2018年1月31日水曜日

オマルさん、うっかり

今日は当直担当だ。明日は退院になるオマルさんとは最後の囲碁の対戦で序盤から石の競り合いになった。そこで私が大石の攻め合いをミスし大損をくらった。でもこのところオマルさんもミスをするのでそっとダメを詰める手をうったら・・一見いいところに打った白のその手は大きな緩手だった。放り込みからダメを詰め、アタリを打つと・・白はその石を取れない、ということは大石が逆に私のものに・・これで大勢が決まった。

(今に私が打ったところ。次、オマルさんはに打てば問題なかったのをに打ってしまった)

(私がに打って白の大石がアタリになっている。これをオマルさんはうっかりした。の白石が役に立っていないのが分かる)
この後はどうあがいても白に勝ち目はなく中盤過ぎでオマルさん投了しちゃった。これで私の3勝1敗。内容はどちらかといえばオマルさんが勝っていたが高齢の上に病気で入院中でもあり本来の実力じゃなかった。今度打つ時は・・さらにオマルさんの具合が悪くないと実現しそうにない。そこがチライところ。

もしかすると今日の対局が最後になるかもしれない。私とオマルさんとの囲碁にはそんな哀しさが漂っている。

2018年1月30日火曜日

勝負事は・・

今日は午後が早帰りで、帰る前にオマルさんと3子局対戦をした。昨日も勝っていたので連勝、オマルさんに「2子でどう?」とハンディ減らしを提案されたが「いやいや、まだ3子で」と現状維持にしてもらった。実際まだ2子の力はまだなくオマルさんのミスに助けられての勝利だと思っていたからだ。

今回は私の大模様作戦に対しオマルさんが突入、それを私が咎め損ねて五分五分の形勢になった。今度はオマルさんの模様を阻止すべく打ちうまく行きかけたが・・石を分断され隅で生きる手があったのにそこがまだ弱いところ、全滅させられ、その後かなり奮戦するも、結局75目対80目の5目負けを喫してしまった。これで2勝1敗。ただ、負けたけど簡単には土俵を割らなかった。これが次にきっと生きるはず。

帰宅して今度は天鳳だ。このところ麻雀する気力がなくインフルエンザもあって全く打っていなかった。日曜に1ヶ月ぶりのリアル麻雀の予定もありリハビリのつもりで打ち始めたが・・何と3連続ラス。おお、俺ってこんなに下手くそだったのかっ。頭に来て4半荘目を打ちようやくトップ。その後は2位や1位でようやく気分は落ち着いた。俺ってやっぱりいけるじゃん。ふー、すっきり。これでリアルでもやれそうだ。

勝負事は自分に自信を持つこと。例えそれが根拠のないものでもネ。

2018年1月29日月曜日

いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」

週刊現代1月6日・13日合併号にいしだあゆみの大ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の話題が出ていた。(「私の地図第353回」)
昭和44年初頭からヒットし最終的には150万枚以上を売り上げ、今でも横浜と言えばこの曲というくらいご当地ソングの代表的な曲である。作詞は橋本淳で作曲はあの筒美京平、彼自身初のオリコンヒットチャート1位の曲でもある。当時電車やバスによく乗っていたいしだあゆみは横須賀線に乗っていたら横浜駅に着いた時、周囲が「何でここで降りないんだ」という目で見られ「ヒット曲の影響の大きさを感じた」とか。最初、この曲をもらった時に彼女はヒットするとか特にどうも感じなかったそうだ。「抑揚がなくて歌いづらいし、まるでお経みたい」と。しかし、私が驚いたのはその後のコメントだった。

「だってこの曲は私にとって26枚目のシングルレコードだったし、それまで鳴かず飛ばずだったから全く期待していなかった」

えーー!26枚目ってそんな、この曲以前にいしだあゆみなんて聞いたこともなかったし私はデビュー曲かとさえ思っていた。レコード会社(ビクター)もそれほど売れてもいないのによくもまあシングルを辛抱強く出し続けたねえ。調べれば16才時の昭和39年4月の「ネェ、聞いてよママ」という曲でデビューし、それまでヒットと言えるのは前年の24曲目の「太陽は泣いている」がオリコン18位になったくらいだ。さらに調べると、日本コロムビアに移籍しここでその「太陽は泣いている」から橋本淳作詞、筒美京平作曲コンビになっている。これが転機だったんだ。このあとも昭和45年のなかにし礼作詞、筒美京平作曲「あなたならどうする」などヒット曲を飛ばし昭和を代表する歌手になった。レコード会社を変え、自分に合った作詞作曲者に巡り会えるかで歌手生命が大きく変わる典型例といえるだろう。
(↓が当時の「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ういしだあゆみ。冒頭、上目遣いで見つめる男性が若き日の筒美京平、レコード大賞作曲賞者として画面に写っている。その後TVにはほとんど出なかったので実に貴重な映像である。)
https://www.youtube.com/watch?v=ZrLOQAIBXxE

あと「ブルー・ライト・ヨコハマ」に関していえば「禁じられた歌―朝鮮半島音楽百年史 (田月仙著:中公新書ラクレ:2008年)」の中で、1970年代末まで日本の音楽が禁止されていた軍事政権下のソウル、釜山および韓国内で知られたほぼ唯一の歌謡曲であり、「韓国人が最もよく知る日本の歌」とも紹介されている。カラオケが輸入されてからもクラブなどでは、この歌ばかりが歌われていたという。また、朴正𤋮大統領も日本から本楽曲のカセットテープを持ち帰って、宴会で歌ったという。へーえ、知らなかった。海賊版で大衆に拡がっていったとのことで、同じような曲が「恋人よ」(五輪真弓)、「ギンギラギンにさりげなく」(近藤真彦)、「サチコ」(ニック・ニューサー)らしい。以上は韓国の中高年が必ず知ってる日本の歌謡曲とのことである。YouTubeでは韓国のスター俳優の一人チソン(「オールイン 運命の愛」「ラストダンスは私と一緒に」「ニューハート」「鉄の王 キムスロ」など)もコンサートで「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌っているのがあり、やはり韓国では知られた歌なんだなと分かる。(↓出だし、いしだあゆみの音源が披露されている。「♪いつものように」が「♪いちゅものように」と発音されているのがちょっと笑うが)

まあ、一言でいえばこの曲は名曲だってことだ。

2018年1月28日日曜日

散歩できがつく

午前に散髪に行った。団地内を歩くのも久しぶりで街路樹の枝を全部刈っているのに初めて気がついた。見れば明らかなのに車で走行している時は全然気がつかなかった。
ただメインストリートにある常緑樹は刈られずに見事な枝っぷりだ。へー、こんなに立派な木だったんだ。この木の下にいたら雨にも濡れないだろう。火山が爆発したら・・いや危ないがそれでも少しはかくまってくれそう。

これも毎日通るのに気がつかなかった。へー、散歩するといろんなところが目につくなぁ。散歩はいいアイデアが湧いたり気分がリフレッシュしたりでいろんな効用があると聞くがそのとおりのようだ。

そんないい気分で帰宅して久しぶりにネット麻雀をしてみたら・・あらら最初こそトップ取ったものの負けが込み、1300P以上あったポイントが1000Pを切ってしまった。ううむ麻雀はまだリハビリ出来ていないようだわい・・。

2018年1月27日土曜日

マイボール禁止にもの申す

今日はインフルのポンシンDrの代診外来のため出勤で、昼食は院内売店でオムライスを買って食べた。そして14時半から国分スターレーンでの三師会ボウリング大会に参加した。三師会は出場要請のFaxが来ても最初は行く気がなかった。だって去年同様マイボール禁止になっていたから。医師会ボウリング大会がマイボール禁止になったのはまあ仕方ない(かつて青雲会病院ばかりが優勝していたため)が歯科医師会や薬剤師会との対抗戦は別にマイボール禁止にする必要はないと思う。で、参加を見合わせていたらわざわざ姶良郡医師会の関所女史から電話があり「ぜひ参加を」と頼まれた。医師会からの参加チームが少ないんだそうだ。そこまで頼まれれば日ごろお世話になっていることもありいつもの難ガター、サンシさんに声を掛けたのだった。

