、まず原材料のお米がほぼ国産で原料費が安定していること、小さなスペースでも開業しやすいこと、技術がそんなにいらない割にバラエティー豊かな商品展開がしやすいこと、2個500円以内で昼食の代わりになることなどを挙げていた。凋落しつつあるパン屋とはそこが違うという。ただ、物珍しい変わり種のようなおにぎりよりも定番化した買い求めやすいおにぎりを作らないと一過性のブームに終わってしまう可能性もあるから安易に手を出すと痛い目に遭うことも指摘していた。最終的には実力のあるところはパン屋もおにぎり屋も生き残るという。

ふむう。どの商売、いや病院ですら参考になる意見でYouTubeの面白チャンネル、あなどりがたしだったな。

2024年5月20日月曜日

抱っこの仕方

セージから赤ちゃんの動画がLINEを通じて続々送られて来ている。昨日はセージの義姉の従姉がミルクをあげる動画が来て、今日はカールがあくびする孫を抱っこしているのが来た。

みんなから可愛がられているなー。青雲会非常勤のイキナリDrに言わせれば「女の子は可愛いぞー。オレもこの間、娘夫婦に頼まれて4ヶ月の孫娘をしばらく預かったが30年ぶりにおしめも替えて抱っこして可愛かったわ〜」そして「お前も孫のところに早く行きなよー」とけしかけられた。一度抱っこしたらなお可愛いらしい。そうかそうか。

そういえば私はこれまで一度もひな祭りってのをしたことがない。ひな人形は知っているがどんなことするんだろ。ともかくも女の子の赤ちゃんってこれまで身近にいて抱っこなどしたことない。いや、姪っ子らは幾人かいてそれぞれ1回抱っこしたくらいかも。まだ私が孫娘に会うのは1、2ヶ月後の予定だが、いまから戸惑うお祖父ちゃんなのであった。

2024年5月19日日曜日

何もないはずがない・・しかし

この前から家の外壁リフォームが始まった。ただ、今日日曜は職人さんらはお休みということで、窓を明け、風通しを良くした。ネコの糞を毎日片付けて裏のポリバケツに入れておく作業があるのだが、外壁作業用に足場を組んだため裏への勝手口が開けられなくなり、一旦玄関から駐車場を通って捨てなければならなくなった。完了まで1ヶ月近く掛かるそうだ。まあ仕方ないネ。
昼過ぎまではゆっくりと過ごした。メジャーリーグも大谷のドジャースは昨日負けたシンシナティ・レッズに4ー0でやり返した。ただ、大谷はノーヒット。去年までは大谷がヒットやホームラン打っても「なおエンゼルスは3ー6で負けました」などの「なおエ」が多かったが今年はさすがに違う。大谷が打ってドジャースも勝ちもあるし、打たなくてもドジャースは勝ちパターンがほとんどだ。ナ・リーグ西地区を5月の半ばですでに独走状態で、例年、ドジャースって今頃はちょい勝ちくらいなのになかなか調子が落ちず2勝1敗以上のペースを維持している。大谷加入でさらに強くなっている。ぜひポストシーズンで勝ち上がり、一番の目標であるワールドシリーズ制覇を期待したい。

夕方から病院の久々の当直だった。夕方まで担当のカムイDrから引き継ぎ、今日の時間外患者さんの記録を見ると、午前中に3人来ただけで午後はゼロだった。非常に少ない。で、夕食摂ってしばらく院長室でうとうとしていたが、何の連絡もないので念のため今晩の当直看護師に連絡すると「はい、特に患者さんは来ていません」とのこと。さらに優先的に当院に救急患者が来る二次当直日でもないということでゆっくり出来そうと少々気が緩んだ。そのままネットでYouTubeなど過ごしていると深夜に入り・・

これまでのこてる日記のパターンなら深夜か未明に急患が来てバタバタ、そんな甘いもんじゃなかったとなるはずが、本当に翌朝まで何も呼ばれず、病棟の急変もなく全く呼ばれなかったのだ。ふう・・ま、以前から年に1回くらいはこんな当直になることはあった。でもそうと分かっていればもっとお気楽に休めたんだけどなぁ・・何もなくても疲れが少々残ったのであった。

