あこネーサ母が今日退院となった。1週間ちょっとで済むはずが2週間以上延びたのは栄養状態が良くなかったからだ。12月の脳梗塞以来やはりどうしても食が細くなりがちだった。ある程度の改善があり、ようやく今日退院出来た。姶良の介護タクシーを頼み、カールが退院手続きと見送りをした。知覧の施設ではチエコンさんがお迎えに来る予定。帰る前に私はあこネーサ母とツーショット写真を撮った。「こてるだよー」と大きな声をかけても目は開けるけど誰かは分からない。まあ、仕方ないか〜。
介護タクシーに乗せられたあこネーサ母。向こうはカール。無事着いたかどうかはカールにチエコンさんから到着の写真が送られて来てすぐに分かった。今は超ネット社会、昭和の時代なら施設の公衆電話から自宅の据え置き電話に無事到着の連絡が来るかどうかくらいのものだったろう。いい時代になっている。そんなこんなで夕方カールとLINEのやり取りしていたら「大谷が結婚!」のニュースがネット上で拡散されていた。「えーっ!」と驚き、すぐにカールに連絡した。海の向こうの話題も今の時代あっという間である。あこネーサ母はそういうことは全く知らず、ただただベッドの上で軽く目を閉じ休んでいるはず。何も知らなくてもいい。今日は移動お疲れさまでした。「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
2024年2月29日木曜日
2024年2月28日水曜日
大谷、ドジャースでのホームランを喜ばぬ人たち
朝5時に起きるはずだったが5時50分になっていた。でも急いで居間に行き、予約録画を最初から見始めた。大谷翔平のドジャースでのオープン戦初登場の試合放送がNHKBSであるからだ。メジャーリーグのオープン戦を生中継するなんてこれまで聞いたことがない。しかし、こと大谷翔平の新天地での初実戦とあればそれは見たくもなる。これまで肘の手術がどうの、移籍先がどうのなどばかりで肝心のプレーについては見ることが出来なかった。やはり野球選手は華麗なプレーで魅せてくれないと。
大谷の打順は2番だった。3番との噂もあったが2番で結構、後にフリーマンが控えているから相手チームもそうそう敬遠はしないだろうし、毎回1回の表か裏には確実に打席に立つので観戦もしやすい。相手ピッチャーはホワイトソックスのエース格でこれまで大谷はヒットを打ったことがない。いきなりフルスイングをしたが空振り、当てるもファール、そして追い込まれてなんと見逃しの三振だった。これを見たドジャースの永遠のライバル、サンフランシスコ・ジャイアンツのラジオ局スタッフらは「イエーイ!」と歓声を上げたそうだ。どこもかしこも大谷を応援しているわけじゃないな。
2打席目はノーアウトランナー1、3塁と絶好の場面。強く振り抜くも二ゴロ併殺打に倒れた。しかしその間に3塁ランナーが生還し打点1を稼いだ。そして3打席目、ピッチャーも代わり先発よりは力が劣るかなと思って見ていたら、ランナー1人おいて2ストライクの後強振し、最初「あ、レフトフライ・・」と思った。しかし、大谷の打球はレフト方向にも伸びることが多い。今度は「あれ、ホームラン?!」観客の動きをみていたら何とホームランになった。すごい!やるねぇ。ファンやマスコミが大注目する中、見事に応えてくれる。スーパースターだよ。いまじゃ芸能より大谷ニュースを扱うことが多いワイドショーも大喜びやったろうな。2024年2月27日火曜日
ハナビとゲンの間合い
最近のハナビは私には相当慣れてきて帰宅するとすぐに寄ってくる。カールに言わせると「よっぽどパパが好きなのねー。私にはちっとも寄ってこないのにー」だって。ただ、M2 MacBook Airを開いて何かしようとすると目の前にお座りするのが最近のお決まりで、結構邪魔なんだよなぁー。↓の態勢だとキーボードを扱えない。下手すりゃハナビは引っ掻いたりしてくる。