13ポンドの出来るだけ穴の合うのを探し投げてはみたもののやはりピンは倒れない。割とコントロールよく投げていたんだけどさー。難ガターさんは11ポンドの軽いやつを結構曲げてストライクを取っていた。逆にサンシさんは15ポンドにして角度つけてパワフルに狙っていった。1ゲーム目、私149、難ガター142、サンシ161。なんだこりゃ。私がラッキーなダブルが1回あったきりでとにかくストライクが続かない。サンシさんは最近好調でそれがハウスボール投げてもよく分かる。しかしどうしても1ピン残ることが多くストライクが出たのはようやく10フレ最後の投球でだった。で、2ゲーム目が私144、難ガター182、サンシ147。私はストライク2回出すもダブルなし。難ガターさんもストライク3回でダブルなし。サンシさんに至ってはストライクが今度は0とそりゃスコアは出ないはずだ。面白くない、ハウスボールじゃやっぱり面白くない。

で、表彰式で驚いたのがそんな私たちのチームが準優勝だったことだ(優勝は薬剤師会のチーム泉)。賞品もらえたのは良かったし、三師会対抗も医師会チームが優勝だったのも貢献出来て良かった。でも、どうにもすっきりしないんだよ。関所さんにも「マイナスハンデがあってもいいからマイボールOKにしてくれないかな」と言うだけは言っておいた。

はあ、それと軽く体を動かしてもふらふら感はなくインフルエンザからほぼ体調は戻ったのを実感できたのは良かった。ありがとう、ボウリング。

2018年1月26日金曜日

ネコがカモを狩る、オマルさんと半年ぶりの対戦

外来非常勤のカッコちゃんNsが「先生、見てみて、うちのネコがまたやったのよ」とスマホで見せたのがカモの死骸だった。なんと、飼い猫のクックちゃんがカモを狩ったのだという。これで二度目だとか。
そもそもネコがカモを簡単に狩れるようなところって霧島市ってどんなところよとは思うが大したもんである。彼女の旦那らはしっかり鴨鍋にして食べちゃったのだとか。いやー、うちのゲンちゃんもそれくらい役に立ってくれればと思うも完全室内ネコだし、鹿児島の団地にはカモなんてみたことないしー、田舎には田舎の良さもありますな。↓はクックちゃん(オス)の勇姿。顔つきもいいネ!
夕方帰宅前にオマルさんのところに寄り、3子局を打った。体調も良くなって私が来ないかなと待ちわびていたらしい。右下の両ガカリ定石で私がミスをした。オマルさん、にたぁ〜として「間違ったね、せんせい、間違ったね」としてやったりの表情だ。青矢印の手に対しその下に白に割り込まれておかしくなった。
打てば打つほど黒石が取られて「これは負けるかも」と思った。青丸の黒石は取られである。
でもこの後、我ながら粘ったねえ。いわゆる捨て石にして外回りを塗りつける作戦に出てこれが思いのほか功を奏し中盤を過ぎたあたりでは逆に私の必勝態勢になった。
しかし、どう打っても勝てると思っていたら痛恨のミスをしてあらら勝ち碁を落としたとがっくり来たが、それでも粘っていたら最後の最後オマルさんがミスして投了、再逆転で私の勝利。いやー、疲れたわぁ。後で看護師に「先生が強くなっている」とにこやかに話しをしていた、とカルテに書かれていたよ。私はそれほど囲碁の勉強はしていないが、オマルさんと出合ってからNHKの囲碁対局は欠かさず見ているしもしかしたら本当に強くなっているのかもしれない。1年程前、最初の対局は5子でそれも負けたんだった。強くなっているとしたら80才半ばでゼエゼエ言いながらも囲碁への執念がすごいオマルさんの存在が一番だと思う。碁敵(ごがたき)の存在は有難きかな。

2018年1月25日木曜日

仕事復帰

病み上がりで病院に行くとなんとポンシンDrもインフルエンザで休むと連絡があったそうだ。彼もB型らしい。うう、クニンダDr、私ときて3人目かぁ。一応彼とは土曜日に接触しているので私からうつった可能性はある。

外来で熱はそれほどないけど気分が悪いと訴えてきた超ベテランのブルゾンNs、彼女もB型だった。それに熱があるという放射線科の元無か毛さんもB型が出た。どちらも60才以上で意外に年配者にB型に罹る人が多いみたい。職員が罹ってしまうと残った人たちに負担がかかる。ポンシンDr休みで土曜の外来を私がしないといけなくなった。彼の日曜当直はシマッチ院長が代わりにするとか。先週土曜はポンシンDrが「私が代わりましょうか」と言ってくれたが先にキブンDr頼んでいたので丁重にお断りしたのだった。ま、お互い様ってことだ。

で、今月はボウリング練習を1回しかしておらず明日の串木野のリーグ戦をどうしようと迷った。あと1日2日もすれば大丈夫だとは思うが体力、気力ともまだ投げられる感じではなくアンドキサMRに代役を頼むことにした。さらにその次の串木野リーグの日も「青雲内視鏡室の新年会をしますんで」とのことで、それも行けない。どうも最近ボウリングづいていないわ。

その代わりじゃないだろうが、囲碁好きの高齢男性患者オマルさんが私が休みの間にまた入院していて、で、また私が主治医を任されることに。ということは時間作ってまた囲碁対局やな。オマルさんは時々囲碁の本や切り抜きを私に読んでとプレゼントしてきていた。あまり読んではいないのだがそこまでされれば打たないわけいにはいかない。今日は出来ないが明日やろう。囲碁命のオマルさんに出来る最高の治療法だろうから。

またいつもの日常が始まる・・。

2018年1月24日水曜日

録りだめビデオをまた消費する

今日までインフル休みで、例によってビデオを見た。NHKのアナザーストーリーで007シリーズの始まりをやっていてその流れでずっと昔に録りだめしていたダニエル・クレイグ初主演作の第21作「カジノ・ロワイヤル」を見た。いやー、これまでのボンドとは違いがありすぎて結構戸惑った。しかし中身は大人の鑑賞に耐えうる内容で評価が高いのも肯けたが、私自身はもっとエンタテインメントに徹してもらったほうが好みでこれまでの作品で一番好きなのが第10作の「私を愛したスパイ」なんだ。だがその方針をやり過ぎると次作の「ムーンレーカー」のように荒唐無稽過ぎて味わいがなくなる。なるほどこのテイストで行くのかと22作目の「慰めの報酬」も録画済みなのでいずれ見てみようという気になった。

他はファミリーヒストリーで米米CLUBの石井竜也の回を見た。彼の実家は北茨城の和菓子屋を明治のころからやっていて祖父も父も他の仕事をしたかったが家業を継がざるを得なかった。特に父親は映画のニューフェイスの最終選考まで残っていたくらいで息子の竜也が絵が好きでそっち方面に進むのを敢えて止めなかった。和菓子屋は時代の流れについていけず傾いていくも息子が成功して結果的には良かったわけだ。ある意味父親の無念が糧となって子の時代に花開いた印象だ。あとで副題を見れば「父の思いを背負って 老舗和菓子屋の誇り」となっていた。なんだ自分が思ったそのままんやん。

入浴前に体重を計ると3kg近く痩せていた。先週の月曜が特に食後だったので特に差がでたのだろうがそれでも1週間余りでこれだけ痩せるとはインフルおそるべし。もっともダイエットにはインフルが有効というのはよく分かった・・(^ ^;)

