いつもとは違う面子で、しかも街の雀荘で麻雀をすることになった。
今年から青雲の常勤から週2回の非常勤になった東洋Drが「久しぶりにぜひ麻雀を打ちたい」と計画し、たつやましたDr、私、そして7、8年前まで青雲勤務していた外科のテッシーDrと騎射場の「雀遊」で昼12時から闘牌と相成った。東洋DrとテッシーDrは鹿大の外科の同門でもあり、大隅の病院に勤務のころ、都城の雀荘まで出向いて打ったことがあるそうだ。テッシーDrは以前青雲勤務の際、打てると聞いていたので、私が麻雀に誘ったことがあったが実現していなかった。ともかくもみんな青雲会病院に縁があるということで「青雲じゃん競技会」とLINEグループには命名されていた(笑)。
「雀遊」は平成17年からその名前でやっているそうで、私が学生時代は「マルビー」という名前の雀荘だった。隣のビルの「パール」という雀荘が私の主戦場で時にはここで打つこともあった。店のマスターに「パールはどうなった?」と尋ねると「『パール』はずいぶん前に止めてまして、その後名前はいろいろと変わって続いていましたが・・」とのことだ。雀遊のあるビルはどうみても50年は経っている。だから内装も古い。ただ私にしてみればかつてのマルビーの雰囲気も残っているのはうれしかった。↓「雀遊」とテッシーDr。
半荘6回打ち、私はトップを2回取ったのだがラスも2回引きトータルではわずかに負け。大トップ1回のたつやましたDrが一番多く勝った。一番負けは一番麻雀に手慣れているはずのテッシーDrだった。ただかつて福岡で雀荘に寝泊まりし雀ボーイの経験もあるという彼の打ち筋はやはりなかなかのもので、今日の結果はちょっとツイていなかっただけと思われた。そうそう、私は今回滅多にない大失敗をしたんだった。最後の半荘の東4局、役牌の南とドラの3万のある手で、47万待ちの聴牌をしたところ、下家のたつやましたDrからリーチ攻勢を受けた。しかしどういうわけは頭の中では36万待ちと思ってしまっていて、たつやましたDrがツモ切ったドラの3万にロン!と宣言し牌を倒してしまった。その時点でも間違いに気が付かず「南ドラ1」と言っていたが、すぐに誤ロンを指摘され青ざめた。↓その局面。
子のチョンボで親に4千点、子に2千点ずつの手痛い失点をし、トップも伺うはずの2位からラスに近い3位に落ちてしまった。これで一番助かったのは親を連荘出来た東洋Drで次局に親マン1万2千点を上がり一気にトップ戦線に躍り出た。この後、私はたつやましたDrとのラス争いに負けてビリになってしまう。全くチョンボなんていつ以来だろう。今もってなんでこんなミスをしたのか不思議ではある。ともかくも終わって、東洋Drは「また打ちましょう」とご機嫌で、今後は父親のクリニックでの仕事がメインになり、院内にある全自動卓で打つ機会があるかもとのことだった。たつやましたDrも近々他病院への常勤になり、テッシーDrも今は鹿児島市内の「真珠苑」病院勤務とのこと。なるほど、青雲じゃん競技会という青雲会病院がとりもつ縁で今後も打ちましょうぞ。でも今度はチョンボなんてしないからねッ!
0 件のコメント:
コメントを投稿