2019年5月31日金曜日

ぴったり19年

月末だ。病院ではこの時期レセプト業務で忙しい。今夜は21時過ぎに空港にカールを迎えに行かなくてはならないので病棟で病名付けや症状詳記の書類を作成していた。まだ食事もしていないので遅くとも20時過ぎまでには済まさなくては。

4階病棟でどうにかレセプトを終了出来たのは20時前。詰め所には事務の背後霊君と舞妓はんNsがいた。一仕事ついた気楽さでいろいろだべっていると、舞妓はんNsが「先生ってここ(青雲会病院)に来てどのくらいなるんですか」と質問してきた。「そうねえ」と言った直後、「あっ!」と声を上げた。びくっとする二人。何でもない場面で急に大きな声を出すのは私の悪い癖だが、自分でも驚いたんだ。

「今日でちょうど丸19年だったんだ。青雲会入職が2000年の6月1日だったんだよー」だから舞妓はんへの答えは「約」でも「だいたい」でもなくぴったり19年と答えることが出来る。もっと正確に言えば19×365+4=6939日だ。そうか、明日の6月1日からちょうど20年目に入るんか。人生の約1/3をここで過ごしたことになる。こんなに長く勤めることになろうとは思っていなかった。もし最初から20年そこに勤めなさいと言われていたら尻込みしていたと思う。今の調子でいけば丸20年もきっとここにいる。日々の積み重ねは偉大だぁ。

2019年5月30日木曜日

久々の練習 in T-Max

なんかT-MAXでのボウリング練習のことを日記にするのは久しぶりのような気がする。狂の参加は難ガター、サンシ、エリックMRにヤマヒロDrと5人もいた。3階フロアで投げ始めたが、私は何年ぶりかにボールを3個用意して臨んだ。以前のメインボールのインフェルノ・ブルーフレームも持っていったのだ。

投げてみると、案の定オイルが薄く曲がりが若干おとなしいインフェルノの方がレンコンに合っていた。1ゲーム目は138とこれは愛嬌。2ゲーム目はスコアを狙いにいってノーミスの205だった。ただそれでも奥でのボールの動きが安定せずやや難しいコンディションではあった。3ゲーム目、ストライクとスペアが交互に出てこれじゃいかんと狙って投げたところ、6本カウントだった。ちくしょーと思いつつボールが返ってくるのを待っていたがなかなか返ってこない。見れば隣のサンシさん以下みんなボールがピンデッキの奥で停滞している。係員呼んで返ってくるのを待っていたがなかなか来ない。10分15分経過しても埒が明かず、係員が「すみません、故障で6階のレーンに移動出来ませんか」というではないか。実は3階は他のレーン全て使われていて、レーン移動の余地がなかった。

珍しくも階を移動して投げることになった。すると、それまでボールが動き過ぎて全くスコアが出なかったサンシさんに急にストライクが出だし205が出た。オイルがそこそこあり私はボールを今のメインのマスターマインド・ゼロに代えて投げた。結果はまあまあ。

4ゲーム5ゲーム目はダブルスで私は難ガターさんとペアでヤマヒロ、エリックチームと対戦した。これがどちらも接戦で1ゲーム目は引き分け、2ゲーム目は10フレ勝負で相手がダブルを出さないと勝ちの場面、見事にそれをやられて数ピン差で負けてしまった。ヤマヒロDrは「こんなこともあるんだ。諦めなくて良かった」って、それ当然でしょ。ボウリングは10フレにダブルを持ってこれるかどうかで決着つく場面が非常に多いんだ。負けて悔しいが約束のペットボトル飲料はきちんとおごらしてもらいましたわ。

2019年5月29日水曜日

ぐーたら

当直明けの午後休みで帰宅すると、1日半ほっとかれたゲンちゃんが案の定玄関に来ていてミャーミャー鳴いていた。「このやろ、エサもくれないで」ってな顔つきでね。カールが沖縄に所用で不在、ギボヒサコもリハビリ入院で昨日から家の中にはゲンちゃんだけだったのだ。エサをあげるとガツガツ食べ始めたがものの数分で食べるのを止め前足で顔を引っ掻き始めた。飼い猫はエサがちゃんとあると分かると慌てて一気に食べようとはしないんだ。

当直疲れもありこの後はTVを付け連続録画している「おしん」を見ていて結局そのまま床寝してしまった。おしんは東京編になっても面白さが落ちない。子役時代が1ヶ月半近くありそれが評判だっただけにがらりと変わると視聴率が落ちるドラマあるのにねえ。当時の田中裕子はすでに28才で沢田研二とも密かに付き合ってはずだがそんなことみじんも感じさせずに16才からの役を見事に演じている。最高視聴率ドラマだったのは脚本が良かったのはもちろんだが田中裕子の貢献も相当あったんだと思った。

夕食はカールが事前に下作りしていた鶏の手羽先をオーブンで温めて食べた。2、3個食べたらそこそこに満足もまだ残っていて残すのもなあと全部食べたが少しきつかった。うー、食べ過ぎ。結局苦しくなってまた床寝。一人だとさらにぐーたらになるのだった。

2019年5月28日火曜日

ユリイカ!

今夜は当直だった。医局の机で適当にまどろんでいると、女性二人のMRが医局にやって来た。医薬品外資メーカーの「あんたらゼニカ」のMRだった。一人は担当の先順さんでもう一人は・・あは、ユリイカちゃんだ。ユリイカMRは市内担当のゼニカMRだと知っていたが実はテルの同級生で実家もうちのすぐそこだ。ていうより、お母さんのお腹の中にいたときから知っている。全くの偶然なんだが、鹿児島市内の某産婦人科でカールとユリイカの母バンブックさんは同室になりそれが縁で付き合いが続いていた。まだまだヨチヨチ歩きのころのユリイカとテルの動画もハンディカムで撮ったりしていた。中学生くらいまでは見かけていたのでもう10年ぶりくらいか。もう立派な大人になっている。

で、会っていきなり、写真をパシャパシャだ。これに彼女は面食らったがそんな素振りは見せなかった。その後もツーショットを撮るときに「こうしてクビを傾けるといい雰囲気になる」とか指示してもニコニコを応じていた。

で、この写真を家族LINEにアップしたら・・40分ほど経ち、テルから投稿があった。テルとユリイカちゃんは幼なじみで今でもスマホですぐに連絡できているようで、彼女に上の写真を送ったらしい。

「首の角度まで指定されて 仲良く見えるようにって めちゃポーズとらされた」なーんて返信があったって。内心は何をするんだこのおじさんくらいに思っていたかもしれないが、写真をみて分かるとおりニコッと微笑み、上手に対応していた。いや、まさしくプロだよ。社会人はこうでなくちゃね。20何年も経つとちっちゃな子どもも立派に成長する。それを間近にみた思いだよ〜。

2019年5月27日月曜日

初任給に何かプレゼントを

この間、セージから電話が掛かってきて「あのさー、初給料もらったんで何かプレゼントとしたいんだけど何がいい?」とうれしいことを言ってきた。カールもいて「何がいいって聞いているよ」と聞くが「うーん、特に欲しいのはねえ・・」とすぐには思いつかない様子。後で本音を聞くと「高級バッグとかは欲しいけど何十万もするから」とそれは言えなかったんだと。で、「ネックレスかなぁ」と伝え、私も思いつかず「欲しいものってたいてい自分で買っているからなぁ」と返事したが、「何か言ってくれたほうが助かるんだけど」と言われうーんと考えこんでしまった。せいぜい1万未満で欲しいグッズといったら・・。

しばし、パッと思い浮かんだのがサングラスだった。この前の岩手安比高原スキー場で光の反射がまぶしくて何度も「サングラスがあったら」と思った。それを言うとセージに「どの銘柄か言ってくれたら」聞かれるも、私、サングラスって一度も買ったことはなく全く分からない。そこはセージに任せるよ。

セージは子どもらの中でもこういったことには一番気が利く。そういえば何の連絡もない子もいるが・・。いや、贅沢は言うまい。そんなことはどうだっていいのだ。子どもは元気で育ってくれれば何も言うことはない。何の落ち度もないのに突然人に刺されて死ぬ子もいるんだから。

2019年5月26日日曜日

東京オリンピック観戦申し込み

この間、東京オリンピックの観戦申し込みをしていたのだが、オリンピックの組織委員会からメールが来た。

「チケットを選択し、カートにチケットを入れたまま、抽選申込受付が完了していないお客様へご案内いたします。」
「カートに入れたままの状態では、抽選にご参加いただくことはできません。
チケットの申込をご希望の場合には、必ず、抽選申込受付期間内に申込手続をお済ませください。」
とあるではないか。

あれ?ちゃんと申し込んだんだがなと思いつつ、ログインして確かめると、指摘の通り申し込みは完了していなかった。ぐわぁ。慌ててきちんと最後までクリックししばらくするとまたメールが来た。

「東京2020公式チケット販売サイトをご利用いただきありがとうございます。
東京2020オリンピック観戦チケットの申込を承りました。
申込内容の詳細は、東京2020公式チケット販売サイト内の「マイチケット」から確認ください。 」

ちゃんと確認できた。ふう。来週の5/28の締め切り付近はアクセスするのも待たされるそうだから今週やったのだが、メール確認が来なければ「やったつもり」で何もやっていなかったというお粗末な結果になっていただろう。

しっかし、何百万人が申し込んでいるらしいから希望した柔道、体操、陸上などは当たらないと思ってしかるべきか。サッカーは収容人数が多いので少し期待はしているが・・。もし全部当たったら40万円以上の出費にもなるがそこは「絶対そんなには当たらないよぉ〜」の逆の期待値で済ませている。当たって欲しいのかそうでないのか、人間って勝手なもんですナ。

2019年5月25日土曜日

胃痛の原因はやはり

昨夜、従妹のヒトミンチョからLINEに連絡が入っていた。気付いたのが日付が変わっていて、送信時刻は22時07分の「こんばんわ〜電話してもいいですか?」だったので「あれれ、気がついたのが0時過ぎだった」と返信するとすぐに「電話してもいいですか?」と来た。これはよほど緊急の用件だ。OKと返信するとすぐに電話が来た。なになに?

