2020年2月29日土曜日

オマルさんと久々の対局

1年半ぶりくらいだろうか、あのオマルさんが昨日入院した。いや、そんなに体調が悪いわけではない。どちらかといえばしょっちゅう面倒を看ている家族のための入院、いわゆるレスパイト入院である。で、オマルさんといえば囲碁だ。今日も病室で一人磁石碁盤を前に棋譜並べや囲碁新聞を見たりしていた。午前の外来が終わり、昼食を済ませて私は病室に入り一局お願いした。私が3子ハンディをもらう3子局だ。

どうもオマルさん、実践対局はそんなにしていないとのことで少々気弱な発言をしていたが、いざ対局が始まるとフガフガ言いながらも打ち筋は昔のままって感じだった。星の定石を2ヶ所打ち終えたあとに、右下隅で白のオマルさんが無理な打ち込みをしてきた。ここはとがめねばならない。するとなんと上手のオマルさんが見落としで白4目と打ち込んだ石を全部私が取ることが出来た。かなりのもうけである。その後も私の石を攻めてくるが微妙なところでミスが出てまた私が有利になった。最後は下辺で黒石と白石との攻め合いになったがここも私の一手勝ちでこれで勝負は決した。最後は打った石を崩しオマルさんの投了。「うーん、強くなった。今度3子で負けたらその次は2子だ」と言って、パチパチと拍手をし始めた。誉められたのだ。

いやいや、結構ミスに救われた気がしてオマルさんまだ本調子ではないはず。もっとも私もこの1年半、対局こそほとんどしていないが、囲碁AIのMasterがプロ相手に60連勝した棋譜を何度も何度もパソコンで並べていたのでもしかすると少しは強くなっているかもしれない。仕事の合間の数分とか、ちょうどいい時間つぶしになっていて1年で60局を10往復くらいしたかも。囲碁AIの打ち筋は斬新でかつためになるものが多く今や囲碁のプロすら参考にしているほどだ。新聞や本で棋譜並べをするよりパソコンはスムーズでやり直し、繰り返しがずっと容易だ。同じ勉強でも御老人のような旧式の方法よりは効率がいいと思う。その差が出たかな。よし、次も勝ってハンディ減らし2子局で勝負だっ。

2020年2月28日金曜日

ケイショー君パーフェクトを目指す

なんだか朝からだるさがあった。咽頭痛がする。外来の仕事をしていてもだるさで気分が乗らない。もしや新型コロナ?いやいや、試しに体温計で測ってみると36℃台だった。でも昼になっても熱感があって有休を使って早帰りすることにした。

自宅で2時間ほど寝ていたらかなりだるさが取れた。生汗かいていたのにそれもなくなって明らかに体調が上向いているのを実感できた。それで夜は串木野のトリオリーグへ最初から半袖を着て向かうことが出来た。

今回も前回と同じレーンコンディションでアウトサイドを真っ直ぐ投げれば奥でぐぐっと曲がりストライクが出やすい。ただし8枚目から中はオイルが多く中を使うと難しくなる。ただ前回はスコアが出なかったがサンシさんも私も反省を生かして調子良かった。海広しDrは前回休みだった上に今回のレンコンを克服出来ずにかなりのロースコアだった。なにせストライクが全く出ない。3ゲーム目は投げるラインを外寄りに変えてストライクも出だしたが時すでに遅しだった。

隣のレーンでは高校生とおぼしきケイショー君が絶好調。7、8枚目を真っ直ぐ投げ安定した投法が見事にハマってストライクの連発。ついには10連続ストライク出し、あと2投でパーフェクトというところで1本残った。私は背後で動画撮りながら見ていたが、その11投目はやけに間を取っていた。慎重に投げないとという思いがあったのだろうか。投げた球は9枚目を通った。案の定オイルに乗っかってしまって滑り、ヘッドピンに薄く入ってしまった。結局289でビッグチャンスを逃した。

実は2ゲーム目、私もストライクを連発した。1フレ目はスペアでその後9連続ストライク。そのまま続ければ290だったが最後はまたスペアで279に終わった。投げるコースさえ間違わなければハイスコアが出るレンコンだったのだ。結局3ゲームで692といいスコアだったがケイショー君はその後も快投を続け3ゲーム760以上というとんでもないスコアを出していた。教科書的なフォームで大崩れしない。えらい新人が出てきたもんだ。
↓のビデオは9フレ目のストライクの様子。

2020年2月27日木曜日

母校松原小学校再訪

実は今、母校である鹿児島市立松原小学校のイマジン校長から「教えて先輩」という児童向けの講演を頼まれている。児童へのキャリア教育学習の一環で母校の先輩が後輩たちに自分の学校時代の思い出や今の仕事に伴う話などして欲しいとのことだ。イマジン校長とはセントラル高校の同窓生で2年ほど前に飲み会で「いつか頼むからな」と言われてはいたが、その後音沙汰なくすでに彼も定年が近くあの話はなかったんだと思っていた。時期も押し迫っての今月初めに電話があって「お願いする」と言われOKをしたのだが、一度母校を見ておきたいと思った。それで今日半日時間があったので「見学したい」と連絡すると「どうぞどうぞ」とのことで14時半ごろ小学校に出向いたのである。

松原小学校は鹿児島市内のほぼ中心にあり、天文館にある山下小学校と港方面の城南小学校の間にある。私は昭和41年から47年の3月まで通い、思い出がいっぱい詰まった学校である。裏門から車で入り、給食室の横に駐めて校舎に入った。校舎の壁は薄くグリーンに彩られているが形は昔のままである。イマジン校長から「68年前に建てられ鉄筋コンクリートでこれだけ古い校舎はここだけ。1年後には建て替えが始まる」と聞いていた。校舎がそのまま残っているのは有り難い。1階廊下を歩き、校長室に入る前にトイレに向かった。用を済ませておきたかったのだ。小用中に、隣に小学2年くらいの男子生徒が来て、並んで連れションになった。するとその生徒が「センセイ、そのスリッパ、うんこ付いているヨ」と言ってニッと笑った。な、なにー?すぐには動けず、後で確かめるとどこにもうんこは付いていない。いやー、さっそくの洗礼を浴びたよ。

校長室でイマジン君に松原小の沿革や現状などいろいろと聞いた。校旗の文字はなんと東郷平八郎元帥が書かれたものだとか、昭和30年当時の市街地は木造平屋建てばかりの中、山形屋や高島屋(のちタカプラ)などと並んで立派な鉄筋コンクリートの建物で周囲を圧倒していたなど創立143年の伝統ある学校であることなど写真もあって興味深く見た。
 下の写真、桃丸が松原小学校、黄丸が天文館公園、黄矢印が私の自宅のあった付近、桃矢印が山形屋、青矢印が高島屋、赤矢印が照国神社の鳥居である。松原小は戦前は天文館公園の場所にあったが焼けて南林寺墓地のあった現在位置に移動している。↓拡大OK。

校内見学では私まず図書室に行ってみたかった。毎日のように図書室に行ってはいろいろな本を眺め、読むのが好きな子だったのだ。もっともそれは小学3年以降のことで低学年のころは騒がしい子どもで先生にしょっちゅう叱られていた。最初に問題を起こしたのが1年生の時のランドセル消失&焼失事件で、放課後、習字教室に忘れ物を取りに行った後に私のランドセルがなくなった。探すも見つからず泣いて家に帰った。翌日、1階裏庭の焼却炉の中に捨てられていたのが見つかった。今でも犯人は知らされていないが同級生の誰かが廊下に置いた私のをいたずらで投げ込んだのだ。後日その母親が新調したランドセルを持って謝りに自宅に来たという。

また1年の時、2時間目と3時間目の合間に同じクラスのノブシゲ君と「健児の山までどっちが速いか競争だっ」とかけっこして私の方が速かったのはいいとして、勢い余って山の途中の土管にどかんと頭をぶつけ血まみれになった。いまでもその時の傷跡は小さなハゲとして残っている。↓が今はなくなった「健児の山」の写真、黄矢印がぶつかった土管。
2年生の時には校庭にあった観察池で日曜午後遊んでいたら私が水道管をいじったのかな?水が噴き出し止まらなくなって大騒ぎになった。当直の先生などに迷惑をかけ、翌日、担任の石原先生(かなりのおばさんだった)に「こてる君、前に出て来なさい」「昨日何があったのかみんなに言いなさい」と言われ、しゃべろうにも泣き出して何も言えなかった。先生が「観察池でXXしたんでしょ」と私の悪さを暴露していたが最初から先生が言ってよーと思ったものだ。↓観察池。鹿児島県の形をしているのは昔といっしょ。昔は芝生だったが今はコンクリだ。

図書本では民話、ホームズ物やアルセーヌ・ルパン物などのほか、歴史本などが好きだった。ホームズ、ルパンはポプラ社のものが定番だったが今はイケメン漫画のようなイラストの表紙の本になっていた。あの頃は冒険物、推理物にやたらハマっていたものだ。

郷土室といって物置のような部屋があった。古い民具や郷土の偉人などの資料、学校の沿革を記した物などあって少しほこりっぽかった。松原小といえば錦江湾横断遠泳でその年ごとの資料も残っていた。私が小学1年の時に始まった夏の行事で今でも毎年ニュースになる。その後清水小学校でも始まったが、当時の瀧川亀喜校長の肝いりで始まったということは知っていた。私にとっては校長先生といえば瀧川校長というくらい印象に残っている。↓右が瀧川校長、左が後任の山田校長。
イマジン君によるとプールが完成した昭和40年でその頃ある生徒が川か海かで溺れて死んでしまったこともあり、泳ぎを教え水に強い生徒にしたいという思いから瀧川校長が復活させたそうだ。最初は学校の行事であったがそれには何かと問題が生じたようですぐに同好会主催に変更になったのは覚えている。私は参加しなかったが参加者名簿を見ると知っている同級生が何人もいた。名前を見るだけで懐かしい。↓手漕ぎ船なのに時代を感じる。

また、瀧川校長とは1対1でお話をした思い出がある。そのことを2010年1月21日のこてる日記「さこんたろ」に書いている。ただ、ブログ移行前で今は読むことが出来ない。今日の日記が長くなるが一部再掲しよう。その日、南日本新聞に「さこんたろ」の話題が出ていたの見て40年ぶりに疑問が解けたことを話題にしていた。

「・・小学3年だったか、4年だったか、昼休みだったか放課後かも覚えていないが、いつものように池を見ていたらそこに瀧川校長がやって来た。池は校長室からも近かった。

池には当時「鹿威(おど)し」があって水が竹筒に入ってコトンと動き水を吐き出し、また水が入ってはコトンを繰り返していた。校長先生は私がそれを見ているのに気付き、いきなりその解説を始めたのだ。「あれはね、『さこんたろ』と言ってね・・」

私は校長先生と二人きりで話をするなどそれまでもちろんなく、その竹筒がどんなことをするのか丁寧に教えてくれはしたものの、緊張もありどんな用途でどんな由来があるのかなどさっぱり理解できなかった。ただ、それを「さこんたろ」と言うのだとだけはしっかり覚えていた。

