2017年10月31日火曜日

「複数の死体」

風邪のだるさがひどく疲れが残った。午前中胃カメラ、昼休みに大腸内視鏡を2件ほどして午後は早帰りした。体調もあるが土曜勤務の代わりでもある。高速の運転が眠さとだるさできつかった。帰宅したらすぐに布団に直行。カールが「さっき部屋に入れたばかりだったわー」と干した直後でもうふかふかのぽっかぽか。暑すぎて体半分外に出したくらい。

で、仮眠を取って元気になればよかったのだがそれほど戻らなかった。ボウリング練習も今週はキャンセルだ。

それにしても最初のニュースで座間市のアパートで死体発見は「ふーん」と特に気にも止めなかった。その後「複数の死体」と報道され、それでも「複数ってどうせ二人でしょ、「複数の死体」と聞けばアガサ・クリスティーのめったにない駄作の「複数の時計(1963)」を連想するなぁ、ミステリーのタイトルとしては面白いかも」などとテケトーに思っていた。だがしかし、計9人の死体がクーラーボックスに仕舞われていたとは!捕まったのが白石隆浩という27才の若者で、これは快楽殺人か。自殺サイトがどうのこうのとあるが、死体の頭部を手元に置くのは殺した時の快楽をまた思い出すためにその手の殺人者がよくやる行為だ。何がきっかけでそうなったかは分からないが殺すときの快感は性的な快感と同じで脳の中で近い部位に二つはあると聞いたことがある。

これだけ不特定多数の女性を殺すには有名なアメリカのテッド・バンディや日本の大久保清など以前なら車であちこち嗅ぎ回りその痕跡が残りやすかったが、ネットで募り自殺願望の女性を口車よろしく呼び寄せて殺しまくる、まさに今の時代ならではの殺人事件だ。この犯人、いろいろ言い訳や理屈を言うかも知れないが、殺人することで麻薬などと同様に快楽を覚えてしまい止められなくなったというのだけは間違いないと私は確信している。

2017年10月30日月曜日

鬼門の通信教育

朝起きたら風邪を引いているのが分かった。体がだるい。先週からカールが風邪を引いていたのでうつったのかも。

夜、たまたまつけていたTVで美文字対決というのがあった。お題の言葉をボールペンで書き点数化しチャンピオン(女性)を決めるというもので、その採点者の講師が中塚翠涛(なかつか・すいとう)という女性だった。著作の「30日できれいな字が書けるペン字練習帳」がベストセラーになっているという。まず、女優、タレントなどが事前に書いたものを誰が書いたかは知らせず添削する。その指摘がなるほど〜というもので私もすぐに近くの紙切れに真似て書いてみた。「ここがポイントです」というところに気をつけると確かに少し字がきれいに見える。ベストセラー本もamazonでは617円とそれほど高いものではない。思わずクリックしてしまいそう・・だが、躊躇した。遠い昔の黒歴史を思い出したからだ。

中学生当時、字が汚くきれいになりたいと思ってボールペン習字の通信教育を親に頼んで申し込んだ。でかい教習本が届き、手本となる文字が印刷されさっそく練習を始めたが・・1日か2日でその後まったく手を着けることなく書いたものを送ることもしなかった。習字に限らず通信教育は私にはどうも向かない。小学生の頃は育英社という業者が四教科のそれをやっていて1年くらい続けたのかな、私にしてはよく続いた方だが後になると先月分を送っていないのに今月分が届くという事態に陥り辞めてしまった。趣味である囲碁は20年くらい前、工藤九段の評判のいい通信教育教材がありそれも1回も解答を送ることなく終わった。勉強でなく好きな趣味ですら続かないのならきっとダメで、好きな時間に自分のペースで勉強ができる通信教育は私には向かないものと自覚し、それ以降何も手を出していない。

そのベストセラー本は通信教育ではないが、中学生のころほどきれいな字が書けないと困る場面がかなり減った。言うまでもなくワープロ、パソコン、ネットの普及が大きい。このブログも手書き文字だったら誰も読まないだろう。いい時代になったものである。

2017年10月29日日曜日

フジTVの勝利か

プロ野球は日本シリーズが始まった。第1戦は麻雀しながらだったのできちんと見ていなかったがソフトバンクの大勝だったのでまあよかった。今日の第2戦はじっくり観戦した。立ち上がりこそ1点を取ったが横浜DeNAの左腕今永がよくてソフトバンクの各打者は翻弄されていた。そして追加点が取れないまま6回には東浜が打たれ、抑えの森もホームランを打たれ1ー3と逆転されてしまう。7回裏にソフトバンクはやっとチャンスをつかむ。柳田がヒットを打ち1点入れ、次に今宮が打席に立つ。初回は同様の場面で彼は犠牲バントをし結果1点をもぎとっている。でもここでは強攻策に出た。振り切った打球はしかし2塁ゴロ。ところがここで横浜は2塁手がミスし(ダブルプレーをあせったか)、今宮は1塁に生き残った。デスパイネ三振で続く内川は四球となり2アウト満塁だ。続く5番中村晃が値千金のライト前ヒット!これで同点だ、あれ、今宮が本塁に突っ込んでいる、間に合うか。ヘッドスライディングするもアウト!!うーん、残念。でも同点だ、きっとやれるゾ。

この後、工藤監督がビデオ判定を要求した。うん、やれるだけのことはやっていた方がいい。ビデオ再生をみるとほぼ同時に見え、それなら審判のコール通りアウトだろう。そう思って画面をみていた。でもなかなか判定結果が出ない。今日のTV中継はフジTVでこれがなかなかよかった。もう一度見たい場面の再生は角度が360度ぐるりと動き非常にわかりやすくかつ面白かった。いったいどのようにしてあんな再生が出来るんだろう。後で知ったが「リプレイ映像を流す際、約120台のカメラを駆使した多視点リプレイシステム4D REPLAYを導入した」とのことだ。何と120台ものカメラを用意していたとは!だからあんな映像ができるんだ。いや感心。でもよかったのはそれだけではなかった。審判団のビデオ判定結果が出て、意外にも「判定は・・セーフ!です」に球場もTV桟敷も一斉に歓声(あるいは悲鳴)が沸いた。ほんのわずか今宮の手がベースに付いているとフジの画像で分かったそうだ。えらい!フジTV。最近は何かと批判されたりし落ち目のフジだがこの調子ならきっとまた日の目を見るぞ。この後ソフトバンクは盤石の抑えで4ー3のまま勝利した。(↓上の画像だと今宮のアウトに思えるが、下の写真が決定的でコンマ0.01秒くらいの差で先にベースにタッチしているのが分かる)


