2014年8月31日日曜日

日本人の誕生日

「日本人の誕生日多い順ランキング」という情報がフェイスブックのシェアで流れてきて見てみると面白くてしばし時間を忘れた。

まず自分の誕生日が何位なのかを見てみた。なんと5位だ。自分と同じ誕生日の人が多いと分かった。9月なのだが自分のだけではなく全般に9月後半の生まれは上位が多い。3位、6位、9位、10位があり9月に限らず7月8月生まれはそのほとんどが上位にあって逆に10月後半から12月前半までと2月後半から4月までは出産が少ないことがはっきりしている。で、日本人に一番多い誕生日はというとこれが意外で12月22日がそうなのだ。これは意味分からん。翌日の12月23日は346位なのに。逆に一番少ない誕生日は当てられる人もいるかもしれない。1月1日だ。1月2日が364位で2位。あ、2月29日は366位で断然のビリなのだがこれは当然なので除く。363位は12月31日で年末年始が一番生まれない日となっている。単純に考えれば生まれ日なんて均等化されるはず。しかし年末年始にお盆、祝休日、ゴールデンウィークなど休みを取りたい時期は軒並み低出生率で一桁二桁の高出生率を誇る9月も15日と23日は300番台の低さだ。まず間違いなく産婦人科がコントロールしているね。12月23日が低いのも天皇誕生日で休みだからだ。ゴールデンウィークはみんな350番台なのに5月1日は8位、5月2日は7位なんだ。休み前にうまく出産を促しているのが見え見え。5月7日から9日までは二桁台に戻っているし。さて、出生率2位はちゃんと理由が私には分かる。4月2日なんだ。知っている人も多いだろうが4月1日(362位)までが早生まれで前年度に学年が組み込まれる。これを嫌ってその頃に生まれそうなら4月2日を待ってーということなんだろう。これは3月生まれが全月で一番出生数が少ないこととも関連がある。4月前半も出生数が少ないのは早生まれを嫌った結果だと推測する。

誕生日の出生率を眺めているだけで日本人の意識が透けて見えてくる。

2014年8月30日土曜日

りんぱらへん

当直明け、しかし土曜外来も引き続きあり、明日日曜も当直とハードスケジュールが続く。このパターンは滅多にないが第5週土日にあたり院外Drも来てくれないため現状仕方ない。

青雲会病院は電子カルテではあるが「基本票」といって患者情報が載った紙を患者事務看護師医師ほかスタッフ間でやりとりをする。全てをデジタル化は出来ないわけだ。

その中、たまたま見たある中年女性の基本票のコメントには「左脇 リンパらへんがはれている。1週間前から~」とあった。「リンパらへん?」なんだこりゃ。書いた人はだーれだ。「サッコ」とメモってあり医療事務のサッコさんだと思われた。そうか、おそらくは患者の言ったとおりに書いたのだな。患者さんは医学用語も知らないしね。その意をくんで「左脇のリンパ節あたりが腫れているのが気になる」せめて「リンパのあたり」と書いて欲しかったな。ただ、「りんぱらへん」という語感が面白可笑しくしばらく一人思い出し笑いをすることであった。はは。

2014年8月29日金曜日

当直で観戦

夕方、川内のしんどかどDrからまたもや麻雀のお誘いを受けたが当直が入っていて残念ながら断らざるを得なかった。向こうは金曜日が都合いいらしいがこちらはボウリングリーグ戦や当直、講演会、飲み会が入ったりすることが多くなかなかお相手することができない。10月以降は当直は院外Drに固定されるので少しは参加できるかも。また誘ってちょー。

そうだ、今朝、午前4時15分ごろ地震があった。震度1か2と感じた。私は床寝から起きてお目々ぱっちしだったのですぐに揺れに気付き天井照明のゆっくり揺れる様をデジカメビデオに撮る余裕もあった。後で病院職員に聞くと寝ていても揺れで目覚めたという人、全く気付かない人、様々で姶良の方がより揺れはひどかったようだ。調べれば日向沖震源だったそうで4以上はあった地域もある。ま、大したことはなくて良かった。

夜、当直は比較的ヒマでサブアラドDrの天鳳をネット観戦していた。六段に昇段してからというもの絶好調で今夜も国士無双を上がりポイント稼いでいた。電話がかかってきて「国士上がったど、ほっほっほ」とご自慢なさること。レーティングも私と同じくらいだったはずが追い越されてしまった。打ち筋を見ると以前に比べ鳴いて上がる回数が増えた。私と同じだ。面前でじっくりとやっているとスピードで遅れ後手に回り負けてしまうことが多くなる。それとオリる時はしっかりオリるのも大事でそこもきちんと出来ている。私は戦術書を読んでそのように打てるようになったが彼は本は全く読まず実戦でそのあたりを理解し身につけている。麻雀の才能は私より上だね、きっと。こういった人とリアルで闘牌しなくちゃならない、気を引き締めておこう。

2014年8月28日木曜日

テルは連れて行かれた

朝ドラ「花子とアン」は視聴率も良く好評とのことだ。今日は時代が日中戦争に入り家庭の柴犬まで軍用犬に徴用されるというエピソードが出ていた。もし役にたたないとなれば返されることはなく殺生されるのだろう。主人公の花子の養女がかわいがっていた犬「テル」が連れて行かれる場面が出てきてキャンキャンとご主人にすがる犬の演技にカールは泣いてしまったという。遅く起きてきた私はビデオですぐに再生し見たがカールは「おまけに名前がテルだからさー、またつらい気持ちになったわ」と。うちのゲンちゃんはネコだからその時代でも連れて行かれることないが同じ生き物、飼っていれば身につまされる思いだ。

これで思い出した。鹿大医学部には実験動物舎があって高学年になるとそこの犬を使って解剖や実験実習があった。あるとき外科の実習で犬を使って胃の手術のまねごとを指導医のもと我々はすることになった。その時に選ばれた犬を見て私は悲しくなった。まつげの長い明らかにメス犬のしかも人でいえば美人な犬に見えた。麻酔をかけ腹部を開いて胃の2/3を切除するやり方を真似てやったのだが、同僚のまっさこ君は嬉々として手を動かしていたのに当時ぼんくら学生の私はただむなしいだけだった。あの時のメス犬のきれいな瞳は未だに忘れられない。動物を飼ったこともなかったけれどその時は自分の勉強のためにならなくてもいいからしたくない行為と感じた。動物実験が医学医療に役立ち必要なのは理解している。でも私が今医学部長なら学生の解剖手術実習は止めさせたいとさえ思うのである。

2014年8月27日水曜日

アミュでお食事

今日は平日休みをとった。昼間はただ家でゆっくりし、夕方になって中央駅はアミュプラザに出かけた。ここで学校帰りのチッチと沖縄からリハビリ実習に来ているサーヤと待ち合わせだった。私が休みだし食事するならサーヤも誘おうとなったのだ。サーヤに今は誰も乗らない(?)観覧車にも乗せようというのもあった。サーヤは鹿児島に来て1ヶ月経っていないので案の定見たことはあるけど乗ったことはなかった。私たちも開業時以来乗ったことはなかった気がする。チッチはシースルータイプのカゴに乗ったことがあって、それも映画の半券で乗れるサービスがあったから乗っただけと、まあ一度乗るともういいやってなるのが観覧車の悲しい宿命である。ちょうど夕日が沈むタイミングでいい感じだったがスナップショット専門の私でもたまには感動的な風景を上手に撮りたいとは思うがコンデジのPowerShot S110では今ひとつ夕日らしく撮れなかったのが残念だ。