しかしである。幼な心に覚えたその用語は世間ではどうも「さこんたろ」は言わないらしいとは気がついていた。どうも方言くさい。語感も何となく野暮ったく笑われそうで人前では「あれは『さこんたろ』だよね」とは決して言わなかった。高校生か大学生くらいだったか、一般には「鹿威し」というのだと知り、なおさらその言葉は封印し胸に閉まっていた。

でも、あの瀧川校長が根拠のないことをかわいい生徒に言うだろうか。「さこんたろ」って出まかせで言える言葉じゃない。校長先生にたった1回だけ個人教授されたことなのに何となくしっくりとしない思いがあった。

それが今日の新聞記事である。写真を見た時、すぐに分かった。まさに鹿威しと同じ原理の器具で精米に使うのをその地域では「さこんたろ」と言っていたのだ。瀧川校長はそのことを言いたかったのだろう。40年以上経って私はやっと理解した。「さこんたろ」という言葉は使ってもいいんだ。何も恥ずかしがることはない。

瀧川校長も若そうに見えたが何せ校長先生だ、あの頃は今の私より年配だったろう。生きていたら90才から100才ぐらいの高齢のはず。もし会えたら「やっと意味が分かりました。これから恥ずかしがらずに『さこんたろ』って言葉もどんどん使います」と言いたい。ありがとう、校長先生。」


瀧川校長の任期は校長写真によると昭和44年3月までだった。で、その一件は私が小学3年の時だったとはっきり分かった。「さこんたろ」は大きな鹿威しで米つきなどに使われていて大隅地方や宮崎でそう呼ばれているようだ。ネットによると磯の仙巌園にもあるとか。

講演は「わらべ室」という部屋で行うということで私のMacBookProと接続してみてちゃんとスライドや音声も出るか試した。特に問題なし。この後、イマジン校長と校庭に出てみた。放課後で男子生徒数人がソフトボールで遊んでいた。


寄ってきた児童らに校長が「この人も松原小の先輩だよ」「こんにちわー、いくつなんですか」「私といっしょだから60才だ、今度みんなにお話してもらうからね」「はーい」とまた散らばった。うーん、私らの50年前の姿と言ってもいい。彼らにとってためになる良い話をしたいと思った。その講演の日は3月19日の午後であった。イマジン校長ともその時はよろしくと言って別れたのだが・・。夕方、TVを付けて唖然とした。みなさんご存じの通り、安倍総理の学校の一斉休校要請のニュースが流れていた。
これはどうみても私の「教えて先輩」講演はお流れになる。一気に気が抜けた。新型コロナの影響をもろに受けてしまった。まだスライドは作っていないので楽になったとも言えるがー。

翌日、イマジン校長からメールが届いた。「報道のとおり、一斉臨時休業です。教えて先輩は、4月以降に一旦延期させてください。昨日せっかく盛り上がったのにちょっと残念。キャリア教育の一環で是非やりたいから、その時はお願いします。」彼は定年のはずだが・・とりあえずはいつでも出来るよう簡単な準備だけはしておこうか。

2020年2月26日水曜日

「先生、カライモって何ですか?」

今日の外来に付いたNsはガンバ君だった。

年配の御婦人が「先生、私、カライモを食べたら便秘改善したんですけどそれでいいですか?」と質問してきた。「それはいいんじゃないですか。薬に頼らずカライモで済むなら何の問題もないですよ」と答えると、喜んで帰っていった。

するとガンバ君、「先生、カライモって何ですか?トロロ系のイモですか」と聞いてきたのだ。「はぁ?君、カライモを知らないの」と言っても「ええ」と悪びれるところがない。鹿児島にいてカライモを知らない人に会ったことがないし、そもそもそんな質問をした人を見たことがない。「ガンバ君、君、どこ出身だったっけ?」「広島です」「そうか、広島じゃけん知らんのじゃのう」にやりとして、私はジャッキー・チェンの「蛇拳」のポーズを取った。「はあ・・」

カライモとはサツマイモそのもののことで、鹿児島では唐(から=中国)から渡来してきたイモだからそう呼ぶようになった。江戸時代に琉球を介して伝わったので「琉球イモ」とも言う。昔、カールが「サツマイモって言うけどもとは沖縄からなのよ」と言っていたが「そう、だから鹿児島ではカライモということが多い。サツマイモは薩摩以外の人たちがそう呼んだんだ」と釈明した。青木昆陽が広めたとかいう歴史的事実も知っているし、鹿児島人はイモの知識は豊富だぜ。

ガンバ君は去年結婚し、嫁が鹿児島だったのでそれに引きずられて鹿児島で働くことになった。よくある話である。「嫁とは広島で知り合ったのかい」「いいえ、福岡で知り合いました」「ちょうど広島と鹿児島の中間じゃない。やっぱり嫁の引力の方が強かったんだ」「そういうことです」と、にこにこしていた。

「ところで子どもはいるの?」「ええ、女の子が一人」「名前は?」「ルワって名付けました(無論、漢字だがそこは省く)」「ほう」「ちょっと洒落で付けまして」「というと?」「ガンバ・ルワで『頑張るわ』です。もし男の子ならロウって付けようと思っていました。『ガンバ・ロウ』って」

「うまい!」

2020年2月25日火曜日

今度は「ウォーキング・デッド」ってか

今日の朝礼スピーチは5階病棟の山優しNsとリハビリの雛アリさんだった。仕事で悩んだり今後も頑張りたいという定番鉄壁スピーチは置いといて、個人の趣味の話題にやはり興味が湧く。今回は雛アリさんが紹介したのがアメリカのTVドラマ「ウォーキング・デッド」だった。「極限状態に置かれた人間の生き様など見ていて面白く、みなさんも興味があったらぜひ」ということだ。

ふむふむ、毎日のようにネット配信のU-NEXTでドラマ、映画を見ている私だ、当然その人気ドラマの名前は知っていた。ゾンビが出てくるドラマだということもね。でもどんなストーリーかは全く知らないのでWikipediaで調べてみた。「ウォーキング・デッドはゾンビによる世界の終末を迎えた後の物語であり、荒廃したアメリカで安住の地を求め、ゾンビから逃れつつ旅をする少人数のグループを描く。ゾンビは様々な名で呼ばれるが、主人公たちの集団はウォーカーと呼ぶ」ふーん。

あ、でもこれは見ない方ががいいかもしれない。というのもこのドラマ、シーズン1から始まってシーズン10まであった。シーズン1は2010年に初放送がありだいたい毎年のように放送があり現在まで続いているとか。シーズン1こそ6話で終わるも、他はだいたい16話くらいある。げげ。だいたいアメリカの連続ドラマって評判が良ければ何シーズンも続くのが多い。私は韓ドラでも50話以上続くのは敬遠している。「ウォーキング・デッド」もゆうに100話を越えている。そして今年はシーズン11も予定されているとか。まだ終わっていないかいっ!

でも一応シーズン1の第1話だけは見てみた。ほう、なかなかの導入部だ。主人公の男性は保安官で銃撃戦で病院に運ばれ意識不明になる。ふと、目が覚めると病院には誰もいない。なんとゾンビがうろつく世紀末のような街になっていて、生き残った黒人親子に出会って状況を把握する。自宅に行くと妻や子どももいない。しかし、アルバムや洋服などが持ち去れているのをみて「家族は生きてここを脱出した」と確信し、情報からアトランタの街を目指す。主人公は家族と会えるのか?実は妻と息子は生きていて生存者たちと共同で生活しているが、妻には別の男性が寄り添っていい感じになってもいた。また主人公をかくまった黒人男性はゾンビになって街をうろつく妻をライフルで死なせてあげようと狙いを定めるがどうしても引き金を引けない。そのあたりの葛藤もよく分かる。死んでゾンビになってもいちおう見た目は愛する妻の姿なのだ。そのあたりは韓国映画「新感染」で高校生の野球部員がゾンビの他部員をバットで殴ろうとするのを躊躇するシーンと同じだ。このドラマ、ゾンビという題材をもとにヒューマンドラマを描こうとしているのだとみた。でないと、シーズン11まで続くはずがない。ゾンビ映画やドラマって意外に名作が出来やすいのかも。

U-NEXTではシーズン10まで全部見られるが、とりあえず、最初の1話で我慢することにした。だって手を出したらゾンビの泥沼にハマってしまいそう・・。

2020年2月24日月曜日

また「下鶴隆央を励ます会」

夕方、カールと山形屋まで行き、「下鶴隆央を励ます会」に出席した。去年に続いて2回目である。前回は明らかに県議選選挙のための会であったが、今回は「鹿児島のスポーツ施設の未来を考える」と題しての活動報告と抱負を下鶴議員が話してくれた。県知事が進めていた県の体育館の中央駅裏地構想には議員は当初から反対していてそれが撤回されたことは非常に良かったが、ならば今後の体育館、サッカー場をどのような趣意で造っていくべきか、その先進地域であるヨーロッパを各地視察しての話は説得力があった。ヨーロッパでは施設の収益は主に飲食代がメインで入場料ではないとか、立地は駅や高速インターの近くにあり、車での利用が前提になっているということだった。複合施設もありスポーツゲームがない時でも別目的で利用でき、そもそも県民のアンケートでは自分たちがスポーツをするというより車で行って観戦する(あるいはイベント参加)ための施設であって欲しいとのことだ。車の利用をまともに考えいなかった中央駅案が廃棄されたのは当然であった。

論理的で明解な議員の話を聞いたら後は飲食で、私は飲まなかったがカールはビールを飲み、スチョル先生やてげてげ先生などとも歓談していた。てげてげ先生が「私は沖縄とは縁があって何十回も行っている」と難病専門の施設との関わりを話していた。その中で鹿児島では「てげてげ」を沖縄では「てーげー」と言う話題が出た。カールは「沖縄の人はてーげーな人が多いと言われるけど私はそうではない。沖縄のてーげーな人はどちらかと言ったら私はキライです」と言い放った。てげてげ先生がどんなお顔をして聞いていたのかちょっと見そびれたが、後でカールが「あ、私、てーげーが嫌いって言っちゃった」とハッとしていた。てげてげ先生が気にしたのではないかと。そもそも先生は自分のことをてげてげ先生とは言っていない。「早起き院長のてげてげ通信」という本を出されていて本来は「早起き先生」なのだ。しかしなぜかてげてげ先生とこの日記でも日常でも言ってしまっている。以前の著書「難病と生きる」だったか、田舎の実家に送られるも父デンコーは全く興味がないようで読まれないまま置かれたその本をカールが「面白いわこれ」と代わりに読んでいた。決しててげてげ先生がキライなわけではないんです、ハイ(^ ^;)。

私は議員の母親とも挨拶した。こてる日記を読んでくれているそうで、聞けばセントラル高校の10期上の先輩だった。「ポスターだったらまたいつでも貼らせてもらいます」とアピールしておいたよ。いや、今の県知事より彼が知事になったほうがずっといいんじゃないか。まだ若すぎて無理かもしれないが、県の将来のことをよく考え、計画性も実行力もある彼こそがふさわしいと思ったネ。今後も応援しよっ!
(↓帰り間際にカールがぜひ写真をと一枚)

2020年2月23日日曜日

5浪で医学部に受かった!

