思えば自分は深夜ラジオにハマるタイプじゃなかったのだろう。大学生の頃、土曜深夜の鶴光のエロトークをたまに聴いて笑ったりしたことはあったがー。しかし同世代の東京の高校生だった秋元康は熱心に聴いていて、自ら平家物語をパロディにした作品を作りそれを送ったところ亀渕氏の目にとまり、それ以降番組の構成に参加するようになった。そこが彼の放送作家、作詞家としての始まりになった。
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
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2021年5月2日日曜日
アナザーストーリーズ「オールナイトニッポン」
4連休の最初の日だった。ただせっかく休みが続いても旅行とか人出の多い場所に出かける予定はない。いつものビデオ録画消費と来週にまた朝礼スピーチが控えているのでその準備もしなくてはならない。結局は自宅での巣ごもりってことだ。
フェイバリット番組であるNHKBS「アナザーストーリーズ」は2年も前に放送(2019/9/17)された「オールナイトニッポン」の特集を見た。「オールナイトニッポン」は若者向け深夜番組で知らない人はいないと言ってもいいだろう。1967年(昭和42年)に始まり今も続いている。放送開始しばらく経って局アナだった亀渕昭信氏がメインパーソナリティを務めるようになり、それまでの曲放送中心だった深夜番組が若者たちのリクエストハガキに応える形でその熱気を受け止めていた。その頃は私は小学生だったので無論聴いたこともなかった。中学生の頃、先輩たちが深夜放送のことであれこれ話題にしていたのは知っていたが、やはり聴くことはなかった。
思えば自分は深夜ラジオにハマるタイプじゃなかったのだろう。大学生の頃、土曜深夜の鶴光のエロトークをたまに聴いて笑ったりしたことはあったがー。しかし同世代の東京の高校生だった秋元康は熱心に聴いていて、自ら平家物語をパロディにした作品を作りそれを送ったところ亀渕氏の目にとまり、それ以降番組の構成に参加するようになった。そこが彼の放送作家、作詞家としての始まりになった。
ビートたけしは1980年代の丸10年パーソナリティを務め、自身が好きなこと、身の回りに起こったバカ話をしゃべるという斬新なスタイルを始めた。言葉通り、野球や相撲、映画に小説といった彼の個人的な関心事についてトークを展開していった。そうやって批評していくうちに、「自分がやったらどうなるんだろう」と好奇心が生まれてきて、それが後の映画の北野武作品につながっていったそうだ。番組はリスナーだけでなくパーソナリティの側も成長させたってことか。
他にわずかに聴いた中では中島みゆきがあの根暗な作詞とは違いキャハハーと笑い飛ばすキャラだったのが意外だったりが印象に残っている。現在のパーソナリティは菅田将暉、星野源、乃木坂46、ナインティナイン、霜降り明星といずれも超有名クラスの連中だ。私が最後に聴いたのはAKBの連中がやっている数年前で、今ではそれは乃木坂に取って代わられている。ふう、AKBの落日をここでも思い知ったナァ・・。
思えば自分は深夜ラジオにハマるタイプじゃなかったのだろう。大学生の頃、土曜深夜の鶴光のエロトークをたまに聴いて笑ったりしたことはあったがー。しかし同世代の東京の高校生だった秋元康は熱心に聴いていて、自ら平家物語をパロディにした作品を作りそれを送ったところ亀渕氏の目にとまり、それ以降番組の構成に参加するようになった。そこが彼の放送作家、作詞家としての始まりになった。
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