2022年12月31日土曜日

大晦日は満腹で

大晦日だぁ。2022年令和4年も今日で最後である。

チエコンさんから次男のヒロヤン君の成人の祝いを「少し早いがみんなが集まりやすいこの日にしたい」とのことで、カールと知覧の「そば道場」へと向かった。女、男、女、男と上手に子作りが出来たヒラーキたちにとってヒロヤン君は4番目の末子だ。それがもう20歳だという。私たちも年を取るわけだ。店の予約席に着くと、長男のデンタル君が昨年生まれたばかりの長男を連れてきていた。生後10ヶ月のセンゲン君がこれが元気な子で、あっちこっちハイハイして目が離せない。私も抱っこしたがしっかりした体つきでこりゃーデンタル君似だなー。
ところで、本日の主役のヒロヤン君だが、私とカールは本人が目の前をうろうろしていたのにそれに全く気がつかなかった。デンタル君の奥さんの親御さんたちも来ていたので、そっちの人かと勝手に思っていた。熊本の大学に入ってはや2年、髪の毛をパーマし軽い茶髪にしていたので全くヒロヤン君だとは分からなかったのだ。
これじゃー「こてる伯父さん」と呼びかけられても、絶対「あんた、誰?」だわ〜。兄であるデンタル君は「髪を切れっ!」とたしなめるように言っていたが、その言い方がなんだか薩摩男児的物言いで、兄というよりかつてのデンコー祖父みたくもあり可笑しかった。10歳も違うから昔でいえば父兄の関係だな。

蕎麦屋さんだから当然蕎麦がメイン料理だったが、盛り蕎麦を頼んだ人たちへは早くに出されたが、私を含め掛け蕎麦を頼んだ人たちはけっこう待ちぼうけをくらった。しかし薩摩料理コースだったので、さつま揚げ、キビナゴの酢味噌の刺身、身豚の角煮などが先にあってお腹を空かさずにすんだ。蕎麦や天ぷらもあって最後は超満腹になった。この後すぐに鹿児島へ帰宅したものの夜までずーっとお腹は空かなかった。結局、年越し蕎麦も食べたことだし、カールもまだお腹いっぱいだと言うし、なんと夕食は無しにしようとなった。おほほ。

大晦日の夜はダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで!」か「紅白歌合戦」を見るのが昔は定番だったが、「ガキ使」は放送がないし、「紅白」などは今年ヒットした曲が何かさっぱり分からないし、若いグループが出ているもののグループ名もよく知らないし、昨日のレコード大賞も誰が取ったかどんな曲かも全く知らないしで、ときおりチラ見するだけにとどめた。さすがに夜22時頃は小腹が空いてカールに豆腐を出してもらってそれを半丁分食べ美味しかった。

井原西鶴の「世間胸算用(せけんむなざんよう)」を読むと、江戸時代、大晦日は借りた金を返すためにいかに工面するかが大衆の一番の悩みだった。それを思うと、やれ紅白だ、年越し蕎麦だと言っている現代人はなんとも幸せなことだ。

いろいろとあっても今年も無事に過ごせて幸せな一年でした。来年もまたいい年でありますように。

2022年12月30日金曜日

地和を聴牌する

久々に用事も仕事もない年末の1日、どこにも出かけず自宅でまったりと過ごした。そうそう、こてる日記も早めに書いておこう。ただ、午前中に書き上げるも、アップするのは夜になってからだった。

昨日は御用納めが終わってから、隣の老健に出向いて、オマルさんと碁を打った。前日にカワゾー施設長から「また(オマルさんと)打ってください」と頼まれていたからネー。カワゾー先生も実は昨日で15年務めた老健勤務が最後だった。最後のお願いを聞かないほど私も無粋ではない。ただ、オマルさんさんもコロナに罹って以降以前の切れが無くなっていて、私が4、5連勝していて「え、そんな変な手を打つの?」ということも多く、勝っても今一嬉しくなかった。今月初めに打った時はだいぶ復調していて終盤のミスで私が大勝したが、果たして今年最後(もしかしたらオマルさん人生最後)の対局はどうなるか・・。

あれ?序盤の私の無理手をとがめたオマルさんが大優勢になり、もう投了しようかとさえ押されてしまっていた。でもねばって、途中で死んでいた私の大石2つが連絡できて両方活き、逆転したー!と思った。しかし、帰宅後囲碁AIにかけると、確かに形勢は接近したもののオマルさんさんの優勢は維持されていた。そして最後は見事な捨て石からの追い落としが決まり、私の大石が取られ万事休す、投了となった。いやー、立派だねぇ。本来の実力はやはりオマルさんの方が上だわ。

で、今朝はネット麻雀天鳳をじっくりとやった。囲碁がダメなら麻雀さぁー。午前中は好調だった。ある時、3位の南家でもらった自分の配牌を見て驚愕した。↓を見て欲しい。

何とすでに聴牌しているではないか。しかもタンピン形のきれいな手だ。待ちは25索。最初のツモで2索か5索を持って来れば地和(チーホー)の達成だ。地和はまだ一度も上がったことがない役満で、興奮して思わず「カール!地和かもしれんぞォ!」と、その意味すら分かっていない彼女に声を掛けたりした。ドキドキする中、持って来た牌は・・6索・・あーーあ、残念。1枚ずれているヨ、ツノダさん(天鳳の管理者)。しかし気を取り直してここはリーチ!1巡目だからいわゆるダブルリーチで2ハンになりタンピンも付くので上がれば満貫だ。で、首尾良く満貫を上がり、この半荘はトップになった。

あー、でも結果ビリになってもいいから地和上がりたかったなぁ。こんなチャンスは年に1回あるかどうか、上がれるのは一生に1回くらいのもんだ。サブアラド七段は1回上がったことがあるというから私もネー。

明日は大晦日でヒラーキの息子ヒロヤン君の成人の祝いがある。ゆっくり出来るのは今日くらいだ。この後も天鳳など打つも、午後からはラスが多くなり、同じ七段のサブアラドDrよりも持ちポイントが下回るなどゲゲゲの状態になった。はあ、まあしやーない。麻雀は楽しまなきゃ。

2022年12月29日木曜日

昭和は遠くに・・

当直明けの今日の半日を過ごせば、年末年始は珍しく日当直が組まれていない。しかし入院患者は10名以上抱えているので、その間の点滴や処方指示などで午前の半分は費やされた。内視鏡は2件のみで特に大したことはなし。しかし例年、昼前に入院依頼の連絡が他院から来るのだが、はたしてその通りで、ソーシャルワーカーのフロント君から「加治木の〇〇クリニックから炎症反応が高くて入院させたい患者さんが・・」と打診があった。はあ、いつもこれで昼の御用納めの会には遅刻してしまうか参加出来ないんだ。でも今回は「今年は受け持つことは出来ない」とすぐに断った。なにせ仕事始めの1月4日まで病院に来る予定がないのだ。責任が持てないではないか。フロント君「なるほど、分かりました」と、他Drに頼んでみるということだった。うむ、これは仕方ない。

そんなワケで、今年の12月29日は昼食も御用納めも余裕で対処出来た。会は1年間の青雲会病院の業績の発表やラブカメ先生のスライドによる総括と約40分ほどで終わった。この「御用納め」、以前は弁当にアルコールを含めた飲食会といった趣きだった。旧病院の頃は朝から職員が餅つきもやっていた。それより以前(昭和)の可愛いんだ病院時代は秋の職場運動会もやっていたらしい。しかしいつの間にかそれらは無くなった。忘年会もこのところずっと無いし、いわゆる職場の親睦会めいたイベントは、コロナのせいだけでなく、減るか無くなっていく風潮だ。これは青雲会病院という職場だけのことではなく、日本社会全体の潮流なのかもしれない。