若干高所恐怖症気味の私はカゴがてっぺんに上がった時はじとーっと冷や汗をかく。できるだけ下は見ない。ジェットコースターとは違い落ちる可能性は限りなくゼロに近いと分かっていても恐怖はある。降り始めて残り1/4くらいになると安心だ。ふーぅ。

ほっとして降りて、6Fのバイキングレストラン「白鯨」に向かった。5、6年前にも利用したことがあって店の作りはほとんど変わっていなかったが、ホテルが出来て駅ビルも増築中で最上階にしては見通せる風景が減ってしまった。去年セージの卒業祝いは反対側のホテルのレストランにしたので観覧車が見え、眺めはあっちの方が上だな。バイキング形式なのでパンやサラダ、スープなど取り放題なのだけどハンバーグが来る前にもうそこそこお腹いっぱいで私は二度席を立つことはなかった。食べ終えて、地下に行き、カールが食品雑貨屋でチーズを買い求めるのに付き合った。そこでは見たことない県外産の商品がいろいろあった。赤色透明の熊本県産の「スイカサイダー」なんてのもあって怖い物見たさで一瞬買おうかと思ったがとどまったのは満腹状態だったおかげだ。きっと一度飲めばもういいやってなるんだろうな。

アミュも人が多い。増築されたらますますだろう。ふと最近天文館に行っていないことに気付いた。これに産業道路沿いのショッピングセンターもあって人の流れが変わってきている。街の賑わいもうつろいやすいものだ。

2014年8月26日火曜日

メールボックスはどこ?

昼過ぎの内視鏡室でムッちゃんNsが何やら鯛踊りNsとやり合っていた。「だからそのメールボックスがどこにあるのか教えて。私、取りに行くから」キョトンとする鯛踊りNs。やがてムッちゃんが大いなる勘違いをしていることに気がついた。

地域医療連携室のフーコ女史から「メールを出しているのにムッちゃんNsからは一向に返信が来ない」との連絡を受けて確かめに来たのだが「いいやメールなんて来ないよ」「ええ?でもみんなには来ているしアナタだけ行かないはずはない」「いいや、来ていない。どこにそのメールはあるの?」「メールボックスを見ればそこにあるはずよ」と言われて行動的なムッちゃんはならばそのメールボックスを直に見に行きメールを手にとって返事しましょと思ったのだった。

彼女の頭の中には物としての木箱のような手紙入れがあった。電子カルテを開いてメールのやりとりをするという現代では当たり前の行為は「私、できない、そんなこと」で、昔のうちのデンコー親父なら「この天保年間は!」ってこき下ろしていただろう。それって今なら「大正生まれかよお前は」かな。説明を受けて自分勘違いを理解しても「ふつう、メールボックスって言われれば(木箱と思って)当然でしょう」とみんなに同意を求めていたが残念ながらみんなは首を縦には振らず時代遅れの看護師はふうーっとため息をついたのだった。

2014年8月25日月曜日

「私は家老の子孫」

アミヤンDrがこの前の土曜日に医学部卒業30周年の同窓会に出席したそうだ。「こてるもだったよな」と彼は勘違いしていたが、入学はいっしょでも私はより勉強したかったので卒業が1年遅れた。だから呼ばれなかったのだった。それはいいとしてその中でもマッチャンこと松浩Drの若々しさが目立っていたという。松浩Drはアミヤンよりは1年下私より3才年上でサブアラドDrとは大学は違うがツル前高校で同窓生で、ともに親が小さなクリニックを開いていていずれも現在は閉鎖されているのも似ている。学生時代から格好良く一見ホスト風で実際それらしきこともしたことがあったと聞く。家を出るのに髪の毛セットが決まらなくて1時間以上かかったとかの伝説もあり、かつてカールやサブアラド妻も松浩Drと聞けば「きゃーあの松浩先生?!」と声を上げるのが常だった。スマホ撮影の写真を見てなるほど若い。ぱっと見30才頃と変わりない。「でもなあ、子どもの教育費がかさんで最近は『服も買っていない』って言ってたぞ」とアミヤン。ふーん、確かに大学生に一番お金がかかるよなー。みんなも似た境遇だろう。来年うちらも卒後30周年があるのかしらん。

ある患者から障害者年金の申請をするから診療証明書を送ってくれという封書が届いた。某精神科にかかっていて進行癌になっていたにも関わらず手術をしたがらずどうにか入院した先の病院でもガラスを割ったりなどの粗暴行動を起こし強制退院になったらしい。1年以上前のことでカルテを見つつ診療経過をまとめたが年金が下りるかは全く不明だ。ま、それはいいとして、この患者の依頼した封筒の差出人名が可笑しくてみんなに披露してみた。仰々しく由緒ある家系を名前の前に書き連ねてあったのだ。こうあった。

「薩摩藩島津家家老平○靱○源氏子孫 平○俊○」

ちょいと郷土史を知っているか鹿児島の学校で習ったことを覚えている人ならきっと分かるはずで、江戸中期の有名な武士である。某地域の治水工事の責任者を任され難工事の末にやり遂げたはいいが幕府役人のいじめに耐えかね抗議の自殺を図る家来が続出しそれでも恭順の姿勢を貫かざるをず、さらに莫大な借金も必要でそれらを藩にも幕府にも迷惑をかけないよう工事が完了し幕府の見方を終えた3日後に割腹自殺で果てた。薩摩と某地域ではその立派な業績を顕彰し銅像や記念碑が建てられているほどでまさに知る人ぞ知る有名な人物なのである。で、その子孫だとまさにひけらかすように手紙には書かれてある。私は一発で嘘くさいと思った。だいたいそんな家柄の人が名前の前にそんなこと書きますか?ついこの前某女性患者の名前が「調所(ずしょ)」だったのでこれも幕末有名な薩摩藩家老で膨れあがった借金を帳消しにし財政立て直した調所広郷の末裔かと尋ねると、「夫が確かにそうらしいですね」とあくまで控えめな応対だった。それが普通でしょう。でも、医局の医療事務作業補助者の二人に見せると「へーえ」と感心したようでどうやら信じたようだった。カールにデジカメで撮った写真を見せると素直に「そうなんだ」だった。お前ら簡単に信じすぎ!絶対違うよこれは。

で、私は○田○負について調べてみた。さすが有名家老だけあってちゃんと家系の由来があった。そこで分かったのは平○家は源氏の出ではなく桓武平氏の流れをくむ家系だと分かった。源氏じゃないのだ。ちゃんとした家系なら平氏だと知っているはず。これだけでも嘘っぱちと分かる。例えば島津家は出自の詳細は不明だが源頼朝の御落胤説もあるなど源氏ということになっている。そこからの連想だったのかもしれない。

私はもう一度この患者の精神科からの以前の紹介状を読み直した。そこではっとした。「妄想型統合失調症」これが主病名であった。やっぱり!