昨日、チッチからのLINEで「フラットが福岡大医学部に合格した!」という情報が入った。これに私とカールは驚き、喜んだ。5浪の末の合格である。フラット君はチッチと中学時代同じサッカー部で苦楽をともにし、ごく普通の県立普通校に進学してからはサッカー部に所属するこそすれ特に目立つ活躍もなく、かといって勉強も頑張っているとは言えない状況だった。

今から5年前2015年の4月7日のこてる日記「男子18才刮目!」というタイトルでフラット君のことを話題にしていた。以下に抜粋しよう。

「・・帰宅するとチッチの中学時代のサッカー部員だったフラット君が来ていた。・・フラット君は浪人を決め予備校通いをさっそく始めているとのこと。カールがバス停にいる彼をよく見かけていて受験に相当覚悟を決めている様子だと話していた。実際彼の話しからはかつて部員の中で一番のやんちゃだった面影が消え真剣そのものだったという。「きっとうまくいくと思うわ」とカールは話す。そう、それまでの学力がどうのこうのではない。将来を見据えいかにやる気があるかが大事なのだ。そうなると見かけも変わる。しばらく見ない間フラット君も少年から青年、大人になりつつあった。」

彼は高校卒業後「浪人して予備校に行く」と言ってそこから頑張り始めた。そもそも彼の出身高校は普通科以外の生徒も多く、進学先を見ても国公立大は30名くらい、私立大が200名ほどで、医学部に行く生徒は皆無なんである。浪人1年目で彼は宮崎大の農学部に合格した。それだけでも同級生からしたら大したものだった。「でも行かない。もっと上を目指す」と聞いた時には驚いた。当初は九州大を目指すとか聞いた気がするが、途中から医学部を目指していると聞き、大丈夫かな?と思った。

医学部は超難関である。それは国立に限らず今では私立でも同様だ。何年も浪人して入学を目指す多浪生という言葉もある。3浪、4浪は全く珍しくなく8浪、9浪という生徒もいるのだ。一般学部とは受験そのものが違う。医学部に入れるならどこでもいいという浪人生が多く、かつては滑り止めの私立医学部なんてあったが今はない。偏差値も最低63以上で一つの大学に受かれば他も受かるが、受からない人はどこも受からないことが多い。フラット君は頑張ってはいたが3浪までは箸にも棒にもかからなかった。ところが4浪目の去年、福岡大と国際医療福祉大の一次合格が届いた。知らない人が多いと思うが、私立大医学部には2千人から3千人が受験し、一次合格は300人から500人以上だ。そこから面接や小論文等の二次試験を受けて正規合格は100名から130名くらい。多くの受験生が5校も6校も受けるので数校合格者の中から辞退する人もでてくる。そのため偏差値下位の大学は二次合格者の中から補欠合格者を出す。しかしフラット君は二次合格を果たせず5浪目に突入した。ただ私立大医学部ならようやく手の届くところまで来ていたのだ。

去年3月、うちに来た時にはチッチと二人で難しい数学の問題を解き合っていて、これがあのフラット君かと目を疑った。不良ではなかったものの、片親で幼稚園も行っておらず付き合いづらいタイプと思われていて、周りの親たちからは「あの子、自己チューであんまし付き合わない方がいい」とか言われていた。ただ、チッチを含めたサッカー部の仲間とは仲は良く、高校は違っても付き合いは続いていた。浪人生となった彼によると「勉強で周囲を見返してやりたかった」そうだ。それが先の日記記載のとおりで、カールは今日のフラット君を予見していたのだった。

それにしても今年の福大医学部には2729名もの受験生が集まり、一般入試の募集人員は60名(他に推薦入学募集もある)で二次の正規合格者はたった111名だったという。その上位4%の中に彼は入った。中学時代の成績は中位よりまだ下だったのだ。彼の出身高校では初の医学部合格かもしれない。快挙である。今年は私立医学部の一次合格は久留米大、関西医大、聖マリアンナ大と計4校も受かっていた。1年経てばみんながみんな力が付くわけではない。彼はこの1年は福岡の予備校に行きさらに力を付けたのだろう。やれば出来るんだと親でもない私たちが喜んだのである。

まだ国立の二次試験、鹿大医学部を受けるそうだがそこも合格すればさらに快挙だ。しかし少なくとも医学部合格はすでに果たした。おめでとう、フラット君。

2020年2月22日土曜日

循環器内科も面白い

土曜午後は病院恒例の研究発表会があった。私はこのところ発表のコメンテーターを
毎年頼まれている(5年連続)。発表5題のうち4題は昨日までにスライドを見せてもらっていたので落ち着いてコメントできた。ただ、リハビリのイチデン君の発表は私がしゃべろうと思っていたことを質問コーナーでムラムラ看護部長が聞いてしまったので使えなくなった。イチデン君も示し合わせて答える内容も決めていたのにー。ヤラセ行為はあえなくつぶれてしまった・・。

特別講演は鹿大循環器内科の大石充教授で「心血管病 予防から緩和ケアまで」と題して主に心不全の話題、後半は鹿大の教室で研究、診療している最先端の内容を講演してくれた。心不全の話は以前も聴いていたので復習が出来た。
それよりも研究紹介が面白かった。「医学、医療は30年も経てば教科書の内容が変わる」とは第三内科の初代教授の井形先生がよく言っていた。まさにそれで私が学生時代には習わなかったようなことが次々に紹介されていた。心電図と聴診器の時代じゃないわ(無論それらは基本中の基本ではあるがー)。特にカテーテルを用いた治療の発展ぶりは瞠目すべきで、もし学生時代に大石教授の今日の講演を聴いていたなら卒業後は循環器内科を専攻したいなんて思ったかも。ただ昨日の藤城光弘教授の話も消化器内科の発展ぶりが凄まじく、結局は消化器を選んでいたかもしれないが、今まで循環器内科の医者になろうなんて思ったことはなかったのでそれだけインパクトがあったということだ。

最後に可愛いんだ理事長が「高血圧の治療でどこまで下げるべきか基準はあるか」という質問に「基本は低ければ低いほどいい。しかし立ちくらみを生じる血圧であればそこで止めてコントロールする」ということで明解だった。私も10年以上前に循環器内科のびろ〜んDrの講演で「130以上の血圧で動脈硬化が進展する」と聴き、さっそく降圧薬を飲み始めた。当時、一般には140以上から降圧しましょうと言われていたが血圧は低ければ低いほどいいが大原則なのだ。それ以降私はだいたい120以下で過ごしている。さすがに100近いとふらっっとするのでこの辺りが自分の場合妥当なようだ。

循環器、消化器以外もこの30年いろいろな発展があったはず。医学、医療はいつまでもこれでいいということはないな。

2020年2月21日金曜日

講演の後のミニ同窓会

一旦帰宅後、城山ホテル鹿児島(旧城山観光ホテル)に出かけ、消化器系の講演会に参加した。メインの講演は名古屋大の藤城光弘教授による「早期消化管腫瘍に対する内視鏡診療」で最先端の内視鏡治療が実例豊富に紹介され面白かった。

終わって懇親会が別室で開かれ、食事をしていないし、また知り合いのDrにも会えるからとそこにも出た。鹿大第二内科同期のカピDrも来ていて「この手の会に出席は珍しくないか」と言われた。たまたま参加出来なかっただけだよと言ったが、確かにどちらかと言えば糖尿病や心不全の講演をよく聴きに行っている気がする。カピDrには「こてる日記、いつも見ているよ。相変わらず忙しそうじゃないか」と言われ、私は患者をいつも10人以上受け持っているが「還暦の自分たちはそんなに受け持ちはいないよ」とも言われた。うーん、確かにこの年では忙しい方なのかも。カピDrは毎日日記を読んでいるとだけあって、麻雀で同じ大学同級生の腹だしDrがメンバーになっていることも知っていたし、最近は韓ドラの話題が多いことも指摘していた。

で、近くに鹿大医学部ボウリング同好会の後輩であるサメジーDrがいたので、呼んでカピDrに会わせた。ともに二内科のお〜いDrを先輩に持つからてっきり知り合いかと思っていたが話すのは初めてだったとのことだ。かつての私と今綺麗病院のワコーDrとの関係みたいなもんだな。カピDrは相手が後輩ながら「こわい先生かと思っていた」そうで、決してそんなことはないと私から弁明をした。ボウリング同好会で私が最初にマイボールプレゼントをすると言った時に、候補が数人いた中、学生メンバーから「サメジー君に与えて欲しい」と頼まれるほど頑張り具合や人格的にも秀でていたんである。そのことを言うと、サメジー君「えっ」という表情をしていたな。今回初めて知ったのかも。その彼も最近はボウリングはしていないとのことでそこは少し残念ではあった。

ほか、姶良郡で開業している皮タックDrもいて輪の中に入った。彼とサメジー君はカピDrと同じ同門のはずだが・・と尋ねると、サメジー君「私の主治医でした」だと。学生時代に大学病院入院していたころの担当医ならば知らないはずはなかった。皮タックDrといえば患者のオマルさんだ。まだ元気だそうでチャンスあれば青雲会病院に入院したいらしい。私は「うちが急性期病院だからといって遠慮しなくていいよ」と一応歓迎の意を示した。オマルさんが来ればまた囲碁対戦の日々が始まるだろう。

そうこう話が盛り上がっているうちに参加者も散らばってきた。デジカメを忘れたのが少し痛かったなぁ。3人を同じ画面に収めたかったわ〜。じゃー、またなー。

2020年2月20日木曜日

アサリン、どうして痩せた

夕方、外来近くの廊下でアサリンNsとばったり会った。元は内視鏡室だったが今は4階病棟に勤務している。彼女が「先生、見てみてー、私ずいぶん痩せたのよ」とポーズを取ったので「ほう、確かに」と写真を撮った。あまり写真は撮られたがらないタイプだが自信が出て来たんかな。
「4ヶ月で5kg痩せたの」「それはすごいね。何して痩せた?」「お酒とつまみを止めて間食も止めた」「ふむ、理に適っているね。オレもアルコールは飲まないけどちょっとしたつまみが多いからかなぁ」「ふふ」運動よりも食事、これがダイエットの基本だよな、確かに。

運動といえば私の場合、ボウリングくらいだ。今日はヤマヒロDrと二人でT-MAXでの練習だった。最近のT-MAXはオイルを余り入れていなくて少しでも中にボールが入ると裏に入ってしまう。ヤマヒロDrはどうにも対処できなかったが私は1ゲームだけかろうじて200アップできた。ボウリング場もあんまし客がいないからレーン整備にコスト掛けられないのかも。

そうそう、今日からプロの公式戦KUWATA CUPが東京で開かれるはずだったが中止になった。今年が第2回で歌手の桑田佳祐がホストとなり、プロ・アマ問わず、スポーツファン・音楽ファン問わず、盛り上れる場として開催する大きな大会だったのが・・。まあマラソンが中止になるくらいだから室内で選手観客が近く接触するボウリングが中止にならないはずがない。新型コロナウイルスの影響がじわじわスポーツ、イベントに広がっている。

