午後は半年ぶりに北山診療所への出張勤務だった。前回は往診先の自宅庭の柿を取った話題を日記ネタにした。(http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2021/12/blog-post_1.html)さあて今回はどんなネタがあるだろうか。そんなことを行きの車中で総務のジュリナガさんと話していた。
診療所にそろそろ着こうかという頃、道路脇の畑に立派な枇杷の木があり、すんごい数の実が成っていて「わおー」と声を上げた。枇杷はもう終わりの時期なのに今が盛りと成っていた。
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
午後は半年ぶりに北山診療所への出張勤務だった。前回は往診先の自宅庭の柿を取った話題を日記ネタにした。(http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2021/12/blog-post_1.html)さあて今回はどんなネタがあるだろうか。そんなことを行きの車中で総務のジュリナガさんと話していた。
診療所にそろそろ着こうかという頃、道路脇の畑に立派な枇杷の木があり、すんごい数の実が成っていて「わおー」と声を上げた。枇杷はもう終わりの時期なのに今が盛りと成っていた。
月曜の朝はいつものように朝礼に出て、職員が二人スピーチをするのをデジカメで撮っておくのがお決まりのパターンだ。しかし、今日は違った。可愛いんだ理事長の大腸内視鏡検査が本日朝一番に組まれていて、それは朝礼が終わってからと思っていたら、「もう(前処置は)きれいになった。早くしてくれ」と言っているらしく、すぐさま内視鏡室へ向かった羽目になったのである。
理事長は朝の外来診察に間に合うよう暗いうちからごくごく水様下剤を飲んでいたようだ。内視鏡室スタッフもそれに合わせ準備は万端、私も検査着に着替え、内視鏡を早速開始した。検査はまずまず順調、5、6分で盲腸まで到達しトータルで18分で終わった。「ありがとう」と言われ、その後いつもの内視鏡検査が続いていった。
少し驚いたのは夕方の所属長会議でのこと、理事長が「内視鏡室(スタッフ)の対応は素晴らしい」と所属長らの前で褒めたのだ。自然な振る舞いの中に何の不安もなく受けることが出来たとのことで、私は「光栄です」とだけ答えた。これは明日みんなにちゃんと伝えなくては。
これも15年以上前から接遇に取り組んできた病院の方針の賜物だろう。職員は意識しなくても患者さんに対してきちんとした対応が出来る、それを理事長は自ら体感できた、そういうことだったのだ。
そうそう、今日はおニューのアロハシャツを着ていった。むろん、カールの見立てで沖縄製だ。グリーン基調は初めてだ。しかしいきなりの内視鏡で着替えてみんなに見せられたのはほんのわずか。エレベーター内で自撮りするのがせいぜいだった。ま、褒められたからそれも良しとしよっか(⌒о⌒)。
サブアラド七段は1週間ほど前に降段の危機に陥ってから何度も乗り越え今だに七段鳳凰卓をキープしている。すごい粘りだぁー。落ちそうで落ちないので彼の写真をお札にして合格祈願のお守りにもでしたらどうかな(笑)。
そんな彼の闘牌を観戦していると、今度はカールがいないせいか寂しがり屋のゲンちゃんがパソコンの前に来てお邪魔ネコになった。
「こら、どきなさい」と言ってもMacBookProに近づき頬をこすりつけて前足曲げてボクうごかないもーんていう態度だ。それじゃ麻雀観戦も落ち着いて見られやしないと怒ると今度はでーんと寝そべりこっちを眺める。しよーがないなぁ。日に1回はこうした甘えモードに入るのよねぇ。今年12歳になるお爺さんネコなのにやっていることは赤ちゃんネコと変わりやしない。ま、ネコはいつまでも赤ちゃんぽいところが可愛がられるところなんですってか。私も諦めてしばらくゲンちゃんのなすがままにしておきました。しゃーない。