今では人間の力だけではスポーツの試合も成り立たない時代になった。

2017年10月28日土曜日

ただでは終わらない

3週間ぶりの麻雀はひさびさに私の友人の歯科医ジャズ魔を迎えての対戦だった。後のメンバーは私、サブアラド、見せたまえのいつもの面々だ。ジャズ魔は以前はフリー雀荘でたまに打っていたが最近はそのフリーそのものがなくなりこの1年ほとんど打っていないという。「雀荘『真っ赤』のフリーがなくなった?それじゃセットの客だけが相手なの」「いいや、近頃は麻雀教室をやってその客が多い」んだそうだ。あ、それは聞いたことがある。年配の人相手に教室開いて「賭けない・飲まない・吸わない」のクリーンなイメージで素人相手に麻雀を楽しんでもらうという方向で「健康麻雀」と称している。ギャンブル好きな客のフリーよりはよっぽど健全だな。

ただブランクがある雀士は、私たち3人を相手にするとたいてい前半戦はどうしても乗り切れず負けが込む。かつて鹿児島県麻雀選手権優勝の実力者ジャズ魔にしてもしかり。3位、2位、ラス、ラスときて5半荘目にようやくトップを取ったがその後またラス、ラスと調子が上がらなかった。対して私は好調。このところネットでも好調で今日も負ける気はしない。半荘8回を終えたところでそろそろあと何回するか、半荘1回か2回か。負けが込んでいるジャズ魔の意見が優先だ。「別にあと1回でもいいよ」と見せたまえDrは気を遣ってくれたが結局後2回で締めとなった。


で、次の半荘はジャズ魔はマイナスの3位。うーん、せっかく久々来てくれたのに今日は負けだねえ。さあ、ラスト半荘。日付も変わって疲れも出てきた。一踏ん張りしよう。南場に入り私は2位。トップ目は見せたまえで逆転を狙うべく面前チンイツ一向聴になっていた。これを聴牌、上がれば逆転トップだ。と、12巡目、「ツモ!」と不意にジャズ魔が上がりを宣言した。うん、なに?「四暗刻!」ゲッ!私も大物手だったがジャズ魔はもっとだった。この上がりは本当に大きい。トップになったばかりでなく私のルールでは役満賞も付く。これまでの負けの半分以上を取り戻しごく普通の負けに収まった。最後にきて愁眉を開き、破顔一笑、ただでは終わらないさすがの雀士っぷりだった。

2017年10月27日金曜日

歓送迎会は芝生の上で

昨日は空港から病院へ帰った後の夜、医局の歓送迎会が恒例の青雲敷地内のイタリアンレストラン「ザ・ハート」であった。4月、5月、10月に来たDrたちの歓迎と9月でローテで大学病院に帰ったDrと時期はまちまちだが一挙に行われた。19時に行ってみると店内に青雲のDrたちが誰もいない。あれ?と思ったら何と店外の芝生にテーブルがセッティングされていた。まじか〜。これ、可愛いんだ理事長の提案だろう。理事長はなにかと外でやりたがるんだ。

私は今日の出勤から長袖にしていたが昼間暑いからと半袖のままにしなくてよかった。でも会の後半からはそれでも寒くなってきて、ハウスに戻り羽織るものを借りて後を過ごした。実は出席するはずのクニンダDrはたまたま居残り当番で救急患者を診てなかなか来なかった。本来の当直の大学非常勤Drが手術で遅れていたからだ。20時半ごろだったか救急車が病院に到着したのが見えた。まだ引き継いでいなければもう会には間に合わないんじゃない?21時過ぎても彼は来られず結局欠席になってしまった。何か悪いことしちゃったね。

帰りがけ、合い言葉DrとTVの録画システムでちょっとばかり話が盛り上がった。彼は大きな薄型TVに24時間録画ができるパナソニックのブルーレイレコーダーを駆使しているらしい。でも東芝のTVに直接録画して同じことができるのは知らなかったようで、ハードディスク記録についていろいろ質問してきた。私もパナのブルーレイを持っているがブルーレイレコーディングは1回か2回くらいしか利用したことがない。ほとんどがハードディスク録画だけで済ませているからだ。それでも全てを見切ることはかなわず徐々に蓄積され2T(テラ)の容量では足りず4Tを今は使っている。それでいいかな。昔VHSテープにいっぱい録画したのを屋根裏にまだ保存しているが10年近く見たことはないし今後も見そうにない。ブルーレイに録画してもたぶん見ないし録画の手間が面倒だ。一般の映画などは今はネット鑑賞があるし物理的な保存はやや時代遅れかと思う。あと、私も24時間録りっぱなしのタイムシフト視聴にしたいわ。時間が来るのを待ってTV桟敷にじっと待つってのは懐かしき昭和のスタイル、平成も末の今は好きな時間に番組表を見て選んで見る時代だ。ただそれもネットの進化でTVすら不要な傾向にある。時代はあっという間に進んでいく・・。

2017年10月26日木曜日

空港訓練、看護学生来たる

鹿児島空港での航空機事故消火救難総合訓練に私は今年で3回目の参加だった。今回の青雲会病院参加看護師は救急の日と同じ光鳥Nsとキコ様Nsでこのパターンは去年のネークチダ、ハムジン両男性看護師と同じだ。第一ゲートで事前申請の審査を受け、姶良郡医師会からヘルメットやジャケットを受け取り空港内に入る。会場に着くと、おーい病院の泣かん薗Drがいるのはいつものことだが、青雲会非常勤のアミヤンDrがいたのにはびっくりした。彼は今日は国分真ん中病院勤務でそこの院長先生が急遽行けないので代役で行ってくれと頼まれからなんだとか。他に以前青雲外科ローテで来ていたイムリンDrも七五調病院から来ていた。