年々では気づきにくいが、約30年という世代ごとに振り返ればより分かりやすくなる。結婚式も平成初めのころまでは出席者200人を超える披露宴も結構あったが、今では100人未満が当たり前だ。現代日本の初婚年齢の平均は男子31歳に女子29歳だが、平成初期は男子28歳、女子26歳だった。年賀状にしてもこの20年前をピークに投函数は減少しっぱなしという。そもそもが年賀とは直接相手宅へ出向いて直接手渡しで贈るのが大昔は当たり前だった。それが年賀状で済ますようになり、今ではそれすらもしない人が増えてきた。商売も元日に店を開けて年始セールなんて昭和の頃はどこもやっていなかった。TVの店舗新年CMでも「明けましておめでとうございます。初商いは正月4日から」と伝えていたものだ。大衆側も年始セールに三が日に出かけるか、あるいはせっかくの休みだからと国内&海外旅行だ。まあ、初詣客は相変わらず多いようだが・・。昔、家の近くの天文館公園は正月にサーカスや見世物小屋、お化け屋敷に露店がひしめき、参拝客帰りの客でごった返していたものだった。そうそう、天文館通りを歩くとまだ傷痍軍人がいて物乞いのようなことをしているのを見かけたこともあった。それらも昭和50年代にはなくなったな。

まあ、かつての日本は農村社会の風習が基本だった。しかし今では会社勤めの人の方が圧倒的に多くなり昔の風習が肌に合わなくなった。そういうことかな。かくいう私も今度の年始は田舎には帰らない。父デンコーが亡くなってはや15年、あこネーサ母は老人施設にこもって、コロナで面会もままならない。以前はデンコーへの年始客がちょくちょく来てそれが夜まで続いていたものだった。昭和は本当に遠くなりにけり、だ。

2022年12月28日水曜日

今年最後の磯賀氏

青雲会病院の年末業務は明日29日の午前まで、だ。で、今日28日の私の仕事は外来、救急、そして当直だ。

まあ、いつもの通りというか、いつもにも増してというか、こてる氏ならぬ磯賀氏だった。午後の救急では3台を受けた。仮に入院が必要だったしても入院させるのは難しかった。事前に外来のホントだ師長から「ベッドの関係で安易に他院からの入院依頼は受けないで下さい」と念を押されていたのだ。3台のうちで印象的だったのは高齢女性の居眠り運転の自損事故で、本人の話しでは「何かパラパラと音がしたと思ったら車ごと嵌まっていた」そうで、運転する軽ワゴン車は無人販売所を直撃し、全壊した直後に側溝にパカッと嵌まったのだった。本人は外傷はなく少し頭痛がする程度。CTでも異常なしだったのは何よりだった。↓の写真参照。

夜は病棟から「お看取りの患者さんがもう呼吸をしていなくて・・」と連絡あり、死亡を確認するだけだという。すぐに病室に行くと心拍モニターは確かにゼロで対抗反射もなく、その時の私の時計で死亡時刻を確認した。電カルを開くと、その患者さんが満100歳だったと知った。入院して2週間ちょっと、CTでは腹部に腫瘍があるらしいことは分かっていたが診断書の死因は老衰にした(主治医の記載にそうあり)。確かによねぇ。で、家族は病院には来ないのかと看護師に聞くと、「長男さんがコロナに罹っていて・・来られないそうです」と。色々な意味で時代を反映しているわ。

日付が変わり、そろそろ眠たくなった頃に当直看護師から「外来かかりつけの患者さんがつじつまの合わない態度が続くので、家族が連れてきたいと言っています」と来た。名前を聞くと知っている患者さんで、肝硬変の肝性脳症対策でちょくちょくその治療点滴をだしていた。アンモニアがたまって脳の働きが落ちて挙動不審に陥る症状だ。この時間ならもう入院させるしかないか。ただ電話してから来院まで40分以上もかかり、眠くてこっちも挙動不審になりそうだった。患者さんは思ったより症状はひどくはなかったが、入院させていつもの点滴量の何倍も指示した。

結局、夜間は救急車こそ来なかったけれど、当直室のベッドに入ったのは未明だった。でもあと半日を我慢すればいい。そしたら、今年もようやく「御用納め」だ。ふうーぅ。

2022年12月27日火曜日

あれ?勘違い

内視鏡室でたつやましたDrが「この前の日曜に書店で医学書読んでいて、はたと気がついたんですが・・」と語り始めた。経鼻内視鏡の本を手に取って眺めていたらしい。

鼻の穴の空気の通り道を鼻道という。上鼻甲介(じょうびこうがい)、中鼻甲介、下鼻甲介という3つのヒダ(甲介)があってそれらの3つの甲介によって区切られた空気の通り道を上鼻道、中鼻道、下鼻道という。このうち上鼻甲介は小さくほとんど確認できず、内視鏡を入れる場合は、中鼻甲介、下鼻甲介を目印に中鼻道か下鼻道の2コースを利用する。人によって中鼻道か下鼻道かのどちらかが大きく、だいたい半々くらいか。
そういった解説が医学書にあったらしい。しかし、それを読んでいて彼は「ハッ」となった。
内視鏡で見ると中鼻甲介はその名のとおり鼻腔の真ん中にあるが、下鼻甲介はその名前とは逆に画面の上の方に見えるのである(上図参照)。私は経鼻内視鏡を始めた時に「あ、下鼻だけど画面では上に見えるんだ」と理解していた。ところが、たつやましたDr、上にあって見えるので勘違いしてカルテに「上鼻甲介」と書いていたのだ。内視鏡の挿入コースが後日の検査でも参考になるようにー。私なんぞ、右鼻か左鼻かは書くが、中鼻か下鼻かは記録していない。彼はきちんと記録しておかねばと書いていた。しかし1年以上も間違って記録してきたのだった。がーん。頭かきかき、恥を忍んでそのことを私に伝えたのだった。

でもそういうことってみんなあまり言わないけれどよくあること。例えば「思惑」という言葉があるが、私は昔、これを「しわく」と呼ぶものだと思っていた。幸い、人前で使う前に読み間違いに気が付き、恥をかかずにすんだ。また大学内視鏡室での同期の某Drは「易出血(いしゅっけつ)」を「えきしゅっけつ」と内視鏡室の検討会で言っていた。また、ずっと以前ネタにしたのが、某Drの「七(しち)」を「ひち」と発音する勘違い。しかも半世紀以上に渡ってだったという。ま、そう発音しても世間的には許容範囲だから〜。ただ、たつやましたDrのケースは学問的には明らかな間違いなので人前で言わずに済んだのはよかった。でも電カルに書きまくったこのミスは今さら書き直せない。くーっ、ちょっと恥ずかしいかなー。

2022年12月26日月曜日

プリンターってたいてい言うこと聞かない

年賀状作成の最後行程のプリントだが、自宅で上手く行かないので、医局に置いてある自前のEPSONのEPー810Aで試してみた。すると色合いが悪くヘッドクリーニング推奨と言うのでやろうとしたが、そのためには6つあるインクのうち4つまでカートリッジ交換が望ましいですとのコメントが出た。最近プリンター使っていなかったから気づかなかった。それで医局にあるインクを確認すると対応カートリッジがない。聞けば「もう古いのでそのタイプは撤去して新しい別のものに置き換わっています」だって。古いといったってせいぜい4、5年しか経っていないはずだ。だが、プリンター会社はちょくちょくインクの種類を変えてくるのでさもありなん。一応ネットで注文はしたが届くのは数日後、年賀状プリントには間に合わない。

