2019年2月28日木曜日

「あさま山荘」から学ぶこと

この前の休日、BS朝日の「ザ・ドキュメンタリー」をビデオで見た。2年前に放送された「あさま山荘事件 立てこもり犯の告白 ~連合赤軍45年目の新証言~」の再放送だった。これを今日の日記ネタにしたのには訳がある。2月28日は「あさま山荘事件」の終結の日だからだ。1972年(昭和47年)、浅間山荘に籠城した連合赤軍(学生運動の成れの果ての過激派)5人は山荘の管理人の妻(〇田〇子さん、知ってはいるが名は伏す)を人質にとって10日間もの間銃撃戦を繰り広げ、死者3名重軽傷者27名を出した。特に機動隊突入日の2月28日はほとんどのTVが生中継し、全ての視聴率を合わせると日本TV史上最高の視聴率89.7%に達したと言われるほどで日本社会に様々な影響を与えた事件だった。

私は当時小学6年生。学校から帰宅すると家でも当然TVが付けられみんな見ていた。有名になったクレーン車鉄球と放水攻撃で犯人らは追い詰められ、暗くなってから警察が突入したと報道されていた。そのうち、「犯人全員逮捕、人質も無事救出」と現場アナの声があり、皆ホッとしたのだった。管理人妻が担架で運ばれていくシーンを見たような気がするがはっきりとは覚えていない。そして犯人の板東國男が逮捕されるかどうかという時に実家にいた父親がトイレで首つり自殺をしていたというなんともやりきれないニュースもあった。冷静になれば自殺することもないのだけれど、これだけの大きな騒ぎになり全国民注目の中、当時の日本人の精神ではいたたまれず責任を感じてのことだったのだろう。

その時の日記がある。学校に毎日提出するというのに汚い字でチト恥ずかしいが↓に示す。両親とともに20時20分までTVを見ていたとある。

この連合赤軍の暴挙と実はグループ内で凄惨なリンチ殺人(山岳ベース事件)が行われ、12人も死者を出していたことが発覚し、学生運動、左翼運動が大きく衰退するきっかけにもなった。番組では当時19才だった加藤倫教他数人の関係者の証言、右翼の意見などなかなか見応えがあった。加藤倫教は立てこもり5人の一人で16才の弟元久もその中にいた。なんと私とは4才しか違わない。元久のみが罪には問われず少年院送りになっている。実は長兄の加藤能敬は山岳ベースリンチ事件の最初の被害者の一人である。「総括」という名の自己批判、反省強要行為はリンチ化し、主犯だった森恒夫に殴られしかもそれを弟たちを含むメンバー全員に強要させていた。兄が死んだ時、三男はさすがに泣きじゃくったという。

この一連の事件はいろいろな教訓を思い起こさせる。なんといっても世の中の不条理を正したいという若者の情熱があらぬ方向に行くとトンデモナイことになるという事実だ。番組では正反対の立場をとる右翼一水会代表の鈴木邦男氏の「愛と正義が一番おそろしい」とのコメントが皮肉にも的を射ていた。連合赤軍(「赤軍派」と「革命左派」の合体)になる前のどっちかのメンバーは銀行を襲う理由に「資本主義の手先だからそこから金を取ってもいいのでないか」と「理論武装」して強盗を行うのである。「正しいことをしているのだからいいのだ論理」の恐さだ。

この事件は大きすぎていろんなところに余波が生じた。今回知ったことで是非とも言っておきたいのは本来被害者である人質となった管理人の妻のその後だ。救出された時は私の日記にもあるように「ほんとうによかったなぁ」でそれでずっと行くべきだったのに、相当な批判、非難にさらされたのである。Wikipediaの「あさま山荘事件」に詳しく載っているのでそれをそのまま載せる。

「3月1日に開かれた短時間の記者会見で、「(退院したらまず何をしたいかとの問いに対し)みんなと一緒に遊びたい」といった、気が動転している中でなされた女性の発言の一部がセンセーショナルに切り取られたうえ、あたかも犯人達と心の交流があったかの如く(女性が所持していたお守りを夫が勘違いで犯人から貰ったものと別の記者会見で語ってしまっていたことも一因であった)報道された。この結果、女性は広く世間の批判を受けることとなる。実際には、「一日一食、ごった煮みたいなものを食べさせられた」「26日からはコーラ1本しかもらえなかった」「2月29日の報道(朝日新聞の「スクープ」)を見たらまるで私が赤軍と心のふれあいをしたみたいに書いてあって驚いた」と、女性は後に述べている。

この会見後、女性のもとヘの激励の手紙が激減し、逆に「うどんが食べたい(病院で食欲を尋ねられ、うどんを所望していた)とか、遊びたいとは何事だ」「お前のために警官が死んでいるのに何を考えているのか」といった文言やカミソリの刃を同封した脅迫の手紙が届くようになり、週刊誌は女性のプライベート情報や虚偽の内容を織り交ぜて『ウソ泣き〇〇(女性の名前)』『偽善者』と書き立てた。女性は予め夫が目を通して問題がなかった手紙のみを渡されていたが、精神的に不安定になっていった。女性は衰弱しながらも3月11日にそれまでの報道を否定する記者会見(全国からの励ましへの感謝、殉職警官遺族への「お詫び」の意向、監禁中は常に拘束と監視を受け生命の危機にさらされていた旨)を涙ながらに行った。それ以後、女性はマスコミとの接触を拒むようになった」

どうだろう。誤解と「正義」の意見によってなんら事件と関係ない被害者ですら攻撃され人生を狂わされたのだ。現在のようにネットが普及している時代ならもっとひどいことになっていただろう。だからマスコミやTV、新聞その他で見知らぬ有名人を私は安易に非難すべきではないと思っている。事件被害者の一人(民間人)はこの女性の身代わりになりたいと山荘に近づき犯人に撃たれ後日死亡したのだ。正義感あふれる人だったのだろう。でも後に残される人のことや自分の人生を考えて正義を行う前に冷静なっていれば命を失わずにすんだと悔やまれる(これも非難のうちに入るかもしれないが・・)。

正義で正義で行動しがちな人は本人も周りも気をつけよう。

2019年2月27日水曜日

心窩部痛≠胃痛

今夜は2月最後の当直だった。先週ほどは忙しくなかったが・・午前3時半ごろ頭痛の40才代独身女性が救急車で来て睡眠が分断された。CTでくも膜下出血がないのを確認できると付き添いの母親はホッとしていた。午前5時頃、病室を訪問すると母親がベッド脇にまだ付き添っていて、すごいもんだなあと思った。端(はた)からみれば立派な大人の女性だけど母親にとってはいつまでも子ども、なんだ。

で、当直室でシャワー浴びてばたっとベッドに眠りこけていたら、午前8時前に当直のオイドリッチNsから連絡があった。心窩部痛の70才代男性が来ているという。診察のほか採血、画像診断が必要になりそうだが、「心電図もとっておいて」と頼んだ。というのも、つい2日前のこと、外来担当のピッピDrが心窩部痛の高齢女性に胃カメラの依頼をしてきて私が検査し「胃炎はあるが特に治療するほどでない」と返事書いたところ、しばらくして「先生、実は心筋梗塞でしたよ」という怖いケースがあったからだ。心筋梗塞の痛みは胃の痛みと似ていることがある。横隔膜一枚で隔てられているがすぐ近くにありその痛みは紛らわしいのだ。採血データに違和感を感じたピッピDrが心電図を指示したら立派な心筋梗塞で循環器専門病院に転送依頼となった。

で、ボサボサ頭で救急外来に降りて腹部CTを指示したら一目、胆嚢結石の嵌頓発作と分かった。しばらくして採血データでさらに確証でき手術が必要と、外科のキブンDrに後をお願いした。心筋梗塞ではなかったが、心窩部痛=胃痛ではないってことを改めて証明したな。

2019年2月26日火曜日

キョーチャさん「こてる日記」にハマる

サブアラドDrから昨日電話があって、「妻がこてる日記にハマってずっと読んでいる」んだとか。スマホからこてる日記への入り方を教えたとは聞いていた。それが日曜夜は、最新のものからどんどんさかのぼって気がついたら明け方の午前3時頃にまでなっていたという。それで帰郷していた娘を早朝起こすはずが、午前8時頃にしか起きられず、「こてる日記のせいでうちは大変な迷惑を被っているぞ」だって。そんなこと言われてもねえ。