この空港訓練はこの秋にある訓練でも一番大がかりで警察、消防、自衛隊も参加する。ドクターヘリもやって来た。でもこれは前々回、この前の救急の日でも写真で載せたので今回は省略だ。私たちはひとまず黄色トリアージのテントで活動し前回にも増して設定が細かく赤テントへの移動指示や怪我の処置など結構忙しかった。ただ1時間もするとある程度落ち着き、毎回怪我人、被災者役での参加のドラゴン桜高の生徒に、光鳥、キコ様はともにそこの出身ゆえに、トリアージ、処置をしながらも学校での悩みはどうのこうのと相談にも乗っていた。(↓)

帰りがけの車中で看護師二人に聞くと、看護学校の生徒は私が思っている以上に中途で辞める人が多いんだそうだ。特に専攻科に入る時などくじけて退学、中には自殺したという事例もあるとか。いやー、医学生ではまずあり得ない。光鳥Nsは「でも専攻科2年間は普通にやっていればどうにかなる。生徒には気後れしないように話をした」という。キコ様は妹のマリンちゃんが今、専攻科で「5階病棟に今実習に来てますよ。『こてる先生を見かけるとほっとする』って言ってます」とか。おや、それは気がつかなった。そういえば2年前の空港訓練で参加したそうだがその時も気がつかなかった。今度会ったらもっと安心させてやろう。光鳥もキコ様も姉、妹みんなドラゴン桜出身だ。専攻科を終わり青雲会病院に来るといつの間にかたのもしくなって今日なんか私よりテキパキと動いていた。最初は「私なんかとても」と思っても徐々に慣れて出来るようになる。私も医学生のころに空港で事故被災者のトリアージをやれと言われたら逃げ出したくなっただろう。でも今は出来る。少しずつ勉強や仕事を積み重ねればきっと出来るようになるんだ。

そんな話をしつつ、帰りがけに2年前と同じケーキ屋「盛るぞう三森」に寄った。そこでコーヒー飲んでケーキでもと思ったのに、前は小さな喫茶も併設されていたけど「昨年10月で喫茶ブースは止めました」とのこと。うむ仕方ない。それぞれ好みのケーキを買い、プリウス車中で食べて時間内に病院には帰還した。やれやれ。

2017年10月25日水曜日

溝辺、赤ソバ、いいところ

午後は早帰りを利用して溝辺町の生国さんのところを尋ねた。生国さんは私の外来患者で長く診ている。去年ごろから「溝辺には赤ソバの花がきれいな時期があるからその時はぜひいらして下さい」と何回か言われていて、今がまさにその時期と私の方から出向いた。ついこの間、南日本新聞にも「秋風にゆらり 赤ソバ見頃 霧島市溝辺」という記事が出たばかりだった。住所で検索した生国さんの自宅にナビでたどり着き、そこから生国さんの運転する軽トラに乗せてもらい、近くの赤ソバ畑に行ってみた。道すがら「赤ソバはきれいだけど収穫が白ソバより悪い」ということを教えてくれた。収益性だけなら植えることはなくみんなが見て楽しんでくれたらという思いで畑の主は植えているらしい。

生国さんは「ああ、本当はもっと花が立ってきれいに見えるんだけど・・」とこの前の台風で少し見栄えが悪くなっているのを気にしていた。いや、それでも十分きれいで周囲ののどかな田舎の風景と相まっていい気分だ。この後、新聞にも出ていた地区にも行ってみた。植え付け面積は先ほどより小さいが、ここは何といっても背景が素晴らしかった。遠くに高千穂峰、韓国岳と霧島連山が臨め、もしかしすると飛行機も写ることがある。ちょうど、写真撮影にプロカメラマンとモデルの女性も来ていて赤い傘を手に取り撮影中だった。そこを私も借景としてパチリ。ただでいい写真が撮れたよ、ハハ。

生国さんはこのあと、「特攻機慰霊碑があって空港が眺めるところです」と小高い丘に体育館や公民館がある上床公園に連れて行ってくれた。ここは十三塚原の旧海軍航空隊の跡地で、太平洋戦争末期に国分海軍航空隊第二基地として発足し、沖縄周辺の敵艦隊に対し特攻を敢行した所とのことで、慰霊碑は上床公園内の一角にあり、隣には飛行練習機が展示されてあった。
生国さんはそんな悲惨な話は一切せず「ここは春先になるともっと空気が澄んで眺めがいいところなんです」と季節がよかったらもっといいのにと残念がっていた。生国さんの家や畑あたりまでは私の出身の南九州市頴娃、知覧と似たところがあり、「田舎はどこもいっしょだな」という感想だったが、ことここに来ては空港に霧島連山とダイナミックな光景に「溝辺はなかなかいいところ」と感じ入った。

80才前の好々爺とのデートは夕方近くまでかかり、このあと高速で帰宅しようとしたが、どうにも眠くってこのままでは事故るかもしれないと心配になり桜島SAに入って仮眠することにした。駐車するところは他車にいちゃもんつけられないようなところに駐めてね。こんなところでトラブるのはごめんだ。3、40分仮眠しただろうか。目が覚めるともう辺りはかなり暗くなっていた・・。

2017年10月24日火曜日

憩室出血に勝つ

一昨日の大腸憩室出血患者の二度目の大腸内視鏡をした。予定通りではあったが、ことは急を要した。というのも朝から再下血し血圧が低下気味だったからだ。ただ内服の水様下剤で腸管洗浄はしなくてはならない。ある程度便がきれいになったところで大腸内視鏡を開始した。見れば新鮮血がいっぱいだ。今日こそは出血源を突き止め止血しちゃる。しかしあまりに血だらけで観察がしづらい。患者が「いったんスコープ抜いてもらって排便しましょうか」というのでそうしてもらうことにした。これで確かにはるかに見やすくなるはずだが、立ち上がりトイレに行ったその代償として患者は床にへたり込み意識がもうろうとなり出血性ショック状態になった。点滴速度を調整し意識が改善したところで再度内視鏡検査再開した。取り寄せたばかりのフード(MHー589)をうまく活用し憩室を吸引、反転させる。すると活動性出血しているらしき憩室があった。反転すると露出血管がありじわりと出血している。よし、見つけた。これで勝った!
(↓本来凹んでいるはずの憩室が逆に飛び出していて見やすくなっている。こんな小さな1mm程度の出血点が大の男をへたらせる、消化管出血って怖いもんである)