2018年1月23日火曜日

インフル出勤

病院に行ってみんな驚いていた。「まだ休みかと思いました」「もう大丈夫なんですかぁ」などなど。あんまし大丈夫じゃないけど今日に採血指示している入院患者が5、6人はいて点滴も本日まで指示が大部分で来なきゃきっとみんな迷惑のはず。午前中はその病棟指示や退院患者の書類作成にかかり切りだった。出来るだけ人の出入りの少ない医局で仕事をしたが、やはり病棟にも行かざるをえず、マスクを二重にしてエレベーターに乗った。すると、この前高速で感じたのと同じような気分の悪さを感じた。何かウイルスが平衡感覚に関係しているのか乗り物酔いをしやすくなっているみたい。

そっと詰め所で仕事をした。でもたまに咳払いすると看護師などみんなビビって近づかない。ふふん、こりゃ怪獣並みだな。おらおら、そこどけそこどけ〜。でもホントは元気まるでなし。どうにか12時過ぎに済ませ、医局に戻り弁当も食べず(マスクを外さなきゃならないし)、午後は休みにしてもらって帰宅してから食べた。ふう、やっぱり疲れる。体のことを考えれば最初っから休むべきだったか。明日はどうしよう。考えるのも疲れて床寝してしまうのだった。ああ、インフルはきつい。

2018年1月22日月曜日

自宅安静

月曜だが仕事は休んだ。体調は今ひとつだ。発熱はそれほどないがだるさとふらふら感が続いている。ご飯はお粥でいつもより量も少なめ、それでも足りないこともなく、このくらいでもやっていけるならいつもはやはり食べ過ぎってことだな。

いつもはリアルタイムでは見ない大相撲も夕方見ていた。鶴竜が頑張って全勝を続けていたが、まさか水曜から4連敗もするとはこの時は予想もできなかった。この日は向こう正面に全身ピンクの服二人がいてやたら気になった。あれは林家ペーとパー子夫妻で間違いない。全取り組みが終わると端にいた西川史子女史と三人でスマホ自撮りをやっていたよ。
このあとも撮りだめビデオを見たはずだが、今となっては何を見たか思い出せない。寝ては起きてはの繰り返しだった。明日は何とかして病院に行くつもりだが万全ではないのは確か。明日朝までしか指示を出しておらず多少無理をしてでも行かねばと思うのであった。

2018年1月21日日曜日

ゲロ高速

インフルエンザゆえ自宅で安静、やることといったらここぞとばかりビデオ消費をするのみ。あとは力ふりしぼってのこてる日記書きくらい。たまっていた「ドクターX」「アナザーストーリー」をかなり見た。しかしビデオも2時間もすれば疲れて床寝してしまう。そして寝汗をかきシャツを替える。疲れは取れない。それに今日は咳が出て苦しくなった。こんな時に最近はアドエア吸入薬が有効なのが分かっていて確かこの前の余りがあったはずと処方してもらっていなかった。ところが「もうないよ」とカール。しまったぁ。朝はそれでも我慢していたが昼食後また咳き込んで、こりゃ是が非でも病院に行ってアドエアを処方してもらおうと思った。

カールが運転してくれるというので助かった、と最初は思った。ところが高速で姶良まで向かう約20分、生汗がどんどん出てきて吐き気もしてきた。生暑くてダウンジャケット着ていたのを後悔した。駐車場に着いた時はもうふらふら。事前に電話してアドエアを用意してもらっていたので救急外来で受け取るだけだったのはよかった。ただ、私の顔を見た当直医のアクロスリバーDrや光鳥Nsは「先生、顔色悪い〜真っ青」と驚いていた。そうまでして手に入れたアドエア、確かに効果がありこれ以降咳き込んで苦しむことはなかった。

だがー。

自分ではどうにかなるわいと思っていた体調だがさすがはインフルエンザ、実は帰りの車中、行きよりもはるかに気分が悪くなり汗に嘔気が出て気分最悪、早く帰宅したいと思っても車はまだ高速だ。北料金所を過ぎたあたりでついに我慢できなくなり「カール、車を止めて!」と頼み、急停止するやいなやドアを開け、路肩に思い切りゲロってしまった。後ろから追突されやしないか少しは気になったけどこればかりは車内にするわけにいかない。2回吐いて少し気分が落ち着いた。どうにか帰宅出来たがバタンキュー。インフルエンザにはかなわないのであった。

2018年1月20日土曜日

インフル帰宅

比較的眠れたはずなのに体はだるかった。外来が始まる時に付いていたニッシNsに「おれはきっとインフルエンザB型だと思う」と言うと「ええー」と言われ「検査してみたら」と勧められたがしないですますことにした。ここで陽性になれば立場上帰らざるを得なくなり内科系外来をする係がポンシンDrしかいなくなる。それに午後は居残り日直もある。で、マスク着けながら午前いっぱい頑張ったのだが、どうにもだるそうだったようでダブロックNsが「先生、調べますよ」とインフル検査用の鼻腔拭いスティックを私の鼻の中に・・。これが怖いっていうか苦手だよなぁ。

12時過ぎて仕事はほぼ終わるころで診察台にうつ伏せて待っていると外来看護師の「ざわざわ」という声が聞こえた。持って来た結果表は予想通りインフルエンザB型陽性というものだった。うわ、午後はどうする?で、ニッシNsらがさっそく動き、畠鏡総務部長がキブンDrに午後の勤務交代を依頼してくれた。この後、病棟患者の月曜採血を火曜に変更するなどすぐには帰れなかった。

へろへろになって帰宅して「インフルだったぁ〜」とカールに伝えると、「あらいやだ。テルくん昨日私にチューしたでしょ。ああ、私うつっていやしないかしら、どうしてくれんの」だってヨー。

2018年1月19日金曜日

だるいけど外来&当直

朝、出かける時に今日こそは忘れまいと、カールちゃんのところに行き、橋下徹ばりに軽くチューして出かけた。カールも喜んでくれたのだったが・・。

今日は外来担当、そして夜はまた当直だった。昼間だけで何と入院5人、目が回る忙しさとはこのことと言いたいが、実際にめまい感に倦怠感がひどくなっていた。ふらふら感ていうのかな、ここにきてインフルエンザじゃないかという気がしてきた。でも今朝がた病院から内視鏡室スタッフには予防的にタミフルを1カプセルずつ支給され、それを飲んでいるので大丈夫だろうという気もあった。

夜はやや落ち着き交通事故に蕁麻疹、腹痛嘔吐の患者さんが来たくらいで医局でおとなしくしていた。日テレで「ルパン三世カリオストロの城」をやっていたのでまたまた見てしまった。途中からでもいつ見ても面白い。映画館で3回見て以来約40年近くビデオ、TV、DVDで何回見たかしれない、何度も見ても面白いからしようがないわ。日本アニメ映画でこの作品を越えるのが私が生きている間に出るか怪しいと思っている。

夜もタミフルを飲み、明日の外来&夕方までの日直に備え、こてる日記書いて当直室で早めに休もうといつもより無理はしなかった。ただなんか寝苦しさがあり、とても疲れが取れたとはいえなかったのだった。

2018年1月18日木曜日

「名字由来net」

「苙口」って名前の人間ドック利用者がいた。なんて読む?