「実は(甥の)DSKが胃が痛いって言っているのよ〜。昨日の夜、シメサバを食べてんだって」
「おっとー、そのパターンはアニサキスだな。胃カメラして虫体を取れば痛みが軽減するが、今この時間じゃ胃カメラしてもらうのはどこも無理だろう」DSK君は鹿児島沖縄航路の船に乗って勤務している。
「今、船?陸?船だとしたら沖縄に向かっているのそれとも鹿児島?」と矢継ぎ早に質問すると、今、船上で明日の朝鹿児島に入港するという。
「アニサキスだとしたら時間が立てば虫が死んで痛みがなくなることもあるが、明日朝も痛いなら青雲会病院で診て胃カメラもしてあげるよ」明日はちょうど勤務日で胃カメラは基本的にはしていないが1件くらいならどうにかねじ込める。

今朝、どうなるかなと思っていたら9時過ぎにまたLINEで「今から鹿児島市内を出ます」連絡があった。乗せてくるのは父親の良か友従兄のようだ。やって来たDSK君はまだきつそうでさっそく内視鏡室で胃カメラの準備をした。その様子は当然デジカメに収められる。日ごろ、DSK君は無口で写真もあまり撮らせてくれないのでここぞとばかりに撮ったよ。良か友オヤジも廊下に立っていないで胃カメラするところを撮ってチョーダイと中に入れた。あまりカメラに慣れていないようだったが撮り始めたらパシャパシャやっておまけに田舎訛りでよ〜くしゃべること。途中、「ちぃた、黙らんね」と言ってやりましたわ。

そうそう、胃カメラすると案の定アニサキスが幽門部の胃壁に食い込んでいたよ。
(↓アニサキスが見つかった瞬間。あっ、いた!撮影者は良か友オヤジ)
それを生検鉗子で取りだし「1匹だけじゃないこともあるから」と詳しく観察すると穹窿部の大弯にもいやがった。これも摘除。ほかを観察するともう虫体はいなかったけれどあちこち6ヶ所くらい胃壁に食い込んだ形跡があってこの2匹は相当暴れまくっていたようだ。きつかったはずだ。胃が全体的に発赤し急性胃炎を起こしていた。夕方まで痛みは残っていたらしい。こうした経験をするとしばらくは刺身や寿司など食べたくなくなるものだがDSK君ははたしてどうかな。それでも日本人は魚の生食は止めないからDSK君もまた食べることになるだろうかね、シメサバを。(↓は1匹目の幽門部のアニサキス)


2019年5月24日金曜日

里見先生の診察法がそっくり

TV朝日で5/22の水曜から五夜連続で岡田准一主演でドラマ「白い巨塔」をやっている。「白い巨塔」は山崎豊子の言わずと知れた名作でこれまでドラマ、映画と何度も映像化されている。だいたい10数年経てばまたぞろドラマ化の動きが出るようだ。有名なのが1978年の田宮二郎主演のドラマで当時医学部1年生だった私も見ていた。最終回を前に田宮が猟銃自殺し死後直後にドラマでも死ぬ演技が披露されるという前代未聞の展開になった。その後、村上弘明主演も1990年代にあったようだがこれは印象にない。2003年には唐沢寿明主演が好評で高視聴率を叩きだした。ただ主役財前五郎の最期は末期の肺癌に変わっていた。これは原作は胃癌だが現代では胃癌はおおよそ助かることが多いから変更したもので今回の岡田も難治癌の膵癌に変更されている。

ストーリーも知っているしタイムシフトで自動録画されているからと1話2話は見ずにいたが今夜はたまたま見ていた。おおっと思ったのが、東元教授の娘で里見准教授に恋心を抱く佐枝子を里見が診察する場面。咳が続くというので里見が「では」と胸、背中を聴診器を当てて静かに聴診する。「軽い喘息症状が出ていますね」と言い「吸入剤出しておきますので」と処方の指示を出して終わるという取り立ててどうってことのないシーンなのだが、思わず「オレといっしょじゃん!」と声を出してしまったよ。いやー、このやりとりは私の外来でよくあるパターンなんだ。風邪の後に咳が残るケースがよくあり、最近は私は吸入剤を出すことにしている。これが結構効果があって後で患者らによく感謝される。うふ、ドラマの中で優秀で善人役の里見先生と同じだと思うとニヤリとするわー。
(里見役の松山ケンイチと東佐枝子役の飯豊まりえ)

「白い巨塔」の原作は50年も前なのにこうして装いを新たにしてドラマで楽しめるとは、本作が人間の業を上手くえぐり出しているからだろう。2007年には韓ドラでも制作され、恋愛要素が必須ともいえる韓ドラの中にあって意外に健闘しそこそこの視聴率を取ったと聞いている。私は1話2話くらいまで見たがほぼ同じストーリーだった。

視聴者の意見では以前の唐沢寿明版の方が良かったという意見が多いそうだが岡田准一も結構いいよ。ただ田宮二郎を知っている身からすれば財前五郎はやっぱり田宮と言いたい。そもそも財前五郎の「五郎」は山崎豊子さんが田宮の本名柴田吾郎から取っているくらいだしね。ともかく医療界がよほど変わらないかぎり今後も「白い巨塔」は制作されていくことだろう。

2019年5月23日木曜日

令和婚

4F看護師から院内メールが届いたのだが、聞いたことのない姓名だった。T沢S絵って誰?あはー、トライアングルNsのことかぁ。彼氏もいると聞いていたし結婚したんだな。すると、同じ4Fの青空美Nsも結婚して姓が変わっていた。そういえば、昨日寄ったさわやか薬局の美人薬剤師揚子江さんもネームを見たら姓が変わっていた。みんな20代、お年頃やもんね。

メールでT沢Nsに「おめでとう」と返信すると「青空美ちゃんと一緒の令和元年5月1日に入籍したんですよ★」と返ってきた。なーるほど、気分一新となる新元号に合わせて結婚したんか。見せたまえDrから聞いたのが「4月30日は出産は一人もいなかったのに5月1日には4人もあった」そうで、そのうちの一人は計画的に帝王切開出産だったとか。何事も目出度い事には「新しい」が似合う。

私も平成元年婚だ(偶然だが)。あっという間の30年。みんな、新婚はすぐに過ぎるヨ〜。ま、何はともあれ令和婚、おめでとう!

2019年5月22日水曜日

信じやすい人、信じにくい人

火曜から木曜の3日間は朝一の仕事が子宮頚癌のスメア検査だ。人間ドックの一環で行われていて婦人科でもない私とシマッチ院長が担当している。今日の担当はもっと掘れNsで、検査の合間に「先生、松原照子って知ってますか?」と聞いてきた。

松原照子?ああ、聞いたことあるな。どこかのドクターとそっくりな名前だが・・。「その松原照子が南海トラフ地震が来ると予言しているんですよ」だって。そういえば例の3・11の地震を予言していたとかで一時話題になっていた気がする。時間の無駄なのではっきり言わせてもらうがそんな予言や予想などは私はほとんど信じない。話題にするだけムダだ。東日本大震災をどれだけはっきり予言出来たというのだ。適当に東北に地震が来るとでも言っておけばそんなの当たったって後から言えるんだよ。ふ、何が南海トラフだよ。それっていまの流行り、ていうかちゃんと研究している学者や学会の受け売りでしょ。名前が似ているのでつい「ああ、うちの母ちゃんだよ」と返事したら「えっ!ほんとっ」ってどんだけ信じやすいんだ、もっと掘れさんよ。あんた、すぐに人を信じてしまう癖があるんじゃない。変なメールや電話を信じて返信なんかしちゃダメよ。分かった?!

そうだ、昨日話題にした怪しいメールだ。夕方に直接電話がかかって来やがった。その電話番号はなんとなく記憶していたので一呼吸置いてから出てみた。するとー。

ぬぁんと、セントラル高校同級生の木神君だった。「ああ、仕事中だったかな。電話してゴメンな」ときて用件を語り出した。実は先月末に同窓会幹事会で会っていて、彼は定年後某ベンチャー企業の嘱託業務をしていて病院を訪問している、それで今度こてるの病院にも説明に来たいのだがと言っていた。「OK、いいよ」と返事していたのをすっかり忘れていた。ていうか、メールできちんと「木神です」と名乗ってくれていたら何の疑問も抱かず、不審メールとして日記ネタにもしなかったのに。てっきり詐欺メールの典型って文面をそのまま載せてしまったじゃないか。いやはや、私は誰かさんと違って人を信じにくいタイプと思った次第。

2019年5月21日火曜日

怪しいメールにどう対処

昨日のことだが、午前10時36分に携帯電話番号に掛かってくるショートメッセージにとっても怪しい内容のメッセージが入っていた。何だこれ?

