2016年8月31日水曜日

8月最終日だから

カールはまたもや映画鑑賞に失敗した。今日は水曜日、女性デーということでアミュに出かけたが、夏休み最後の日でもあり、この前よりも多くの人がチケット売り場に並んでいて早々にあきらめたそうだ。ははー、三度目の正直がなるかなー。

8月末日とあらばトイレの月めくりカレンダーがお終いで、それを私は写真に撮った。なんでかというと写っている子猫があまりにも可愛いからだ。うちのゲンちゃんも「一番可愛いネー」と言ってるいるが、それはやはり身内の可愛さであってカレンダーに選ばれるくらいの猫の可愛さには及ばないな。



午後はまさかとは思ったが今月4人目の大腸憩室出血患者が来た。これまでいくら多くても3人までだった。一番のキモである出血源確認ができてほっとした。EBL(結紮バンド)法でがっちり止血してやったぜ。しっかし、昨年12月から9ヶ月で25例目、この調子ならまとめて症例報告が出来そうだわ。

夜はT-MAXでボウリング練習。ダブルスではタナカッツMRと組んで難ガター、アンドキサ組に2連敗。またもやジュースをおごる羽目になった。オイルが少し削れ気味でマイボールのマスターマインドアインシュタインがレーンに合わない。アンドキサMRはおニューのブラックウィドーダークレジェンドが調子いい。ここぞというときストライクが出る。ううむ、私のも買って1年、そろそろおニューを買う時期かなぁ・・。

帰宅すると、つい昨日申し込んだばかりの「九州観光周遊ドライブパス」をキャンセルすべきかという話しになった。「熊本でまた地震があって高速道路一部区間閉鎖だって」とカール。明日から3日間申し込みしているので止める今日までだ。自然災害は分からない。どうしても福岡に行かねばならないわけでもないのでキャンセルすることにした。元は言えば熊本地震で観光客の落ち込んだ九州を元気にしようというキャンペーンの一策、地震によってそれがまたおじゃんになった。

そして翌朝、「台風も来るんだって」と聞き、キャンセルは正解だったと思っていたのだが・・。

2016年8月30日火曜日

Bluetoothイヤホン

ふと、イヤフォンでワイヤレス製品を購入しようと思い立った。Bluetooth機能を使いスマホとつながり音楽やYouTubeなどを聴く際にとても便利だと聞く。私はスマホは持っていないがMacBookProも当然Bluetoothが使えるのできっと役に立つだろう。

Googleで検索しamazonで人気商品をチェックする。値段をみて商品評価を読みデザインが気に入れば決定だ。いろいろ見て2980円でいい感じのがあったのでそれに決めた。メーカー名は聞いたことがない。
意外にBluetoothイヤホンは日本の大手メーカーの名前が出てこない。マイクも内蔵されハンドレスで通話も出来る。運転中は便利だろう、しかし今はプリウス本体でハンドレス通話が出来るのでなくても困らないが・・。

夜、終末に福岡に行く予定があり、カールが「九州観光周遊ドライブパス」を利用すれば3日間で6500円で乗り放題になるから申し込もうと提案しネットで申し込んだ。熊本地震で九州への観光客が落ち込んだのでこんなサービスが提供されている。上手く利用すれば相当お得だ。福岡くらいまでなら1日往復でも何千円か得になる。へーえ、そんなのがあると聞いていたがカールはこういうのには目ざとい。今年12月18日までのサービスらしいからみんなも忘れず利用しよう。

2016年8月29日月曜日

ご愁傷様な1日

帰宅すると、カールが「もう、今日は全くツイていなかったわ!」と盛んにぼやいていた。

いったいどうしたの?と聞くと、まずは鹿児島中央駅のアミュプラザでの一件が大きかったという。本日はJQカードデイとかで映画が安くなるため「後妻業の女」を見ようとチケット売り場に並んでいた。いつもならさっさと購入出来て上映時間に間に合うはずが、親子連れが売り場いっぱいに並んでいてなかなか売り場までたどり着けないうちに30分経過して開始時間が来てしまった。今のシネマコンプレックスでは途中入場は出来ない。結局映画鑑賞をあきらめたんだって。家族連れは「君の名は。」というアニメを見るために並んでいたそうだ。カール曰く、「『後妻業の女』には並ぶ人はほとんどいなかったはずだから別に受け付けてくれても良かったのにー」そう係員にも言ってみたそうだが「次の放映も午後にありますので」と言われたとか。「午後は午後で別の用事が入っていたの。ネットでチケット購入という手もあるけど30分も前に来ていたんだからどうにしかして欲しいもんだわ」と。

さらに悲劇は続く。その午後の用事とやらに出かけようとしたらマイカーのポロがうんともすんとも言わない。バッテリー切れを起こしていたのだった。近隣の人にコードつないでエンジン始動を頼もうとも思ったが伊敷台のこの通りはほとんどがプリウスやアクア、フィットなどHV車が多くそれらはバッテリーが特殊でその手は使えないのだった。車の保険会社に電話しやっとエンジン始動でき販売所まで走らせバッテリー交換となった。そこで時間を食ってしまい用事はキャンセル、何と午前、午後とも予定が何も出来ない羽目に。「こんなことってある?もうー」

でも一つだけ良かったのは、バッテリーが前回交換から2年以内ということで無料で交換してくれたこと。「まあ、それは良かったけど結局今日1日何も出来なかった。ぷんぷん😾」

まあ、そんな日もあるさ。ご愁傷様!

2016年8月28日日曜日

画像転送システム

今日の日曜は昼間だけの日直だった。それほど忙しいわけではなかったが2件、脳外科と外科のDrに患者を相談した。脳外科患者は頭部CTで右側の硬膜下血腫と分かりポンシンDrに画像転送をした。電話がかかってきて「確かに血腫で手術が必要、今日の午後にスタッフ集めて血腫除去術をします」とのことだった。

昼過ぎに来た90才代の超高齢患者は胸部CTを撮ると右側に自然気胸が起きていた。この患者、これで3度目の発症である。1月の時は緊急で胸腔穿刺し脱気術を外科Drが行っていた。で、これも信号Drに画像転送した。実は外科はこれが初めての画像転送だった。ついこの間外科Drらが病院から供給されたiPhoneを見せ、「今度、外科も画像の転送が出来るようになりました」と聞いていたからだ。この自然気胸、前回よりさほど大きな病変でなく脱気を急ぐべきか迷うところで、当初連絡を受けた信号Drは病院に来るつもりだったようだが、画像を見て脱気を急がなくてもよいと判断、とりあえず入院させ保存的に経過をみることになった。

いやー、少ないDrでやりくりしている現状ではオンコール体制の外科脳外のDrらの負担軽減に画像転送システムは役に立つ。今日はそれを改めて実感した日だった。

2016年8月27日土曜日

「チーム医療を知ろう」

朝は外来業務だったのだが、午前10過ぎから20分ほど高校生の職場体験学習のために大会議室で講話をした。タイトルは「チーム医療を知ろう 病院で働く人たち」だ。

生徒はカジキマグロ高校8名、鹿児島NO1高校6名、鹿児島純真高校13名の計27名でみんなというわけではないが医療系志望の人もいるということだった。そうか、ならあんましおふざけはいうわけにもいかないな・・。

病院と医院、クリニック、診療所との違いから始まり、青雲会病院は救急病院であるとの説明から始まり(そこに救急外来で救急患者3名が同時に運ばれている写真を1枚挿入したのは私ならではだった)、次に一番大事なチーム医療をまとめたスライドを出した。
そしてまずは医師から始まり私の胃カメラ実施写真は少しコミカルでまずは受けた。

ついで看護師さんの働きっぷりを紹介したが結果からいうとこれが一番受けた。もらったスライドに「医師の指示の下、診療の補助を行い、24時間体制で患者さんを見守っています」とあったので、ならば深夜も起きて働いている様子をと深夜2時過ぎにナースステーションで一人記録にいそしむ看護師の中卓君の動画を出したからだ。これ、実はこてる日記にも出したことがある(2015/9/1「病院のカイダン」参照)。これで笑わなかったら私の講話は大失敗だったろうね。このあと同じパターンのウークノダ看護師のも出してダメを押した。もっとも外来副師長のずっしりさんは必死の形相で心臓マッサージ(胸骨圧迫)をする自らの写真に大受けだったとか。

後はいかに一人の患者さんに多くの職業の人たちが協力しあい関わっているかを縷々説明していった。この辺、既存スライドは有難い。最後に既存スライドは「皆さんが、何か世の中の人のために役に立つ仕事をしたいと思うのであれば ぜひ医療職を選択することを願います」とまとめてあった。しかし、ここは持論を交えて少し否定するような話しをした。世のため人のためといった積極的な気持ちを持っていない人でも医療職に入って来ても大丈夫、実際この私がそうで青雲会病院に入ってからそのような気持ちになったのだから、と。

