2024年1月31日水曜日

世界的人気「私の夫と結婚して」

最近の韓ドラでは珍しくAmazon Primeでの配信の「私の夫と結婚して」がお気に入りだ。すでに1月13日のこてる日記で話題にした。現在韓国で月曜と火曜の週2回放送されているのと同時配信のため一気見が出来ないの少し残念。でもその分、リアルタイム視聴の面白さが共有出来ている。このドラマを教えてくれた福緑Nsや外来の西友Nsらと「昨日の『私の夫・・』ではさー」などと韓ドラトークが出来るのだ。

今週は主人公のパク・ミニョンの復讐っぷりがさらに際立ってきて、月曜夜のクソ姑への「アジュマー(オバサン)」呼ばわり、それに続くラストシーンのクズ男への背負い投げ、そして昨日の怒りに震えるクズ男への逆襲のビンタ3連発!そして赤いパンティーを頭に乗せ「この浮気男!」と社員の目の前で暴露する。いやはや痛快そのもののシーンが続き、視聴率もウナギ上りという。

あっけにとられるアジュマー
↓よう言った!
さあ、背負い投げ!
決まった!
クズッぷりがひどいだけにやられ方↓も楽しい。

さらについ最近のネットニュースによると、元々人気だった日本東南アジア以外の欧州米国でも軒並み視聴数で上位に上げられ、世界的ブームだという。

海外の有力メディアもブームに注目していて、イギリスの有名雑誌NMEは12日、「私の夫と結婚して」について、「ものすごく中毒的(immensely addictive)」とし、「時間旅行を通じた復讐の物語を伝える幻想的な恋愛ドラマ」「単純でわかりやすいストーリーラインを維持しているという点で、拍手に値する。視聴者が望むものを正確に提供することで満足感を与える」とし、人気の要因を分析した。アメリカの芸能専門メディア「Screen Rant」は15日、「時間旅行と復讐を組み合わせた『私の夫と結婚して』は、両方のジャンルで最高だ」「まだ一部しか公開されていないが、すでに2024年最高のK-ドラマの一つ」と絶賛した。世界中の視聴者のレビューを確認できるIMDbでも「私の夫と結婚して」に対する好評を確認することができる。「今年を始める素敵な作品」「主人公たちのケミストリー(相手との相性)が爆発的であり、視聴者が次話を見たいと思わせるストーリー」「第1話からハマった。このドラマのすべてを愛している」「演技、表現力、そしてすべての面で非の打ちどころがない」などの評価が多い。

なかなかの評価ぶりで、早々と日記ネタにしていた私ももう一度取り上げたくなったわけだ。Amazon Primeは加入している人も多いはず。まだ見ていない人はぜひご覧あれ!

2024年1月30日火曜日

仕事で「ぽつんと一軒家」へ

今日の午後は半年ぶりに北山診療所での仕事だった。往診も1軒あって木津志地区に高齢男性のいる一軒家に出向いた。簡単な診察と採血そして処方指示を出して終わったのだが、そのことより生活環境にただただ驚いたのだった。

一言で言って「昭和時代の田舎の家」なんだ。60年ほど前、私たち一家が田舎に居た頃の祖父母の家が思い出された。玄関、土間があり、畳の間にふすまに欄間があり冬は風が入ってきて寒そうな感じがする。そして母屋の他に隣接する小屋があってそこには薪や工具が置かれ、便所、五右衛門風呂は当然屋外にあった。



男性は何年か前まで姉と二人で生活していたそうだ。姉も亡くなり、本人も脳卒中を起こしすぐに言葉が出て来ないなどの症状はあるが、独居生活はどうにか出来ている。畑や椎茸栽培などして細々と暮らしているとか。周囲はこの家だけで家の前の道もおそらくは先祖が切り開いたような小さなトンネルもあった。さすがに私の田舎にはこれ↓はなかったな。
↓は玄関から見える風景。手前に金柑の木、遠くに梅の木と葉が落ちた柿の木がある。電柱がなければ明治時代初期と何ら変わらない姿だ。
山村、寒村の「ぽつんと一軒家」に「このまま20年後いや10年後には誰も居なくなってしまうが・・」と私は嘆息するだけだった。

2024年1月29日月曜日

三浦先生の訃報

南日本新聞朝刊死亡広告欄に「三浦力(つとむ)」先生が載っていた。

え?!と思ったが、ここ最近は病気がちだったらしいからこういうこともあるかもとは思った。三浦先生は鹿大第二内科の肝臓の元スタッフで私の友人のサブアラドDrの直接の上司でもあった。こてる日記には昨年9月20日の「サブアラド、夕方のニュースに出る」→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/09/blog-post_20.htmlに三力先生として出ている。弟子のTVでのコメントが素晴らしかったのですぐに電話をし、感想とお褒めの言葉を下さったとか。