2014年8月24日日曜日

高校野球雑感

夏の甲子園も準決勝が行われ大阪桐蔭高と三重高が決勝に進んだ。東北北信越が大活躍し今年はこの地域からの初優勝かと思われたが結局は甲子園優勝経験のある2校が残った。三重は私には思い出がある。昭和44年センバツで初優勝をやってのけた1ヶ月後、第1回南日本招待野球にゲスト校として鹿児島に来て私は市民球場に観戦に行き生まれ初めて高校野球を生で見たのだった。センターフライを捕球した三重の選手の髪の毛が丸刈りではなかったことだけを覚えている。そして翌日の南日本新聞に「やはり三重は王者」とのタイトル記事が載ったことも。その後三重は甲子園には出てくるが1、2回戦で姿を消すことが多い普通の常連校になってしまっていた。今度の1回戦も相手は広陵で劣勢だったが9回に2点差を追いつき延長で逆転勝ち出来たのが大きくやっと壁を乗り越えた感がある。大阪桐蔭やや有利だろうが頑張ってほしい。

ある記事で東北、北信越などの躍進分析が載っていてそれによると室内練習場の充実や中学生のリーグ増加やその強化策が実っていることの他にやはり特待生問題が背景にあるそうだ。08年に私学の特待生は『各学年5人以下』というルールができて、公立高校の授業料が無償化されたことで、『他の私立からも特待生で誘われている』とか、『特待生じゃないなら公立に行かせる』と条件を出す親が増え生徒の分散化が起きかつての強豪校に好選手が集まりにくくなった。地域格差がなくなったためこれらの地域も十分勝負できるようになったと思われる。

それに2004、05年の駒大苫小牧の優勝が意識も変えた。なんだ北海道が出来るならーと。人間そんなに差はないのに最初からどうせおれたちには出来ないと無意識に思っているうちは力があっても結果は残せない。かつての沖縄がそうだったが一度沖縄尚学がセンバツで優勝するとその後の高校も活躍し2010は興南が春夏連続優勝をするまでになった。これを思えば日本サッカーもW杯で優勝するのもあり得ないことでない、本田圭佑じゃないけど本当にそう思う。体格的にはさほど変わらないスペインができるのだから100年後くらには全く不思議じゃないよ。

おっと話は野球だった。最近は生徒の気質も変わりスパルタではまず集まりにくくなり甲子園に行ける学校よりレギュラーになれる学校を選ぶことが多くなっているという。今夏は出場出来なかったが日大三の小倉全由(まさよし)監督は怒らないことをモットーに選手を選手を部屋に呼んでケーキを食べながら話をすることがあり、グラウンドでガミガミ言っても腐ってしまう子が多いからだとか。笑ってしまったのが、あまりに強くて1回戦の対樟南での試合解説であの是枝昭男さんが「うんにゃ、こんしはつえど!(ううむ、こいつらは強いぞ!)」と唸った2001年優勝した時の小倉監督は「『仁義なき戦い』のビデオを見てからグラウンドへ飛び出し広島弁で厳しい指導をしていたといいます。最近の選手に合わせ10年間で指導法を百八十度変えたそうです」だって、あはは。『仁義なき戦い』かぁー、当時、映画館から出てきた男性観客らはみんな目つきが鋭くなっていたとの伝説がある。あまりに殺伐としていて私は子どもらにはビデオを見ないようにしていたほどだ。

時代や制度が変われば高校野球も勢力図は変わる。そこをうまく乗り切れないと強豪校と生き残れない。鹿児島の樟南や鹿実ですら大変な時代になったのだ。今年は第96回で4年後は第100回の記念大会か。出版、映像も記念版が出るだろうし、実施の大会も盛り上がるはずだ。高校野球オタクの私には毎年の春夏は今後も楽しみであり続けてくれることだろう。

2014年8月23日土曜日

人の心に根ざすもの

今日は午前勤務のあと引き続き当直だった。わりにヒマで昼間は医局でレセプトを片付けた後はソファで仮眠しつつTV番組を見ていた。

ドキュメント番組で第二次大戦前のドイツでナチスの迫害が拡大する中でユダヤ人学校とその子どもらを守ったイギリス人女性教師の話をやっていた。大人のユダヤ人男性が強制収容所送りになる直前に機転を利かし娘は「学校に出かけた」とウソをつきその隙にイギリスで脱出出来た例では後で「ウソをついたな」と怒るナチスに「あなたはあなたのお父さんの行動すべてをご存じなの」と言い返しぎゃふんといわせるところなどドラマ以上にドラマチックだ。ビザ発給でユダヤ人を助けた杉浦千畝もそうだが自らの危険を冒してでも人類愛に根ざした行動を取る人は必ずいる。ナチスとそれに熱狂してしまった当時のドイツ人を評すれば性悪説が正しいかと暗くなるが、こういったケースを知れば人類も見捨てたものではないと思うことだった。

2014年8月22日金曜日

ラスト一球、チームパーフェクトなるか

夕方、川内のしんどかどDrから電話で麻雀のお誘いがあった。あーー、行きたいなぁー。しかし残念、今夜は串木野でボウリングのトリオリーグがあるのだ。向こうも残念そうだった。このところお誘いに応えられていない。またぜひ!

そのボウリングだが、3ゲーム目10フレ私のラスト投球の1球はストライクならチームパーフェクトという場面だった。海広しDrや私がうまくつなぎ9フレまで誰かがストライクを出していた。しかし10フレ海広しDrもコンピロ君もスペアで終わり偉業の達成は私に託された。気合いが入った私はダブルを出しパーフェクトや否やの瞬間に臨んだ。実は人生で初めてのこと。達成の気分は十分あった。がしかしー、ピン手前でボールは大きく曲がり食い込み過ぎて7ピンカウント。297ピンというしまらないスコアに終わってしまった。チームハンディが2ピンありそれでも299でこれまた今一だった。

あー、パーフェクトへの道、未だ険し。

2014年8月21日木曜日

「大変お世話になりました」

昨日はTV批評みたいなことを書いた。今日は読売新聞のラテ欄にあったミニ広告に思わず悶絶したこと記す。

それはスカパーの映画宣伝で、タイトルはあの「エマニエル夫人」。「本日3作一挙放送。0時30分~。」とあるのはいいが、役を演じたシルビア・クリステルの顔写真とともに最も目立つ上半分にこう書かれてあった。

「大変お世話になりました。」

うわわー。これは分かる人にはすぐに分かり、そうでない人には何やら丁寧な挨拶文句にしか思えない。天下の読売新聞にスカパーもよくこんなのを載せたものでなかなかのコピーセンスと私は思った。(「こてる写真館」参照)分かる人は思わずにやりと笑みを浮かべ、あこがれと悶々とした遠い青春の日々を思い出すだろう。当時ビデオもさほど普及しておらず日曜洋画劇場でこれが放送された時、シルビア・クリステルの見事な肢体に目を奪われコーフンしたものだった。おいおい飛行機の中でそんなことしてたら普通咎められるだろって思ったものだ。親戚のイッコ姐さんは「テルくん、何あれは。まるでポ○ノじゃない」と驚き呆れていたのを思い出す。女性には「お世話になる」という感覚は分からないだろな。ただ、このソフト・コアの映画(1974年作)自体は特に日本の女性に受け大ヒットした。きちんとした映画館で見に行っても恥ずかしいと思わせない戦略が女性にフィットしたのではないかと推測する。

シルビア・クリステルも2年前にすでに鬼籍に入った。享年60才。ヘビースモーカーだったせいで喉頭癌、肺癌、咽頭癌など患っていたそうだ。でも映画の中では20代前半の白く輝いたボディを惜しげもなく披露しいつまでも若くあり続けている。当時を思い出しつつつぶやいておこう。

「大変お世話になりました」

2014年8月20日水曜日

「村芸人」ってどこの局?