そんな時はパソコンはいじらず、一時休憩だ。カールにハナビとのツーショットを撮ってもらった。ゲンちゃんとの関係はどうなっているか。これがまだ緊張状態は続いている。力関係ではまだずっとゲンちゃんに分がある。なにせ体格差は一気には縮まらない。でも気の強いキャラのハナビは何かとちょっかいを出すんだ。今夜もゲンちゃんが定位置のソファの肩で休んでいたのに背後からじっと身構えていた。「なんだ?こんにゃろ」とゲンちゃんが気づいたのでこの後は何も起きなかったが、気づかずにいたらハナビはサッとネコパンチを食らわしていたはずだ。そうなるとゲンちゃんも黙ってはいない。ちょっかい出すくせにすぐに逃げ出すハナビを追いかけ圧を加えるんだ。今のところ、そうなった場合ハナビがじりじり後退して安全な場所に退避するので何事もなく終わることが多い。しかし時には取っ組み合いが始まることもある。首輪は取れ体毛がその辺りに散らかり、どっちもちっちゃな傷が顔に付いたりする。今夜は私が二匹に「こらぁ〜」とプレッシャーをかけ離れさせた。その後、ハナビは冷蔵庫の上でぬいぐるみと同化し、ゲンちゃんは定位置でゆっくりと過ごして平和な夜に戻ったのだった。
2024年2月26日月曜日
出血性放射線直腸炎
2024年2月25日日曜日
迷った時は「左膳」
今日の昼は外食しようとは決めていたのだが、どこに行くかは家を出てからもなかなか決まらなかった。カールは外食のあと明石屋でモンブランケーキ食べてコーヒーを飲むというのを想定していた。「ふむ、いいねえ。でも、昼食を摂ったあと、明石屋のケーキ食べられるかい?私ならへっちゃらだけどー」「そうねぇ、お腹いっぱいになってきっと食べられない」「なら、ごくあっさり軽い食事ならどうだろう」 「うーん、そんな店そうはないわねぇ」
そんなやり取りで車は市内を南下していくけど行く店はなかなか決まらなかった。結局、高見馬場を過ぎるあたりで「こうなれば『左膳』にするか」とカールがつぶやき、「『左膳』なら間違いないな」と私が相づちを付く。で、ド定番の「左膳」になった。少し心配は時刻が11時半頃になっていたことで、その頃になると客が多い日は結構待ち時間が長くなるんだ。駐車場も結構いっぱいで少し心配になったが、案に待ち時間は短く5分くらいで席に着けた。
メニューからカールは「桜膳」私は「椿膳」をセレクトし、
選べる蕎麦はカールはざる蕎麦、私はかけ蕎麦にした。↓は椿膳。
天ぷらも蕎麦もやはり美味しい。「左膳」は年に4、5回は利用するかな。あんまり外食をしない自分らからすると一番利用する店かも。で、毎回裏切らないんだ。値段もそれほど高いワケじゃないしね。ただ、カールは「もうお腹いっぱい」で、結局、明石屋のモンブランケーキを食べる状況ではなくなった。実は私、明石屋でケーキ食べてのコーヒーサービスを利用したことが一度もないんだ。カールはギボヒサコが元気なころは月に何度も利用していたし、サブアラドDr夫妻もよく行くと聞く。ケーキもコーヒーも決して嫌いじゃないのに。また今度・・な。
2024年2月24日土曜日
見守り
2024年2月23日金曜日
一気見「不適切にもほどがある!」
休日だったので、今ちょっと評判になっているTBSのドラマ「不適切にもほどがある!」のネット配信をTVでカールと見た。この前の韓ドラ「私の夫と結婚して」もそうだが、このドラマもタイムスリップものでこのような設定は全く普通になった。この手のドラマは時代が違うことで起きるギャップの面白さがあり、制作側は趣向を変えてあの手この手で楽しませてくれる。
2024年2月22日木曜日
その女子高生が手に持っていたもの