ちょうど予定の20分で終わり、生徒ら全体の受けはぱらぱらの拍手でいつもの職員朝礼とはちがうなぁ、やっぱりきちんと準備してスピーチの練習もすべきだったなーと少々後悔して引き上げた。会議室のうしろでは体験会の世話係の看護師連中が座っていて「お疲れさまー」とねぎらってくれ、さらに「センセ、なんで(いつもの)ボウリングを出さなかったの?」と聞いてきた。「いや、まじめな話しをしなくちゃいけなかったしさー」「いやー、やったらよかったー、あれが出ると思って期待していたのに〜」ううむ、拍手ぱらぱらはそれが原因だったか・・・。

(それから数日後、生徒らの感想文をもらった。まあ通り一遍の内容で予想以上のものではなかったのだが・・理事長や院長から「こてる先生の話しが特に良かったそうだ」という評価で驚いた。まじめな中にもテキトーな笑いもあったからか。意外な高評価にとまどうのであった)

2016年8月26日金曜日

勝利ミスミス逃す

相変わらず消化管出血の患者がやって来る。今月3度目の大腸憩室出血はすでに出血は止まっていたが上行結腸の憩室の底にきれいに露出血管を確認でき例によってEBLで止めた。7月の発表の時に内心そろそろ下火になるだろうと思っていたのだが予想は外れた。もう一人は20代の若い女性が下血したと大騒ぎし受診し、これは浣腸のみで診てみると、あれま一滴の血も管腔にはない。切れ痔だった。普通なら少し恥ずかしがるところだが、もっとひどい病気を思っていたのか大いにほっとし喜んでいた。よかったネ。

夜は串木野トリオリーグで、今日は海広しDrが休みでピンチヒッターにタシケントMRが久々参加した。彼はこのところ全く練習しておらず不安いっぱいだったようで、やっぱり不安的中し124、118とローゲームを叩いた。しかし3ゲーム目は練習(?)が終わったか181と面目を施した。私も3ゲーム目に203と8月のこのコンディションでようやく200アップした。

ところで1ゲーム目、ハイフレーム方式ならではの場面があった。みんなの投球が終わり私もスペアして最後の1投という時、ストライク以外ならいいと状況になった。9本でもいいしガターでもいい、でもストライクだけはダメ、そんな変な話しがあるかと思うだろうがあるのだ。で、それまでそのレーンでは1回もストライクを取っていないしと安心して投げたらなんと見事ストライク!3人ハイフレの得点が227になった。この時点で対戦相手のスコアは不明。おそるおそる調べるとリーグ最強で前回も優勝のファイターズは228。がーん!だ。もし私がガターでもいいから出しておけば得点は229で勝っていたのだ。そうすればボーナスポイントが20ピン加算されていた。

これは9フレにストライクが出ていたため10フレ1投目はストライクが出ればダブルになり点数がアップする。ストライク出したサキシゲさんが次ぎスペアを取っていれば問題なかったがミスっていた。彼の10フレの倒したピン数は16ピン、スペアそしてストライクの私は20ピンだからこのフレームは私のが選ばれる。でもサキシゲさんの方が選ばれたほうが9フレとの関連でダブルになりスコアはよくなっていた。こういう時アンカーの私はわざとミスするのがチームプレイなんだ。ファイターズに勝つチャンスだったのに・・。結局2ゲーム目278、3ゲーム目289と調子取り戻され勝つことなく終わった。どうしてもピンを倒そう、倒したいという本能的なものが勝(まさ)ってしまうのよ、ああ、バカな私。

2016年8月25日木曜日

付け足しスライド

夜はT-MAXで練習。今日は久々にLSD薬品のエナガキMRが参加した。聞けば父親が脳梗塞を起こし毎週熊本まで帰って世話をしているという。彼も50才代なので両親は高齢、そんな時期に来ている。で、2ヶ月ぶりのボウリングはというとなぜか調子がよく彼とヤマヒロ相手のダブルス戦では連敗を喫した。コントロールがよかったネ。

明後日の土曜日に青雲会病院で職場体験学習が開かれ、高校生27名が来るとのこと。そこで私に「チーム医療」について講演してほしいと頼まれていた。毎年シマッチ院長がしていて去年は私が頼まれたがその日勤務ではなかったので断っていて今年はその理由も使えず(?)やる羽目になった。で、去年までのスライドを総務にもらうことが出来たのでそれを使えばいいやと気楽に構えていた。一言で言えば病院にはいろいろな職種がありそれぞれが協力し合って患者の治療に当たっていることの説明だ。そのまま流用してもいいがやや面白みに欠ける、これにいくつか画像や動画を付け加えよう。私には職場がらみの写真などいーっぱいあるんでね。

おや?もらったスライドはPowerPointで作成されている。これに動画など当てはめようとするとちょっと手間がかかる。ということでいつものMac専用のプレゼンソフトKeyNoteに読み込ませてみた。あらら簡単。これならいつもの手順で作れる。医師の働く姿に私が胃カメラしている写真、看護師が点滴している姿に5Fの有衣Ns、さらに心臓マッサージをしているズッシリNsなど混ぜていった。ふふふ、そうだ、深夜業務の看護師を私が驚かした動画もいいかも。不意に訪れた私に驚くシーンで以前日記にも載せたことがある。

などなど・・少しにやつきながら最近手慣れたスライド作りにいそしむのであった。

2016年8月24日水曜日

山ンバDr通夜

18時からの山ンバDr通夜はしめやかに行われ、参列者は医師や息子さんのお猿高の同級生などが多かった。山ンバDrの沖縄出身の兄と姉が来ていた。両親もまだいるらしいがおそらく高齢で来られる状況ではなかったのだろう。

仲間内のDrの通夜とあって知り合いのDrと久しぶりに会えたもののみんな早すぎて意外な急逝に沈痛な面持ちだった。内視鏡グループ以外のDrでは学生時代同期もいてその中のよじげんDrは私の沖縄出張時代の部下で「山ンバDrとはダチでして」とよく聞いていた。その彼がやや遅れて斎場に来て遺影を見つめさらに遺体と対面すると頭を垂れ涙していた。「本当に死んでいた。連絡受けてもなんだか信じられない感覚で・・きつい」と。

ふと、すぐ近くにいたDrが「先生、お久しぶりです。ニシケイですが覚えていらっしゃいますか」と尋ねた。うん?見たことある。「医学部1年の時ちょこっとだけバスケ部にいたんですが」と言われればすぐに分かった。顔もあんまし変わっていない。「ああ、熊高(くまたか=熊本高)出身のニシタカ君だろ。夏休みの西医体が熊本であって熊高の体育館を練習に使わせてもらうときに君にお世話になったよな」ちょうど私がキャップテンの時だった。へーえ、もう30年以上も前だが一瞬であの時に戻れた。名刺もらうも姓が変わっている。「あ、そうですが、近くまたニシケイに戻ります」とのこと、人それぞれ事情がある、それ以上つっこみはしなかった。

内視鏡グループではガッチャンDr、2内関係では反省会病院の坂和Drと久しぶりに会った。で、献花の送り主を眺めていると2内や出水郡の医療関係者の他にお猿高バスケ部OBのものもあった。息子さんがらみだろう。もしかすると山ンバDr自身もバスケ部だったのかな?だとしたら私と同い年だから中学生時代よく試合をしていたことになる。当時光頭中の川中監督はお猿出身ということもありお猿学園にはよく行っていた。お猿の好三監督は引退したはずだがご健在だろうか。医学部時代もお猿高との練習試合があり何かと縁があった。(後日ネットで調べるとくも膜下出血を患うもご健在とのこと、何よりである)

通夜の席は自分のこれまでの人生を振り返る場でもあった・・。

2016年8月23日火曜日

山ンバDrの死

昨日の大腸憩室出血は再度大腸内視鏡実施しどうにか出血源を見つけEBL(内視鏡的バンド結紮術)で治療出来た。どうもこの憩室出血患者の多さは収まる気配がない。数こなせば手慣れても来て最近の私の仕事の研究テーマにすらなっている。

そんな折り、秋にある鹿児島某民放TVの健康番組に青雲会病院へ取材、撮影があるそうだ。ラブカメDrがとりもつ縁でその中に内視鏡もあるらしい。で、検査体験に来るかもしれないが受け入れてくれるかと先生に頼まれそんなの即答で承知した。もしかすると私もTVに映るかもな。ふふ、カモーン!