2024年5月18日土曜日

「ハイ・・」と「ハイ!」

昨日のことだが、透析室のフジキョーMEに院内電話で「来週に予定していたCART(腹水濾過濃縮再静注法)だが・・」「ハイ・・」「中止になった」とまずは結論から伝えた。すると「ハイ!」と同じハイという返答でもテンションが違うのよ。別にすごく難しい手技を依頼しているわけではないが、予定がキャンセルだと有り難いと人は思うものなのだ。
今週は同じようなことがもう一つあった。夕方16時50分のことだ。内視鏡室に電話をいれると、五月鍋Nsが出て「ハイ・・」とちょっと暗めの返事だった。この時間の私からの電話は緊急内視鏡依頼が時間帯からして濃厚だった。しかし私は「朗報です」とまずは断ってから言った。それでも「ハイ?」と浮かぬトーンだった。「明日のERCPは中止になった」と私。すると「ハイ!」と先ほどのフジキョーさんと同様のテンション高めの返事だったのよ。「おい、さっきのハイとえらく態度が違うじゃないか」「だって内視鏡の追加だと思ったのですもの」と正直な返答だ。まあ内視鏡予定はキャンセルになることより急に入れ込まれることが多いからね。

そうかそうか、みんな正直でよろしい。私もあんまし検査、検査と入れ込まないようにしよう。同じ「ハイ」でも元気な「ハイ!」と聞きたいからなー(笑)。

2024年5月17日金曜日

今日は「大谷翔平の日」というよりも

アメリカ、ロサンゼルス市が今日5月17日を「大谷翔平の日」に制定したという。5月は米国でアジア系米国人らの功績をたたえる月間で、大谷翔平の実績や日系住民として与えた影響を考慮し、背番号「17」にちなんで5月17日が記念日に選ばれたそうだ。
といっても永久にということではなくて彼がLAに在籍している間だけという。アメリカでの「誰それの日」ってのは意外に簡単に得られるというのは、あの有名な「ドクター中松」氏のエピソードで知っていたのでそれほど驚かなかった。アメリカのいくつかの場所では「ドクター・中松デー」という記念日が制定されているが、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多いのだそうだ。大谷の場合はそれとは違うので十分に価値のあるものなのだった。

このドクター中松って日本では発明王として知られているが、私に言わせればどうも眉唾ものの肩書きで「ウソではないが実際は違う」アピールが大変上手なお方なのである。まだ存命(95歳)ということだから、それは長生きの発明品のおかげ(?)かもしれない。氏がフロッピーディスクの発明をしたというのは有名だが、実際はIBMが発明しており、氏のは何やら分からない原理的なもののようである。また世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「発明協会」とは無関係の組織)の会長は中松自身なのであった(無論そのことに一言も氏は触れはしない)。とにかく自分が如何に偉大かをアピールするのに長けた人なのよ。氏の代名詞的発明にフライングシューズがあり、テレビ出演時にこれを履いて登場することが多かった。
しかし同種のものは1972年に他者からも出願されているそうで、私なぞ「なんかちんけな発明だな」としか見ていなかった(実際そうでしょう)。その他選挙に勝つ発明とかあったみたいだけど勝った経歴は当然ながらない。あと、灯油ポンプも「自分が発明して特許も取った」とのことだが、確かに昭和22年に出願し実用新案として「サイフォン」の名で昭和24年に登録されているらしいが、原理そのものは明治40年に登録されたものを同じであった。いやはや。

5月17日が「大谷翔平の日」ということで長々とムダ話を書いたが、私が言いたかったのはそもそもこの日は「こてる日記の日」ということ。2000年5月17日が正真正銘「こてる日記」を書き始めた日で、この日になるとブログでは開始した日だと幾度も書いている。だから今日のタイトルの答えは当然「こてる日記の日」なのであった。ふふふ。