「(日記が)面白かったよ」と言ってくれる人はいるが、そこまで没頭したとかは滅多に聞かないな。それでサブ妻のキョーチャさん「スマホを持つから左の腕や肩が痛い」んだとか。いやー、そこまでですか、まあうれしくもありお気の毒でもあり・・。そういえばご本人も数回日記に登場しているはず。その辺の感想は聞かなかった。それとサブアラドDrはしょっちゅう登場なんで何かヤバいこと書いていなかった?「いや、大丈夫」とのことでよかったが、これからは背後に誰かさんの目が光っていることも意識しとかないと。おっと、こんなことも速攻でバレてしまうワケね。

そうそう、この調子だと「すぐに読み尽くしてしまう」とのことで、それ以前の「こてる日記ホームページ」の「旧こてる日記」が昨年プロバイダのSo-netとの契約を解除してからアクセス出来なくなっているのを少しずつブログにアップしていこうと思った。こてる日記ブログ開始は2015年4月30日の「廃車」からだったが、日記そのものは2000年の5月17日から始まっている。サブ妻さんのように古い記事も読もうとする人がいるならそれに応えようってことだ。1日日記書き終えたら過去日記を少なくとも1日アップするようにしよう。相当時間がかかるだろうがデータは持っているのでやれないことはない。しっかしそれでも約15年分ある。我ながらよく書き続けたもんだわい。

2019年2月25日月曜日

森脇健児の寝顔

ビデオで先日のフジTV系ドッキリを見ていたら、いわゆる寝起きドッキリで森脇健児の寝顔がすごいことになっていた。以前の放送で話題になったのでもう一度見たいというリクエストに応え、彼を偽ロケでしこたま疲れさせ、さらにはアルコールも飲ませてから旅館で寝込んだところをバズーカ砲で驚かすというものだった。彼は半目を開けて寝るタイプで特に疲労著しい時はその症状が出るらしい。今回はその半目ぶりが半端なく、爆笑ものだった。

下の写真なんかはほとんど目を開けているようにしか見えないが「確実に寝ている」と番組ではテロップでことわっていた。確かに起こされた後の驚きようからやらせではないと判断できる。半目とは正反対のギョロ目になっていた(笑)↓

実はうちのチッチも薄目を開けて寝ることがあり、最初の頃は「起きてんじゃないか」と疑ったこともあった。だから彼の半目熟睡も十分ありうると信じられるのだ。森脇健児というお笑いタレントも紆余曲折、栄枯盛衰あるようだが、本人も予想もしなかった「特技」のおかげでまた人気が出そうだ、ふふ。

2019年2月24日日曜日

ユナイテッド勝つ

日曜だが外は雨、となれば家の中にこもってネット、TV、ビデオで過ごすのはもう決定、よく晴れた日でさえ一歩も外に出ないことが多いからね。逆に家でじっとしていることが嫌いな人は例え雨でも必ず外出するはず。サブアラドDrがそうだ。麻雀好きは共通しているがこの辺は真逆のキャラだな。

午後は鹿児島ユナイテッドのJ2初戦の対徳島ヴォルティス戦を見た。今日は鹿児島にも本格的なJリーグクラブが始動した記念すべき日だ。あいにくの雨だが鴨池には7千人以上が集まって応援をしていた。ヴォルカ鹿児島がJリーグの下部組織に加盟した20年くらい前は鹿児島でこのような試合が出来るなんてまだまだ先のことだと思っていた。先輩のサメ肛先生が「ヴォルカの後援会をやっているがこてる君も参加しないか」と誘われたものだがやんわり断ったものだ。その代わり、カメルーンのエムボバがいた頃のガンバ大阪と京都サンガの練習試合は、まだ幼稚園児だったテルも連れて見に行ったりしていた。エムボバはすごかったな。その時の試合も楽々得点を決めていた。

前半はスコアレスで後半ハン・ヨンテ(韓勇太)が得点しリードした時はこれでそこそこやれるぞ、さらに2点目もキーパーと交錯した中原秀人が決めた時にはきっと勝てると思った。しかしサッカーは2点リードした時が危ないってよく言われるよね。ワールドカップでも日本はベルギー相手に後半2点リードしたがまだ残り時間がかなりあった。そして3点取られて負けてしまったわけだが、その時の状況とユナイテッドはそっくり。その後相手外国人選手のバイスにミドルシュートを決められ嫌な予感がする間もなくCKから同点ゴールを決められた。はあ・・だからよ〜。

しかし、この後3点目をユナイテッドが取った。おお!でもでも、これでこの試合は落ち着かない。またしても同点ゴールを徳島に決められてしまった。なんじゃこりゃ〜〜。その間カールは家事をしていて「どう、勝ってる?」と聞いてきたが「同点!」とだけ返答した。でもまさか3ー3だとは思うまいて。せめて逆転だけはしないでと願っていたらセンタリングからこれまたきれいにゴールが決まって4ー3の三度目の勝ち越し。後半だけでこんなに点の取り合いってある?いやでもさすがにこのまま終わってくれ。ピーッ!やった、勝った。とんだ乱戦になったがともかくもJ2参戦初勝利を上げた。パチパチ。
(↓決勝ゴールのシーン)

勝ったから良かったけど守備を含めまだまだJ2で戦っていくには底上げする必要があるなぁ・・いやいや小難しいことは言うまい。見ていて面白くしかも勝利してくれた。感謝感謝のありがとう!だっ。

2019年2月23日土曜日

青雲研究発表会に出るべきか

土曜外来が終わった後、13時半から院内で年1回恒例の「研究発表会」があった。私はこのところ毎年コメンテーターの役を仰せつかり、今回は前半の演題5つのコメントを教育委員会から頼まれていた。発表が終わってからなのでしゃべるポイントをメモしなくてはならない。ところがボールペンを医局に忘れてしまい隣の座長のを借りる羽目になった。今年は少しでも雰囲気を出そうと眼鏡(度の入っていないダテ眼鏡)を持って来ていた。ちょっとは知的に見えるかななーんて下心でネ。そんなつまらないことに気を遣うくらいならちゃんとペンをを持ってこいヤーだ。ハッハー。
(ネット麻雀で目が疲れるの防ぐ↑単なるブルーライト対策眼鏡っす。知的ですかネ?)

後半はシマッチ院長がコメンテーターで、いつもならラブカメ大先生がまとめてコメントをしてくれるのだがあいにく今回は参加出来なかった。それに以前は「全員参加」の方針も例の働き方改革で「参加推奨」になったとか。今は高度成長期のモーレツの時代じゃないし個人の生き方も尊重される時代だ。まあいいことかも。

特別講演は弁護士のシンプク先生の「弁護士の立場から見た医療安全管理」で我々医療人が陥りやすい患者やその家族への対処法、同意の取り方、さらには心理学での「メラビアンの法則」など医療問題に詳しい弁護士ならでの示唆に富む講演だった。毎年面倒だなと思うこの会ではあるが、終わってみれば参加して良かったなと、これも毎年思うのであった。

2019年2月22日金曜日

流行りのものを喰らう

今夜は姶良郡の消防署の主催の「防火ボウリング大会」が国分スターレーンであったのだが、私とサンシさんは参加出来なかった。それよりも串木野トリオリーグの方が大事だからだ。去年の「防火」は、5人いてダブルスチームを1組組めなくて宮砂糖Drを呼んで私と組んでもらった。こうなれば最強で予想通り圧勝して優勝、サンシ、難ガターチームが2位、アンドキサ、ヤマヒロDrチームが3位と青雲チームが金銀銅独占してしまった。おまけにAチームは4年連続優勝でちいとやり過ぎた感もあった。ただ、消防からの誘いを参加しないのも悪いので難ガター、アンドキサ君の1チーム参加してもらった。