TBSはこのところ面白い番組があまりなく民放キー局の中でも視聴率は良くないらしい。私が子どものころはウルトラマン、水戸黄門、八時だよ全員集合、キイハンター、ロッテ歌のアルバム、大晦日はレコード大賞と、代表的な民放局というイメージがあって、実際民放の雄といわれたこともあった。しかし近年は全般に硬直化し斬新な番組が少なく見たいものが少ない。だから「6人の村人!全員集合」というタイトルで「村」の姓がつく芸人6人(志村けん、内村光良、三村マサカズ、岡村隆史、日村勇紀、田村淳)が温泉旅館に泊まりナチュラルトークを繰り広げる面白い趣向の番組がTBS制作とは思わなかった。てっきりフジか日テレかと。事前にお約束の台本があっての作り込んだものではなくドキュメンタリー要素もあり芸人の素の部分も垣間見え、以前他局でSMAPの5人がアポなし1泊宿泊した番組の面白さに通ずるものがあった。ふーん、意外とやるじゃんTBS。ともかく人気者のこの6人を良くそろえたなと感心した。これがうまくいけば「町」や「原」「山」などが付く芸人を集めても作れるかも。テレ朝も実験的で意欲のある企画を作る雰囲気が出てから上昇し始めた。老舗意識のままで停滞するTBSもこのような面白い番組が浮上のきっかけになってほしいものだ。

2014年8月19日火曜日

若い頃読んだ新聞のせいで

非常勤で青雲会病院勤務を考えているという某Drが夕方病院見学に来た。年齢は私よりやや若輩なだけで内視鏡が専門だという。ただし出身は第二内科ではない。シマッチ院長とは面識があり内視鏡室を見学のあとは院長室で話をした。現在勤務の病院に10年以上務めていたが諸事情で9月いっぱいで辞めその後をどうするか考慮中でうちも候補に入っているとのこと。ホームページを調べ興味を持ったようだ。ぜひ来て欲しくいろんな情報を教えたが果たしていい返事がもらえるかどうか・・。

以上、2週間前はそのように気を揉んでいたが、今(9月2日)現在、結論は出た。他の病院の常勤が決まったのでーすみません、とのこと。ありゃりゃ、振られてしまった。しようがない。縁がなかったということだ。めげずに働きやすい(これホント)青雲会病院をアピールすることにしよう。

時事ネタだから日付は8月19日でも今のうちに書いておこう。明日9月3日に安倍改造内閣が発表されるそうだが石破幹事長の処遇が話題になっていた。で、産経新聞に石破氏を評した8月30日のコラム「産経抄」に面白い一節があった。抜粋しよう。

「・・・宰相になるための期間をもらった、と考えた方がいい。彼は安全保障や農政など個々の政策に強いが、国家観が首相に比べて格段に頼りない。若いころ朝日新聞を読んでいたせいか、慰安婦や靖国神社に関する言動も首を傾げるものが多い。歴史認識を一から勉強し直すよい機会だ(以下略)」

笑ったネ。石破氏評のはずが朝日批判にすり替わっている。弱り目の朝日新聞、いいように言われてますナー(⌒о⌒)。

2014年8月18日月曜日

「自分を変えるとうまくいく」

週一回の朝礼でのスピーチが回って来た。いったい何をしゃべればいいか・・。3年くらい前は車の傷を治すのに何百回もコンパウンドをこすって良くなった「めげずに百回」という話だった。今回は対人関係特に職場でうまくいかなくなった時にどうしたらいいかをエピソードを交えて話すことにした。家でその話を試しにしゃべってみたらさっそくカールからダメ出しが出た。「まず結論からしゃべって」とのことだ。若干エピソードが重い印象なので結論を先に聞かないと聞き苦しいのだと。そうかなるほど。で、素直な私は日記タイトルにもあるように結論を先にすることにした。仲が悪くなった相手を責めるのではなく自分の態度を改めて接すれば相手の態度も変わりうまくいくことが多いということで10年ほど前に実際に某職員と険悪な関係になるもその後うまくいった体験を交えて話した。久しぶりに職員を前に話すとやっぱり緊張したな。最後は少し声がうわずっていたようだ。でもほっとした。これでしばらくスピーチはしなくて済む。いやー、これを隔週でやっていた可愛いんだ理事長とシマッチ院長、それに世の社長、院長さんたちって大変だわー。

2014年8月17日日曜日

儲け詐欺

今日はこの前某親戚から聞いた話を一つ。

某親戚の親戚(仮にキネ子おばさんとしておこう)がまた怪しい儲け話に乗っていて危ういのではとのことだった。キネ子おばさんはこれまで何度もそんなウマい話に乗ってはダマされ損をしてきたにも関わらずだ。私が記憶しているだけでも40年以上前のネズミ講天下一家の会、ミミズの養殖、ハラヘルスなど世間騒がし後に首謀者が逮捕された事件ばっかしでそれらに毎回関わっていた。全く懲りないキャラで、今回は10億儲かる話を信じているらしい。10億だよ10億。いったい誰がそんな大金の儲け話においそれと乗れよう。しかしキネ子おばさんは違う。その気になって大きなトランク(スーツケース?)を買ったという。何するの?「10億の現金を入れるにはこれくらいないといけない」らしい。まじかよ。でもキネ子だったらあり得るかも。

最近のオレオレ詐欺(今は振り込め詐欺か)にも当然関わった。送金すれば儲かるという手口だったらしいが幸い銀行員が怪しんで送金させないようにアドバイスし警察も関わって事なきを得たという。しかしー、だ。キネ子はやはりものが違う。「あんし(あの人たち)が止めなければ儲かっちょったはずなのにー」と恨み節炸裂だ。いやはやダマされてもダマされても儲け話を信じ続ける、この手の人がいる限り同じような儲け詐欺はなくならないだろうて。

(某Drからも似たような話を聞いた。ある医療関係者がやはり億という儲け話に乗っているという。これまでも2回ほど引っかかったというに・・とあきれ顔だった)

2014年8月16日土曜日

ツキもツモれば・・

沖縄から故マーキの娘サーヤが鹿児島に来ていて昨日はうちに泊まっていた。サーヤは沖縄のリハビリの学校に通っていて県外病院実習のため2ヶ月ほど鹿児島市内の病院へ研修に来ている。「青雲会病院でも受け入れているけど」と言うと「一人、クラスは違うけど男子学生が行っているはず」とのことだ。今日は休みということでカールがテル、セージもいっしょに霧島へドライブに連れて行った。温泉にも入るとかでサーヤは喜んでいた。チッチが「ボクも行きたい」と言ったが「受験生なのにダメ」とカールが一喝し、ちょんだ。まだまだ自覚が足りないぞ、チッチよ。

残された私とチッチはカールの作っていたカレーを食べ午後を過ごした。私は掃除機で1階の床掃除もした。クーラー効いていてもびっしょり汗かくねー。シャワー浴びてぐったり一休憩し、1回だけ天鳳をした。1万4千点くらいで3位の南3局、ドラの8萬を槓してまだ二向聴。するとラス目の対面がリーチしてきた。こいつに放銃すると一気にラス転落の憂き目に遭う。しかしこちらもチャンス手で簡単には降りられない。カンチャンが埋まりカン4萬かカン6萬のどちらかで聴牌で場に2枚出ている4萬を嫌い1枚切れのカン6萬で追っかけリーチした。後で牌譜確認すると対面は2、5萬待ちだった。私の方が不利だが一発勝負では麻雀は分からない。対面が6萬をつかみ私に放銃。裏ドラ2枚乗りリーチドラ6のあくどい上がりで親のインパチドボン、私の2位で終わった。よしよし、まずまずの調子でリアル麻雀に臨めるぞ。