クリップを掛けこれでも止血できたが念を押すためゴム結紮も加えた。これで万全。出血点さえ見つければこっちのものさ。

ショックを起こしてすこし危なかったがこのまま放置している方がずっと危ない。思い切って検査してよかった。それと憩室反転に有用なフードも使ってよかった。何かいい方法はないかと調べたおかげ、医者は常に勉強だ。

2017年10月23日月曜日

コーラ注入法

昨日の憩室出血はとりあえず絶食点滴にしてしばらく様子見だ。明日再度きちんと下剤をかけて腸管をきれいにしてから観察をする。それと内視鏡の先端フードを憩室がよく観察出来るタイプを取り寄せることにした。文献をいろいろ調べれば憩室を反転させやすくするタイプのフードが出血部位特定に有効と分かった。反転できれば憩室底部の露出血管も見やすくなる。なるほど、憩室には相当いろいろなことをやって来た私もそこは知らなかった。明日は何としても憩室出血をやっつける。執念やね。

さて、先週胃潰瘍出血で入院していた高齢女性患者さん、今日胃カメラ観察してもそれほど良くなっていなかった。今回よく見たら胃の中に大きな塊があった。鉗子でつついてもほとんど形がこぼれない。あー、これは胃石だ。時にみられる胃の病気で胃の中で未消化の物質が緊密に凝集し石のようになった塊のことだ。こいつが胃潰瘍の原因だったか。よくあるのは柿胃石で柿成分が凝集したもので、時には毛髪胃石もある。ピッピDrが以前経験した毛髪胃石は精神科の患者が毛髪を飲み込み出来たものだった。それは内視鏡で破砕することはかなわず結局手術で取り出したという。今回のケースは突いた小さな破片に海藻類がチラチラ見えて植物胃石か。トラペゾイド鉗子やスネアなどで砕こうと試すも大きくてつかみすらできない。

さてどうする?残るは・・「コーラ法だ!」

スタッフにコカコーラを買ってきてもらい鉗子口から500mlを注入した。コーラが胃石を柔らかくして数日で破砕しやすくするという発表や論文はここ10年以上たくさん出てきている。やったことはないが試す価値がある(興味がある人はネットでも検索してみてちょ)。内視鏡で注入は今日だけしかできないので本人や家族に説明し毎日たくさん飲んでもらうことにした。3日後に再度胃カメラで確認しよう。うまくいくといいが・・。

2017年10月22日日曜日

下血に急遽向かう

衆議院の総選挙にも国民の権利として投票にだけは行った。各放送局もどこも選挙特番でこれじゃーあまりにも似たもの過ぎてフジTVの村田諒太の世界タイトルマッチにチャンネルを合わせた。多くの人がそうしたのじゃないか。最初、フジTVは選挙と重なって運がないとか言われていたけれど、事前予想も与党勝利がほぼ確定的でスリルはなく、返ってボクシングに関心が移ったはず。視聴率はフジがよかったんじゃないか。

パのクライマックスシリーズも楽天に盛り返す力はなくソフトバンクの一方的な試合になり前半戦のあわや敗退危機から見事に日本シリーズ進出を決めた。ふむ、ここまでは当然。セリーグはDeNAが意外に頑張っているようだがどちらが来てもソフトバンクがきっと勝ってくれようゾ。

スライド作りもおおよそ目処が立ち、ゆったりと過ごしていた夜22時過ぎ、不意にスマホが鳴った。みれば青雲会病院からだ。病棟の患者で何か急変があったのか。出ると、本日夜当直のポンシンDrから「下血の患者が救急で来て、6月にも憩室出血でこてる先生が入院させて治療した人なんです」という。聞いたことのある初老の男性患者名だった。今も血が出ていると聞き、今夜緊急内視鏡を行うことを決断し、すぐに内視鏡室スタッフを呼んでおくよう頼んだ。明日まで待つと血が止まって出血源がはっきりしなくなるのが嫌だ。できればニフレックで洗腸したいが浣腸のみで実施せざるをえない。着替えて高速に乗り病院へ向かった。

救急外来に着くと、なんと急患3人がいて誰が下血の患者か最初は分からなかった。大変ダァ。下血患者は浣腸のみ前処置なので内視鏡挿入すると凝血と糞便で案の定観察がしにくかった。ただ、やや新鮮血があったので出血してまもないことは分かった。S状結腸が出血源とはおおよそ推測がついたが・・1時間近く粘るも結局出血源は分からずじまい。しかも患者の血圧が下がり一時意識がもうろうとなり点滴を速めるなど気を遣った。自然に出血は治まりつつあり病状はどうにか安定し、入院は私が受け持つことになって帰宅の途に就いたのは午前2時近かった。ううむ、止血処置が出来なかったのは残念だ。が、入院中に必ず出血源を突き止めてやる、と気合いはますます入っていたのだった。

2017年10月21日土曜日

スライド作りでぽっかり忘れ

貴重な土曜休みであったが、ほとんど家にこもりきり、火曜日にある医局会レクチャーの準備に追われた。いつもはテーマを決め、医学的もしくは臨床的に他のドクターらに解説するパターンが多い。しかし今回は学会から帰ってばかりということもあり、学会報告にした。とはいってもほぼ全て自分の診療に関することばかりだ。私は学会では基本、日ごろの臨床に役立つかどうかで聴いているので自然にそうなる。

最初は何といっても大腸憩室出血についてだ。これで半分近くはスライドを使う。そのほかコールドスネアポリペクトミー、抗血栓剤使用患者への対応、胃瘻などスライド作成していった。細部はともかく今日でだいたいできたかなとほっとしたのだったが、実はころっとあと一つ面白いケースがあったのを忘れていた。作成する前はそれを入れるつもりでいたのにー。結局発表まで忘れたままだった。それは糞便移植についての面白い講演で意外に簡便な方法で感染性の腸炎に有効だったので青雲会病院でも試してみたいと思った。ただ倫理委員会を通したりいくつか問題がありそうだ。日本でもまだ限られた施設でしか行っていないようで今後もしかすると広まるかもしれず他の先生方にも知って欲しかったのだが・・。