「ええ?『おろぐち』って読むんですか、いや読めないなー」「ええ」

で、ネットで調べると全国順位42,828位で約50人ほどしかいないレア名字だった。さらに解説で同名字は、鹿児島県、静岡県、大阪府などにみられる、とあったので、「静岡や大阪にもあるそうですよ」と教えたら「へー、そうなんですか」と感激されていた。ちなみに私のを調べると全国順位190台で10万8千人いるという。ありふれても珍しくもないな。皆さんも自分の名字がどの位置づけか調べてみたら。「名字由来net」https://myoji-yurai.net

朝から喉が少し痛くて若干鼻も出て風邪気味だなと感じていた。午後はサンキュー病院から胆嚢炎、外来から下血患者が来て忙しく終わったのは18時を過ぎていた。明日も当直だし今日は早く帰ろう。あ、そうだ、また出かける時にカールに愛情挨拶をするのを忘れていた。明日は忘れないようにしなきゃ。

2018年1月17日水曜日

内視鏡室にB型が・・

朝、医局でクニンダDrが「先生、どうも体調が悪くって」とさえない顔色で話しかけてきた。そして自分の子どもたちがインフルエンザB型に罹っているという。うわーそれならほぼ先生も感染発病しているわ。さっそく検査して陽性ならすぐに自宅安静してもらわなきゃ。で、調べたら案の定B型が出た。「薬は何がいい?」と聞くと「タミフルで」とのことで5日分処方し帰ってもらった。すると内視鏡室の湖西種実Nsもここ数日体調悪く子どもがB型に罹っているとクニンダDrと同じパターン。ただ彼女は予防的にタミフルを1日1カプセル服用していた。でこれもB型が出た。「あちゃー」と種実ちゃん。しかし内視鏡室に二人も出るとなると次が出てもおかしくはない。みんなワクチンは接種しているが発症するときは発症するんだ。内視鏡室という狭い空間の中で長時間いっしょに労働している、さあて次は誰が罹るんだぁ?

当直明けで午後から帰宅出来るはずが一向に仕事が終わらない。外来も多かったし入院患者への指示出しも時間がかかった。結局帰ったのは16時近くでとても半ドンとはいえない。それでも少しでも夕方の仮眠が取れたのは有り難かった。

今週のボウリング練習は諸都合で今週に当直仕事が集中してしまったせいで休みにした。家でまーたりとビデオ消費鑑賞だぁ・・。

2018年1月16日火曜日

イングリッド・バーグマンとは

昨日のTV番組で元大阪市長の橋下徹が出ていて子ども7人と妻からメッセージを受ける趣向だった。橋本のダメ父ぶりが指摘される中、毎朝奥さんに「愛してるよ」だか言うのだけは「まあ素敵ね」「テルくんは絶対してくれないもんね」とカール。「いいやオレだって」と言い返したのだが、今朝になったらすっかり忘れて出勤したのだった。(いつもの習慣はそう簡単には直せないわ)

寒さもピークのこの時期、入院患者も多く今日は夕方には完全満床になった。今夜は当直でその入りたてに国分説教病院から「肺炎の高齢患者の入院をお願いしたい」と依頼があったが断らざるをえなかった。その後夜になっても国分の某病院から同じように肺炎の患者の入院をとあったが同様にお断りで、どうも聞いたところによると基幹病院である七五調病院がインフルエンザ蔓延し病棟閉鎖している影響のようだ。その20時半を過ぎたころだったか外来当直のタッピーNsから「先生、もう4人くらい次から次に電話が掛かってきてインフルエンザが心配だから今から(外来に)来ていいかって連絡あったんだけどみんな発熱したばかりで検査してもインフルが出るとは限らないし一晩待って症状が続くようなら来院するよう言いましたけどそれで良かったですか」ときた。私は「そいでよか」と西郷どんの口まねで返答した。タッピーNsによるとさっき林なんたら先生のTV番組で「殺人インフルエンザ」がテーマになっていたせいではないかとのこと。「あんなに煽られて心配になったのよ」そっか。

医局で録りだめビデオを見ようとして7、8年前に録画しておいた「永遠のヒロイン・その愛と素顔 わたしを演じる孤独 〜イングリッド・バーグマン〜」を見た。彼女が最後に映画出演したスウェーデン映画「秋のソナタ」(冬のソナタではない)にまつわるエピソードが導入部で、そして生まれてから映画女優になってハリウッドで成功したのにそれには飽きたりずイタリア人監督ロベルト・ロッセリーニのもとに行き、結果今で言うW不倫の末再婚する話が後半だった。当時アメリカのマスコミや大衆からは非難の嵐を浴びるが彼女は全くぶれていなかった。7年後ハリウッド復帰しすぐにまた成功を収める。復帰の時に「後悔はしていなかったか」とのインタビューに「いいえ、全く」と言い放ったものだ。そう、この人は女優であることが人生の全てで、いい役を演じたいという欲求に忠実な人だった。以前のインタビューでも確か「私は年を取ることは全く気にしていません。ただそれにふさわしい役があるかどうかが気になるだけです」と答えていたのを聞いたことがある。「秋のソナタ」でも実は乳癌の術後で腕が上げられなかったそうだがそういったことはみじんも出さず演じきった。(母と娘の相克がテーマの↓「秋のソナタ」)
まさに女優になるために生まれてきた人生だった。

2018年1月15日月曜日

「ムーミン」問題

朝礼スピーチは前回同様好評だった。もともと写真の持つパワーに加えお笑いに徹したからだろう。みんな、ためになる話を聞きたくもあるが笑える話はもっと聞きたいってことだ。また来月もスピーチがありそうだが今度はどうしよう。柳の下にいつもドジョウがいるとは限らないとか逆に柳の下には二匹目のドジョウがいるとは言われるが三匹目がいるという話はあまり聞かない。そろそろ潮時、かもしれない。

昨日センター試験があって地理の問題でムーミンが出題され話題になった。新聞で見てみると、スウェーデン語やノルウェー語、フィンランド語が出てきて、一瞬「そんな言語知らないよ」と尻込みしたくなったが、じっくり読めば正解は分かった。
そもそも「ニルス」と「ムーミン」はTVアニメでやっていたのを見たことがあるが「バイキングピッケ」は全く知らなかった(カールは知っていた)。でもバイキングと言えばフィンランドではなくノルウェーやスウェーデンが本拠地なのは常識だから、バイキングピッケ=ノルウェーと分かり、残るムーミンはフィンランドだと分かる、言語は私はノルウェー語とスウェーデン語が方言の差くらい近い言語だということを知っていたので上のスウェーデン語に近いのはAでフィンランド語はきっとBだと推測した。で、フィンランドを選ぶ答えは「タ」と「B」となる。別にアニメを知らなくても分かる問題じゃないか。若干の推理力は必要だけれども。単なる知識だけで答えさせる問題でもなく良い問題じゃないの。

後で予備校講師の解説でも私が推理したのと同じ手法で解答を導いていた。ムーミンの背景に森林が描かれそれもフィンランドを匂わす根拠となるらしい。へー、そこまで読むか。まじめな試験問題もたまにこうしたアニメなどが題材に使われると楽しいネ。

2018年1月14日日曜日

決してキスはしていない

出水のスチョル先生のところに行った。先生は元日に当番医でなんと99人もの患者を診てそのうち60数人にインフルエンザチェックをし40人以上がインフルエンザだったそうだ。でその後知り合いの会合に出席したまでは良かったが先生自身がB型インフルエンザに罹ってしまったという。そして会合のホスト家族も次々にインフルエンザに罹り・・。まさにインフルエンザの脅威、きちんとワクチンを打っていても罹る時は罹る。ちなみにスチョル内科の看護師さんたちは誰も罹らなかったそうだ。

午後からはスライド作りに専念、「西郷どん」もチラ見で大まかなストーリーを追うだけ、サブアラドDrからの「ネット麻雀しないか」の誘いも断り集中集中。今度の青雲会職員の写真紹介はテーマを前回の「やばい」シリーズに加え「新人の頃」シリーズ「双子」シリーズ「ドクター」シリーズに分けて作った。「やばい」写真には私の今となっては恥ずかしいのを2枚披露することにした。これは2001、2年当時飲み会などのお遊びでよくやっていたもので、本当は触っていないのにおっぱい触っているように見える、キスしていないのにそう見える写真だ。これは人によっては「絶対やってるよね」と見られかねず、外そうかなと少し躊躇した。でも面白いもんね、結局入れることにした。(よく見るとキスの写真なんか唇よりも少し上で鼻にもかかっていて実際にはしていないことが分かる)