2024年2月21日水曜日
テル帰省
未明にテルからLINEが届いた。なんと友人2人と鹿児島へ里帰り決行中というのだ。休みが取れて、今日の午前には着くという。全く突然だねー。ただ、カールが「チャンスあったらいつでも帰ってきてー、おばあちゃんも施設入ってるし」といつも言っていたからのよう。
朝起きたら、カールは家の掃除やら布団の準備やらで、朝食も準備されていなかった。「もっと早く言ってくれていたら」とこぼすも久しぶりに帰ってくるのでカールは頑張っていたのだ。昼前に着いて、カールといっしょにギボヒサコのいる施設へ行き、バーバを見舞ったそうだ。ヒサコはやはり喜んでいたとか。
友人2人はテルのポーカーや麻雀の仲間らしく、居間にあった私の麻雀本を興味津々で眺めていたという。ふむふむ、そこにある麻雀本も読んではいるが、愛読しているのは実はトイレの棚に置いてある。↓の写真に映っている居間本の中で一番影響を受けたのはなんといっても福地誠著の「ネット麻雀ロジカル戦術入門」だ(黄矢印)。現代の麻雀戦術が大きく飛躍するきっかけとなったとつげき東北著の「科学する麻雀」を分かりやすくかつ詳しくまとめた本で本当に目からうろこが落ちる思いだった。夜は私と麻雀をという希望もあったようだが、テルと友人らは鹿児島のポーカー遊戯店に遊びに行った。うちのネコたちも歓迎?してくれたようで、ハナビには全員引っ掻かれたんだとか。そりゃカールですらまだ抱っこできないのに急に触ったりしたらヤラれるに決まっている。そして案の定テルはゲンちゃんを過剰に可愛がった。少々迷惑だけれどゲンちゃんは我慢強いよねぇ〜。ハナビには少し腰が引けてつつ猫じゃらしもどきで遊ばせていたナ(⌒о⌒)。自身の話や友人らの近況などいろいろカールとは語り合ったらしい。翌日にはさっさと帰ってしまったが、まあ、ともかくも元気でやっていることはいいこと。また帰っておいでなー。2024年2月20日火曜日
「私の夫と結婚して」ついに最終回
沖縄のヨーコバーバは施設を出なくても済むことになった。明後日には退院で普通の生活も送れるという。カールはホッと一息である。そもそも「すぐに歩けるようになる」と担当医から言われていたのに、どうもソーシャルワーカーが早とちりしたためだったようだ。
今日の午後は早帰りの日だった。コスモスで買い物の後、鹿児島市内に戻り、いつものスピードカット屋で散髪してもらうつもりだった。昨日の朝カラさんとの写真で検査後にヘアキャップを脱いだ直後だったとはいえ、いかにも髪が伸びてぼうぼう(鹿児島弁でやんかぶっている)だったのが気になった。行ってみると駐車場は車でいっぱいも、すぐに誰かが出ていくだろうと空きスペースで待つことにした。しかし、10分、20分経っても一向にどの車も出ていかないのだ。この手の散髪って10分から15分で終わるものでしょ。どうにも動かないので諦め、近くの3Qカットに行った。ここは以前数回利用したことがある。入るとすぐに散髪台に通され、ハサミでカチャカチャ、15分ほどで終わり、さっぱりとなった。もっと早く決断していたらムダな時間を過ごさすに済んだものをー。後で気がついた。あそこは男性の散髪だけでなく隣に女性のヘアサロンもあってきっとそっちの利用者が多かったのだろう。女性の髪は15分では終わらないらしいからなー。
話題の韓ドラ「私の夫と結婚して」は今日がいよいよ最終回だった。前回までの展開ではまだ主人公がどうなるか、悪役たちがどうなるか(夫は前回で死んじゃったけど)がまだ分かっておらず残り1話なのにどうなるんやと思った。実はネット漫画で結末を知っているはずの福緑Nsも「最終番になって展開が違うので私にも分からない」とのこと。なるほど、制作陣も原作ではそこまで悪役ぶりを発揮していなかった男性主人公の元婚約者(歌手のBoA)を悪の中心に持ってきて深みを増したようだ。2024年2月19日月曜日
