2021年12月31日金曜日

大晦日に観るべきは

大晦日の日当直は確か5年ぶりだ。今回の当直は以前と比べればまださほど忙しくはなく、午前は入院患者もあったり外来もそこそこ来たが、午後にはやや落ち着いた。コロナでの受診控えの影響はまだあるようだ。

午後は当直室でTVを付けると、NHKBSで「ローマの休日」をやっていた。すでにアン王女は宮殿を抜け出しグレゴリー・ペック扮する新聞記者と行動を共にしていた。この作品、もう何度も見ていてストーリーも分かっていてるのに、結局最後まで見てしまい、結構感動したのには呆れるくらいだった。名作だわ、やっぱり。一つ一つのシーン、シークエンスにむだがないねえ。そしてオードリー・ヘップバーンの演技もただ可愛い、綺麗なだけでなく王女の気品と苦しさ、心に秘めた感情といったものをよく表現していた。ほぼ新人でありながらアカデミー主演女優賞を取ったのも肯けるところだ。

撮影されたのは1952年(昭和27年)で公開が翌1953年。ローマでのオールロケで撮影はかなり大変だったそうだ(騒音対策、交通整理、パパラッチ問題に悩まされて、移動のたびに見物するファンの群れにも対応せざるを得ず、暑い夏で大変な作業を要したという)。監督のウィリアム・ワイラーはハリウッド全盛期の大監督でアカデミー監督賞を3度も受賞しているが、この「ローマの休日」では受賞してはいない(ただし製作者として作品賞は受賞)ものの、彼の力も大きかったと思われる。彼の作品に出演し主演賞を取った俳優女優がたくさんいるし、監督賞ノミネートが12回というのは今後も破られることはないかもしれないほどの記録だ。この作品には彼自身もかなり満足はしていたが「唯一、予算の関係でテクニカラーにしなかったのが悔やまれる」と述懐したそうだが、白黒フィルムでも何の遜色もないほど魅力的な映画だと思う。↓ウィリアム・ワイラー。

彼はユダヤ系ドイツ人であり、アメリカで起きた赤狩り旋風にも抵抗したという。そもそもこの「ローマの休日」は赤狩りで追放された脚本家ダルトン・トランボの原案で公開当時は別の脚本家の名前で出ていた。彼はハリウッドを追放された後も偽名で作品を作り続けていた。後、ハリウッドとは和解し、私が中学生の頃観たスティーブ・マックイーン&ダスティン・ホフマンの「パピヨン」、ケネディ暗殺を取り上げた「ダラスの熱い日」、観には行かなかったが「ジョニーは戦場へ行った」も彼の脚本だったんだ。1976年没だから亡くなる直前まで話題作を作っていたことになる。

2015年には「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」というタイトルで彼の映画界での生き様が映画にもなっている。ラブロマンスとして名高い「ローマの休日」だが、調べれば調べるほどそれだけには収まらないエピソードに彩られた名作であると言わざるを得ない。

大晦日は名作、大作映画がTVで放映されるしまたよく観てもいる。以前も「ゴッドファーザー」や「生きる」を取り上げたりもした。40年くらい前かな、「サウンドオブミュージック」も初めて観て感動したこともあった。「大晦日は名作映画を」が今後も続きそうだ。

2021年12月30日木曜日

レコ大での彼女らは光っていた

午前は庭の枇杷の枯れ葉の掃除に、ガソリン入れ、ニシムタや隣の団地のスーパーへの買い出し(カールの手伝い)などをした。明日が日当直なんで今日やっとかないとネ。

帰宅して庭を眺めると枇杷の木の花がいっぱい付いていた。枯れ葉の掃除は必要だけど、来年もまた枇杷の実がちゃんと成りそうで楽しみだ。

昼はネットなどし、夜はTV付けるとTBS系で日本レコード大賞をやっていた。私の目を引いたのはAKB48である。以前からのファンなので当然といえば当然なのだが、今やライバルの乃木坂46など坂道グループよりも露出が少なくなり、今年出したレコードも久しぶりに出した「根も葉もRumor」1曲のみでどちらかといえば落ち目の状況だ。ただこの曲、かつての全盛期よりもすごい曲だなと思った。ダンスが激しくてかつ気迫があり見ている人に訴える圧がすごい。AKBはオワコンだーなんて誰が言っているの?と言うくらい素晴らしいと思った。AKBも紅白に2年続けて落選したし年末にアピールできるのはレコ大くらいしかない。私たちはまだ死んでない、ここにいる!という気持ちが伝わってきた。
レコード大賞は全く知らない初耳の男性グループの曲だった。ま、ここ20年来のレコ大ってたいていそんな感じだから興味もない。いくつかのレコード会社に片寄っているし、業界の人たちには意味はあるのかもしれないが今はこの賞の価値はほとんどないと言える。ただそんな中でも歌手たちの自身をアピールする場としてはまだまだ存在価値はありそうだ。今回のAKB48を見ていてそう思ったナ。

2021年12月29日水曜日

通行人をつかまえてでも・・

今日の午前までが仕事納めだった。外来担当でそんなに患者さんも多くはなかった、となればヒマだったのか?答えは否。毎年29日は午後から御用納めの会があるが、これが毎年最初から参加出来た試しがない。途中参加か終わり頃にやっとの年もある。

外来患者は少なくても近医の紹介や急患が多いのよ。この時期は青雲会病院だけでなく姶良市内全体の患者を引き受けざるを得ない状況だからなんだろう。緊急内視鏡もあったし、入院、転送など私だけでなくほとんどのDrが何らか受け持っていた。ま、それも救急病院の宿命やね。どうにか20分遅れくらいで会には参加出来て、14時半にはお開きとなった。今年1年を振り返るラブカメ先生のスピーチでも言われていたようにコロナに明け暮れた1年だったた。未だオミクロンの不安を抱えてはいるが、来年は今年ほど忙しくはならないと期待している。いざ、コロナが発生してもすでに我々はやるべきことを知っている。コロナに逃げずに外来、病棟、予防とみんな頑張って来てその経験が生きるはずだ。

いったん帰宅して仮眠を取った後、今年最後のリアル麻雀にいつもの見せたまえDrのところへ出かけた。元々今夜は学生時代の友人が久しぶりに鹿児島に来るというので飲み会が予定されていた。しかしそこはオミクロンだ。急遽取りやめになって予定が空いてしまった。そこで月曜に麻雀面子を探したがこれがあと一人が見つからない。そりゃ、暮れも押し迫り、みんななにがしか予定が入っているだろう。いつものメンバーに連絡しまくるもダメで、私はいったん「無理そう」とサブアラド、見せたまえ両Drに伝えた。サブアラドは「仕方ないな」だったが、見せたまえは違った。なんと「許さんゾ。通行人でもいいからつかまえてくるんだ」だって。これには苦笑い。そこまで言われては学生時代からの面子集めの達人を自負する私にも火が付いた。8人目の連絡で薬局チェーンのザワワ社長がいったんOKしてくれた後に「明日の麻雀は僕より強く大好きで独身の男性社員が行けるそうなので紹介します」とコウチョ君が参加することになった。以前から麻雀好きな社員と聞いていた打ち手だ。↓サブアラドからリーチ白赤ドラ裏ドラの満貫を上がるコウチョ君。サブアラドは今日は久々に大負けだった。
結局、半荘6回といつもの半分で終わったその麻雀、一人勝ちしたのは見せたまえDr、やはりその人だった。そもそも、取り組む姿勢、気迫が違っていたわっ!