新人写真は忘年会写真とセットだ。初々しい写真の後に8ヶ月後の忘年会扮装写真を見せるとそのギャップに思わず笑いが出る。ドクター写真もキブンDrの「忘れたい過去」という忘年会扮装写真などで比較的新しい職員はこんな姿は知らないだろう。ふむふむ、まずまずの出来だ。少なくとも前回くらいの出来にはなった。でも、一通りスピーチ練習をして就寝したのは午前様。やれやれ全く疲れるわい。

2018年1月13日土曜日

「ファン・ジニ」ようやく完走

今日は1日休みだったので朝礼スピーチのスライド作りをした。作りといっても今日は録りだめビデオを見ながら、写真のピックアップだけで過ごした。先月のようなスピーチではいかに面白い写真を見つけるかに成果がかかっている。面倒でも2001年から写真を見直していった。

こういう時はその場から動けないし見ようと思って出来なかった録画番組を見ることができる。主にNHKBSの「ザ・プロファイラー」「アナザーストーリー」「ファミリーヒストリー」などだが、今日は10年近く前に録画していた韓ドラ「ファンジニ」をついに最後まで見終わった。全24話で18、19話くらいまで来てそれ以上見る気力を維持できず放置していたのだ。せっかく3/4くらいまで見たのだから完遂したいよねえ。2007年の韓ドラドハマリの頃はこんなのは1週間もかけずに見終わっていたもんだ。「ファン・ジニ」は李氏朝鮮時代のキーセンを扱っていて映像美が見事だがストーリーでぐいぐい引っ張る力が弱い。
前半の男主人公にまだブレイク前の「チャン・グンソク」が出ていて(左下)非常にかわいらしい。そのままでも十分なお顔だと思えるがいつの間にか鼻が高くなり顎も突き出てきている。ファン・ジニに話を戻すと見終わったら毎回10点満点で作品評価をするが6点にした。私の中でこれはかなり下の評価だ。それはいつでも見られたのに一気に見続けることが出来なかった作品だという点に尽きる。10点満点のは寝食を忘れるくらいドハマった作品に限られ最初にハマった「冬のソナタ」以下4作品しかない。最近は韓ドラを見なくなり年に1作2作見るくらい。ただ質が落ちているかというとそうではなく見る側の私や世間が変わってきたせいだろう。何かのきっかけでまた面白い韓ドラに出合いたいものである。

2018年1月12日金曜日

「やばい」が「見れる」

朝刊の広告に改訂されるのは10年ぶりという「広辞苑第七版」がでかでかと出ていた。注意を引くように「新しい広辞苑は、やばい。」とのこと。「やばい」は「危ない」の意味でずっと俗に使われてきたが最近は肯定的な意味でも若者を中心に使われてきている。広辞苑も良くなって若者にも注目して欲しいという意味を込めたなかなかのコピーライトだ。

でも、その「やばい」の語釈について「②のめり込みそうである」とあったのにはあれ?と思った。
確かにそういう意味なんだが、もっと単純に「すごい」の意味で使っている気がする。私は先月の朝礼スピーチで「青雲会 やばい 人々」というタイトルで話した時に「やばい=すごい」の意味だとみんなの前で言っちゃったしな。まあ言葉って生き物で新しい言葉も出てくるし廃れて死語になるのも多い。「やばい」のように反対の意味すら出てくることもある。

私が気になるのは「ら」抜き言葉だ。TVでのインタビューを聞いていると半数以上の人たちが「見れる」「食べれる」「来れる」と言っていて字幕ではきちんと「見られる」「食べられる」「来られる」と訂正して出てくる。私は知識がないと思われるのが嫌だからきちんと「ら」を入れてしゃべるようにしているが、特に「見れる」などはそっちの方が言いやすいし意味も問題なく通るしで、そろそろ辞書に載せてもいいんじゃないかと思っている。まあ昨日の結婚式の話題でも30年一昔で、あと30年も経てば「見れる」は市民権を得て辞書に乗り、さらに30年経てば「見れる」が正式な表現になるかもしれない。「やばい」も30年ほど前から②番目の意味が使われるようになって来たということだしー。

2018年1月11日木曜日

朝カラさんの入籍

朝は雪の影響が気になった。しかし団地には雪は積もっていない。これなら高速も大丈夫だろう。走らせると吉野付近は雪景色だった。
同じ鹿児島市内でも少しの高低差で違いが出る。特に問題なく姶良まで着けたがプリウスのセンサーは雪で汚れて感知不能になった。
これを見て将来自動車会社は完全自動運転をうんぬんしているらしいが大丈夫かいなと思った。センサーがちょっと汚れると不能になるようじゃ命預けられないぜよ。

今日は医局の医師事務作業補助者の朝カラさんは休みだった。実は今日入籍をするということだ。入職して5年以上、いつの間にか彼氏が出来て結婚かあ。彼女が朝礼で最初の挨拶をした時、不安と緊張に満ちた表情でそれをに私は写真を撮っていた。それを見せると「確かにその時は怖かった」と言っていた。よし、その写真を今度のスピーチで使おう。聞けば外来のチェリピアNsも今日入籍するとか。111というのが並びがよくて選んだのだとか。へー、私らのころは入籍日なんて気にもしなかった。そういうと朝カラさんは驚いていたナ。私にとっては結婚記念日は結婚式を挙げた日であって、入籍日は新婚旅行後新生活が始まってそろそろ提出しなきゃと日曜日に役所に行っただけのこと。正確な日付は覚えていない。

今は先に入籍し式は何ヶ月、1年も遅れてするカップルが増えている。最近は「できちゃった婚」や「授かり婚」カップルも3割ほどにもなるそうだ(ちなみに本日入籍の二人はそうではない)。法律的には入籍が一番大事なんだけど、あの頃は世間様に披露するという事実が大事だった。だから式にも親戚や関係者など何百人も呼ぶのが当たり前だった。式での仲人依頼が1%にも満たないという現状をみてもここ30年で結婚に対する意識がかなり変わってきたと実感する。30年といえば自分らの親世代はどうかというと恋愛結婚より見合い結婚が多かったそうだ。30年も経つと結婚に対する意識は変わってくる。朝カラさんの子ども世代になるとまた変わってきて彼女が戸惑うことになるかもしれないな。

2018年1月10日水曜日

初投げは・・

いやー、今日は外来担当日で夕方までに5人も入院させるとは。高齢患者がほとんどで肺炎、心不全、喘息、意識消失などなど。この時期にしてはベッドが空いているというタイミングもあった。下手すりゃもう1人入院の6人だった可能性もあった。肺炎疑いの入院依頼だったが、看護師の「先生、インフルエンザかも」とのアドバイスを受け調べたら見事インフルエンザBで処方出して帰ってもらった。それにしても多すぎやせんか、とぼやきつつ全員入院指示を済ませられたのは18時を過ぎ、19時からのボウリング初投げにT-MAXに出かけた。

メンバーはアンドキサMRにサンシさん。今日はT-MAXのイチマルデーで1ゲーム100円の日だった。いつもは混むしレーンは荒れるしなので避ける。でも明後日串木野での初投げも控えていて練習する必要あり今日しかなかった。心配だったレンコンは意外にもたっぷり入っていて特に中央付近はそんなに曲がらない。で、アウトサイドを攻めるとよく曲がるが動きが大きくなりすぎてスコアが安定しない。7枚目から10枚目付近を上手に通すとストライクが出るんだがそこをうまく投げられない。170くらいしか出なかった。