それでサブアラドDrに昼にLINEを送って、三浦先生のことを尋ねてみた。普段はあるはずの第二内科からの訃報メールも届いていなかったしー。すると「だからよー。元気そうだったけどねー、何だったのか」と弟子も知らなかったようだ。やはり急病だったのか。となると心血管系か脳血管系の疾患か。実は後でサブアラドDrには訃報通知が来ていて急な脳血管系だったそうだ。すべて家族内で済ませ香典の類いも絶対に受け取らないという遺志だったそうだ。そうか・・。

先生は肝機能のデータを読み解くことが得意でその手の本も出版されたことがあった。いつだったか飲み会の二次会でたまたま私が持っていた患者のデータを見せたら「これはちょっと興味深いね」「また後で」とデータ用紙を懐に入れられた。しかし結局、その肝機能の結果の説明はうやむやになり、もはや永久に聞くことができなくなった。

それと昭和の終わりのころ、なぜかまた二次会の飲み屋で三浦先生と私のボスの渋江先生と3人になったことがあり、酒に弱い私はぐったりとカウンターにうつ伏してしまっていた。すると2人の会話は、海外留学の話になり、教授戦前だった渋江先生は2内科の若手をアメリカの知り合いの教授のいるところに送って勉強させるなどと話していた。それをじっくり聴いていた(聴かされていた)三浦先生は「(渋江)先生、それ私が行きたいくらいです」とか語っていたなぁ。私はアルコールで少々気分は悪かったが耳だけは大丈夫だった(笑)。ま、教授戦に渋江先生は負けてしまってそんな夢のある話も当然立ち消えになってしまったけどね・・。

私は三浦先生には直接指導を受けることは少なかったが、それより二内科囲碁大会で対戦したことがあってハンディは対等だった。30年くらい前の大会では終盤まで熱戦が続き、私がどうにか勝ったが、観戦していた囲碁部出身のきたぐにDrに「いやー、名局だったよ」と褒めてもらったのが印象に残る。その後の対戦でもいつも接戦だった。できればまた碁盤を前に烏鷺(うろ)を戦わしたかったが・・ご冥福をお祈りいたします。

2024年1月28日日曜日

チッチ、わんこそばにチャレンジする

うーん、今日は日曜日、あんまし日記ネタがないなぁ、と思っていたら、昼にまた家族LINEに投稿があった。チッチからで、なんと人生初のわんこそばにチャレンジしたという。

で、食べたお椀の数は150杯!「まじきつい。二度とやらない」だって。カールが「おめでとう🎊150杯」と返信すると一言「吐く」とだけ。
私も「すごい」と返信した。チッチは「めちゃくちゃきついわー」だそうで、店のホームページによると15杯で約1杯のかけ蕎麦分なんだとか。ということはチッチは10杯のかけ蕎麦を食べたことになる。「はい、どんどん」「はい、じゃんじゃん」なんて言われていい気になってたら、そりゃ吐くわ〜。もしかしてそれを知っていて切りのいい150杯まで頑張ったのかな。カールは「値段も4千円近いそうだし、自分だったら最初から絶対やらない」ともっともな意見だったが、自分だったらまあ1回くらいは記念か思い出としてやってもいいかな。

これまでのそこの店の記録は大食い女王として名が知られる魔女菅原こと菅原初代さんで570杯、これは男性記録の500杯をも上回るんだそうだ。全日本わんこそば選手権というのもあって、先の菅原初代さんも3連覇の記録があり、最近では井本英明4連覇その後鈴木隆将2連覇で鈴木は15分制限で632杯というとんでもない記録も出している。ここまで来ると大食いというよりもはやそういうスポーツの世界やね。はい、どんどん!

2024年1月27日土曜日

NHKアナザーストーリーズ「連続企業爆破事件~見えない敵との闘い~」

昨日のこと、「連続企業爆破事件」で警視庁に指名手配されていた桐島聡が「自分だ」と名乗り出たという。これをうちの家族LINEでやり取りしている最中、チッチが「桐島さん捕まったらしいよ」とコメントしたので、私が驚いて「桐島は部活で爆発物を作っていたのか」とチャチャを入れた。これにカールが「桐島誰やねん?」とまあ当然の反応をしたので、テルが「部活やめたやつ?」と私のボケを補佐してくれた。