2024年5月16日木曜日

美しい心の持ち主に

セージは生まれてくる子の名前は事前に決めていたという。男だったら「優心(ゆうしん)」という名前になるはずだった。で、女の子の名前だが、私は「読み間違いしやすい名前や読みにくい名前でなければいい」と思っていて、今風でありながらちゃんと読める名前で良かった。優心と同様優しい心の持ち主になって欲しいとの願いを込めたという。ふむふむ。名付けで言えば、私の名前は気に入ってはいるが正しく読んでくれないのが玉に瑕(きず)だった。だから自分の男の子3人はみんな間違いなく読んでくれる名前にした。名前は一生涯付き合っていくのでしょっちゅう「何と読むのですか」という質問を受けるのは面倒くさいし、時間の無駄と思えるんでね。

昨日の家族LINEでテルは、「てっしん」という名前はどうか、と例によってわざとツッコまれたいのか冗談めかして投稿していた。しかしすぐに子守用グッズをセージに送っていたようでセージから「届いたよ」と今日のLINEで紹介されていた。

へーえ、お兄ちゃんそんなことも出来るの、感心。セージにはちょっと前「彼女いるの?」なんてツッコまれていたけどね(笑)。

カールは今日、セージのところに着いて、さっそく産科病院に行き、初孫を抱っこし「初めまして〜、お祖母ちゃんだよ〜」とやっていた(動画がスマホに届いた)。

うっすら目を開けた時にまぶたを見ると二重だと分かった。まだ少しむくみもあるのでどんな顔立ちかは分からないが、赤ちゃんってのはいつも心温まるものだ。しばらくは初孫ネタが続くかも〜。

2024年5月15日水曜日

初孫誕生

昼、13時21分のこてる家グループLINEにセージから投稿があった。コメントはない。動画のみ。しかし家族全員、待望の赤ちゃんが生まれたと分かったのだ。

事前の検査で女児とは分かっていた。ただ、お産担当の看護師から「とても元気で・・推定よりも大きく3382kgでして」と聞き、セージは「え?!」と声を出した。予定日より2週間ほど早く生まれたので3000kgは切るだろうと言われたからだった。そして赤ちゃんを初めて見たとき時の画像が↓。「こんにちわ〜」とセージ。まだちっこいねぇ〜。「(出産時刻は)13時3分」とのこと。

いやいや、こてる家にもついに女の子が誕生した。私や私の子、ネコにいたるまで全部男子ばっかしだったんだ。私もカールも生まれたばかりでどんな顔立ちになる分かるわけはないのに「可愛い」で一致した。ハハ。でかしたぞ、セージ&マーヤちゃん。

カールは明日赤ちゃんを見に行く予定で、テルも「ワンチャンス行けるか・・ああ、無理だ会った」と残念がり、私は後日会いに行く予定だ。初孫・・私もとうとうお祖父ちゃんになったんだー。

2024年5月14日火曜日

「手を変える」

外科Drに依頼されERCPを実施した。患者は胆嚢や総胆管に結石があって黄疸、炎症がひどいという高齢女性だった。レントゲン室で患者を寝かせ型のごとく内視鏡を操作し総胆管への入口を狙ってカニューレを入れようとしたのだが・・。

これもよくあることだが主膵管には簡単に入るが肝心の総胆管へはなかなか入らないケースだった。その場合もこうしてああしてするとまあたいていは総胆管へ入る。しかし今回は30分ほど経過してもなかなか埒が明かなかった。こういう時に「手を変える」というか検査の手技者を交代するとうまく行くことがある。そこで私は「ダヒロDrは手は空いているかな」と内視鏡室スタッフに頼んだ。空いているとのことで交代を依頼した。いつもは粘って粘って結局はうまく行くパターンが多いが、ダヒロDrもERCPは出来るのでそっちが早いかもとー。

するとダヒロDr、私が使用していたカニューレより「可動式のやつがあるじゃない」ともっと操作性のいいのを取り出させ、それでやってみると、あらま10分もかからず総胆管にカニューレは入ったじゃないの。入ってしまえば後は簡単だ。

すべての検査は終わって私は言った。「今回は私がえらかった。ダヒロDrを呼べと言ったのは私だから」と、手技がうまく行かなかったことは棚に上げて、ちょっぴり自慢したのだった。ええへ。