2020年2月19日水曜日

「あなたは神様がいると信じますか」エホバの証人について

今日は午後は早帰りだった。カールが所用で沖縄に数日出かけ、ギボヒサコが入院(リハビリ目的)したので、一人でうつらうつら床寝していた。同じように昼寝しているゲンちゃんがそろそろエサをねだる頃の夕方だった。ピンポンとチャイムが鳴った。何か郵便物か宅配便か。寝ぼけ眼だったんでインターフォンから「ハイ」と音声を聞いてみた。

すると、女性の声で「今度吉田インターの近くの会館でXXXのいいお話がありますので是非いらっしゃいませんか」とのことだ。あー、宗教だなと思って「はー、うちは結構です」と断った。「そうですか」とすぐに引き下がるかと思いきや、「あのよろしいでしょうか」ときて「あなたは神様の存在を信じますか?」と問いかけてきやがった。私は何と答えたんだろう。ちょっと正確には覚えていない。「信じます」と言っていないのは確か。「そんなもんいるかっ」とも言っていないはず。「いないんじゃないかな」ぐらいに言ったような気がする。その女性は特に返答することなく、なんだか少し笑われたような気がした。そして「招待の紙をポストに入れておきます」と言って去って行った。ふう・・特に日曜の午前にこの手の宗教は来るよな。カールなどすかさず「うちは結構です」と突っぱねて終わる。でも「神を信じるか」なんて問われたのは初めてだ。

後でポストを見ると小さな紙切れが入っていた。「エホバの証人」からだった。
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エホバといえば医師ならば知っておかねばならない宗教団体である。その教義の詳しいことはともかく「輸血を断固拒否する」という点で扱いが難しくなることがあるからだ。ただ絶対に輸血必要な場合、一応必要性を説明し拒否してその患者が亡くなっても責任は免れるし、説明不十分で誤って輸血したら裁判で敗訴する可能性が高い。もしエホバの証人の子どもが輸血するしない問題が生じた時はどうするか?これは15才以上で自己決定能力がある子なら患者の輸血同意書により輸血を実施できる。問題は自己決定能力がない幼少の患者の場合だが、必要な輸血を親権者が拒否し相対的無輸血や転院の勧告などの方策がとれない時には「当該親権者について親権の濫用として児童相談所等を通じて裁判所に親権喪失の申立を行うことも考慮される」とのことだ。

そもそもエホバの証人の教えってどんなものなのか?少し興味をもった。母親が熱心な信者で子どもの頃いっしょに勧誘について回ったというある女性(いしいさや氏)がエホバの証人に関する漫画「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」を書いて評判になっている。

それによると、「エホバの証人の「エホバ」は全知全能の神、イエス・キリストはその息子であり、代弁者である。エホバという神以外は崇拝してはいけません。教えの出典はすべて聖書です。エホバの証人とは、つまり「エホバが正しいと証明する人」ということです。教えを簡単に言うとこうなります。いずれ来るハルマゲドン(世界の終末)の後に楽園がやってくる。楽園を支配するのはイエス・キリスト。その楽園に行けるよう現世ではエホバの教えに従って生きましょう、というものです」とのことだ。

さらに「ハルマゲドンが起こると、地球が崩壊する。その後、信者らが生き残る。エホバの証人の教えに反対した人たちは生き残れません。だから毎週、地域を訪問して勧誘をするのは、生き残るチャンスを与えるため、彼らを救うため、という理屈なんです。よくわからないかもしれませんが、とにかくそういう教えです。エホバの証人では、生きている間の義務は、教えを守るだけ。反対されても、「迫害を受けているのはハルマゲドンが近いからだ」と喜ばないといけません。信者をたくさん獲得しなさい、とか、いくらお金を収めなさい、とも言われないので、他の宗教とは違って社会問題にならず、「被害者の会」がないんです」

でもこの女性はやがてエホバを脱会する。子どもの頃、母のいうエホバの教えで学校で校歌斉唱や国旗掲揚の時に歌ったり起立したりしなかったそうだ。なぜかというと、偶像崇拝が禁止だったから。曰く「争うことも禁止なので、もちろん運動会も参加しません。誕生を祝うことも禁じられていますし、異教の行事への参加も禁止されているので、ひな祭りや七夕やなどの季節のパーティ、誕生会も不参加です。クリスマスもキリストの誕生日のお祝いなのでできません。・・・「ウチって普通じゃないんだ」と気づいたのは、学校に通うようになってからでした」

入信するのはこんな人:入信し洗礼(バプテスマといいます)を受けた人には、厭世的で、世の中が嫌になってしまった人が多い。エホバの証人の世界は、争いや政治もない、キレイな世界に見えますから。エホバの教えを知っている自分たちが賢くて、反対している人は教えを知らない可哀想な人たちだと思っている。だから善意で勧誘するわけですけれど、熱心に奉仕活動をするためには、普通には働けません。社員として働いてしまうと活動、奉仕の時間がとれないので、就職しない人が多かったです。だから、パートやアルバイトで生活費をまかなっています。奉仕は時間を報告しなければいけなくて、長く奉仕をしている人には特権が与えられます。奉仕は平日にもあるので、正社員には難しいんです。

勧誘が嫌でしょうがなかった:「信者の人が宗教勧誘で自宅に訪問に来る」って、みなさんも覚えがあるかと思うんです。でも、私は「来る」んじゃなくて、「行く」側の人間でした。それも、自分で「宗教を広めたい」と思っているわけじゃなくて、母親に連れられていくだけでしたから、本当に憂鬱でした。イヤでイヤで仕方がなかった。子どもでしたから、本当は休みの日は絵を描いたり、友達と遊んだりしたかったです。訪問して話を聞いてくれる人なんて、優しいおばあさんくらいで、ほとんどいません。「お前らは間違っている!」なんて言ってくる挑戦的な人もいるんですけれど、信者の側からすると、「真理がわからないかわいそうな人」なので、何度断られても繰り返し訪問する。嫌がらせとかじゃなくて、親切心なんです。拒絶されることがほとんどだったのですが、なかには、小さい私がパンフレットを差し出せば、それだけは受け取ってくれる人もいる。だから連れて行かれている面もあったと思います。

ムチで叩かれる:いまは表向きにはしないようにとはなっているようですけれど、私の子供の頃は当たり前におしおきがありました。エホバの証人は聖書原理主義。つまり、聖書の言葉を隠喩とは捉えず、そのままの意味で解釈します。聖書に「しつけにはムチで叩く」と書いてあるから、本当にムチ、正確にはムチ状のもので叩くんですよね。人によってはベルトだったり、電源コードだったり。うちの母はベルトを2本用意して「細いムチ」と「太いムチ」のどちらにするか選ばせました。細いムチって、痛いんですよ。おしりをムチで叩かれると、完全にやる気を削がれます。服の上からではなく、服を脱がせたうえで直接肌に叩きつけるので刺すように痛い。ムチで叩かれる前には、何がどうしてダメだったのかを自分で反省させてから、「お願いします」と、自分が納得していることを示します。叩かれた後には「ありがとうございました」と言わなければいけない。でもその行為の後、母は私を抱きしめて、こう言いました。「あなたが嫌いだからじゃないのよ」――。

ムチのことも含めて「普通でない」から、だんだんと違和感を抱いていき、決定的だったのが、「NHKにようこそ!」(滝本竜彦の小説。ひきこもりの青年と、彼を立ち直らせようとする新興宗教の二世信者の少女を中心とした物語)という本を読んだからだった。

「実は、その作中にエホバの証人が出てくることは知っていました。この本は読んではいけないことになっていましたから。ただ、たまたま高校の図書館に本が置いてあって、つい読んでしまったんです。その頃には、自分の環境がおかしいことには気づいていました。でもあらためて「やっぱりおかしかったんだ!」とはっきり分かった。その時はとてもテンションが上っていました」

「もうここにはいたくない!自分の道を歩きたい!」

「母に集会に行かないのを咎められた時に、すべてぶちまけました。「本当は全部嫌だった!」って。母からは、「最近変だよ」「昔より頭悪くなったね」「エホバのことがわからないなんて!」など、いろいろ言われましたね。「NHKにようこそ!」に出会えてよかった。あの本を読んでいなかったら抜け出せなかっただろうし、漫画を描くこともなかっただろうし、一生「奉仕」する人生だったと思います」

「この漫画には、たくさん反響を頂きました。多かったのが「私もよく分かる」「共感できる」という声です。それって、もちろん皆さんがエホバの証人の信者だからとか、新興宗教の二世だから、というわけじゃない。この話が、家族の、あえて強めに表現すれば「毒親」の話だからだと思うんです。親との関係に苦しんでいる人が、共感してくださったんじゃないかと思います」

そして最後に「宗教の自由は認められるべきだと思うのですが、子供にそれを強制することには、考えなければいけない問題があるのではないかと思っています。この漫画を読んでくださった人が考えるきっかけになればと思っています」とまとめている。

彼女を取材した五十嵐大という記者は宗教の問題ではなく親の問題としてエホバを捉えている。

『彼女が描きたかったのは、宗教を断罪することではない。彼女が訴えかけたいのは、「子どもに選択をさせる」「自由を尊重する」ということだ。それはなにも宗教に限った話ではないだろう。たとえば、子どもの将来もそう。家柄や体面を気にして、それを勝手に決めてしまう親は少なくない。けれど、それで果たして本当に幸せになれるのか。幸せというものは、子どもが自ら取捨選択していくことではないだろうか。本作では、「宗教」というフィルターを通し、親のエゴや子どもの自由について描いている。そして、それは誰もが本作の主人公やその母親になり得ることを示唆している。そう、本作の物語は決して他人事ではないのだ』

なるほど。私が子供時代にも「ものみの塔」とか「めざめよ!」とかいうチラシが家に入っていたことがあった。あれはエホバの証人の機関紙だったのだ。ただ読んでも意味が分からず捨てていた。親も何も言わなかった。そして今回、インタフォン越しに何となく笑われた感じがあったのは「真理がわからないかわいそうな人」と思われたからだろう。いやはや、ちょっと迷惑かと思ったがエホバの証人についてお勉強する機会を与えてくれ有難かったですよ、証人さん。

2020年2月18日火曜日

4999号を迎えた雑誌

医局に置いてあった医学雑誌、週刊「日本医事新報」を見ておや?と思った。2020/2/15日号で通算4999号と表記されていたからだ。毎号このナンバーはあるのに今まで特に気にしたことはなかった。でも4999ということは来週は5000号じゃないか。五千?いったい何年前に創刊されたんだ。ざっと計算してみる。1年は52週だから1年でざっと50刊は発行されている。とすると・・おおよそ100年近くも経っているのか。裏表紙で確認すると「大正10年2月5日第三種郵便物認可」とあった。大正10年は1921年だから丸99年経過している。いやー、すごい歴史ある雑誌なんだ。