そこで私が「三菱重工爆破事件などの犯人」「指名手配のロン毛の眼鏡顔を見たことあるかも」とマジレスをした。でも、どうして今頃桐島が見つかったのか詳細を知らず、その後の後追いニュースで胃癌末期になって1月25日に病院関係者に「最期は本名で迎えたい」と告白したと分かった。名前は不確かでも↓の指名手配写真を見たことない日本人はまずいないだろう。事件の頃には影も形もないチッチがすぐに反応したのもこの写真のせいだ。
実は三菱重工爆破事件など一連の連続企業爆破事件にとついては、私は聞いて知ってはいたが詳しくは知らなかった。そこでNHKが2018年3月に初放送したアナザーストーリーズ「連続企業爆破事件~見えない敵との闘い~」は録画していていつか見よういつか見ようでずるずる6年近くが過ぎていた。今まさに見るべき時が来たようだ。そこでカールと二人で見た。

なかなかの力作だった。アナザーストーリーはいつも3部構成で、関係者を3者の視点から描いている。今回は当然事件を検挙する側の警察、そして報道する側のサンケイ新聞、最後は被害者と当時の警視総監土田国保の家族に焦点を当てていた。

最初に起きた三菱重工爆破事件は犯人である東アジア反日武装戦線のテロ連中(彼ら彼女らは海外展開する有名企業を帝国主義的侵略の元凶として敵視していた)もあそこまで大きな爆破力とは分からないほどの威力だった。近くにいた会社の人や通りがかりの無関係な人たちなど8人がほぼ即死状態で、けが人も落ちて来たビルガラスなどもあって負傷者300人以上と一番の被害が起きた。ビル側と車道側のどちらを歩いているかで生死が別れたケースもあった。
当時の警視総監は警務部長時代の3年前にお歳暮で送られてきた届け物を妻が開けた時に爆発、妻が即死した事件に遭っていた。その子どもらはその現場を目撃する羽目になる。その犯人は今も捕まっていない。今回の桐島聡は一連の爆破事件の最後のあたりに関わっただけで犯人グループの中で唯一逮捕も前科もない奴だった。しかし約50年もの間潜伏する憂き目に遭った。「犯人も被害者もどちらも幸せにはならない」という被害者のつぶやきが心に刺さる。

アナザーストーリーズを見ると、取材側のサンケイ新聞社会部の動きも凄かったことが分かる。なんと、犯人グループ逮捕のあった昭和50年5月19日朝刊に堂々と「爆破犯数人に逮捕状」とまだ捕まっていないのに一面に銘打ったのだ。そして夕刊に犯人逮捕の瞬間の写真を唯一載せ、一大スクープを飛ばしたのも同紙だった。朝日、読売、毎日には逮捕のタの字も出ていなかった。「腰を抜かしたでしょ」とかつてのサンケイ記者はにんまりとしていたね。↓犯人の住居付近の販売店では朝刊配布送らせる処置もなされたとか。

警察の公安部や警備部に深く関わり、逮捕当日は警察の尾行をしつこくやって警察側が根を上げるほどだった。

いや、初めて知ることばかりで実に見応えのあるドキュメンタリー番組だった。その中で犯人の一人佐々木規夫が爆弾を作っていたアパートが出てきた。これを見て私がカールに「おい、お前のいたアパートじゃないだろうな」と尋ねた。実は、彼女が学生時代埼玉に住んでいたおんぼろアパートは、大家さんが言うには「以前、爆弾犯が住んでいたことがあってそれからは身元がきちんとしている人しか入れないようにしている」と聞いたことがあったからだ。
「ううん、違うわ。でも2階に上がる階段はそっくりね」だと。それに上の犯人は地下に穴掘って作っていたがカールのアパートでは押し入れで作っていたらしい。犯人グループは「市井の人に混じって普通人として生活すべき」という方針だったそうだから不気味だった。

番組の最後になってようやく「まだ一度も逮捕されていない犯人もいる」として桐島聡の画像が出てきた。
これだけ見応えのある番組なのに私の知る限り再放送はされていない。他のアナザーストーリーズは二度三度と再放送されているのにである。今回の一件でNHKには再放送を望む声が相当届くはずだ。番組を見てはたと気づいたのがナビゲーターの役の沢尻エリカの存在だ。彼女の不祥事ゆえになかなか再放送されないのではないか?彼女はあんまし私の好みではないけれど、若々しく派手な容姿はやはり目を引く。
沢尻も今度の2月には舞台に復帰するそうだから、そろそろこの力作アナザーストーリーズを再放送してほしいものだ。