朝、当直のカワゼンDrに「下血の患者さんが今朝運ばれて来まして」と言われた時には「やっぱり?!」って言ってしまったよ。昨夕感じた嫌な予感がぴったし当たった。症状を聞くに大腸憩室出血にほぼ間違いない。その高齢女性を引き受けて午後に大腸検査を予約を入れた。
ほかの検査も長引いたため、18時ごろからその患者の大腸内視鏡を開始した。下血も続いているゆえ、「検査は明日だ」なんて言ってられない。挿入するとS状結腸に憩室が多発していた。しかし血液は深部大腸の方から流れてくるので、腹部CTで確認された上行結腸の憩室からの出血か。腸管癒着もあるせいか、その患者さんは「あいた」「あいた」とスコープを動かすたびに反応するのでやりにくい。しかしそこでひるんではいけない。そこで負けてしまえば、結局出血が止まらず、損をするのは患者さんだ。最深部の盲腸まで挿入出来たが、すぐには出血源がつかめなかった。憩室はあるのだがどうもはっきりしない。ま、憩室出血にはそれはよくあること。なにせ全国での出血源同定率は2、30%程度なのだ。
まず憩室出血に違いないと臨んだこの検査、実は意外なところから出血しているのが分かった。横行結腸の普通の粘膜に露出した動脈の血管から出血していたのだ。憩室出血ではないが症状は全くいっしょ。そして内視鏡室処置法も同じ。まずはクリップで出血源を挟み込む。しかしこの露出血管、大きくてクリップのみでは止血がやや不十分だった。そこで伝家の宝刀「EBL」だ。ゴムバンド結紮法でこれが掛かればほぼ完璧だ。
いやー、時間はかかったが上手くいった。なにやかにやで全て終えて病院を出たのは20時。ひえー。しかし検査が結果的に上手くいけばそんなの疲れも吹っ飛んじゃう。「あいた、あいた」言っていた患者さんも感謝感謝で、内視鏡医冥利に尽きるってー。ある高齢女性患者が外来で「市販薬で睡眠薬を買って試したが、1回目は効いたけど2回目は効かず、病院からの眠剤が欲しい」と言ってきた。「ほう、どんな薬ですか」と尋ねると現物を持って来ていた。
笑ったね、そのネーミング。「ネルノダ」。いいじゃん、この名前。飲んだら「はい、寝ます」って素直に従いそう。ただそこは市販薬、病院処方薬に比べ中身や成分量は控えめのはず。そもそもこの薬、1日でスカッと効くようには作られておらず1週間は継続して飲まなきゃいけないらしい。本当に不眠で悩んでんでいたらやっぱり病院を受診しよう。内視鏡検査はこのところERCPが多くてと書いたが、それも明日のERCPで一段落する、と思っていたら、今度は久々に大腸憩室出血患者が来た。憩室出血の内視鏡室検査は慣れてはいるが出血源同定が難しく必ずしも止血に成功するとは限らない。幸い出血源の憩室を突き止めて止血処置が出来た。下血患者や憩室出血患者は続けて来る傾向があり、ERCPの次は憩室出血のパターンになるかもしれないなんて内視鏡室で呟いたのだが・・少し嫌な予感もするナ。
家に帰るとゲンちゃんが碁盤に鎮座していた。おいおい、それはパパがオマルさん対策でお勉強するためにそこに置いてあるんだよ(今日は完勝だったぜ)。うん?ゲンちゃん、なんか見返り美人みたいだね。男だけどー。
昨夜のオマルさんとの対戦は負けだった。これで16勝14敗。左下で例の瀬越憲作「中国定石」が発生し、それを私が間違えて打ってしまい、序盤から不利になり、結局大敗してしまったのだ。右上の目外し高ガカリ定石もやや不利な打ち方をしてしまった。それで悔しくて、朝早くから起き、定石や裏定石とも言える打ち方を繰り返し練習した。気がつけば午前7時半、おっと今日は朝から医局会がある、急がねば。まだオマルさん対策は不十分とみて今日は打たなかった。明日は絶対やっつけてやるからなー。
医局会の後半は薬品説明会があり、ベロリンガーインキンタイム社の肺線維症薬の紹介だった。プレゼンしたのは若手女性MRのフキナベさんで付き添っていたのがタナカッツMRだった。彼は私のボウリング仲間であるが、もう1年以上いっしょに練習していないのではない。そもそもこの8ヶ月、私もボウリングそのものをしていない。串木野トリオリーグも2年以上復活していないし、全然気持ちが上向いてこないのだ。車に入れっぱなしのボウリングバッグも8ヶ月間一度も開けていない。ボールは大丈夫だろうか。もしかしたらヒビが入っているかも。