今週号は内視鏡関係が特集されていて主に胃の所見で注意すべきケースをDr野中が面白く解説していた。来週は5000号だからきっと記念特集号になるのではないか。なにせ100年近くも続いている医学雑誌ってそんなにはない。梅沢彦太郎という東京慈恵会医院医学専門学校(今の慈恵医科大学)を中退した人が医学ジャーナリズムの世界に入り、創刊したのだそうだ。信頼性の高い医療情報を提供するという方針がしっかりあるそうだ。一応医師向けの雑誌ではあるが一般の人も読みやすいように書かれてある記事も多い。週刊だからコロナウイルスについてもだいぶページを割いて書かれていた。日常診療にも役立つことが多く、昨日書いた週刊現代の記事は比較するのもおこがましいか。

日本医事新報、今後も継続、発展を祈る。

2020年2月17日月曜日

また週刊現代に反論する

週刊誌は病院や薬を批判すれば売れると勘違いして今日も見当違いの記事を載せている。週刊現代2020年1月25日号を手にして「大反響特集:病院はこんなに怖いところ第9弾『病院の検査をこんなに危ない』」の記事に唖然とした。二つだけ取り上げよう。

「大腸ポリープで内視鏡室検査をしたら、ヒドい目に」という記事。

渡辺直幸(仮名)68才は憤る。「大腸がん検査でこんなヒドい目に遭うとは思ってもいませんでした」便潜血陽性が出て大腸内視鏡を受け、大腸ポリープが見つかりその場で切り取る手技(ポリペクトミー)を受けた。翌日、強烈な腹痛に襲われ、時間が経つにつれて痛みは増していく。我慢できずに救急車を呼び、検査を受けた病院とは別の総合病院に運ばれ、結局救急手術を受ける羽目になった。ポリープを取ったところの腸管に1cmの穴が開き便が腹腔内に漏れ腹膜炎を起こしていたのだった。局所切除して縫合処置が取られ退院したのは1ヶ月後だった。切除したポリープは良性だったという。

なるほどそれは大変な目に遭った。ポリープを切除すると出血や腸穿孔を来す偶発症を起こすことが確かにある。特に腸穿孔は深刻で上記のような状態になれば救急手術もやむを得ない。手技的に問題があったのは確かだろう。でも、私は大腸ポリープをこれまで切除し続けて30年以上、取った数何十何百、いや軽く一千個二千個は下らない、しかし一度も腸穿孔を起こしたことはない。取ったポリープは確かに良性が多いが一部癌が混じっていたものも何十個とある。良性ポリープも癌化する怖れがあるかもしれないから切除するのだ。上のケースは私に言わせれば万に一つのケースである。それを週刊現代は日本とは医療事情の違うアメリカを例に出して、一度大腸癌の内視鏡検査で陰性と出たならば10年は内視鏡検査を繰り返してはいけないと批判している。それに内視鏡検査の危険性を十分に説明せずに日本は流れ作業的に検査漬けにしているとも。そんなアホな。私たちの病院では事前に必ず口頭と文書で説明している。とにかく超レアケースを元に一般的な検査、治療を否定するという論理は間違っている。

もう一つ「胃カメラを飲んで、調子が悪くなった」という記事。

バリウムX線検査で影のようなものがあり、精密検査として胃カメラを受けてからキリキリと胃が痛み、3日間は食事も満足に摂れませんでしたという63才の神田修二(仮名)さん。「結局、検査の結果は『異常なし』で、それには安心したものの、胃カメラ検査でよけ名お金がかかっただけでなく、体調まで悪くなった。これでは踏んだり蹴ったりです」と。そして週刊現代は言う。胃カメラ検査のリスクとしてなにより恐ろしいのが感染症だ。都内の総合病院のベテラン看護師の話として、「胃カメラ検査のせいで感染症にかかる患者さんは多いんです。ガイドラインでは胃カメラの洗浄消毒するようになっているが、たくさんの患者が来るので対応しきれず胃カメラの消毒液は高価なので交換を渋る病院も多い。そのせいで胃カメラ飲んでピロリ菌、B型肝炎ウイルス、緑膿菌の感染症にかかり体調不良を起こす患者さんがいます」と。

確かに検査後の消毒の不十分な施設はいまだにあるかもしれない。30年以上前、雑誌「胃と腸」で内視鏡後の胃のびらん性胃炎特集が組まれたこともある。その時は不十分な洗浄消毒のせいでピロリ菌が感染し起こした胃炎ということがまだ分かっていなかった。私が内視鏡の専門医のいなかった今の病院に勤務することになった20年前、最初に取り組んだのが「内視鏡洗浄消毒機」の購入だった。そしてB型肝炎やC型肝炎が分かっている患者は念のため一番最後に回すようにしていた。今は肝炎患者に対してそれはしていない。なぜなら新病院に移行した12年前にピロリ菌もウイルス肝炎も完全に消毒出来る機械を4台も揃えさせたからだ。消毒が終わらないと絶対に使用しないよう徹底している。

週刊現代は胃カメラを受けると感染症のリスクがあるから受けない方がいいと取られかねないことを書いている。一応、一般的な「胃カメラによって胃癌が見つかり救われている患者は大勢いる。わずかなリスクを恐れて検査を受けないのはナンセンスだ」という意見も載せてはいる。ならば患者に「胃カメラは怖いよー」なんて言わず、病院に「きちんと内視鏡消毒をしましょうよ」ということを強調して欲しい。私に言わせれば胃癌大腸癌で死ぬ人は胃カメラ、大腸内視鏡を受けたことがない人たちである。検査を何らかの機会で受けていれば早目に癌が見つかっていたのにと残念な人たちが多い。週刊現代の言い分は、お乳にしこりがあって早期の乳癌だったのに「針で生検すると痛いよ〜」と脅して検査を受けさせないのと同じ論理だ。病院は注射が怖いから行きたくな〜いという子どもの心理に同調するような記事内容ではないか。

大腸に限って言えば、大腸内視鏡を受けてポリープを切除した集団と何も検査を受けなかった集団とでは明らかにその後の大腸癌での死亡率が違っていたという学会の常識データには全く言及していない。週刊現代の記事を読んで、上記の子どもと同じような心理の人が、検査を受けず結果進行癌で亡くなる悲劇を週刊誌側は分かっているのだろうか。公に文を書く人はそれが人を生かすことも殺めることもあると自覚して欲しい。病院批判をすれば雑誌が売れるからとこんな与太記事を読まされる人たちが可哀想だ。

だから、ささやかながら私は反対意見をこうしてブログに書く。

2020年2月16日日曜日

病棟でホラー

午後、内視鏡室スタッフの〇〇さんのお見舞いに市内の病院に行った。LINEのグループ連絡で内視鏡室の佳及主任が募ってくれて、他にクニンダDr、草秋MEの4人が市内病院に集まった。急に決まったのですでに用事がある人や人吉のハーフマラソンに初参加するピッピDrなどは来られなかった。入院して2週間余り、ようやくお見舞いが出来た。

病院は建物が古く、継ぎ足し感があった。廊下も天井も低い。10年ちょっと前に新築した青雲会病院と比べればその差ははっきり感じられる。迷いそうで病棟スタッフに尋ねて部屋に行くと、個室でドアは開きっぱなしで〇〇さんはベッドに腰掛けちょうど背中を向こうにしていた。あ、このタイミングとその様子を写真に撮った。事前に「お顔は写真禁止」と言われていたのでここまでだった。

〇〇さんはやはり入院前より4、5kgは痩せたようでお顔がすっきりしていた。話ぶりは全く元気だったが食事が始まったのが先週後半からで、それまではなにがしか管やチューブが付けられていたという。入院時にあった激痛で側に付いてくれた知り合いのUS看護師の有り難みをすごく感じたようで「今度働く時に活かしたい」と意欲的だった。閉所恐怖症傾向がある彼女は夜は個室部屋のドアも開けて寝るんだとか。「それで昨夜のことだけど・・」と話してくれたのが、どうにも寝付けないので眠剤を処方してもらい夜半うつらうつらしていたら何か歩く音が聞こえた。しばらくして止まり、またパタパタと音がした。ぼんやりとはしていたけれど重いまぶたを開けて見ると・・「ぅぎゃー!」歩行器を動して認知老人が入って来ていたのだと。すぐに病棟看護師が来てくれて事なきを得たが、翌朝「〇〇さん、ホラーでしたね」って言われたんだってさー。

最初に病院受診した時、ここまで重症だとは思わなかったというのは本音だろう。今年に入って知り合いが事故だとか末期状態とか亡くなったとかいう話も続いている。人間、いつ何時、病気や事故に遭うか分からない。今を精一杯生きなきゃ。

2020年2月15日土曜日

つくられたイベント

昨日はバレンタインデーだった。ところがここ数年感じるのが、以前ほど盛り上がらなくなってきていることだ。実際、昨日は職場の誰からも義理チョコはもらわなかった。帰宅してカールが「チョコケーキ作ったから」と食べたのが唯一で、まあ義理で渡すくらいならお返しも面倒だししなくてもいいかなと思う。

バレンタインよりも盛り上がらなくなりそうなのが同じ2月の恵方巻きだ。今世紀に入って流行りだしたイベントで昨年はコンビニの大量廃棄が問題になり一般ピープルも目覚めて早くも退潮傾向だそうだ。そもそもが売らんかなの商魂が見え隠れしていたから当然の帰結か。私は巻き寿司がさほど好きではないので有り難い傾向だ。

「つくられたイベント」はよほど大衆が好まない限りいずれ衰退する運命にあるのだろう。10月末のハロウィーンはどうかな?日本では自由に仮装できるってのが受けて盛り上がっているが、一昨年は渋谷で車を横転させたりして問題になった。ただ参加型のイベントだけに恵方巻きなどよりは案外生き残るかもしれない。

まあ、今のところ絶対に残るイベントといえばお正月にクリスマス、これらは大丈夫だろうがね。

2020年2月14日金曜日

難ガターさん活躍する

さて本番の串木野トリオリーグ、先月とレンコンが変わっての調子はどうだったか。打って変わってストライクも出ないしスペアイージーミスはするしで1ゲーム目149の散々な結果だった。一昨日絶好調のサンシさんはというと160で私と似たり寄ったり。だから、T-MAXでいくら調子いいと言ったってボウリング場もレンコンも変われば結果も変わる。2人をよそに調子良かったのが難ガターさん。途中から5連続ストライクを出して211とは驚き。レーン奥でぐぐっと曲がる彼の球質がハマった。

2ゲーム目は3人とも今一だったが、3ゲーム目になると難ガターさんが大爆発。8フレまでに7つのストライク、1ミスでチームのハイフレスコアがパーフェクトだった。残る10フレをパンチアウト出来ればチームパーフェクト達成だ。3人のうちでそれが可能性高いのは難ガターさんのみ。私とサンシさんは何せストライクが続かない。サンシなんてここだけの話、2ゲーム目121よ。あのT-MAXから帰る時に見せた自信ありげな表情は全くなく、どよ〜んとしたお顔になっていた。