「おはようございます!早速ですが先日話した件だけど、今月27日(月)か29日(水)のいずれかにそちらへ説明をさせていただきたいのですがいかかですか?ちなみに時間はいつでも結構です、所要時間は約15分と考えています!
連絡をお願いします」

誰からなのか名乗っておらず、しかも「先日話した件」といかにも互いに知っているよね的な話題に持っていっている。しかもこっちが下手に返事でもすれば来週にはうちにやって来ると書いてあるではないか。おお怖い。こんなのに返事返信でもすれば向こうの思うツボ、無視するに限るわこんなの。

念のためカールに見せて「何か誰かと会う約束でもした?」と尋ねた。すると「いいや」と予想通りの反応だ。ただ今週、会う予定はありその人の電話番号と同じか調べてみたがやはり違っていた。ううむ、これは新手の詐欺メールか。こういうときの対策として多くの人が指摘しているのが「とにかく無視すること」だ。向こうは連絡してきて初めてだませるんだ。ついつい何か約束でもしたかなと思って連絡を取ってしまいがちだ、アブナイ、アブナイ。

1日経ったがその後怪しい連絡は来ない。やはり無視して良かったわ・・。

2019年5月20日月曜日

おしんのおバアちゃんは生きていた!

朝はいつもBSで朝ドラを見てから出勤する。今は広瀬すず主演の「なつぞら」を7時半からやっているが、その15分前からあの「おしん」も再放送があって実はこっちの方が面白くて熱心に見ている。なんといっても日本のドラマ史上最高視聴率のドラマ(平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%)でおそらく今後破られることはないだろう。初回放送は1983年で学生真っ只中で一番ドラマを見ていない時期だったゆえに「おしん」をじっくり見るのは今回が初めてである。

今は主人公が小林綾子から田中裕子に変わって青春編だが、有名な少女編からどうなることかと思ったら意外にすんなり物語に入っていけて面白さは全く落ちない。ただ、ちょっと青春編と呼ぶにはあまりにもつらい場面がたくさん出てくる。当時の小作農家の厳しさ、悲惨さがこれでもかと描かれ、製紙工場に奉公に出た姉はるは結核を患いすでに死の床にある。ゴホゴホ言いながらも「生まれ変わって金持ちに成りたいとは思わないけんど小作の子にはだけは生まれたぐねえ」と姉は吐く。おしんは奉公先の加賀屋の大奥様に認められまだいい方だ。しかし成金との縁談を破談にしたことからいづらくなり暇をもらい実家に帰って来るも父と兄にはいい顔をされない。

少女編では祖母が亡くなって「死んでしまってやっと楽になる一生なんでおれはやんだ」とおしんは決意する。青春編では姉の死で山形を飛び出そうと決意するようだ。おしんでは誰かの死でおしんが成長する姿を見せようという意図が感じられる。少女編では中村雅俊の脱走兵が重要な意味を持っていた。

ところでおしんの祖母を演じたのは大路三千緒という女優さんで調べて驚いたのがまだ存命中ということだ。彼女より若かった中老年期のおしん役乙羽信子も加賀屋の若奥様役の小林千登勢もおしんの息子役の高橋悦史もすでに他界しているというのになんとまあ。1920年生まれの御年99才。もちろん引退しているが元宝塚で2014年には越路吹雪の同期生ということでTV出演(「昭和偉人伝」)もしたという。ドラマ中ではすでに36年前におばあちゃんとして亡くなっていたのに現実世界ではまだ存命中だったとは!「おしん」がらみネタで一番驚いたことだった。今年はこの他にも「おしんネタ」が出てきそう・・。
(↓最期を迎え、おしんに卵入りお粥を口に入れてもらう大路三千緒)
(貧しさの哀れさを出すためか、歯↓も黒ずんでいる)

2019年5月19日日曜日

雨のせいでかおかげでか

屋久島の大雨は大変だったようで300人以上が下山できずに一夜を過ごしたらしい。本来なら防災訓練に参加のはずの自衛隊が本当の防災のための出動で訓練は中止になり、おかげで自分らも朝7時45分に集合せずに済んだ。こうなれば被害や犠牲者が出ないことを祈るばかりだが幸い大きな事故がなくてよかった。

私は昨日のボウリングでさらに風邪の具合が悪くなった感じだ。今日は一歩も家の中から出なかった。後で聞いたところ、服裂き魔Nsの夫の救命救急士ホットウォーター君は「この日のためにずっと準備して来たのに・・」と残念だったそうだ。「これまでの時間を返してくれ」とも。ああ、分かるねえ、それ。

午後は鹿児島は鴨池であったソフトバンク対日本ハムの試合をTV観戦した。外は小雨だがどうにか試合は出来そうだった。序盤にソフトバンクはグラシアルのホームランなどで3点リードしたが徐々に雨脚が強くなり守備があたふたして日本ハムに1点差に追い詰められた。こりゃ5回まで行けるかどうか。デスパイネのホームランで4ー2となって途中中断もあったがなんとか5回の裏まで行けた。すると審判団もまた一時中断を宣告ししばし経過を待つ。結局ソフトバンクには有り難い降雨コールドとなって「縁起のいい鹿児島では負けない」という9連勝を達成した。これからも毎年鹿児島ではゲームやって欲しいネ。

寝て起きて枇杷食べてを繰り返していたせいか、夕方体重計に乗ってみたら、80kgになっていた(ゲッ)。いかんいかん、またダイエット始めなくちゃ。

2019年5月18日土曜日

ボウリング試合中に鳴った電話とは・・

庭の枇杷も摘み終わらないと実が傷んで来つつあり、小雨降るあいにくの天気だったけれど、髪だけは濡れないように野球帽を被り、塀に乗って2階にまで届きそうな枇杷の枝からどんどん摘み取っていった。(↓2階から見ると高い枝にまだ実が残っている)
(数えてみたら120個ほどもあった。残るは10数個のみになった。)

体調今一の中、夕方はT-MAXで歯科医師会月例ボウリングに参加した。この前の練習ではまったく調子が出なかったものの、レンコン次第ではスコアは出せるかもと甘い期待もあった。でも、練習ボールを投げてこれははまずいと思った。前回と同じ3階のレーンでオイルが少ない。少ないと今の私のメインボール、マスターマインド・ゼロでは奥でボールが動き過ぎてコントロールしにくいのだ。以前のインフェルノ・ブルーフレームだったら・・しかし面倒くさくて持って来ていなかった。

それでも1ゲーム目はラッキーもあってストライクが続いた。自分でもびっくりの221が出た。でもいっしょに投げていたノダメ先生の方がレーンにぴったり合っている。彼のスコアは192だったけど勝てそうな気がしなかった。案の定2ゲーム目から私はストライクが出ない上にスプリットも頻発し153と急降下、代わりにノダメ先生はストライク連発し258と大爆発だ。やっぱりな・・。3ゲーム目もその流れは変わらず3つのスプリットで158だったのにノダメ201と私の優勝はほぼ無理な状況になった。でもこのレンコンと自分のボールでは無理と諦めもついていて残り3ゲームに臨んだ。

その時、病院のキコ様ナースから電話が入った。もしかすると明日の救急訓練の件かな。彼女とはリバサイシ君と3人で参加の予定だ。ところが内容は「先生、明日の訓練ですけど中止になるってことですが聞いていますか?」だと。「いいや、聞いていない。でも何で?明日は小雨決行のはずだけど」「それが今日屋久島が大雨で自衛隊には救助要請が出ているらしんですよ。訓練じゃなくて本物に出かけなくてならないんですって」何と。だが彼女は鹿児島市内の友人ナースから聞いたというだけで正式な連絡ではない。「うん、わかった。多分中止になるんだろう、でないとそんな話が出てくるわけがない。ありがとう」と電話を切った。屋久島の状況は気になるが自分としては有り難かった。なんといっても風邪できつい中、明日も雨予想で濡れての訓練はきつい。その後、正式に連絡が入り中止が決定した。

ボウリングはその後も調子出ず、最後の6ゲーム目だけはノーミスで終わろうと頑張り216のノーミスゲームで締めた。優勝はやはりノダメ先生でスクラッチ1225/6Gとアベ200越え、2位は御老体ノゾエもん先生、3位はリンセイ先生で私は4位。去年は毎回200アップ越えの1位か2位ばっかしだったが今年はアベも順位も悪い。ボールを新調したのが上手くいっていないのはいいとして、ちょっとボウリング熱が低調なのもある。まあ、これまでも熱の入り方には波があった。今は引き潮状態だわ〜。

2019年5月17日金曜日

風邪が続く&「こてる日記記念日」

朝の南日本新聞に「大山亜由美プロが死去」の記事が出ていた。全国ニュースにもなっていて芸能事務所とも契約していた美人プロだったとのこと。南日本新聞にはその全国ニュースにもなっていない「全身がんで」亡くなったと触れられていた。この「全身がん」という言葉は死因でなかなか出てこない。普通はがんはどこか一つの臓器から発生する。最終的に全身に広がるにしてもだ。もしかするとどの臓器が原発だったのか不明のままだったかも。おそらく病気が判明した時にはすでに手遅れだったのだろう。いつの時代も若い人の死はやりきれないものだ。

風邪の具合が昨日よりひどくなって鼻水、だるさがひどかった。そんな中、近くの愛乱病院から心不全疑いで呼吸困難の患者を診てくれと電話依頼があり引き受けた。精神疾患があり保護入院となっていた高齢患者だったが内科疾患で具合が悪くなれば引き受けるのが筋だろう。来院時、確かに大きな声を上げるので「これは大変な患者だったか・・」とも思ったが難聴のせいもあったようだ。直に接すればなんとかなることも多い。背景を考え過ぎて診もせずに断らなくてよかった。

最近、自宅の枇杷ばかり食べていて少し太ったかな。目の前にカゴ入りで枇杷が置かれればついつい食べ過ぎてしまう。で、青雲会病院のみんなにも食べてもらおうと、医局、外来、内視鏡室に分けて持っていった。内視鏡室には佳及主任に「これをあとでみんなで食べて」と袋ごと渡していた。外来も終わり誰もいなくなった内視鏡室へ行き「みんな食べたかな」と冷蔵庫を覗いてみた。するとなんと1個も食べられていなかった。え?これは何かの間違いか、佳及Nsが忘れていたのか。このままだと食べられるのは3日後の月曜になってしまう。ううむ。ま、冷蔵庫だから十分持つか。しかし誰の口にも入らなかったというのは残念だったわ・・。