2021年12月28日火曜日

プロフェッショナル「庵野秀明」

未明にごそごそと起きてTV付けると、NHKが「プロフェッショナル」をやっていた。深夜なのできっと再放送だろう。ええと「庵野秀明」だって?聞いたことある名前だ。見ていてすぐにアニメ制作の監督さんだと知れた。山口県出身か。ほう、アニメ鉄人28号に子どものころ夢中になっただって?私とほぼ同世代じゃないか。昭和35年5月生まれならば私より1歳下だ。

アニメ、漫画少年であったこと、父親が事故で片足なかったことから「その姿に影響を受けて完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ欠けていることが普通である」との感覚があったそうだ。大阪の芸術大学に行き、そのころからアニメの爆発シーンを描かせたら天下一品との評判で、風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢されている。

その後アニメの世界で頭角をどんど現し、1988年のロボットアニメ「トップをねらえ!」や1990年のNHKアニメ「ふしぎの海のナディア」などを監督した後に、あの有名な「新世紀エヴァンゲリオン」を企画、監督し大ヒットを飛ばす。いまだに彼の代表作といえばこの作品である。番組では妻で漫画家の安野モヨコで肉や魚を食べない超偏食家で夫を漫画に描いたりしていた。庵野秀明、見た目もそうだが実際も相当な変わり者のようだ。TVアニメだけでなく映画にもなった「新世紀エヴァンゲリオン」を完結させるために2019年、2020年とコロナ窩の中、苦闘する様子も描かれており、彼の作品ファンの人たちには実に興味深い内容だったことだろう。あと、一時うつ病ぽくなって自殺を考えたりしたことなども触れられていて、至上の作品を作るんだとそこに向かって突き進む鬼才と呼ばれる人たちはある種狂人と変わらないんだとも思った。

視聴中、私はふっと思った。庵野秀明氏の人となりや実績などは番組を見ていてある程度理解したが、そもそも私は庵野氏の監督したアニメ作品を一つとして見ていないな、と。「新世紀エヴァンゲリオン」っていったいどんな内容でどんなジャンルの作品かも知らない。主題歌も「残酷な天使のテーゼ」というのはカラオケで人気だというから後で知ったくらいだ。そしてこれだけ有名になっても見ようという気がおきない。たまにアニメ映画も見に行くことはあるしアニメ嫌いというわけではないのだけれど・・ね。

番組では出て来なかったが、庵野氏は数年前に映画「シン・ゴジラ」を監督したんだって。それはネット配信で見て、子どもの頃見ていたゴジラ映画とは違い、切り口が新鮮で面白かった。私にとってはアニメよりそっちの方が興味深い。庵野氏もあの頃はゴジラ映画をきっと夢中になって見ていたはず。その経験を踏まえて、大人になった自分がゴジラ映画を作ろうとしたらどうしたものにするか?その解答があの映画だったのだ。ゴジラが現れたら政府や自衛隊などはどのように対応、行動するのかという観点から作られており、自衛隊への体験入隊をずっと以前に行ったり、武器、戦車、戦闘機などに詳しいオタクでもある氏ならでの作風でもあった。そして興行実績、作品評価も良くて日本アカデミー賞も獲得している。いやー、才人だな。

今さらアニメになびきはしないけれど、この庵野秀明氏、今後も注目しておこう。

2021年12月27日月曜日

国士上がって例え4万点差でも

何の前触れもなく、突然にその時はやって来る。麻雀で役満が成就する時だ。

ほとんどビリに等しい1万4千点ほどの持ち点の私はその時の配牌もすでに9種9牌の悪配牌だった。で、普通は九種倒牌で流局を選択するが「もし第1ツモが10種目の牌だったら国士無双を狙ってみるか」と思っていた。そうすると持って来たのは9索、これで10種10牌。向かうべ。

このあと1索を持って来て二向聴の時にトップ目の上家からリーチが掛かった。あーあ。ドラの7ピンを残していたわー。あんまし刺激したくなかったかね。すぐに1万持ってきて一向聴。7索落としてここはまだ突っ張る。でも聴牌したらドラ切りしなくては・・。リーチ2巡目に9ピンを持って来て、これで国士聴牌。こうなればドラでも何でも切り飛ばすぜぇ。
国士の待ちは西だ。すでに2枚切られている。しかしリーチ者の現物で誰でも振ってくれそうな状況だ。しかし私の方が先にリーチの当たり牌を持って来たらほぼビリ確定か。そんな思いが交錯する間もなくあっという間に出たのだ。
「ロン!」ジャーーーンと天鳳独特の銅鑼の効果音が流れる。リーチ者は肝が冷えたろうねぇ。まさか6巡目に役満放銃とは・・。
でも相手は4万点以上持っていたためドボンさせることが出来ず、ゲームは続いた。それでもオーラスまで3位4位とは4万点もの差があったのに、ラス親の4位者が親マン、親マンツモ、親マンと上がってさっきのトップ者をドボンラスにしたのだ。結局は私は2位。せっかく役満上がったのにィー。私は非常に悔しかったのだがよく考えればこの半荘で一番悔しかったのは一時かなりのトップ目だった上家さんだろう。

ビリ目だった私が一時ダントツの金持ちになり、逆に上家が貧乏のどん底になった。最終番を迎えるころ。上家はその最貧から抜け出そうだったのに同じ貧乏仲間の対面が急な成金になってそれまでの金持ち(私)まで追い抜いた。これまで何度も言及してきたが、まったく麻雀は人生の縮図とかではなく人生では味わえないであろう劇的ドラマを味わえるゲームである。

ドボンラスになった上家さんに何か落ち度はなかったのか。敢えて言えば上家のリーチした手は何の役もドラもないいわゆるノミ手。私の捨牌を見ると、萬子か么九牌を欲しがっていて、いかにも大物手を狙っていそう。リーチの待ち牌は1万と5万で私の欲しそうな牌とかぶり簡単に出る牌ではない。上家は上がりにくい上に自分の手は安いというハイリスクローリターンの選択をしたのだ。そこに隙があったんじゃないかな。自分は上がらずも私には上がらせないよう細心の注意を払うべきだった。この人は六段だが今後七段以上の鳳凰卓に上がれば、それくらい注意しないとすぐにしっぺ返しを喰らう。金持ちの時でも相手を馬鹿にせず注意を払っていればドボンラスという惨めな立場二ならずに済んだと思う。ああ、やっぱり人生にも通じるね、麻雀は!

2021年12月26日日曜日

転んでもタダでは起きず

「サポート詐欺」騒動最中の昨夜、テルからようやく年賀状のサンプルがLINEとメールで届いた。ふむ、出来映えはなかなかだ。ただもう少し修正したいところがあって電話で直接頼んだ。すると電話しながらもテルは微修正に応じてくれ話し終わる頃には年賀状裏面は完成した。後はこれをまずプリントし、表の宛名書きをして最後に一筆添えてから郵便局へ持っていく、今日の26日に出せばまず元旦には届くだろう。

しかし今回は裏面のプリントにはすこし苦労した。縁なしで全面印刷を試み、テストプリントでは上手くいったのに本番の光沢紙では四辺枠が出てしまった。それをどうにか修正をとやるのだが上手くいかない。結局、枠ありでもいいかと妥協した。午前中いっぱいかかって約150枚をプリントし宛名書き一筆と全て終わったのが昼の14時45分だった。そこからカールと中央郵便局まで投函しに行った。団地内のポストに入れないのは毎年の用心深さで、ずっと以前のこと、団地ポストからのが届くのがかなり遅くなった苦い思い出があるからだ。