で、午後6時からのいつものメンバーでの麻雀。これが絶好調だった。トップ、2位と来た3回目の半荘、トップ目の南場、9索暗刻、北対子の残りは678の三色を狙える手だった。7索と6萬が来ればいいなと思っていたのに7ピンが暗刻になって6ピンを捨ててイメージが膨らんだ。

北北⑦⑦⑦68999七八八

この手は6索か8索が対子になればトイトイか四暗刻が狙えるんじゃない?12巡目6索をツモり一向聴、次ぎ8萬をツモり何とあっという間にツモり四暗刻を聴牌ってしまった。
北北⑦⑦⑦66999八八八

次ぎ北か6索ツモれば役満だ。次のツモは中。これを下家の見せたまえDrがポンした。ここで見せたまえの動きを撮影するふりをしてこっそりデジカメで聴牌写真を撮った。そうしたら次ぎあっという間に6索をツモり上がった。「ツモ!四暗刻」上がれる時は簡単だな。これでまたトップ。役満賞もついてえらい儲けだ。みんなは呆れていた。

それから数時間経ったころ、サブアラドDrが7ピン、5萬と切って2巡目にリーチを掛けて来た。早い。ほとんどダブリーでこれじゃ全く読めない。ドラは7万で私は字牌6枚に残りは中張牌という中途半端な手で勝負にならない。ベタ降りした。他の二人もオリ気味でサブアラドDrもツモれないまま終盤になって彼にあせりが見え始めた。「ツモらせてくれ!」と牌を握る手に力がこもる。最後のツモ牌は2萬。がっくりうなだれるサブアラド。流れて開けられた手を見てみんな仰天!

444四四四④④④七七九九

何と、4の三色同刻出来がりでドラの7萬と9萬のシャボ待ち、ツモれば当然四暗刻、出ても倍満以上というとんでもない大物手だった。たった2巡目で特に三色同刻出来上がりなんて聞いたことも見たこともない。これが上がれなければさすがにがっくり来るわ。私との差は何か。答えは簡単、単に私がツイていただけ、そんなことも麻雀人生ではあることなのだ。

結局私は10回のうち7回もトップを取り過去最高に近い勝ちっぷりだった。最後のトップなんて残り1局を残して出産の連絡が入ったトップ目見せたまえDrが「すまん」と言い残し自分のクリニックに帰って行き、彼の打牌はすべてツモ切りということにして3人で争ったところ私が上がり小差のトップ逆転するというラッキーさだった。何が良かったのかよく分からない。ま、天鳳で鍛えられているというのはある。4週続けて卓を囲んだがしばらくリアル麻雀はお預けの予定だ。よしよし、数週間は勝ち気分の余韻にじっくりひたろうか。

2014年8月15日金曜日

生まれたばかりの娘を心配する

外来はめまいを訴える患者が多かった。少年は二人、いずれもそれぞれ野球をしていて気分不良になり救急車で運ばれて来た。いかんなあ。この真夏に甲子園で高校野球をやっているものだから野球をして当たり前かと思っている人も多いだろうが普通はこの暑さの中、屋外で何時間もスポーツして体にいいはずがない。屋内で、そう静かに麻雀でもするのがいいだろう(何とゴーインな論理じゃ)。てなわけで、明日4週連続で闘牌をすることになった。ダイボDrが夕方まで勤務なので18時からといつもよりは遅くの開始予定である。当初はダイボDr以外のメンバーを探しあちこち電話をした。その中に久々イケシューDrもいてそういえば結婚後子どもが生まれたはずだがとそこを聞いてみた。5月末に無事女の子が生まれたという。ほう、それは良かった。で、彼がいうことにゃ「もう心配でー。だってニュースを聞けば幼女連れ去りとかネットで知り合い殺人とか聞くじゃないですか」だって。いやはや、もはやそんなことまで心配している。あのオタッキーなイケシュー君も親になったんだねぇ。

2014年8月14日木曜日

食べる過ぎるなよ、お盆

お盆の中日の今日は個人的に休みを取り家族で田舎に帰った。途中は大雨で台風が来なくてもこのところずっとぐずついた天気が多い。途中の高速はお盆で車が多かったけれど雨の錫山街道は相変わらず少なく飛ばし気味になってカールから注意された。はいはい、分かっておりますよ。後ろに子どもら3人乗せているしそこは安全運転で行きましょ。今回は珍しくテルが真ん中に座っていた。座り心地が良くないそこは三男のチッチの指定席だったのに。まあ少しずつ大人になってきたってことか。

実家に寄るとあこネーサ母がお迎えであれ食べないかそれ食べなさいと子どもらに勧めるのだが昔と違って彼らはあまり食べない。私だけがちょくちょく手を出すと「食べ過ぎ!」とカールのお叱りの声がありそっと戻す。ふー。ヒトミンチョ家でも同じように注意された。「成長期の子どもじゃないんだから」って。油断すると際限なく食べてやがては目の前のトシ登り従兄やミキミキ従姉夫婦みたくなってしまうか?その姿を見てやはりカール様の言うとおりにしなくちゃと思うことであった。

ヒトミンチョ家では珍しく兄妹5人がそろいこのチャンスにと写真を撮り、私たちもそろっていたので家族写真を撮ってもらった。盆や正月でないとそろうのが難しくなってきている。そろえば話題も尽きることがなくずっと2時間以上もしゃべり続けた。ヨカトモ従兄とは例によって韓ドラの話題、ヒトミンチョとはネコや役場てのお仕事のことなど・・ま、ヒトミンチョ家の面々がおしゃべり好きってのもある。テルはマイパソコンを持って来ていてなんと天鳳を最近から始めたという。まだ雀卓で打ったことはなく友人らの教えやiPhoneでの別のネット麻雀などで打ち方や役を覚えたという。うんうん、いいぞ。しかしハマりすぎは私の経験上よろしくない。学業をおろそかにするくらいなら覚えない方がマシだ。今はネットで出来るから徹マンなどは減って少しは抑制がかかるかな。いずれ強くなったら卓を囲みたいものだぜテルよ。

夕方6時過ぎに帰宅し夕食は沖縄そばだった。沖縄から送ってもらったものでそれにソーキ(豚のあばら肉)をのせて食べる。あの「すーまぬめぇ」ほどではないにしても一般的な大衆食堂くらいには引けを取らない。あー、もっと食べたいが・・そこは我慢、であった。

2014年8月13日水曜日

画伯の絵手紙

夕方、セージを迎えに空港まで行った。大学では意外にもまじめに勉強しているようで感心だったが、この前海水浴でライフセーバーに助けられるという危ないこともやっていた。サーフボードにつかまっていたら沖に流されはじめ簡単には浜に戻れなくなったという。カールはこれを聞いてびっくり、胸をなで下ろした。若さには心配がつきまとうわ。