それで、内視鏡検査の合間に内視鏡室のプリンターで出来ないか試してみた。しかしローラーがよくないのか、出来たり出来なかったり。今度は昼休みに、医局据え置きのプリンターでやってみた。これはどうにか出来た。しかしよく見ると、黒インクの汚れが一部付く。これも使えない。はあ・・。結局、夕方になって医局プリンターの汚れを取るために内部を開け、綿棒でインクを拭き取った。何度も繰り返すと、どうにか汚れのないプリントが出来るようになった。

だいたい20枚ほどセットして少しずつ完成するのを横目に見ながら、こてる日記を書いて時間を過ごした。19時半時までには終わるかと思ったら、上等ハガキにプリントするのは意外に時間が掛かり全部で125枚の20時過ぎまで掛かった。やれやれ。

帰宅して後は表の宛名書きプリントを残すのみ。これは白黒で済むから自宅プリンターでもOKだ。遅い夕食を摂ってしばし休憩してから済まそうと思ったのだが・・ハイ、案の定そのまま床寝してぐーすか。日付変わって未明の午前2時ごろにどうにか起きて宛名印刷開始し、プリントされている間に一言添えも手書きして、ぜーんぶ終わったのは午前4時前。うわー、やっと終わったぁ・・。

2022年12月25日日曜日

ヒトミンチョ家訪問

今度の正月は田舎に行かない予定なので1週間早めの墓参りに行った。私の出身地である頴娃の大川集落にはお寺が2ヶ所あり、いずれも浄土真宗で、こてる家は大谷派(お東さん)の信光寺だ。ここの納骨堂で線香を上げておりんをチーンして手を合わせ、今度は車で1分足らずのところにある本願寺派(お西さん)の大光寺に行くのが毎度のことである。こちらには親戚のヒトミンチョ家やカビラ家などの仏壇がある。同じ真宗でも微妙な違いがあり、大光寺では線香を上げるのを止めチーンして手を合わせるだけ、とっても簡単だ。

ヒトミンチョ家に行くと事前に伝えてあったので出前の料理に赤飯など準備してくれていた。例年なら元日の午後でサッカーの天皇杯を観戦しつつ過ごすのだが、今年はW杯のせいですでに天皇杯は終わっていてJ2の甲府が広島を破って初優勝していた。代わりにTVでは高校駅伝だ。女子の鹿児島神村学園は毎年優勝を狙っているが、今年は後半追い上げたものの3位だった。優勝インタビューを受けていたのは長野東って高校で公立なのにえらいネ。知らなかったが高校駅伝の常連校で今回悲願の初優勝だったそうな。

ヒトミンチョ家には現在「そらん」と「あずき」というネコ2匹がいるが、あずきはとっても怖がりで絶対と言っていいほど出て来ない。ヒトミンチョのネコブログにも「押し入れを無理やりこじ開けてバッグ入れの中に隠れていました。開けられないように止めてあるのに開けてました。すごい力ですよ~」と写真付きで出ていた。

もう一匹のそらんはちょこっと顔くらいは見せてくれる。そらんはゲンちゃんがこてる家に拾われた同じ年の2010年4月に生まれたばかりで捨てられていたのを兄弟ネコの「りおん」とともヒトミンチョに救われた。残念ながら黒ネコのりおんは去年亡くなってしまったが、そらん君は元気だ。ただ抱っこしてもすぐに嫌がるのよね。まあ仕方ない。ヒトミンチョブログには↓こんな感じで紹介されていた。このネコ顔誰?って、私じゃん(笑)。
↓が私のカメラで撮った写真。そらんの怒り顔!

しばらくダベっていたら、フサンコ従兄がやって来た。何年か前は県美展や南日美展のいずれも最高賞を受賞した画伯でもある。「最近はどう?」と尋ねると「うーん」と言い「描きたいものがなくてネ」と今一不調のようだった。この後は「年を取ったこと」「仕事場(役所)」「親戚」「旅行」など、まあありきたりの話題をしゃべり尽くすこと2時間以上、その間チッチはTVを見るなどしてじっとおとなしくしていた。ここに今日は来ていないヨカトモ、トシ登り従兄がいたらもっとワイワイになっていただろう。

そうだ、フサンコの長女が女の子をこの間出産し「お祖父ちゃんになったよ」とスマホで初孫の動画など見せてくれた。ああ、もうそういう年なんだ。私も数年後にはそうなるかしら。うん、そうなればこてる日記に即登場させるはず、きっとネ。

2022年12月24日土曜日

年賀状デザインは出来たけれど・・

ここ数週間の悩みの種だった年賀状作りを今日こそは完成させようと思っていた。

午前中は病院で外来業務があり、帰宅してカールとチッチに私の要求するポーズを取ってもらう腹づもりが、何とチッチが昨日のコロナワクチン接種で体がだるいと寝込んでいるという。カロナールを飲むのを忘れ、だるいままにしていたようだ。私は例によってボルタレンを飲んでほとんど気分不良はなしというのに・・。

夕方になって撮影は出来るとのことで、まだかなり寒い中、家の前の道路で撮影をした。当然も私の分も必要なのでそれはチーに撮ってもらった。それらを元にフォトショップをいじること約3時間、どうにか完成にこぎつけた。ゲンちゃんを載せる写真をどれにするか、それに一番悩んだ。最初私が選んだのをカールやチーに見せると「ううん」とイマイチな反応だ。で、ねそべってけだるそうなゲンちゃんのをセレクトすると二人とも「こっちがいい」でそれに決まり。合成は比較的簡単でディティール修正をして最終決定。「家族馬」や「スケート」ほどの面白みはないがまあまあだろう。

そういえば今夜はクリスマスイブで私にしては珍しくシャンパンのアルコール飲んだ。↓はカールの手作りイブ料理。

食べ終えてほんのり赤ら顔になりつつ、試し刷りをプリンターでやってみた。うん?インクの出が悪く青いスジが入るぞ。クリーニングモードにしたりローラーを掃除したりするが解決しない。はあ、これだよ。毎年このプリントする段になってなにがしかのトラブルが起きる。結局、酔いと疲れもあって完治させる元気もなく寝込んでしまった。まあ、明日25日は日曜だ。それに年賀状投函期限は25日、それより数日遅れてもたいていは元日には届くしー。

ともかくも年賀状の目途はついた。それより年賀状のアイデアって出来るときはあっという間で、特にこの2週間、ずっと重しが載ったような気分のあれは何だったのかと呆れてしまうよな。

2022年12月23日金曜日

イケメンが痛風になったら

チッチがこの前から帰省していて、今日は青雲会病院でコロナワクチンの4回目の接種を受けることになった。それで私もこの機会に5回目の接種を受けることにした。チーは今年始めの第6波の時にコロナに感染しているので実質5回目になるかな(笑)。

チッチが病院に前にLINEでメールがあった。「採血して尿酸値も調べられないかな」と。あはー、これは先月末に右足の付け根が腫れて痛みが半端ないってことで連絡あり、これは痛風発作だった。まだ若いのに痛風を起こすとは・・私も30歳代で起こしたことがあるから体質もあるのかも。ただその時の尿酸値は5.9と正常値だった。まあ、これはよくある現象で発作前は高くとも発作が起きると尿酸値は低下することが多い。それで発作も収まった今の値を知りたいということだ。