その難ガターさん、10フレも調子良く2連続ストライク、さてあと1投でチームパーフェクト達成だぁーっと期待したが・・な、なんと6本カウント。あちゃープレッシャー感じてたのかな?それでも242のハイスコアでチームのポイント獲得に大きく貢献した。彼がいなかったら今日はどうなっていたか。その彼もこの前の国分スターレーンで140、130と沈んだのだから、かようにボウリングの実力ってボウリング場やレンコンに大きく左右される代物なんである。
↓が3ゲーム目のチームスコア
↓奥でぐいっと曲がる難ガターさんの球質

2020年2月13日木曜日

T-MAX練習の結果は

昨日はT-MAXでサンシさんとボウリングをした。水曜日はヤマヒロDrはいつも当直だから来られず他のメンバーも用事があることが多いのでこうして二人きりの練習になることもよくある。T-MAXはたいていオイルがそんなに多くなくよく曲がるレーンコンディションなのでレーン中央より左に立って右に向けて投げる。最近の国分や串木野では左側のしかも端に近い方に立って投げていたので新鮮な感じだった。

1ゲーム目は私が201、サンシさんが160の結果だった。が、2ゲーム目からサンシさんがレンコンをつかみストライクを連発し出した。223で対する私は172と低調。3ゲーム目になるとサンシさんターキー2回ノーミスの233、私は165。最後4ゲーム目でもこの流れは止まらずサンシ211、私151とサンシさんはトータルでもアベ200アップなのに私はどんどんスコアが低下していった。私のメインボールのマスターマインド・ゼロでは曲がりが強すぎてコントロールが難しかった。後でインフェルノ・ブルーフレームに替えて投げるも結局攻略出来なかった。レンコンに合うボール選択が出来ないと実践ではこうも差が出る。サンシさんはナノデス・アキュスイングがぴったりで満足気であった。

明後日は串木野でトリオリーグがあるがこの調子で爆発してくれたらいい。海広しDrが参加できず難ガターさんに出てもらう予定。青雲会Aチームのメンバーそのものだ。この前の社会保険ボウリング大会では散々な成績だったのでちいとでも面目を施さねば!

2020年2月12日水曜日

佳作「トンネル」

昨日の日記は久々の麻雀のみの内容。麻雀ネタは人気ないのは分かっているが記録にも記憶にも残しておく意味で書いた。

もう一つ、韓ドラネタ。今年から集中的に見ているタイムスリップ物の8作目「トンネル(日本題名は『愛の迷宮ートンネルー』:2017)」を今日見終わった。殺伐とした作品はしばらく見たくないと思っていたが予想よりずっといいドラマだった(ただし日本タイトルの「愛の迷宮」は内容を反映していないし三流エロ映画みたいで全くダメ。そのまま「トンネル」でよかった)。ジャンルはサスペンス、刑事物で、この前も書いたとおり、現実世界で起きた連続強姦殺人未解決事件「華城(ファソン)連続殺人事件」をモチーフにしている。名作「シグナル(2016)」において過去から未来には行けなかったイ・ジェハン刑事(チェ・ジニョク)がやって来たという設定が「トンネル」だと思えばいい。「トンネル」では30年後でも刑事として活躍出来るようにパク・グァンホという同姓同名の若手刑事が移動でやってくるはずが行方不明になり代わりに警察署に勤務する羽目になるという設定になっていた。

少し面白いのは「シグナル」のイ・ジェハン刑事が憧れる初恋の女性役と「トンネル」のパク・グァンホ刑事が結婚する女性役がまったく同じイ・シアという女優だったこと。彼女は「シグナル」に続いて「トンネル」に出演した。はかなげで清楚なイメージ、そして不器用な刑事に愛されるという役にぴったりではあった。
新婚ほやほやのパク・グァンホ刑事は妻への思いを抱きながら30年前の事件への解決のため奔走する。そして妻は20年ほど前に交通事故ですでに死んでいたことを知る。当然過去に戻りたいといろいろ試すも上手くいかない。終盤に近づき過去に戻って妻と再会出来るのかも見所の一つだった。

さらに「トンネル」で思わずニヤリとしたのは作者がおそらくはミステリ好きなところだ。パク・グァンホ刑事とコンビを組む(ことになる)キム・ソンジェ刑事は大雨で交通手段がなくなり電波も届かなくなる山中のドライブインに閉じ込められるがそこに数人の互いに関係のない男女も閉じ込められる。するとドライブインのトイレで殺人事件が起きていたことが判明する。状況から犯人はこの中にいるという、なんとまあ、いわゆる「吹雪の山荘」パターン、クローズド・サークルを持ち込んで来た。この手のパターンは名作も多く、古くはアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」、坂口安吾の「不連続殺人事件」、最近の日本では綾辻行人の「十角館の殺人」ほか多数ある。長編の中に短編を持ち込んで来ていて、しかし犯人の動機がいかにも韓国社会ではありそうな事件をモチーフにしているなと思わせ、単なるお遊びではなかった。もう一つはダイイング・メッセージだ。ドラマ途中で自殺する人物がパク・グァンホ刑事に真犯人につながるキーワードと暗示して「NOEL(ノエル)」という文字を残す。このパターンもミステリには多い。

「シグナル」では過去と現在にまたがる事件をいくつも提示しその底流にある社会の不正や不平等を批判するテーマがあったが、「トンネル」でも一応それはあるがより一刑事の生き様を描く方に力を入れている。同じ事件のポン・ジュノ監督作「殺人の追憶(2003)」では当時の警察の捜査法への批判がテーマの一つだ。同じ事件をモチーフにしても作品ごとにテーマは微妙に違う。それにしてもこれだけドラマ・映画に扱われる華城連続殺人事件とはすごい事件だった。少なくとも10人の女性を強姦殺人し30年近く未解決だったとなれば確かにそうなるかも。2019年に真犯人が特定されたからといっても「殺人の追憶」の価値が下がるわけでもないし、それならそれでまた別のテーマで別の作品が出来るかもしれない。

あれれ、本当は夜T-MAXで練習したボウリングの話を書くつもりだったが、話の枕が本題に入れ替わってしまったヨ。

2020年2月11日火曜日

上がれるか四暗刻単騎

火曜日が祝休日とは珍しい。そんなチャンスを私たちは麻雀で過ごすことにした。メンバーはいつもの見せたまえ、サブアラド、腹出しのDr4人である。

結果、マイナスで終わった。腹出しがほぼ一人勝ちだったが、実は一気にプラスに転じる大物手が私にはあった。最初はまったく変哲もない手だった。ドラ3索もないし役もない。
しかし「西」を1枚残すとこれがあっという間に3枚来て暗刻になりぐっと期待が大きくなった。暗刻が2つになり対子も2つ。この時点で私は「この手は四暗刻単騎になる」という予感があった。↓。9索、9万が場に出ていない。
すると9万が来て三暗刻の聴牌になった。だが当たり牌が出ても見逃すつもりですぐにサブアラドが8ピンを出したが当然見逃した。↓。対面の腹出しが中と8万ポンの動きあり。
この後、サブアラドはツモ切りを繰り返しまずは聴牌をしていると思われる。そして腹出しが私の当たり牌の5ピンを2回も切ってきた。うう、早く四暗刻の聴牌に変わってくれ〜。私がロンの声を出さないのはこの手がたった3200点にしかならないからだ。自分がトップ目ならそうしたかもしれない。しかし一手変わるだけで3万2千と10倍の手になるのだ。安きにはつけないぜ。(私たちは四暗刻単騎を8倍満でなく普通の4倍満にしている)
そしてとうとう聴牌し直した。9索をツモり待望の四暗刻単騎を聴牌した。6ピンか7ピンのどちらかを切る必要がある。普通なら7ピン切りで受けは5ピンか6ピン、6ピンで役満になる。しかし私が切ったのは6ピンで7ピンの単騎待ちにした。
というのも下家のサブアラドの捨牌と自分の手の内に4ピン暗刻があることから、彼の待ちが4、7ピン待ちとほぼ確信があった。ならば私も7ピン待ちにせざるを得ない。じっとガマンの打牌を続けた。しかし持って来た9ピンをツモ切りすると対面の腹出しが「中、ドラドラ3900点」と上がってしまった。もっと早い段階で私のこの手なら7ピン待ちなんてしないものを・・。下家のサブアラドは案の定4、7ピン待ちのタンピンドラドラ親満の手だった。
ふーっ、まったく。どうしたら自分が上がれていたかな。四暗刻単騎を聴牌した時に7ピン待ちでリーチをすればわずかだが可能性はあった。おそらくサブアラドも追っかけリーチするだろう。すると腹出しはオリていた。残り1枚7ピンが山にあり私かサブアラドがツモるかそのまま流れていたか・・。なかなかそう打てるものではなくおそらくは私の上がれる運命にはなかった。

ただこの間、私はまったくドキドキしなかった。初めて四暗刻単騎を上がった時など心臓バクバク、飛び上がって周囲が何事?と顔を上げたくらいだった。雀歴40年、大物手を聴牌するだけで手が震えていたころが懐かしい。

2020年2月10日月曜日

「パラサイト」アカデミー賞獲得の理由

アカデミー賞で韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が作品賞、ポン・ジュノが監督賞を受賞した。事前に有力と言われていて実際にそうなった。外国映画が作品賞を獲るのはアカデミー賞の長い歴史の中で初めてのことで偉業と言ってもいい。韓国人の鼻が高くなるのは日本人としては今一気分の良いものではないがここは素直におめでとうを言おう。

実は賞の発表前に見に行こうかとも思ったがチャンスがなく、病院のマチルダ師長から「見に行きました。面白かったですよ」と先に言われてしまった。こうなればじっくりタイミングみて後日カールと見に行こう。今はネット視聴環境にあるので韓ドラを主に見ていてたまに映画も見る。見ていて思うのはエンタテインメントと芸術性が上手く融合した作品が多いことで「パラサイト」もきっとそうなのだと思う。

ポン・ジュノ監督は2003年の「殺人の追憶」が有名でそれで私も名を知っていた。ただし見てはいない。2006年の「グエムル 漢江の怪物」は見た。「殺人の追憶」は有名な華城連続殺人事件(1986年~1991年)を題材にしており、これはドラマでは「シグナル(2016)」や今まさに見ている「トンネル(2017)」でもそっくりの事件が扱われていて、現実世界では2019年に真犯人が判明した。映画解説によると「俳優ソン・ガンホ演じる刑事パク・トゥマンがカメラ目線でじっと見つめるラストシーンが圧巻の一言で、ポン・ジュノ監督は当時、真犯人がかならず映画を見ると踏んで2人が目を合わせるように意図したのだ」のだそうだ。残念ながら真犯人(イ・チュンジェ)は別の殺人事件(義妹を犯そうとして殺した)で逮捕され無期懲役中だったが・・。「殺人の追憶」はU-NEXTでラストシーンだけ見てみた。↓。