2024年5月13日月曜日

頑張れ、山形屋

この間「鹿児島県唯一の百貨店である山形屋が借入金の返済に行き詰まり、グループ会社16社とともに私的整理の一種である「事業再生ADR手続き」に入っていることがわかった。複数の関係者が認めた」との全国スクープニュースがあった。

ニュースでは「地元では押しも押されもせぬ名門企業であるが、周知の通り、地方都市で百貨店の経営環境は厳しい。鹿児島では2009年に三越が撤退した。クルマ社会では大規模な駐車場を備えた郊外型ショッピングモールの集客力が圧倒的だ。さらに20年からの新型コロナウイルス禍がダメ押しとなり、業績の悪化から資金繰りがつかなくなった」のが私的整理の原因であろうとのことだ。

再建計画を聞けばどうも可能なのか怪しい。そもそも百貨店業界が斜陽産業だ。大都市の百貨店はまだ回復基調だが(会社四季報業界地図による)地方百貨店は大型SC(ショッピングセンター)が幅をきかせ苦境が続き閉店も相次いでいるという。山形屋は鹿児島では名門企業ゆえに今回のニュースは大きな話題になった。その予兆はカールが肌で感じていた。「以前は駐車券も2時間2千円で無料だったのに最近は1時間2千円の買い物をしないと追加料金が発生していた。1時間じゃ落ち着いて買い物も出来ない」「ギボヒサコが山形屋友の会員だったのでティッシュ箱もいつももらえていて良かったのに今年からそれもなくなった」「セールの黄札市が2割引きだったのが1割引きになっていた」などだ。

ニュースが流れた翌日鹿児島のお客さんが山形屋に多く訪れたという。南日本新聞の南風録には丸々この話題が出ていた。↓県外の息子が心配したという出だしだ。
カールは昔、ミネキヨ祖母に「カールはね、山形屋で売られていた子の中から一番可愛いのを買ってきたんだよ」なんて言われていたそうだ(笑)。そして「何やかにや言っても山形屋のようなデパートは必要よ」と。ヨーコバーバからもらった着物も山形屋(かつて沖縄にもあった)で買ったものが多いという。いい品は山形屋にあったのだ。確かに私と買い物に行くときは山形屋が圧倒的に多い。山形屋は鹿児島県民にとってただのデパートではない。再建計画がちょっとあやふやなのが気になるが、応援していきたいな。

2024年5月12日日曜日

枇杷をどうぞ

天気予報は当たるもの、予報どおり日曜の今日は朝から雨だった。真っ先に思ったのは鴨池球場で試合が予定されているソフトバンク対オリックス戦だった。いや、私はチケットは買っていなかったよ、それに予約はいっぱいで当日券はないと報道されていたし。それでもTVでは観戦しようと思っていたんだ。昼にかけてどんどん強くなる雨足にあきらめざるを得なかった。残念。

ドジャース対パドレス戦はちゃんとあって、投手戦だったがワンチャンスを2本のホームランを生かしドジャースが5ー0で勝った。しかし点差ほど差はなくパドレスはポストシーズンで当たったら強敵になりそう。実際2年前は地区優勝したのにドジャースはダルビッシュにも負けてナ・リーグ優勝決定戦に進出出来なかったんだ。

残りの枇杷の実も全部摘み取ろうと思っていたが雨で中止。枇杷も今年は小さくて実の数も少ないが味はいつものように甘くて美味しい。二人では食べ切れないからカールは一昨日向こう正面と隣にお裾分けしていた。どちらも「毎年楽しみ」と言ってくれるから毎年上げたくなる。↓は向こう正面の下大損さん。窓から真っ正面に見えるので盗撮(?)しちゃいました。

雨だし、野球ないし、午後から昼寝とネット麻雀と散髪行きくらいしかすることない。残りの枇杷は明日以降に摘み取ろうかー。

2024年5月11日土曜日

リフォームしなきゃ

午後にリフォーム業者と自宅で面談した。「建築特殊塗装を主体にした小回りの利く、 とっても面倒見のいい小さな工務店」との謳い文句で私たちの団地周辺を地盤にやっている業者さんだ。前回リフォームから10年以上経過しており、さらに自宅ベランダが腐食し壁や屋根もシミが出てきて素人目にもまたリフォームが必要と思われていた。そんな中、カールがばったりと自宅を訪問した業者さんと約束し今日に至った。