そんな興味深くインパクトのある話題だったの忘れたなんて、ソフトバンク対楽天の試合をチラ見しながら作っていたからかなあ。昨日の中村晃のホームランも良かったし今日は内川の同点ホームランだ。内川はこれで4連続ホームラン、すごい。最後はサファテがイニングまたぎでぴしゃりと抑えてこれで3勝2敗と日本シリーズ進出に王手をかけた。こうなればまずソフトバンクは負けないだろう。ソフトバンクファンとしてはここまでは当然、後は日本シリーズで広島かDeNAをやっつけるのみ。ぜひまた日本一になって欲しいぜ。

2017年10月20日金曜日

地域医療連携委員会

今日は姶良郡医師会で院長クラスのドクターが集まって第1回地域医療連携委員会の急性期部門会というのが開かれた。本来ならシマッチ院長が出席するはずが都合が悪く私が代わりに出た。この手の会は最近は災害委員会によく出ているので全く場違いなところに来てしまった感はなかった。いつもよりお偉い先生方が来てまじめに意見交換し最後までメモを取り感心して聴いていた。要は少子高齢化や医療費の問題で、姶良郡にも近い将来急性期病棟の編成、削減が国より要請され、それを各病院単位ではなく地域(姶良郡医師会)で対応していこうということだ。詳しいことは書けないが、最後に各病院の現状や今後の予定など率直な話が出て非常に有意義な会だった。

そのほかにある整形外科の施設が休診しているクリニックから病床を譲り受け手術、入院をするための増床申請をしていると聞き、最初はふーんだったが、それが私も一度会ったことのあるドクターが開業したところと知り、ほうと思った。50才は過ぎていると思うがまだバリバリで手術も積極的にやるらしい。ライバルになるかもしれないのに意外に医師会員の受け取りは好意的で頑張って欲しいとのことだった。いつも医師会の会合に行って思うのはまともでまじめな会だということだ。世間で言われるような圧力団体や欲にまみれた連中というのはどうも違うぞって。

おっと、寝過ごしてもう時間がない、早く外来行かねば!

2017年10月19日木曜日

小さな講演会に人集まる

当直明けで午後は早帰りをした。帰宅前に散髪に寄り、ようやく髪をカットできた。2週間程前から頭がやかましくなって切りたいと思っていたのに学会や定休日などで出来ずにいた。台に座って最初のカットを入れられたのは覚えているが・・後は「はい、終わりですよー、こてるさん」という店主の声に促されている自分だった。疲れていたんだねぇ。

夜は城山観光ホテルでの点妖怪病院とベロリンガー製薬の講演会に参加した。非常にマイナーな会合だったが姶良からも知っている先生が多く来ていて懇親会は結構楽しかった。オダネストDrの代わりに奥さんの稽古Drがいて「オダネストは明日退院なのー」と三度目の胸部手術を受けたことを明かしていた。「以前手術したステントの拍動がはっきり分かるようになって、うちのったら『ウルトラマンのカラータイマーみたいだ』と面白がっていたの。実は危なかったのにねぇー」とか「昼の2時から手術が始まって、先生から日付が変わるかもと言われていたので0時になっても落ち着いていたけど12時間経っても終わらなくてさすがに私も心配になって・・」と13時間もかかった手術の話を明るく教えてくれた。

この会は、2ヶ月くらい前から「ぜひ出席を」と言われていて、日ごろボウリングを一緒にしているタナカッツ、タシケント両MRとのつきあいがなければ参加はあり得なかった。日ごろのつきあいがいかに大事かってってことで、なかんずくそのDrの懐に飛び込むというか趣味や好みに合わせるってのがMRの大事な姿勢なんだろう。そう、ヤマヒロDrも来ていたが、彼もまた最近いっしょにボウリングしていたんだ。1ヶ月ほど前か人が集まるかタナカッツMRが憂慮していたのがウソみたい。地味な努力に敬意!だ。

2017年10月18日水曜日

「鬼火」ミステリー

朝は外来でばたばた、夜は当直でそんなに重症は来なかったけれど深夜に2件救急車、腹痛と鼻血が来た。睡眠時間が分断されけど、まあこんなものでしょ、最終的に3時間近くの睡眠がとれると朝は意外に元気だ。

昨日はこてる家で「鬼火」ミステリーがあった。「鬼火」と言えば横溝正史が戦前に発表したミステリーがある。だが、それとは全く関係なく、カールがこてる家LINEに「鬼火」という炭火焼き芋焼酎が半分なくなっている、犯人は誰だ?と投稿した一件のことである。

この焼酎は半年前からあったらしく、「友人からの預かり物だったのにこれじゃー返せないじゃない」と嘆いている。私は焼酎は全く飲まないので「俺じゃない」と断言できた。子どもらのうち誰かが飲んだのか。3月18日に預かったというのははっきりしていてそれから今までに自宅にいたのはセージかチッチ、アルコール飲むのはセージだ。テルも飲むがLINEで確かめると最近自宅には帰ってきていなかったので除外だ。「飲んだら飲んだといってくれよー」とカール。それで「セージかぁ」と送ると、セージが「いやいや、待って」「飲んでないから!」「待って、おれ(実家に)いたけど、ほんとに飲んでないから!」ときっぱり疑惑を否定した。そこで私が「ギボヒサコかなあ」と送る。セージは「(そもそも)焼酎飲む家系じゃないでしょ」と否定にやっきになっていた。ギボヒサコ説もカールが「ヒサコは今年鹿児島に来ていないからね・・怖い」と犯人がいないミステリーに不安がった。で、私「後はゲンちゃんしかいない」と送ると「だね」とカール。

カールがよーく思い出すに、袋ごと友人から預かったのは間違いないが、焼酎瓶そのものは見てはいなかったらしい。疑惑を晴らしたいセージが「聞いてみてよ その人に」「疑われるのヤダし」とさらにやっきになる。結局カールが友人に電話することになり、その友人ももらい物で中身を確認しておらず、車に忘れていたのをカールが預かり、いずれ持っていくとして半年以上経過したものだった。どうもこてる家に犯人はやはりおらず、もともと半分しかなかったものだったが真相のようだ。セージだけが少々割を食ったが誰も悪さをしておらず一件落着した。気がつけば一家の騒動をよそにゲンちゃんはソファ寝してグーグーいびきかいていたそうだ。

