2015年5月31日日曜日

ひょんなことからネコの素性

昨日麻雀をしていてダイボDrが「うちの病院に大学から来ている女医さんの家がこてるの家の近くらしいよ」と言うので名前を聞くと「五月森」さんという。あ、それならうちの真後ろの家だ。確か姉妹で医者をしていると聞いている。ただ一度もお顔を拝したことはなく挨拶に行ったときの母親と裏庭でたまーに庭木を刈っている父親の姿を見たことがあるくらいだ。
問題はその後で、その女医さんが野良ネコを拾ってきて飼っていたら妊娠したのが分かった。元々野良猫だしどこの子か分からないので堕胎させる気でいたが、自身の都合もあり「2週間後くらいにお願いします」と獣医に言うと、「あなた、ネコって2週間もすればすぐに産んじゃうますよ」と言われ早めに手術をすることになったということだ。最初はふーんと聞いていたが、ハタ!と思い至った。それってうちによく来る茶美ちゃんのことじゃないか。五月森さんちの家ネコらしいとカールの目撃情報があり、そういえば最近姿を見かけないとも言っていた。それでダイボDrに「きっとそれは俺たちが茶美と呼んでいるネコのことだよ。お願いがあるけどそのネコの本名を五月森先生に聞いてくれないか」と頼んだのだった。

それが今日の夕方6時頃、「あっ、茶美ちゃんだ」とカールが庭のロフトにいる姿を見つけ「久しぶりー」と家の中に招き入れた。私はすかさず「お腹を見ようよ」と茶美ちゃんを捕まえ抱っこしてみた。あーー。きちんと剃毛され下腹部には切開痕がくっきりとある。しかもおっぱいが少し張って妊娠していたんだと分かった。ゲンちゃんは去勢しているので父親では絶対にないが放牧しているからこんなことが十分にあり得るよね。ともかく意外なところから茶美ちゃんの素性が分かった。次ぎ、麻雀で会ったらダイボDrから本名を聞いておこう。まさか「茶美」であるはずはないだろうが。
(手術の痕がはっきりの仮名「茶美」ちゃん。茶美ちゃんにつきまといキスをしたがるゲンちゃん。この後ゲンちゃんは茶美ちゃんにネコパンチを喰らうのですがその瞬間は取り損ねました)


そうだ、4、5年前からよく出没するロシアンブルーはどこの家のネコだろうか。このネコもまさか五月森さんちのネコ?昨日の朝来ていてこっそり写真に撮っておいた。このネコは茶美ちゃんと違い警戒心が強く人と目が合うとすぐに逃げる。しかもゲンちゃんもうなり声を上げで威嚇するほど仲は悪い。格好いいネコなんだがなー。

2015年5月30日土曜日

配置替えのMRと会う/雀風の違い

昨夜は城山観光ホテルで糖尿病の講演会を聴きに行った。前日ノサバルデスの女性MRオカーツさんが来てぜひというのでどうせ金曜日はボウリングなど用事があるからと手帳を見たら何もなく「ううむ、それじゃ時間があったらね」とあいまいな返事をしていたが、タクシーチケットももらったのでま行ってみるかと久しぶりに出かけた次第。講師の小田原雅人先生(東京医科大学 糖尿病・代謝・内分泌内科 主任教授)は鹿児島出身でTVほかマスコミにもよく登場され鹿児島での講演も以前聴いたことがあった。ラ・サールから東大理三出身のなかなかスマートな先生で「横ばいのこじっくいの薩摩のぶにせ」とは縁遠いお方だ。データを駆使した話の中でHbA1cがかなり高い集団を一気にHbA1c6%以下に正常化させた場合は返って死亡率の上昇を招くというのは興味深かった。そこまで正常化にこだわった場合、低血糖状態を何度も起こしていることが多い。そしてその低血糖発作は血管系にダメージを来すからのようだ。なるほどね。