帰宅して、実はまだ「サポート詐欺」のWindowsの迷惑画面は完全には退治出来ていなかった。Windows起動するたびにいやらしい画面が全体を覆ってくるのだ。

解消する方法は知っているがそれもいちいち面倒だ。最初から出て来ないようにするにはどうしたらいい?それを解決するきっかけになったのが自身のデジカメ写真だった。実は詐欺電話会話中に向こうの動かす遠隔操作を写真に逐一撮っていたのだ。これは私のいつでも手元にデジカメという習性の為せる業だった。写真を見てMacの「メモ」機能を操作していたのに気づいた。そこで「メモ」のファイルを見てみると私が作ったのではないものを一つ見つけた。こいつかー。これを消去したらそれ以降全く出て来なくなった。ふーぅ。
結局、日付が変わった12月27日にようやく「サポート詐欺」騒動は一応の終わりをみた。年賀状と詐欺騒動、明日から少しはゆっくりできるか。いや、年が明ければ1月半ばにはまた職員向けの朝礼講話スピーチがある。そうか、もしかしたらこの一件もネタになるかも。転んでもタダでは起きないとはこういうこった。うむ。

2021年12月25日土曜日

「サポート詐欺」に騙されるな

土曜日勤務はちょっと久しぶりでしかも午後は夕方まで日直だった。外来はそんなに忙しくなくちょっとした余裕もあった。

だがしかしー、私はとんでもない事態に巻き込まれてしまう。この日記を読んでいる人にも注意喚起しておきたいことなのでその顛末(てんまつ)を書いておこう。

これまで私はMacのWindowsを動かすソフト「Parallels Desktop 」内でネット麻雀「天鳳」の対戦ソフトを利用してきた。ところがこの1ヶ月ほど操作のちょっとした不具合がありそれを治したくていろいろと改善策を試してきた。ソフトの再起動や再ダウンロードはもちろんParallels Desktop 最新版をダウンロードしたり、Macも最新OSであるMontereyにバージョンアップもした。しかし治らない。そこで解決策を求め、あちこちのサイトにアクセスしていたのが良くなかった。

診療の合間にノートパソコンの画面(Parallels Desktop でWindowsを開いていた)にあちこち警告の表示が頻発するようになったのだ。そして「ウイルスに感染している」「Windowsサポートに連絡する」と書かれ050で始まる電話番号があちこちに貼られていた。↓の画像拡大すれば言っている意味がわかるだろう。
で、結論から言うと、ここに電話をすると大変なことになる。マイクロソフトからという画面もまあ掛けても良いかという気に私はなった(これも向こうの手なんである)。日本語をしゃべる男性外国人(言葉の調子からすると東南アジア系か)が出てきて「ウイルスに感染している。それを治すのに料金がかかる」という内容の話をしたので最初は「それなら断ります」と私は言ったのだ。「それは大変なことになりますよ」と言われても怪しいと思ったので「それで困ってもいいです」ときっぱり電話を切ったのだ。今思えば大正解だった。それで普通に仕事を続けていたが数回スマホに電話が掛かってきた。一度電話すると当然私の電話番号は相手に知れる。

ちょっと患者さんが途切れ、うるさいからとその電話に出てしまった。今度はさっきの男性とは別のちょっと分かりやすい日本語の担当者だった。私のパソコンがウイルスに侵されていると言うのだ。確かに警告画面がうるさく、嫌だなと思っていた私は今度は話を聞くことにした。さっきの担当は正直に料金がかかると言っていたが「無料ですから」と今度は言う。いかんねえ、無料ならと話を聞いてしまったんだから。

で、ウイルス退治するために相手の指示通りに数字やキー操作をし遠隔操作を受け入れてしまったのだ。すると「ほら、こんなにウイルスに感染していましたよ」と画面上に出てくるではないか。他にも「ネットワークでキュウリティがこわれています」「ウイルスファイル1786が見つかりました」など。実はそれも手だったのだが、ここでハタと「対局ソフトの不具合はウイルスだったか!」と合点がいってしまったのが迂闊だった。「今からウイルスを削除し警告を削除しサービスを更新します」と来た。ほうほう、これで改善するのかと思わされたのだ。

しかし全部改善してくれるわけではない。73%まで完了し、あとは料金を払ってからだって。それが結構高い。2万5千円から3年保証が3万5千円、10年だと6万5千円だってさ。
最初は無料とか言っていたくせにと思いつつもその時は感染していると思っていたからねー。2万5千円か3万5千円くらいならと答えると、「カードでも出来ますがこの状態でのカード利用は少しアブナイのでコンビニでの現金支払いがいいです」と来た。「20分待つから」とかいろいろ言うけど「今、仕事中だし、それに帰宅して夕方以降しかコンビニに行くことも出来ない」と返事すると「いつ頃出来ますか、自宅の近くにコンビニありますか」など言われ、結局19時以降にまたこちらに電話してからの支払い約束になった。そしてパソコンの画面は青色の警告画面でロックされてしまったのである。「下手に触るとパソコンが壊れてしまう可能性がある」と言われてね。実際、キーボード操作やパッドを触っても全く動かなくなったのである。
今日の午後はパソコン使えないかーと思いつつ、医局で休んでいたところ、サブアラドDrからたまたま電話があった。そこで午前のこの話をすると「怪しいなその話はー」と言われ、いったんは「まあ、ホントっぽい内容だった」と答えたものの、スマホでこういうケースについて書かれたものがあるのでは、と調べてみる気になった。すると、どうもこのウイルスの話は怪しいという気がしてきた。そして思い切ってノートパソコンを再起動させたのだ。パソコンは壊れることもなく普通にMacは操作できた。しかしParallels Desktop を使ってWindowsを開こうととするとさっきの青警告画面が出てきてブロックされてしまうのだ。やっぱり。

Macでネット使って調べると間違いなくこれはネット詐欺であると確信出来た。「不具合をサポートしますよ」と騙す手口から「サポート詐欺」と呼ばれ、警察関係サイトや良心的なサイトが警告と対策を載せていた。チキチョー!騙されていたか。遠隔操作を許したのがいけなかった。しかし最初から怪しいと思いいったんは断ったのに迂闊だったなー。ともかくも19時ごろにかかってくる電話には絶対出ないと決めた。実際にスマホにかかってきたのは20時50分ごろで非通知設定で4回かかってきた。22時ごろにもメッセージに非通知設定や通知不可能で7回も入っていた。その間はネット接続も切っていたしこちら側に何の問題もなかった。

ただWindowsの警告画面の消し方が分からずそれは↓のサイトでどうにか解決できた。https://web-security-info.com/607/#i-4
実際はウイルスにも感染していなかったし(今時そんなに感染するものではないらしい)、麻雀ソフトの不具合はそのままだだった・・。つまり何も変わったことは起きていなかったのだ。

いやはや、すんでのところで被害には遭わなかったけれど、年配の人やどこかでも信じてしまうところがあれば騙されてしまうと大いに自戒した次第だ。

2021年12月24日金曜日

クリスマスイブだったねぇ

クリスマスイブなんだって?むかしは世間も媒体もよく騒いでいた感じがあったが、いや、全く意識していなかったわ。

朝にカールが「これを内視鏡室のみんなに上げて」と渡されたのが手作りのチーズケーキだった。そうかイブだもんね。「日頃お世話になっているから」とのことで、カールは時々こうしたことをする。↓喜ぶ内視鏡室スタッフ。

バスクチーズケーキとかだそうで、私はスタッフに勧められたけれど食べなかった。無論ダイエットのためだ。それに家に帰れば余りもあるだろうしー。あとで一口食べると濃厚な味のチーズケーキでなかなか美味しかった。ただ、カールは「私は食べていないの」と。「あんまり味の濃いのは好きじゃなくて、どちらかと言えばヨーグルトケーキの方が好みだわ」とのことだ。確かにうちで作るのはそっちが多い。