そこの社長さんにそこのリフォームの特長と現在のこてる家の状態視察からのお勧めリフォームを提示してもらった。ばったり君はまだこの工務店に入ったばかりでもし決まればなんとこてる家が初の契約になるという。社長さんはいかにもベテランで様々なリフォームの知識が豊富だった。こてる家の写真もあちこちデジカメで撮っていて不具合箇所があちこちあるのが分かった。1時間以上話を聞き質問をした上で今日契約をした。まあ予想通りの見積もり金額、いやもっと掛かるかもと危惧していたのでまずまず納得の上での契約だった。来週半ばから早速工事に入るって。↓はコンピューターソフトで外壁や屋根の色を瞬間で変えられる中からの一例。屋根は今の緑から一般的な黒に変えるのは決めているが外壁の色が何十種類もあって簡単には決められなかった。色が変わると雰囲気もえらく変わる。
そういった家の外壁外観ばかりでなく温水洗浄便座トイレも故障しており築25年以上も経つと本当に家ってガタが来る。トイレの基本性能は故障していないがお尻へのシャワーがないなんて今時ありえないでしょ。外国人が日本に来て三大感激することに必ずこの手のトイレは入っているんだから。衣食住の中の「住」は日頃はお金は掛からないが、その時になるとどーんだな。そのために貯金はちゃんとしとけってか、うん。

2024年5月10日金曜日

胡蝶蘭の花言葉

ネリとの対戦翌日、井上尚哉の記者会見があった。リラックスしてインタビューに答える彼の姿の背後にはお祝いの胡蝶蘭があった。各方面からのお祝い花は10鉢以上もあって華やかそのものだ。私なぞそっちに目が行ったね。↓まさに胡蝶蘭づくし!

というのも、私も院長就任祝いで胡蝶蘭2鉢を頂いたからで、1ヶ月以上経った今も院長室に飾ってある。ところが、だ。そのうちの1鉢の胡蝶蘭がどうにも元気がなく毎日のように花びらが散っていくのよ。部屋の環境がよくないのか、水やりがまずいのか・・いや、もう1鉢の方はほとんど散っていなくて頂いた時そのままって感じ。原因はよく分からない。
胡蝶蘭って花言葉は「幸福が飛んでくる」なんだそうだ。Wikipediaによると「可憐で幸せが舞い込んでくるイメージから、贈答用として大変喜ばれていて、 開店・開業・就任など、多くの方々に愛され繁栄していくことを願う意味合いが込められています。 さらに、鉢植えは「根付く」という意味を持つため、「幸福が根付く」という縁起のいいものとして選ばれています」なのだとか。なるほど。

種類は一般には白色が一番多いようだが、ピンク、黄色もあり、青もあるがこれは特殊な染色法で作られているとか。ともかくも「幸福」が散らないようこの花を大事にしていきたいね。ハイ、水やりは週1回はやってまーす。

2024年5月9日木曜日

年に1回はS状結腸軸捻転ネタを書く

夕方は17時を過ぎればだいたい今日も仕事は終わりって雰囲気が出てくる。だが、こうして日記に書くということは、そうは問屋が卸さなかったんだ、やはり。

実は16時から外来担当のタクミDrが予定の早退をしていた。となれば内科外来を私かダヒロDrがしなければならない。先にダヒロDrが便通異常の高齢男性を診ていた。私は診察はないなと思っていたら「先生、緊急患者を!」と言われ、救急外来に行くと、病院へ出入りしていた営業の男性が胸痛と呼吸困難を訴えていた。交渉相手をしていた畠鏡総務部長も心配そうに救急ベッドをのぞき込んでいた。

心血管か呼吸器系の異常がないかすぐにチェックをした。心電図は何の異常もなしでまずは一安心だ。年齢も30代半ばの男性で心筋梗塞はやや考えにくい。痩せているので自然気胸も疑った。採血と点滴さらに胸部CTを指示した。で、分かったのがこの人、実は肺炎を起こしていた。浸潤影がくっきり写り胸膜にも接していてそれが胸痛をそして軽い呼吸困難を起こしていた。この患者さんの指示を出し終わる頃、レントゲン室から連絡があった。「ダヒロDrが来て欲しいだそうです」ああ、思っていたとおりの展開だ。