2024年1月26日金曜日

プリント写真のあの頃

家族LINE投稿は月に1回程度しかないが、一度開かれると続けざまに誰かが投稿してにぎやかになる。

今日はカールが投稿した。ギボヒサコの部屋を断捨離していたら昔の子どもたちの写真がいっぱい出てきたというのだ。左からカール、セージ、テル、チッチ、私。

↑の写真は2010年12月撮影の2011年の年賀状に使ったもので10秒後自動シャッターで撮影した。ゲンちゃんを3ヶ月半前に飼い始めた頃で、ゲンちゃんがカメラを向くタイミングでそれぞれがポーズした。子どもたち(左からチッチ、セージ、テル)がみんなよそを向いているのが可笑しい。
↑は全員小学生の頃で2003年頃だろう。↓はセージがまだ1歳満たないころで当然プリント写真だ。カールは「生まれた時はセージは色白だったのね、チエコンさんも『セージ君、色白だね』と言っていたのを思い出す」と。
↓の写真は私は見た記憶がない。それもそのはずチッチが生まれた時の産科での写真で、この時は私は沖縄に行っていない。カールが点滴を受けている。セージも2歳になっていた。
↓の写真、カール曰く「レスリング姿のセイちゃん」には笑った。これも私は初めて見る写真でチッチ妊娠中に沖縄南部のホテルでのプールに2歳のセージを連れて行った時のものらしい。

↓は1996年の年末ごろの沖縄旧実家の写真。子ども3人「可愛いねぇ。兄弟っていいねー」とカールは言う。後ろのふすまがボロボロなのは「テルとセージが暴れてそうなった」そうで、私がやって来た時には張り替えられていた。男子3人、この先の子育てを象徴していたな。

そして、この日、家族写真ネタで家族LINEは終わるかと思いきや、チッチからの「桐島さん捕まったらしいよ」とのつぶやきで、また一盛り上がりするのだが、それはまた明日のこてる日記でー。

2024年1月25日木曜日

それはいくらするのですか?

夜、テルが家族LINEに画像付きで投稿をした。

「魚嫌いのぼくがハマチの半身を買った」↓豊後ハマチ「若武者」ブランド。

これにカールが「魚嫌いのテルが購入するなら美味しいんだろね。ビール🍺育ちなら、臭みも無くて美味しいかもね」と反応した。私は「それはいくらするのですか?」とコメントを入れた。

テルの返信はなんと「6500円」でびっくり。1本なら1万2千円はする。セージが「何で買ったの」に「親しくしている知り合いのブランド品だから」だそうで「美味しいといいね」には「美味しいよ、食べたことある」との返信だった。カールは「ハマチ高い!一生、食べることないと思うわ。ケチケチ。ママより」と値段にびっくりしていた。確かに私もそう思うが、そもそも私は値段を知りたくて質問したのではなかった。この後、魚をさばいたら手が臭くてとテルのぼやきも入ったが、私は「『それはいくらするのですか?』に誰もツッコんで来てもらえない・・」とコメントを入れた。

テルが「どゆこと?」

これにすかさずセージが「ハマチじゃん」と代弁してくれた。

ようやくテルが「How much?」と気づいてくれたわ。ハハ!

そしてこの後「いくらする」からイクラがロシア語だってことから実は魚卵全般のことを指すというトリビアにチッチも参戦して「キャビアも?」「数の子も?」と質問してきた。そのとおりで全部「イクラ」とロシア語では言うらしい。相変わらずカールは値段の高さに驚いていたが、テルが「明日はカマの塩焼きにする」というあたりで、LINEを通じた家族全員参加井戸端会議は断続的に4時間ほどでお開きになったのだった(笑)。

2024年1月24日水曜日

「名医です」

今週、2回も「名医ですね」と褒められたヨ。いずれも「は?」と私自身は思ったのだが相手にしたら悩んでいた症状をあっという間に解決してくれたのでそう言いたくなったようだ。

1人目は歯科口腔外科の山守先生の知り合いの高齢男性。これまで数回大腸内視鏡を受けたが最後の盲腸まで入ったことがなかったと。で、山守先生が私に紹介してきたのだ。事前に内視鏡室の福緑Nsが「ロングタイプのスコープにしますか?」と聞いてきたが「通常サイズで」と返事した。というのも通常の長さのスコープで100例中99例は最後の盲腸まで入るからだ。ロングスコープは長くて重いので若干操作性が劣る。もし奥まで入らなかったからロングに交換して再度やり直せばいいだけだ。

結果は5分台で盲腸まで到達し、高周波で切除したポリープが2個、それを使わずに切除したのが6個とほぼ全部のポリープを取りまくって終わった。確かに肝弯曲を越えるのに少し手間取ったけれど、体位変換やスコープを引いていったん短くし腸管を整えてから挿入するとどうにか入るものなのだ。で、「はい、終わりましたよ〜」と言ったら、「ありがとうございます。いやー、聞きしにまさる名医です」そして「私の奥の腸は人類未踏の地だったんです」と言われて、面食らった。

その程度で名医と言われたら、これから毎日名医名医と言われ続けなくちゃならない。昨年末、受けた大腸内視鏡は若手の先生だったらしいから途中で諦めたのだろう。「こんなの普通ですよ」と言いたかったが、それだとなおさら名医扱いされそうで「そうですか、光栄です。ありがとうございます」とだけ返事した。