1週間前の日記にも速報で書いたとおり、大学内視鏡室グループの仲間だった山ンバDrが急死したとの知らせを聞き仰天した。私と同じ年でかつて同じ団地に住み子どもらもうちと同じ男3人で同じ小学校に通っていた。ただ、なぜか6人とも学年がみんな違いPTAなどでいっしょに活動することはなかった。
一番関わったのは彼の開業についてで私が仲介した。開業前日、出水の高尾野にある彼のクリニックを訪問したところ、まだ大片付けの最中で何も彼に限らず新規開業はこんなにもバタバタするもんだと知ったものだ。その後順調にいっていたと風の便りに聞いていたのだが・・。亡くなったのは月曜の朝で鹿児島の妻と電話で話をしたばかりだったそうだ。しかし仕事に出てこないので職員が不審に思って部屋まで訪れたら倒れていたと聞く。救急で出水の病院に運ばれるも助からなかった。はっきりした死因は知らないが心血管系が原因だろう。

彼で思い出すのは14年前の2002年の内視鏡グループの忘年会でのこと、例によってカメラ撮影していた私は茶髪でジャニーズ系のなり損ないのような参加者を見て「あの若者は誰?」と近くにいたDrに尋ねた。それがまさか久しぶりに会う山ンバDrとはそう指摘されても「え?うそだろう」と信じられなかった。近くで確かめて面影があるのに気付き驚いたのだった。20kgぐらい減量したとのことでそれに茶髪に染めればそりゃ分からないわ!
↓の写真がそれで隣の同期のオールバックのかちかち山Drといい全くドクターらしくないツーショットだったヨ。

その日の写真をぱらぱらめくると忘年会から帰ってきた私がまだ幼稚園年長のチッチを高い高いしている写真があった。
うわ〜、ちっこくてかわいいねえ。チッチも今年二十歳ですっかり大人びているけれど、こんな子どもの写真を見たらまだまだ私は死ねないとしみじみと思う。山ンバDrよ、無念!

2016年8月22日月曜日

81.2kg

オリンピックも終わりいつもの日常生活に戻った・・かと思いきや身体はまだそのモードのようで昼間が眠い、眠い。午前から昼にかけては気管挿管の患者が2名いたりまた大腸憩室出血の患者がいたりでバタバタも、昼過ぎは少しヒマで医局の机でうつぶせ寝すること2時間。こんなに寝ていた(眠ることが出来た)のは超珍しい。食後寝ると太るとはよく言われるが、帰宅後体重を計るとな、なんと81.2kg!この10年で最高体重になっていた。食う、見る、寝るが続いたせいじゃーぁ。

実はこの1週間は禁間食ダイエットをきちんと守っていた。それでも体重が減らないこの現実。年なのかなあ。「だから身体に気をつけてよ」とカールに口癖のように言われる。いいや、まだまだと思いたいが、この時すでに同い年で同じ内視鏡グループの山ンバDrが急死していたとは全く思いもしなかったのだった・・。

2016年8月21日日曜日

サッカー、ボウリング、高校野球

未明はオリンピックサッカーのブラジル対ドイツは開始前にもう眠くてダウンした。で、起きてきたら1対1延長で結局決着つかずPK戦になった。すごいプレッシャーだろうね。キックはブラジルの方が確実でドイツ選手はキーパーに結構コースを読まれていた。4−4で5人目ドイツ選手が阻まれ残るキックをブラジルのネイマールが確実に決めた。これだけのサッカー王国でオリンピックは初優勝!選手やブラジル国民喜び爆発だったがその前にネイマールは泣きそうな顔が先でほっとしたというのが本音じゃないかな。負けていたらネイマールなんか国に一度もタイトルをもたらさなかったとして本物のヒーローにはなれない運命を背負うことになっただろう。良かったネ。
↓決めた直後のネイマール。絶対泣いているやろ。重圧の大きさがよーく分かる。

午前はT-MAXでの歯科医師会月例ボウリング大会に参加した。先々月参加したときは準優勝で今回は優勝もと目論んでいた・・が、記憶にないくらいの惨敗を喫した。前半3ゲームでは左端のレーンで投げにくさもありイージーミスもあってアベ170くらいだった。レーン移動した後半はもう中央付近のオイルがからからで少しでも中にボールが入るとコントロール不能でストライクが全く出ない、おまけに5ゲーム目なんてヘッドピンに当てるのも困難で6回もノーヘッド投球をし125点と目を被わんばかり。結局6ゲーム945ハンディ1ピンの951ピン7位の体たらくだった。このレンコンではいつもよりスコアはみんな低く優勝はエノキング先生、ハンディ6ピンで1098ピンだった。

ううむ、T-MAXは確か張り紙にマイボウラーのために休日の朝はきちんとレンコンを整備してますって書いてあったんだがなあ。↓あった。
ウソやん!きちんとオイル入れて整備しろよっ!

昼の1時になって高校野球決勝が始まらないから今日は雨天順延か?と思っていたら2時からの開始だった。作新学院対北海でこれはもうピッチャー、打線ともに作新断然有利とみていた。オリンピックとボウリング疲れの身にはずっと起きて試合を見続けることは出来ずうつらうつらのまま終盤になっていて7−1で結局作新が優勝した。優勝は2度目で最初のはみんなの記憶にある江川投手の時ではない。昭和37年の史上初の春夏連続優勝の時だった。実はこの時はエースの八木沢荘六(早大、ロッテ)が大会前に赤痢菌が検出され登板できず控えの加藤斌が投げなんと優勝、しかも春夏というおまけつきで高校野球ファンにはおなじみのエピソードである。ただ、加藤はのち中日に入るがわずか2年活動したただけで交通事故で帰らぬ人となったのも抑えておくべきエピソードだった。

2016年8月20日土曜日

男子400mリレー&フェアリージャパンと畠山愛理

今日は長島のクリニックで大腸内視鏡を頼まれていて、昼過ぎまでに8人の患者を検査しなくてはならず、さすがに夜明けや朝方にオリンピック放送を見る余裕はなく午前中を過ごした。だから男子400mリレーは結果を知ってから映像を見た。いやー、予選の結果から銅メダルくらいは取れるかもと期待していたが堂々の銀メダルは素晴らしい!アメリカが違反しなくても日本の方が速かったし、アンカーのバトンをケンブリッジ飛鳥が受け取ったのはジャマイカよりもわずかに速かった。ボルトがいなけりゃあわや金も・・いやいやそれはおこがましいか。バトンの受け渡しが上手いとか言われているがまずは個人個人の走力が上がっての成果だ。それにアメリカなどリレーを真剣にやろうという意識が低くみんな速いからリレーも速いはずってバトンの練習もしてないんだろう。陸上トラックで銀メダルなんて日本と縁のない場所と思っていた。この調子で頑張ってくれたら東京オリンピックも期待しちゃうな。

今日の種目では女子新体操フェアリージャパンが良かった。リボン4本投げってアクロバティックで見ていてウオーっとなる。それにオリンピックの他の競技と違って選手のスタイルが抜群にイイね。この競技そのものが見た目重視でまずはスタイルが良くないとトップ級には選ばれない。ずっと以前、ロシアでの特集を見たときに強化選手を選ぶ際、その母は言うに及ばず祖母の体格まで調べて選ぶといっていた。その選手のスタイルが良くても先祖にデブがいたらはねられてしまうということ。その点で言えば私は遅ればせながら今回初めてジャパンのエース畠山愛理を知ったが、彼女なんかまさに天分に恵まれたといっていいだろう。身長170cmのスタイル抜群で顔の作りがたまご形で愛嬌も美しさもある。何も知らずパッと5人を見たときに真っ先に彼女に目が行く。AKBなら間違いなくセンターになれるタイプだ。↓右端が畠山愛理。
え、2015年のミス日本の特別賞ももらったって?そりゃそうかも、何の不思議もない。メダルは取れないだろうが見ていたい競技だね。
(↓あのさー、ミス日本グランプリより彼女の方が可愛くてスタイル良くない?)