夕方18時過ぎに、4階病棟を回っているとマウントレーナNsと山鳥Nsが薬の仕分け作業をしていた。「あれ?クリスマスイブっつーのに残業かい?」と言うと「そうなんですよ」「これからどっか食事に行くとかないの」「なーにんも」とちょっと残念そうなお顔だった。そして山鳥Nsが「先生、私明日25歳の誕生日なんです」と。あらま、そりゃ知らなかった。でも誕生日がクリスマスってちょっと損した気分もあるね。どうしたってお祝いのプレゼントやパーティなどいっしょにされちゃうじゃない。そんなことを言うと「彼氏もいないしー」と愚痴っぽく言うので「ははは、25歳なんてあっという間に出来ちゃうよ」「いやー、出会いなんかない」と言うので、この御時世、昔よりは確かに出会いは少ないかもとは思った。↓左、マウントレーナNs、右、山鳥Ns。

でもどちらも同学年で20代真っ盛りだ。彼氏なんて1ヶ月2ヶ月ですぐ出来る。いや、私も戻れるならその頃に戻りたいよ。実は人生の中でも一番輝ける頃なんだが、当の本人たちは気づかないんだよなー。

帰宅して、シャンパンを少しだけ飲み、夕食はカールのお得意のイタリアンでパスタの中には牡蠣や貝柱、バジルなど盛りだくさんでベリィグッド。手作り料理なんかしなさそうなイメージのカールだが実際は全くの逆なんだ。

食事の後は例の年賀状作り。今年はたいしたコラージュは扱わず、素の写真の良さを活かす方針だ。ただ、背景の横板に「明けましておめでとうございます」の文字を木彫りで書くという作業が自分では出来ずに、テルに頼んでいるのだが「すぐ出来るよ」と言っていた割にはまだ返信が来ない。この分だと25日までには終わらないか。はあ・・。

2021年12月23日木曜日

「ダウンタウン」を見かけました・・で?

ワクチン推進派の私にすればやや書きづらいことではあるが、一昨日のコロナ3回目ブースター接種の副反応で仕事を休んだりした職員がチラホラいた。3日目の今日になると私の昨日の倦怠感はほとんど無くなったが、外来副師長のずっしりNsは今日も休んだ。悪寒と発熱があってかなりきついとのことだ。こんなことを書けばワクチンを躊躇する人もいるかも知れない。が、それでも打つべきだと何度も言う。それくらいコロナに罹ってしまうと、きつさ、やっかいさ、しつこさが半端ないのだ。それに比べ、ずっしりNsは明日は間違いなく出勤すると断定できる。ワクチン副反応は先が見えているきつさなんだ。そしてさらに2週間経過すれば免疫向上がはっきりし、オミクロン、コロナ第6波へのかなりの安心感を得られるというものだ。

ただ今後3回目接種を打つ予定の人は翌日が休日になるような日を選ぶがいい。きつめの風邪を引いた状態になる可能性があるから。少なくとも大事な用事を入れておかないことだ。私は麻雀と外来&内視鏡とで麻雀を選ぶというちょっとした失態を犯した。自分の都合で休んだり他の職員に迷惑掛けるのは避けたいよな。遊びでは不都合生じてもつどのつまりどうでもいいんだ。分かりきっていることなのに・・。

話は全く別。この前の朝礼でのスピーチで、誰だったかな、旅行の際に空港でダウンタウンの二人と別々に遭遇したというエピソードを披露していた。みんな、へーえと驚きとうらやましさともつかぬ反応だったが、可愛いんだ理事長だけは違っていた。え、どこがって?

可愛いんだ理事長曰く「なんだ?『ダウンタウン』って」だった。ハハハー。

今年は大晦日の「絶対笑っちゃいけない」もないが、元より理事長は見ることもなかったんだろうねぇー。

2021年12月22日水曜日

初めての干し柿食べてみよ

うへへー。ワクチン副反応、やっぱりちときつい。いわゆる風邪のだるさだ。これで診察に夕方は内視鏡もしたから頑張ったほうか。昨日私に接種したずっしりNsは午後から休んだし、シマッチ院長も「だるいわ」とつぶやいていた。まあそうなると事前に分かっているたからなー。

カールが3週間前に干していた柿が熟して「食べてみる」というので写真に撮った。一口、「うん!美味しいー」だって。

へーえ。私が食べた時には少し渋さが残っていて市販の柿と比べ味は落ちると思ったが干し柿にすると十分な美味しさに変身ー!か。「初めてにしては上出来だった。昔の人の知恵はすごい」と感激したカールは、もう残りも少なくなった市販の柿を買ってきて。また吊るし始めた。↓参照。
北山診療所への診察当番は年2回ほどしかないが、来年の予定表を見ると11月29日が当たっていた。今年と1日違いでまた木津志の〇〇さんのところに行けば柿を取れるかも。するとカール「私も行っていい?」だって。おいおい、根こそぎ、いや枝ごと持っていくんじゃないやろなー。

2021年12月21日火曜日

3回目コロナワクチン接種だぁ

コロナワクチン3回目接種を今日の午後受けた。実は先週金曜日にも打てて、翌日が土曜休みで副反応を考慮すればその日が良かったのだが、あいにくリアル麻雀が控えていたため今日にした。明日は外来業務だけど・・いや、麻雀の方が大事だっ!でも、結局負けてしまって、だったら打っていた方が良かったかな。反省。

ワクチン接種業務はもう職員は慣れたものでさくさくと進んでいった。シマッチ院長の問診表チェックすると、後ろから接種隊がやって来る。利き腕の反対側を露わにしたところで畠鏡総務部長にカメラを渡して接種の様子をデジカメに撮ってもらった。カメラ目線にしなくちゃななんてやっていると、いつ打たれたかも分からないくらいあっという間に終わってしまった。接種しているのはずっしり外来副師長。彼女も今日打つ組だ。

注射の痛さはこの前のインフルエンザワクチンよりは痛くない。副反応はこっちのほうがきつい。2回目は翌日の倦怠感がけっこうあって帰宅後すぐに休んだ。3回目も同様程度の副反応症状らしい。金曜日接種組の職員に聞いたら、やはりきつかったという。が、1日2日で症状は消えるからコロナに罹るよりはずっといい。いつも言っているが、医療に携わる我々は感情でなく論理的に行動しなくてはね。

2021年12月20日月曜日

「後回し」にしない技術

今朝の朝礼で5階病棟の副師長の山優しNsが「後回しにしない技術」というタイトルでスピーチをした。なんでもそういう本があるんだとか。

その中には「実行しないといくら才能があったり知識やアイデアがあってもそれは0点にしかならない」とは、確かにそうだ。それで実行力とは一種の技術であって学めば必ず出来るという。

いろいろと要点を語ってくれたが印象に残ったのは「視覚化」ということだ。これは最近の私がよくやる手法でノートパソコンの手前のテーブルにぺったんこシールを貼ってその日1日やるべきことを箇条書きに書いておく。いわゆるToDoリストもしくはタスクともいう。そこに書かれている(視覚化)とどうしても気になってやってしまわざるを得ない。以前はそんなこと全くしていなくて直前に大慌てってことがよくあった。

昨日も「ラブカメ写真」を書いたシールを貼っていて、それを見るたび「ああ、今年の職員の写真をラブカメ先生に渡す作業をしなくちゃ」と思わされ、結局2日間で終えることが出来た。人様の用件だし3〜4時間と意外に時間がかかるんで後回しにしがちなんだ。例年より5日は早く渡せたぜ。

ただそのシールには「年賀状」とも書かれてある。これがねー、毎年やっかい。でもまずは1%でもいいから取りかかること。実行しなければいつまでも0%だ。で、とりあえずはフォトショップを動かしてみた。はあ・・アイデアはあるがテクニックがない。すぐに行き詰まってしまった。ううむ。今日はまずは取りかかっただけでも自分を褒めてあげよう。残りは明日以降だ。まだ1週間ほどは余裕がある。はっ、後回しにする癖がまたぞろ出てきた・・・。

2021年12月19日日曜日

急げ!新幹線

今日は出水のスチョル先生の所へ内視鏡検査に行く予定があった。朝7時32分の新幹線に乗って午後にはまた新幹線で帰る。2ヶ月に1回くらいあり、もう20年以上続いている。

そんな日常の一コマであったが、朝7時の「えっ!もう7時だっ」というカールの声に私もびっくりして起きた。これは急がなくては!