サンシさんは200アップするなど最近の好調ぶりを持続していて、もう一人のアンドキサ君は4ゲーム目にえらい調子良く10フレ迎えて200アップは間違いない場面だった。ところが3ピン残りのスペアを前にガチガチになった。なんと次1本もかすらずミス、出たスコアは199。おいおいこれくらいで緊張してどーすんの。「いやー、200アップかぁーと思ったら急にドキドキして」だって。そういう時に力を抜いた振り子スイングが有効なんだ。日ごろ力を入れてスイングをしているからこうなる。ま、彼より低いスコアの私が言うのもなんだけどネ。

帰宅してスピーチに使うぼちぼち昔の写真をチェックし始めた。しかし仕事にボウリングに疲労は隠せずいつの間にか寝入ってしまっていたのは想定どおりの事態だった。

2018年1月9日火曜日

シマッチ院長の朝礼スピーチ

連休で睡眠タイムがばらばらになっていて体がなまっている感じだ。朝礼はシマッチ院長でドラマ「陸王」を題材に印象深い台詞(特に役所公司扮する宮沢紘一社長の台詞)を取り上げ、職員に熱い気持ちを語っていた。

池井戸潤原作のドラマはわかりきったパターンが多いけれど見ていればつい自分も熱い気持ちになりがちなんだよなぁ。そしてバックにはLittle Glee Monsterの「Jupiter」が流れているんだ。

ふむふむ、この手の朝礼スピーチがあったか。来週はまた私の番だ。ついこの間したばかりなのに・・。テーマは前回の続編。青雲会病院の職員の昔の写真をもとに語りを入れる。前回あまりに好評だったんでね。でも、うー、まだ準備出来ていない。そろそろ取りかからねばならないのにまたギリギリを待っている。ギリギリが来ないとどうしてもスイッチが入らない癖はいつまでも治らないわっ。

2018年1月8日月曜日

ラグビーが熱かった頃

雨の中、カールとやばかた屋のバーゲン黄札市に行った。冬物のシャツを買うためで、いくつか見て回った後、TOMMY HILFIGERのに決めた。のみならずそこに置いてあったカジュアルトートバッグを買うことにした。リュックのように背負うことも出来るし、ちょうどパソコンを入れるバッグがへたってきていて買わねばと思っていたところだった。色がカーキ(モスグリーン)とブラックがあって私はブラックが無難でいいのかなぁと思ったらカールが「絶対にカーキがいい」って主張した。店員も「カーキの方が売れています」と。へーえ、そんなもんか。私はこの手の審美眼に自信がないので素直に従った。3割引でまあ妥当か。(後で調べるとネットでも同じ値引きだった)

このあとどこにも寄らずに即帰宅。バーゲンだからといって無駄買いはしない。今日は冬の球技の決勝が多かった。高校ラグビー、サッカー、女子バレーなど。でも私が見たのは録りだめビデオでの1985年のラグビー日本選手権「新日鉄釜石対同志社」だった。これは2年前に平尾誠二が亡くなった時に追悼の意味で再放送がされ録画していた。釜石の松尾と平尾がアナを交えて対談しつつゲーム映像をふりかえる形式だった。私は学生時代に松尾の「勝つために何をすべきか(1983年)」という本を読んで感心したことがあって彼は単なるちやほやされただけのスター選手じゃないなと分かっていた。
対談でもきちんと内容を外さず平尾に話し平尾は平尾で実績では松尾に勝るとも劣らないのにきちんと立ててそれこそ誠実に話しを受けていた。高校(伏見工)、大学(同志社)、社会人(神戸製鋼)と優勝を経験し日本代表の監督まで務め、まさにラグビーの栄光人生を歩んでいたが53才の若さで胆管細胞癌で亡くなったのが惜しまれるねえ。

このゲームで松尾がドロップキックを失敗するのに対し平尾が決めるシーンが世代交代を象徴していると言われたし、松尾自身も「松尾引退だぁ」と自虐コメントを言い放って笑わせていた。ただこの試合松尾は怪我で試合に出るのもままならず2週間以上も全くの無練習で周囲の説得で試合に臨まされていたと知った。で、結局この試合を最後に引退を発表する。私は医師国家試験を前にしていたがそれでも生中継を見ていたくらい当時のラグビーは人気があった。この前の年は高校ラグビー決勝戦でも天理対大分舞鶴で最後舞鶴キャップ福浦孝二のゴールキックが決まれば両校同点優勝という場面は今でも思い出す。結局外れて舞鶴は久々の優勝を逃してしまう(この場面は松任谷由実の曲「ノーサイド」のモデルになったとも言われている)。キャップはその年オープンする鹿屋国立大学の推薦入試日と決勝日が重なってしまい試合出場を優先するというサブストーリーもあったのだった。

さて来年はラグビーW杯の日本開催の年だ。日本代表が強くなり社会人リーグも学生も人気が出て欲しいものだ。サッカーもラグビーも同じフットボール、ともに熱くなるスポーツやしっ。

2018年1月7日日曜日

「西郷どん」始まる

(また朝礼スピーチが入っていてそれにかかりっきり。日記まで手が回らず明け方になってしまった・・)

今年初めての麻雀がいつものところでいつものメンバーで昼過ぎから始まった。夕方になるとBSで「西郷どん」の放送を見ながら打った。ジャラジャラという音にかき消され台詞がよく聞き取れないと思ったが、後で聞くと子どものケンカなど鹿児島県人でも分かりづらかったようだ。島津斉彬と子どもの西郷が野原で出会うというのは史実からすれば絶対にあり得ないシーンだが、後に西郷が斉彬に心酔することを思えば作者側からは入れておきたかったのだろう。

そんなTVが気になる状況に私は親でこっそり国士無双を狙っていた。流したくても8種8牌でまともな手作りもできそうにない。中張牌を滅多切りしているとなんと12種12牌まで来た。残るは東だけだ。もし次に東が来たら13面待ちになるしどの么九牌が来ても国士聴牌だ。で、白が来て東待ちになった。できたらトップ目の見せたまえDrから出て欲しいが・・。3ピンを私が切るとそれが見せたまえへのロン牌5200点の手だった。あーあ、やっせんかったでゴワスっ。このあと1回もトップを取れず今日は負けを覚悟したが最後の半荘でオーラス2位だったところ倍満をダイボDrから出上がりやっとトップ、ほぼチャラで終えたのは根性あった。

帰宅してビデオでもう一度「西郷どん」を見た。なかなかいいんじゃない?視聴率は「直虎」が悪かったし幕末ものはたいてい今一だからそれほどでなくてもよく作られている感じだった。また来週も見もんそ!

2018年1月6日土曜日

「せごどん」って言えない

土曜外来をする前に昨日から今朝にかけて入院をした患者二人を大松Drから引き継いだ。どちらも重症でそのうち一人は「おそらく1日もたないでしょう」と大松Drの記載にあったほどだった。昼過ぎには業務はなく帰ることもできたが「もう止まりそうです」との病棟からの連絡あり、しばらく待って14時過ぎにお看取りをした。

夕方、カールと外食に出た。当初はイタリアンを考えるも目指す店が予約取れずで珍しく「お肉が食べたい」とのカールのリクエストもあり中央駅のステーキANNにした。鹿児島黒毛和牛フィレ肉でカールはレア、私はミディアムで焼いてもらった。120gと170gでそんなに量が多いとは思わなかったがカールには少し多かったようで一切れ残しそれは私が頂いた。ふむ、焼き方はやはりレア気味の方が美味しかったかな。