終わって懇親会では懐かしのおおしたそうMRと久しぶりに会った。といっても彼が姶良郡の担当を外れオカーツさんと交代して3ヶ月ほどしか経っていない。今は大隅方面担当で泊まりがけになることも多いらしい。それより「先生、車の事故で身体は大丈夫だったんだすか」とツッコミがさっそく来た。彼は以前からこてる日記読者でもあった。そんな彼にデジカメで他の詳細画像を見せたかったが何と肌身離さないはずのデジカメを忘れて来ていた。ああ、タクシー乗ってから気がついたけどすでに手遅れだったよ。
この講演会のコプロモーションをしている正富医薬品の松海MRとも久々に会った。彼は半年ほど前に薩摩半島方面へ配置替えになっていた。木訥(ぼくとつ)なアプローチが身上で「ええ、ええ、クラリスの効能がですね・・ゾシンはお使いになっておられますか・・」など抗生剤しか宣伝しなかった印象が強く糖尿病製剤のMR活動もやっているの?とのツッコミこそしなかったが、何となく場違いの感じがして可笑しかった。

さあて、今日の午後は見せたまえ雀荘での3回目の闘牌だ。メンバーはここに初めてやって来た開けたいゾMRとサブアラドDr、私、そして主の見せたまえDrだ。いつものダイボDrは会合があるとかで夜9時ごろ開けたいゾMRと交代の予定だ。私は見せたまえ雀荘では2連敗ししかも1回もトップなしという体たらく、5月はその前の雀荘でも2連敗していて月単位で言えば麻雀人生で一番の負け額になっている。今日多少なりとも取り返さなければどうなるかという状況だった。

で、結論。久々に大トップで一人勝ちを収めた。そのきっかけともなるような展開が最初の半荘の東2局の私が親での手牌。以下のような手でリーチした。低めでも親マンの勝負手だ。
二萬:麻雀王国三萬:麻雀王国三萬:麻雀王国三萬:麻雀王国四萬:麻雀王国四萬:麻雀王国五萬:麻雀王国六萬:麻雀王国四索:麻雀王国五索赤:麻雀王国六索:麻雀王国七索:麻雀王国八索:麻雀王国 ドラ二萬:麻雀王国
これに対し上家の開けたいゾMRは次巡、以下の手から勝負した。
三索:麻雀王国五索:麻雀王国六索:麻雀王国七索:麻雀王国五萬赤:麻雀王国六萬:麻雀王国七萬:麻雀王国七萬:麻雀王国三筒:麻雀王国三筒:麻雀王国四筒:麻雀王国四筒:麻雀王国五筒:麻雀王国五筒:麻雀王国 打三索:麻雀王国
三索:麻雀王国ロン!メンタンピンドラドラ」裏ドラが1個でも乗れば親ハネ1万8千点だ。めくると何と二萬:麻雀王国があり、ということは裏ドラが3個も(⌒о⌒)。親バイ2万4千点になり、開けたいゾMRは開局10分程度でドボンを喰らって終局してしまった。七萬:麻雀王国が私の現物だったのでそれを切って三索:麻雀王国待ちという選択肢もあった。私やダイボDrはそれがよかったのではと言ったが見せたまえDrや開けたいゾMRは三索:麻雀王国さえ通れば上がりやすく満貫にもなる四萬:麻雀王国七萬:麻雀王国待ちを主張した。結果放銃してもそれは結果論という意見だ。これは攻撃を主に考えるか守備を優先するかの雀風によるだろう。私もその日の気分で変わりそうな局面だ。

ただ、その結果、私が乗りまくって大勝ちしたということだけは事実である。

2015年5月29日金曜日

火山つれづれ

口永良部島が大噴火をしたとニュースで知った。驚いたのは噴煙が9千メートルもあったということ。桜島でも普通はせいぜい3千メートルくらいであの大正大噴火でも4千メートル程度だ。いかに大きな爆発的噴火だったか分かる。東日本大震災以来、日本列島は火山の噴火があちこちで起こり全く油断ならない状況だ。思えば震災(2011/3/11)前に霧島の新燃岳が噴火した(2011/1/26)のが予兆だったか。