で、2人目が今日の外来で、30歳代半ばの体つきのいい男性が胸背部痛がするとの主訴で来院した。これはちょっと気を付けなくちゃな。まずは心臓系の病気がないかが気になる。狭心症や心筋梗塞は命取りになる可能性のある病気だ。ただこの人は毎年当院の人間ドックに来ていて心臓その他調べているが全くの正常のデータだった。訴えを聞いて「まずは服を脱いでもらえませんか?」と頼んだ。すると、痛みのある右胸部から背部にかけて発疹が散在していた。これは一目「帯状疱疹」である。比較的高齢者に多い病気だが30歳代でもちょくちょく見かける。すぐに診断名を告げ、抗ウイルス剤や痛み止めの処方を出し今後の注意事項を教え帰ってもらった。その一部始終を見ていたチェリピアNsが「先生、名医ですね」と言ったのだ。「は?どういうこと」と聞くと「服を脱がせてだけですぐに診断できたから」と。

ふふん、問診に加え、視診聴診は基本だからねえ。昔、外科の奥マラDrが「診断が分からない時はとにかく全部脱がします」と言っていたのを思い出す。私はなにも特別なことをしていない。どうにも名医とは面はゆいが、「基本を守るそれ名医なり」ってかっ。

2024年1月23日火曜日

雪だ、どうする?!

今日は午後早帰りで、自宅でくつろいでいた。夜は食事もシャワーも終わり、こてる日記も書き終えていたので、そろそろまたネット麻雀でもしよっかと思っていた矢先、今日から2泊3日で沖縄に行っていたカールから「沖縄、寒い」とLINEにメールがあった。いや、鹿児島も午後は朝よりぐっと寒くなっていた。そんでもって窓を開けたら「え?!」となった。

うわー、庭にもう雪が積もり始めているよー!

それで、急に明日朝のことが心配になった。この時期高速道路が雪で通行止めになると姶良までの通勤に数時間かかることがあるんだ。それで去年など夕方から降ってきた雪を見て帰宅せず、病院に泊まってその通勤困難をクリアしたこともあった。明日の朝、雪で大変な目に遭いそうだが、どうする?今夜のうちに病院に行くべきか・・。現在、高速は通行止めにはなっていない。北九州方面は大分の高速道が一部通行止めになっていた。しばらく迷った後、今のうちに病院へ行くことを決断した。内視鏡室で時間をつぶし、寝るには点滴室のベッドか医局の副ベッドがある。

高速を使うつもりだったが、団地の道路に出てすぐに国道10号線ルートにしようと気が変わった。雪が積もり始めているし凍結すら心配な状況に見えたんだ。
それで上町方面へ抜け、10号線から姶良に向かったが、こちらは全然降雪はないし、単なる雨降りにしか見えなかった。同じ鹿児島でも北部の団地とはかなり違う印象だ。40分ほどで病院に着くと、近隣の家の屋根にはうっすら雪が積もり、駐車場の軽自動車にも積もっていた。
今は雨になっているが冷え込んだら明日はもっと大雪になり通勤混乱も起きるかもと思った。当番看護師はリバサイシ君で、事情を話すと「私の姉のリバーツモロも吉野団地にいるんですが雪が積もっていて明日は仕事は休むって言ってました」とのことだ。うむうむとその後内視鏡室で時間をつぶし、深夜医局の副ベッドで就寝した。だが初めて寝るベッドで、しかもそこはネット環境になっておらずちょっと不自由ではあった。

夜が明け、早めに通勤してきたDrたちの音で目が覚め、まだ寝たりないなと思いつつ、起きて窓を開けて愕然とした。大して雪は積もっておらず、高速道路もスイスイだったらしい。姶良の山は綺麗な雪化粧で見応えはあったが、結局あのまま自宅でゆるりと過ごせば疲れもさほどなかっただろうにと思うことだった(まあ、仕方ないね)。

2024年1月22日月曜日

初めて飲んだアルコール飲料

実に4年ぶりに飲み会に参加した。参加者6名、みんな高校の同級生だ。いや、ここ何年も年に数回は誘われてはいたのだが、コロナがらみで断り続けてきた。昨年コロナの5類感染症移行後は参加する気でいるもタイミング合わなかったりで今回になった。鹿児島中央駅近くの「貴宝丸」という居酒屋で5千円で飲み放題だという。ただし、生ビールは1杯だけとのこと。日頃は飲まない私だが、カールに送ってもらったし、1杯くらいなら大丈夫かもと飲んでみた。ふむ、よく冷えていて美味しい。刺身や揚げ物など食べて「こてる、次は何を飲む?」と聞かれ、まだ酔っている感じがしなかったので、ここは「生まれて初めて飲むヤツにするか」とハイボールを注文した。実は今まで一度も飲んだことがなかったのだ。