そのカールだが、絵手紙を習っていてこれがうれしいハプニングを呼んだ。私の患者でお歳暮を贈ってくれた御婦人がいた。博多の明太子だったのでそれをカールが絵手紙にしてお礼状を送ったところ、えらく感激して「味があってとっても素晴らしいの。先生に見せたいわ」と言っていた。それを見せてくれたのだが、私はよく聞いていなくてカールのものとは思わず「へーえ、写真に撮らせて下さい。うちのも絵手紙やっているんで見せたいです」とデジカメに撮っていた。御婦人は少し変に思ったかもしれない。私は「ふむ、さほど上手いとは思わないがそれほど言うなら何かあるのだろう、カールに見せてあげねば」と思っていた。で、デジカメ再生して「ほら見てみて」とやってしまった。きょとんとするカール。「それ、私が描いたものよ」・・はぁ?確かに「か」の印字もありカール画伯の作品だった。思わず頭かきつつ大笑いだった。

2014年8月12日火曜日

あの日あの事故

テルがお盆で帰郷した。明日はセージも帰ってくる。にぎやかになるぞ。親としてはやはり子どもらがいるとうれしい。思えば高校までいっしょの生活は貴重だった。今になって分かる。チッチとも大事に接しなくちゃ。

今日は8月12日ということでフジTVが29年前の今日あった日航機墜落事故の特集番組をやっていた。テルもチッチも興味深そうに見ていた。我々の世代ではあの事故の時自分は何をしていたか思い出せるほどインパクトの強い出来事だった。今回見て初めて知ったのだが、御巣鷹に突っ込んだ飛行機の後部機体が斜面に一部落ちたため4人の乗客がその中から助かったということで偶然が織りなした奇跡だったんだ。一度機体前半部分がぶつかり多少とも衝撃が後ろは弱かったんだろう。生存率1%未満だったが機長や機関士らが少しでも乗客を助けようと懸命の努力をしたからこその賜物だった。母娘で助かるも夫や次女を亡くした吉崎さん一家はたまたま夫のキャンセルが出て家族そろって乗り込めたという。それが出来なかったら搭乗をあきらめていたはずとのことで、これなんか空地妻氏(青雲会病院有名職員の後に奥さんになる女性)がキャンセルし乗らなかったせいだったかも・・。これは以前日記ネタにしたね。(2009/11/24「日航機キャンセル」)

いやー、誰もが被害者になる可能性があったのだ。その意味で世の中を震撼とさせた一大事故だった。その後の阪神大震災、オウム、9.11テロ、東日本大震災などあったがもしや自分があんな目に遭うのでは・・と思わせるインパクトは一番だった気がする。カールは早速「明日のセージは大丈夫かしら」と不安に思っていたそうだ。さもありなん。

2014年8月11日月曜日

みんな来てよ青雲会

今日は少し内視鏡検査が多く非常勤のオマルDrに大腸内視鏡を1例してもらい午後は胃の腺腫のEMR(内視鏡を使い粘膜切除する手技)を行った。この他にもERCPはブックリバーDrが行い地方病院でもそこそこの検査、治療が出来ている。ただ検査だけに集中するわけにはいかず外来、病棟もあるのでまだ内視鏡医は欲しいところだ。そこでホームページに募集していることもあって某病院を近々辞める予定の某Drから電話連絡を受けた。一度見学したいというので来週火曜日に来てもらうことになった。その電話が終わるころ、グッちんDrから「家の都合がある程度ついたので明日から毎週火曜日午前は復帰出来ます」との連絡が入った。ほうほう、それは有り難い。そうなれば月から金まで非常勤の内視鏡Drがそろうことになる。グッちんDrも今年いっぱいまでは来られるというからしばらくはスムーズに回るぞ。その某Drも来てくれたらいいが・・。内視鏡でなくても土曜午前や当直もとても有り難いんでそこもホームページでアピールしてもらおう。まだまだ人手は欲しい青雲会病院なのである。

2014年8月10日日曜日

16年ぶりのエアコン

居間のエアコンの効きが悪くなり新築以来16年ぶりに新調した。当初三菱の霧ヶ峰にするつもりであったが室外機とつなぐパイプが合わないことが判明し型落ちの富士通のものになった。業者が来て設置してくれたがやはり室外機との接続がうちは難しいらしく2時間以上と時間がかかった。ゲンちゃんが物珍しそうに脚立を見てなんだろうと触っていたヨ。電気代やパワーでずっと勝るし冷え方も自然で16年も経てば電化製品の進歩はすごい。それにしてもよう我慢していたわ・・。

昼からまた麻雀。今回は見せたまえDrが「財布が見つからなくて・・」とお金を持ってきていなかった。外出中の妻に電話しお金だけでもと持って来てもらうよう連絡をしていた。後で持って来てもらったが財布の居所が気になっていたようだ。カードとかあるしー。しかし先週の罰金こてる先生同様勝ったのは見せたまえDrだった。彼曰く「なにがしかのハンディがあった方が勝つんじゃない」どうやらこれがこてる麻雀サロンのトレンドのようである。

2014年8月9日土曜日

買うの買わないの食洗機

また台風が近づくとのことで昨日の串木野でのボウリングリーグは中止になった。まあそれは風の強い中行かなくても済んだから良かったが、本日夜の内視鏡室の飲み会も延期せざるをえなかったのは少々痛かった。なかなかみんなの都合を合わせるのは苦労するからだ。しかも昼過ぎになっていつのまにか台風は宮崎の東を通り抜けていき、何だやれば出来たじゃないかと拍子抜けで、もう一つ、今日から開幕の甲子園の高校野球も土曜日だからじっくり見られると思っていたのに2日順延するとは。ま、鹿児島は逸れたから被害がほとんどなかったことだけは良かったということにしておこう。

夕方、食器洗い機を見にカールと旧グッド電器で現エエデオに出かけた。食洗機が壊れて1、2年になるのを私が買って上げるという約束がずっとそのままになっていた。お手頃な機種がまあまあの値段で売っているとの情報をカールが仕入れたので見てみたが、パナソニックの上等なの見るとそっちが欲しくなる。ビルトイン式の新機種が自宅の現行機種跡に入るかをメジャーで確かめたりしておそらく店員さんには買う気十分に見えたことだろう。しかし安めの機種とパナとでは7万近い値段の差があり、カールも「子どもたちも家にいなくなってきて洗う食器の量も少なくなりつつあるのに少しぜいたくでは」と少々気が引ける発言も出てきた。ともかく「検討します」と言い残し店を去った。決めて帰ろうと多少意気込んでいたのにまた先延ばしになってしまったのだが、カールがその安め製品をネットで検索してみてと言うので調べると工事費抜きではあるがなんと半額で手にはいることが判明した。うわわ。「しばらくその機種購入はストップ」とカール。いやはやネット販売が昨今の電気屋不況につながるわけだ。自分で取り付け出来たら何万も安上がりになるし業者に頼んでもまだ安い。慌てて買わなくて良かったはいいが、この調子じゃいつになったら買うのか食洗機、だわ。