明日からNHK大河ドラマで「西郷どん」が始まる。「せごどん」と読むのはもう知られているが作者の林真理子が発音する「せごどん」が「せ」にアクセントがありこれはすごく違和感があって西郷さんどころから別人のよう。まるで「テポドン」に聞こえるとは以前西郷さんのひ孫の西郷隆夫氏が言っていたとおりだ。それをカールに言うと「じゃー、せごどん?」とこれまたアクセントとイントネーションがおかしくて違うんだよなあ。鹿児島で育ったものならば普通に言えるのだが他県出身者には相当難しいようだ。はたしてドラマでは出演者はうまく「せごどん」を言えるのか。主役の鈴木亮平も今日の番宣で「さつま言葉が難しく毎日指導についてもらっている」といい、「翔ぶがごとく」で西郷役を務めた西田敏行もひたすら(練習を)繰り返したと述懐していた。さすればかなり自然にさつま言葉が出てくるようになると。

前にも書いたことだが、なぜか他の地域発ドラマではそこの方言にはこだわらないのに鹿児島弁(さつま言葉)はそれを使わねばならないというお約束がドラマ業界にはあるようだ。3年前の「花燃ゆ」ではついぞ長州弁は聞かれなかった(使っていたかもしれないが共通語に語尾だけそれらしく言いつくろっただけ)。本気で鹿児島弁で通せば字幕が必要なほどだし聞きやすくすれば本当とは遠くなってしまうでさじ加減が難しかろう。ともかく明日からの大河ドラマが楽しみではある。

2018年1月5日金曜日

持ち主はアミヤン

朝、医局にいたらアミヤンDrがやって来て「この前こてるのプリウスの目の前に止まっていた外車に気がつかなかった?」と言ってきた。気がつかないもなにも写真にまで撮って日記にもアップもしたわ。「あれ、オレの」とアミヤン。へー、それは思いもしなかった。非常勤当直にくる大松Drの車かなと思ったが、彼の雰囲気からしてやや考えにくく、だとしたらいったい誰のだと思っていた。アミヤンのなら分かる。2年くらい前から外国製の車を買いたいと言っていたし、「嫁はんの許可ももらったしなー」とも聞いていた。だが彼は車をいつもは別の駐車場に駐めるので思い至らなかったのだ。
彼はBMW i8を私の車をにらむように駐めて注意を引きたかったらしい。ところが何にも反応がなのでその日の外来担当のタッピーNsによると「こてるって車に興味ないんかなぁ」とぼやいていたらしい。そんなことないって。で、彼の車の話を聞いたのだが驚くことばかり。まずボディカラーは本当は白で少し黒も混じっていてそれだと結構目立つのでガンメタに塗装し直したんだそうだ。ガルウイングだし、目立ちたいからこの車を選んだと思うが、目立ちたくないとのことだ。よくわからん。
しかも沖縄まで送ってクリーニングしなくても褪せないやつらしく総額70万はかかったという。げげっ。「車自体いかにも高そうだけど2千万くらいはするんじゃない?」と言うと「ふむ」と敢えて否定はしなかった。しかも驚いたのは「実はイタリア車のマセラティグラントゥーリズモも買った」だと。「エンジンはフェラーリと同じやつだ」と聞いてもうあわわだ。
ただその車は彼が乗るわけじゃなく親戚のDrに上げるものだとか言っていたがいったいどこからそんなお金があるのか、いや例えあっても自分はそんな使い方はしないから非現実的でにわかには信じられなかった。アミヤン曰く「いやー、某病院経営者の〇〇先生には感謝しているわ」と言い「なぜなならその先生に給与を一部カットされたおかげでなにくそとあちこち仕事に精を出しお金を稼ぐことが出来たからナ」だって。へー、確かに昼も夜もあちこちの病院に行って頑張っているのは見聞きするけれどそうやって浪費(私に言わせれば)してまた頑張るというのが彼の仕事スタイルか。私にはとても真似できない。

帰宅してカールにこの一件を話しすると、「即、離婚だわ」と一刀両断。そりゃそうか。浪費ぎらいのしっかり者にはとうてい我慢ならないやろな。その点私とは意見はまずまず一致する。アミヤンにはアミヤンに合った奥さんがいて世の中はうまく回っているわけだ。

2018年1月4日木曜日

未開封の情報提供書

仕事始めの今日は確か去年は割にヒマで昼寝も出来た・・と「こてる日記」にはあった。それを知っていたのでお気楽気分で仕事に就いたのだが、たまたま救急ピッチ当番だったこともありこれがまた忙しいのなんの、顔面挫創、呼吸困難、意識消失後心肺停止とどんどん重症の患者が運ばれて来るじゃない。呼吸困難の患者は胸部CTでびまん性に粒状影がありすわ結核かと疑うもどうもそれじゃなさそう、しかしあまり見ない所見ゆえに治療に自信がなくサンキュー病院に電話したらなんと受け入れてくれ助かった。

心肺停止患者は当然気管挿管に心臓マッサージ(胸骨圧迫)と頑張り一旦心拍再開したので今ぞとばかり頭部CTを指示した。というのも入所していた施設職員から「この方は大きな脳動脈瘤がある」という情報があり、くも膜下出血が大いに疑われたからだ。で、結果は案の定そう。しかも瘤は3cmを越える巨大なものだった。CT室を出たらまた心停止したため心臓マッサージに強心剤を注射し、この間に家族が来て私は状態を説明し「またすぐに心臓は止まるかも」と救命は期待出来ないことを伝えた。すると、家族は半年前の8月に近くの脳外科クリニックから受け取っていた未開封でかつ病院無指定の情報提供書を差し出した。

中身を要約すると「この人は大きな動脈瘤を持っていて意識を失うような事態になったらSAH(くも膜下出血)を起こした可能性が高い。その場合、本人、家族は積極的な治療は望まれていない。それに急死していた場合は本当にSAHによるものかもしくは誤嚥によるものなどの可能性を否定できずその場合はCTによる検死(死後CT)が必要になるかもしれない」とあった。ほう、まさに今日の事態を想定していたかのようだ。

ならばと、心拍再開後は人工呼吸器で静観していた。また心臓は止まるかもと思いきや、一向に心停止する兆候はなく入院させることになった。頭の出血がなければ心臓は丈夫だったろうに。で、今夜は当直だったのでいつでも対応できると構えていた。結局、明け方6時台に永眠された。家族の一人は急いで鹿児島に向かっているとのことだったが「今、熊本あたりで」とのこと。うーんそれはとても間に合いそうにはない。家族すべては死に目会わせられなかったがこれが精一杯だ。合掌。

2018年1月3日水曜日

すごい年賀状の中身とは

正月3日目も家の中でだらだら。寝正月とはこのことなり。

カールがヒトミンチョにもらったネコクッションの写真を送りたいのだがどうしたらいい?と聞いてきた。以前はパソコンへのメールに添付していたがアドレスが変わっているのかうまくいかない。で、電話でヒトミンチョのスマホのアドレスを聞いて添付しておくってみたが跳ね返されてしまった。これは迷惑メール対策のためでよくあるパターンだ。ならばLINEの中でやりとりしたらいいだろうと電話番号が分かっているので友だち申請だかいろいろとやってみたら・・。どうやら記録してある電話番号にパァーッと拡散したらしく何人かから承諾やら返信やらが返ってきた。高校時代の同級生で同窓会以外では合ったことのない彼や中には何かの会合で挨拶しただけで名前だけ知っている社長さんからもー。冷や汗もので慌てて設定を制限することにしたわ。

元旦に届かなかった年賀状も十数枚届き、中には宮崎のフクちゃんDrなど2枚も送ってきたケースもあった。おそらく100枚以上も作っているだろうからこうした間違いも起こるやろな。でも悪い気はしないね。
カールがネットをしていて「うわーっ」と声を上げた。「見てこれ」というから何事かと思いきや、「今年、すごい年賀状が届きました」のタイトルである人がネットで意見をしていたというのだ。ほう、どんな年賀状が気になるがー。実は2013年1月4日のことで去年の年賀状の使い回しだったというのだ。↓クリックすれば拡大します。
「まるで私のことだわ」とカール。あはー、年賀状が不足気味なっていたところ、掃除していたら一昨年の年賀はがき4枚が見つかり「来年から10円増しにしないと使えないからぜひ使って」とプリントを頼まれた。その後カールは当選番号部分を消して年賀の文字も入れシールまで貼って「どう?私ってすごいでしょ」と自慢すらしたのだった。
「それにしてもー」とカールがいうには「そんな年賀状のことくらいで縁を切るくらいの感想を抱くなんて、私がもしこんなのをもらったら『なんて賢いことをするのっ』って思うくらいなのに、人っていろんな感じ方があるんだね」と。不要になった年賀状の使い方は懸賞はがきに使ったり郵便局に安く買いもどしてもらったりいろんな活用法があるが無駄をなくすためにもこれくらい許されると思うんだけどなあ。
「こんなに非常識な方々とはこの先関わりたくないです。と思うのは、私だけでしょうか?」とのこと、あなただけであって欲しいと思うのは私だけでしょうか?