たぶん助っ人依頼が来ると思ってたんだよねー。チラチラと先ほどの便通異常の患者さんはS状結腸軸捻転と漏れ聞いていたんだ。ならば緊急内視鏡で捻転を解除せねばならない。この処置、私は割に得意なんだが、同時に一番やりたくない処置でもあった。だって、う〇こ内視鏡必至なんだもん。行ってみると検査台の上は案の定カレーライス状態だった(うへっ)。ダヒロDrはすぐにでも変わって欲しいと言ってきたが、「しばらく頑張って」と私は一旦レントゲン室を出た。ここは彼にもこの手技に慣れてもらわねばというのとまずは着替えとトイレにも行きたかったしー。

で、術者交代してやってみると下行結腸へ挿入は出来るも送気も多くあったせいで腸管が伸び捻転解除は難しかった。そこでエアを抜きつつ一旦スコープを抜去し、ロングタイプの大腸内視鏡に切り替えさせた。何度もこの手技をやっているので次の手が浮かぶのだ。で、結局これが功を奏し、先端が下行結腸を越え横行結腸にフックする形に出来て、捻転解除はうまくいった。やれやれである。

高齢で腸が伸びてたるんでくるとS状結腸の根本で捻れが生じることがある。大腸内視鏡がその解除にはすこぶる有効で、レントゲン写真を見ると簡単に見えるが、内視鏡画像はちょっとこのブログでは見せられない。想像にお任せるするのみ・・。また帰りが遅くなった!

2024年5月8日水曜日

堀江しのぶで思うこと

昨夜、日テレ系の「ザ!世界仰天ニュース」で「堀江しのぶ」の特集があったそうだ。「超売れっ子アイドルを襲った発見困難な病とは」との触れ込みには「そんなの知っとるわい」と番組自体は見なかった。ただ30年以上前になるが、スキルス胃癌で亡くなったと報じられたときは驚いた。堀江しのぶはあのおっぱいの大きなアイドルを売りにしていたイエローキャブ事務所の最初の売れっ子タレントだった。その後事務所は続々と同系統のアイドルを世に出し、私はかとうれいこが好きだったな・・いや、今日はそういうことじゃなくて、スキルス胃癌だ。
スキルス胃癌は番組では「通常の検査で見つけるのが非常に難しく明確な原因はいまだに不明だ」と紹介していたそうだが、実際はほとんどの人が原因はピロリ菌だとほぼ判明している。そしてなぜか比較的若い女性に発症しやすい。私の身の回りでもアキネー母がそうだったし、20年以上前に青雲会病院受診した30代前半の看護師さん、2内科にいたラボチンのおねえさん、そして堀江しのぶと皆20代から30代前半だ。この中で30代の看護師さんだけは胃を全摘してどうにか助かった。その時の胃の粘膜のスライドを顕微鏡で見てその荒廃っぷりにびっくりした。ピロリ菌は感染が持続すると胃の粘膜を荒らすのは皆共通なのだがその人のは通常の荒れ方ではなかった。大多数の人はピロリ菌に感染しても軽い胃炎を起こすくらいで一生癌に罹ることはない。一部の人が普通の胃癌に罹り、その中のごく一部がスキルス胃癌に罹る。20代では普通胃の検診は受けないし、ちょっと胃が痛くても胃カメラまでは受けないだろう。発症してから半年で広がってしまう癌でもあり発見が困難なゆえんだ。

今では癌に罹っても本人に告知するのは当たり前だ。だが1980年代はまだ告知率は10%くらいじゃなかったかな。事務所と両親は堀江しのぶに卵巣嚢腫と説明し、休業し帰郷させたという。しかし病状が改善するはずもなく本人は疑念を抱いた。そこで事務所は一計を案じマスコミを呼び『堀江しのぶ卵巣喪失 急減ダイエットの恐怖』という内容を4ページに渡って特集させ、これを見たしのぶは、自分は卵巣嚢腫だと改めて信じたという。それくらい癌であることはひた隠しにされたのだ。今では抗がん剤も相当進歩しかなり延命出来るようになった。だがスキルスを根治させるものはまだ出ていない。幸い、平成生まれの日本の若者のピロリ菌感染率は5%未満になった。スキルスを診る機会は相当減った。でもまだ年配者にはたまに見つかるし、番組ではピロリ菌とのからみを言って欲しかったナ。TVを見た人が早めに受診してくれたら助かる人が相当出てくるんだしー。