発車20分ほど前には家を出ないと乗り遅れてしまう。着替えを急ぎながらも食事は同じ団地のバンブックさんからお裾分けされたおはぎを食べて出かけた。なんでおはぎがあるのかというと、これ、朝ドラの影響なんだ。上白石萌音演じる安子が「おいしゅうーなーれ」と毎日おはぎを作って売っているのでバンブックさん「無性に食べたくなった」からなんだそうだ。

自宅駐車場を出たのが7時13分。残り19分だがどうにか乗れそう・・しかし、こんな時に限って信号待ちによく引っかかった。日曜の朝ゆえに車の往来は少ない、ええい赤信号だがここはー、いやいや善良な市民はそんなことをしてはいけない、しっかり守って鹿児島中央駅を目指した。西側駐車場に車を止めたのは7時27分ごろ。もう5分を切っている。エレベーターでは走らないでと言われるけどここは走った。切符は自動販売機でお札を入れるヤツ。以前は簡単に往復券があったが今は1回1回画面を押さなければならず少しイライラさせられる。

走って改札へ。いつもは駐車券にチェックを入れてもらうがそれは帰りでもいい、まずは走れっ。エレベーターもあるが長い階段を自力で上った方が確かだろう。はあはあ、せーせー。「博多行き、つばめなんとか号・・」と発車のアナウンスが流れ始めていた。2号車にもぐり込み、すぐ近くの座席に座って何度も息を吸っては吐いた。30秒経ったか経たないか、列車は静かに動き始めたのだった。川内駅を過ぎるまで呼吸は安定せず、その間は何も出来なかった。

内視鏡検査は特に問題なく進み、昼食を摂っていつもなら後1件検査をすれば13時17分の新幹線に乗るだけだったが、今日はちょっとした手違いでもう1件組まれており検査終了は13時15分ごろになった。それで一便遅らせ14時25分の新幹線乗る予定になった。ただ1時間ほど時間が空いたので院長室でMacBookProを開き、夜にアップする「こてる日記」を書き始めた。これをやると1時間なんてすぐに過ぎる。後もう少しで書き終えそうだったので時間を気にせずにいたのだが・・時計を見ると14時15分を過ぎていた。え!もう出ないと乗り遅れるぅー。いつもならスチョル院長が「そろそろ行きましょう」と送ってくれるので自分からは言い出すことはない。それで油断していたこともあった。詰め所に行って看護師から院長に伝えてもらうと、大慌てでスチョル先生が出てきて「急ごう!」と白衣のまま車に向かった。先生もプリンター設定か何かに戸惑ってやり過ごしていたらしい。

「ぎりぎり間に合うかも」とスチョル先生。目の前には軽トラックが法定速度を守って走っていた。追い越してでも急ぎたいがその後を付けるしかない。米ノ津川に架かる橋の上で信号待ちになった。駅まで近く信号はこれが最後だ。時計を見ると14時23分。「1分あれば駅には着く」とスチョル先生はチラッと遠くの線路を見上げる。「まだ新幹線は着いていない、間に合う。切符は買っている?」「ええ」「よし」駅に着いたのは24分ちょっと前。挨拶もそこそこに車を降りて私はまた走った。改札出てエスカレーターはあるのだがそっちは指定席方面なので自由席側はやはり長い階段を上らなきゃならない。二段ずつ大股で駆け上がる。ホームに着くと列車はすでに到着し乗客たちが乗り始めていた。私は3号車に駆け寄りどうにか乗り込めたが一番最後の客だった。そして30秒経ったか経たないか、列車は静かに動き始めたのだった。

なんだこれ、朝と全くいっしょのシチュエーションじゃない。スチョル先生にはすぐにLINEで「大丈夫でした」とだけ送った。「良かった」と即返信があったが、まさか朝も同様のことをしていたとは思わなかったろう。ほっとすると同時に「明後日のこてる日記ネタはこれだな」そう思う自分がいた。ただ、決してそのためにこんなきわどいことをしたわけではないことは、ここまで読んだみなさんには分かっているよネー。ハァハァ。

2021年12月18日土曜日

ボウリング姫路麗すごい!

午後からはリアル麻雀が予定されていて、午前は日記書き、写真整理などしつつ、ボウリングの女子プロの全日本選手権のライブ中継を見ていた。現在日本の女子プロは姫路麗(ひめじうらら)の全盛期で今年はなんと現時点で4連続優勝中だ。本日決勝が行われる全日本選手権も予選リーグでダントツの1位を快走しており決勝ステップラダーもトップシードはほぼ確定している。優勝する可能性は9割以上だなと思って、麻雀に出かけた。

麻雀は久々の強者腹出しDrが参加で、しかも前半は絶好調。間5ピン待ちのダブリーを一発でツモ上がり、一盃口発ドラ1ウラ2が付いて倍満で、今年イマイチだった調子の鬱憤晴らしをしてかのよう。それに対して私もダブリーの手が来て待ちも58ピンと悪くなかったのにドボン寸前のサブアラドに5800を上がられた。それだけでなくまた同じ58ピン待ちのメンタンピンリーチを掛けたら、最初のツモの3ピンをサブアラドがポン、次のツモの7索を切ったら断ヤオドラ5の親ハネ満18000点だって。私がドボンしてしまったよ。後半少し盛り返したがトータルでは負けてしまい、これで年間トータル1位をサブアラドに譲ってしまった。去年もわずかの差でトータル1位を逃してサブアラドにやられている。ううむ、来年は許さん!

帰宅してさっそく全日本女子のビデオを見た。決勝に残ったのはトップシードは無論姫路麗で後は霜出佳奈、坂本かや、堀井春花という20代の若手実力派の3人。霜出、坂本は強力なフックボールを投げ、堀井は今回私は初めて見たルーキーで高いバックスイングのサウスポーで今大会唯一のパーフェクトゲームを出しているという。4位決定戦では坂本かやがなんと290点という準パーフェクトを出して3位決定戦に進出、そのままの勢いで決勝戦に進出かと思いきやちょっとした10ピンミスがアダとなりルーキー堀井を乗せた。255対226で堀井の勝ち。

決勝はベテラン対新人の戦いになった。そこでなんと新人が235対223で勝ってしまった。が、しかしー。この全日本だけの特別ルールでトップシードは1回負けても再優勝決定戦が行える決まりだ。姫路はそこも考えてゲームプランを練っていた。左右のレーンのうちレーンコンディションが分かっている右の方を2ゲーム目の最後にもってくるよう指定していたのだ(指定はトップシードの権利)。さらにこれが発の決勝の堀井には緊張の持続は難しかっただろう。2ゲーム目は序盤でスプリット2回出して姫路に大きくリードされた。だがそこから5連続ストライクを持ってくるとは並の新人ではないな。姫路もミスすることなく緩まず投げて9フレのターキーストライクでほぼ勝利を決定づけた。堀井は10フレまたもやスプリットに見舞われたがそれは仕方ないことだった。