朝カラさんが来た
2024年2月18日日曜日
アラカンは忙し
カールが気を揉んでいた。沖縄のヨーコバーバが先月骨盤骨折が判明し、浦添市の総合病院で手術を15日に受けたのだが、リハビリやその後の療養に手間取れば現在利用しているグループホームを出ていかねばならないという。「今のグループホームは沖縄の家から近いし綺麗だし職員の対応もいろいろ見た中でかなりいい方だったの。もし自分がその年齢だったらそこがいいなと思うくらいなのにー」と。
病院の整形外科の担当医は「すぐに歩けるようになりますよ」と言っていたのに、ケアマネジャーは16日時点で導尿もされてベッドに寝ているという情報を聞き、「これは施設にはいられない。今月26日には施設を出て欲しい」とまで言われたのだった。カールがいい施設と思うだけあってすでに数名の空き待ちの人がいるらしい。カールは「26日ってその前が天皇誕生日など3連休で沖縄への飛行機も簡単に取れないのー」とあたふたしていた。
ところが、つい昨日の17日には「歩行も可能になっている」との連絡が入った。当然導尿もやっていない。これなら施設を出て行く(追い出される)必要はないのではとカールは担当ケアマネージャーに連絡した。マネージャーは「土日なので明日19日に確認します」とのことだった。「施設にとどまれるのなら新たな施設を探す手間もないし沖縄に来週行かずに済む」とカールは期待している。歩けるというのならきっと大丈夫だろう。
対するあこネーサ母はというと、首尾よく胃瘻造設はうまくいったのだが、昨日、病院から連絡が入って、ここに至るまで低栄養が続いていたせいで血中のタンパク質(アルブミン)がかなり低くむくみと胸水が溜まってしまっていた。それで私が利尿剤やタンパク補充も指示したばかりだ。1週間程度で退院の予定がおそらくプラス1週間ほど延びるだろう。
もう一人、カールの母のギボヒサコは鹿児島の施設に入れている。今のところ3人の中で一番安定はしている。しかし自力では歩けないし世話は焼けるのだ。カールが山梨の友人コマミさんとメールのやり取りで1週間ほど前に「みんなが今度集まるの、こっちに遊びに来られない?」と誘われたが、前述の現状を話すと「3人も?!ヤバいね」と言われたそうだ。
還暦過ぎた我々同世代の親たちの死亡記事も多く目にする。アラカンは親の世話真っ盛り時代である。
2024年2月17日土曜日
歯根破折
朝はネット中継でH3の2号機発射の瞬間を見ていた。以前、姶良の青雲会病院から桜島の東から天に昇っていくロケットを見たことはあるが、鹿児島市内からは発射されてもほとんど見ることは出来ない。ネット時代は生でその瞬間を見られる。いい時代になった。
私らでも少しドキドキしたから、関係者は発射直前は心臓バクバクやったろうね。↑は発射3秒後のシーン。この後順調に上がっていき、人工衛星の分離も上手くいったそうだから何よりだ。午後からのリアル麻雀の約束前の12時に吉野のMノ下歯科へ行き、左上奥歯の治療をしてもらった。1、2ヶ月前から歯茎が痛く、なにがしか問題が起きているのは分かっていた。良くなりそうもないので2年ぶりの歯科受診となった。マイナンバーカードが使えるというのでセッティングすると、「マイナンバーカードを保険証として使いますか」と画面に出てきたから喜んでOKボタンを押した。今後保険証として使えるのは大変有り難い。なんか、一部の人たちはマイナンバーカードと保険証として使えることに反対反対と叫んでいるようだが意味が分からない。健康保険証を使って他人になりすまして医療を受ける人たちがいるらしいから、反対している人ってその手の人たちなの?