電カルへすぐにチッチの採血項目を指示し、院内電話で医事受付に「うちの息子が昼休みに受付に来るので、すぐに採血をするように手配してー」と頼んだ。息子だとばらしたため、後で受付女性職員らに「先生の息子さん、イケメンでしたねー」なーんて言われてしまった。「あは、オレに似てでしょ」と答えたが、ワクチン接種時にチーを見かけた鯛踊りNsなど「奥さんに似ているからなんだー」と勝手に納得していたわ。

接種後しばらくして尿酸値が出て結果は6.2と全くの正常値だった。でも一病息災という言葉があるように、美食やアルコールを摂りすぎず体重にも気を付けなさいという体からの知らせだと思うようにしよぜ、チッチ。

ワクチン接種の副反応は注射痕の痛さと翌日の軽いだるさくらいだった。もっとも4回目接種時にボルタレン飲んでえらくこれが効いたので今回もそうしたのだった。ワクチン接種を忌避する人たちや面倒くさがる人たちに、コロナに罹った人たちはみんなワクチンなんかよりずっときついって言っているよ、と教えてやろう。それに有り難いことに政府がただで打たせてくれる。利用しない手はないよ〜。

2022年12月22日木曜日

姿無き指導医

今日の午後は年休を取って帰宅しようと考えていた。というのも、年賀状作成が切羽詰まっていて、裏のデザインに使う家族写真を日中の屋外で撮る必要があったからだ。だが昼前に外科の貴文Drに「総胆管結石の患者が来ていまして」と頼まれたのと、心不全の高齢患者の入院も受け入れたため、早々に断念した。

ERCP検査もある時は毎週のように続くが12月はなかった。今月は初めてじゃないかな。カルテ記録を見ると、その患者さんは6年前にERCPの専門医とも言えるブックリバーDrが処置を実施し、入院は私が受け持った初老の女性だった。「あの時は検査後の翌朝お腹が痛くて・・先生にさすってもらってから痛くなくなりました」と感謝されたが、カルテで確認すると、当直明けで私が診察したのは間違いない。しかし鎮痛剤の注射をしっかり使った後だった。患者さんにとっては医者の触った手が痛みを和らげてくれたんだと思ったし、またそう思いたいのだろう。

前回のブックリバーDrの記録には十二指腸乳頭への挿入口が「芋虫状で分かりにくく・・」との記載もあった。やってみて確かにそう。しばらく差し口が私も分からず時間を使ってしまった。その時レントゲン操作台から非常勤のエイエイコーDrが「わずかに隆起している部位の左側にたぶんあります。前回はそこから差し込んでいます」とアドバイスしてくれた。そこを見るが乳頭口はよく分からない。いったんスコープを離し、電カルの6年前の内視鏡画像を見直してみた。ブックリバーDrが苦労して見つけた乳頭口の位置を見て「はあ、ここなのか」と合点してからはスムーズに行き、1cmほどのビリルビン結石の排石を一気に済ませた。いやー、ブックリバーDrが以前やってくれていなければ相当難渋したに違いない。姿無き指導医だったね。

終わって汗びっしょりで検査着を新調した。まだ1件大腸内視鏡も残っていたのだ。ひどい便秘でしかも以前他医で受けた内視鏡は途中までしか入らなかったという高齢女性患者さんだ。こういう患者さんはまず私に回ってくる。やってみて確かに弛緩性のゆるい大腸の人だったがそこまで難しいかな。5分もかからず盲腸まで到達したよ。あーそうか。大腸内視鏡の経験が少なかったブックリバーDrは内視鏡挿入に困るとよく私にヘルプを頼んでいたなー。あの時はお互い様だった。

青雲会病院のERCP関連検査のマニュアルは彼の方針を踏襲し今に至っている。青雲は2013年から常勤3年、非常勤1年でに辞めてすでに6年近くなる。ブックリバーDrは今では自分の名前を冠した病院の院長先生だ。今日は彼がいなくても病院にとっていまだに役立っていることを痛感した日だった。

2022年12月21日水曜日

新型プリウスを予約した

トヨタから電話があり、「今日ようやく本社から車の値段表など届き、予約交渉が出来ます」とのこと。仕事が終わってすぐに鹿児島市内のディーラーにプリウスを走らせた。担当セールスマンと会うと、5代目新型プリウスについていきなり「この間、福岡まで行って実物を見てきました。いやー思っていたより格好いいですよー」と自画自賛だ。ただ「まだカタログも出来ていないのですが・・」とそこは申し訳なさそうだった。

しかし私は事前にネットのYouTubeなどでグレードの違いによる違いなどはチェックしていたのであまり気にならなかった。それよりも鹿児島県への新型プリウスの割り当て数が192台しかないってことに驚いた。それも早くて半年、192台目になると1年半ほど待機してもらわねばということだった。というと193台目の人は・・「さあ、いつになるとは現段階では言えません」だって。プリウスって3代目では2010年に30万台も売りまくったほどの販売台数を記録したものだったが、これでは注文が殺到しても台数は稼げないね。車に使う半導体は激増しているのに調達不足で作りたくても作れないジレンマがあるということだ。

今度のプリウスは排気量が1.8Lと新しく2.0Lがある。実は1.8Lはもう主力ではない。営業車用のXとサブスクリプションのKINTOという販売形式(諸費用込みの3年or5年or7年契約で毎月一定額をトヨタに支払う。ただし自分の所有物にはならない)での販売のUというグレードしかなく、普通に買うには2.0Lになる。2.0Lは売れ筋のGと最上級のZがあり、装備品の違いで50万もの差があった。私はこれまでこうした場合は1ランクグレードを落としたものを購入してきたが今回はZを選んだ。12インチものナビゲーションモニターもZにしか付かないし、まあぜいたくをするわけだが、還暦過ぎた自分が運転出来る残りの月日を考えるとこんなのもありかなって。ただ車両本体価格370万の車、その一部を自分の貯金から相当供出しないといけないのはカールとの約束だ。

車にはオプションが付きものだが、いろいろとあるもののうちほぼ全部を断った。特にドライブレコーダーが6万以上もするのは高すぎる。後で付けるにも一般店なら1、2万であるんじゃないの。スマホでエンジン開始が出来るデジタルキーってのもまずいらない。そもそもZの装備でも余分かもというのがいろいろ付いてくるのだから・・。それより車体のカラーを何にするかでちょっと迷ったのが青か白かでこれは白のプラチナホワイトパールにした。私の好きな(安い)白のスーパーホワイトⅡは1.8Lの営業車用にしか設定がないので白を選ぶならこれ一択だ。ただし青や黒やシルバーに比べプラス3万3千値段アップする。しかし担当者によると「リセールを考えると白か黒が絶対にいいです」「3万以上違っても?」「ええ、下手をすると20万もの差が付きます」だってよ。へーえ。ならば5万5千アップの赤のエモーショナルレッドⅡって買う時は高く売る時は安くなり、ずいぶん損じゃない。

18時過ぎから交渉し時間はあっという間に1時間過ぎていた。「19時半までに申し込みを打ち込まないといけなので」と担当が一旦席を外した。さっきまで左隣でも中年男性が交渉をしていた。彼も新型プリウスのようだった。さっきの話だと「今日だけで予約者は40名を越えています」ということだ。順調にいって最初の60台ほどが半年後くらいに納車出来る可能性があるという。となると私のも半年後くらいか。ううむ、どうせ来月車検を受けるし1年くらい待っても構わなかったがこうして予約を済ませれば早く乗ってみたいという気になる。