2016年8月19日金曜日

還暦祝い、ムッちゃんうれし泣き

青雲会の内視鏡室の飲み会兼ムッちゃんNsの還暦祝い兼クニンダDr歓迎会が天文館は「八万松」であった。ここはブックリバーDrの行きつけで店の玄関上にはカニのモニュメントがあるにもかかわらず肉がメインの小料理屋だった。「カニは上等なのが入ったときだけ出すそうで何度も来ている私も一度も食べたことがない」という。(↓これでカニは出ないって変ちゃう?)
メインの豚や牛は塩胡椒で味付けされ焼いて食べる。うん、タレなしでも十分に旨い。飲み放題にしたのでシホねえNsは喜んでビールをおかわりしていた。私はコップ2杯で限界、それ以降はソフトドリンクしか飲まなかった。クニンダDrはビールはそこそこ飲めるようでやっぱりこの中では私が一番お酒に弱いか。

さて、メインのバースデーケーキが登場すると、全く予想外だったとみえてムッちゃんは顔を手で被い感極まっていた。そこに私からのプレゼントを渡されると涙目で開けて淡いブルーのスカーフを取りだした。そこでまた感激アップしさっそく首に巻いていた。へーえ、そこまで感激してくれるとは。もっと泣け泣けー!(⌒о⌒)

一次会のあとはカラオケボックスに行った。で、トップはいきなり私だ。どんだけカラオケ好きなのということではない。逆に歌わない方なのでどうせ歌わされるなら最初に歌ってあとはゆっくりしたいわけ。前もそうしたな。今回はこの間も歌わされたぴんからトリオの「女のみち」をまた歌った。この前上手く歌えなかったのでリベンジだ。実は午前中内視鏡の合間に鼻歌歌っていたら看護師連中が「こてる先生が今晩カラオケにえらく気合いが入っている」とこそこそ噂していたようだ。ううむ、持ち歌なのに上手く歌えないので練習していたんだよ。でもまた息切れしてきれいに歌えなかった。ちきしょー、40年来ちっとも上手くならない。鬼門だ、「女のみち」は。

↓は300万枚以上売れた空前の大ヒットのジャケット写真。手前の二人は音楽関係者かと思っていたがぴんからトリオとは全く無関係の人たちなんだそうだ。Why?急に決まったレコード発売のせいで日本コロムビアが写真を急いで送れと連絡したのでスナップショットを送ったらジャケット写真になってしまい本人たちが一番驚いたとか。会社もまさか当時の日本レコード史上最大ヒットになるとは思わないから「これでええやろいっちょ上がり」だったんだろうねえ。この下でグラス持っている無関係二人のエピソードなど誰か知らないかなあ、興味あるんだが・・。↓動画は「ぴんから兄弟」このころは作曲の並木ひろしが脱退し「トリオ」ではなくなっていた。

私のあとはまったく歌が途切れることなく続き、2時間を越え3時間たっぷりそこで過ごした。仕事とオリンピック疲れの私は30分くらい仮眠していた。おかげで帰宅してからこてる日記を書く元気がかろうじて残っていた。あのあと姶良に戻ったシホねえNsや湖西種実Nsらは三次会まで出かけたんやろか。後で聞くと、いつもならそのはずが行きつけの店が閉まっていて二日酔いは避けられたってさ。すごいねえ相変わらず・・。

2016年8月18日木曜日

登坂絵莉母はヒトミンチョのお知り合い

女子レスリングは1日で3つの階級が一気に実施され一番手の48kg級の登坂絵莉が決勝で残り10秒あまりから逆転のポイントを取り優勝した。実はずっと敗者復活戦をやっているものだから裏の男子サッカーをみていたらピポピポーンと速報が出て金メダル取ったと知り慌ててチャンネルを合わせた。登坂有利と言われていても実際はぎりぎりの攻防で負けた相手は前回も銀メダルで悔しさがありありだった。表彰台でもにこりともせず銀メダルを触りもしなかった。いやー、分かるねえその気持ち。

実は事前にヒトミンチョから「知り合いの子が金メダル候補でー」と聞いていてそれが登坂絵莉と知ったのはこの間のお盆の時だった。なんで富山の人を知っている?実はずっと昔、雑誌などでペンフレンド募集というのがあってそこに掲載されいろんな人から手紙がきてそのうちの一人が後に登坂絵莉の母となる女子だった。最近はメールでのやりとりだが、レスリングで娘が頑張っていると吉田沙保里とのツーショット写真なども届いていたとのこと。その登坂母の夫はグレコローマンの選手だった。面白いことに高岡第一高で田知本遥の父親とは同級生だったそうで同じクラスメート同士の娘がリオオリンピックで金メダルを取るとは奇遇やねえ。
その後伊調馨、土性沙羅と登場した選手全てが金を取った。いずれも後半のポイントでぎりぎり逆転の勝利でこれは登坂の作った「流れ」ともいえよう。ただ、伊調といえどもオリンピックではそうそう簡単に金は取れないわ。

ボウリング練習は久々国分スターレーンで。アンドキサMRがニューボールを依頼していて出来上がっているのでそれに付き合った。ところがー。「先生、ニューボールはドリルしたばかりなのにヒビが入っていて今別のニューボールをドリルしてもらっています」と言うではないか。そんなの聞いたことないぞ。不良品だったらしいがでもそのおかげで8月に出たばかりのブラックウィドーダークレジェンドというネットの安売りでも2万4千はするボールを2万円ちょっとで購入できた。これまで私のお古を使っていて自ら買うようになると一段と気合いが入り上手くなるというものだ。

ただまだ投げ方が硬くそんなにボールは曲がってくれなかった。ピンアクションはいい感じで今後に期待出来ると思う。私もマスターマインドアインシュタインがちょうど使って1年経った。まだまだ使えるがそろそろ新しいボールも気になるころだ。ううむ。

2016年8月17日水曜日

五山送り火

昨日8/16は京都五山送り火がNHKBSで生中継されていた。18時から3時間の中継で点火前には送り火の由来や点火する市井の人々のドキュメント、そして司会ゲストのトークなどが放送されていた。(↓送り火の配置。ゲストに樹木希林とは(‾□‾;)・・癌を患っている彼女、来年は送り火を見る側か見られる側か・・)

いつもは見ない番組だが、今年は同窓会メールで「同窓生の矢野君がどの時間帯かは分からないが番組に出る」との連絡がありビデオに録っておいた。矢野謙堂住職は相国寺派の教学部長というえらいお坊さんでこのブログにもたびたび登場する。で、見てみると、五山送り火の由来が室町時代の八代将軍足利義政が子の九代将軍義尚の死を嘆き菩提寺である相国寺鐘楼から真正面に見える東山に「大」の字を作らせ送り火としたというものでそれを示唆する文献もあると謙堂住職は語っていた。

なるほど説得力のある説だったが、現在のように継続して行われるようになったのは江戸時代前期ごろからとのことらしい。

番組ではカメラ30台ほどで完全中継と意気込んでいたのだが、いかんせん、この時期に派珍しい大雨で煙ってしまい。肝心の東山の大文字は全く見えなかった。左大文字、鳥居形はよく見えたけど・・。NHKも視聴者も残念だったろう。私も実際に見たことはないのでお盆の時期に京都に行くことがあったら一度でいいから絶対見よう。

そうだ、この番組のことで中学同窓生のシンタカさんからメールが届いた。「こんにちは。16日、BSで五山送り火という番組がありました。その中で、相国寺の教学部長、矢野謙堂という方が送り火の説明をされました。もしかして矢野くん?中学の時は、柔道のイメージしかないので。立派な僧侶になられて。」ハハ、まさにその通り。すぐにメールで3年前に同窓会であった写真を添付して返信してやった。「そうそう、この方でした。クラスが違ってので私のことは覚えていないでしょうけど一度お話を伺いたいものです」だって。矢野君やあんりまー君は私の友人でどちらも柔道部、そして例の武之橋乱闘にも参加していて当然指導補導大目玉を喰らった連中の仲間だったが、今じゃ人を諭すえらいお坊さんに小学校の校長先生だよ。一昨日も書いたように中学高校のちょっとした突っ張り事件くらいでお先真っ暗ってことはない。大人が広い心で見守ってやれば少年は立派に育つものなのだ。

2016年8月16日火曜日

ハイライトシーン抜かす

(実際にこれを書いているのは1週間後の8/23だ。帰宅のため運転中、長島のバタフジDrから電話が入り「山ンバDrが死んだって知っているか」と聞きビックリ仰天、「えっ!初耳。全く知らない」と答えるしかなく、通夜が今夜で明日が葬式と聞き、ちょうど斎場が近くの国道3号線沿いとのことで帰宅後すぐに駆けつけた。が、しかし。駐車場はがらんとし人の出入りは全くなかった。斎場に入ると「山ンバ家控え室」のお札が掛けられ、そこには通夜が明日8月24日18時からと書かれてあった。1日早かった。まあバタフジDrも混乱していたのかな。

山ンバDrは鹿大2内科内視鏡グループの同門で学年は後輩だが同い年、しかも現在開業しているYOU&Iクリニックは前医が引き継ぎを探しているのをバタフジDrに誰かいないかと頼まれ、私が山ンバDrを紹介したらうまくまとまった経緯があり、結構はやっていると聞いていた。最後に会ったのは昨年末の内視鏡グループ忘年会でだった。
まだまだこれからというのになぜに亡くなったのか今のところ全く情報はない。明日の新聞に死亡広告が出ると思われるが、明日のボウリング練習は中止にして通夜には行かねば・・)

さあて日記は8/16の前日、準備不足のまま朝礼スピーチに臨んだ。みんなより少し早く大会議室に入りセッティングし最後のネーム入れを行った。まだ未完成だったのだ。オリンピックの話題を写真と動画で披露する趣向で今の時期だからこそ許されるテーマだろう。内容は実はここ1週間こてる日記に書いたものとほぼ同じ。ここで書くまでもない。ただラストは私のボウリングシーン(先月の串木野チームパーフェクト達成瞬間)にした。今思えばこれは蛇足だった。あまり受けなかったのだ。せっかくのオリンピックのいいシーンを並べたのに私のもので完全に釣り合うはずもない。