レントゲンを撮ってもらった結果、私の歯は歯根破折(しこんはせつ)を起こしていて「これは抜歯しないといけない」との説明を受けた。奥の歯とブリッジでつながっていたその歯は傷んでしまいブリッジを切断し抜歯するという。パンフレットもありそれが必要な処置だと納得出来た。↓レントゲンで病歯は奥が3つくらいに分かれているのが分かる。
局所麻酔後抜歯してもらいいくつかの注意事項を受け1時間ほどで治療はいったん終了した。今後は抜けた歯のところに義歯を入れるんだそうだ。昼ご飯は麻酔が切れた頃にコスモスで買ったパンやヨーグルトなどで済ませた。歯がないためスースーと食べ物が抜けていくけれど歯茎の痛みはほとんどなくなった。↓出血予防でガーゼを詰めてもらい30分はこの格好で我慢だ。だいたい2年おきくらいに歯のトラブルはやってくる。歯磨きはちゃんとやっていたが今回のは仕方がない。しばらくは歯科通いが続くな・・。2024年2月16日金曜日
池之上浩治先生の思い出
この前の南日本新聞死亡広告に元鹿児島中央高校の化学の佐多央先生が亡くなったとあったら、今日は元国語の先生池之上浩治先生が満93歳で亡くなったと広告があった。
ともに娘、息子氏が高校の同学年生というのも共通している。池之上先生は鹿児島中央高校創立2年目から赴任し、鹿中央高愛にあふれた先生で息子氏を中央高に入れたのも当然だったろう。先生は私が高1の時の国語担任でその年が鹿中央高最後の年でもあった。たった1年しか教えてもらわなかったが、文学や本が大好きというのが伝わって来る先生で、例えば最初の授業で「本を買ったらまずこうしなさい。本の最初と最後の表紙と数ページをしっかりと開き形を整えるんだ」と言われたことは、今でもずっと続く私の習慣になった。また「私の2学期最初の授業は毎回これだ」といって渡されたプリントは佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の詩で佐藤春夫と谷崎潤一郎、その妻にまつわるエピソードをしっかり教えるのだった。ただ教科書をなぞらえるだけの授業より印象に残ったのは言うまでもない。ちなみに息子氏の「譲治」は谷崎の「痴人の愛」の男性主人公河合譲治から取ったと言っていた。確かにそう聞いたがホントかなぁ。というのも「痴人」に出てくる譲治はちょっと情けない男に映るしー。ま、浩治から一字取って好きな作家の作品から取った意味もあったのだろう。そんな池之上先生、転任の際の最後の挨拶で言った言葉も強烈だった。「最後に言っておく。甲南高校には負けるな!」だったのだ。そんなあからさまな対抗意識を言った先生は私の人生でそれ以前もこれ以降も一人もいない。鹿中央が創立以来甲南に追いつけ追い越せを目標にしていたのはれっきとした事実で8期生、9期生、10期生の頃には九州大学合格者数で並ぶか1年だけだったか上回ったこともあった。これに対して甲南が本気を出してしまい、私たちの13期生の頃には差は開く一方だった。
私の卒業時には既におらず、アルバムにも当然写真はなかったし、その後の教員人生がどんなだったかは全く知らなかった。養護学校の校長が最後だったのは広告で知れたが、昔みたいに通夜や葬儀に参列するチャンスがあったら最後のお別れがしたかった。せめて先生の人柄や思い出を語り偲ぶことにしようと日記に書いた次第である。
2024年2月15日木曜日
毒舌実況中継
(土曜はリアル麻雀で夜遅く帰宅後、日記書こうにも眠くってダウン。日記書けずに起床後書きました。そして内容はあまり人気のない麻雀ネタです。カールなど麻雀ネタと知るや見ずに閉じちゃうとか。↓は麻雀知らなくても分かること書いているんだがなぁ( ・_・;))
たつやましたDrからLINEが届き、天鳳の有名プレイヤーの麻雀実況の話題を教えてくれた。YouTubeで対戦実況を公開していて、その中に私やサブアラドとの対戦もあるとのことだった。
「先生、知ってますか?(天鳳の有名プレーヤーの)「おじさん」、天鳳の実況をしていて、こてるとの対戦記録もありました。結構口も悪いけど、やはり上級者で押し引きが明確で状況判断が早く、オリも読みも正確だと勉強になりました」2024年2月14日水曜日
チョコにまつわるエピソード
バレンタインデーだってー。この5、6年、職場ではバレンタインチョコを全くもらっておらず、お互いに余計な気を遣わずにすんで良い傾向だとこれまで何回か日記にも書いてきた。カールはチョコを買ってくることはないが、毎回自作のチョコレートケーキを作ってくれる。今回のは結構濃厚な味付けで美味しかった。