それで優勝は厳しいだろうなと思っていたら、やはり出来なくて3位だったらしい。ザ・キング病院の真っ向夫妻が優勝だったとのこと。うん、彼らなら優勝してもおかしくない。難ガターさんによると「アンドキサ君がT-MAXと違って全くダメでした」とのこと。彼は球質がスピードボールでオイルの多い国分では相性が元々悪い。「やはり、一つのボウリング場だけでは上手くなりませんよねー」と難ガターさんの言うとおりだ。最近は練習がT-MAXに片寄っていたな。あと、「何でこてる先生は来ていないの?」と結構聞かれたそうだ。ほぼ毎年参加していたからネー。ま、他チームの優勝ということで良かった、そう思うことにしよう。

串木野に行く前、医局でカップ麺を食べた。
多くの中から選んだのは日清の「チキンラーメン」。あは、何たって今の流行りですから。カップの中にはかきたまごも入っていて鶏づくしの味だ。ふうふう。チキンラーメンは昔懐かしい味がする。カールは「チープな感じがして好きじゃない」とにべもないが、何と私と結婚するまで食べたことがなかったのが大きいんじゃないかな。私は国家試験前の深夜によく食べて大いに助けてもらった記憶もありたまに食べたくなる。ただ、今日は写真撮ろうとしてお湯を入れすぎた。で、少し味が薄かった。朝ドラで描かれたように試行錯誤、妥協を拝しバランスの取れた味は60年前に作られても十分通用する。きちんとお湯のラインは守らなきゃネ。

串木野の300点パーフェクト記念ボードはついに私のが外され、先月31日に達成した人に替わられていた。2年以上飾られていたから文句はいえない。またリーグ戦で出せばいいだけ。頑張りまひょ!

2019年2月21日木曜日

伯母の仮通夜に思う

昼、弟のヒラーキから電話があり、フジコン伯母さんが亡くなったと連絡があった。そうか、もう90代半ばだったと思うが大往生だ。で、いつが通夜かなどまだ決まっておらず、夕方になって連絡あり、今夜は仮通夜、明日通夜、明後日葬儀とのこと。うむ、明日明後日は用事や仕事で行けそうもなく今夜カールと中山バイパスの葬儀場に出かけることにした。

ナビ入力するとどうも遠回りのような気がしたが、夜間で不慣れな地域(大学勤務のころはそうでもなかった)のためそのまま従うことにした。するとバイパスに沿って行ったこともない団地を通りバイパスに入った。うーん、やっぱり単純な遠回りだ、ま、仕方ないか。葬儀場に着くと、親戚しかおらずしかも子ども5人も全部はそろっていなかった。そこは子ども全員男子で次は女の子をと願いつつも5番目も男で諦めたと聞いている。うちも特に3番目はぜひ女の子をと思っていたが生まれたのはチッチで4番目は諦めてしまった。フジコンさん一家が念頭にあったのは言うまでもない。

伯母さんの死に顔は安らかで生前と余り変わっていなかった。ふと、性別は違うが指揮者の小澤征爾に似ていると思った。若い頃に手術もし10年以上前は胃も手術しここ数年は老人施設で過ごしていた。満の95才だったそうでこんなに長生きできるとは本人も周囲も思わなかったのではないか。今、同じ施設にうちのあこネーサ母もいる。母も今年で90才、いつかは分からずもいずれフジコンさん一家の側に回る。母世代の大人の方々ももう数えるほどだ。しかも本来の住まいである薩摩塩屋ではなく鹿児島で葬儀をするのも時代を感じる。塩屋は限界集落になりつつあり、近くの松ヶ浦小学校は全校生徒がたったの17人なんだそうだ。山奥でもないのにー。

帰り間際に四男の照れるよ従兄と駐車場でバッタリ会った。口はきけなかったが年相応のお顔になっていた。ゆうに還暦は過ぎているはずで我々世代もあっという間に送られる側に回るわいな・・。

2019年2月20日水曜日

専門外はお任せに

当直明けのその1時間眠れたのは良かったが、午前8時過ぎに来た高齢男性患者でまた忙しくなった。当院初受診の人で、明け方の5時半頃トイレで急に片方の肘から下がしびれて痛みもあるという。良くならない上に冷たく肌の色も悪くなったためにうちに来たと。片方の脈はしっかり触れるのに反対の脈は全く触れない。うーむ、これは自分の患者じゃないわ、きっと血管系の急な異常を来している。私には午前9時からは子宮頚癌のスメア検査、内科外来も控えている。ちょうど都合のいいことに今日水曜は循環器内科の「子作り」Drが来る日だ。医局にいた彼女にぜひ診てチョーダイとお願いし快諾してもらった。きっとMRIで血管の急な動脈塞栓などないか調べるはず。

その後、外来の合間に電子カルテで確認すると、心電図で心房細動があるのを確認し、MRIはせず即循環器専門の鹿児島市内の病院へ救急転送していた。ここでチマチマ検査をするより治療の出来る病院へ早く送るべきってことか。救急車で付いて行き帰って来た看護師のリバサイシ君によると「腕の動脈が完全に詰まっていたそうです」とのことで、そりゃ急がねばならなかった。何もしなければ腕が腐って切断なんてことにもなりかねなかった。

何でも自分で診ようとせず、任せて良かった。任された先生もさらに他院の専門の先生に任せた。その先生の名前を見たら田秀Drで20年以上前沖縄の病院で私の部下だった。今じゃ循環器の偉い先生になっておられるようだ。巡り巡ってめでたいことよ。

2019年2月19日火曜日

最年長ゴール!決めたのは大迫の・・

日付変わって録画していたドイツサッカーブンデスリーガのブレーメン対ヘルタ(ベルリン)をさーっと流し見した。大迫勇也が故障してブレーメンのベンチにもいないことは分かっていたけどせっかく録画していたからには消す前に見なくては。

どちらもリーグ中位くらいでお互い負けられない相手だった。試合は前半ヘルタが1点先制し後半もブレーメンはなかなか点が取れない状況が続いていた。このまま0ー1で負けてしまうかと思われたアディショナルタイム6分、ブレーメンはFKのチャンスを得た。いつ試合終了の笛が鳴ってもおかしくなく、もうラストプレイだ。直接ゴールを決めるくらいしか望みはない。右と左のプレイヤーのどちらが蹴るのかなと見ていたら、すこし腹の出た右足の選手が蹴った。相手デフェンダーはジャンプ!でもボールはそこを見越してグラウンダーのボールで隙間からペナルティエリアに抜け、そこでまたデフェンダーの足に当たって少しコースが変わり、な、なんとゴールしてしまった。1ー1の同点!歓喜に沸く選手、スタッフにサポーター。蹴ったのは40才ピサーロで彼はブンデスリーガの最年長ゴールをこれで更新したんだと。
いや、最後の最後滅多にないドラマが待っていた。まさに半端ないゲーム、大迫もきっと喜んだだろう。(↓の動画の4分07秒から見ることが出来る)
https://www.youtube.com/watch?v=a_Wx2YvgAmM

夜は当直。今夜は比較的忙しかった。胆石、てんかん、めまいの入院があり他軽い患者が数人。自分の病棟患者も重症化しあたふた。何もない時間帯はこてる日記を書こうとして医局机にうつぶせ寝3時間で無駄に過ごし午前4時に外来に呼ばれ明け方1時間ちょっと眠れただけであった。ふう。

2019年2月18日月曜日

「やっぱりステーキ」鹿児島天文館店へ

昨日の歯科医師会月例が終わった後、カールは天ブラからボウリング場駐車場に帰って来ていて、私は車中で着替えしてからいっしょに昼食をしに年末にオープンした「やっぱりステーキ」鹿児島天文館店へ向かった(「いきなりステーキ」ではない、念のため)。一度行こうと思っていたので、ボウリング場から歩いてすぐだし、今回はいいタイミングだった。でも並んでいるだろうナ・・案の定20人近く並んでいた。開業時は170人も並んだそうだから何てことはない・・と思ったが、ぴったし1時間も待ったぜ(みんな辛抱強いわ)。ただご飯食べるだけなら絶対にこんなには待ちやしない。でも、一度話のタネにも食べておかねば。