2014年8月8日金曜日

旧暦を味わう

今日は旧盆の入りだった。沖縄や奄美では今もって旧暦の7月13日から15日にお盆がある。今年は今日から3日間だ。例によって医局の福百合さんはこのことを知らなかった。旧の盆に限らず旧暦がらみの行事に疎いのだ。さらに「8月は通常月遅れの盆を13から15日にするよね」と言うとちんぷんかんぷん、月遅れって何?状態だ。それで「そもそも昔旧暦で生活していたのが新暦移行になってそれまでの7月がおおよそ8月になった。で、お盆も東京の一部地域などでは新暦の7月にするところもあるが日本のほとんどの地域は月遅れだけど8月にするようになった。残る沖縄奄美が旧暦をかたくなに守っているわけ」と教えたが「はぁ」とお目々をパチクリだった。お盆は必ず月が満月に近くなるし盆踊りが16日(十六夜=いざよい)なのは常に夜が明るいから踊りやすいってわけだ。逆に三十日(みそか)は常に新月にあたり真っ暗な夜になる。新年を迎える夜は借金取りも来るしいつも暗い夜だったんやねー。旧暦って面白いわ。

2014年8月7日木曜日

アミヤンは買ってから考える

週2回非常勤のアミヤンDrは個性が強いというかたびたび驚かされる行動をするのだが、今日聞いたエピソードもそうだった。「こてるよ、今ジェットスキーにハマっていてね」と切り出された。ほう、ジェットスキーとな。「買ったはいいがそれを運ぶトレーラーが必要になって、そしたらそのトレーラーを保管する場所が云々・・結局、お金は大台(おそらく100万のことか)を越えてしまったよ」と言う。いや、景気がいいというかそれはそれで楽しいレジャー、結構なことだと思った。がしかし、なぜにジェットスキーをすることになったのかと聞くと、7月の海の日に可愛いんだ理事長以下青雲会病院のヒラメグ、ブックリバー、ブラロックDrなど10数名がクルージングに出かけたことがあった。その時アミヤンは「スクーバダイビングとか釣りとかしない人でもジェットスキーがあれば楽しめる」と思ったのがきっかけだとか。でも、だ。アミヤンは別にクルージングに参加していなかったのだ。実際に楽しんだから購入したわけでないところが驚きだ。その行動力、思い切りの良さはとても真似出来ない。私など2年ほど前から全自動麻雀卓が欲しくて新品は高くて買えないから中古でいいのがないかと、それでも安くて15万以上はするし、置く部屋もないしと買わずにずるずる2年も過ぎている。雀荘ですれば済むことだしと結局は買わないで終わりそう。でも、アミヤンが私の立場だったら即買っているしそれにふさわしい部屋を購入してででも手に入れていることだろう。

以上の話しをしてカールに「どっちの旦那さんがいい?」と尋ねてみた。アミヤンは買ってから考える、私は考えて結局買わない。結果は・・・敢えて明かすまでもなかったっすね、ハイ。

2014年8月6日水曜日

ドライゼロを飲む?

朝、ラブカメDrが鹿大医学部の地域枠学生というまだ入学2年目の男子学生を医局に連れてきた。ラブカメ先生は鹿大の地域枠の世話をしているしその学生さんは姶良市出身ということもあって青雲会病院に研修に来たようだ。まじめそうでいかにも医学の部生らしい風貌だった。で、例によって写真を撮るだけは撮って、すぐに電子カルテに向かって仕事を続けていたらちょうどシマッチ院長が医局に顔を出し、ラブカメ先生が学生さんを紹介した際に「S學館出身」と聞こえた。うん?ということはセージと同級生かも。すかさずセージを知っているかと尋ねると「ああ、知っています」ということだった。そうかそうか、同じクラスではなかったようだが同級生と聞けば急に親しみが湧いてきた。しっかり研修してねー。

夜、ドライゼロをプシュッと開けぐいっと飲んだ。この暑さじゃビールなど一杯飲みたくなるわ!でも飲むと酔うのでノンアルコールのドライゼロにしているんだ。ビールに近い味わいで喉(のど)ごしもいい。で、一口、二口飲んだところでアレと思った。「これ、ビールじゃないか!」知っている人もいると思うが、このドライゼロの缶、デザインがアサヒのスーパードライそっくりでうっかり間違って手にし飲んでしまったのだ。仕方ないので全部飲んだがすぐに赤ら顔になり、カールに「(すけべっぽくなって)ヤラシー」と言われてしまった。どうにか気分不良にならずに済んだが案の定眠くなってばったり・・だった。

2014年8月5日火曜日

ヒッチコックのベスト作品は?

今朝のラジオ「日本全国八時です」でゲストの毎日新聞の記者が森本毅郎相手にヒッチコック映画を取り上げていた。彼のベスト3は「サイコ(1960)」「鳥(1963)」「疑惑の影(1943)」だという。今日はその中でサイコを紹介していた。封切り時の途中入場お断りや結末を決して人に教えないで下さいなどのエピソードを交え、大まかなストーリーを語っていた。

私はヒッチコックファンで20年以上前にほぼ全作品を見た。その中でベスト1を上げるならやはり「サイコ」にする。サスペンス、意外性そしていつも作品評価の基準である飽きの来なさに優れているからだ。ただこのサイコという作品、確かにヒッチコックが作ったものではあるが彼の代表作というよりは異色作で普段の作風とは違いショッキングなシーンを強調したものになっている。彼の特徴がよく出た代表作は「北北西に進路を取れ(1959)」だろう。一般人がひょんなことから犯罪に巻き込まれ各地を転々とするストーリーだ。このほか「めまい(1958)」「裏窓(1954)」なども面白いが私が2番目に推すのは「レベッカ(1940)」だ。ヒッチコックがイギリスからアメリカへ移住後の最初の作品でアカデミー作品賞にもなった名作である。古くモノクロ映画でもあるため作品名すら一般には知られていない。しかし飽きの来ない作品で主人公ジョーン・フォンテインが後妻に入った屋敷で以前の女主人で亡くなったレベッカの面影とその使用人だったダンヴァース夫人に追い詰められるサスペンスを描いている。相手役はあのローレンス・オリビエでハリウッドのA級作品たる風格もある。(レベッカは2008/04/13にもこてる日記で紹介している。その時は武田鉄矢が友人に勧められてビデオで見てラジオでネタにしたのを聞いたため)「鳥」は有名な作品で不気味さでは一番かな。ヒッチコックは鳥嫌いで有名でいろんな作品の各所にそれがちょこちょこと表現されている。「疑惑の影」は現代から見ればそんなに評価が高いかなと私は疑問だが、なぜかコピーやダビングでなく正式発売のビデオテープで持っているのはこの作品だけで当時ボウリングをいっしょにしていた親戚の大学生がボウリングでのお礼にと私にプレゼントしてくれたものだ。

ヒッチコック作品はモノクロも多いけれど面白さはカラーに劣らない。ややテンポが遅く感じるかもしれないが妙に味わい深いものが多くぜひ堪能してみて欲しい。

2014年8月4日月曜日

忙しさは続くよ・・

当直明けだけど帰ることはできない、ばかりか内視鏡検査も今日は多かった。オマルDrと二人黙々とこなすが午前の検査が終わる頃、院外のクリニックから患者を診てくれと依頼もあり下血があったとあれば断るわけにもいかない。さらに食欲不振の高齢女性の入院加療依頼も別のクリニックからありため息すらも出ない状況で診察諸検査指示を出した。14時を過ぎてどうにか昼食を摂りに行きほとんど休みなしで内視鏡室に戻ると、先ほどの入院予定患者の家族が「2時間も待たして」と怒りぷんぷんとの連絡が入った。はぁー。確かに昼食前にはおおよその結果が出て説明も可能だったがご飯なしに仕事を続けてくれと言われてもね。内視鏡検査前に患者と家族に説明をしたが待たせたことには謝らず不満を述べていたことに対して多少たしなめる発言をした。私にしてはとても珍しいこと。そもそも午前ぎりぎりだったにも関わらずサンキングDrの紹介状があったから急いで検査をし空床もあまりないのに入院させるつもりでいる、見てのとおり多くの患者や被検者が待っていてあなた方だけを優先して説明する余裕はないのだと。女性患者はすぐに詫びてくれこちらの指示に従ってくれた。ふーん、割と素直だね。ただ待たされただけの家族がご不満だっただけか。(この患者さん治療も上手くいき入院中もご機嫌で2週間後の退院時には直接ではないがお礼の品をナースステーションに預けていた。最初が嫌なパターンだったのに今思えば可笑しいわ)