囲碁、ボウリングとくれば、残る私の趣味、麻雀は、これがこの2ヶ月特にネット麻雀をほとんど打っていない。八段から七段に降段してからやる気を無くしたわけではないが、ポイントの上下を争い、1年以上七段と八段の間を行き来するじりじりした勝負から休憩したくなったようなのだ。韓ドラもサスペンスドラマ「カイロス」を1ヶ月ほど経過して終盤に来ているのになかなか積極的に見る気がおきない。評判のドラマでサスペンスとファンタジーがからんでよく作られているとは思うが・・どうしても続きを見ないと収まらないほどではないってことだ。
その人の趣味、レジャーはその時期時期によって注ぎ込む熱量が違う。今の私は、囲碁>>麻雀=韓ドラ>>ボウリングとなる。今から14年ほど前はボウリング>>韓ドラ>>麻雀=囲碁だった。学生時代この4つにパチンコもあった。もうパチンコは全くやらなくなって30年以上になる。最大の理由はそのころからギャンブル性が高まってきたからだった。それまでは勝ち負け表を作っていてトータルでは負けていなかった。前日との釘の違いを覚えていて天釘で勝負するタイプだったのでフィーバー機では勝負しなかった。勝っても5千円から1万円程度だったがそれくらいがちょうどよかった。麻雀もお金を賭けないネット麻雀が主体なので私は本質的にギャンブル好きではないと思っている。囲碁も賭け碁なんてしたことなくゲーム好きなだけだ。
また時期が来ればどの遊びに熱量が傾くのかな。ま、どれでも好きなことをやっているのには違いないからOKよ。人生は楽しまなきゃ。
まだ二十歳前の女性が下血で外来に来た。父親も付き添っていた。症状をじっくり聞いていると、これは典型的な虚血性大腸炎だろうと推測がついた。最初に排便困難があって腹痛が生じる、その後ようやく排便があったかと思えば下痢気味の便でそのうち血便が出てくる。それでびっくりして受診するというパターンだ。ただ中高年の女性に多い病気で10代の患者は珍しい。しかしこれまで20代でも発症して来たケースを経験しているので10代でも起こりうるはずだ。幸い血便も多量ではなく診察時の症状は落ち着いていた。
そこまで説明し、「あなたの場合、大腸内視鏡をすればおそらく下行結腸に粘膜の出血痕や発赤がわずかにある程度でS状結腸や奥の横行結腸には異常ないことが確認できるはず」と内視鏡検査を勧めた。問診と症状からそう推測したわけだが、本当にそうかというのはやはり論より証拠、内視鏡検査が一番だ。しかも本格的な下剤の前処置は不要で、「浣腸のみでだいたい分かりますよ」と本人、父親に説明し、承諾を得た。
で、結果だが、診察時に私が推測したまんま、全く相違なかった。我ながら驚いた。でもこの虚血性大腸炎という病気、毎月数人はいるし消化器内科ではありふれた疾患だから当然か。で、治療だが、この程度なら何もしなくてよい。もっと彼女が高齢患者なら大腸癌が併発している可能性もあるので後日ちゃんと全大腸内視鏡をする必要がある。しかし10代では99.9%その心配はないだろう。それよりも浣腸してでも今日検査する必要があった。この虚血性大腸炎、この程度の粘膜障害なら数日で所見が消えてしまうからだ。1週間後に大腸内視鏡なんて言っていたら粘膜が正常化してしまい、「何の下血だったんでしょう」となる。
ともかくも本人、父親とも安心して内視鏡室を出て行った。で、私もカルテをパラパラと見ていると・・なんとその19歳の彼女、11年前にも当院受診していてその時の担当が私だった。8歳の時、友人に石を投げられ頭が出血、血腫が出来て受診していた。そんなケースはまず外科か脳外科のDrが診るはずなのに、たぶん私が救急当番か日当直だったのだろう。へーえ、たった2回しかこの病院を受診しておらず、10年以上のブランクののち、いずれも私が診たとは。すでに部屋を出ていたのだが、秋の萩君に「このことを伝えてといてー」と頼んだ。すると「先生、頭の怪我のことを覚えていましたよ。少し驚いていました」そうだ。