ようやく入店すると、すぐに券売機でどの肉にするか選ばなくてはならない。ここはメインの「やっぱりステーキ千円」にした。180gで焼き具合はレアの一点のみ。ご飯、スープ、野菜は取り放題で千円だから割安感がある。ただスープは1種類、ご飯は2種、野菜もキャベツ千切りにマカロニだけといたってシンプル。コストをぎりぎりに落としているので文句は言えない。肉はアメリカ産で食べてみると比較的柔らかくまずまず美味しい。コスト削減のためにレアしか選べないがその代わりに富士山の溶岩を使った焼き板で時間をかければミディアムにもウェルダンにも出来る。なかなかいいアイデアだ。
店内は割にこぢんまりとしていて席数も25人分程度。私は180gのステーキだけでは満腹にならないのでスープを何度もお代わりした。結局4杯も。飲めない私は居酒屋の飲み放題では元は取れないがここでは少しでも元取らないと。カールは「私はご飯なしだけど肉と野菜でお腹いっぱいだわ」とのことだから店は十分ペイしているのだ。シンプルな副食に比べソースはバラエティーに富んでいて塩、わさび、ニンニク入り、沖縄独特のA1ソース、鹿児島風の甘いヤツなど何種類もあった。そこは社長の義元大蔵さんのこだわりの部分らしい。

ふーむ、これで千円で済むならボウリングに行く際にまた来てもいいな。でも、せいぜい10分待ちくらいでないと。人気がなくなるか、2つか3つフランチャイズ店が出来て客が分散してくれないとナー。

2019年2月17日日曜日

魔物レーン

今日は久しぶりに歯科医師会の月例ボウリング大会(6ゲーム)に参加した。カールも乗せてボウリング場に着き、彼女はそのまま天文館に出かけた。

3階レーンであてがわれたのは7番8番レーンでMノ下君といっしょだった。彼も今日がニューボールの投げ初めということでシフトロック・リミティッドというストーム社のボールだった。ボール軌道を見るとすーっと走って奥でくいっと曲がるタイプとみた。それでピンアクションがすごい。ポケットに入ればストライク率は私のマスターマインド・ゼロよりもいいかもしれない。

1ゲーム目私はストライク、スペア、スペアと無難な出だしだった。しかし、だ。何とこの後4回もスプリットに見舞われた。ここのレーンは奥での動きがやや強くコントロールしにくい。結局135よ。なに、このスコア。Mノ下君はスプリット1回で187とまずまず。2ゲーム目はスプリットを避けるべく投げたがストライクが散発でスコアは伸びない。こんなレンコンでは動きは悪くても安定したウレタンボールか曲がりの小さいボールがいいがあいにく持って来ていない。それに私のフォームの乱れ=3歩目問題(3歩目がぐらついて安定してなげられない)が出てきて7フレにゲゲゲのガター。これで結局169と凡スコアに終わり、隣をみればノダメ先生が191、223、195とアベ200アップ、御大ノゾえもん先生もハンディ込みで210、186、170と大差をつけられ今回の優勝はほぼ諦めモードになった。

4ゲーム目からは皆レーン移動し、私はノゾえもん先生の投げた3、4レーンでサウスポーの魔子壺先生と投げることになった。後から思えば気持ちを切り替えてきちんと投げれば良かった。4ゲーム目こそ2回のスプリットで151だったが次は214が出た。で、ノダメ、ノゾえもん両先生はあの7、8レーンで私同様超ロースコアに見舞われていたのだ。二人ともアベ150台で私の前半スコアとほぼ同じだった。あそこは魔物レーンだったんやね。結局ゲームは集中力が切れミスが3回出て4位に終わった。

優勝はノゾえもん先生で準優勝はノダメ先生。二人とも前半の貯金が効いたようだ。Mノ下君はあの後131、153とドツボにハマりブービーだった。ボウリングでげに恐ろしきはたちの悪いレーンコンディションであった。

2019年2月16日土曜日

そこだけは河野玄斗に勝った

下鶴隆央事務所からポスターを届けてもらい、午後にカールと二人で自宅前の壁に3枚貼った。最初は雨に濡れたらまずいだろうとビニールかなにかを被せようとしたのだがどうもうまくいかない。カールが「もしかしたらこのポスターの紙、雨に強い性質なんじゃないかしら」とネットで調べてみると、はたしてその通りで耐水性の特殊な紙質のようだった。思えば世間に貼られているこの手のポスターは裸のママだ。それでも1週間も2週間も雨で見にくくはなっていない。「きっと大丈夫」とそのまま貼ったのだった。

しっかし、こんなことをするのは初めてで、向こう三軒のうちの一人の人が車で帰宅する際、「何事?」ってな感じで見ていた。まあ驚いたかも。私らの住んでいる団地は別の議員の地盤で下鶴隆央議員は鹿児島南部谷山地区が地盤だしー。(↓いっしょに写っているのは兄弟?と言う人がいたが、彼の父親。町工場のオッサンである)
スチョル先生にこの写真をラインで送ると「コリャ、泥棒もはいれんわ!」だってさ。まあ、いいでしょう。前にも書いたが、自分たちはこうしたらいいのにと思っていてもなかなか行動には移せるものではない。しかし彼、下鶴隆央議員はちゃんと行動に移してくれる。高校生や大学生のころのウブな感性、心の声を未だに持ち続けている。おかしいと思ったことに変に擦(す)れずにおかしいと声を上げている。だから応援する、ただそれだけだ。

前夜、日テレ系で第7回「頭脳王」が放送され、今日ビデオで見た。いわゆる超難問クイズのオンパレードで余計な解説もなくそれを東大、京大出身者のクイズ王だちが難問をこともなげに答えていき、視聴者はただただポカンと口を開けて見ている番組だ。以前は東大理Ⅲの水上颯(みずかみ・そう)が2連覇するなど君臨していたが、最近は同じ東大理Ⅲの河野玄斗(こうの・げんと)が前回優勝し、今回も優勝候補で京大医の木戸直人との決勝戦を制し、やはり優勝、2連覇した。彼の強みはまず絶対に間違わない圧倒的な計算力だ。これは幼い頃からの訓練と塾講師でもある母親の力もあるのかな。それに問題を予想し事前に準備し記憶する力、これは「平成の文化勲章者を書けるだけ書け」といった問題で他を圧倒できていた(去年はノーベル化学賞者をパネル4枚以上に書き連ね、ドヤ顔していた)。それにひらめき力もクイズ研究会か何かで訓練しているのかすごい。京大の木戸直人も洛南高のクイズ研究会出身で、この手のクイズ番組では早押しは極めて大事なテクニックで鍛錬が必要だ。

ただ、ある問題だけ、私は河野玄斗に勝った。「『日本探偵小説三大奇書』に数えられる小説を全て書きなさい」という問題で、私は速攻で言えたヨ。これは木戸が正解したのに河野は全く知らなかったようで「モルグ街の殺人・・」と見当違いの答えしか書けなかった。正解は夢野久作「ドグラ・マグラ」、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」、中井英夫「虚無への供物」だ。これは推理小説オタクなら知っている。この中で私は「虚無への供物」のみ読んだことがある。本格探偵小説のようでいてちと変わった本で横溝正史と比べ面白いかと言われればそうではない。まあ、こんな問題、知らなくても頭脳王にはなれる。ただ、あの河野玄斗も知らないのを知っていた、うれし!ってだけさ。

2019年2月15日金曜日

医者のうるさすぎる要求に看護師は・・

内視鏡室に1枚のプリントが置かれていたのを目にした。「何これ?」と私。
内視鏡Ns「ああ、これは大腸内視鏡を行う時にそれぞれのドクターがみんな設定や好みが違うんで表にしているんです」だって。

常勤、非常勤入れて7人ものDrが大腸内視鏡をするが、細かな設定や準備が誰一人同じではなくこうしてメモにしていなければ覚えられないんだという。看護師らはこれらを全部把握して「はい、先生、準備出来ました、検査よろしくお願いします」と頑張っているのだ。