明日夕方は歯科医師会月例ボウリング大会、そして明後日は朝から加治木で県の防災救急訓練がある。体調も悪いのに予報では雨だという。ちいと嫌だなと思いつつ、持参要請のあった聴診器や半袖白衣など車に入れ帰宅した。とりあえず明日土曜日中は仕事が休みなのが幸いだ。家でゆっくりと過ごそうか。

そうそう、今日は「こてる日記記念日」だった。19年前の今日、2000年5月17日にこてる日記は始まった。ついに20年目に突入だ。我ながらよく続いているもんだと思うぜよ。

2019年5月16日木曜日

「港町ブルース」

昨日の夜くらいからチト風邪気味で、今日になってだるさと鼻水と咳が少々出てきて本格的な風邪になった。内視鏡室でつぶやくと「床で寝ているんでしょ、だからですよ」と佳及主任に言われてもうた。確かにその通りでそれを由香寝と私は称し、「決して由香と寝ているわけではないよ」と付け足すのがお決まりだ。その他にも椅子寝、ソファ寝など普通の布団寝は月に半分もない。「いや、今週始めに診察した患者さんからうつされたんだ」と言い訳したが、かの忠告は甘んじて受けねばなるまい。実は、この日から体調不良は1週間も続き、今現在(6日後の5月22日)も鼻声でだるさが残っているのである。

鼻声で連想した。人にはそれぞれ鼻歌ってのがあるんじゃない。私はよく鼻歌を歌う方だ。だが聴かされる側はいい迷惑のようで洋楽や今風の曲を歌っても「演歌みたい」なんて揶揄される。また私の鼻歌は「お経」にも間違われるそうだ(2015年6月4日「王将」と「お経」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2015/06/blog-post_4.html)そんな鼻歌の中で小学4年生以来のが森進一の大ヒット曲「港町ブルース」だ。歌詞のうち1番と最後の6番は今でもソラで歌える。曲調もだが歌詞が公募のものをなかにし礼が選び、補作詞したものでなかなかに凄いんだ。

背伸びして見る 海峡を
今日も汽笛が遠ざかる
あなたにあげた 夜を返して
港、港 函館 通り雨

小学生の身で「あなたにあげた 夜を返して」なんてよく分かっていなかったが七五調の歌詞も相まってしっかり歌っていた。

2番で東北三陸海岸の港町が出てくる。いずれも先の東日本大震災で大惨事となり、その年森進一は久しぶり(42年ぶり)にこの歌を紅白で歌った。

流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港、宮古 釜石 気仙沼


私の頭の中では「宮古」と来れば反射的に「釜石、気仙沼」と言葉が出てくる。そして「流す涙で割る酒はだました男の味がする」というフレーズも忘れられない。これもよく意味は分からなかったが。

出船 入船 別れ船
あなた乗せない 帰り船
うしろ姿も 他人のそら似
港、三崎 焼津に 御前崎


ここの歌詞は出だしの「船」の羅列だ。リズム感がいい。

別れりゃ三月 待ちわびる
女心の やるせなさ
明日はいらない 今夜が欲しい
港、高知 高松 八幡浜

ここはなんといっても「明日はいらない 今夜が欲しい」だ。強烈にして哀感が漂う。「八幡浜」は正しくは「やわたはま」だが、森進一は今でも「やはたはま」と歌っている。

呼んでとどかぬ 人の名を 
こぼれた酒と 指で書く
海に涙の ああ愚痴ばかり 
港、別府 長崎 枕崎 

ここは「こぼれた酒と指で書く」だな。2番の歌詞とリンクしている。それと「別府、長崎、枕崎」の語感が良くてついつい日常でも出て来てしまう。「崎」で続けて韻を踏むのもいい。ただ、食べ過ぎて思わずげっぷした時に「げっぷ、ながさき、まくらざき」と地口言葉のように言う癖がついてしまった。

女心の 残り火は
燃えて身をやく 桜島 
ここは鹿児島 旅路の果てか
港、港町ブルースよ

こども心に森進一の出身地を最後にもってきたのは分かる。それと歌詞の通り、当時はまだ沖縄が返還されていなくて鹿児島県が日本最南の地であった。森最大のヒット曲でありながら彼が長らく紅白で歌わなかったのはなぜかよく分からない。震災がなければヒットしたその年だけに終わっていたのかも。↓は貴重な昭和44年紅白のトリを務めたときの映像だ。https://www.youtube.com/watch?v=H0-OKXjbNXs

この歌に出てくる味のある、いやありすぎるフレーズは50年経った今でも私に影響を及ぼしているのだ。

2019年5月15日水曜日

骨がぐじゃぐじゃ、どうしよう

午後は救急当番で、運ばれて来たのが自宅で全く動けなくなくったという高齢男性患者だった。動けなくなったのが5月5日からでベッドから転落してのことだったと奥さんは言う。「え、10日も前のことじゃない」と言いたくもなるが、奥さんによるとそろそろ他院からもらっている内服薬が切れるというのにどうやって病院に連れて行こうと思い悩んだ末に救急要請したのだと。確かに年齢の割りには恰幅がよくとても抱えていけそうではない。それでレントゲン、CTを撮ってみると、腰椎の一つがぐちゃぐちゃに骨折していた。本来なら動けなくなって1日2日で救急要請してもおかしくはなかったか。

実は救急隊も整形外科2ヶ所に当初打診したそうだが断られ(頭部も打撲したというのがお断りの理由らしい)当院に搬送してきていた。頭は全くどうもなく、診断からしてやはり整形外科疾患だし、そもそもかかりつけが整形外科なのでこちらから入院治療できないか電話で打診してみた。しかしやはりだめだった。後で聞いたところでは満床だったらしい。ううむ困った。青雲会病院も整形外科Drが週2日しかおらずしかも今日から5日間は不在だ。チェリピアNsが「市内のよう眠る病院はどうですか」と言うので奥さんに「すこし遠いけど鹿児島市内の病院が受けたら行きますか」と尋ねるとOKだった。よう眠る病院も「一応診察してから入院させるかどうかですので(絶対入院OKとのわけではないの意)・・」と言いつつも受け入れてくれほっとした。やれやれだ。

夜はセージが帰郷していた。去年10月以来かな。運転免許切り替えのためで、すでに午後済ませてきていた。で、明日は関東へ帰ると。あっという間だな。下の写真がセージ2才の時でチッチが生まれて数ヶ月、左のテルが5才になろうかというころだ。
ゲンちゃんなでなでのセージ。ほんとあっという間だよ、子どもの成長は。

2019年5月14日火曜日

けいれん性便秘解消法

令和になって最初のボウリングはすでに5月10日の串木野トリオリーグで済ませていたが、いつものT-MAXでの練習は初めてだった。ただ参加者は私とサンシさんとタナカッツMRの3人と少なめだ。いつも参加していたアンドキサMRが鹿児島を離れてしまったのは大きい。

ただ今日はタナカッツMRに基本中の基本、プッシュアウェイをしっかりするよう指導するなど余裕もあって、そしてすぐに効果が出た。久々にタナカッツ君の球に勢いと安定がみられたのだ。よしよし。ただ、私は3階の遅いレーンコンディションにほとんど対応出来なかった。サンシさんも最初は戸惑っていたが残り2ゲームは200アップ出来たのに私はせいぜい176で150前後ばっかしだった。マスターマインド・ゼロはオイルが少しないと性能発揮できないボールで、このうすいレンコンだと奥での動きが強くなりがちでホント大変だった。

帰りの車中、たけしの健康番組をやっていた。たまたま見たのが何でもお偉い先生が伝授する「けいれん性便秘」を解消する思考法と呼吸法で、見事に便秘が改善していた。

先生は「けいれん性便秘」は基本的には不安やストレスなどの精神的な影響を受けやすい体質が大きく関わるもので頑張れば頑張るほど、気にすれば気にするほど便秘が悪くなってしまって、何をやってもよくならないという経験をしている方が多いと話す。「けいれん性便秘」の人は体質的にわずかなストレスでも大腸が収縮してしまうことが多く、例えば旅行とか普段と変わったような環境になると、それがストレスになって大腸が閉じてしまって便通がなくなると語っていたが、私も一度だけ同じ体験がある。学生時代2度目の東京行きの時、3日間排便がなかった。そんなことは初めてできっと自律神経(交感神経)が緊張し「けいれん性便秘」になったんだと思う。また、あるホテルのトイレに入った時、安らぐようなほっとした感覚になったのも覚えている。田舎者が東京の混雑、移動などで無意識にストレスを感じ緊張していたのだろう。

さて、それの解消ポイントは「便秘に悩む人の不安を取り除く」ということ。「お通じがないからといって不安になることはない」「少しくらい大丈夫」という気持ちになれるように直接対面でなく電話で指導していた。この体質の人は腸が収縮しやすく(れん縮=スパスム)、内視鏡でも見せていて、それは私も日ごろよく見ている。先生は「便秘のこと、回数が出ないとかそういう悩む考えが頭に浮かんできたら、目を閉じて深呼吸してふーっと吐く時にその考えを流してあげてください。そうすると腸のけいれんがとれて出るようになります」と話す。

具体的な呼吸法は、「今日もまた便が出ないのかな」などと思ったら、以下の呼吸法をやってみるといいんだそうだ。

1.およそ2秒かけて息を吸い込む
2.それをおよそ5秒かけてゆっくりと息を吐き出す(この時に便もいっしょに流すイメージを持つ)

ポイントは「少しぐらいお通じがなくても大丈夫」と心の中でつぶやくこと。それで番組に出ていた頑固な便秘患者が2人とも見事に改善していた。なーるほど。私ももちろんこの便秘のことは知っていたが具体的なリラックス法は知らなかった。よし、明日から使いましょう。たまには健康バラエティー番組もいいもんだ。