なにかと縁のある患者さんているもんだね。
今のMacBookProを購入して3年以上になるだろうか。毎日使わない日はなく、愛用というよりも酷使していると言った方がいいくらい。そんなしごきに耐えかねたのか、キーボードの「A」ボタンが外れ掛かっていて感触がよろしくない。試しに力を入れると本当に外れてしまう。一応またはめ直すことは出来るのだが・・。↓よく見ると若干浮き気味なのが分かる。
そんなワケでMacの鹿児島中央駅店に直接持っていって修理できるか尋ねてみた。場合によってはその場でのでボタン交換で済むこともあるとネットで調べてのことだった。5分も経たないうちに店員が帰ってきて「これはボタンではなくて中のボードに問題がありキーボード全体の交換になります」という。あいちゃ。「となりますと、預けてもらって1、2週間、最近では物流の関係でスムーズに行かないこともありまして最大1ヶ月は待ってもらうこともあります」だと。
「そうですか。それなら(修理は)しません」と私は即答した。数日なら我慢できるが1ヶ月だなんてとんでもない。それに今のところ気を遣えば使用は可能なのだ。しかし完全に壊れると文字入力に支障を来す。特に「A」ボタンは日本語では一番使うボタンなのだ。いざという時のためにおニューの購入を検討しないといけないか。
ともかくも帰宅し、すぐにパソコンを開いたら、ゲンちゃんがやって来て邪魔しに来た。甘えてかまってちゃんになるんだ。こうなるとネットもワープロもやりにくくて仕方がない。抜け毛取りで毛づくろいしてあげる。
そんな時、サブアラドDrから電話が掛かってきた。現在当直中だがヒマしていて「天鳳を打たないか」という。あはー、そう来たか。彼は先月七段に昇段して一時は絶好調で八段近くまで来たのだが、このところ調子を落とし逆に六段降段寸前まで来ていたのだ。あと1回ラスを引けば降段だ。それで「どうせ降段するならこてる七段と打って落ちようかと」なーんて言うから私もその気になった。しかしだ。ゲンちゃんがMacBookProのそばをなかなか離れてくれない。「ゲンちゃんが邪魔してさー」と返事すると、サブアラドDrも「おい、ゲンちゃん」と電話の向こうから呼びかける。スピーカーオンにしているのでゲンちゃんには聞こえているはずだが全く反応しない。その様子を動画モードにして見せた。私が「ゲンちゃん」と呼びかけると何らかの反応があるんだがね。ネコは言葉の意味ではなく口調で自分が呼ばれていると理解しているのだろう。ともかくもそんな感じで会話していたら、サブアラドDrの院内電話から呼び出しが掛かった。それで対局は無しに。その後、サブアラド七段の対局結果をチェックしていたが、何度も降段戦になりながらもしぶとく回避して当直が終わる時間まで落ちなかった。うーん、あの時私が相手していれば、(落ちて)楽にならせてやったのに。ゲンちゃんのおかげだったかい?
午後から2件のERCP+ERBD処置が組まれていた。この病院ではERCP1日2件はあんまりない。それでもどうにか対処出来るだろうとは目論んでいた。しかし直前に外科から「S状結腸軸捻転の患者が近医から紹介されまして」と来たのよ。そもそも今日は私は内視鏡担当日ではないのだが・・。
よしっ、ここはたつやましたDrに任せよう。ついこの間、初めてS状結腸軸捻転解除を成功させているし、あの時は口頭でのアドバイスしながらだったが、今度は一人で出来るかも。ふむ、この間「次につながる」と書いたことがはや現実になろうとしている。
最初のERCPは短時間で順調に終わることが出来た。すぐ次の検査に移りたかったが、病状説明の患者さんがいて、「その時間、捻転解除をたつやました先生にやってもらいましょう」と佳及Nsが意見して、なるほどそれがいいねとなった。しばし内視鏡室で待機していたのだが・・。レントゲン室に覗きに行くと、たつやましたDr、苦戦していた。それでも室外からじっと観察する私。しかし今回はS状結腸もうまく通過出来ていない。防護服付けて室内に入り口頭指示を開始し始めた。その後下行結腸まではどうにか行けるもそこまでで、やはり解除はうまく行かない。一度出来たからと言って次から全て出来るとは限らない。それは内視鏡に限らず、世の技術伝承一般にいえることだ。