では何もチョコをもらわなかったかというと、外来患者さんで「今日はバレンタインだから」と一箱プレゼントしてきた高齢女性がいた。有り難くいただいて、1個だけ食べて外来において「あとはみんなで食べて」と置いたら、ものの1、2時間で全部なくなっていたわ〜(笑)。午後に内視鏡室に用事があって冷蔵庫を覗いたら思わず笑いが出た。2週間ほど前にコロナ感染あがりのコッパマNsが「ご迷惑かけました」と持って来ていたイチゴチョコの袋があって、その中の1個だけまだ袋に残っていたのだ。
ふふふ、こんな状態を「関東の一つ残し」とか関西では「遠慮のかたまり」佐賀や熊本では「いっちょ残し」とか言うそうだ。鹿児島では特にその手の言葉はないが・・。ただ大勢がいる中での残り1個はしばらく残りやすいのよねぇ。呼び名はなくても集団心理は共通だ。2024年2月13日火曜日
「キテン」さんの由来
あこネーサ母の胃瘻造設は本日昼に実施し、滞りなく終わった。
病室に行くと安らかに寝入っていた。これで注入食を十分に入れられるので現在の低栄養状態から徐々に脱していけると思う。ただ脳梗塞発症前から食が細くなっていたので元に戻るにはまだ数ヶ月はかかるだろう。体重が戻るようだと長生き出来る可能性もあるが、老衰がひどければ結局栄養が身につかず胃瘻造設しても大した効果は得られなかったということもありうる。いずれにしてもやれることはやっておこうということだ。内視鏡を受けた患者さんの名前で「キテン」さんという人がいた。昭和30年生まれの男性だ。説明も終えて後は帰るだけの時に、ふと名前の由来を確かめたくなった。きっと明治時代の有名人から取ったに違いない。ただ漢字はまさにいっしょだったが、読み方が違っている。確かめると、私の予想どおりだった。読みが違うのは、父親が役所に提出しようとしたら、職員に「この名前は畏れ多い。漢字はそのままで読みを変えたらどうか」と進言されたのだという。それもそうかと父親は呼び名を「キテン」にしたのだそうだ。
私が内視鏡室のスタッフにその偉人を知っているかと訪ねたら、誰も知らなかった。ちょっと呆れたが、今は令和の時代、そうなのかも。昭和30年頃はまだまだ一般の人もその偉人をよく知っていて明治の雰囲気はまだまだ残っていたのだろう。私が子どもの頃の昭和40年代でも明治生まれの人たちはまだまだたくさんいた。明治最終年の明治45年生まれの人だと今年は112歳だ。現在日本最高齢は明治41年5月23日生まれの兵庫県芦屋市の糸岡富子さん115歳とのこと。もうあと5年もすれば明治生まれは誰もいなくなる可能性がある。きっと大きなニュースになるだろう。明治は本当に遠くなった・・。2024年2月12日月曜日
「ビヨンド・ユートピア 脱北」
2024年2月11日日曜日
バチ当たりなわけ
日曜の夕方から当直が入っていた。着いて外来状況を尋ねると、まだ昼間の患者の処理が残っていてちょっとだけ忙しかった。しかし19時を過ぎると落ち着いて、今夜は二次当直でもないのでしばらくは患者も来なさそう・・と、つい天鳳に手を出してしまった。
対戦相手が十段の黒羽織、九段の河童のワカマツ、七段の天空の杖となかなかの強豪たちだ。東の1局目河童のワカマツが追っかけリーチし、先制リーチしていた黒羽織から親マン12000点を上がった後の2局目、当直のタッピーNsから連絡が来た。「先生、90歳代男性の心肺停止が来るそうです」だと。ガーン!まだ始まったばかりの天鳳、このままでは卓から離れざるを得ず、私はツモ切り状態になりずるずると点数を削られラスになってしまうだろう。あーあ、こんなことなら始めなければよかった、と思っても後の祭りだ。
それでも救急車が到着するまでにまだ5分以上ある。1局でも打って点数を稼いでおこう。幸い十段様がマイナス12000点なのでどうにかすればラス逃れが出来るかも。と、私の手がホンイツ白ドラ1の子の満貫手8000点を聴牌した。そして救急車のサイレンが聞こえた時に黒羽織十段から当たり牌が出た。ローン!ここで当然私は卓を離れ、救急外来に向かったのだが、このまま放置してもどうにかラスを逃れられるのではないかと期待を抱いていた。なにせ、十段様は4000点しか持ち点がなく、私が3万700点、河童が3万7000点と結構な点差が付いていたからだ。
運ばれて来た患者は超高齢な上に救命救急士が心臓マッサージとアドレナリンの静注も行っていたのに心臓が全く反応していなかった。状況からしても救命はまず無理だ。心臓マッサージと強心剤は私も試したがダメだった。家族に説明し心肺蘇生を諦め、死後処理に入った。カルテ記載、死亡診断書まで書いて意外に早く私は医局に戻った。そこで気になる天鳳の状況を確認すると、既に終わっていた。私の結果は・・?