百名山を踏破経験者のブログでは優先して登るべきは活火山だと書かれてあった。いつ入山規制が敷かれるかわからず、その人は「岩手山が火山活動で登れず一時は百名山も99座でストップしてしまうのではないかと心配した」そうである。だから活火山、休火山から先に登るというのがいいという。霧島山、阿蘇山、浅間山、焼岳、磐梯山、吾妻山、草津白根山、雌阿寒岳などだ。富士山や開門岳もいわゆる休火山だが御嶽山など死火山と言われていたのに1979年に有史以来初の噴火があり(だいたい5000年ぶり)そして昨年また噴火して多数の死者が出た。だから今では死火山、休火山という言い方はあまりしないらしい。長い歴史からみれば富士の300年、開門の1000年程度のお休みは一瞬のうたた寝くらいに過ぎないわけだ。現在御嶽山のみが入山規制のレベル3でここを登っていなければ百踏破は現時点では不可ということになる。


「日本百名山地図帳」という本がamazonから届いていた。百名山の紹介と地図、実際に登るためのアドバイスが書かれ、やや実践的な本だ。私は眺めるために買った。原本を読みつつこの本を参考にするわけだ。

この本の最初に「登るのが楽な百名山」と「登るのが大変な百名山」のリストがあって楽なのは八幡平、美ヶ原、霧ヶ峰など高原のイメージの山で何となくそうだろうな思えるが、意外だったのは乗鞍岳が楽な方の11位に入っていたことだ。霧島が12位だからあれ?と思った。乗鞍岳って3026mという三千メートル越えの山だよ。実は2700m付近まで山岳道路が通じ、たった300m登るだけで頂上に行けるんだそうだ。だから夏場は登山者が非常に多いらしい。深田久弥は「戦後、頂上まで登山バスの通じたことは一つの驚異であった。街を歩く格好で三千米の雲の上を散歩出来ようとは、誰が想像しただろう」と書いていて俗化を多少憂う気分だったよう。

そういえば子どものころ「乗鞍火山帯」と習ったものだが、今は使われずプレートの沈み込みで分けて「東日本火山帯」(太平洋プレート)と「西日本火山帯」(フィリピン海プレート)に分けているとか。以前の火山帯は単なる地域で便宜上分けただけで火山学上は意味がなかったそうで、これに限らず社会科って科目は時代によって正解がえらく異なることが多い。地理、産業は言わずもがな、歴史にしたって新資料が出てくればそれまでの常識がそうでなくなったりする。それに引き替え正解が何千年前と変わらないのが数学だ。真に数学が好きな人は社会科は学問ですらないと思っているかもな。このあと数学ネタを書こうかとも思ったがそれではずるずると日記が終わらない。今日はこの辺で。

2015年5月28日木曜日

この写真が目に入らぬかっ!

午後の外来に大学時代の友人グチやん(彼は工学部出身)が来た。月1外来のはずが今日は風邪気味で来院した。診療はすぐに終わったが他に患者もいなかったので昔話に花が咲いた。彼の親が長期出張中で一人住まいだったから彼の家に夜な夜な集まっては週1程度麻雀に興じたものだった。

そのころおふざけ写真をよく撮っていた。若い男のやることだから今となってはお恥ずかしいものが多い。グチやんが言うには「エロ本を開いていたり、男同士抱き合ってみたりしてさー」中でも「こてるがオレの股間に手を当ててオレが手を広げて変顔している写真があってね、それを息子が見つけてしまったんだ」とか。「へーえ、そんなことをしたかもな。でもそれよりもっとひどい写真をグチやんは持っていただろう」「それは捨てたよ。でもその股間写真は息子が持っていて、何か私が息子を叱った時などこれを見ろとばかりにその写真を私の目の前にかざすんだ」「は?」「こんな恥ずかしいことをやっているヤツがよく言うよって意味だよー」と苦り切った表情で言う。あはは、そりゃ一本取られたなー。そうかそうか、息子もなかなかやるじゃん。