韓国映画にパワーがあると思うのは映画観客動員数にもはっきり現れている。日本の半分にも満たない人口なのに毎年1千万人以上動員する映画が出ているのだ。去年話題にした「新感染(2016)」もそうだし「グエムル 漢江の怪物(2006)」もそうだ。日本は年間観客動員は1億7千万人くらいなのに対して韓国は2013年以降2億人を毎年超えている。1人が年間に見る映画本数は4.5本を超えており日本の3倍以上、アメリカをも上回っている。
相当な映画大国なのだ。実は超マイナーなインディーズ映画も多いのだがそんな土壌があってこそアカデミー賞獲得も可能となったのだろう。とすれば日本映画が獲る可能性は限りなく低いと思わざるを得ない。日本映画最盛期の昭和30年前後にアカデミー賞がこんな開放的だったら黒澤明の「七人の侍(1954、昭和29年)」あたりが獲ってもおかしくはなかったのだが・・。

2020年2月9日日曜日

生で見ていて良かった〜

今日は久々の日曜当番医担当だった。その前明け方、私は嫌な夢を見た。大腿部を怪我した私はどこかの病院で研修医に縫合をされていた。ところがこの研修医、右手で縫合していたかと思えば左には大きなナイフを持っていて、右を向いた際にそのナイフが私の大腿部をい鋭くえぐりぱっくりとした傷を作ってしまった。なぜか痛みは感じず「おーい、どうなってるぅー」と叫ぶけどすぐには縫ってくれない。戸惑っているいるうちに目が覚めた・・。いったい何の意味だったかはよく分からない。

この時期の当番医は普通は超忙しいパターンが多い。だいたいインフルエンザ真っ盛りで10年以上前なんてインフル疑い患者含めて50人、トータルで70人以上来院し、それをほぼ一人で診たことがあった。今は必ず二人の医師に検査技師、レントゲン技師もいるから診療しやすくなった。今日はカワゼンDrが外科系と救急を診てくれ私は内科系を主に診た。それにインフルエンザが落ち着きつつあり陽性判明者は7名のみで全体でも夕方までに40人ほどしか患者はいなかったのでいつもの外来とさほど変わらず、夕方には合間にこてる日記も2日分も書き終えるなど、当番医ということを忘れるほどだった。

そうそう、日記に書き忘れていたのが、昨日のサッカーJリーグ富士ゼロックススーパー杯でのPK戦だ。Jリーグ王者横浜と天皇杯優勝神戸の勝った方がタイトルと取る一戦で試合自体は3ー3のシーソーゲーム、PK戦も2人目までは順調だった。母の見舞いから帰る途中で車を峠の駐車場に駐めてPK戦を観戦した。いやー、生で見ていて良かったよー。おそらく一生見ることはないかもしれないPK戦だったからだ。

横浜のジュニオがGK飯倉にセーブされると、神戸3人目の小川はゴール左ポストに直撃させて失敗。さらに水沼(横浜)、西(神戸)、松原(横浜)、大崎(神戸)、和田(横浜)、フェルマーレン(神戸)、遠藤(横浜)と実に9人連続でPK失敗に終わり最後は神戸の山口蛍が冷静に右に決めてようやく神戸の勝利が決まったのだ。失敗するたびに驚き呆れた。最後は笑ってしまったよ。PKの失敗は伝染することがよくあるがここまで引きずるものなのか。Jリーグでは連続では5連続失敗が過去にあったらしい。連続でなければ9回失敗もあったとか。実は神戸のGK飯倉大樹は14年もマリノスにいたGKだった。昨年韓国のキム・スンギュが横浜に入りGKを探していた神戸に移籍となったばかりで横浜の選手は元同僚相手に相当やりにくかったのではないか?タイムシフトで見直しやべっちで放送されたものを録画した。↓。いやはや海外でも話題になっていたそーな。


このあたりから異様な雰囲気に・・

最後は山口蛍、チラッと横を見た後冷静に決める

2020年2月8日土曜日

あれから6年

「月に1回はあこネーサお母さんのお見舞いに行きましょ」ということで、カール、ギボヒサコと母のいる施設を訪問した。会うのは正月以来だ。施設に着いて、車から降りる際、ギボヒサコはようやくって感じで4、5分かかった。うーん、まだあこネーサよりは若いとはいえ、いずれこっちも預ける羽目になるかもなぁ。

施設は感染症を警戒してから中には入れず玄関であこネーサを待った。杖を使うとはいえ母はギボヒサコよりも動きはいい。にこにこしながら「えーえー、来てくれたぁ。ええと」と私の顔を見て「塩屋の(私より)1級上だったかな〜」と曰(のたも)うた。「はあ?」どうやら同郷の先輩かと勘違いしたようだがどう見ても年齢が違いすぎるやろ。「1級上だって?」「はい」「そんなはずないよ」「えー、同級じゃったろかい、いいや1級上よ〜」どうにも埒が明かない。そこで質問を変えてみた。「『こてる』って名前だけど分かる?」「こてる?ああ、あたいげ(うちの家)ーにもおっど(いるよ)〜こてるは」ほう、名前は覚えてくれていたようだ。だが目の前にそのこてるがいるということが分からない。「こてるの弟は何て名前?」にも「ヒラーキ」と正解はしてくれた。でもそこまで、隣にギボヒサコが座っているのだけれど「沖縄から来た私の嫁のお母さんだけど分かる?」と聞いても分からない。カールの名前もヒントを言って思い出させようとするが「こてるの奥さん・・うーん、てるこ?」とてる子にさせられてしまった。「カールって言うんだけど」と言っても「う・・したん(知らん)」と首を振られた。ふう。
(左がギボヒサコ、中があこネーサ母)
でも終始にこにこし、つい1年ほど前のように「ここには泥棒がいる」といった妄想は言わなくなりその点は良かった。また来るからね〜と20分ほどで施設を後にした。

帰宅時、またも後部座席をギボヒサコがうまく抜け出させず、手伝おうとした私はイライラしてしまい少々きつく当たってしまった。日頃カールがイライラして当たる気持ちがよく分かるわ。思えば6年前、ヒサコとあこネーサを乗せて4人で天草旅行に行った時は二人ともほとんど気を遣わなかった。あの時行っていて良かった。親孝行を後でと延ばしてはいけない、思い立ったが孝行日だとつくづく思ったよ。

2020年2月7日金曜日

ツッコミ作品「千年の愛」

正月から始まった韓ドラタイムスリップ系ドラマも「千年の愛(2003、SBS)」で6作目でそろそろ見終わる。主演はソ・ジソブとソン・ユリで日本に韓ドラブームが起きる直前のドラマである。紹介本などでこのドラマの存在は知っていたが、それほど評価が高いとは思われず手を出さなかった。韓ドラでタイムスリップ系ドラマが一気増えるのは2012年以降で「シンイ-信義-」「屋根部屋のプリンス」「イニョン王妃の男」「DrJIN」などはいずれも2012年制作だ。その先駆けの作品ゆえに一度見ておきたいと思ったのだ。

「千年の愛」は前出の中で似ているのは「屋根部屋のプリンス」で、これは300年前の朝鮮王朝の王子(世子)とその部下3人が現代にタイムスリップする。「千年の愛」では百済の最後のお姫さまが現代にタイプスリップしあまりの違いに驚き戸惑う様子と同時にお姫さまゆえに高飛車な言動のギャップが面白い(ソン・ユリの話すお姫さま言葉は当時流行語になったらしい)。これがタイムスリップものの最大の見所と言ってもいい。それと日本の貴族で大財閥の御曹司「藤原達次」が敵役で登場する。扮するのが韓国人俳優のキム・ナムジンで彼の話す日本語がかなり聞き取りづらい。他にも日本人が大勢登場するが、発音やイントネーションなど日本人が聴けば一聴して「絶対お前は日本人じゃないだろ」と分かるシロモノで日本語字幕が欲しいくらい。当時の韓ドラ紹介本にもそう書かれていた。ところが最近の本では逆に「そこが見所の一つとも言える」と肯定的な評価になっていた。当時は日本人が視聴することは考慮されていなかったわけで、韓国人が日本人をこのようなイメージで見ていると分かるとも言えるわけだ。

話自体はまずまず面白い。ただ2003年制作ということでCGらしいCGがなく火災で滅びる百済の都の映像なんてあまりのチープさに唖然とした。それと夜に忍び込んだ敵が逃げたのをお姫さまが馬に乗って追いかけしまいには剣で戦うというシチュエーションにそんなのあるかい!とツッコまざるを得なかった。しかし現代になってヤクザをボッコボッコにする姫の伏線と思えばどうにか納得できる。姫のソン・ユリが若くて可愛くてそこは十分に見ていていられる。彼女のドラマ初出演という拙(つたな)さがこの役には合っていた。さっき日本人役の日本語がおかしいということを言ったが、怪しい忍者二人組も登場しなぜかシルクハットにスーツ姿に怪しい手足の動きでどこが忍者の末裔なのか不思議だった。それにしても姫は仕方なかったとはいえ、ジソブの安アパートと達次のホテルの豪華スイートルームを行ったり来たり。一体何回行き来する羽目になったんだ?

まあ、先駆け作品でもあるしツッコミしつつ鑑賞するというのがこの作品の楽しみ方ではあった。私の評価は一応合格点の10点中7点くらいか。まだまだタイムスリップもの視聴は続くよ。

2020年2月6日木曜日

病院の顔

昨日から今日にかけて鹿児島市立病院に患者を紹介しようとして、地域連携室と連絡を取り合った。こちらの不手際もあり向こうに迷惑も掛けてしまったが、担当のビーチリバーさんがテキパキと対応してくれ助かった。なかなかしっかりしているなと感心した。受付とか事務、連携室の人たちはこうした病院の顔となる役割がある。ここがいい加減だと病院全体がそのような印象を持ってしまう。私はまだ鹿児島市立病院が新築移転してから縁なくてまだ足を踏み入れていない。家族や知り合いでも入院しない限り意外によその病院には行かないもので、こうした仕事の人たちは些細な対応が自らが病院の印象を決定してしまうと自覚しよう。少なくともビーチリバーさんのおかげで私は鹿児島市立病院に好印象を持ったのであった。

2020年2月5日水曜日

四次元Drボウリング復活

なんと昨日に引き続いてボウリングだ。最近の私にしては珍しい。というのも、海広しDrの勤務先ビッグオーシャンクリニックに四次元Drが勤務していて、私の話題が出たところで「ならば久しぶりにボウリングをしよう」となった。四次元Drとは沖縄出張時代に散々ボウリングをし、サラダボウルで3人チーム戦にも出ていた。最近は串木野トリオリーグの参加要員も人数不足で彼にも参加を願ったところOKしてくれたはいいが「何せ20年もボウルやっていないから」と今日練習をすることになったわけだ。