さらに終わって気がついた。事前にメモ書きしていた名シーンの一つが抜けていたのだ。それは難民選手団の柔道選手の参ったを言わない場面でこれを抜かすなんて寝ぼけと慌てが原因だろう。地味なベトナムの射撃選手は受けたのでこれもぜひ紹介したかった。ううむ、オリンピックが深夜にあったから、同窓会が前日にあったから・・いや、事前にきちっと作っておける時間はあったのよ、すべて自分のせいさ。ハイ。

2016年8月15日月曜日

お盆は大忙し〜中学同窓会〜

14日夕方から天文館の南端に位置するパレスインホテルで光頭中昭和50年卒同窓会があった。カールに送ってもらい近くで降り「ありがと、じゃーねー」と手を振って別れたがこの時に重大なミスを私はしていた。離さず持っていたデジカメを車内に置き忘れていたのだ。気がついたのは会場の受付ですぐに携帯に電話したが気付いてくれず、久しぶりに会う同窓生らを撮りまくろうという目論みはおじゃんになった。電池切れもあろうかとポケットに予備も持って来たのに肝心の本体を忘れては何にもならない。ふう・・。

同窓会は4年ごとに開かれていて今回は40名ほど集まり徐々に少なくなってきているがそれでも他の同年代と比べれば多い方なんだそうだ。私のクラスは3年2組で6名参加は多い方だった。当時は8クラス、ゆうに300名を越えていたが今は各学年2クラスしかないという。市の中心地で生活人口が減りしかも柄が悪いと悪評が立ってそれなりの親は子を光頭中には進学させたくない思惑もあるようだ。その昔は地方から生徒が集まってくる憧れの中学だったのにー。

そうそう、今回集まった同窓生でまさかこの人と会えるとはと驚いたのが中学3年時に種子島から転校してきたヨウジョウ君だ。当時のアダ名もヨウジョウで転校前の中学名が由来だった。彼は勉強が出来て主席で卒業した。彼が来てから私は1番にはなれなかった(と思う)。たった1年しかいっしょでなかったけどすごく印象に残っていた。高校も違ったので、卒業以来会うのは初めての41年ぶりで、自己紹介しなければ彼とは全く気付かなかった。コナン高校に進学しそこも1番で卒業しQ大医学部に現役で行ったとも聞いていた。確かめると「1番じゃなくて2番だった」とのことだ。卒業後は精神科に入り福岡にずっといて50才前に故郷の種子島の精神科にも勤めたことがあり、今はまた太宰府に戻っているが、いずれまた種子島に戻る気があるとのことだ。二次会ではカラオケも歌いまじめで木訥というだけでない気さくなキャラもみえて楽しかった。

さらに驚いたのがワダカッツ君と出会えたことだ。彼とはバスケ部でいっしょ、しかし2年生の途中からいつの間にか辞めてしまってそれきり話しをすることもなく卒業以来一度も会ったことがなかった。聞けば、普通に就職、結婚し子どもも3人いたが42才にうつ病を発症してから歯車がくるった。半年も入院しその後もすぐに仕事に就けず離婚もした。その後バイトを繰り返し最近になってようやく薬を飲まなくても済むようになり防音設備の仕事で鹿児島と福岡を行き来する日々だという。「ところでこてるは何でバスケを2年の時に辞めたの?」と聞かれ「オレは辞めていないよ、辞めたのはそっちだろ」「ああ、勘違いしていた。いや、オレは右膝を傷めて走れなくなったんだ。結局成人してから手術を受けてね」ああ、そうだったのか。バスケ部のエース的存在だったのに何でとずっと思っていた。「そうそう、お前のお兄さんもバスケのコーチに来てくれたことがあったよな、お兄さん元気?」当時大学生だった彼の兄貴のことを尋ねると「いや、兄貴は大学生の時に交通事故で死んだ・・」とぽつり。「ええーっ」と絶句する私。しかし「いや、久しぶりに兄貴のことを思い出させてくれてありがとう」と言われ41年もの歳月を感じたのだった。

同窓生と話しをしているとご時世に漏れず離婚経験者が多い。3人に1人はそうだ。隣の席のサメブー君は別姓になっていて仕事も銀行員から商社マン、今は個人土建業の社長と変遷している。対面のほんとケ君は以前鴨池球場で出店販売でばったり会っていた。彼も離婚組だ。詳しく聞くと本業は鹿児島市内の学校給食の委託をやっていて毎日1万人食以上も作り配送する会社をやっているんだとか。規模の大きさにびっくりだ。みゆき園さんは歯科用コンピューターの会社に務めていて歯科医師連中をよく知っていた。私のボウリングの知り合いノゾえもん先生もよく知っていて結婚後も仕事ばりばりのキャリアウーマンだった。セトミーさんは主婦とのことだがよく聞けばうちのテルと中学がいっしょだった。姓が違っていたのでお互い全く知らなかった。ナンマ兄君は例の天誅中との武之橋乱闘事件の主役で新聞で番長と言われていたが今では神奈川でまっとうな会社員をやっている。スマホ画像で友人の一人が見せてくれ元気そうで何より、決して半端者の不良ではなかったと私たちは分かっていたよ。ショーイチ君は今は東京は銀座で親から引き継いだ薩摩料理店をやっているのは知っていた。一度彼の家に麻雀しに行ったことがあって「それって見せたまえといっしょだっただろう」と言われハッとした。見せたまえDrも中学の同窓生だったんだ。この前麻雀したばかりなのにこの同窓会のことを伝えていなかったよ。

二次会は恒例のカラオケスナックで。ここで持ちながらさんに「私さぁ、こてる君に歌って欲しい歌があるんだよねぇ」と言われ私は即「『女のみち』だろ」と答えた。「そう!中学校のときこてる君って教壇のところで『女のみち』を歌ってたよねー」はは、それって私の強烈なイメージらしくよくみんなに言われる。あの頃、あんなくさいド演歌を中学生が歌うギャップが自分でもおかしくてよく歌っていた。で、リクエストよろしく歌うことにした。モニターを見つめると、何と懐かしい宮史郎本人が出てきて演じていた。そこで一曲、「♪わたしぃがぁ〜ささげたーそのぉ人にぃ〜」すると本職カメラマンのミッタケ君がパチリと撮影していた。オッケーオッケー、自分はデジカメ忘れたからよろしくな。ただこの歌、最後の「♪これが女のみちならばぁ〜」のところが難しく声がつづきにくい。これはー今後のためにも練習しとかなきゃ。

12時になってお開き。私は帰宅することにしたがまだまだ三次会に行く連中も多かったようだ。帰宅して明日の朝礼スピーチのスライドを作らねばならない。で、リオオリンピックで感動した場面をネタに作り始めた。すると午前1時ちょうどだった。ほんとケ君から携帯に連絡があった。「あのさー、ショーイチがねえ、おしっこはしたいんだけど出ないんだって」なになに?「脇腹は痛がっていないか?」「痛くないって」そうか、尿管結石ではなさそうで57才男性ならば前立腺肥大による尿閉を一番疑わねば。ショーイチに直接代わってもらいどうしても出なければ夜間救急の病院に行って導尿カテーテルを入れてもらうしかないぞとアドバイスした。脂汗をかくくらいとのことで場合によっては救急車も考慮せよとも伝えた。いやはや、ショーイチと言えばキャラはとぼけているがよく騒動を起こすタイプなんだよ。30数年前甲突川にかかる五石橋の一つ高麗橋の欄干に車ごとつっこんで大破損させあわや川に転落かという事故を起こし、新聞に大きく取り上げられたことがあった。石橋撤去問題が取りざたされているころで撤去派が「だから撤去を」と息巻くきっかけにもなった。中学の頃は城山団地の坂をノーブレーキの自転車で下ったらどうなるか試したくて実際にやり車に衝突しぶっ飛びドブに突っ込む事故(事件)も起こした。まったくこの歳になっても世話がやけるヤツだぜぇ。

で、スライド作りは完成しないまま、私はテーブルと椅子の間でこっくりこっくり・・。結局、朝6時までよだれ垂らして寝ていたのだった。

2016年8月14日日曜日

お盆は大忙し〜トミーおばさん一周忌〜

お盆の中日で結構忙しい日だった。西本願寺でトミーおばさんの初盆、一周忌がありカールと参列した。家族葬だった1年前は10名ほどのごくささやかなものだったが今回は主に南九州市の親戚とハピロング家から40名ほど集まっていた。実は西本願寺に行くのは初めてで正門がどこにあるかも分からずぐるりと回って入った。(新町にある東本願寺ならそこの幼稚園出身ゆえ間違いようもなかったがー)境内はお盆ということで人が多かった。式はあっという間に終わり、近くの中原別荘でお食事会があった。ヒラーキ弟やあこネーサ母、ネキバーとブンコ叔母のほかカビラ家の面々は年輩者が多く、そして喪主であるハピロング家からは孫、ひ孫など若い人たちが多かった。