5連続優勝というのはこの50年、プロボウリング界で見たことない大記録だ。51年前、中山律子が女子初のパーフェクトを出したのに発憤した須田開代子がその直後から6連続優勝をしたと聞いているがそれ以来だろう。その頃の女子プロはまだ始まったばかりで人数もレベルも今とは違う。姫路は年齢も40代とボウリング界ではやや衰えが始まるころなのにすごい。これで30勝の大台に乗り今後どこまで記録を伸ばして行くのか。40才過ぎてから30勝以上勝利した時本美津子の例もあるから2位の須田開代子43勝は狙える。ただ世界記録保持者の斉藤志乃ぶの74勝はかなり厳しいか。そこでふと思うのは斉藤志乃ぶはこれだけ勝利しているのに世間の認知度はかなり低い。33勝で5位の中山律子の知名度とは比較にならない。これはボウリング界の七不思議といってもいいかも。

いやー、それにしても姫路麗すごかった。ボウリングの凄みを見せてくれた。麻雀の負けを忘れるくらいだった。

2021年12月17日金曜日

全斗煥否定は反日と同じ構図って

朝出かけようとすると、モリサンチー家のハッピーちゃんがまたやって来ていた。カールがいつものようにエサ上げしようとすると、ゲンちゃんも窓から首を出し興味津々で見つめていた。ずっと以前はすぐに外に出ようとしていたが、最近は出ちゃ行けないものと分かっているのか億劫なのか少し身構えているよう。


全然、ネコの話とはちがうのだが、文春オンラインで今日アップされた記事が面白かった。韓国がらみのもので「全斗煥時代の韓国は本当に“暗黒”だったのか? 事実を直視しない「韓国人の歴史観」には付き合いきれない」というタイトルで筆者は黒田勝弘氏。もと共同通信社の記者でその後産経新聞に移り日韓関係を中心に論説を行っている人だ。

記事によると、先頃亡くなった元韓国大統領の全斗煥氏の時代を現在の韓国マスコミ、国民は全否定している。否定する否定しないは各自それぞれの意見であっていいと思うのだが、もし擁護するような発言をすると現在の韓国では抹殺されるという。黒田氏の寄稿は4ページほどでそんなに長くはないのでぜひ読んで見て欲しい。→https://bunshun.jp/articles/-/50692

氏は言う。「韓国では多様な事実、多様な見方が封じられるとその事実は忘れられ、なかったことになってしまう。まだ同時代を生きた人びとが存在する、わずか40年ほど前のことでもそうなのだ。まして1945年に終わった日本による統治時代の事実など、どこかにいってしまっている。「日本時代にはいいこともあった」は韓国では今なお妄言であり禁句である。それを言えば政治家は失脚し、識者は社会的に追放される。
全斗煥時代の振り返りは「韓国人の歴史観」を検証する絶好の素材である。韓国では歴史の見方が、人びとの暮し抜きというすこぶる政治過剰であると同時に、それがさらに後世の政治状況で左右されるのだ。事実を直視しない「韓国人の歴史観」には日本人は付き合いきれない。日韓関係がうまくいかない根本原因である」そうか、なるほどなと思う。

あと、この寄稿で興味深かったのが、全斗煥政権始まった頃(1980年〜)の韓国国民の生活レベルだった。なんとTVのカラー放送が始まったのが1980年12月だったというのだ。黒田寄稿によると「それまでカラーテレビは“贅沢”とされ、国民は白黒テレビでガマンさせられていた。カラーテレビは人びとの日常を明るくしたが、それ以上の波及効果があった。カラーの化粧品広告によって女性たちが化粧をするようになったのだ。韓国女性の化粧は、それまでは限られた人たちが限られた場面でするもので、一般の人にはあまり見られなかった。それがこの時からほとんどの女性が化粧するようになった。これで人びとの風情も一気に明るくなった」とのことで、それまでは一般女性は化粧もしていなかったという。日本より20年は遅れていた感じか。伝聞などではなく、当時韓国にいた黒田氏の言っていることだから間違いないだろう。

また当時の韓国に夜間外出禁止令というのがあったのは知っていた。米軍統治時代から続く法律で「国防・治安上の理由で午前零時から4時まで外出や交通は禁止され、屋外での活動は一切認められず、街はゴーストタウンとなっていた」のだった。それが1982年1月から解除され「街頭のネオンサインが解禁になり、街灯も増えた。朴正煕時代はエネルギー節約のため夜はひどく暗かったのだが、全斗煥時代になり街も人も明るくなった。さらに中高校生たちの制服を廃止しヘアスタイルも自由化した。街から黒い詰襟服が消え、街は明るくなった」という。その頃の日本はというと私は大学生で飲み会で深夜になることも徹夜麻雀もしょっちゅうだった。韓国にいたらやっとれんかったな。

娯楽面を自由解放に向けた全斗煥政権だったのだが、光州事件など反対勢力を武力で押さえ込んだり、民主化弾圧など国民感情は全斗煥氏に対し良くない。「それまで18年間続いた勤倹節約・質実剛健・贅沢は敵という朴正煕政権が終わり、夜間外出禁止令解除など人びとの暮らしの規制、統制が一気に解除され、実は韓国にとって全斗煥時代は現在の“豊かな韓国”のスタートを切った時代だった。わずか40年ほど前のことなのに、現在の韓国人の記憶からはそれが抜け落ちている」と黒田氏は事実に基づいて韓国と韓国民を批判しているのだが、事実より自らの理想が優先される韓国民の性質は全斗煥全否定に走る。そして反対意見を認めようとしない。

来年の大統領選たけなわの今の韓国で野党「国民の力」の尹錫悦候補が全斗煥氏について、亡くなる前だったが「12・12と5・18(粛軍クーデターや光州事件のこと)を除けば政治をうまくやった」と語ったところ大問題になり、謝罪させられる場面があったという。そりゃ全斗煥の反対勢力への弾圧などひどいもんだわ。だからその発言を批判するのはいいよ、でもなんで謝罪までさせる必要があるの?これは日帝時代について全てが悪かっただけでなくいい面もあったはずなのにそれを少しでも認める発言をすると謝罪させられるだけなく社会的に追放される構図といっしょだ。さらに私が一番問題にしたいのが「与党サイドはもちろんメディア、世論も一斉に非難した。対抗馬の与党「共に民主党」の李在明候補は、その種の“歴史歪曲”発言は処罰する法律を制定して規制すべきだと主張している」という点だ。これはいけない。気は確かかと言いたくなる。言論統制であって日本で言えば言論、表現の自由の保障に対する明確な憲法違反だ。韓国にはその手の基本的な法律はないのか。そもそもその発言を「歴史歪曲」と決めつけている時点でおかしい。ははー、だから日本に対してもそうなんだなと気がつかされる。

たかだか40年ほど前の同胞である全斗煥時代と80年近く前の日帝時代、それに対する韓国民の取っている態度は全く同質である。その国民性に呆れると同時に、反日を叫ぶ韓国に対し今後もあまり改善を期待は出来ないと思わざるを得ないのだった。

2021年12月16日木曜日

大腸憩室出血源また発見!その秘訣は?