2019年5月13日月曜日

プリウスを見られていた

朝、ゆっくりしていたら、今日は朝礼が少し早く始まるということに気がつき、慌てた。高速を飛ばしながら少しでも間に合うようにと姶良ICを過ぎて桜島SA(サービスエリア)に入りスマートICから出ることにした。SA内も周囲に注意しつつ出口に向かった。そこからデジカメチェックし病院駐車場まで何分かかるかも調べた。3分10秒。まずまずだ。着いたのは8時21分31秒でこれなら朝礼には間に合う。ほっ、よかった。

朝礼では先の県議選で初当選した米丸麻希子議員のスピーチがあった。選挙中も朝礼で語ったが、その時は「緊張で」うまく言いたいことを伝えられなかったからと、今回のスピーチになった。いくつかあるやりたいことのうちで県の経済力アップのための提言を話してくれた。ふむふむ、鹿児島の自然や人を活かすってことね、なかなか大変とは思うがそうやろうという意思が大事なんだ。私の推す下鶴隆央議員同様応援していきたい。

ところで夜のこと、サブアラドDrが電話で「こてるよ、お前はSAでスピード出し過ぎだぞ」と言ってきたのだ。「うん?」「お前のプリウスのナンバーは4391(実際は別の番号です)だろ?」「確かに。でもなんでSAを通ったことを知っているの」だってその時間に同じくSA内に居なければ絶対に見るはずのない車とそのスピードだ、サブアラドDrは通勤中だったはず。「おれは、通勤途中よくあそこで少し休憩するんだ。スピード出し過ぎのプリウスがいると思ってナンバー見たらこてるのだったからすぐに分かったぞ」「へーえ!」「あそこでは車の陰からよーく人が飛び出してくるから十分に気をつけないといかんぞ」「ははーっ」

いやいや、これはこれは。まさか身近な人に見られているとは。今後気をつけます、ハイ!

2019年5月12日日曜日

「岩ちゃん倶楽部」

岩ちゃん店長は続けてこう言ったのだ。

「実は明日で店を閉めるんです」

えーーっ!聞いてないよぉー。びっくりだ。

この団地に来て丸21年。最初の半年くらいはあちこちの理髪店やはたまた美容室にまで行ってみたが、岩ちゃん倶楽部に落ち着いて20年以上ここしかリヨウしていない。イヤ困ったな・・。

で、私が18時以降、そう18時半頃なら行けるかもというと「大丈夫です、18時半に予約しておきます」と岩ちゃんは言ってくれた。

今日は当番医でシマッチ院長と二人で主に外来患者を診た。まあまあの忙しさで17時半まで勤務のところ病院を出たのが18時05分。半までには間に合いそう。それで電話連絡するもなぜか電話には出ない。少し不安な状態で店に着いた。するとまだ先客の髪を刈っているところだった。座って週刊現代などパラパラ見ていると「こてるさんどうぞ」と呼ばれ席に着いた。「いつもの通りで?」「ええ」とそれだけ。ここ何年もそれだけで済んでいる。

いつもならウトウト寝てしまうことも多いが今日はずっと起きていた。特に変わったこともなく時間は過ぎ「はい、どうぞ」と顔を拭く蒸しタオルを渡され散髪は終わった。なぜ店を閉めるのかは聞かず、「これからどうされるの」と尋ねると「宇宿にある店に務めます」と言う。「宇宿・・私がこっちに引っ越すまでいた所です」「ほう」「そうですか、残念ですが、またそちらでも頑張って下さい」「ありがとうございます」と言って、店を閉めるというお知らせのプリントした紙を渡してくれた。

いつものように帰ろうとしたが、店長自らドアを開けてくれた。こんなことは初めてだった。次に待っている人はいなかった。図らずも私が最後の客だったのだ。安心して任せられる良い理髪店だったのに・・。次からはどうしようか。ともかくも、ありがとう「岩ちゃん倶楽部」。

2019年5月11日土曜日

店長は何を言いたかったのか

今日は休みで午前は家でゆっくり過ごした。例によって枇杷の木に登り袋掛けを外して熟したのを取り込んだ。全体に小粒だがまずまずの甘みがある。中には1個だけ大きいのがあり偶然摘果された状態の枇杷だったんだろう。摘果(間引き)は大事だわー。

そんなことをしていて、ふと「あ、今日散髪に行かないと明日は病院日直があるからまた来週になっちまう」と気がつき、いつもお世話になっている散髪屋「岩ちゃん倶楽部」に予約の電話を入れた。すると「ああ、こてるさん、今日はいっぱいなんですよ〜」「あ、やっぱり・・」「明日はどうですか」には「それが夕方まで仕事が入っていて、じゃーいいです。またー」と言って切ろうとした。すると、珍しいことに岩ちゃん店長が「ちょっと待って、こてるさん」と呼び止めたのだ。さて、店長は何を言いたかったのだろうか。それは予想もしないことで、青天の霹靂(へきれき)とはまさにこのことを言うのだろう。

と言うわけで、明日に続きます。気を持たせて済みません。

2019年5月10日金曜日

「幼いセージを可愛がる鼻歌」

テルが自身のツイッターに面白いつぶやきを載せていた。(↓拡大で見やすくなります)
「めちゃくちゃ」という表現がいかにも今風だ。誕生日のボイスメッセージをせっかく送ったのに実の弟は有り難がるどころか「うぜぇーWW」って返信だったのを嘆いている。そのボイス、実は私も聴いた。だってテルは家族LINEに送っていたのだ。それがうちの家族なら誰もが知っている「カールママが幼いセージを可愛がる鼻歌」を真似て歌っていたものだった。

カールは昔からセージだけでなくチッチやゲンちゃんにもそれぞれ独自のメロディーで鼻歌を作ってしょっちゅう歌っている。たわいもないが耳について私たちでも歌える。ただそれをスマホ音源でしかも成人した男の声で聞かされると・・。ちぃとばかし気持ち悪い。「うぜーっ」って言いたくなる気持ちも分かろうというものだ。

その幼い子を可愛がる歌、なぜかテルだけがないんだ。最初の子でそんなのを歌う余裕もなかったってことだと思う。それは私にも言えた。セージが生まれて少し気持ちに余裕が出来たのを覚えている。例えばそれまではテルがどこかの崖から落ちるような夢を見たり、日常の中で少しでも危なそうな所がやたら気になったりしていた。ところが次男が生まれてそんな不安が徐々に消えていった。

テルは自虐気味に「僕だけ歌がない」ってぼやいていたが、大きくなってからはそんな歌作っても違和感があるしなあ。まあ、みんな無事に大きくなってくれて、親として幸せなことだと思ったよ。

2019年5月9日木曜日

御朱印ブーム

今朝の新聞ラテ(ラジオテレビ)欄テレ朝系午後の「大下容子スクランブル」という番組に「ネットで高額転売横行御朱印」との記事があった。「あはー」と思ったのが中尊寺や毛越寺でも御朱印を希望する人たちが多く並んでいたのを見たからだ。金色堂など御朱印をもらう気がなければ比較的早く見物して見終わるのに御朱印の列の人たちだけは長く並んでいた。巷は御朱印ブームらしく以前は御朱印という言葉そのものも私など聞いたことがなかった。御朱印はその神社仏閣の参拝者向けに押印される印章のことだが、本来は参拝しないといけないのにコレクターのような人もでてきて、それが高額転売を生んでいるようだ。2010年ごろからブームになって最近ではどこでも見かけるようになった。中尊寺に行ったのは令和元年初日の5月1日だったからなおありがたく求める人が多かったのかな。

私やカールは御朱印には興味がない。それを集めるのを喜んでしまうと集めるのが目的になってしまうし、現に見たところそのために行列に並ぶという苦行を強いられてしまっている。参拝する所はたいていは厳かで清新な雰囲気のところが多く気分も良くなる。囚われてはいけない。そう思うのだが、ふと我が身を振り返れば、名所に行って何が何でもデジカメにそこの風景を収めねばというのもある種囚われかもしれない。「人の振り見て我が振り直せ」少しは自重しなくちゃな。

2019年5月8日水曜日

また放射線被爆妄想患者

はあ、こうして日記に書くのもしんどいネタである。以前も何回か書いたことがあるのだが、放射線の被害妄想としか思えない30代女性患者のことだ。

最初に診察したのは2008年のことで次診たのが2012年。そしてだいぶ経った今年3月4月と来て、時代は令和になった5月、今度は私を指名して診察に来た。11年前から本人が主張することは変わらない。いくら論理的に「(あなたの言っていることは)おかしい」と言っても、最後は必ず「でも、私、放射線が当たって顔の皮がつるつるになったし口から汁も出たんです。40シーベルトも出ていたんです。意識も失って死にかけたんです」となって話が発展的な方向へと進まない。

「それで結局、何をしてもらいたいの」と突き詰めると、要するにそんなこんなで体の調子が悪いから障害認定をしてもらいたいからそれに協力して欲しいということだ。

誰が協力できるかい!