引き出物の中にトミーおばさんの次男てげてげ先生が寄稿した「浄土への母の旅立ち」という題の小冊子が入っていた。
簡単な挨拶文などと違って臨終のいきさつや生い立ちや思い出など10ページほどもあった。ぱらぱらとめくっていると何とこのブログも出てきた。トミーおばさんが亡くなった去年の8月18日に書いたもので「進学や結婚など節目節目で貴重なアドバイスを頂いたものだ」「トミーおばさんがいなければ今の「ドクターこてる」はなかったとだけは言えるのだ」の一文が紹介されていた。知っているあるいは全く知らないおばさんのエピソードが満載で非常に面白かった。「せっかちな性格は母譲りのようである」と触れている箇所があって、そういえばトミーおばさんは電話で用事が終わったらはいこれまでとさっさと切るのが常であった。思い出し笑いしたよ。

ハピロング家のお孫さんたちの中でてげてげ先生の息子のヘイシューDrが挨拶に来た。こどものころ見かけただけで会話するのは初めてである。「青雲会病院のクニンダDrから聞いてまして」と熊本の病院でいっしょだったという。そう、ついこの前クニンダDrからも聞いたばかりだった。「野性的な顔つきのDrですよ」と言われれば確かにそうかも。消化器内科とのことでまた話す機会があるかも。カビラのアキオ先生とは久しぶりに会ったが鹿児島市歯科医師会で私の大学時代の友人のダイスキ君と知り合いというのに驚いていた。いやはやいろいろつながりってあるもんでー。カビラの良き日で先生は私たちの出身地の頴娃大川ネタのクイズを出したりして場を盛り上げていた。その中でてげてげ先生が「こてる君の最近のブログで『コラン川の由来』が面白かった」と言ってくれた。実はみんな名前の由来を知らず使っていて気がつかなかったという。良き日で、フクスヂ両先生も知らずへーえとのこと。てげてげ先生は子どもの頃泳げないのにコラン川に無理に入れられそれから水場が怖くなったとか。まったくローカルな話題って意外に盛り上がるもんだ。

帰りはすごいにわか雨でカールが「しまったわ、外に洗濯物干して来ちゃった」と嘆いていたが、何と団地の自宅に帰ると全く濡れていなかった。同じ鹿児島市内でも大雨と快晴、局所豪雨ってのを実感した。このあとばったりと昼寝。実は18時から光頭中昭和50年卒同窓会がある。まだ明日の朝礼のスライドを作っていないがそれには出ないわけにいかない。お盆は忙しいのだ。

(同窓会はネタ豊富で1日で書き切れない。翌日に書くことにするわ)

2016年8月13日土曜日

錦織、モンフィスと競る

さあ、いつも明け方オリンピック観戦の今日は錦織圭だ。準々のこの試合を勝たないとメダルへは届かない。相手はフランスのランキング11位のモンフィスだ。第1セットから接戦でタイブレークへもつれ込んだ。タイブレークは錦織は強い。ここで1セット取って第2セットいきなりモンフィスのサービスゲームをブレークした。おお、これは錦織有利。勝てるぞと思った。しかし次あっさりブレークバックされたのにはがっかり。ここをキープ出来ていればあんなにもつれなかったのに。

最終セットのタイブレークはモンフィスに押され3−6とマッチポイントを握られ絶体絶命。しかし錦織はこういう時でも逆転できる可能性がある限りあきらめず全力を尽くすというスタイルを貫いている。そこで2ポイント取って5−6と迫った。するとどうだ。モンフィスの顔つきが変わりリードしているのに追いつめられた心境になった(はず)。持ち札の強力サーブを打ち込むがファーストはミスった。で、セカンドは多少なりとも相手コートに入れるべく安全に打つものなのに一気に決めよう、決めたいとファーストと同じように強く打ってきた。結果はネットにかかりダブルフォールト、6−6のデュースになった。

あそこは普通にセカンドを打ったほうが錦織もイヤだった。早く決めたい(逃げたい)と相手の圧力に気押された。6−6になった時点で錦織の勝ちを確信した。案の定2連続ポイントで錦織は逆転勝利しベスト4進出でメダルの可能性が高くなった。

ぎりぎりの場面での精神力の差が勝負を分ける場面がテニスだけでなくバレーボール、卓球、バドミントンなどネット型球技には多い。それは一見有利な側が「勝てるはず」と気持ちが先走り「だから慎重に」となったときにいつもの動きが出来なくなる。選手にとっては恐怖の場面、そこを乗り越えないと勝者にはなれない。今回のオリンピックではそんな場面が多くある。だから観戦は止められないわ。

2016年8月12日金曜日

リメールは真の王者か

ボウリング串木野トリオは8月のレンコンがこれが微妙なコントロールが要求されるタイプで久々に調子が悪かった。171、182とどうにかこらえていたが3ゲーム目は集中力が切れ120というトンデモスコアを出してしまった。ところがチームではポイントを1勝以上もらえたのは少し驚きで、これは強力チームのONE PIECEが予想以上のロースコア(私以上にキレていたらしい)だったおかげだ。どうやらボールを曲げるタイプは動きが敏感でやりにくいコンディションとみた。次回はこんなことにならないよう気を引き締めねば。

柔道はさぁ〜、100kg超級の日本の原沢はいい動きして無敗の王者フランスのリメールにも勝てた内容だったよー。審判も相手がリメールだからか彼への消極的姿勢の警告を数回取っていなかった。きちんと見ていれば少なくとも同ポイントくらいはあったはず。今の柔道のルールに問題がありそうだ。先に少しでもポイントを取ればあとは時間稼ぎのテクニックでかなり有利となる。リメールが戦前に「原沢は国際試合にまだ慣れていない」と語っていたがまさにそこを突かれた。リメールという選手、ルール内であればどんな手を使っても勝ちは勝ちというまさに勝利マシンだな。観客からブーイングされてもへっちゃらなお顔だったし「誰が何と言おうと結果が全て」というある意味アッパレな柔道家だったヨ。

その意味では陸上のボルトはすごい。記録にも記憶にも残る偉大な選手といえよう。錦織圭ですら選手村で見かけて声を掛けられなかったというのもその偉大さゆえだ。リメールはいくら勝ち続けてもボルトの地位には追いつけないだろう。

2016年8月11日木曜日

「山の日」日直

今日は初めて施行される休日「山の日」だった。「海の日」があるなら「山の日」があってもいいだろうと考える人たちがいて制定された。特に8月11日と山との因果関係はない。山にふさわしいのは夏だろうし7月は海があるから8月、ならばお盆休みと連休になりやすい8月12日がいいだろうと計画された。しかしここで問題が一つ。8月12日はあの日航機墜落事故の日でしかも山に激突したということからそれはまずいということになり1日前の11日なったという。8が「八」で山の形、11が木々が生えている様子に見立てたというのは後付けである。昨年から山や登山に興味があり主にNHKBSの山番組を欠かさず録画し眺めている。日本のたいていの山の名前は分かるようになったし、山はいいなあ、自分もぜひ登ってみたいとは思っているが、根っからのインドア派の私がアウトドアの王様のような登山を実際に起こすのはエネルギーがいる。今日もせっかくの休みなのに日直だしー。

忙しさはまあまあで交通事故や高齢者の体調不良が来たくらい。サッカーの予選最終戦日本対スウェーデンを見ていたが同時進行のコロンビアがナイジェリアに2点勝っていて決勝トーナメント進出はどうにもならない状況では気合いが入らない。おっとそうだ、来週月曜の朝礼スピーチがまたやってくる。なのに今回はまったく準備していてない。連日のオリンピック観戦で睡眠パターンがすっかりくるって時間が取れないんだ。ネタはある。この前日記にも書いた蛭子能収さんのカレンダー格言からいくつか拾って教訓ということでみんなにもアピールするつもり。それで4F病棟にあるカレンダーを前回撮っていなかった分をカシャカシャ撮影した。めくっていて蛭子さんてほんと束縛を嫌う自由人でそんな生き方を多くの人は出来ない故に人気があるんだなと感じた。さあてこれをどうまとめるか・・夕方には帰宅してスライド作りをしようと思ったが・・グースカぴー・・結局寝てしまったのだった。