飲んでみて、確かにウイスキーの炭酸割りだな。まあ飲みやすい。ゆっくりゆっくり2時間かけて最後まで飲むことが出来た。ふうー、アルコールには気を遣うぜぇ。

話題はというと年金に病気、これが還暦過ぎた同窓生の姿だ。ここに来てはいなかったがA君は狭心症で入院していたとか、B君は前立腺癌で治療中、C君はかつてのアルコール依存症の影響で大腿骨頭壊死の人工関節&心臓バイパス治療後など自慢出来るほどの話題があるも、私や幹事のジュラ君は特にこれといった病気はなく多くを語れなかった。ま、比較的健康なのは有り難いことだけどね。

今夜は寒くもあり二次会なしでお開きとなり、アルコールを全く飲まない飲み会参加者のマサノブ君の車で送ってもらった。車は日産オーラでこれは電気モーターで動くが純粋の電気自動車ではなく充電エネルギーをガソリンエンジンで補充するタイプのハイブリッド車だ。なかなかよく出来ていてスピードはあるし「燃費も良くて、アクセルも踏むのを止めれば自然とブレーキが掛かるのでほとんどブレーキペダルを踏まずに運転できる」と気に入っている様子だった。実はその前は純粋電気自動車のリーフだったが「週に4回は充電する必要があって4年は頑張ったが耐えられなかった」そうだ。だよなー。私もいくら環境に良くてよしんば安くても電力補充に何度も手間がかかるのは耐えられない。そう言えば、ジュラ君は実に珍しいトヨタの水素自動車ミライに乗っているとか。700万円以上もして静かな上にスピードも出るが、いかんせん鹿児島には水素補充のスタンドがほとんどないのがなーという。4、5分で燃料補填は出来るそうだから補填インフラがたくさん出来れば電気よりまだいいわ。

お金、健康問題に加え、エコカーにも詳しくなったミニ同窓会だった(⌒о⌒)。

2024年1月21日日曜日

負けるな!TBS(二階堂ふみ方言問題)

ネットでのニュースで物議を醸しているのがあるという。「TBS系のバラエティ番組『櫻井・有吉THE夜会』2024年1月18日放送分の沖縄県出身の女優二階堂ふみさんが「方言禁止記者会見」に挑戦するという企画」とのことだ。30分間、沖縄弁の記者のインタビューに対し、方言で答えてはいけない、2回までならOKで3回以上はアウトというしばりだった。

私はタイムシフトで偶然この番組を見ていた。

物議を醸している内容というのが以下のようなものだ。

番組は、沖縄県出身の二階堂さんが沖縄弁の質問につられることなく、方言を話さずに「標準語」で返答できるかという企画を放送した。17日に番組公式Xが番宣投稿をすると、次のような批判の声が寄せられ、物議を醸した。
「こんな企画が通ってしまう無神経さ。『方言札』という沖縄差別を知らないのだろうか」
「方言札の再来じゃん。TBSがこんな露骨な方言差別をやったら絶対にダメだろう」
「沖縄出身者に『方言禁止記者会見』をやらせるの普通に植民地主義的でエグい」
「沖縄出身の人に『方言禁止記者会見』を課すのは、戦前に日本帝国が方言を禁止した史実をなぞる差別行為です」

私はこれらの物議なるものに呆れ、怒りすら感じた。何を知ったかぶって批判&非難しているんだ。ふざけるんじゃない。

これにTBSはどう対応したのか?J-CASTニュースがTBS広報・IR部に番組制作の経緯・意図、批判の受けとめ、今後の対応、再発防止策を尋ねると次のように回答したそうだ。

「当該企画は、『どんな役も見事に演じ切る俳優さんでも、自身の出身地の方言には釣られてしまうのではないか?』を検証するもので、過去に別の俳優さんで同様の企画を放送した際は好評だったこともあり、沖縄の歴史的背景についての十分な検討ができておりませんでした。今回の企画が差別的であるとのご指摘は、私どもとして真摯に受け止めており、今後の番組制作に活かして参ります」

まあ無難な回答だ。でもね、TBSさん、上の物議をカモしている連中のいうことなんか聞く必要ないよ。ただのいちゃんもん連中なんだから。まあ、内心では「そんなに差別を煽るような内容でもないしいいんじゃない」とは思っているはずだが、表だって反論してもごちゃごちゃするだけだろうし、この手の批判している連中は自分がえらいとさえ思っているような輩だから言うだけムダかもしれんしね。