手付金をカードで払い、帰る前、担当者に「希望ナンバーはどうされますか」と聞かれ、ハタと困った。1999年のホンダオデッセイ以来、希望ナンバーにしてしかも毎回違ったものにしてきた。さて今度は・・すぐには思いつかず「まだ納車までかなり時間がありますから後でもいいですよ」と言われても、帰りの車中でずーっと考え、ハッと思いついたのがあった。うむ、それでいこう。でもあせることはない。車はすぐには来ない。またいいナンバーを思いつくかもしれないしー。ともかくも予約は済ませた。別に毎回一番乗りを目指しているわけではないが3台続けてプリウスは発売同時申し込みとなった。まあ、毎日往復40kmの通勤をしている自分にはぴったりのいい車だ。今の4代目プリウスもそう不満があるわけでもないので、納車までの期間、じっくりのんびりと待ちましょうか。

2022年12月20日火曜日

ビーズはなぜに小さくなる

昼休みに医局に入ると、福香さんが何かをいじっていた。見れば消臭剤のビーズの詰め替えの最中だった。蓋が開いていたので、私は透明なビーズを指でちょんちょんと触ってみた。ぬるっとするので水が入っているのかと思いきや、そうではなかった。「(ぬるっとしている)ビーズの中の成分が少しずつ蒸発して最後は小さくなるんです」と彼女が教えてくれた。私はそんなものだとは知らず、実際に小さくなったビーズが3個あるのを見て「へーえ」と漏らした。↓。
消臭ビーズの中身はおもに「植物性抽出エキス」と「吸水性樹脂」で、植物性抽出エキスの入った消臭液剤を吸水性樹脂(高吸収性ポリマー)に浸透させると丸く膨らみ、その表面から消臭成分を蒸発させてニオイ成分を消臭する。消臭ビーズが時間の経過とともに小さくなっていくのは、ビーズの中の消臭液剤が蒸発していくからで、消臭効果が表れていることを示しているという。消臭ビーズが徐々に小さくなって1割程度になったら中身を替える時期で、ちなみに水を入れるとビーズはまた大きくなるが実はこれ意味のないことだ。消臭成分がなく当然効果はない。

普段何気なく見かけてはいたがこのような仕組みだとは全く知らなかった。感心していると「あら、先生の奥さんはきっと知っているはずですよ」と近くにいた山の神さんに言われてしまった。ふむ、きっとそうに違いない。カールなら「(そんなの知ってて)当たり前よ」だろう。男は年を取れば取るほど生活能力で女性に差を付けられてくる。定年を迎えた男性が家では何をするにしてもいつも奥さんにくっついて世話を焼いてもらう状態を「濡れ落ち葉」なんて言う。医師に定年はないが、気を付けないと私も・・なんて思うことだった。

2022年12月19日月曜日

アルゼンチンの勝利に揺れる

遂にW杯も決勝の時を迎えた。午前0時から試合開始で、カールは「起こしてネ」と22時前には寝て、私も実はその頃から仮眠していて、目覚めた時はすでに試合が3分ほど経過していた。 

例によって私はAbemaTVの本田圭佑解説をでカールはTVで観戦した。前半はアルゼンチンが圧倒、点も2点入れたし、フランスはシュートを1本も打てなかったほどだ。これはアルゼンチン監督の戦術が見事にはまったのと、準決勝から決勝までがアルゼンチン中4日とフランス中3日の差、それにフランスはウイルス感染かなにかで体調を崩していた選手がいたのが影響したのかもしれない。本田解説ではフランスのFWデンベレが調子悪いと酷評し「絶対に交代させるべき」と指摘し、実際、前半終了前には交代させられた。後半も最初はアルゼンチンペースだったがフランスの監督もすごいね。中心選手のグリーズマンまで交代させ勝負に出た。するとフランス攻撃陣が活気づきPKからエムバペ得点、さらに1分後にまたもやエムバペのボレーシュートが決まり一気に同点に追いついた。その後は延長に入ってアルゼンチンも選手交代させメッシのゴールを生み、3ー2で決まりかとも思えたがペナルティエリア内でにハンドでまたまたPKでエムバペが決め3ー3の同点とすごい決勝になった。本田はあからさまにアルゼンチンびいきで私もそうだったからPK合戦も固唾を呑んでアルゼンチンの成功を祈った。決勝のPK戦での決着は1994年のブラジル対イタリア、2006年のイタリア対フランス以来だった(ともに前者が勝利し優勝)。

何て言うかな。アルゼンチンの国民やファンだけでなく、他の国の人たちもメッシにW杯のタイトルを取らせてあげたいという空気があったんじゃないか。開幕カードでサウジに負けたけど、その後のアルゼンチンの選手たちはよくまとまっていた。チームが優勝するには選手らの気持ちが一つにならないといけない。そうでないチームはどこかで破綻や取りこぼしが起きる。ブラジルもクロアチアに延長で1点リードしながら守備に徹しきれなかったのはどこかに抜けたところがあったのだろう。

私とカールは最後まで見て、さらに表彰式まで見た。もう午前4時だったよ。そうそう、アルゼンチンの勝利が決まった瞬間にサポーターらの様子が映し出されたが、びっくりしたのは上半身シャツを脱いで大喜びしているアルゼンチン女性がいたこと。その後のネットトピックスでもちょっと話題になっていた。↓。
ラテンやねぇ。こんな女性、日本いや東アジアにはいないわ。ついでに動画も載せておこう。
いやー、約1ヶ月、面白いW杯だった。試合を構成するものとして、アディショナルタイムを正確に加算、5人交代枠、VARの活用なども今後定着すべきと思った。それと南米ヨーロッパ以外の国の躍進もあったが、一番はスーパースター、メッシの念願が叶った大会として記憶されるだろうな。

2022年12月18日日曜日

8連続3位の後にすんごいことが

今月は昨日までがやや忙しい時期にあたり、今日からは少し緩やかになる。年賀状のアイデアがまだまとまらないのが気がかりだが、時おり雪が舞い散る日曜を自宅でゆったりと過ごした。

深夜0時からはW杯の決勝アルゼンチン対フランスもある。カールは「鎌倉殿の13人」最終回を見ていて時折笑ったりしていた。番組冒頭、なんと次回大河の主人公徳川家康に扮する松本潤が出てきたのを私も見て「おおっ」と思った。時代は鎌倉だが、その歴史書「吾妻鏡」を後の征夷大将軍が若かりし頃に愛読していたというエピソードを披露してくれたのだ。さすが三谷幸喜、サービス精神があふれている。やるねぇ。

もっとも私はその時ネット麻雀天鳳を打っていた。時々いい手は来るもののなかなか上位には行けず、その時は3位に終わった。その結果、なんと昨日の夜から8連続3位という珍記録を作ってしまった。↓クリック参照。ちなみに12月17日対戦相手の「和久津晶」は女流プロ雀士で2年前まではMリーグにも参加していた。

8連続同じ順位は作ろうと思ってもできるものではない。私は1位は5連続、4位は6連続があるがー。もしリアル麻雀で8回も3位を取ったら確実にマイナスの負け組だ。だが、天鳳ではポイントはプラスマイナスゼロでどっちかと言ったら勝ちに属する。何よりもラス回避が優先されるからだ。8回の3位のうちオーラスでビリから3位浮上も2回くらいあってそのたびに大きく息をついた。助かったぁ、と。