2016年8月10日水曜日

「参った」は言わない

高校野球は樟南が京都昭英に意外にも9−1と完勝した。エースの浜屋が好投したようだが1回の攻防が大きかった。1回表相手にいきなり1アウトも取れないまま1点先制されランナー二三塁のピンチを京都のドカベン石原彪をどうにかゴロアウトに抑えてその後相手のまずい走塁で併殺にし最少得点に抑えた。これは樟南助かった。そのウラに3点入れて浜屋が逆に乗って来た。3、4点取られていたら樟南にプレッシャーがかかり逆の展開もあった。まあ、1回勝って良かった。これで樟南の関係者はほっとしていることだろう。

私立の学校経営において野球部の活躍は非常に大事なんだ。それを象徴しているのが体育祭での部活動選手行進で樟南には格闘技系(レスリング、相撲)や剣道、珠算など全国大会優勝経験のある部があるにもかかわらず最高準優勝(1994年夏)しかしていない野球部が必ず先頭で行進する。全国的にも樟南といえば野球だろうから当然かもしれない。レスリングで10回優勝するより甲子園で1回勝つ方がずっとニュースになるわけだからな。

オリンピックの柔道では女子の田知本遥の積極性に目を見張った。2回戦での第一シード選手オランダのポーリングに先にポイントを取られもすぐに攻め返した。日本人選手でここまですぐにやり返すタイプはいないような気がする。結局優勝までしてやはりなと思った。他に唸ったのは難民選手団でコンゴ民主(どこが民主がわからないが)共和国出身のポポル・ミセンガ選手。相手に腕を決められ「あー、これは決まっている」と実況も叫ぶのだけれどなかなか参ったを言わない。
おいおい大丈夫かいと思ってみているとようやく待ったがかかり試合再開。このままじゃポイント負けかという残り10秒で渾身の背負い投げで勝ったもんだからびっくりした。難民選手団初の勝利、観客は大拍手だ。参ったを言わなかった甲斐があった。すごい。

次の試合ではさすがに負けたが、ミセンガ選手は、試合後テレビカメラに向かって「僕は元気に生きている。気付いたら連絡してほしい」と、生き別れた兄弟へ涙のメッセージを送ったという。オリンピックで活躍すればどこかで家族が見ているのでは?というシチュエーションはドラマだけでなく現実でもあるわけだ。コンゴ代表時代は試合に負けると収容所に入れられたという。北朝鮮以外にもそんな国があったとはこれもまた驚きだった。

2016年8月9日火曜日

巴投げ出るぅ〜

明け方ネット麻雀しながらTVをかちゃかちゃやっていた。柔道と体操団体の決勝があった。柔道は大野将平が強い。どっしり構え動けば技が出るといった体で相手がビビること。ほとんどの選手が逃げ腰で大野はすべて一本か技ありで勝ち続け金メダルを取った。すごい。シドニーの井上康生を見ているようだった。準決勝の巴投げって弱い相手ならまだしもオリンピックで見たことないよ。
優勝した直後も喜びはぐっとこらえ一礼のあと畳を降りてコーチと見合って初めてにこっと笑顔を見せた。たたずまいもなかなか立派だったな。

(オリンピックやらなにやらで夜が眠たい。本日も日記更新遅れている・・てなことでひとまずここまで)

2016年8月8日月曜日

昼寝床寝二度寝・・ねむねむオリンピック

未明に見ていた柔道では男子海老沼、女子中村ともに銅メダルだった。海老沼は準決勝で韓国のアン・バウルと接戦、先に相手指導の優位にたったが後半どこか筋肉でも痛めたのかな、少し苦しそうな表情になり指導をくらい延長に入り先に有効を取られ負けてしまった。世界選手権3連覇し金メダル有力と言われていたのにここで負けるかぁー。しかも相手が韓国というのが悔しい。前回ロンドンでは相手韓国選手に3本の旗が上がりそれが一転ジュリーの指導で海老沼に旗が上がるという前代未聞の逆転判定事件があった。手続きにははてな?が付くも内容では海老沼の勝ちだったからいいとしてあれに韓国は猛反発していた。だから今度は文句なく勝って欲しかったわけ。その後決勝ではイタリアの無名のファビオ・バジーレが韓国アン・バウルに一本勝ちし優勝した。このイケメン選手はやや荒削りではあったが勢いがあった。惜しむらくは海老沼だったら上手くいなし勝てただろうに。でもこれが柔道、気を取り直し銅を取ったのはまあ良かった。

昼が眠い。夜と夜明けに二度寝するから寝不足なんだ。帰宅後、食事摂ってまたオリンピック中継を見ようとしたら5分もしないうちに床寝していた。ふわぁ〜。

2016年8月7日日曜日

ベトナム、初金メダル

未明に柔道の男女決勝を見るためにチャンネルをNHK、BS1とカチャカチャしていた。どちらも途中で負けて優勝はないが3位決定戦に出て銅メダルの可能性はある。そんなこんなで切り替えると男子エアピストルの決勝が行われていた。しかも残り一射で金か銀が決まるという決定的場面。撃つのは41才のベトナム人。的のほぼ中心を狙わなくてはならず10.3ポイント以上が必要だった。(最高点は10.9で直前の射撃は9点台と大きく的を外れていた)対戦相手がブラジル人で優勝濃厚ということで観客の歓声がすごい。それでベトナムのおっさん選手は慎重になってなかなか撃とうとせず銃口は少し揺れているように私には見えた。「ああ、きっと失敗するよ」でも、チャンネルは換えなかった。やはり結末は見ておきたい。

ようやく撃った。1秒ほど経って結果が画面に出た。うわっ、10.7!なんとほぼ完璧な射撃で逆転優勝、しかもベトナムに史上初の金メダルをもたらした。ベトナムでは国中が歓喜に沸いていることだろう。なんかいいもの見たよ。

夜が明けて珍しく朝10時から見せたまえ雀荘で麻雀。闘牌しながらオリンピックに高校野球を見ましょうという趣向だ。水泳男子400mメドレーは牌を打つ手を休めてTVを見つめた。萩野でも瀬戸でもどっちでもいいから金メダルと取って欲しい。結果はご存じ萩野金、瀬戸銅で十分満足のいく結果だった。これで開幕からの嫌な流れを断ち切った。麻雀はというと、私はトップも取れば一人沈みのドボンも取るというあまりよくない流れで夜戦に入り、最後の半荘でトップを取りようやくプラスで終わった。ふー。

2016年8月6日土曜日

「赤ひげ診療譚」

リオ・オリンピックも開会式があって競技もいよいよ本格的に始まった。私は主に柔道を見ていた。4、5分の短い試合時間で一瞬で勝負が決まり見ていてスカッとするからね。

男子60kg級の高藤直寿は目つきが鋭いなァ。順調に勝ち進むかと思われたが準々決勝で相手に一瞬の隙を突かれ隅返しで一本負けをしてしまった。あー・・。実はこの前に水球予選でギリシャ相手に7−4でリードしていたのに最終第4ピリオドでまさかの4点入れられ7−8で負け五輪初勝利を逃していた。結局いつもの日本選手で期待しても思い通り行きかけても結局負けてしまうパターンかよと少々くらい気持ちになった。

そんな五輪チラ見の今日から山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を読み始めた。この前の「青べか物語」が面白かったのでようやく同時に買っていた「赤ひげ」も読む気になったのだ。「赤ひげ」に手が伸びなかったのは黒澤明の「赤ひげ」を既に見ていたからというのもある。エピソードがおおよそ同じだから新鮮味に欠けるしー。しかし思っていたより面白く、出だしの狂女の話しも映画と違い小説的技法が用いられ意外性もあった。それに医学的にも納得いく説明がなされ作者がきちんと取材して上で書いているのもよく分かった。この他人情味あふれる江戸期の民衆の生態や機微が描かれじわーんときた。赤ひげは主人公扱いではなく弟子にあたる若手医師保本登が主人公だ。映画では加山雄三が演じている。しかし真の主人公は江戸の庶民だ。これに赤ひげのヒューマニティと保本の成長が加わる物語で小説離れしていた私に「お、小説ってやっぱり面白な」と思わせてくれた。今度、別の周五郎作品を読んでみよっか!