2017年10月17日火曜日

井山驚異の囲碁七冠復帰

地味なニュースかもしれないが、関心のある人にとっては大ニュースだった。本日、囲碁の井山裕太が朝日新聞社主催の囲碁名人戦でタイトルを奪取し現存主要タイトル七冠を全て制覇した。実は昨年に一度七冠は制覇していたのだが秋の名人戦で高尾紳治九段に破れ六冠に後退していた。しかしその後もすべて六冠防衛し名人戦も再度挑戦者になり4勝1敗で二度目の七冠制覇したのだった。これは本当に凄い。ただその割には大衆に流布されているとは言いがたくこれは囲碁と将棋の差もあるかもしれない。


将棋では羽生善治が20年ほど前一度七冠を制覇し大きな話題になったが、一度失冠した後は七冠復活はならず、最近では若手の台頭著しくこの前の10月11日には王座戦で失冠しついに残り棋聖一冠のみになった。羽生は初タイトルを獲って以降26年以上一度もただの九段になったことはない。いや、彼は一度も九段と呼ばれたことはないのではないか。確かもっと低い段位六段の時にタイトル(竜王)を獲っているので七段や八段、九段は呼ばれたことがないはずだ。もし棋聖も失冠し無冠になったらもっと大きなニュースになるだろう。その相手が藤井四段ならなおさらだ。(↓は羽生がいかにタイトルを獲りまくっていたかがよく分かる一覧図だ。)

一般に将棋の方が大衆受けがよく棋士も如何に受けるかを考えあるいは行動する傾向にある。これは日本の囲碁の歴史が時の体制者に厚く保護されてきたのに対し、将棋は主に大衆が相手だったからだ。歌手になってヒットを飛ばしたり(内藤國雄)、引退後もひふみんと呼ばれマスコミに引っ張りだこになったり(加藤一二三)、茶髪でカメラ目線や棋士の決意表明のパロディをTV対局前に披露したり(橋本崇載)など囲碁の棋士にはほとんどみられない面白キャラが実に多い。自らなんとかしなきゃ、何もせず大衆に見放されたら食いっぱぐれるという危機意識があるのだと思う。同じ七冠でも扱いが違うのは日本の囲碁と将棋の棋士の置かれている状況の違いといってもよさそうだ。

さて、日本では敵なしの井山七冠、世界戦ではTV棋戦の優勝はあるが大きなタイトルは未だに獲っていない。世界タイトルより日本の大三冠(棋聖、名人、本因坊)の方が賞金がだいたいにおいて高いのだ。日本の棋戦優先にならざるをえなく、世界戦はコンディション無視で例えばタイトル戦終了直後の翌日中国に渡ってすぐに試合なんてこともある。でもそろそろいくつかある世界タイトルも獲ってくれないと日本はお金はあるけどレベルは低いなんて言われ続けているようだしどうにもすっきりしない。本人もそこは分かっているようで世界戦で頑張るとインタビューに答えていたそうだ。その意気や良し。囲碁ファンとしては井山にぜひ頑張って欲しい!

2017年10月16日月曜日

お土産には「中洲deイチゴ」

毎回学会帰りは各部署にお土産を持っていく。平日を2日休むので多少なりとも迷惑を掛けているわけだしー。比較的小さな部署には今回は「乾燥イチゴを口どけのよいホワイトチョコレートで包んだもの」にしたと一昨日書いた。「中洲deイチゴ」というそれを選んだのはコンパクトで持ち運びやすいのもよかったからで、あとは自分からみて美味しそうというのもあった。食べるとホワイトチョコが溶けきるのが待てずついガリガリと乾燥イチゴを食べてしまう。ま、それもまたよしの菓子だ。

内視鏡室スタッフに「これお土産ね」と置いて医局に帰ってみると、ピッピDrがやって来て取り出したのが・・なんと中洲deイチゴじゃありませんか。

実はピッピDrも学会お土産に私と同じものを買ってきていたのだ。「これくらいがちょうどいいかなと思って」と。いやはや、ぴったし被ってしまった。その後仲良く2箱内視鏡室の冷蔵庫に並んで置かれていましたとさ。

2017年10月15日日曜日

トシバー七回忌

今朝はトシバーの七回忌があるため早めに家を出て南薩へ向かった。錫山街道から知覧まで南薩縦貫道を走り、ほぼ自動車専用道路ゆえに快適、迅速になった。自宅から1時間をオーバーすることもなく50分ほどでヒトミンチョ家に着ける。便利になったもんだ。着くと、ちょうどヒトミンチョとヨカトモ従兄が今から寺に向かうというので降りずに寺へ向かった。10時半の読経開始まで少し時間があり近くの共同墓地(といっても2階の建物)でお参りした。ヒトミンチョ家の兄弟やヒラーキ弟、親戚のおばさんなど集まってきて、本来ならあこネーサ母も来るはずが月遅れの敬老会があるとのことで欠席だった。読経は三部経で例によってここのお坊さん、良く通る響く声で朗々と読み上げていた。子どもの頃はこのお経が永遠に続くのかと思うくらいじっとして待つのがきつかった。今は昔ほどでもないのは年の功ってことか。

40分ちょっとで終わり、この後は近くのニュー無事会館で会食が設けられていた。ノリヒック叔父さんは見た目は変わらないがもう90才になったという。トシバーが亡くなった通夜の席で、私と囲碁を打ったのはもう6年も前だったんだ。「最近の囲碁は?」と聞くと耳が遠くなって聴診器を付けていて確かめるように「いいや、全然ダメだがよー」とのこと。でも色つやはいい。まだまだ長生きしそうだ。ただ父親世代はすでに全員80才以上で半分くらいは鬼籍に入っている。10年もすればほとんどがこの世から引退、ってことになるね。

食事は今回は一切食べることなくお持ち帰りすることにした。それを想定してかビニール風呂敷も準備されていた。カールも「これで夕食は手間が省けるわ」だってさ。
会館を出て駐車場から見下ろすと、かつて私やヒラーキが住んでいた実家跡が今は老人施設になってまったく跡形もないのが一目瞭然となっていた。(↓黄色い屋根の付近)