彼と会うのは数年間前の山ンバDrの通夜の席以来だ。だいぶ白髪が増えたなぁ。私より多い。それに以前は細い印象だったがだいぶ肉も付いてきている。ただ少し甲高く聞こえる声は変わらない。(中央が四次元Dr、左端は海広しDr↓)
「実は3日前の日曜に串木野に来て一人で練習したんですよ」と少々足を引きずりながら話す。久しぶりにバッグを開いたらなんと3個のうち2個はぱっくりヒビが入っていて靴は溶けて(?)いたという。生き残ったボールはライノプロで普通のウレタンボールだ。傷だらけだけどまだ投げられる。↓。
指穴のドリルが独特で普通マイボールでは親指を真っ直ぐ伸ばして投げる。その方が指抜けがよくボールに回転を与えやすい。しかし彼のは当時大阪にいた有名ドリラーのドリルで指を曲げて投げても抜けやすくなっている。指を入れてみて非常に懐かしい感触だった。というのも最初は私がわざわざ大阪まで行きその有名ドリラーのドリルを受け、それを四次元Drに教えたのだった。その後何個もボールを作るたびに大阪まで行くのはさすがに面倒かつお金も掛かるため、私は一般的なドリル法に戻して20年以上経つ。しかし四次元Drはそのままだったわけで、まるで20年前のボウラーが現代にタイムスリップした感じか(最近の私の韓ドラみたく)。

久しぶりの彼の投球を見たら、フォームはいっしょだった。何年経っても変わらないもんだ。しかしブランクは大きく、狙いが定まらない。
(↓はヘッドピンを外しがっくりの四次元Dr。)
そしてたまにポケットに入ってもピンアクションの悪いこと。「以前はウレタンボールとはいえメインボールだったんですけど」と言われても、これじゃ1投目用のボールとしては使えないゾ。「やっぱりボールを新調すべきだなぁ」に「そうですね」と。それで串木野でボールを作ることにし、早速今度の土曜に予約をしていた。

ビッグオーシャンクリニックに勤務することになり、そこにはこてるDrはいなかったのに四次元Drはまたボウリング復活する羽目になった。そう言えば同じく沖縄時代にボウリングをしていた駒流Drもいたな。彼は仕事は透析療法を頑張っているらしいが、ボウリングは全くしていないらしい。子育ても一段落したらそろそろボウリング復活して欲しいナ。

2020年2月4日火曜日

パーフェクトまであと1球

この時期恒例の社会保険医協会の「健康作りボウリング大会」が国分スターレーンであった。今回はAチームがいつもの私、難ガター、サンシさんで、Bチームはこの間練習に来たリハビリスタッフの石灯籠、チクショウ、よさこいさんの3人で参加した。

出場チームを見渡すとノーサイAチーム、ザ・キング病院チームあたりがマイボール持参で私たちのライバルか。特にノーサイチームとは毎年のように優勝争いをしていて、2012、2013、2016、2017、2019は私たちが、2014、2018はノーサイチームが優勝している。

1フレ目、私が10ピンをミスし難ガターさんも同じくミス。しかしサンシさんがダブルで気合いを入れ直し私もダブル、ターキーといつもの調子に戻った。しかし難ガターさんの調子が上がらない。そのうちサンシさんもおかしくなった。私も楽に200アップだと思っていたら10フレでスプリットを出し197と200アップ出来なかった。それでもチーム合計はノーサイチームを11ピン上回っていたので今回も優勝出来るかと思っていたが・・。

2ゲーム目、向こうのエース福雅さんのストライクが途切れないのである。ちらちら見るに8フレ、9フレもストライクでまだ続いていた。気になって私は自分の投球の番なのに向こうのレーン背後からデジカメ動画を撮り始めた。なんと10フレも1投目、2投目ストライク。げげー次でパーフェクト達成かぁ〜。
そして運命の12投目、これでストライクならパーフェクト達成の快挙だっ。
ああー!投げた瞬間、板目で1枚ほど内に入りボールはほぼど真ん中に入りストライクコースを外れたと分かった。結果は2番ピンが1本残り299点。残念!

しかしこれでノーサイチームの圧勝となり優勝をさらわれてしまった。私たちはガタガタでザ・キング病院にも負け3位。リハビリのBチームは健闘して7位で賞品をもらっていた。終わっていつものアシビー国分店で食事し、リハビリスタッフにマイボールの良さをアピールしたり、よさこいさんは「また100アップ出来て初めてボウリングが楽しいって思えるようになった」と喜ぶなど、ボウリング談議に花を咲かせたのであった。

2020年2月3日月曜日

機械いじりが好きな女

毎週月曜の朝礼では所属長クラスのスピーチと一般職員のスピーチがある。今日は医事課のダッペイ課長と透析室のヨチハルさんだった。

ダッペイ君は海の男だ。サーフィンを20年も続けている。だから肌はいつも真っ黒。今年は東京オリンピックにも採用されその魅力を語っていた。ヨチハルさんは自分の経歴から話し始め、担当部署での経験を語りとここまでは他の職員のスピーチパターンと同じだった。私はいつも仕事の話より経歴と趣味、関心事を知りたいと思って聞いている。だって仕事は日頃見ていればある程度分かるがプライベートはよほどのことがない限り知らないし、かつその人となりを知る一番の分野だからだ。たいてい好きなスポーツや旅行などを語る職員が多い中、彼女は「家電の分解・清掃・部品交換・組み立て」で休日など時間がある時にはそれをやっているという。へーぇ。
要するに機械いじりが好きってことだろう。これは普通男子に多い傾向がある。女子はたいてい機械が電気などは好まない人が多く、私も機械いじりは好きではない。ていうか苦手である。彼女って変わり者?そうか臨床工学技士になったのも機械が好きだからだろうか。

1年近く前にうちのメインTVであるREGZAのZー7に横縞が入る異常が出て部品交換で直ると分かってその部品も購入したが分解して交換するのが怖くそのままにしている。ヨチハルさんだったら喜んで実践していただろうに。彼女とは3年くらい前の飲み会で一度話をしたことがあったくらいだが、自分が苦手なだけに一度この機械いじりのことで話をしてみたいと思ったヨ。

2020年2月2日日曜日

「麗~花萌ゆる8人の皇子たち~」でおや?と思ったこと

今年に入ってから韓ドラはタイムスリップ物を立て続けに見ている。「ナイン」「イニョン王妃の男」「屋根部屋のプリンス」「以心伝心」と来て、今「麗~花萌ゆる8人の皇子たち~」を見ている。「麗」はこれまで病院のサーヤNsやマリンNsに「イケメンがいっぱい出ているから〜」と勧められていたが、逆に「そんなん、誰が見るかい」って反発して見ようとしなかった。しかし冒頭、現代の娘が千年以上前の高麗時代(918ー1392)にタイムスリップする話だったのでならばと見始めた。

「屋根部屋のプリンス」は1割時代劇9割現代劇だったが「麗」は1%現代劇99%時代劇だ。主人公が過去と現代を行き来はしない点は共通で、そこは「ナイン」「イニョン王妃の男」「以心伝心」と違う。「麗」は個性の違うイケメン皇子らを見て楽しむ側面が強調されがちだが後半の皇位を巡る争いの描き方がすごい。歴史上の事実を知っている女性主人公(IU=アイユー)はやがて4代目高麗皇帝となるワン・ソと互いに想い合うが一筋縄の展開にならない。主人公は事実を知っているが故に苦悩する。意外に重い内容のドラマである。

このドラマでおや?と思ったのが主人公のライバルにもなるヨナ皇女が結婚相手に皇子を選ぼうとする点だ。実兄である第8皇子ワン・ウクは当然対象にならないが、男主人公の第4皇子ワン・ソに気があり終盤では政略結婚をすることになる。父親はどちらも初代皇帝のワン・ゴン(王建)なのにである。一番違和感があるのがこの近親婚が当たり前という点だ。朝鮮王朝時代(1392ー1910)になると儒教の影響で近親婚どころか従兄妹同士もさらに先祖が共通でもダメ(同姓同本の婚姻禁止)ということになり、それは現代にまで影響しつい10数年前まで続いていた(2005年民法改定)。未だに社会的にはその影響から脱し切れていないそうだ。だが歴史的には以前はそうではなかったと、当然のように近親婚前提でドラマは進んでいた。そこは新鮮に感じた。韓国時代劇は朝鮮時代のものが圧倒的に多く、儒教的発想での行動、展開が目立ち息苦しくさえある。逆にそこに登場人物たちの葛藤が生まれドラマになるわけだ。

主人公のIUちゃんはかわいいしヨナ姫のカン・ハンナはえくぼが可愛い美人でそこは良かった。女性主人公がある程度良くないと私にはつらいわ。時代劇はあまり好まない私にとってこのドラマは全20話でこのくらいまでが限界かな。いつも書くが韓国時代劇は見る前に全何話までかと確認しないといけない。50話越えなんてザラにあるからー。中には100話以上のものもあって「太祖王建(テジョワンゴン、2000ー2002)」なんか全200話もあり、10年以上前TSUTAYAでばったり会った病理のハッチDrが「ようやくこれ(太祖王建)を見終えたよ」と苦笑いしていたのを思い出す。それで次見る予定がタイムスリップ物の元祖的作品で2003年製作の「千年の愛」だ。これも最初は時代劇(なんと百済末期)だが9割は現代劇なので安心だ。しばらくはタイムスリップ物がつづく・・。

2020年2月1日土曜日

「河童の雫」を食べる

朝、医局に着くと、土曜というのにカルテ作業補助職員4人が全員出勤していた。彼女らと会話しているうちに、「姶良駅の近くに美味しいラーメン屋があるそう」と山の神さんが言っていたのを思い出し、「今日のお昼をみんなで外に食べに行こうか」「えー、うれしー」となった。幸い今日の外来はそれほど忙しくもなく12時半にはきっちり終わり、4人を私の車に乗せて「河童の雫」という店に向かった。「いつもは並んでいるから入れないかも」と山の神さんが先に降りて空き具合を見に行った。もしダメだったらなぜか「モスバーガーにしましょ」となっていたが・・。「しばらく待てば大丈夫」とのことでみんな降りた。

玄関にはなぜかバスケットの鹿児島レブナイズのポスターが貼られており、選手写真がプリントされていた。それを見て朝カラさんがこの人もこの人も知っていると指差し始めた。
ええ?私なんか誰一人知らないし見たこともない。鹿児島は3部リーグでそもそもTV放送はしていないしな。朝カラさんは学生時代からずっとバスケットをやっていて今でも続けている。地元出身選手の知り合いも多いわけだ。さらに待っていると丁伝さんが口に手を押さえた若い女性と話し始めていた。なんと彼女の娘が友人といっしょにラーメンを食べている最中、窓から見える母親にびっくりして出てきたのだった。
今日お昼にラーメン食べるなんてお互いに1mmも思っていないはずで全くの偶然であった。人気店だとこういうこともあるんですナ。さてさて肝心のラーメンだが豚骨スープに自家製麺、そして大判チャーシューと特に奇をてらったところのない美味しいものだった。特にチャーシューが柔らかく美味しかった。
値段も大で750円、中650円、小550円とお手頃だ。混んでさえなければまた来てもいいかなと思った。鹿児島ラーメン王決定戦にも出たことがあるそうでその心意気や良しだ。ちなみに河童の雫の意味はというと、店主の顔が河童に似ているところから付けられたそうだ。
また土曜午後にみんなで食べに行きたいねーとの声も上がったが、実は意外にみんなの都合が付くケースが少なく、年に1回あるかないかだ。ふむふむ、姶良にも意外といい店があるようだから今後はもっと土曜午後のお食事会をやってみようか。