まず私の感想はというと、見ていて面白かったし楽しかった。記者につられて「ゆんたく(おしゃべり)しよーね」と言った時のしまった顔、沖縄料理の「くーぶいりちー」を口に出した時の顔など大笑いしたぜ。

それでもTBSの意図したとおり共通語を駆使してドラマや映画に活躍する俳優さんは簡単には方言に引きずられず大したものだと思ったし、最後にお婆さんを意味する「おばー」と言いかけたところ、「おばーさん」とすんでのところで回避し、方言発言3回未満を達成出来たのは拍手拍手だった。そもそもこの企画の狙いは、方言を使わせない方言札とは正反対の方言を言わせよう、だよな。(方言を言わないようにする仕草と言い方が、なぜかローラっぽくなっておかしみ倍増の二階堂ふみ↓)

これのどこが沖縄差別じゃい、ああ?!

方言札なるものは別に沖縄でのみなされたものではない。共通語政策は日本各地で行われていたもので共通語を使いなさいと学校では指導されていた。それが沖縄ではより切実な問題あったがゆえに方言札が使われていたのだ。カールの沖縄の親戚のおばさんからも戦後に方言札があったと聞いたことがある。私は昭和34年鹿児島生まれだが小学生のころも方言札と同じような学校教育があったのを経験している。「今週の努力目標」に「方言をしゃべらない」というのがたびたび取り上げられたものだ。方言札は沖縄を差別するためのアイテムではなかった。沖縄人が差別されないためにあった代物なのである。沖縄の人たちはそれくらい必死だったのだ。ただ、そのように方言札を使った指導、政策が強要され、それによって苦い思い出の多い人たちを生み、差別の象徴と捉えられることはあったのは事実である。

TVが普及し共通語の発音がしやすくなって、現代では逆に方言をしゃべることが少なくなったあるいはしゃべれない聞き取れない子たちも増え、「方言の良さを見直しましょう」という指導がされるくらいになった。そしてTVのバラエティー番組では各地方の方言の持つおかしさを面白みとして視聴者が楽しめる時代にすらなってきている。その極地としての私の出身地鹿児島薩摩半島の頴娃町の言葉(頴娃弁もしくは頴娃語)は超難解だとして何度か取り上げられてきた(こてる日記2023/3/2「ごわす」&「頴娃弁」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/03/blog-post_2.html)。それらが差別として取り上げられない現代日本の風潮は大したものだとさえ思う。

TBSの番組以外でもっともその手の内容が多いのは、皆さんご存じ日テレ系の「秘密のケンミンSHOW」だ。2008年にレギュラー化されてからずっと放送されているから人気番組だとわかる。しかし、他国ではそうはいかない。日本人で韓国の事情に超詳しいYouTuberカイカイ管理人さんによると「韓国では日本の放送番組と似たような番組を作る(パクる)ことが多いがこれは絶対に韓国では作ることが出来ないと思う番組が一つあって、それは「秘密のケンミンSHOW」だ」と解説していた。え、なんで?と思う人も多いだろう。そもそもケンミンショーは各地方、各県民を別の県民が互いに尊重し合っているからこそ成り立つ番組なんだ。TBSの方言しゃべらないで済むか企画も同じ。ところがかの国では地域ごとにまとまりもするが差別や対立が激しく、それが政治にまで大きく関与するくらいで、韓国南部の全羅道(チョルラド)と慶尚道(キョンサンド)など地域対立で有名だ。だから地方ネタはちょっと笑いにまで持って行きにくい風潮なんだ。

今回の二階堂ふみさんの方言我慢企画を見て、彼女の俳優としての実力を再認識したし、沖縄出身者としてのちょっぴりの自負も垣間見えたしで非常に好感の持てる企画だった。それを頭でっかちの半端もん連中が沖縄の味方になったつもりぐらいで批判していやがる。ああいう企画はその地方の良さを引き出しさえしているんだよ。現に他地方の回は好評だったわけじゃない。方言禁止は沖縄だけでなく鹿児島も東北も大阪ですらあったし、今では方言使いましょうの時代だ。今回の放送でTBSに落ち度があったとは到底思えない。むしろこのようなさほど意味の無い批判や物議を醸すことで自由な製作を萎縮させ大きく言えばTV文化の後退を来すさえあると思う。自由さが失われると文化芸術に良いものがほとんど出なくなるのは古今東西の歴史が証明している。