青雲の内視鏡室のスタッフに「堀江しのぶって知ってる?」と尋ねたらほとんどが知らなかった。我々世代にはスキルス=堀江しのぶって結びついているくらいだったが・・。スキルスで亡くなるひとが一人でも減って欲しいゆえに、堀江しのぶのエピソードはみんなもぜひ知って早めの検査を受けて欲しいと思ったことだ。

2024年5月7日火曜日

ベトナムから来ました

連休が明け、さっそく日常業務が戻った。朝礼もあり職員のスライドスピーチの後、5月から去年に続いてベトナム人2人の介護職員の入職挨拶があった。2人とも30歳前後の女性で覚えたての日本語で一生懸命挨拶をした。時代だよねえ。私が子どものころはベトナムといえばベトナム戦争だった。ベトナム人なんてTVニュースか報道写真で知るしかなかった。日本人写真家沢田教一の「安全への逃避」やニック・ウット氏の「ナパーム弾の少女」を思い出す。

「ナパーム弾」は2023年7月4日の日記ネタにもした(→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/07/blog-post_4.html)。

ベトナム人は南方系ではあるが日本人に近い見た目で当時は日本がこんな戦場でなくて良かったと思ったのを覚えている。思えば、その2、30年年前は日本も似たような戦場だったのだ。

家族を残し遠い異国で頑張って行こうとしているから応援したいね。ただ、ベトナムの人の名前って日本人からするとかなり覚えにくく発音もしにくい。だからか「〇〇と呼んで下さい」と言っていけれどすぐに忘れたわ。今度会ったらちゃんと確かめて覚えるようにしよっ。

2024年5月6日月曜日

Amazon Primeで井上尚弥

今日は朝から大雨だった。昨日ドライブに行って大正解。ほんま天気予報って最近は当たるから計画が立てやすいわ〜。

で、昼はうだうだと過ごし、夜はTVをAmazon Primeに設定し、東京ドームでの井上尚弥対ネリの一戦を観戦した。4万人も観客を集め、日本人がメインイベンターを務めるとはねぇ。しかも昔ならTV中継が絶対のはずが有料ネットでというところに、30数年前のマイク・タイソンの試合の頃との時代差を感じる。ただ東京ドームでのタイトルマッチとなると世紀の番狂わせといわれた結果(実際は相手の方が先に10カウントされていた)タイソンは逆転負けを喰らう。するとタイソンのトヨタのトラックCMがそれ以降全く流れなくなったんだ。いやはや。

もしや井上も・・という不安はいきなり1Rで起きた。井上初のダウン!
おおっと思ったが井上の目はしっかりしていた。うむ、どうにかなるはず・・。後で井上の語ったところでは「8カウントまで休む、その数秒が大事。そういうシーンが訪れたらと日頃から考えていた。実践できた」そうで、しっかりとしているなと思った。本能的にすぐに立ち上がると、回復しきらずさらにピンチを招くことがある。

2R目には逆にネリをダウンさせ、その後は優位に試合を進めていた。そして6R、見事にパンチを食らわせTKO勝ち。さすがと言うしかない。
Amazon Primeでの瞬間視聴者数は去年のWBC決勝を越えて過去最高になったそうだ。むべなるかな。TVよりネット、その時代の変わりの試合としても歴史に残るだろうと思った。

2024年5月5日日曜日

通潤橋へ

昨日、「明日はドライブしてどこかに出かけようよ」とカールに言われた。せっかくの連休だから確かに何もしないのはもったいない。もともと新幹線の予約が取れればまた東北方面を旅行に行こうと画策していたんだ。でも近場となれば・・私は熊本か宮崎の観光地を頭に浮かべた。カールは「県内がいいかな、あんまり遠くに行って渋滞に巻き込まれてはイヤだし」と言う。うーむ、県内か。もうめぼしいドライブ先はほとんど行き尽くしているしなー。