下血患者は緊急大腸内視鏡行うと典型的な虚血性大腸炎だった。ほんとにこの病気は多い。その割には病名は知られていない。ほとんどが一過性で数日から1週間で治ってしまう。出だしびっくりも後は楽なパターンゆえ最近は入院させないことすらある。すでに夕方は空床もなく注意事項を教え自宅安静で要すみることにした。そんな検査バタバタで所属長会議にも当然遅刻だった。このところ定刻通りに参加できないことが多い。帰宅したのは20時過ぎでメシフロのあとはBTQ。久々に無抵抗爆睡だった。

2014年8月3日日曜日

救急車6台

日曜夕方からの当直だった。交通事故搬送患者の入院などあったが夜は極端に忙しくはなく医局でビデオを見る時間もあった。以前録っていたAKBSHOWでは公演曲「嘆きのフィギア」が良かった。2006年のチームA「会いたかった」公演の冒頭を飾る4人ユニットの曲でかつてのWINKを彷彿とさせる振り付けが面白い。48グループにはまだまだ知らないことがあって楽しめるわー。

しかし余裕があったのはそのころまでで日付変わってからは外来、救急で1時間半おきに起こされる羽目になった。中には当院では対処出来ない疾患で転送依頼したり明け方の患者では泌尿器科、外科にそれぞれ診療依頼するなどして急場をしのいだ。一晩で救急車6台、寝ては起こされるパターンだったのでかなりの睡眠不足で当直看護師のネークチダ君に「大丈夫ですか先生」と気遣われ、「私はこの前の当直でも同じで一外科(非常勤)も寝られなかったんですよー」と聞かされた。うむ、ということはお前がツイていて患者をおびき出しているんだな。今度はいっしょに当直したくないゾー。

2014年8月2日土曜日

赤い灯りの白いクラウン

土曜は朝から仕事でこれがまた忙しかった。月初めだからか定期の外来患者が多かった。12時半で終わるはずが院外当直Drが雨の10号線渋滞で到着が遅れるとの一報ありしばらく待機し、そして病棟もここぞとばかりにピッチに指示依頼があった。昼食も摂らねばならず1時を過ぎても病院をすぐには離れられなかった。いったい何を急いでいるの?いや、午後2時から鹿児島市内で麻雀の約束があるのさ。サブアラド、見せたまえDrに開けたいゾMRの強者メンバーが待っている。病院を出たのは1時25分を過ぎていていつもなら10号線を南下のところ渋滞が嫌で高速使って突っ走ろうと姶良インターを目指した。

ラジオは珍しくNHKを付けトーク番組で面白いネタをやっていてふむふむと聞き入っていた。料金所を過ぎ下り車線になりもう少しで出口じゃーとラジオ聞きつつ快調に走っていた・・つもりだった。ふと、バックミラーを見やるとこちらに向かって来る赤い点滅の白いクラウンが・・。一瞬で青ざめましたな。ブレーキ踏んだけれど時すでに遅し、追い越し車線で私の車を助手席のヘルメットかぶったK察官が手招きして後を付いて来いと。ああ、隣の銀色の車じゃなくてやっぱりマイ黒プリウスなのね。高速道路って左側に少し車を止められる路肩がある。北インター直近の路肩に止めさせられ降りてきたK察官に「えらいスピード出てましたねー。120キロ以上出てましたよ」「ええっ、そんなにぃ。メーターは見てませんでした」「減速した時のスピードで108キロで28キロオーバーの3点減点で3ヶ月以内に無事故無違反ならこの点数は消えます」と言われ、暗に120キロオーバーの免停になるはずだったのをこれくらいにしちゃるから早よ拇印を押せということだ。ごねたところで覆るはずもなくハイハイと素直に従った。ああ、油断したなあ。いつもはスピードが出てしまった時はおっといけないと通常車線に戻るし、白いクラウンを見かけたら即ブレーキを踏む癖もあるのだが、麻雀面子を待たせては・・と気持ちがあせっていたのだろう、アクセル踏み込んでいる意識もなくクラウンにもまったく気付かなかった。捕まる時ってこんなものなんだろう。クラウンの後部座席でサブアラドDrに電話し事情を話した。「あいたー、クラウンだろう」「ええそう」の会話をしたのち、拇印押してプリウスに戻った。手にした納付書の1万8千円の文字が目に痛い。悔しいからクラウンのナンバーが分かるようにこそっと写真を撮ってやったぜ。「ヤクザ屋」だなあいつは。結局7、8分遅れる羽目になり、こんなことなら10号線でチマチマ来ればよかった。

「さあて、私はすでにマイナス1万8千円のハンディがあるかね、今日は遠慮しないよー」宣言をし闘牌を開始した。するとどうだろう。まず怒濤の3連勝。実はこれでハンディを取り戻したのだが4回目ラスになり「まだまだ負けている」と緩まず3コロトップ2連勝でおつりが出るほどに。このあとは勝ったり負けたりでほぼチャラで終わり前回の一人負けから一転一人勝ちでしかも罰金払っても余裕の勝ち分に終わった。いったい何なんだろうね。みんなは「お前の罰金肩代わりするために打ったんじゃないよ」とぼやきつつ呆れていた。いやはや逆境は麻雀を強くするってか?!

2014年8月1日金曜日

オタク気質

チッチは高校野球オタクだけど自分がしていたスポーツは幼稚園からずっとサッカーだった。で、彼の部屋に入るとサッカーシューズがずらーっと並べてあるんだ。もう壊れて履けなくなったものから最新のものまで洗って捨てずにいる。その時その時の思い出があるのかもしれないが、チッチは「捨てない」タイプなんだな。どうもその辺は私に似たかも。カールに似ればバンバン捨てて一足も残らないのにー。

4F病棟のはっぴいえんど君とふとしたことから「ルパン三世カリオストロの城」の話しになった。彼はこの宮崎駿の初監督作品にして日本アニメの最高傑作(と私は思っているし、実際アニメファンの投票で1位にもなった)を見たことがないという。なに?それは許せん、絶対に見るべきと私は断じた。30年以上前の作品だけれど別にビデオを借りなくても数年に一度くらいTVで再放送されているから若い人でも知っているはずなのに。私が3度も映画館に足を運んだエピソードとか出だしから一気にストーリーに引き込まれ、ユーモアにサスペンス、ロマンと盛りだくさんの演出、それにルパン三世のことを知らなくても何度見ても面白いという出来の良さが傑出している名作なのだ。熱く語っているうちに「今度DVDを貸してやる」ってことになった。先生、そんなこというけどホントかなぁって顔をしていたからね。見てもらうぞー、許さんよ。別に何ももらえるわけでもないけれどこれってオタク気質っていうのかなぁ。チッチもやがて似るのかしらん。