ここで3位でねばっていればきっと1位2位を取れる時が来るー。そして21時過ぎに打ち始めたところ・・開局親番が当たった私は、ドラが1枚あるだけの変哲もない配牌から手を進めていった。ただ珍しく同じ牌が3枚集まる暗刻が2つ出来てさらに6巡目、3つめの暗刻が出来て聴牌をした。ドラの1索を捨てる羽目になり、役は三暗刻のみ。ただ、待ちがペン3万で上がりにくいのと、1手変われば役満の四暗刻に変わるためダマ聴牌にした。これは当然だろう。すると次巡、2万をツモり、待望のツモり四暗刻聴牌に変化した。これで当たり牌が出ても親マン、ツモればその4倍の親役満だ。そして子たちに自由に打たせないために即リーチした。

リーチして数巡、思惑どおり他家は振らないように手を崩していた。東の1局目から親に放銃したくないのは当然だ。私の上がり牌の2万と2索はすでに場に1枚ずつ切られ、残り枚数はたったの2枚。他家の動きから簡単に出る牌ではなくたぶん流局か。いや、でも念のため動画撮影も構えておくかと10巡目ツモ直前にデジカメ録画ボタンを押した。とー。何とすぐにツモったのだ。2万を。「ジャーン!」の役満上がり効果音の録画にはかろうじて間に合った。ひえーっ(⌒о⌒)。
これで7万3千点になり他家と6万4千点もの大差だ。南4局までもつれたが余裕でトップとなり、8連続3位のうっぷんを見事に晴らしたのであった。麻雀って我慢していればいつかこういうこともあるものさー、うん。

2022年12月17日土曜日

2階に住んでみれば

いつもより30分以上早く家を出て、午前8時に病院救急外来入口でコロナ検査を受けた。後は車内でしばらく待機だ。20分以上は待ったかな。スマホに連絡が来て「陰性です」と。ま、そうだろうとは思っていたが、ホッとして院内に入った。ただ陰性だったからといってまだ安心はできない。もし感染していたとしても潜伏期間というのがあり、2、3日はまだ油断は出来ないのだ。

それはともかく外来と午後からの日直業務を淡々とこなした。外来は珍しく痔の中でも外痔核の患者さんが2人、それもどちらも30歳代の男性が来た。他に女性の内痔核の患者さんも。男性の1人は血栓も出来ていて鹿児島市内の鮫肛病院に紹介状を書いたほどだ。午後は最初ヒマだったが夕方に救急で来た高齢女性は採血やCTの検査をすればするほど病気や怪我が判明し入院となった。90歳近くもなれば何か疾患が隠れていると疑ってかかるくらいがちょうどいい。

暗くなってから帰宅し、夕食はまたお互い顔を合わせずに摂った。症状らしきものはまったくなくたぶん感染はしていないな。患者とは面と向かってしゃべってもいないし、一応防護服着ていたしー。その後、例によって2階の子ども部屋に上がった。昨日「あそこは暖房がないから〜」と私が言ったのでカールが小さな温風機を買ってくれていた。(↓7千円以上するがコンパクトで足元がよく暖まる)
これがちょうどいい暖まり具合いで、日記を書いた後、ネット麻雀をやることも出来た。

あと、2階にはこれまで私が買ってきた本がいっぱいあって、2日前にネタにした長岡鉄男氏の本もすぐに手に取ることが出来た。やっぱり物を書く時って著作物がすぐ手に取れる状態でないといけないわ。たしか司馬遼太郎氏の自宅って2階3階まで本棚になるくらい本で埋まっていたと聞く。カールに「本が多すぎ、片付けてー」と言われるけれどまだまだ捨てられないのよ。司馬さんの10分の1もないけどさー。

2022年12月16日金曜日

準家庭内別居

夕方、近隣のキスマンクリニックから患者紹介があったのよ。高齢男性で昨日から下血があってまだ止まらないって。下血となればそりゃうちで診ないと。で、採血の後すぐに大腸内視鏡を行った。挿入してすぐ直腸からの出血だと分かった。ただ、あまり見ないタイプの出血で小さな粘膜裂傷からじわじわ血が出てきていた。でも止血のテクはそう変わったことをするわけでなく、クリップや止血剤注射などでどうにか血の勢いは弱まった。

検査施行中にも周囲のスタッフは「この患者さん、入院ですよね」とそのためにテキパキと動き始めた。家族に入院手続きを促し、病室の確保、そしてこの御時勢ゆえコロナのPCRチェックだ。で、内視鏡もそろそろ終わろうかという頃、激震が走った。

「先生、コロナ陽性ですって」

な、なに!発熱もなかったし風邪症状もなかった。念のため再検査を指示もやはり陽性でコロナなのは間違いない。これは困った。内視鏡とコロナ両方を診るのはうちでは難しい。例えば夜間下血があってもすぐには対応出来ない。そこで数日自宅安静、しかも絶食でとの指示で切り抜けることにした。もし再下血があればその時は鹿児島市内の上位病院に行ってもらうしかない。それは家族も納得してくれ良かったが、濃厚接触者になった私たちスタッフは少々慌てた。防護服を着て検査しているとはいえ内視鏡室は換気は良くない。窓を開けびゅうびゅう風が入って来る中、私は少し震えながらもカルテ記載や返書など書いていった。キスマンクリニックの院長にも電話連絡した。少しビビっていたな。

明日も勤務の私などは勤務前にPCRを受けること。月曜から勤務のスタッフは有症状者が抗原検査を受けることなどを念を押し、皆帰宅した。

帰宅してからは、マスクは外さないのはと当然として、カールと直接接触しないように食事し会話も最小限。カールは台所で食事をしたよ。

2階の今は使っていない子ども部屋に私は移動することになった。小机と電源はあるのでネットは出来る。布団もあって食事以外はここで生活できるわ。ただ、暖房がなかった。エアコンはあるが24、5年前のものでしかもここ10年以上使っていない代物だ。結局そのままベッドに寝る羽目になった。はあ、準家庭内別居もやはり面倒だわ〜。

2022年12月15日木曜日

無精とケチに徹しきる?

当直明けで本来は昼過ぎには帰れるはずがどうしても必要な内視鏡処置があって、結局、病院を出たのは16時前だった。

しかし、すぐには帰宅せず、スピードカット店に寄った。少し髪が伸び、うざったくなっていた。確か先月13日に天文館のスピードカット店で切ってもらってから約1ヶ月だ。その際には「あまり短くならないように」とお願いした。カールに「(短過ぎて)見映えが悪い」と言われたからね。

今までは散髪屋にちょくちょく行くのが面倒くさくて「短めに」と頼むことが多かった。そうすれば1ヶ月半ほどは行かずに済むから。しかしスピードカット店に行くようになって10分から15分で終えられるので気軽になった。ずっと以前は予約した上にカットだけでなく肩もみから洗浄シャンプーまで1時間近く掛かって値段は3千円以上だった。肩もみ、シャンプーを断るようにしてから約30分で済み値段も2千円台にはなったが、それでもおっくうだった。スピードカット店は早くて値段も安く私の好みだ。ただ、カットする人によって同じ店でもけっこう仕上がりが違うのが難だ。前々回の時はカールに「ひどい。その店は止めて別の店に変えたら」と言われた。で、前回は同じチェーン店の天文館の店でやってもらった。しかしやはり車で行けて近いところがいいと元の店にまた寄ったのだ。よくよく面倒くさがりな性格だ、私は。