二度三度チャレンジしてついに私と交代した。ならばすぐに捻転解除出来たかというと、さにあらず。そもそもこの手技は捻転部位をスコープ通過するだけなら難しくないが、大きくループを描いた腸管をもとの捻れのない状態に戻すのは結構きつい。私も悪戦苦闘しつつどうにか脾弯曲にスコープ先端を掛けることが出来て解除を試みたが、1回目は途中でスコープが抜けてしまった。すでに最初の開始から1時間近く経過し、時刻も17時を過ぎていた。そして内心すごく焦ってもいたのだ。実はさつま川内市での研究会の18時半からの参加予定があった。そのためには17時半ごろには病院を出発しなくてはならない。まだあと1件ERCPもあるというのに・・。
そんなことはおくびにも出さず捻転解除処置を続けた。そしてまた脾弯曲に先端が掛かって・・このケースも前回と同じ逆αーloopパターンで左捻りに力を入れて解除だ。今度はどうにか・うまく・・行きそう・・しかし最後の一捻りに腕の回転がいっぱいになって元に戻るか抜けるかしそうになった。が、その時!たつやましたDrが私の手首を掴み、ぐいっと左捻りを加えてくれた。それでうまくいった。うわぁ。やったー。なんとレントゲン室と室外操作室から拍手が湧いたよ〜\(^O^)/。
この後のERCPは15分ほどで終え、病院を出たのは17時50分ごろ。事前に10分から30分遅れると連絡しておいたのでどうにか相手に迷惑を掛けずに済んだのだった(^_^;)。
またERCPを頼まれた。それも2件。1件は東洋Drからで、彼は昨夕大腸内視鏡検査の後、当直に突入していたが、腹痛の高齢男性が入院になり総胆管結石だった。何の処置もしないと化膿性の急激に悪化する胆管炎を起こす場合があるのでこれは急ぐ。今日の午後、準緊急でERCPを行うことになった。私は本来は内視鏡担当日ではなく、外来や救急担当だったので応急的な処置の胆汁をドレナージする手技(ERBD)だけにとどめた。しかし最近よくERCPをやっているせいか、内視鏡挿入から処置して抜去までちょうど10分で終わった。拍子抜けするくらいだ。胆汁を逃がすチューブを総胆管に入れてさえおけば病状悪化は免れる。排石は後日でもいい。↓太めの総胆管の中に3、4個結石あり、ドレナージチューブ(ERBD)を留置した。
もう1件は他医で行われたERBDチューブがやや抜けかかっているので入れ直しをして欲しいという外科からの依頼だ。これは少し待てる。明後日に予約をしておいた。いやはや、今年はERCPが3ヶ月間もなかったのに先月の1件を皮切りに今月など次から次にする羽目になっている。来週も脳外科から1件頼まれていてそれで9件目だ。内視鏡ってある期間に下血患者が続いたり、癌患者が続いたりなどの偏りが出ることがある。この5月はまさにERCP月間になったな。
外来では最近マスコミで話題になっているキラキラネームの話が出た。ニッシNsに言わせると「発熱外来はキラキラネームの宝庫ですよ」と。現在、コロナ疑いの患者さんは子どもや10代、20代の若者が一番多い。どうしても「キラキラ」に出会ってしまうのだ。さすがに「光宙と書いてピカチュウと読む」とか「天使と書いてエンジェル」はいないが「華星」は何と読む?と質問され、むむと考えこんだ。絶対に「カセイ」じゃないはず。本来の字の読みではなくイメージや当て字で読ませるから難しいのだ。「答えは『キララ』ですって」「読めるかい、そんなん」「でしょ」とニッシNs。
ちくしょーってなもんで、以前こてる日記で話題にした「キラキラ」をニッシNsに出した。「月猛」は何と読む?これは「月」の字を「ルナ」と読ませるケースが増えているからもしかしたらわかるかも・・。しかし「わからん」「答えは『ルミナ』」「・・・」とニッシNs。そしたら今度はニッシNs「海姫」は何て?うむむ・・と私。「答えは『マリン』」「うぬ・・」
問われて決して読めぬ名前、それがキラキラネームだっ!