どーん!予想に反しラス。しかもオーラスまでいかず南2局の私のドボンで終わっていた。どうしたん?東の4局から私は放銃を重ねていたが、しかし南2局ではまだ1万3600点、ラス目の黒羽織十段の3500点よりまだ1万点リードしていた。しかしー。親の河童が↓のような手で4巡目にリーチ!ドラが5ピンなのでメンタンピン一盃口ドラ4という親のバイ満2万4000点という超大物手。
これにツモ切りまっしぐらのこてる七段は7ピンを一発で振っちまうのよ。裏ドラ5索も2枚乗ってなんと親の3倍満3万6000点に化け、これにただ打ちしてしまった。あ、ありえない・・ガクッ。結局、思ったわ。こんなこともある青雲会病院当直で天鳳なんぞ打ったのがバチ当たりだったんだと。反省反省・・・〇| ̄|_。2024年2月10日土曜日
梅だけどサクラ
自宅裏のモリサンチー家の庭にある一本の梅が今年も満開の花を咲かせていた。
全部の枝に見事に咲いていてとても美しい。これを見て5年前のNHK教育TV「植物に学ぶ生存戦略2 話す人・山田孝之」を思いだした。2019/5/6の日記ネタにもしている(→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2019/05/nhk2.html)。植物の生存戦略を面白おかしく紹介する番組で、その中でも「ウメ」の生存戦略は秀逸な回だった。実は上の梅の花の半分近くは偽の花なんだ。本物の花は花びらの中心にめしべがあり虫が花粉をめしべに付けることで受粉しいずれ実が成る。しかし偽の花にはめしべがないのである。窓から望遠で撮ったもので確認したがよく分からなかった。ネットで解説しているものがあったので紹介しよう。↓の紅梅が偽の花、フェイクだ。中心にめしべがないのが分かる。↓の花では上の花には黄矢印にめしべがあり本物だが、下の花はフェイクだ。なぜに本物と偽物の花があるのか?梅の花の咲く1、2月はあまり虫がいない。そこで他の花に紛れて低コストでたくさん咲いているように見せかけ、虫や鳥を呼ぶためのにぎやかし…いわば梅だけど”サクラ”なのだ(笑)。そしてもう一つの理由はすべての花で実をつけると維持するのに木の体力が消耗するためそれを防ぎ、また一つ一つの実が大きくなるようにし動物に食べてもらい、出来るだけ遠くに種を運んでもらう戦略ということだそうだ。裏の梅の木も5月も末になると実が成るはず。それも日記ネタにしたことがある。写真に撮って3日後そろそろ摘み時と思ってみらご主人が全部摘みきっていたんだ。ただ最近はモンサンチーのご主人さんはあまり見かけない。体調でも悪いのだろうか。
こてる家の庭には実の成る果物は枇杷しかない。4月末から5月にかけて実が成るのが楽しみだが、この前の雪の日のせいで少し実が傷んでいるようで今年は実の成り具合はウラの年になりそうだ。それはともかく、梅といい枇杷いい、そろそろ春やなぁ・・。
2024年2月9日金曜日
100歳を越えたなら
夕方来られた高齢女性患者、いやびっくりした。杖をついて自力歩行で娘さんと診察室に入って来たのだが、年齢を見たら何と100歳越え!お話しをしても特にボケている様子はない。しかも「コロナには2回罹ったし、骨折も3回やってますけどどうにか元気です」とかくしゃくとして話す。内服薬もごく少なく実質2種類のみ。いや〜お元気だ。
現在入院中のあこネーサ母は満94歳、ほぼ寝たきりで近々胃瘻造設を受けるというのに、この違いはいったい何なんだろう。なにがしかの健康法か、食生活か、でも結局は遺伝なのか。血圧は高い、普通、低いの三者では調査結果では低い人が長生きするというのは間違いない。この患者さんも今でこそ血圧はやや高いが以前は低かったのではないだろうか。2024年2月8日木曜日