一昨日入院していた大腸憩室出血の80代の男性患者が未明にまた下血したとの情報が入った。担当は東洋Drで「どうしたものか」との相談に「下血したその日がチャンスなんですよ。今日ぜひ再検しましょう」と三度目の大腸内視鏡を提案した。昨日の女性のように一発で出血源が判明するケースは稀だが、下血した日に検査をすると発見率が50%くらいまで上がる印象があり「ここはぜひ」と勧めたのだ。それにこの患者さん、2年前にも下血で入院しクニンダDrが担当したが結局出血源を見つけられないままだった。ここが踏ん張りどころよー。

夕方最後に検査をすると、前処置ですでに血液はほとんど残っておらず、出血源を探すのはまた難しそうだった。一度見ても血液付着が無く、引き抜いて横行結腸まで来たところでまた上行結腸へ挿入しなおした。一昨日の血液付着のパターンから出血源は上行結腸にないといけないはず。するとー。

「あったー!」発見だ。昨日の女性と偶然ほぼ同じような部位にあって、やはり凝血が溜まっていて、洗浄すると露出血管が確認できた。「オッケー、これで止血出来る」やり取りを聞いていた患者さんも「うわー良かったぁ」と2年越しの思いが吐露されていた。


いやはや、こうして2日続いてネタにするほどうれしい。この後すぐに今日と同じ処置をして病棟に帰ってもらった。都合3回目での内視鏡での出血源発見はまあ平均的な回数だ。後で東洋Drは「私にはこてる先生のようなマネはできない」とつぶやいていたらしい。それは1回目かせいぜい2回目で探索はあきらめるからという意味だ。去年亡くなったピッピDrも同じようなことを言っていた。みんなあきらめが早いなー。

私は数年前の学会(DDW)で出血源発見率の高い施設の発表者に「なんでそんなに発見出来るのか」と質問したことがある。何か秘策でもあるのかと思ったが、「どうしても見つけてやるという根性だ」みたいな返事だった。それを聞いて我が意を得たり。私もそう思っているからだ。絶対見つけてやるーという熱意が発見率を上げるのだ。これまで5回までは検査したことがある。それでようやく見つけたこともあった。諸事情が許せば6回目さえとも思うが、さすがにその頃になると患者さんやスタッフも(私も)根を上げてしまう。まあ仕方ない。5回目までには見つけてあげるからみんなガマンしてなー。

2021年12月15日水曜日

大腸憩室止血が最短で終わった

最近内視鏡検査が多いのは、胃や大腸の検診結果が地域住民に届く時期からなのだが、下血患者が多いせいもある。この時期、虚血性大腸炎、大腸憩室出血など増える印象だ。

昨日の当直のコジロDrから「先生、お願いします」と言われた患者さんは70代女性で、下血のくり返しがあるとのことで未明に救急入院になっていた。腹部CTでは大腸憩室が写っていてそこからの出血でなかろうかとのことだ。それならば私が専門だ。主治医を引き受け絶食点滴にして、夕方に大腸内視鏡を予定した。実は昨日も東洋Drから「下血でほぼ間違いなく大腸憩室出血の患者さん」を大腸内視鏡依頼され、緊急ゆえ前処置なしで実施し、確かにそのとおりも、出血源憩室は特定できずに終わっていた。

また昨日のようにならなければいいがー。ただ、今度はしっかり前処置を行っての検査だから出血源特定の期待が持てるか。そんなつもりで挿入していったら、なんと一発で出血源が分かった。上行結腸を観察中に一つだけ凝血付着のある憩室があった。「お!これは」と近づいて送水してみると紛れもない露出血管が憩室内にある。↓参照。


「なんてラッキー!」これは患者さんも私たちもみんなラッキーだ。憩室出血ではその出血源が分かるか否かがすべての分かれ目。分かれば治療はスムーズに行くしその後も安心だが、分からなければ絶食点滴安静くらいしか方法がなく、常に再発の危険性(実際かなりある)が残る。

出血源分かれば後はお手の物で、クリップで露出血管を仮に止め、その後スコープを入れ直し、内視鏡室的にゴムバンド結紮法(EBL)を実施した。これをすれば再発はほぼ100%なくなる。最初の挿入から全て終わるまで25分くらいで終了した。憩室出血の結紮治療では最短の時間といってもいい。

矢印↓が憩室ごと結紮したゴムバンド。

あまりにもうまくいったので、この患者さん前世でなにかいいことでもしたのか?とさえ思った。こういうことがあると検査を行う側も元気が出るというもの。内視鏡室検査医冥利につきるってネ。

2021年12月14日火曜日

ゲンちゃんはなぜに上目づかいをする

年賀状はゲンちゃんのポーズ撮りが難しい。立ってもらって面白い表情ならもんくないのだがー。ソファにお座りゲンちゃんに対し、カールが気を引いて上目使いにしてくれてちょっとは可愛く見られるようになった。

う〜む、でも満足いく年賀状画像にはまだ何か足りないな。あ、でも眠い。このところ検査も外来も忙しくて年賀状作りにしっかり向き合えない。またしても椅子寝してしまい未明に起きるも日記書きがせいぜいだった。12月は毎年こんな感じだぁ。

朝方、自動給餌器はわずか10gしかエサを上げてくれない。ゲンちゃんは食べてもすぐに「まだエサはないの?」と私にアピールする。確かにそれだけでは少なすぎると分かっている。でもネ、ゲンちゃん。これはダイエットのためなの。以前は30g+30gも与えていてそれで肥満体になった。動物病院の先生にも叱られたのよ。10g+20gの半量にして少し痩せてきてこの前は褒められたでしょ。まだまだガマンガマン。

↓こんな感じでいつも私を見つめるのだ。
そして皿を見る。

見つめれど見つめれど わが胃袋満たされず ぢっと皿を見る(源之丞)

2021年12月13日月曜日

ノイズ無きイヤホンは・・

病院の総務から聞いた話、4月から入職するかもしれない東京の内視鏡医は結局来ないということになっていたそうだ。げげー、病院訪問して来た時にはいい感触だったけどー。残念。内視鏡医にとってすごく働きやすいいい病院なんだがな〜。求む、内視鏡医!

12月2日に購入したノイズキャンセリグイヤホンAnker Soundcore Liberty Air 2 Proをちょくちょく使っている。なかなか快適でアップルのMusicでプレイリスト作成したマイフェイバリットソングスもまたよく聴くようになった。イヤホンがセパレート型になってこちらの方が紐の煩わしさがなくていいと思った。以前は一方を無くしそうでこのタイプは敬遠していたのだが・・。一昨日のしんどかどDrのフレンチへ行く際、中央駅までのバスの中では乗って来る若者は大半がイヤホンを付けていた。スマホに入った音楽を聴いているのだろう。私もそうだ。バスに新幹線と退屈することなく過ごせたのだった。まだ若いゾ。
夜はイヤホンを付けたまま、ネットで麻雀のMリーグを観戦していた。外界から遮断され、プロの真剣勝負の息づかいを堪能する、それはそれで良かったのだがいつのまにかぐっすりと・・。その夜書くべきフレンチプレオープンのネタを一行も書かずまま寝入ってしまい、翌朝大慌てする羽目になるのだった。

2021年12月12日日曜日

ラス目に起きた奇跡

日曜はほぼ1日家の中にいた。そろそろ年賀状作りもしないといけないと思いつつダラダラ過ごした。年賀状は裏面に使う写真1枚を候補に上げ 、どうにかそれを元にコラージュ出来ないかなと考えた。ううむ、イマイチかなぁ。その前にフォトショップを使用するためにネットで申し込みをしなくては。去年もそうしてこれが毎年恒例になりそうだ。

天鳳は調子は良くも悪くもあり。ただちょっと面白かったのが三家和(サンチャホウ)があったこと。私の上家は持ち点0となってダントツビリの状態だった。しかもオーラスだ。役満でも上がらないかぎりどうにもならない。そんな手が簡単にできるはずもなく、トップ争いの親が連荘して自分も聴牌し聴牌料をもらうくらいしかやることがない。私はかなりのトップ目で自分が上がればベストだが、誰かが安い手でツモ上がりしてもラス目がドボンになりそこで終了OKだ。

南ドラ2で3、6万待ちという手頃な手を聴牌しじっと当たり牌が出るのを待った。すると、出たよ、ラス目が出しよった。当然、「ロン」ボタンをクリックした。これで終わりだな・・。「ロン!」「ロン!」「ロン!」え??↓がラス目放銃直前の場面。

お分かりになるだろうか。何と、対面も下家も同時にロン!。三家和である。↓。

麻雀の特殊ルールで「三家和」は流れ、その局はなかったことになる。本来なら親マン12000、子の3900,3900と2万点もの失点になるところだった。ラス目さん、超危険牌を振ったにも関わらず点棒を払うことなく済ませられた。ラッキーだ。こんな場面、年に一度もない。

私が記憶するかぎりではずっと前、サブアラドが私の親マンリーチの5、8万に8万を振って、「よし、親マン」と思ったのに、それが三家和で「はあ?」となったことがあった。それで息を吹き返したサブアラドに対し私はトップになるはずがラスに落ちていった苦い思い出だ。このラス目さんもこれがきっかけで盛り返せるか?しかし上の点数経過表にもあるとおり、対面が上がってラスのままだった。私はかろうじてトップ死守した。

奇跡を見た直後に一瞬、復活の夢を見たかな、ラス目さん。麻雀にはとんでもない大逆転がたまにあるが、こうして現実を見せられることも多々ある。人生も麻雀もキビシイね!