医師たるもの、医学的根拠ありと納得出来ないのに、患者が要請すれば「はいそうですか」となれる訳がない。そう説明するのだけど頑迷な主張は毎回変わらない。診察を打ち切りたいがこの患者は非常に粘り強いんだ。なかなか帰ろうとはしない。午前の終わり頃いつもやって来るので他の患者診察を済ませてから診ている。30分40分経過しても引き下がる気配がなく、チェリピアNsが「先生、救急車が来ます」と連絡してきて「だからね、私も忙しいの。これ以上お話しても意味がない。放射線の器械を担当していた時の教授に『文書』にしてどのくらいの線量だったか確かめて下さいよ。絶対に40シーベルトじゃないはずだから。だとしたらあなたは確実に死んでいるんだから。(6〜7シーベルトでも人の50%以上が確実に死ぬほどの線量である)」でもいくら言っても無駄。何て言ったって10年以上もの頑固な放射線被害妄想を続けている、たった30分や1時間で考えが変わるはずもない。

私は他にも考えられる病名として(多分違うと思うが)「ナルコレプシー(急な居眠りを来す奇病)」ってのもあるよと教えた。だとしたら放射線被害妄想よりはマシだ、だって先へ進めるもの。この患者、放射線被爆であると思い込むことで自分の置かれている状態がもしかしたら心地よいのかもしれない。そこに安住している。体調が悪かったり社会生活が上手くいかないこと全てを放射線のせいに出来る・・。

今後この患者が診察希望してきても私は診療拒否するつもりである。その理由も全てカルテに書いておいた。

2019年5月7日火曜日

AIと付き合おう

長い連休が明けて最初の朝礼があった。とはいえ、朝礼はいつもと変わらず職員のスピーチがメインでここしばらくは各ドクターに割り当てられているため自分は1月以降しなくても済んでいるのは有り難い。

今日は脳外科のポンシンDrでテーマは「AI(人工知能)について」だった。特に人の心理との関係、そして医療への関わりを話してくれた。AIはここ数年コンピューターの世界ではもっとも話題になっている分野だ。特に囲碁将棋では完全にプロの領域を凌駕しプロがAIから学んでいるという状況になった。それが医療の世界では病理、内視鏡観察、放射線診断から難病の診断にまで成果が出たと話題になってきている。ただ現時点では「最終的な判断の責任は医師である」と厚労省は見解を出している。確かに支援ツールということでしばらくは行くのだろう。ポンシンDrもそのように言っていた。

が、私はもっと進展すると思っている。特に囲碁が3年前のイ・セドルvsAlphaGO戦以降ガラッと変わってAIなしでは特にプロの碁は語れなくなったのを見ているからだ。ブレイクスルーしてしまえばたった数年でその分野は変わる。例えば内視鏡の観察でもAIを組み込んで癌もしくは癌らしき病変を画面上の指摘する精度はベテランの精度をすぐに上回るようになると思う。病理やレントゲンではさらに有効なのではと思う。どちらも画像をどう読むかという点では同じだから。これからAIがどんどん進化していって通常診療の診断にも高精度で正しい結果を出してくれれば有り難い。さすがにそれは最終決定は医師がしなければならないとは思うがAIの恩恵を何ら拒否するいわれはない。

ポンシンDrは麻雀の分野ではAIはまだプロには勝てないということも話していた。あはは、それは私は知っている。ていうか、私はすでに何度か対戦しているのだ。ネット麻雀「天鳳」では以前から「ⓝ爆打(ばくうち)」という東大出身の人が作ったAIが参加して日々闘牌している。実力は変動はあるが七、八段程度で人間の最高位十段や天鳳位には及ばない。麻雀の不確定要素の多さが原因だろう。しかし並みの雀士より強くはなっている。最近は某コンピューター会社も麻雀AIを出してきていている。もっと精度を上げ何かのブレクスルーがあれば人間を超えることも可能だろう。それでも麻雀をする楽しみがなくなるわけではない。AIは人間と共存し人間の役に立つものと私は信じている。

2019年5月6日月曜日

またまた爆笑NHK「植物に学ぶ生存戦略2 話す人・山田孝之」

東京にいた5月3日、こてる日記のアクセス数が異常に増えているのに気付いた。普段は150から200程度なのにこの日だけで355ものアクセスがあった。誰かがリンクを張ったかもしくはGoogleであるキーワードがこてる日記にヒットしたか・・。すると以前アップした「NHK、植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之」にかなりアクセスがあることが分かった。公開は2018/10/8で半年以上前だ。ほどなく、NHK教育であの「植物に学ぶ生存戦略」の第2弾が放送されたと判明、それで面白いと思った視聴者が検索をした結果、こてる日記にたどり着いたというわけだ。

旅行中ゆえに放送を見られず、今日見てみた。今回も植物を3種で「ウメ、オオイヌノフグリ、チューリップ」を取り上げていた。冒頭、林田理沙アナが山田孝之を紹介しようとするが、そこには山田孝之風の口&あごひげを生やし黒服を着た老若男性6、7人が立っている。本物は当然一人だ。この日のために偽山田たちはヒゲを生やしてきたのだろう。もうこの画面を見ているだけで吹き出しそうになる。
全員で「今回取り上げる植物はウメです」と合唱、いや声はそろってはいなかった。戸惑う林田アナ、「山田さん?」と呼びかける。「ハイ」とまたもや全員の返事。アナ「こちらからだと山田さんらしき男性が7人いるんですが間違いないでしょうか」山田たち「間違いないです」そして順に片言ずつしゃべり、「多くの偽物の中に本物の山田は一人」これが「ウメの生存戦略なんです」とのたまった。とにかく可笑しいのだが、林田アナは「そうなんですね」と何ら突っ込むことをせず、淡々と「今回はウメの生存戦略に迫ります」と進行させていくのだった。

山田の一人が林田アナに質問する。「デートの相手が山田だとして一人で待っているのとこの状態(7人)で待っているのとどちらが目を引きますか」アナは「もちろん山田さん一人でも十分目を引きますが・・」と持ち上げ「7人だとアッと驚きます」と返事をする。さらに偽山田は「花いっぱいのウメの木と花は大きいが数の少ないツバキと比較するとウメに行きたくなりますよね」と同意を求め、今度は本物の山田孝之が「続いてこちら」をと示したのが「新宿歌舞伎町のネオン街と練馬区北町のアーケード街のショッピングセンターのネオン街」のパネル、そこへジジイの山田が「林田さんがムラムラしている独身の40代の男性だとしたら」ととんでもない設定を持ち出し「どっちへ行く?」と尋ねるんだ。オイ、コラッ!誰かツッコんでやれよ。しかしここでも淡々とした態度を崩すことなく林田アナは「やはりネオンが華やかな歌舞伎町の方に・・」と答えるのだった。

「もうおわかりですね」とヒゲの濃い別のジジイ山田が「歌舞伎町やススキノの歓楽街がネオンだらけなのはウメの成長戦略を参考にしているのは間違いないです」と断言しアナに同意を求め、さらに華やかさにはエネルギーがいるという欠点もあると話を持っていき、2つのパネルを出してきた。何とスーツでキメたキアヌ・リーブスとだらしなく太り気味で気の抜けたキアヌ・リーブスの写真で「きれいに見せるにはキアヌ・リーブスクラスの人間でもお金をかけないと華やかにならない」と今度は本物山田が語り、「林田さんも勝負の夜はお金をかけて着飾りますよね」とトンデモ発言を仕掛ける。ここでも林田アナは「それはそうですね」と受け流す。

で、ここからが一番言いたかったことで、私も「ほう」と感心したのが、実は梅の花には本物とフェイクの2種類あるという事実だった。花が全部本物だとやがてウメの実が多すぎこれは母体の木に負担が掛かる。で、めしべのない花もたくさん付けることで「低コストで華やかに見せているのです」これがウメの生存戦略だと。
そこからゾロゾロと7人が林田アナに対峙し一瞬の間。何が始まるかと思いきやジジイ山田が「私は偽物の山田なので低コスト、ギャラも安くですんでいます」とバラせば本物山田が「ちなみに私のギャラははウン十万円ですが偽物は5千円でしかも交通費込みです」とマル秘ネタを暴露していた。

最後にウメはその実を落下させイノシシなど哺乳類に捧げることで種を遠くに運んでもらっていると説明した後、「ちなみに私はこの身を捧げたいと思った相手は何人かいます」と語ってじっと林田アナを見つめるのだった。
おいおい、林田アナも視聴者も困るだろうがーといたたまれなくなりそうな次の瞬間、音楽とともに林田アナは「さよなら」と手を振ることでこの回を終わりにした。山田はじっとアナを見つめたまま(笑)だった。いやいや面白すぎるだろ。

オオイヌノフグリの場合は本当に犬のふぐり(睾丸)を見せる丁寧な作り(?)で、林田アナの「その名前にも戦略があるのですか?」には山田「いえ、何もありません」で、これなんかは第1回のタンポポとプーチンの例えを意識したものだろう。また「もし林田さんの名前が『林田ふぐり』だったらどうですか?」には林田「親に真意を聞きたいです」と冷静に受け答えした。さらに山田「私の名前が『ふぐり たかゆき』だったらここまで売れてないと思います」と、どうでもいい方向に脱線もしていた。

さらに虫がこの花の蜜を吸おうとすると茎が揺れバランスを崩しやすくし花粉が虫に付きやすくなるという例えをやるのだが、それがなんと床に横たわる太ったオジさんに林田アナが乗っかることだった。「特殊な訓練を積んでいます」って言うけれどほとんどサドマゾの世界じゃないか?で、バランスを崩したアナの手をつかみ「この手のぬくもり、これがこの花の生存戦略です」と表面上は解説するも「私は林田さんと手を繋ぎたいと思ったがいきなりそれをするとただの変質者になってしまう。だからこのオジさんを使って私と手を繋がざるを得なくなるような状況を作った。いわば自作自演(ハハハ)」と本音を吐露するも、「そうなんですね。山田さんありがとうございました。さようなら」と手を振り、林田アナはどこまで行っても無感情を貫き通すのだった。
(↓それにしてもあまりにもシュール過ぎる画面)

チューリップの場合は花が開いて閉じての間に大きく立派になる例えで、山田「実は番組冒頭からシークレットブーツを履いていて10cm背が高く立派に見せていました」とバラすも、何でそんなことをツッコむことなく林田「いつもより頼もしいと感じていました」と感心。大きい方がモテる例えは、おなじひろしでも「猫ひろしより舘ひろしの方が断然モテる」とパネルを出す(笑)し、
チューリップが種の交配(山田と林田の合成の子ども写真が出ていた)だけでなく球根でクローンを増やすように大量に作ることが出来る例えでは山田の顔がこれでもかと画面に出ていた。山田はクローン化で色や形がきれいにそろい人間が好むように植えられたチューリップは世界を制したとまで言い、最後は「北朝鮮の人たちはチューリップの生存戦略を完全に参考にしていますね」とドヤ顔でうなずくのだった。
(↓例えが少しアブナくないか?)