社会保険協会「健康作りボウリング大会」優勝できるんかい
2024年2月7日水曜日
母が青雲会に入院した
田舎からチエコンさんが介護タクシーにあこネーサ母を連れて青雲会病院にやって来た。すでにカールも病院に来ていて、私が救急外来入口から迎え入れ、事前に指示していたとおりに採血、点滴を看護師らに依頼した。↓迎えるカール。
入力指示を出し終わってロビーに行くと、チエコンさんとカールが入院書類の説明を病棟看護師から受けていた。胃瘻はあこネーサが抗血小板剤を服用していた関係で来週になる。そのため経鼻チューブを入れて栄養管理することにした。それをあこネーサが嫌がって自己抜去しようとするので今度は動く手を抑制しなければならない。まあ何かと面倒くさいことが起こる。でも、今後のことを考えれば一時の辛抱だ。病棟のベッドで横になっているあこネーサ母の側に寄り、いろいろとは話しかけ、「こてるだよ」とか「デンコーを覚えているか」とか尋ねると何か返事をしようとはする。でも脳梗塞の後遺症ではっきりとは聞き取れない。ううむ、思えば12月に見舞った時はiPadの画面でのリモート面会だった。今は目の前で久しぶりに話しが出来るし触れることも出来る。これだけでも私が胃瘻造設のために入院を受け入れた甲斐があったわ〜。
2024年2月6日火曜日
胃瘻造設へ
高齢者で食事がうまく摂れなくなった場合どう対処するか、いろいろ議論のあるところだ。点滴でもある程度は栄養は与えられるが長期になるとどうしても栄養は不足し維持し続けられない。鼻から経管チューブを胃に留置し栄養剤を注入するのはこれも本人が嫌がったりもし、抜けた時に挿入するのは医療関係者に限られるし 普通の老人施設では出来ないことも多い。最終的には胃瘻造設すれば栄養管理は長期可能となる。しかし自ら食べることは出来ずただ生かされている印象は拭えない。
今、あこネーサ母が入所している施設からそういう状況になってきているため今後の方針をどうするか打診されてきた。元々はそうなった場合、胃瘻は作らず自然に衰えるのを見守るというのが、ヒラーキや私の方針であった。ただ、施設のDrの意見では栄養が行けばまだ元気になれる可能性があること、そして何も処置しないと亡くなるまで苦しませてしまうのではないかという意見もあり、昨日から今日にかけて弟と電話で協議し、胃瘻造設すると方針転換をした。それで脳梗塞でもお世話になった「おばらん病院」で造設依頼をしたところ了承してもらえたのだが、実施するのに今月末まで待たねばならないということだった。3週間も待たせるのは少し酷だ。2024年2月5日月曜日
ゲンとハナビの睨み合い
夕方、ともに夕食を済ませたゲンちゃんとハナビがテーブルの上でお睨み合い中。ゲンちゃんの睨み方が、なんだか目上のヤクザが下っ端に厳(いか)ついているみたい。「ごらぁ〜」てな感じ。
対するハナビは「ちっ、何だよー」と思いつつ、おとなしく睨み返している状態。この後、ハナビは私のところにやって来て(私を味方につけて)ゲンちゃんと一定の距離を保った。家では私に一番懐いているからねぇ。私たちの夕食前だったんで、この後、ハナビを一旦廊下に逃がし、居間に入って来られないようにした。ネコはなぜか食事前後に少し興奮しがちでケンカもその時間帯に起きやすいから今のところそういう対応をしている。午前のお休みタイムは近くで仲良く寝たりするんだけどなぁ。↓なんでボクだけ廊下なのって表情のハナビだが。ゲンちゃんが睨み効かしているからさぁ。いつになったら、お互いの毛づくろいするなど仲良くなれるかねー(‾□‾;)。