2016年8月5日金曜日

やっとゴーヤーが・・

はや、リオ・オリンピックは始まっていて、今朝は男子サッカーの予選リーグで日本対ナイジェリアが行われていた。それが相手のナイジェリアは現地入りが当日の7時間前というありえない不手際を起こし、なんだかやる前から日本勝てそうのムードがあった。カールは「そんなこと言って負けるわよ」と冷たい態度だったが、あらまやはりそうなったじゃない。しっかし、点を取られ過ぎで、後半ばてた相手に得点して5−4と結果接戦風になったが完敗だったよ。しっかり準備した方がこうじゃ先が思いやられる。

朝、家の猫の額庭にようやくゴーヤーが実を付け始めていた。実はこの1ヶ月半以上花は咲けども実は付かず状態でやっと雌花が咲いて来ていた。最初はゴーヤーには雄花、雌花があって後から雌花が咲き実を付けるって知らなかった。ピーマンやナスはしっかり出来ているので夏野菜もいよいよ本番だぁ〜。

夜は天鳳をじっくりというかラスばかり引くのでそんなはずはないと打ちまくっていたらどんどんポイントを無くしていった。ドツボパターンである。サブアラドDrに電話すると「おれも調子悪いよ」というので久しぶりに対戦してみた。そしたらー・・結局私がラス。サブアラドDrは3位。ダメなものはやっぱりダメなのであった。

2016年8月4日木曜日

耳当てパフォーマンス

午後から休みで、多少疲れてはいたけれど、夜はボウリング練習にT-MAXまで出かけた。今夜のメンバーはヤマヒロDrとスリウェル、タナカッツ、アンドキサMRだ。レンコンはまずまず投げやすいいつものパターンだった。それでも投げ始めは今一調子に乗れず167、145と何それのスコアだった。しかし、必ず200アップ出す好調さは継続中で、この後213、226とどんなもんだい、だった。

ところで今夜はスリウェル君がモニターで流されているPBA(全米プロボウリング)の試合でパーカー・ボーンが見せたパフォーマンスを気に入って「自分もやってみたい」というんでビデオに撮ることにした。サウスポーのパーカー・ボーンが7ピンスペアを取る時にピンが倒れるのを見ずに後ろを振り向き、片耳あてて「(みんなー)ピンが倒れる音が聞こえるかい?」という仕草をしたのだ。結果はもちろんしっかりスペアメイクされ、「あれ、格好いいっす」とスリウェル君いたく気に入っている様子だ。

彼は右利きだから10ピンが残った時に「それ」をやってみさせた。すると・・・。

あははー。パフォーマンスすることに気を取られガターしちまったヨ。ならばと私もチャレンジしてみた。が、しかしー。

ガターじゃなかったけれど完全に内ミスし、かすりもしなかった。実はこれ10フレ最終投球でこんなことしなければ220はいっていた。それまでノーミスだったのに213に終わってしまったダヨ。これじゃ収まらないと、その後スリウェル君も私もこの耳当てパフォーマンスをちゃーんと成功させた。

ボウリングの楽しみ方もいろいろよねぇ〜。

2016年8月3日水曜日

「毎日えびすさん」

このところ週1で当直があるな。今夜も当直だった。しかしー。たまにはヒマな日もあるのだ。夕方外来一人見た後は何の連絡もなし。途中、これは本当かと当直のタッピーNsに確認の電話を入れたほどだった。そんな中、4F病棟の詰め所に入っていくと靴音をさせなかったせいか夜勤の看護師3人が3人とも「うわぁぁ〜」とびくついた。患者も落ち着いていて夜の静かな病棟は時に恐怖の館となるぜぇ。

ところで、4F病棟の卓上カレンダーはなぜか蛭子能収さんの日めくりカレンダー「毎日えびすさん」だ。これってヒットした松岡修造の「まいにち、修造!」の柳の下のドジョウ商品なんだが、蛭子さんの信条が語られそれがなかなかにいい。

今日の3日は「勝ち組って、たまたま勝ちが続いているだけでしょ?」とあり、小文字で解説というか蛭子さんのつぶやきが書かれてある。
「勝ち組・負け組って言葉は好きじゃないですね。そんなのはギャンブルと一緒で、いっときのもの。たまたま勝ちがが続いてる、たまたまが負けがこんでるだけですよ。勝ってても、負けてても、生きている限りは逆転する可能性があると思ったほうがいい。オレだって、この歳になって仕事が増えるとは思わなかったからね。」
うーむ、麻雀をやる自分としては納得いくね。それに例えば会社だってそうでしょ。30年前、いや10年前には勝ち組といわれていた会社が今じゃ倒産寸前なんてザラ。勝ち組だぁ〜なんて思ってしまった時は蛭子さんのこの言葉を思い出し肝に銘じましょ。

他にもいっぱいおっと思わされる言葉があり、以下にいくつか挙げてみる。

「どうせ人は適当に言ってるだけ、プレッシャーなんか感じる必要ないですよ」
「予測してもしょうがないものは予測しなくていいです」
「答えを出すのは、結局自分自身でしょ」
「どんな相手だろうが、他人は他人 自分ではコントロールできない」
「好きなことが見つからないときは、とりあえずお金を稼ぐんですよ」
「空気を読んでそんなにいいことあります?」
「毎日、同じ仕事の繰り返しなのは悲しいことじゃないよ」


なかなかに味わい深い。自由人で他人の目なんか気にせず番組に出ているのはまさに蛭子さん本人のキャラそのものでそれが視聴者に受けているのだろう。仕事に疲れていたり現状に少し迷いがあったりするときなんか、この日めくり、きっと役に立ちそう。値段は1080円、高いかな?安いかな?

2016年8月2日火曜日

高校野球オタクの目の付けどころ

予定より1週間遅れで医局会レクチャーを行った。大腸憩室出血は実は医局会では3度目の発表だ。それだけ自分にとって大事かつ切実なテーマだということだ。

この8ヶ月青雲会病院では憩室出血が倍増しその内視鏡治療成功率を高める工夫などを話した。おおむね好評だったようでデータ集めたりした甲斐があった。

オリンピックも近づいているが夏の甲子園もほぼ同時に始まる。今年は横浜、履正社などが優勝候補らしい。さっそく恒例の週刊朝日の特別号を注文した。

出場校を眺めていてふと面白い傾向に気がついた。昨今は私立校全盛で私が大学生だった30数年前は公立高のほうが多かったのにいつの間にか逆転している。それに比例し公立高の優勝も1990年代は佐賀商、松山商、2000年以降は佐賀北と激減している。それはともかく、今年〇〇学院とか△△学園といういかにも私立校らしい名称の学校が合計11校出場しているのだが、箱根の関を境に〇〇学院は全て東日本、△△学園はすべて西日本ときれいに傾向が分かれているのだ。東は八戸学院光星、聖光学院、作新学院、常総学院、山梨学院の5校、西は常葉学園菊川、智弁学園、創志学園、尽誠学園、高川学園、日南学園の6校だ。静岡の常葉学園菊川は学校数の都合で普通は東に入れるが歴史的には箱根の関を越えないので西側だ。これって何か意味があるのかな?

と思ってよーく調べると、西東京代表の初出場、八王子は正式には八王子学園八王子っていうんだって。おいおい困るよ、東は学院だって書いたばかりだろ。結局12校目もいたのか。ま、そんな例外もあるが、高校野球オタクとはこんなことにも興味と面白さを見つけ楽しみを見いだす人種なんである。

2016年8月1日月曜日

老け顔が今は・・

朝礼で可愛いんだ理事長が「青雲会病院が今日で満36年経った」とスライド付きでスピーチをした。8月1日が開業日でその日は土曜日で外来患者はたった2人だったそうだ。しかし、すぐに外来、救急、病棟と忙しくなり、病棟も50床、136床と大きくなり、8年前に新築移転、今に至っている。当時の写真が出てきて「可愛いんだ病院」との看板が今となっては珍しい。昔の写真はあまり残っておらずそれが途中から多くバラエティーに富んだものになった。実は、その多くが私が撮影し提供したものなんだ。ちょうど15年前に初めてデジカメを使うようになって常にポケットに携帯しみんなの仕事ぶりを撮りまくっていた。

後にこうしてスライドに使うためというわけではないけれど、私にはとにかく今を記録していないとすぐに「今」はなくなってしまうという観念がある。撮って保存しておきたい。当たり前と思っている今の姿は実はとても貴重なのだ。例えば10年前の旧「青雲病院」は移転後売却され、しばらく警備会社の社宅や焼き肉屋になっていた。しかし気がつけば既に取り壊され空き地になっている。あの建物は写真はみなくてもまざまざと私の脳裏には浮かぶがそれを再現して人に教えようにも写真がないと難しい。やがて自分の記憶もあやふやになる。今では幹部職員となった面々の15年前を見ると「ああ、このころは〇〇君や△△さんも分かったねー」と理事長が言う。建物や周囲の風景も懐かしさが漂っていた。

「それにしてもー」と不意に理事長が言う。「こてる先生は変わらんなー、年取らない、不思議だ」だと。いやいや、私自身は結構年取ってきていると思うのだがそうみえないとのことだ。白髪が増えたとはいえ髪の量はあるしちょっとふっくらしてきたからなぁ。で、「若い頃はえらく老けて見られていたからでしょう」と答えるようにしている。実際、5、6才年長にみられるのが普通だった。30才過ぎくらいから年相応に見られ40才半ばからは年より上にはみられなくなった。若い頃はおっさんにみられ、少し遅れて入部した鹿大医バスケ部の同期メンバーに「OBが来たのか」と思われたほどだった。今となっては若い頃の老け顔も悪くはなかったわい。