そしてまとめではチューリップの歌を山田が歌い、林田がピアノを弾き、「どの花見てもきれいだな」の歌詞がまるでSMAPの「世界に一つだけの花」のメッセージと同じ「それぞれの花にきれいなところがあるんだよ」と解説し、番組は粛々と終わった。ふう・・。

2019年5月5日日曜日

ゲンちゃん帰る

ゲンちゃんが丸5日ぶりに家に帰ってきた。うちに来て以来9年半、1日もこてる家以外で過ごしたことはなかった。院長先生が「いい子にしてましたよ。ご飯もちゃんと食べていました」そうでそれを聞いて安心した。
ただ久しぶりに我が家に帰ってきてやはり少し興奮気味であちこち動き、頭をなすりつけるマーキングをしていた。ひとしきり回った後はトイレに入り排泄し、その後は少し収まってきた。
1時間もすればカールが新聞読もうとしてそこに座るいつものお邪魔猫になっていた。ふう、よかった。

今日はどこにも出かけずのんびりとしていた。唯一やったのが枇杷摘みで4月21日に袋かけしたのを中心に回収した。
袋かけしていないものも大分色づいていてあと1週間もすればほとんどが熟しそうだ。ただ一粒一粒が小さめなのが残念。摘果って大事なんだなと実感する。茂木枇杷なんか相当間引きしているのだろう。でないとあんなに大きな枇杷にはならないと思う。苦労して作っただけに一粒1500円・・それでも高すぎると思うけどネ。

2019年5月4日土曜日

さよなら東北、日本橋へ

鹿児島に帰る飛行機は羽田発16時45分だった。だから急いで盛岡を出なくてもよかったのにこの大型連休ゆえに午前10時16分発の新幹線に乗るしかなくなっていた。カールによると「新幹線を(いつでも乗れると)甘く見ていた」とのこと。「東京で4時間近く時間が余る、どうしよう」と言われてもそもそもがきちっと計画を立てて旅行するタイプではないので困ってしまう。「皇居の一般参賀があるみたいだけど」とカールが提案したがネットで「人があふれ東京駅にまで」との報道があり車中でそれは無理と分かった。そうだ、盛岡駅では秋田からの「こまち」と待機していた「はやぶさ」との合体シーンを撮れたんだった。九州ではお目にかかれないヨ。↓

東京駅に降りてもまだどうするか結論は出ず、カールが「日本橋に行ってみようか」と言うのでそれに従った。思えば日本橋は行ったことも見たこともなかった。高速道路に被われていて雰囲気が台無しってことは最初から知っていたけれど・・。八重洲口を出て10分くらい歩き、高島屋の本店を過ぎると見えてきた。やはり高速がありその欄干に「日本橋」と大きく書かれていた。(↓これを見ると高速道路が日本橋かと勘違いしそう)
そう、橋の中央に「麒麟の翼」があって東野圭吾の小説のタイトルの由来にもなったんだな。確かめるとあるにはあったが思っていたものよりやや小さい印象だった。あ、私は小説も映画も見ていなかったんだ。
日本国道路元標があり江戸時代から日本の道路の始点である。そういえば一心太助も築地やこの辺りで活躍していたナ。広重作の浮世絵「東海道五十三次」も日本橋が最初だ。里程標ってのがありここからの距離が書かれてあった。見れば「鹿児島一四六九千米」とダントツで遠い所って分かる。今日そこに帰るんですわ。

橋を渡ると三越本店があった。やはりここは中心街だ。有名な獅子像は鼻と前足がテカテカに光っていた。みんなそこを触るのね。
そこから少し歩き、千疋屋のカフェで「何か食べよう」とカールが言うのでアイスクリームを食べた。値段は380円。高いように思えるが中尊寺や弘前城では判で押したように350円で似たような値段だった。食べてみるとまあ普通。店に陳列してあった1万ほどもする果物とは別物だ。しかしここの贈答品用の果物には驚いたねぇ。枇杷ってこんなに高いんだ。茂木枇杷の2Lサイズというのは9個で1万4千円もしていた。何と1個1500円!うちの庭にある枇杷なんて0.5Lサイズできっと150円どころか・・。隣にあったさくらんぼの佐藤錦は40個入りで1万9千440円。1個486円もさくらんぼと思えばずいぶん高い。(↓確かに見た目も上等)

自分が買うことは一生ないだろうと思いつつ店を後にし、「まだ時間はあるけどもう(空港に)行こうか」とまた東京駅に戻った。14時頃だったが、構内放送で皇居に向かおうとするお客様へ「今行かれましても一般参賀にはもう入れません」という忠告の案内が流れていた。私らも行かなかったけれどチラッとその行列くらいは見てもよかったな。ヒマだったし。

羽田に着いてしばらくラウンジで過ごした。広いテーブルにパソコンを広げ充電しつつコーヒー飲みながらネットもできて快適だった。天鳳も半荘1回やった。今度から時間余ったら余計なことせず早めに空港に来て過ごそうか。ただ帰路はすんなりとはいかなかった。雷雨が近づいているとかで出発がかなり遅れた。結局鹿児島に着いたのは予定より1時間10分遅れの19時40分過ぎだった。その足で病院に寄りギボヒサコを見舞ってから帰宅。いつもなら真っ先に玄関にやって来るはずのゲンちゃんはまだ動物病院で隔離中。お迎えは明日朝だ。待っていてねゲンちゃん。

2019年5月3日金曜日

東北旅行4日目、安比高原へ

ここ3日間早起きし朝の6時7時から行動していたので今朝はゆっくりと過ごした。行き先はネットでまず田沢湖を調べたがさほど面白くないように思え、ゴンドラに乗るというイベントが体験できる安比高原(あっぴこうげん)にした。盛岡の北1時間ほどで行けるスキーリゾート地だ。春スキーが5月まで出来るそうだが無論私たちはスキーはしない。ゴンドラで山の頂上まで行き風景を楽しもうという目論みで、平泉や弘前ほど慌てて出かける必要はないのだ。

12時前に出発し、まずは腹ごしらえと近くの回転寿司店に入った。100円皿が基本でそれでもそこそこに美味しいネタが多く十分満足だった。昨日は失敗した矢巾スマートICに向かうと晴天の中、岩手山がくっきりと現れ「おう」と声をあげた。無事、高速に乗れ、さらに岩手山の姿が美しく見えてきた。

「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」石川啄木

岩手山が盛岡の人たちとって心の山であるというのは文学を通じて知っていた。直に見ればそれも納得だ。南部片富士とも言われ見る方向によって形が違って見える。上の写真は南側からで昨日の写真は東側からだ。

高速をさらに進み滝沢市付近に来ると、左側にスイカのペイントがなされたガスタンクが見えてくる。6年前にここを通った時もあって面白いと思ったものだ。実はその時のスイカタンクは2015年に解体されその隣にあったタンクに新たにスイカをペイントし直したのだとか。だからツヤがあってきれいに見えたんか。滝沢ってスイカが名産なんだそうだ。ふーん。
ほどなくして安比高原に着いた。高原に入る直前、雪よけのトンネルがありこれは南国では見ることのない代物だった。高原はホテルやロッジなどあり大きなリゾート地だった。いくつもスキーのコースがあって他は知らないが国内でも大きなスキー場だろう。
ゴンドラに乗って前森山頂上を目指した。下にはスキーヤーらがそれぞれ楽しそうに滑っていた。5月でもまだスキーが出来るとは知らなかった。全くスキーをしたこともなく実際に滑る人を見たのも今日が初めてだった。こんな所に住んでいればきっと自分もスキーをやっていただろうな。

さてゴンドラを下りて外に出て、雪の中を歩き、数10m上の山頂を目指した。ところが歩いて行くにつれ雪の反射のまぶしさでだんだん目を開けられなくなった。すごいんだ光が。涙も出てきて大変。スキーヤーがゴーグルを付けるのも納得だ。単なる観光でもサングラスを準備すべきだったわ。(↓まぶしがるチッチにスカーフで顔を隠すカール)
でも1304mの前森山頂上に着いた時、あまりの絶景にああ来て良かったぁーと感激した。真っ青な晴天の下、南に先ほどとは左右逆の姿で雪を抱いた岩手山が鎮座し、見ているだけで清々しい気分になれた。(↓クリックして拡大するとなお良い感じ)
西には同じ百名山の一つで十和田八幡平国立公園の八幡平(はちまんたい)があり360度のパノラマとはこういうのを言うのだろう。
登山をして山頂に立った登山家が「きつかったけれど来て良かった」という気分を簡単に味わえるのだ。特に直後の10分くらいは私たち家族しか山頂にはおらずまさに絶景独善状態だった。その後も1組のカップルが来ただけ。そこでお互いに写真を撮り合った。
(山頂の気温は2℃でやはりダウンは必要だった。)
連休で風景どころか人混みを見に行く羽目になりがちだが、こんなに素晴らしい経験が出来て大満足。中尊寺、弘前城も良かったが誰も来ないようなこの安比高原の前森山からの眺望がこの旅で一番のインパクトとは事前には思いもしなかった。ある種のハプニングでそれもまた旅の良さと思うことだった。