私は送気は普通の空気ではなく炭酸ガスを使用する。これは炭酸ガスが非常に腸管に吸収されやすく、ただの空気と比べ術後の腹痛や膨満感の苦痛が少ないからだ。みんな使っているかと思えば意外と少ない。カレントDrは検査時に空気を入れヒダの盲点をできるだけ少なくしたいという意思が強く送気「強」である。かなり珍しいタイプだ。私は空気を余り入れたくなくその代わり先端キャップ(フード)を付けてヒダをかき分け観察をする。私と似ているのはピッピDrで検査台を高めにするのは彼の身長が高いからだ。他はほぼ同じ。これは出身が同じ大学で同じグループだからかもしれない。あれ?ならば並ぶンDrも同門なのにかなり違うな。1番から3番まである大腸内視鏡でなぜか3番にこだわりを示すのもちょっと変わっている。基本、同じなのに・・。

いやはや、別の言い方をすれば医者のわがままを全部汲み取って文句も言わずそれぞれに対処してあげる、看護師さんは菩薩さんだぁ。

2019年2月14日木曜日

バレンタインだったって

昨日は当直で、明けて午前内視鏡検査などし、午後帰宅した。しっかり仮眠をとって夕食後T-MAXへ出かけこてる会の練習だ。今日はサンシ、ヤマヒロDr、アンドキサ、タナカッツMRの5人だった。T-MAXで初めてニューボールを試すわけで1ゲーム目は172と今一だったがこれはまあ練習のようなもの、2ゲーム目気合いを入れると237とやはりハイスコアが出た。ただ、国分スターレーンよりよく曲がるのでコントロールに気を付ける必要があった。3ゲーム目、2フレにスプリットが出た。それでも最後は201とアベ200をキープ出来た。よしよし、スムーズにニューボールに移行できたわい。

ダブルスでは1位の私と4位のサンシさんチーム、2位3位のヤマヒロ、アンドキサチームでの対戦に。私とサンシさんが組むのは超珍しい。どっちかがラスになることがないからだ。今日はサンシさん、曲がりが強すぎてなかなかストライクが出なかった。でもダブルスとなればスペアコントロールがものを言う。1ゲーム目は終盤まで接戦だったが私たちの勝ち。2ゲーム目はそのスペア力の差が出てまたしても私たちの勝ちになった。お互いスプリットは2個程度出て互角、が、向こうはイージーミスを2回出した。ボウリングはやればやるほどスペアをまとめる力が大事になる。これまでも書いてきたがスペアミス1回を取り戻すにはダブル(連続ストライク2回)が必要になる。ヤマヒロDrはそこを大いに反省していた。

帰宅すると、「今日はバレンタインデーだから」とカールがチョコレートケーキを作ってくれていた。
「そうか、バレンタインなんだ」と私。だって、今日1日、職場でチョコをもらうどころかバレンタインという言葉さえ聞かなかった。最近義理チョコは廃れ気味とは聞くがバレンタインデーそのものが以前ほど話題にならないんじゃないか。おかげで1ヶ月後のホワイトなんたらもこっちとしては何も気にすることはない。20年くらい前、3月14日にお返しの品を何がいいかなと迷って後輩のアリマシーDrに相談したら「いいのがありますって」と真っ赤なパンティーをカールにプレゼントしたことがあった。結局一度も履いてもらえず、数年後忘年会の余興に某Drが初履きしてそのまま行方不明になったという悲しい思い出も繰り返さずに済むわい。ハッハー!チョコケーキ美味しかったっす。

2019年2月13日水曜日

陰性ではなければ全てが陽性か

昨日のこと、ピッピDrがある質問をしてきた。それはピロリ菌検査で一番信頼性が高いとされる尿素呼気試験についてで、「もしかするとこの検査では陽性と判断されても半分位くらいしか正しく検査できていないのではないか?」というものだった。

「尿素呼気試験のだいたいの精度ですが、感度、特異度ともに90%くらいと聞いています。で、ですね、今の日本人の40才以下はピロリ菌感染率がかなり低くなっていてだいたい10%くらいらしいです。するとですよ、センセ。大まかに私が例を出してみました」といって紙に書きだした。↓の写真を見て欲しい。その後ピッピDrの意見を書く。

ピッピDr「例えば1000人の母集団には10%100人にピロリ菌陽性患者がいることになります。その1000人に尿素呼気試験を実施すると、感度90%だから90人がピロリ菌陽性と判定されることになります」ここまでは確かにそうだ。彼が言うには「1000人のうちピロリ菌陰性者は900人になります。それを尿素呼気試験で判定すると特異度90%だから810人が陰性となります。するとどうでしょう。900人引く810人で90人が陽性となって、尿素呼気試験で陽性と判断した患者のうち感度側で90人、特異度側で90人いてこの検査は陽性と判断しても半分くらいしか正しい結果が出ないことになります」と言う。はたして精度の高いと言われる尿素呼気試験は本当にそうなのか?というのだった。

これを指摘された瞬間、私は何かがおかしい、素直には信じられないと思った。そもそも医学の世界では感度とは「陽性と判定されるべきものを正しく陽性と判定する確率」で、逆に特異度とは「陰性のものを正しく陰性と判定する確率」のことである。じーっと考えて私はピッピDrのミスを指摘した。上の画像で90と810に赤丸を書いたのは私である。「この赤丸の90人と810人は正しい数字だね。でも特異度で指摘した900ー810=90の90人をピロリ菌陽性とするのはおかしいよ。この90人(黄色矢印)は正しくは『ピロリ菌陽性かもしれない陰性かもしれない』とすべきなんだ。だからこの欄に90と書き入れてはいけない。同じく感度側での10人もピロリ菌陰性とするのは間違いで陽性か陰性かはっきりしない10人なんだ」私にははっきり彼の指摘が間違いだと分かった。陰性と判定されない人たちを「ならば全て陽性者だ」としたところに間違いがあったのだ。

指摘されたピッピDrはすぐにはピンとこないようだったが「実は今日、千門Drに質問を受けて自分なりに考えてだした結論でしたけど『何かおかしいなあ、でも計算するとそうなるし・・』って、迷い道に入ってしまって」と頭をかいていた。みなさんもこの問題分かるかな。

2019年2月12日火曜日

マスターマインドゼロを投げてみたら

夜、国分スターレーンにニューボールを取りに行った。2日前の日曜に届いたマスターマインドゼロを預けドリルを頼んでおいたのだ。

早速試投をすべく3ゲーム分申し込んだ。最初はこれまで使っていたニルバーナで投げてみた。オイルがやや多くボールがそれほど曲がらない。T-MAXとはえらい違いで立ち位置が右に寄って板目で10枚から15枚は違う。ただ右側5枚目から7枚前付近を真っ直ぐ目に投げるときれいにストライクになる。で、1ゲーム目途中からニューボールに代えて投げてみた。最初はストライクは出なかったが、気持ちも新たに2ゲーム目から投げるとこれが薄めでも厚めでもストライクばっかし。何かの間違いじゃないかと思うくらいのスコアで255が出た。びっくり。3ゲーム目は少し10ピンタップが出てやや落ちたもののそれでも237だ。

そうそう、このマスターマインドゼロ、この前のPリーグで寺下智香プロが投げて他のプロから「ストライク(の出る)幅が広い」と羨ましがられたボールで、あれを見て買おうと決意した。実際に投げてみるとピンアクションが本当にいい。これでしばらくはメインのボールとしてがっつり使えそうだぜ。

2019年2月11日月曜日

勝負を分けた海の底

サブアラド、見せたまえとは1ヶ月以上ぶり、ジャズ魔とは1ヶ月半ぶりの麻雀だった。麻雀もこのところ是が非でも打ちたいという熱意は薄れ気味で、ネット麻雀「天鳳」は何と今年に入ってから1ヶ月も打っていなかった。で、直前に練習を兼ねて天鳳をやってみた。結果は3位。でそれじゃ悔しいからともう半荘打ち今度は1位だった。

前々回はジャズ魔にやられ、前回は見せたまえが大勝ちした。今回は・・前半、見せたまえが大きくリードした。逆にジャズ魔は最初の半荘で早い国士無双を聴牌したのに上がれず放銃したのが痛手でずるずる沈んでいった。私はちょい浮きで進行していた。夕方になり小休憩。実は見せたまえが家族が旅行で不在のため自宅へ犬の餌やりに行かねばならなかった。ところがここから見せたまえが下り坂になった。大幅リードがどんどん削られ、代わりに我慢していたサブアラドがトップ目に。しかしーだ。今日の半荘のハイライト(とサブアラドが悔しながらも指摘した)がやって来る。