2021年12月11日土曜日

メディカルフレンチ「La Samia」プレオープン

今年10月8日に日記ネタにした「新屋信幸」 シェフの週末レストラン「La Samia」のプレオープンがあり、カールとさつま川内のしんどかどDrのクリニックへ出かけた。(↓にその日の日記を抜粋

しんどかどDrが「フレンチの新屋信幸って知ってるか。ネットでもすぐに検索ヒットするくらい名が知れたシェフなんだがうちの病院に来てもらっているんだ」という。すぐに検索すると「新屋信幸:プロフィール 1959年大阪生まれ。16歳で料理の道に進み、国内のフレンチレストランで修業を重ねたのち27歳で渡仏。ミシュラン三ツ星シェフのピエール・ガニェール氏の下で修業を積む。帰国後は、【オーバカナル原宿】のスーシェフ、【ブルーノート東京】のシェフを務め、41歳の時に大阪・日本橋に【キュイエール】のオーナーシェフとして独立。予約の取れない超人気店となる。独創的な料理論に、料理人のファンも多い。2020年11月、医療法人くすのき会にFood Directorとして入職。現在、入院患者様、通所リハビリテーションの利用者様の食事に、腕を振るっている」とあった。奥さんが鹿児島の人らしくしんどかどDrと縁があったらしい。

「オレはあんましコース料理なんて食べに行くタイプじゃないからよく知らなかったが、彼の作る料理は違う。素材を大事にしてそれを活かす料理で、デザートもパンも作るのがうまいんだ。それでそのまま院内だけに披露するのはもったいないから、近々『週末レストラン』ってのをやろうと思っている」と言ってきた。「メディカルフレンチ」と銘打ってスタッフは全員彼のクリニックの職員で院内の大きなスペースを改造して予約限定で人数も16名限定のフレンチ料理を振る舞う機会を設けるそうだ。私にもぜひ来て欲しいという。ほうほう、それは人気出そう。カールといっしょに絶対行きたいわ。

新幹線でさつま川内駅に着くと、スタッフがワゴン車で迎えに来てくれていた。店に入ると厨房を通過した先の2階にあり、確か以前「並みの人生では満足出来ない人の会」で使われていたスペースだ。今夜招待されている人たちを見ると半分くらいはその会で見かけたことのある人たちだった。少し違うのは私も含めてペアで参加していること。今夜はこれが大きかったねー。私の両隣はバスケ部仲間で同級生のアップリバDrと奥様に生命保険の元は通るさん夫妻でカールもお酒もあってかアクリル板があってもよくしゃべりいつもよりもさらに楽しい雰囲気になった。

メニューは地域や新屋シェフが持つネットワークを活かした食材を使ってものでメニュー表はシェフ手書きのものだった。ホームページはこちら→http://www.la-samia.co.jp
そして飲み物はワインを始め本格的なものがたくさん。カールは白ワイン2種、赤ワイン、キリンハートランドと味わい尽くしていたナ。元は通る夫妻もよく飲まれるとのことで「うちは食事に行く時はじゃんけんをするんです。で、負けた方が運転手・・なんですよ」「えーそうですか、うちはこちら」と私の方に手を向け「運転手」と。これには二人とも「いいなー」と声を上げていた。えへへ、今日は運転手じゃーありませんよ。ところで、隣の元は通る妻さんは無論初めてお目に掛かるのだが、いきなり私は「あのー、NHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』で女中さんをやってらっしゃる方ですよねぇ。ちょっと今、不穏な空気を醸し出してませんか」と語りかけた。いったい何を言うという顔をされるかとも思ったが「ええ」とボケに対して受けてくれたのは良かった。彼女を見てタレントで女優の岡田結実に似ていると思ったからだ。4人のお子さんの母で、聞けば釣りが趣味で最近は息子にもその楽しさを教えこんでいるとか。
隣のアップリバDrとはよもやま話をしていると、「何、雉子蔵Drが亡くなったって?!」と驚いていた。去年早々に癌で亡くなっているのだが、その直後からのコロナ禍で情報が伝播されにくくなったからかも。逆に私が少し驚いたのは亡くなる半年前まで「子どものためにもまだまだ頑張らなくては」とアップリバDrのクリニックでの仕事も画策していたことだ。それは叶わなかったが「いっしょに食事もしたりして体調が悪いなんて全く気づかなかった」そうで、ということはやはり自分の病状に気づいていなかったんだな。

メインディッシュは魚と若鶏のもも肉で魚はなんとそれぞれが違ったもので私はアラカブ、カールはオジサン、その他シマアジ、ヒラメなど他にもきっと違った魚があったはず。さらにランド産フォアグラは本格的で美味しかった。料理の写真、ちょっと上手く撮れていないのがあってさっきのホームページのプレオープンのところを参照→http://www.la-samia.co.jp/news/グランドオープンにむけてプレオープン中/

しんどかどDrや新屋シェフも挨拶をしていて、元はと言えばしんどかどDrが住・空間研究所「善太いる」さんとフランス料理を食事した時に挨拶に来たシェフが新屋さんだったそうで、そこから1年に1回くらい食事の指導にしんどかどクリニックに来てもらったのがきっかけだったとのことだ。1年前からクリニックの食事を作ってもらうことになったが内輪だけにしておくのはもったいないからと週末レストランを開くことにしたと。うーむ、しんどかどって人の輪が広がるタイプなんだよな。医者の中ではまさに開業医に向いている。うちの可愛いんだ理事長もそうだし、以前青雲会病院に勤務して今は鹿児島市内に医院継承して頑張っているブックリバーDrもそのタイプだ。趣味やレジャーを通じて付き合いが広がっていき、それがまた仕事に活かされるんだ。

カールが「ここのスタッフは新屋シェフ以外はクリニックの職員なのね。副院長のオポサイト君はリハビリが専門だというのにしっかりお店の仕事をしてすごいわ」と感心していた。で、「このビジネスモデルがすごい」というしんどかどDrの医療法人くすのき会が紹介された本を「私も欲しい」とねだった。実はその本はすでに私が2年前にもらっているのだが病院医局に置いていてカールは知らなかったのだ。
さっそく読んで人材ではなく「人財」として人を育てていくという内容にまたまた感心していた。そして「今日はとっても良かったわ」としんどかどDrと新屋シェフに感謝し「それもこれもこてる先生が知り合いだったおかげ」と私の株まで上がった。カールとしんどかどDrは実質初対面↓。帰りに新屋シェフと↓。

帰りの新幹線ではカールの足取りがアルコールのせいか少しおぼつかなくちょっと気を遣った。「食事だけでなくお酒も美味しかった」とここぞとばかりに飲みまくったからだろ。私もほんの少し飲んだので帰りは運転はせずにタクシーで。23時過ぎには無事自宅に帰り着いたのだった。