そんな思いを巡らせて、思いついたのが熊本は通潤橋(つうじゅんきょう)だった。よく熊本のイメージ写真では目にするのだが一度も行ったことがない。ていうか、熊本のどこにあるかすら知らない。カールは「ちょっと遠いのでは・・」と少し躊躇する反応だった。でもまずは調べてみよう。

通潤橋は地図で見ると熊本のほぼ中央に位置する山都町(やまとちょう)にある。九州高速を途中で降りて向かえば1時間もかからない。

さらに詳しく調べると、通潤橋は放水をするシーンが有名なのだが、これが昼の13時から15分間毎日行われるという。しかし、農業用水路でもあるこの橋は5月の連休が終わると田植え時期になり7月まで放水は休止となるいうことも知った。ならば6日は天気予報では雨だったので今日5日はラストチャンスだ。13時の放水シーンを見るためには昼食も考慮し12時までに山都町に着けばいい。9時ごろ出れば余裕のドライブコースだ。少し迷っていたカールに「今日は通潤橋で決まり。渋滞もないと思うし大丈夫だ」と珍しく強く主張した。そして途中の一般道に霊台橋(れいだいきょう)という石橋もあってそこも見所があると高速の松橋ICで降りて向かうコースを取ることにした。

9時過ぎに出発し10時40分頃、いつも休憩を取る高速の宮原サービスエリアに立ち寄った。その後40分ほどで山間部に架かる石橋「霊台橋」に着いた。

江戸末期に村人が造った橋でなかなか立派な石橋だ。1947年というと通潤橋より少し前に完成している。上から覗くと川はまさに緑の川だった。

ここから通潤橋は20分ほどだ。橋の近くに駐車場があるのだけれど満車で入れないという。でもタイミングが合えば入れてもらえる車もあった。どこか駐めるところはないかと観光文化交流館に寄ってみて、そこから昼食出来る店をあたってみたが満席か、行列が出来ているか、臨時休業の店ばかりで、昼食を摂れない事態に陥った。カールは「コンビニでもいいよ」と言うのでファミマに寄って軽い昼食を摂り、放水の瞬間を見に行こうとまた駐車場に行くも前の車は入れたのに今回もダメだった。聞けば「役場の臨時駐車場を利用してー」と。ちょっと離れているがそこを利用するしかない。どうにか駐車し歩いて通潤橋を目指した。時計とにらめっこして計算すると少し急がないと13時を過ぎそう。私はカールを置いてきぼりにして早足で橋を目指した。

橋の下には観光客がいっぱいいた。規則を守ることを条件にお金も払えば通潤橋の上にも入ることが出来て結構そんな人たちも上にいた。↓が放水直前の通潤橋の様子。
あと10秒くらいで13時ぴったしというときに私はデジカメの動画のスイッチを押した。3秒後、ぎりぎりのタイミングで放水は始まった。良かったぁ〜、間に合ったよ〜。
この放水は本来は石管水路の内部にたまった泥や砂を除くためのものである。今は観光用としての意味合いが強いようだが、去年、橋など土木構造物としては初の国宝にも指定されるくらいだからなかなかの光景で見ものだ。近くに寄ると水しぶきで少し濡れてしまうので少し離れて写真は撮ろう。
せっかくだから面白写真も撮ろうと↓こんなこともやってみた。
完成が1854年というから170年経過しているが形は崩れおらずたいしたものだ。ちなみにこれまで橋から落ちた人はいないそうである。当時熊本は石橋造りが発達していて鹿児島の甲突川の五石橋も東京は皇居の旧眼鏡橋や日本橋、浅草橋、江戸橋なども招かれて造ったのである。

帰りは行きよりもやや北の自動車専用道路(無料)を通って高速に入り、カールに運転を頼み、仮眠を取って山江パーキングで交代し16時過ぎには帰り着いた。なかなかのいいドライブコースでみんなにもお勧めだ。おっと放水は絶対に見た方がいいから7月半ば以降がいい。事前に放水があるかないかはネットで確認してから、念のため。