もう20年近く前だったか、土地を売ってくれと施設から頼まれ父デンコーが了承したのを覚えている。さみしいがすでに誰も住んでいなかったし住む予定もなったから当然の帰結だった。そもそも戦前は海沿いに祖父デンシローの家はあり戦後に引っ越した先が今の施設のところだった。40年50年と経てば田舎の風景も様変わりする。思い出は記憶の中にしかない。

帰りがけ、今の実家近くの公民館に立ち寄り、あこネーサ母を見舞った。ちょうどじいさんたちがカラオケを歌っている最中だった。来るとは思っていなかったようで驚いて「およー、来たかー」と目を丸くしていた。しかし話すことはこの前も聞いたような内容でこれも相変わらずやなぁ。自力で歩けるだけでもOK、このまま元気でいてちょうだいよ。

帰りの道にはセイタカアワダチソウがいっぱい生えていた。この外来植物は繁茂力がすごい。縦貫道の左右もこれがいっぱい。
見た目が今一きれいでないのが残念。喘息の原因と言われたりもしたが実はそうでなくブタクサの方が犯人ということになっているようだ。繁茂もしすぎると自分の根の毒で勢いが弱まるそうで昭和40年代ほどの勢いはないのだとか。へー、アワダチソウだらけっていうことにはならないか。何事も栄枯盛衰やぁ。

2017年10月14日土曜日

お土産は安くとも

学会の3日目も主にデジタルポスターの講演を聴いた。昼はランチョンセミナーで便秘のお話。最近過敏性腸症候群の便秘型の治療薬が出てそれと絡む講演だったはずだが、お弁当食べて満腹になった頭はうつらうつらとし後半は全く聞けていなかった。

最近は会場でも知人のDrにあまり会う機会がなくなってきている。昨日会ったのはたった一人でそれがなんと青雲会病院のクニンダDrだった。なんでその一人が広い会場で毎日顔を合わせている人なの?しかし今日は大学時代の先輩Dr二人と会った。サメ肛Drとその道Drでそれぞれ近況をちょこっと聞いただけで終わった。その道Drには近くで開業していた山木Drがなぜ閉院したのかを尋ねた。「看護師さんが集まらなくてね・・」とだけしか聞けなかった。ふうむ、労使関係になにかトラブルでもあったのだろうか。

明日の教育講演は私は聴かないので夕食後お土産買ってまた新幹線で帰鹿した。お土産は病院各部署ごとにクッキータイプと乾燥イチゴを口どけのよいホワイトチョコレートで包んだもの2種、カールに明太子風味のおかき(これは安いやつ)を買った。帰宅するとこのおかきがカールに受けた。「まあ、これは私の好みだわ」とうれしそう。ほほほ、安くてこれだけ喜んでもらえれば大満足じゃ。お土産選びが苦手な私も何年もいっしょにいれば好みも分かってくるってことやっ。

2017年10月13日金曜日

福岡学会2日目

宿泊したのは博多駅近くの小さなビジネスホテルでホテル日航福岡の近くだった。学会会場へのシャトルバスのターミナルが日航にあるので便利なんだ。だが8時半すぎに行ってみたところ、すでに多くの学会出席者が並んでいた。とても1台に乗りきれる数じゃない。順序よく並んで2台目のバスにようやく乗ることが出来た。9時半以降にデジタルポスターの発表があるのだが、メイン会場で参加費払ってポスター会場のマリンメッセ福岡に着いたのは開始時間を過ぎていた。

下部消化管出血のコーナーに行き、大腸憩室出血を中心に聴く。私がよく使うゴムバンド結紮法(EBL=Endoscopic Band Ligation)の発表もあるが施設によっては全く使わないところもありまだ遠慮しているというか踏み切れないところも多いんだなと思った。しかしどこも憩室の出血点というか出血責任憩室の同定に苦慮しているようで、あるお偉い先生は「うちは初回出血部位の同定は2割くらいでいい年で3割程度と惨憺たる成績なんですが何かいい方法はありますか」と発表者に質問していた。そうそう、そこが大変なんだ。そこ(出血部位)さえ分かればクリップ止血だろうがバンド止血だろうがあとはそれほど苦にならない。分からないからこそ「再発が多くて大変・・」とか「血管内治療も効果があるが」という話題になる。いっそのこと止血部位特定をあきらめバリウムを散布して憩室出血を予防するという方向に走る施設もある。また内視鏡検査前に造影CTをするとある程度出血部位を特定できるという発表もありそれは試してもいいかなと思った。それでも同定率は30%台というから憩室出血治療の難しさはなかなか進んでいない。

このほか非常に面白かったのが難治性のクロストリジウム腸炎に糞便細菌叢移植が奏功した例でこれは主に海外で話題になっている他人の糞便を腸管に撒いて腸の炎症を改善させるという治療法である。青雲会病院でも偽膜性腸炎などクロストリジウム由来の腸炎患者は多くたまに治療が長引く例がある。承諾を得て家族、親族の糞便をもらい生理食塩水に溶かして大腸内にふっかけるだけの治療だ。それでピタッと以降下痢などの症状が止まっている。意外に簡単なんだけど倫理委員会の承諾を得ねばならい点や糞便を治療に使う心理的な障害が面倒だ。しかしそれが有効なら試してもいいかなと思った。

マリンメッセでは商品展示もあってこれは毎回楽しみでもある。大御所のオリンパスはEndocytoという内視鏡で画面を超拡大500倍も見ることが出来てそのまま病理診断が出来る機種を発表していた。これは・・すごいが、病理知識をもっていてかつばりばり内視鏡をするDrが必要で大普及はしないかな。それより総胆管結石を排石するための渦巻き形状のスネアが有効そうで欲しいと思った。相変わらず肝炎治療のブースもにぎやかで私は仕事ではこれには全く関与していないが、飲み物を提供してくれているのでさも興味あるふりしてブルーベリージュースや南アルプスの天然水などゲットした。いや、喉渇くけど意外に飲み物自販が近くにないんでこんなサービスは助かるんだわ。

夕方までいてそそくさとホテルへ帰りしばし仮眠。学会は結構疲労もするんだよねえ。



2017年10月12日木曜日

学会初日ならず

学会に行くといっても午前中は病院勤務だった。早めに内視鏡済ませ病棟指示し新幹線で出かける予定が、そうは問屋が卸さなかった。これまで何回も大腸憩室出血を起こした高齢女性がまた下血で来たのだ。なかなか出血源が分からず安静自然止血でどうにかやり過ごしていたので再発出血したものと思われる。この患者を放置して福岡までは行けない。下剤前処置を指示し、他の胃カメラを粛々とこなしていった。