親の見せたまえが槓をしてドラが増え、それにサブアラドが防戦となり安全牌を切り出すも、海底牌をツモってなお完全に安全という牌が手元にはなかった。うーん、うーんと手牌を見つめ、親の捨て牌を確認している。その様子を私はじっと眺めていた。これはもしかすると・・。考えた末、サブアラドが切った牌は・・こぼれるように出てきて最初よく見えなかった。よく見ればその牌は5ピン。

「ロン!倍満!」と即座に私から声がかかった。呆然とするサブアラド。

いやー、大逆転。実は途中の手はドラは多いけど全然まとまりそうになく、しかも親に危なそうな赤5ピンと8ピン、赤5索を1枚ずつ抱え絶対上がれないと思っていた。しかし8ピンが槓ドラになり、5索が通り、さらに終盤5ピンも親が切って通った。狙うは七対子しかなくそして8ピンが対子になって13巡目に聴牌。七対子ドラ5とダマでハネ満という手に育った。しかしそのまま海底(ハイテイ)になり先ほどの場面になる。あと一役付けば倍満なのでその海底牌が河底に出れば8役となり倍満だなと指折り数えていたのだよ。
(↓余っている3牌全てドラというチャンスでもありピンチでもある状態)
 (↓望外の8ピンが重なり七対子聴牌!5索は場に2枚で5ピン待ちにする)
 (↓その5ピンが最高のタイミングで一番いい相手から出た)

結局、私と見せたまえが勝ち、サブアラドがわずかに浮いただけ。そうなったのもこの一局があってこそ、一番の勝負どころだった。

2019年2月10日日曜日

ごめんネ、ゲンちゃん

ソファに頭を掛けてテレビやビデオを見る。見終わるとリモコンを頭上にあるソファへ置く。そのうち眠くなって寝込んでしまう。

今夜もいつものようにリモコンを手に持ち頭上のソファにポイッと置いただけのはずだったがー。

コツン!と音がした。その刹那、アッと私も思ったが同時にゲンちゃんもウギャッと飛び跳ねた。「あー、ごめん!ゲンちゃん悪かったぁ」そこにゲンちゃんがたまに休むのは知っていたが失念していたのよー。

その再現ビデオ画像を下に載せよう。



ごめんネ、ゲンちゃん!

2019年2月9日土曜日

欠航で見る羽目になった番組とは

今日は朝から休みでしかも東京出張の予定だった。だがー・・。

東京は降雪で羽田空港発着の便に欠航が相次いでいるとの報道があり、何と私の予約していたJALの便は欠航になっていた。その前後の便は欠航になっておらずどういうことだ?ただ、出張といっても居丈だ薬品の招待講演への参加で絶対に行かねばならないということもない。居丈だのMRから電話があり「便の変更をされますか」というので午前の便に変更出来ないか頼んだ。前日から雪の予報だったから早朝の便変更をしていればこういうことにならなかっただろう。が、せっかくの休日、早起きせずに午前をゆっくりできる日程にしていた。しばらく待って「先生、JALに電話連絡するも全く繋がりません」と嘆きのコールが。ううむと考え、出張を諦めることにした。時間あれば桑田佳祐の「クワタカップボウリング大会」でも見物しようかという目論みも外れた。これはしよーがない、縁がなかったということだ。

時間が大幅に余ったので録りだめビデオを消費することにした。NHK古舘伊知郎MCの「日本人のお名前」や、ぼーっと生きてんじゃんないよー!の「チコちゃんに叱られる」BSの「アナザーストーリーズ」など楽しみながらためになる番組はなかなかいいネ!

夜のNHK教育での俳優三上博史と少女漫画家美内すずえの対談番組は面白かった。冒頭、美内の代表作にてまだ未完の「ガラスの仮面」49巻が並べられ、ここから話が始まった。ガラカメは少女漫画の金字塔にして劇中劇が繰り広げられる作品で私も少女漫画で唯一愛読していたがここ10何年43巻あたりからほとんど読んでいない。三上博史も「未完にままで終わるのか完結するのか」を尋ねて、作者は完結への道筋は見えていると言っていたのでとりあえずは安心、だが美内センセ、すでに60代後半で若い頃と違ってかなりふくよか、貫禄もついていていつ急病で死ぬかもしれず(月影千草のように発作起こしても不死身だったらいいのだが)一ファンとしては絶対に完結はして欲しい。

↓はガラスの仮面49巻と初掲載時の「花とゆめ」昭和51年新年号を前に語り合う二人。
ちなみにこの号を私は古本屋で購入所持している。

ガラスの仮面登場人物の特徴「白眼をむく」や「実はこの作品、スポ根ですよね」などよく指摘される話題も面白かったが、三上博史が「私にはやりたいキャラがいる。誰かわかります?」はぶっ飛びすぎて・・。美内も「黒沼龍三(演出家)ですか」と答えるが意外や意外「僕のことまだ分かっていませんねぇ。答えは鷹宮紫織さん」だって。女役しかも一番の嫌われ役とか分かるはずないやろ!ただ女役もやることあった(多重人格者の明美)そうだからあり得ないことではない。面白い。

いやいや、この番組も東京に行っていたら見逃していたかもしれない。その意味では雪で欠航も結構だったってか。

2019年2月8日金曜日

ゴジラに追いかけられる

串木野のトリオリーグは今月のオイルパターンがやや短めで要するに曲がりやすいコンディションだった。こうなると私が今使っているニルバーナはつらい。曲がりが強すぎてコントロールしにくいのだ。案の定、1ゲーム目はスプリットが3回出ていずれもクリアできず157というロースコアに終わった。2ゲーム目はスプリットが出ないように左に立ち右に投げる方法で上手くいきミスったのはスプリットの1回だけで223と盛り返した。3ゲーム目はストライクも出るがフォームが乱れイージーミスもあり176、合計556と久しぶりにアベ200行かなかった。

他のメンバーではサンシさんが602と好調、海広しDrはいいコースにボールは行くがピンアクションが悪くスコアが伸びなかった。あれはもうボールがへたっていてニューボールにすべきと思うし彼にもそう言った。5年以上同じボールなんで傷や汚れが表面に出来て後1ピンが倒れにくくなる。ボウリングではその1ピンが倒れるかそうでないかでスコアは10ピン近く違ってくるのだ。彼が以前利用していたボウリングショップ(イエローパニック)がなくなってネット注文しにくくなっているせいもあるが、ここはどうかしてでもニューボールにすべきだよなぁ。

そうそう、今朝はリビングで床寝していた私が寝室に寝込んだのが明け方で、その後カールが起きて寝てまた起きていたのはなんとなく分かっていた。朝食前にカールが言うことが「もう、テルくんのイビキがひどくってさぁ。私、夢を見ていてそれがゴジラに追いかけられて逃げ惑っているの。何でこんな夢を見たんだろうと目が覚めるとグァーグァーとうるさいのって」へ、そうだった?オレってゴジラだったのか。

2019年2月7日木曜日

「カミユイ」の亭主

電子カルテをちょこちょこといじっていると間違って番号を打ち込み、知らない患者のカルテを開いてしまった。すぐに正しい患者のを開こうとしたがハッと手を止めてしまった。その患者名があまりにも珍しくかつ可笑しかったからだ。

「カミ ユイ」

30代女性でカルテ内容から結婚はしているようだった。私はすぐに連想が働きふつふつと笑みが漏れるのを抑えられなかった。この女性の結婚披露宴で以下のようなメッセージをきっと誰かが言ったんじゃないかな。

「新郎のカミ〇〇さんご結婚おめでとうございます。新婦がユイさんということは「カミ ユイ」まさに「髪結いの亭主」になられたわけで・・働かず楽が出来るとは思わず、仕事はきちんと頑張って欲しい」って。ハハハ。