サブアラドDrなど50年以上も同じ店の同じ人にカットし続けてもらっていると、これは日記ネタにもなった(2022/7/7「ナウい髪のあなたはだ〜れ?」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2022/07/blog-post_7.html)。これはさすがに真似出来ない。散髪が面倒なら、いっそのこと坊主にすればいいのでは・・。ううむ、これも見た目や子どもの頃の傷で一部ハゲがあるので踏み切れない。

昔、高名なオーディオ評論家の長岡鉄男さんは40年ほど前のエッセイで自身が坊主頭な理由を「バリカン使って自宅で刈るので費用はタダ、時間は10分間もかからない。急げば5分間でできる。これが床屋へ行くと今はよく知らんが2千円くらいとられるんじゃないか。しかも時間がすごいかかる。坊主頭になったのも理由は無精とケチだからである」とストレートに語り、さらに「坊主頭にはいろいろいいことがある。洗髪が容易、洗剤が少量で済む、男性化粧品不要、櫛もブラシもドライヤーも不要。それに音もよく聞こえる。今のヤングはたいてい長髪で耳をカヴァーしている。これでいい音が聞けるはずがない。これは断言出来る」と実際に測定してみての結論を小気味好く述べていた(「長岡鉄男のいい加減にしますPartⅠ」146ページ)。
長岡氏はコストパフォーマンスと合理性の人だった。実はこの坊主頭のエッセイの本題は「年賀状」だった。年賀状を一方的に廃止して20年くらいになったそのわけが面倒で金もかかると「坊主頭」とリンクしていたのだ。いや、時代は長岡氏の思っている通りになりつつある。年賀状は面倒でお金がかかるからヤーめたという姿勢は21世紀の現代日本人もそうで、2002年をピークに年賀状発送数は減り続けているのだ。私もそれは分かってはいるがやはり続けている。長岡氏並に合理的にばかりは出来ないところが、並の人間なんであろう・・な。

2022年12月14日水曜日

表情は東野幸治のように

この日の夜は当直が当たっていた。それに午前は外来、午後は救急当番。そのいずれも入院になった患者さんがいて4人は入院させたかな。ヘロヘロだよ〜まったく。

他にも入院になってもおかしくない患者さんがいた。その患者さんは実はある癌の末期状態だと今回初めて分かった。しかし余りに手の施しようがないため、「少しでも残りの時間を家族といっしょに過ごしたほうがいいのでは」と鎮痛剤、炎症を抑える薬、利尿剤を追加しただけで帰宅を促した。余命はもって数ヶ月、年を越せなくても不思議ではない。まだ食事も摂れ、意識もしっかりしている。入院したらこの時世、簡単には家族にも会えなくなる。

他に、発熱で入院していた男性が実は消化器系の進行癌と判明し、その妻に外来診察で結果説明をしたのだが、泣くこと泣くこと。気持ちは察するに余りあったが、私は淡々とほぼ無表情で説明を続けていった(後で「まるで東野幸治のように」と某看護師に言ったら吹き出された)。
そして「内視鏡を使って症状を緩和する処置を明日行うが、上手く行かなければ外科の先生に頼んで手術になるかもしれない」と伝えた。結局、翌日の内視鏡での処置はどうやっても不可で、今度は電話でその結果を伝えたのだが、思っていたよりもしっかりとした受け答えだった。たった1日だが多少なりとも心の整理がついたのだろう。まだ夫との生活は続いていくのだ。

夜は久しぶりに気管挿管から人工呼吸器につながざるをえない患者がいたり、未明に救急患者を受け入れたりし、結局布団やソファでは寝ずに医局の机でうつ伏しての仮眠だけだった。W杯のフランス対モロッコもチラッと見ただけ。フランスの勝ちは予想通りだった。予選リーグ終了時点での私の決勝予想はブラジル対フランスだったが、アルゼンチン対フランスもなかなかの好カードだ。試合は日曜の深夜か、まだまだ先やな。明けても午前はまだ仕事がある。はぁ〜、きっとまた東野幸治みたいな表情になっていたような・・。

2022年12月13日火曜日

だるい理由

ここ最近は夜が眠くってしようがない。だいたい21時ごろから睡魔に勝てず、22時ごろはほぼ眠っている。それが布団なら疲れもないものを、椅子か床で不自然に寝ているものだから疲労が残ってしまう。この日も今もそうで、目が覚めてもまだボーッとし、寝てまた起きての繰り返しで、だからこてる日記を書くのが早朝になってしまうのだ。遅くとも午前6時前までにはアップしたいが遅れがちになる。

まあ、それもW杯が影響しているのは間違いない。「死んでもいいから全64試合全部リアルタイムで観ます」という小柳ルミ子ほどの覚悟はないものの、できる限り観戦しようとしているからだ。午前4時開始のアルゼンチン対クロアチアも眠気に耐えながら観ていた。前半にメッシがPKを蹴った。今大会一度失敗しているからどうなるかと思ったら向かって右上にキーパーが絶対に取れないコースに決めた。あそこは勇気がいる。もし低い弾道だったらコースを読み切っていたキーパーに弾かれていただろう。日本人選手にも見習って欲しいものだ。

後半もクロアチアに点を決めきる雰囲気はなく、逆にアルゼンチンはフォワードのアルバレスがカウンターのドリブルで突き進み、相手陣に入っても突き進み、キーパーが近づいても突き進み、一度もパスすることなく得点してしまった。日本人選手ならどこかでパスして結局失敗していただろう。

そして圧巻はやはりメッシだ。3点目を決めたのはアルバレスだが明らかにメッシの得点だった。ペナルティエリアに入っても相手デフェンダーをかわしてかわして最後はアルバレスにどうぞ決めてのキラーパス。いや、すごかった。ルミ子も感激していたネ。

これでアルゼンチンは2014年のブラジル大会以来の決勝進出で相手は2大会連続のフランスと思っていたがやはりそうなった(12/14時点)。若干フランスが強い感じがするが、これがW杯最後のメッシが出るとなればドラマ性があり、そういった目に見えぬ意識が後押ししアルゼンチン優勝という予感もする。いよいよ大詰めだ。今度の日曜深夜が終われば、私の夜のだるさも解消出来るかなぁ〜。

2022年12月12日月曜日

新型プリウスは1年半待ち?!