今日で「こてる日記」を開始して丸22年になった。基本1日も欠かしてしないのでもはやライフワークだな。
さて内視鏡は今日もERCPをすることになった。初老の女性患者を胆石胆嚢炎で入院させたが、詳しく調べると総胆管にも2個ほど胆石が落ちているのが分かった。となるとERCP手技の出番だ。総胆管の出口の十二指腸乳頭を切開拡張し管内の結石を排石する手技をするのだ。これがスムーズに運び、30分ちょっとで予想より早く終了できた。↓こんな結石が出てきた。ちょっと気持ちいい瞬間だ。
そんなわけで16時前くらいからヒマになった。たつやましたDrも特にすることがなく、麻雀談義などしていたのだが、外来担当の東洋Drが「S状結腸軸捻転の患者がいるんです」とやって来たじゃないの。あいちゃ。内視鏡治療手技にはいくつも種類があるけれど、S状結腸の捻転解除は好きな手技じゃないのよねー。絶対ウ〇コ内視鏡になるもん。先月末もあってあまりに腸が長くいったんは解除を諦め、翌日、長尺の大腸内視鏡を借りてどうにか元の形態に戻すことが出来たのだった。ただ東洋Drは自分がチャレンジするとのことで、ならばと私はいくつか注意すべきポイントを教えた。まずは脾弯曲部まで到達させること、スコープを解除する際は引きつつloop(ループ)をできるだけ小さくすること、解除方向が左回りか右回りかをちゃんと判断すること、その際は力を入れゆっくり解除することなどである。特に逆αーloopといわれる捻れになっている時は左捻りに解除しなければならないが、右捻りよりやりにくいので気を遣う。「こんな感じ」と私がやってみせると、東洋Dr「お、麻雀ですごく高い手をツモった時に上がり牌を卓に叩きつける要領ですね」との反応で「そう!リーチ一発ツモタンピン三色ドラいっちょの倍満クラス」と私も悪ノリした(⌒о⌒)。
で、しばらくは内視鏡室でたつやましたDrといて、「では私はそろそろ。その前に東洋Drの捻転解除をちょこっと見てからにします」と彼は出て行った。しばらくし、私は病棟への指示出しをしていたのだが、レントゲン室から福緑Nsがやって来た。「先生、捻転解除どころか下行結腸へも進んでいきませんよ」ということは、私に代わって欲しいという合図だ。やれやれ仕方ないなとレントゲン室に向かってみると、なんと大腸内視鏡をしていたのは東洋DrではなくたつやましたDrだった。ちょいと見るつもりが交代して「私がー」になったようだ。
すると、ウ〇コまみれの大腸管腔をどうにか進み、下行結腸を過ぎて脾弯曲に到達できた。これなら解除は出来そう・・が、やはり逆αーloopの解除に失敗した。私も放射線防護服を着て室内に入りたつやましたDrの手技を見守った。10分ほどでまた脾弯曲に届いたので、今度は解除を失敗しないように「そう、そこまで引いて・・左に捻る・・」と声を掛け続けた。で、どうにか上手く解除出来たように見えたがするりと抜けたようにも見え、確認のためまた深部挿入をしてもらった。すると3度目は間違いなく捻転は解除出来たと確認出来た。ふーー。私の手を煩わさずに完遂出来たよ。やったね、たっつん。↓上が逆αーloop状態のスコープ、中が捻転解除直前のスコープ、下が完全に解除され脾弯曲まで直線化された大腸。こんなにも短縮化される。
「S状結腸捻転、初めて解除しました。ありがとうございました」とたつやましたDrに感謝された。私も自分がしなくて良かったと思った。後輩Drが自力で出来たことで、また次につながるんだよー。よしよし。
昨日は久々に財布を買いに山形屋へ出かけた。愛用の財布が見るからにへたっていたからだ。で、ブランドよりも今のと同じような使い勝手のいい財布に決めたはいいが、色が黒と茶と深緑があって少し迷った。カールは「緑がいいんじゃない」という。今使っているのは黒でこんな時はカールの意見を尊重した方がたいてい結果はよい。帰宅し前の財布の中のカードやお札を入れ替えようとして、ふと気がついた。
「あれ!この財布も深緑じゃん」↓上段が新規の深緑色の財布、中段の右のへたった財布が黒に見える、下段が裏側で両者同じ色だった。写真では分かりづらいが古財布は黒色とばかり思っていた。