2019年5月2日木曜日

東北旅行3日目、弘前へ

前夜、「明日はどこに行こう」と話題が出て、チッチは岩手の安比高原(あっぴこうげん)、カールは秋田の田沢湖を提案していた。で、私はネットで調べ、翌朝、まだ寝ぼけ眼のチッチに「早く起きろ!青森の弘前に行くから」と起こし、勝手に行き先を「弘前城桜祭り」に決めていた。安比か田沢湖は盛岡から1時間程度で行ける近場なので明日が都合がいい。レンタカーを明日の夕方返すことになっていたからだ。今日は少し遠出出来るので弘前にした。高速なら1時間半くらいで行けるし仙台よりは近い。もう、仙台まで行けたので青森くらいなら行けるぜって気持ちも大きくなっていた。当初、岩手県内をチマチマ回ろうかと考えいたのがウソみたい。

弘前の桜祭りと言えば全国的に有名だ。ただソメイヨシノは4月下旬が旬で今は他の桜が咲いているという。ちょっと心配なのは人出が多くネットでは1日38万人ぐらいが予想されると書いてあったこと。サンジュウハチマン?!これって平泉の比じゃないぞ。さっそく駐車場が心配になった。昨日の教訓どおり会場の近くではなく少し周辺の駐車場に駐めて歩いて行こうと計画した。高速は普通のIC(インターチェンジ)ではなく泊まっているところからより近い矢巾スマートICを利用することにした。姶良のスマートICで経験済みと入ってみたが・・ここで失敗。私が入った方向は上り車線で青森に向かうには下り車線のICから入らねばならなかった。バーをくぐってすぐに気付いたのだけれど引き返しバーに行っても反応しない。戻ってインターフォンにしゃべらないといけなかったようだが分からず結局そのまま南下して次のICで引き返して北上する羽目になった。ちょいと近道しようとして慣れない方法で失敗、アイタタだ。

天気はまだ雨も時折降り、そして風が強かった。特に横風が強い。秋田県に入る時、ナビの画面が県別のイラストが出てきて秋田は「なまはげ」だった。岩手は「金色堂」だったのでチッチと「青森は何かなあ」と予想した。私は「ねぶた祭りじゃないか」でチーは「リンゴかなぁ」と。で、結果は「リンゴ」、あは、負けたネ。でもトヨタのナビでは青森は「ねぶた祭り」で岩手は「わんこそば」、秋田は「竿灯祭り」らしい。メーカーによって違っているということ。ちなみにトヨタの鹿児島は「桜島」宮崎は「日南海岸鬼の洗濯板」だったはず。青森に入ると高速道路脇にも桜が咲いていて期待が持てた。1時間40分ほどで「大鰐弘前IC」に着き、やれやれと料金所を出たはいいが、なにやら警察官がこっちにおいでをしている。うん?

窓越しに何を言うのかと思ったら「後部座席の人、シートベルトをしてませんよね。それは違反です」と言うではないか。なになに、後ろ座席はカールでそんなはずはない。彼女は高速ではいつもちゃんとベルトはしている。「え?今外したの?」と言い訳がましく私は言ってしまったが、カールは「してますよ」と落ち着いていた。K察官は「(車を)ちょっとこっちに来て下さい」と言ってよーく確認しようとした。「ベルトをしていないと連絡があったんです」とのことだが、実はカールはベルトの上に赤いスカーフを巻いていたのだった。それを外すとちゃんとベルトをしていたので「そうですか、失礼しました」と謝ったので、ならばとその場を離れたが、気分良くなかったねー。
いったいどこで監視していたんだろう。まったく気付かなかった。その時はそう思っていたが、後でデジカメ写真を見直してみたら偶然チッチに撮ってもらった写真にその様子が写っていた。料金所に入る直前にK察官が立って確認しているではないか。こいつだ!

弘前市内に入り一路弘前城を目指した。で、すぐ近くの駐車場は案の定満車だったのでちょいと行くと5時間千円のパーキングが見つかり案外すぐに会場に向かうことが出来た。これくらいなら妥当か。昨日の仙台は結局65分で千円だったもんな。会場へは南の追手門から入った。入場はタダだが天守閣と植物園は有料である。思ったのがこの弘前城、とにかく敷地面積が広い。昨日の青葉城の何倍もある。鹿児島は城山を含めれば同規模か。でもここは平面だ。しかも堀や桜並木があって開催される桜祭りの規模が大きいのも肯けた。
(右下の弘前工、上の弘前中央高の面積を見てもその大きさがわかるだろう↓)

城内はよく整備され、特にしだれ桜が満開でとてもきれいだった。ここには52品種2600本もの桜が植えられていてソメイヨシノの時期が過ぎても楽しめるよう作られているそうだ。堀に桜が散ってピンクのいかだのようになる花筏(いかだ)は過ぎていたけど十分に楽しめた。(南側の堀で↓わずかに水面に散った桜があって雰囲気は出ていた)

天守閣は小さいけれど江戸時代からの現存天守閣で東日本では唯一のものということで重要文化財に指定されている。ただ結構人が並んでいてそこまでして城内入るほどのことはなかったかな。
ここから西にそびえる日本百名山の岩木山(1625m)は素晴らしいけれど・・。そう、同じ百名山の岩手の岩手山(2038m)と名前も場所も近く混同されやすい。今日はどちらも山頂に雲がかかっていて今ひとつの眺めだった。がしかし、帰るころになって晴れて山は眺めが良くなった。だがその時は城内を離れ、電信柱が林立し、いい写真が撮れなかった。残念。(ここは北国。5月でもまだ雪に被われている。↓岩木山)

昼食は簡易食堂のようなところで摂ったがここは失敗だった。天ソバを食べたもののほとんど小学校のバザーレベルの代物で600円は高い。これならコンビニ弁当を買って桜の木の下で食べた方がどれだけ良かったか・・。

食後、向かったのが北東のレクリエーション広場。案内チラシになんと「お化け屋敷」などのほか出店がいっぱいと書かれてあったのだ。行ってみると、なんとまあ私が子どもの頃、正月に天文館公園に行くと、サーカスにお化け屋敷、見世物小屋そしてたくさんの出店があったものだがそれと似たような雰囲気の作りの場所だった。時代は令和だというのに昭和の名残がぷんぷん。特にお化け屋敷はそっくり。大人600円と高い気がしたがチッチと入ってみることにした。
ちょうど前にカップルがいてその女の方がよく驚くこと。キャーキャー騒ぐ方が楽しいかもね。でもここのお化け屋敷、作りがとにかくチープ。自分が大人になったせいかあんまし怖くもない。↓こんなゴムお面を被ったお化けがいたが私は笑っていたよ。
で、そろそろ終わりになるころ、さっきのカップルを追い抜かしていた私は角に立ち、二人が来るのを待っていた。で、曲がって来たところを・・「やあ」とやったら、男の方が「わぁ!」と驚いていた。いやいや失礼しました。でもそれくらいしないとおもしろくないっしょ。えへへ。

他、オートバイサークル、輪投げ、射的とかつての天文館公園出し物を思い出しつつもそれらには参加はしなかった。また様々な食べ物も売られていたが一切手を出さず。割高だもんね。雰囲気を味わうだけ。人出は確かに多かったが38万人というのはだいぶ盛りすぎじゃない?3万8千人ぐらいじゃないの。どうもGWの人出予想というのはどこも多すぎて実感がない。毎年トップは博多のどんたくで2日間で230万人というが、1日で115万人の博多の人ほとんどがそこに集まるくらいの人出って・・あり得ない。弘前桜祭りも16日間で246万人と出ていて、単純に割っても15万人、連休中は38万人と出ていたけどさー、弘前市の全人口集まっても約30万人よ。それがこの広いって言っても城内に集まっているはずない。城内東側の芝生なんて人もそんなに混まずゆったりとしたものだった。(後日、5月4日の皇居前に参賀で集まった群衆が14万人とのことであれより絶対に弘前城には人はいなかったぜ、うん)

ともかくも弘前の桜祭りはいいところ、いい催しであるのは間違いない。もし今度来ることがあれば今度は4月下旬がいい。西のお堀の小舟に乗ってソメイヨシノの乱舞、花筏を楽しみたいわ。

帰りの高速では岩手の山々が面白かった。スキー場が山肌にくっきりの山や岩手山も写真に収めた。その時は気付かなかったけれどそれは実は明日行くことになる安比高原の光景といっても良かったのだ。(左、前森山、右、西森山、下、岩手山)

盛岡に着いてカールとチッチはしばし買い物に。私は車中で仮眠を取った。なんてったってずっと運転手だったからね。夕食は一昨日閉まっていて行けなかったステーキ屋へ。ここは名物牛などと違ってアメリカ産のやや硬めで安い肉を多めに提供する店でチッチは500gを注文し私たちは400gにした。チッチは「旨い美味い」、カールは「かつての沖縄にあったような肉で懐かしいわ」と喜んでいた。(↓値段は3人で昨日の牛タンとほぼ同じ)
店主はいかにもハーフで店員の妹もハーフ。家族でやっているようだった。帰りにレシートを見たら「長嶺」の名前が刻印されていた。やはりオーナーは沖縄出身だった。カールの予想では「沖縄の基地の外人とのハーフじゃないかな。三沢基地に来てこの辺りで店を開いたのかも」とのことだ。あながち外れているとは言いきれない。

さあて東北3日目も充実していた。明日は田沢湖か安比(あっぴ)高原の二択で、田沢湖なら秋田県にも行くことになりその点は魅力だったが、ゴンドラに乗る安比高原の方が面白そうとなった。今夜も疲れてTVなど見ることもなくどうにか日記だけは書いて眠りについたのだった。