ボウリングボールは秋田の能代ボウルに「マスターマインド・ゼロ・ソリッド」を注文した。お気に入りのブランド、ブランズウィック社「マスターマインド」をまた投げることにした。今ストーム社のフィジックスというボールが人気でそれにしようかなと思ったが、かつてストーム社のボールでいい成績を残したことが少なく、ブランズウィックのボールにしてからこの5年ほどずっと調子いいのでやはりそれから選んだ。それに他のボウリングショップが2万5千円ほどだったのになぜか能代ボウルはこのボールを1万9千円とかなり安売りしていたのも決意を促した。これなら国分スターレーンへボール持ち込みドリル代5千円を入れても十分ペイする。ついでにクリーナーやテープなども注文した。ニューボールはいつもまたボウリングのやる気を促す。頑張るベ。

2019年2月6日水曜日

県議「下鶴隆央」を励ます会

今夜は県会議員「下鶴隆央(しもづるたかお)を励ます会」に出席した。この手の会に出ることなどこれまで一度もなかったのだが、私が彼のFacebookをちょくちょく見ていることや議員がスチョル先生の縁戚である関係もあり参加したのだ。これにカールが「私も行きたい」というのでいっしょにいくことになった。実は彼女は体育館の中央駅西口建設案に反対でこれは下鶴議員と同意見。この他まだ若い(鹿県議で一番若い38才)のにいろいろ頑張っているから「応援したい」と珍しく積極的だった。

会場は山形屋の食堂であった。そもそもカールは単なる講演会だと勘違いしていたようで「あら、食事が出るのかしら」「『励ます会』ってパーティだからきっと出るんだよ」とやりとりがあり、着いてみるとちゃんとテーブルに座席もあった。議員とは会ったことがあるのは一度だけで直接の面識はないし、来場した支援者らも全く知らない人たちばかりの中、幸いにスチョル先生やてげてげ先生ら関係者のテーブルだったので良かった。
(「励ます会」っていっても「政治資金パーティです」↓ってしっかり書かれてある)

パーティでは下鶴議員本人がスライドで生い立ちとなぜに自分が県会議員を目指すようになったのかをまず話し始めた。これはこれまでも新聞やテレビなどで何度も紹介されている。でも本人の口から聴くと、なるほどねえと説得力がある。27才での県議初挑戦は惜しくも落選したが2回目で当選し今は2期目で今年4月3期目を目指している。スライドや講演を聴いていて、まずは税金の無駄遣いに敏感でおかしいところはおかしいと問題点をきちんと指摘する姿勢、さらに県や県民がどうすれば良い生活が送れるようになるかの政策立案の力が素晴らしいと思った。カールも感心して帰り際にいっしょに写真を撮ってもらうばかりでなく、「ぜひ、ポスターを家の前に貼りたい」とまで言ってお願いすることにした。いずれ送られたら「貼ってみんなに見てもらうわ」だって。

彼の宣伝パンフに漫画がある。これがなかなか面白い。ラ・サール高校時代に政治汚職に憤り、東京大学時代は地方政治を志すと決める。しかし地方に政策がからむ省庁への就職を望むが最終面接で落ちてしまう。「私は地方から日本を元気にしたい」という下鶴青年に面接官の言葉が大きく描かれている。「地方を愛する人はウチにはいらないんだよねぇ」なんとも理不尽な・・(漫画の中でこのコマが一番大きく描かれているほどだ)。このあと外資系コンサルタント会社に就職でき、仕事も順調ではあったが本来の目的である鹿児島のために貢献したいという気持ちを優先し勉強を始め「東京大学公共政策大学院」に合格する。しかしこのことで4年間付き合っていた彼女は置き手紙を残して彼の元から去ってしまう。何と冷たい女と思うかもしれないが漫画を読むとそれも仕方ない。会社も辞め、四畳半のアパート暮らしに戻ったのだから。

そうだ、私がこうして書くより、漫画を下に載せよう。クリックして拡大すると見やすくなる。思うのは、私らは県の政策や問題点にいろいろ意見はあってもいざそれを実行しようとしてもなかなか動けないもの、しかしそれを彼、下鶴隆央はやってくれる。私とは何の利害関係もないが、応援したくなるじゃないか。









2019年2月5日火曜日

「健康作りボウリング大会」今年は?

夜は国分スターレーンでこの時期恒例の社会保険医協会の「健康作りボウリング大会」があった。去年同様、こてる会からAチームは私、難ガター、サンシさん、Bチームは練習仲間のアンドキサ、エリック、タナカッツ組で参加した。この大会だいたい2年に1回は優勝していて去年も私は2ゲームとも200アップしチーム合計1134で絶対優勝だと思っていたらノーサイAチームが私ら以上に爆発し負けてしまった。

1ゲーム目、私は3フレまでに2回もミスした。しかしこの後ターキーを出し持ち直すと204と十分なスコアで相棒の難ガターさんも210と絶好調、サンシはやや不調で164だったが、ライバルのノーサイAチームは179、177、181の537ピンで私たちの41ピンリード、よしよし。
2ゲーム目は私は良かったが難ガターさんはややミスがありサンシさんはまずまず。ノーサイチームはというと序盤でスプリットやミスでスコアは伸びていない。これなら去年みたいなことはないだろう。結局私が180、難ガター171、サンシ166でトータル1095でノーサイが1037だから多分優勝できるはず・・で、表彰式で「優勝青雲Aチーム」といわれホッとした。去年は1134ピン出しても負けたからなぁ。ちなみにBチームは4位で何も賞品ないかと思ったらちゃんと5位まであってめでたしめでたし。

個人はハイゲーム210を出した難ガターさんかと思いきや(確か去年まではそうだった)、2ゲーム合計1位の私だった。もらった賞品が電動歯ブラシでチーム優勝賞品がアロマ機器、参加賞が台所セットで、持って帰るとカールが「今年はみんな使えるものね」と笑っていた。

ただ、今日国分スターレーンのプロショップを見てニューボールにしたいと思うようなボールがなくネット注文しようと思った。メインのインフェルノブルーフレームにヒビが入っているのに2年近く新しいボールを作っておらず、今日使ったサブのニルバーナアブソリュートはやや遅いレーンコンディションでは使いにくい。来週の歯科医師会の月例会にも誘われているので間に合わせるため明日にでも注文しよう。

2019年2月4日月曜日

「恵方巻き」問題を解く

そうそう、昨日は節分、家でも恵方巻きを食べた。この、昭和時代は聞いたこともなかった風習がどこの誰の策略かこの20年ほど広まって来ている。今年はその反動か、コンビニ販売の売れ残り恵方巻きの大量破棄がマスコミ等で問題視されている。ううん?元からコンビニ弁当の破棄の問題はあったのに恵方巻きだけ特別に問題視されるのはおかしいぞ。これって新参者をスケープゴートにしているだけじゃないか。恵方巻きを商売にするのなら一定の破棄が生じるのは仕方ないことだろう。

と、まあコンビニ業界にある程度理解を示すような見解かと思われるかもしれない。でも違う。そもそも大量に作らせて大量に売りさばくというコンビニ業界のやり方が食品をまるで工業製品化していて私は気にくわない。寿司屋や家庭でなら恵方巻きは必要人数に合わせて作るからそんな大量廃棄は生じない。コンビニはノルマ達成のために食品製造業者に注文をする、その際欠品が生じたらそこの業者を以降取引停止にするらしい。となると(食品)業者は停止になるくらいならと多めに作る、で、余りも多くなる羽目になる。実は製造工場段階で揃えた材料全てを製品化出来るわけでなくそれら破棄物もかなりの量になるらしい。

そりゃその分のコストもちゃんと代金に含まれているワケで、うちのカールがそんな代物を買うわけがない。「そうね、買ったのはカニカマ100円くらいかしら。後は家にあった余り物で全部作ったわ。恵方巻き3人分で合わせて200円くらいしかかかっていない」んだそうだ。それでも口に入らないくらい大きな巻き寿司をネットで調べた恵方(今年は東北東だそう)を向いて私は食べた。それにしても食べにくい。一気に食えるかってんだ。
結局後からカットして普通に食べたがね。コンビニでは一人前で400〜500円前後、特別高いものでは1500円もするのがあるんだとか。世間一般の人がカール方式にしたら何の問題も起きないっしょ。ネ!(↓これで十分でしょ)