2018年1月2日火曜日

新春2日目

正月2日は箱根駅伝をTVで掛け流しながらだらだら過ごした。駅伝は意外にも東洋大が首位を快走していた。ネット情報では新しいタイプのシューズを導入してからいい感じらしい。ひょっとして「陸王」?だが「陸王」とは違い厚底タイプでナイキ社のヴェイパーフライ4%というものとのことだ。この間のマラソンで大迫傑選手が履いていたものもこれで一気に注目を浴びそうだ。なんだかほんま「陸王」の世界そのものだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/202761

それよりも長らくPリーグのビデオを見ていなかったのでそれを一気に見た。古株、新人などみんなレンコンの難しい川崎グランドボウルに苦慮している。その中でバックアッパー投法(右効きだが左投げと同じ軌道)の岩見彩乃が急に絶好調になり優勝までしたのは驚いた。力学に反するような投げ方でも一途にやっておれば力を発揮する「信念なき正統より信念ある我流が勝る」という故米長邦雄の言葉を思い出した。よく見ると、岩見はいろんなボールを投げ分けてはいるが勝っている時のボールはブランズウィックのネクサスシリーズでこれは私が使っているマスターマインドと近い材質で親近感を覚える。(↓)

あと1年間追突事故の影響で休んでいた山田幸(ゆき)。久々登場なのに第70戦ですぐに優勝してしまった。プロになったばかりの22才なのに公式戦でもすでに2勝しているので勝ってもおかしくはない。それよりPリーグDVDの宣伝に出た際の写真でかなりおっぱいがでかいのにびっくりし注目してしまった。
最近はおっぱい星人でもないなと思っていたのに、40才過ぎた酒井美佳も意外におっぱい大きいなというのを今回のビデオで発見し投球よりそっちに目が行ってしまうなど女性にとっておっぱいは強力な武器だと再確認したわ。
昼ご飯のあとはセージを空港に送り、帰りは護国神社に初詣に出かけた。いつもは元日の夜に行くのでこんな真っ昼間に行くのは珍しい。参拝客が多いため臨時駐車場に駐めて神社まで歩いた。夜は振る舞い酒も獅子舞もなく初詣客もそんなに多くないのだが多少列に並んでも初詣は人が多い方がいいね、らしさが違う。お祈りして帰ろうとすると今きれい病院のワコーDrファミリーとすれ違った。さっそく新年の挨拶をし写真をパチリ。すみませんねえいつもの癖で。ハハと笑ってくれていた。

帰宅するとゲンちゃんがヒトミンチョにもらったクッションで休んでいてこちらをチラ見し無関心そうにあくびをしていたヨ。

2018年1月1日月曜日

2018年元日

明けましておめでとうございます。今年もよろしく。

寝たり起きたりしていて「ガキ使」をビデオで見続け明け方見終わりまた寝入った。それで起きたのは10時を過ぎていてすでにお節料理もあり年賀状も届いていた。で、例年11時ごろには田舎の実家へ向かうのだが少しぐずぐすしていた。というのもセージのiPhone8が届きそうだったからだ。明日には鹿児島を離れる予定だったのでどうしても今日きちんと受け取っておきたかった。しかし12時を過ぎ、さすがに遅すぎると気になりつつも出かける準備をし車に乗ろうとした時にクロネコヤマトの車が自宅前に駐まった。ふー、ぎりぎり間に合ったよ。

高速に乗る前に同じ団地内のクニンダDrの新築家に寄って切手なしの年賀状を投函した。彼から届いていたが住所を知らず出していなかった。値段も早さもこれでよい。指宿スカイラインは山田料金所がついにETCが導入され値段も少し安くなった。便利だが本来は無料化をするはずだったのに財源確保のためにそれは先延ばしになっているらしい。開通したのは私が小学3年の時で丸50年にもなろうとしている。調べると山田料金所の収入は大きく今後25年もまだ取り続けるんだって。これについては下鶴隆央県会議員の以下のページに詳しい。
http://shimozuru.blog.fc2.com/blog-entry-715.html

でもこの後私たちの利用するのは南薩縦貫道だ。こっちは高速なみの道路なのに無料で走りやすくしかもアクセスが早くなり、実家に着いた時セージが「早いね」と驚いていた。もっともあこネーサ母には「遅かったがー」といきなり言われてしまったけど。結婚して1年経ったアサちゃんはさっきまでいたそうだが入れ違いになってしまった。甥のデンタル君も不在でセージとアキちゃん、ヒロヤン君、弟のヒラーキが恒例のトランプの大富豪を楽しんだ。私は昼寝でこれもまた恒例。あこネーサは「鹿児島にいたときの向こう住まいのキリタンばあさんを覚えているか」と言うので「覚えているよ」と返事すると「もう呆けていてね。何度も電話が掛かってきてはー同じ話を繰り返して・・」と辟易する表情だった。私はにやにやして「そうな」「でしょうね」と。これにカールもチエコンさんも苦笑い。私たちが母に対して抱いている感想といっしょだとは言わなかったけどね、当然。

このあと墓参りに行き、ヒトミンチョ家に寄った。ここもさっきまでトシ登り、フサンコ、ヨカトモの兄弟、一家がいてにぎやかだったらしいが入れ違いでいたのはヒトミンチョに姪のヒカル姫の二人だけだった。毒舌で有名なヒカル姫は「そこのソファ、まるで押し寿司だったわ」と的確な表現で私の出した年賀状も「ああ、あのくそコラ(くそみたいなコラージュ)・・」と一刀両断だった。いやはや。そうそう、先月日記ネタにしたフサンコ画伯の新聞記事を見せてと頼んだ。県美展かと思っていたら南日美展だったそうで絵を始めて数年だというのに顔写真付きで新聞にも紹介されるとは驚きだ。今回のすれ違いがちと悔やまれたわ。
後はネコ談義で日ごろは人が来たら引っ込むあずきちゃんが出てきてヒトミンチョが驚いていた。夕食時間だったからかな。これも遅く訪問したせいだったかも。
帰りはすでに暗くなり始めていて空にいつもより大きく感じる月が出ていて写真に撮った。
あとでスーパームーンだったと知った。そんな知識はなくとも分かるほどで知覧を通る時も茶畑を背景にきれいで季節は違うがおぼろ月夜の世界は田舎でなくちゃと思った。

帰宅後は食事の後、テレ朝の芸能人格付けチェックをビデオで見た。今回の目玉はX JAPANのYOSHIKIか。GACKTと組んで危なげなく全てを正解した。当てずっぽうではなくしっかり分かっているようで分かる人は分かるんだ。最後のハマちゃんの不正解ぶりとの差が際だっていた。また、YOSHIKIは空腹だったらしくそこにあったせんべい御菓子をポリポリすること10回以上で問題&解答以上に目立っていたわ。これ以外の正月番組はほとんど見ず、この後は去年のビデオを消費するために寝たり起きたり・・が続いたのだった。