この人はS状結腸に憩室が多発ししかも挿入しにくいのは何度も検査しているので分かっていた。問題は今現在出血しているかどうかだ。完全に止まっていると出血の責任憩室が分からず結局治療が不十分のままになる。血が出ていれば・・がっつり止血してやるんだが。

12時過ぎても胃カメラが終わらず、大腸内視鏡開始は結局13時ごろになった。挿入してすぐ、新鮮な凝血を見つけた。おお、これは出血源を見つけられるかも。今回は数日病院を空けるのでなんとしても止血処置をしておきたい。慎重に観察を続けると・・あった!じわじわと出血している。よおし、今度こそがっつり止めたるぜぇ。出血はしていても露出血管までは確認できない。ここはクリップ縫縮よりバンド結紮だ。目印クリップを出血憩室に掛けいったんスコープを抜去する。今度はO(オー)リングというゴムバンドをスコープ先端に装着し再挿入だ。ただこれは視野が狭くなりこのあとクリップを掛けた部位を探すのに時間がかかった。どうにか見つけ、吸引結紮したが緊張度の高いS状結腸のせいか不十分におわりゴムがうまく掛からなかった。「やり直し!」また抜いて装着再挿入。ふう。二度目はうまくいった。これで学会から帰るまで絶食点滴安静にしておけばもうここから出血することはないだろう。

入院指示やらで自宅に一旦戻ったのは14時半を過ぎていた。新幹線に乗る予定の14時35分発どころじゃない。どうみても15時33分発になる。それだと・・博多着が17時13分。調べると学会の受付最終が17時30分。うわ、ぎりぎり間に合わない。ぷう。ホテルも予約しているので行くしかない。こうなったら明日は大腸憩室出血の発表をしっかり聴いてやるかっ。

2017年10月11日水曜日

六段復帰へ

今週は休日があったり後半に学会があったりでボウリング練習はお休みだった。そのかわりといってはなんだが夜はネット麻雀に専念した。五段降段してから調子良く昇段ポイントの2000Pまで後もう少しというところまで来ていた。そんな中、サブアラド六段から「どう?」と電話が来た。ふむ、相手にとって不足はないぞ。

で、さっそく半荘開始。「ロン!」あいたた、いきなりサブアラド六段に親の3900を放銃だ。5巡目リーチされて後からツモ切られた5ピンに対し私はいらない8ピンを切ったらそれが当たり。分かるかいそんなもん。こんなときいつも思うが「なんて自分は不幸なの」と思ってはいけない。こんなのは防ぎようがなく相手もまた同じような放銃をすることもあるし逆に自分も似たような恩恵を受けることもある。まだ東の1局目、あせることはないのだ。

で、東2局、私に手が入った。自風の西が対子で赤5索1枚のリーチ。待ちは西と36索。これに下家が降りて西の対子落としし私に放銃。裏ドラ乗って満貫8000点だ。ほら、あっという間に取り返した。次はサブアラドが親満放銃と禍福はあざなえる縄のごとしでツキは行きもするし来もする。その後ツキが行きっぱなしの私はオーラスを迎えて1620点の一人だけ沈みのラス。ここで満貫以上の上がりをしないとまずい。配牌はピンズが多く第一感ホンイツかチンイツ狙いだ。
八萬二筒二筒三筒四筒四筒六筒七筒八筒八筒八索北白
で、ピンズを鳴いて以下の手になり、なんとあっという間にハネ満聴牌し、リーチかけてた下家が5ピンを振り込んでくれた。
三筒四筒六筒六筒八筒八筒八筒チー二筒三筒四筒チー二筒三筒四筒
これで2位となり持ちポイントが1930P。あとトップ1回取れば六段昇段だぁ。

次の昇段戦はサブアラド六段が「私がまた相手しよう」と示し合わせてボタンを押したが別卓になってしまった。そこで頑張るもまたも2位。+30P入るが1960Pにしかならずやはりまだトップが必要だった。0時を過ぎていて、観戦していたサブアラド六段は「おれ、もう寝るわ」とサヨナラした。自分はどうしよう。ここで一気に昇段を狙うか、だがもしラスるとー120Pとなりトップ2回でも昇段できない位置になる。しばし逡巡した。明日は学会で福岡行きで落ち着いて打つには今日がいいが・・。1時間ほど経ちやはり打つことにした。

東場で満貫上がってオーラスは2位に付けていた。そこで断ヤオを聴牌し渾身のリーチ。ラスの下家がリーチしているが満貫放銃してもビリにはならない点差だ。だがしかし直後に下家が上がった。あーあ、終わった。トップは取れなかったか・・。下家は断ヤオに本ドラ裏ドラ乗ってなんとハネ満だった。

え?あれ?終わったはずなのに画面がパラパラと配牌配ってくるじゃない。え、ということは・・トップ目の親がハネ満の6000点失ったせいで29700となり西入したのだった。おお、まだトップ狙えるゾ。そこで頑張って無理気味の混イツに向かった。3回鳴いて待ちは間5萬とあまり見栄えのいいものではない。しかしここに勝負してきたのが上家でドラの白を対子にシャボ待ちで不要の5萬が出てきた。ロン!3900。これでトップかと思いきや29700で私も300点足りず。うー、六段坂は登っても登ってもまだ先がある。

次西2局は上家が2600点をトップ目の対面から上がるも彼は3万点には全然足りない。西3局、とにかく何でも上がればトップの私は中対子を活かしこれをポン。突き進んでいって一向聴になった。するとここでラス脱出を図る上家がリーチ。その宣言牌の9ピンをチーして聴牌する私。待ちは47萬のノベタン。ここは行くしかなかっぺ。すると次順、あっさり4萬をツモ。トップだ。おお、降段して2週間、かなり早いペースで昇段しぜー。前回五段の時は10ヶ月かかったのになんとまあ。

ま、集中して打てばこんなもんでしょう。いやすっきりした。これで気持ちよく学会に行けるとしたもんだ。サブアラド六段に電話・・いや、もう寝てるわ。おれも寝よっと。