2019年2月3日日曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」

ずっと行こうと思っていたクイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」をようやく見に行けた。1月は腸炎やらインフルエンザやらでなかなかチャンスがなかった。すでに世間では話題だったし、ボウリング仲間のタナカッツMRが結婚後初めて夫婦で映画を見たとか、エリックMRも見た(当然)という態度だったし、クイーン世代の私が未だ見に行かないのはおかしかったのだ。

アミュのミッテ10の時間を確認すると13時40分開始がちょうどよく、カールと早めに出かけた。「ボヘミアン・ラプソディ」は普通の字幕版や音響効果特別版などのほかに字幕応援上映というのもあって私のはちょうどそれに当たっていた。これは歌が出てくると画面下に字幕が出ていっしょに歌えたり、コスプレやサイリウム振ったりもOKとコンサートの雰囲気でいっしょに盛り上がろうという趣旨だ。「おい、フレディー・マーキュリーの格好していかなくていいんかな」とか「事前に歌の練習も必要かな」とか「前列の人が立ち上がって画面が見えなかったらどーしよ」とかちょっぴり不安もあった。

早めに着いたので館内に入ったのも一番目だった。だーれも観客がいない。大丈夫?後ろの座席に座って待っていると続々客が入って来てやや年配の人たちが多かった気がする。気になる服装はコスプレ&サイリウム客はゼロ、映画が始まっても歌ったりや立ち上がる客なんて誰もいない。みんなおとなしいもんだった。ほっとしたけど拍子抜けもした。
(↓こんな感じには鹿児島ではならないんだよなぁ)

映画はフレディー・マーキュリーの自伝と苦悩を描いているのだが、魅力はフレディーの圧倒的な歌唱力とクイーンの楽曲の素晴らしさを堪能できるところじゃないだろうか。日本で最初にヒットした「キラー・クイーン」が私は大好きで「ボヘミアン・ラプソディ」がリリースされた時はかなり話題になったものの、映画でプロデューサーに反対されたように曲が長いのとある種のあざとさと感じ今一好きになれなかった。画中でクイーンの連中はこのプロデューサーに石を投げていたな。結果はご存じの通り超が付く大ヒットになって今でもクイーンの最高傑作として聴かれ歌い継がれている。私には見る目がなかったってことだ。

今では「ボヘミアン」よりよく耳にする「ウィウィルロックユー」をカールは「へー、クイーンの曲だって知らなかった」とささやいていた。ビートルズほどではないにしろ、クイーンもそういう「誰の曲かは知らねど知っている」レベルになっている。我々世代でだけではなく若者にもこの映画が受けているというのはクイーンの曲の持つ魅力があふれているからだろう。見終わって曲が頭の中を駆け巡っていて思わず口ずさんでしまう。いい映画、今年度のアカデミー賞もノミネートされていると聞くし、ぜひ獲って欲しいと思った。

2019年2月2日土曜日

岡留安則の死

土曜日で午前は外来、午後は夕方まで日直だった。インフルエンザ患者はまだいるが2、3週間前と比べ減ってきている。ただ病棟でまた一人A型が出てまだまだ油断は出来ないか。

夕方、病棟へ心肺停止患者の看取りに上がった。超高齢患者ですでに家族も集まっていて特に心肺蘇生はしないということで死亡確認のみだ。17時半までの勤務で交代の非常勤外科Drが来るのを待っていたら女性が医局に来たので少し面食らった。そう、飛んだDrと名字だけ聞いていて勝手に男性医師と思っていた。彼女は青雲会病院当直は二度目とのことで食堂の場所やいくつか取り決めなど教え、恒例の写真撮りをした。病院の写真係だからネ。少しだけ話をすると、女性外科医も毎年一人は入局してくるそうで乳腺外科を専門にしているとのこと。医師8年目だそうで一人でここに当直に来てくれるとはなかなか頼もしいわ。

新聞、ネットなどで「『噂の真相』元編集長、岡留安則氏死去」のニュースがあった。71才で肺がんだったそうだ。
最近は「噂の真相」という月刊誌があったことを知らない世代も多いだろうが私が学生から30代まではゴシップ、スキャンダルネタ満載の雑誌でちょくちょく買っては「へーえ」「そうだったのか」など読みふけっていたものだ。安っぽい紙質で毎ページ1行ネタも書かれてあってそれがホントらしくもウソくさくもありメジャーな新聞、週刊誌が扱わないネタを提供してくれ面白かった。岡留安則は鹿児島出身ということもあってなんとなく親しみを持っていたが、もし自分が公(おおやけ)の人で勝手に雑誌に書かれたらいい気はしなかったかもな。その雑誌の性質上裁判沙汰になることも多くまた法律も改正され個人情報保護法が2003年の施行されたこともあって雑誌を運営するのが難しくなり2004年には休刊宣言をした。売れなくなってのことではなく訴訟が増え今後この手の雑誌運営が困難になるだろうとの見込みだったそうだ。全共闘世代でそうした背景があってこそ反権力の姿勢を貫き、また雑誌には広告がなく(唯一パソコンのエディターソフト広告が裏表紙にあった)それゆえ好きなことを書けていた。他誌ではしがらみあり「ここでしか書けないから」とのことで有名ジャーナリストの投稿もあったりした。

最近は病院に置いてある「ポスト」や「現代」を読むとその手の記事がほとんどなく自ら買おうという気になれない。「噂の真相」にあるような記事は今ではネットがその役を担っている。雑誌で生きてきた岡留安則の死はその意味では象徴的といえよう。

2019年2月1日金曜日

誰が勝つって言ったのよ

夕方、セントラル高校13期生のブッサン君から病院に電話があった。話すのは17、8年ぶりか。今年は自分らが還暦を迎えるということもあり夏の高校全体同窓会に合わせ同期だけの同窓会を開く予定だそうだ。そのクラス幹事をやっているブッサン君が私にも同窓生参加を促して欲しいとのこと。で、同窓会資料をすでに病院に送ったからなと手際のいい話だった。

彼は優秀で東京の大学に進学後は野村証券に入ったが家業を継ぐために帰郷した。しかし家業は火の車で奮闘するも10年ほどで破産してしまった。その1、2年後くらいだったか、同期生で彼を慰める会をするというので中央駅近くの居酒屋でいっしょに飲み食いしたことがある。彼の「本当はこういう人目に付くところでは歩けないんだよ。『借金も返さないで飲み歩いてるのか』なんて見られるから」と言うのを聞き、商売に失敗すると大変だなと思ったものだ。その彼もしばらくして叔父さんの運送会社に入り地道に仕事を続け、数年前そこの代表に就任し「やっと一息ついたよ」ということだった。

そんな話をして外来から病棟に上がろうとしていたら、外来看護師連中がなにやら会議記録帳を見てぶつくさ騒いでいた。どうしたん?と見てみると、「ムッちゃんNs4月退職、オイドリッチNs3月退職」の文字が目に入った。がーん!ムッちゃんはついこの間本人から娘らのいる関東に引っ越すと聞いていて驚かなかったが、まだずっと若いオイドリッチNsは青天の霹靂だった。とってもお気に入りだったのにー。看護師連中もそこでガヤガヤ言っていたようだ。年配の多い外来ではこの間結婚したチェリピアNsとともに貴重な20代だった。チェリピアNsも妊娠したとのことでいずれ休業せざるを得なくなるし、外来も一気に老け込むナァ。

さあて、今夜遅くアジアカップ、対カタールとの決勝戦、これを見るために少し早めにTV前に陣取っていた。ところがだ。疲れがたまっていたのか試合が始まる前に私はグースカやってしまい、気がついたのは後半の15分を過ぎたところだった。隣にいたはずのカールはいない。経過は?といえばなんと0ー2でリードされてるやない。あー、これは厳しいねえ。しかし日本は攻勢で攻め続けている。そのうちに南野のゴールで1ー2としてもしやと期待を抱かせた。しかし相手コーナーキックからの吉田のハンドでPKとなり1ー3はダメだこりゃ。誰が日本勝利間違いないって言ったんだ。なんで前半2点も取られたんやとビデオを見直そうかと思ったが、眠気もまた出てきてゴールシーンだけ見た。オーバーヘッドなんて決勝で出るようなプレーじゃないがなー。見直しても試合結果が変わるわけじゃなし、もう寝よう、そう、寝るだけだ。フン!