さらに方言問題とは関係ないが、なぜにその番組で二階堂ふみが出演したのかといえば、これはもう番宣だろう。1月23日火曜日から彼女主演のドラマ「Eye Love You」があるために彼女をこの企画に登場させたのだ。で、その効果は私にもあった。というのもつい最近韓ドラ「無人島のディーバ」を見始めており、それに登場する男性主人公チェ・ジョンヒョプが「Eye Love You」の男性主人公も演じると知ったからだ。韓国人俳優が脇役で日本ドラマに出演することはよくあるが日本人女優の相手役なのは初めてじゃないか。「無人島のディーバ」は「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」で一昨年韓国ドラマ界を席巻したパク・ウンビン主演で非常に面白い。全12話を1日で半分以上見てしまうほどだった。チェ・ジョンヒョプの作品はこれまで見たことがなかったが、「無人島・・」での好演もあり、珍しく日本ドラマも見てみようかと番組予約もしてしまったよ。

あまりTBSの番組を褒めることはしないが、今回ばかりは邪険な意見に負けずに面白い番組を作ってくれと応援したく思って、一気にこの日記を書き上げたわっ!

2024年1月20日土曜日

バトルの後はスヤスヤ

朝、起きたらカールが「もうー、ネコたちがケンカばっかりしてー」とおかんむりだった。「ゲンちゃんはまた顔に引っかき傷が付けられたのよ」と見ると、右鼻に小さな傷が確かにあった。

で、ハナビはと見れば、背中にゲンちゃんの爪の取れた後が刺さったままになっていた。こいつらどんなケンカをしたんかい?
まだケンカは終わっておらず、怒ったゲンちゃんが台所でハナビを追いつめていた。
上の写真直後、ハナビが両手ネコパンチを繰り出すとゲンちゃんも応戦し、ハナビがパッと逃げ、近くのペン入れやビニール袋が少し散らかった。その後、テーブルと椅子でにらみ合いが続いた。
戦いはやはりゲンちゃん有利でハナビは睨みつつもじりじりと後ずさりしていった。
結局、ハナビが台所から窓際に飛んで移ってケンカは収束した。二匹とも360度移動したことになる。やれやれ。
それから1時間ほど経って、「あれ?二匹ともどうした。やけに静かなだな」と私が尋ねると、カールが目配せし、おもむろに写真を撮り始めた。居間の日当たりのいいところで二匹仲良く(?)ネコ用ソファにくるまってお休みをしていたのだった。これだけ見ていれば仲良いネコ同士に見えるんだけどねぇ。↓左ハナビ、右ゲン。
ケンカなしで上のような毎日が迎えられるのはいつの日やら・・。

2024年1月19日金曜日

異物誤飲のてんまつ

午後は外来業務だった。ただ、夕方に電話があって「芋餅を食べたらいっしょに入れ歯を呑み込んでしまった。どうしたらよいか」という初老女性からの依頼があった。ううむ、そのままほっとくのは、腸管に引っかかったままだと時に腸管穿孔や腹膜炎を起こすことがあり危険だ。「とりあえず受診しに来て」と看護師に伝え、来院を待った。

この手の緊急内視鏡は私がたいてい担当していている。患者はしっかりした御婦人で単なる不注意で起こした異物誤飲とのこと。まずは腹部レントゲンで胃の中に異物があるかどうかをチェックした。すると写っていないではないか。しかし患者は右上の入れ歯(というより差し歯に近い)が明らかに無くなっているしでたぶん呑み込んだと言う。ここはもう内視鏡で確かめる他はないと検査を開始した。

こんな場合の胃の中は食物残渣がいっぱいのことが多い。果たしてそうで、餅や米の他食物残渣が多くてどこに入れ歯があるかとっても分かりづらい。それでも内視鏡の吸引力を最大にして少しでも残渣物を吸い込み、入れ歯がないか探した。見つからないので体位を左側臥位から仰臥位、右側臥位にしてまで観察したが見つからない。まだ残渣があるのでもしかしたら紛れているのかもしれないが「おそらく胃内にいない」とダジャレじゃないけれどギブアップした。

ここまでされれば患者も納得するしかない。「摘出できなくてもたいていは便とともに排泄されることが多いから(さほど心配ない)」「もし残ってどこかに引っかかって腹痛などあればすぐにまた来て」と言い含めて帰宅させた。実はこの内視鏡をする直前に国分の病院から「憩室出血の患者を診てもらえないか」との依頼があったが、丁重にお断りした。受けても来院する時間帯は終業以降になりそうだったし、今内視鏡室スタッフが不足気味で対応しづらいということ、それになにより今緊急内視鏡をする直前なのだ。

ま、やれるだけのことはやった。後は何事も起きないことを祈るだけだ。そして病棟に行きだいたいの仕事が終わり、医局で少しゆっくりしていた。すると17時50分頃、受付から電話があった。「もう本来なら私は病院を出て帰宅の途についているころよ」と思いつつ出ると、「さきほど内視鏡を受けられた〇〇さんから電話があったのですが・・」と聞いた内容は・・↓の画像をご覧あれ。

やっぱり!