古い財布の表は変色して黒色になっていたが、実はは深い緑色だったのだ。思い出した。前回も緑色の財布を同じ山形屋で買ったのだったわー。色もデザインもほぼいっしょ。違うのはブランドだけ。違うのを買ったつもりでも好みって変わらないものなんだな。
夜はオマルさんさんとまた囲碁の対戦。序盤に定石ハズレを打たれるも上手く咎められずに結局負けてしまった。これで2連敗。接近戦になるとやはり強い。
帰宅すると「枇杷、いっぱい食べて」と出されていて、ならばと皮を剥き剥き30個以上は食べた。↓のような熟れた枇杷の枝が5、6本はあった。
食べた後の写真も撮ったが、これはあまりきれいでなかったので掲載は割愛しやす。うー、お腹いっぱい。沖縄が本土復帰して今日で丸50年になった。NHK始めマスコミも沖縄特集が多くあり、 今日も記念式典の放送があった。50年前は沖縄は雨で今日も雨だった。5月半ばの沖縄は梅雨の時期だからそれも当然だろう。そして鹿児島は50年前は晴れで今日も晴れだった。私は50年前の今日を覚えている。月曜日で中学校の全体朝礼があり、当時の松崎校長が「今日、沖縄が本土に復帰しました」とマイクの前で語ったのだった。そこで本当にそうだったのか、当時の日記を読み返してみた。画像が↓だが汚い字なので下に書きだしてみる。
「今日は沖縄復帰の日でした。朝礼でも、校長先生から復帰するまでの苦労などの話しがありました。経済的、また教育文化のおくれ、基地など多くの問題が残されていますが、なによりも沖縄が約30年ぶりに日本にもどってきたことはうれしいことだと思いました。」
担任のジスイズエー先生は「30年ぶり日本に・・」のところに赤線を引いているが、今の私なら「経済的、また教育文化のおくれ、基地など多くの問題」のところに線を引くだろう。なんと50年経っても沖縄の問題の本質はほとんど変わっていないのだ。驚いたな。その後、まさか沖縄の女性と結婚するなんて思いもしなかったが、わざわざ日記にしっかり記録してあるところを見ると、何かしら運命的なものを感じた。
次の50年後の記念式典まで、おそらく私は生きてはいないが、沖縄の抱える問題が100年前とはずいぶん違っていることを願いたい。
庭の枇杷が小さいながらも大量に成っている。例年はもっと粒が大きいが、間引きを1回しかしなかったせいだ。それはともかく、今日は土曜日、できるだけ摘み取っておこう。今日明日あたり摘まないと熟しすぎて一部変色しているのもあるしー。
NHK朝ドラの「ちむどんどん」には沖縄料理が毎回出てくる。それらはこてる家でもよく出てくる。ゴーヤーチャンプルーは当然でこの前も日記ネタにした沖縄そばのほか、しま豆腐、豚の三枚肉、そして一般にはあまり食べられないイカ墨ジューシー(ジューシーとは雑炊の沖縄なまり)なども出てきた。
今週のテーマは「フーチャンプルーの涙」で借金や兄の金銭詐欺被害などで貧乏のどん底にあった主人公の比嘉家で出てくるのが「フーチャンプルー」だ。わずか一皿に盛られたチャンプルーが家族4人分、ご飯もないというひどさだ。ただアップの画面だといかにも美味しそう。
ところで、沖縄ではゴーヤーチャンプルーとフーチャンプルーは人気を二分するほどらしい(ちなみに仲間由紀恵はゴーヤー派、主人公の黒島結菜はフー派らしい)のだが、カールに言わせると「うちではフーチャンプルーは出なかったから私も今まで作ったことがない」とのこと。そこで「今夜はフーチャンプルーにする」と言う。「フー」とは「麩(ふ)」のことで沖縄麩を水で戻してから卵とだし汁でとじて炒めた野菜と合わせる料理らしい。沖縄麩は穴のある筒状のものが特徴(車麩)で最近では鹿児島でも売っているとかで、カールが今日買ってきていた。
初めて作るとあって、カールは麩に染みこませる卵の加減に気を遣ったそう。そして出てきた初めてのフーチャンプルー。↓私一人分だけど比嘉家全部より多いくらい。食べてみて、違和感なく美味しく食べられた。野菜のシャキシャキした感触に柔らかい卵味のフーでゴーヤーチャンプルーとはまた違った味わいがあり、私はこっちも好きになりそうだ。チャンプルーにはソーミン(素麺)チャンプルーもありバリエーションがまた増えたわい。