新型プリウスがネット上で発表されてから3週間以上が経過していて、YouTubeなどでは各人が詳細なスペックを披露してもいる。ただ正式には発売時期、値段などは何も発表されてはいない。しかし2台続けてのプリウスオーナーでいずれの型も鹿児島県の最初の1台を購入した私は今回も買うと販売店に連絡しており、先日担当セールスマンから予約についての連絡が入った。それによると、まずセールスマンが言ってきたのが「各販売店に最初の割り当て台数が〇〇台と決まっている。それを逃すといつ購入出来るかは分からない」とのこと。「最初の割り当て台数のうちの1台を契約しても、もしかすると1年半ほど待ってもらうこともある」ということだそうだ。1年半?普通なら契約を躊躇したくなるほどの待機期間だが、1月に車検を受ける予定の私にはさほど響かない。車検期間の2年以内なら問題ない。2、3ヶ月で買える方が悔しいじゃん。

それにしても昨今の半導体不足などで新車が手に入りにくくなっていると聞くがここまでとは・・。今、中古車市場が活性化しているというのも肯ける。本当に今車が欲しい人は半年や1年半後なんて待てやしない。トヨタも看板車種であるプリウスを売りまくりたいだろうが、作りたくても作れない現状に販売制限をせざるを得ないということなのだろう。

2台続けてプリウスに乗って私が一番思うのは、トヨタの製品に対する信頼性だな。5年、7年と乗ってみて、全くの初期型なのに故障らしい故障がないのには感心する。私の某友人の某外車は7年前に私とほぼ同時期に買ったものだが、この間「ガソリンが漏れている」と判明し1ヶ月ほど修理にかかった。そんなことトヨタ車(まあ他の日本車も)では聞いたことがない。アメリカのある利用者調査で信頼度がレクサス(=トヨタ)が1位になったというのも当然かも。そんなわけで今度の新型プリウスも購入する気だが、今月下旬には交渉に臨めるということだ。ただ値段交渉とかどうも売り方のペースになりそうでそこはちょっとなー。ま、結果はまた日記で紹介しよう。

2022年12月11日日曜日

薬不足問題、誰が悪いんだい

日曜朝のテレ朝のニュース番組で薬不足問題が特集されていた。

約40種類もの薬の供給が不足して病院や薬局が困っているとのことだ。ていうか、うちの病院でも毎週のように院内メールで「〇〇薬が不足していて代替品が△△になります」とか「××が現在入って来ません」などの連絡がある。なんでこんな事態に陥ったのかというと、厚労省が押し進めたジェネリック医薬品の使用増加がまず背景にある。なのにジェネリックの会社はコストを抑えるために製造ラインの縮小や決まり事を無視する傾向があった。そんな中、昨年2月に発覚したジェネリック医薬品会社小林化工の製造不正事件が起きた。水虫の薬になんと睡眠薬が混入していたというのだ。これがきっかけで他の製薬会社もそれこそゾロゾロと不正や不祥事が発覚した。昨年は業務停止命令が何と11社にも及び、中でもジェネリック大手の日医工が摘発されたのが大きかった。青雲会病院でも日医工の薬品はよく使われている。これでジェネリック薬品に頼っていた(厚労省の方針で頼らされていたというのが正しい)医療業界は薬不足に陥ったのだ。
ジェネリックがなければその薬の先発メーカーがまた作ったらという話には、特許が切れジェネリックが増えて来た現状では先発メーカにもすでにうま味がなく、他の薬に力を入れている。今さら作れないってことだ。
昔からジェネリックについてはそれを嫌うドクターや医療関係者がいた。品質に対する不信感や安定供給への不安からだ。私の友人医師も「オレは(ジェネリックは)使わない」とよく言っていた。またもう30年近く前だが、ある有力先発メーカーのMRから「ジェネリックの会社は精製に例えば4回かけるところを3回で済ましている」など、非難めいた発言を聞いたことがある。そういった製造手順書の見直しを今後きちんと徹底させるということでこれには少し時間がかかり、関係者の話ではこの薬不足改善が解消されるのはあと2、3年はかかるのではないかということだ。
はあ、2、3年ってあんた、どんだけ我慢させるんよ。でも厚労省は何も責任は感じていないだろうな。決まりを守らなかったジェネリック製品会社が悪いくらいにぬかしているかも。でも安かろう悪かろうの風潮が残っていたジェネリック業界なのに「先発品と品質は変わらずお値段はリーズナブル」だから使いましょう、と利用者と医療業界両方に推進していったのはどこのどいつやと言いたくなるわ。

ま、今回の騒動で製剤品質と供給体制の両方の安定化が進めば雨降って地固まるでいいことだ。でもそれまでは薬品&医療業界、そして患者さんは我慢かぃ?・・はぁ。

2022年12月10日土曜日

アルゼンチン対オランダ、トンデモ試合にルミ子の涙

未明のブラジル対クロアチア戦、午前4時からのアルゼンチン対オランダ戦と両方観戦したのよねぇ。おかげで午前中は眠かった。阿久根の折口駅から迎えに来た車中では目を閉じたまま長島までずっと仮眠を取っていた。

ブラジルはフランスと並んで優勝候補だなーと思ってたいたら、延長前半にネオマールの素晴らしいゴールで1点先制したのに、延長後半にまだ諦めていない必死のクロアチアにカウンター攻撃一発をくらい同点にされてしまった。なに、バカをやっている!とTV画面に向かって大声出してしまった。なんていうかもう勝った気分になってしまったのかな。後は必死で守り切るというのが苦手というか・・。1982年のスペイン大会で対イタリアに同点でもトーナメント進出決定という場面で華麗な攻撃で同点にしてもうこれで決まりっぽい気分になってしまったところ、イタリアのロッシにお得意のカウンターにやられて負けてしまったシーンを思い出した。PK戦になったらこれが大得意のクロアチアには負けるだろうと予想したとおりになった。何てざまよ、ブラジル、コラジハゴヌン!(韓国語で、〜のざまときたら、の意)。クロアチアは前半はブラジルに五分以上の戦いぶりだったし、結局勝つとはやはり強い国なんだなと再認識したよ。

アルゼンチン対オランダ戦はこれも予想どおりというか、荒れた試合になった。オランダは以前の大会もイエロー出まくりの試合をしたし、アルゼンチンも挑発お得意の汚い(といったら失礼か)プレーが伝統だ。些細なところでお互いに挑発を繰り返しイエローカード18枚だって?このあたりは日本人は得意にはなれそうもないし、なる必要もないか。後半のメッシのPKが決まって2ー0になった時はもうさすがに勝負は決まったと思った。しかし強豪国の底力ってすごい。オランダは外から長身の選手に放り込むだけのシンプルな作戦でまず1点返し、最後のあのフリーキックのトリックプレイはあれは何?もうこれでラストプレイだろうという瀬戸際で直接シュートを狙うと思いきや、キッカーのコープマイネルスは壁の中にいたウェクホルストへとパス。アルゼンチン代表の守備陣も予想だにしていないプレーに対して後手を踏み、ゴールから至近距離で放たれたシュートが決まった。ゲゲゲーの同点延長やぁー。

私はメッシ大ファンの小柳ルミ子を思い浮かべたよ。きっと後半は「メッシ決めた、アルゼンチン勝ったー」と勝利の涙を流していたはずが、あまりに劇的な同点シーンに呆然としていたんじゃないかな。だが、まだ負けたわけじゃないのが救いだ。アルゼンチンは嫌な流れだったのによく延長を乗り切りPK戦も乗り切った。ルミ子、今度は本当に祝福の涙を流したはずよー。

と、ここまで書いてルミ子、ツイッターをチェックしてみた。やはり、この試合の投稿があった。→「マジかっ⁉️終了間際オランダに追い付かれて延長戦だー😭💦これだからサッカーは最後迄分からない😭💦頼むよー、本当に頼む😭🙏🙏🙏メッシ、更なる違いを魅せてくれー🙏🙏🙏」とやはり涙スタンプが多い。
そして決着付いた直後の投稿が→「メッシーメッシーメッシー😆‼️も〜心臓に悪いよぉー🤣💦おめでとう㊗️ベスト4進出おめでとう🎊メッシの旅はまだ続きます⤴️本当に良かった。有難うメッシ❣️ラウタロ、あのプレッシャーの掛かるPK、良く決めてくれました。有難う❣️

あはは、がちなファンならではの切実さが本当に伝わって来るねー。本当のサッカーファンはこうでなくちゃ。私など足元にも及ばないわ。