その写真は私もまだ持っていたはず。それで戸棚の奥深く置いてあった古いアルバムを取り出して見てみた。すると重くて大きなアルバムの1ページ目の1枚目の写真がまさにグチやんから聞いた写真そのものだった。私の左がグチやんの股間に軽く当てられていて、彼が白眼むいて明らかにおふざけをしている写真だ。彼は短パン、私はバミューダパンツだ。懐かしいネー。おっと確かにあまり人様に見せられる写真ではない。でもせっかくこてる日記のネタになったのだ。ブログ開設記念に恥を忍んで以下に載せておこう。オホホ。

2015年5月27日水曜日

村紘、ポンシンDr歓迎会

(2週間前の歓迎会の話書こうとしていたのですが、当直明けでしかもワインを1杯飲んだせいかBTQで二度寝三度寝・・朝になっていました。また後で)
上の写真は青雲会病院に隣接するイタリアンレストラン「ダ・クオーレ」の庭先での医局歓迎会の様子である。いつもは室内で飲食するのだがちょうど5月末で暑くも寒くもなく梅雨前で雨も降らず灰も降らずという好条件だったのでこのように緑の庭の中で行うことが出来た。(以前のこてる日記ではダ・クオーレをザ・ハートという名前で記していた。でもこの写真を見て行ってみようと思う人が名前を勘違いして実際に来られるかもしれず本当の店名で紹介することにする。ちなみにダ・クオーレはイタリア語で英語に直すとザ・ハートなのである)

村紘先生は70才代でありながらお元気で週4日内科外来を診てくれる。ポンシンDrは脳外科常勤だ。二人が5月11日から来てくれたおかげですでに私やシマッチ院長は仕事の軽減がはかれ、大いに助かっている。二人の挨拶も終わって21時半ごろお開きになり、いつもはアルコールは飲まずにそのまま運転して帰宅するのだが、たまにお酒を飲むことがありカールに送迎を頼んでいた。電話するとすでにカールは迎えに来ていてダ・クオーレ駐車場にいた。

ちょうどその時、ラブカメDrと鶴店Drの両元教授に「こてる先生、すみませんが鹿児島まで我々を乗せていってもらえませんか」と頼まれた。以前も頼まれたことがありそれは日記ネタにもなった。ええもちろんと、カールの車に乗せていくことにした。ラブカメDrは「本当にありがとう。先生の家の近くでいいので降ろして下さい」といつものセリフだ。「いやいや、もう少し先まで送らせますから」「いや、そこまでしなくても」「いいえ、大丈夫です」とやりとりがあって結局天文館近くまで送り、二人を降ろした。実際、北インター近くの伊敷の3号線あたりはタクシーもそんなに頻繁には通っていないし、街の中心で降ろすべきだろう。私たちはそのまま伊敷の自宅に向かったが、後で聞くと二人は鹿児島南方面の自宅(御近所同士)にはすぐに帰らず、そこから天文館の二次会に出かけ午前様だったらしい。びっくりだ。御高齢なのに元気だねー。

2015年5月26日火曜日

「小坂乙彦も死んだ。魚津恭太も死んだ。」

ボウリング週1練習をT-MAXでやった。メンバーはいつものMR、難ガターさんら。相変わらず好調で1ゲーム目190台だったが2、3ゲーム目は200アップした。4ゲーム目はスカッチダブルスだったので成績には含まれないが串木野と合わせて9ゲーム中8ゲームが200アップとはここ最近にないくらいの好調さだ。次回の串木野は2週間以上後なのでそれまで好調の感覚が維持できていればいいのだが。

帰宅してこのところ読んでいる深田久弥の「日本百名山」をぱらぱらとまためくってみた。きちんと1ページ目から読む必要はなく気になった山の頁をパッと開いてさらっと読むというスタイルだから気楽だ。しかし読売文学賞を受賞した氏の文章は味わい深く一座一座をさっさと読み飛ばすには惜しいことが多い。また、福井出身の氏はまだ登山が一般的でなかったころからの登山家で一般大衆ががやがや集まるような山は嫌いなのがあちこちの文に出てくる。氏が登った時期は大正、昭和の前半から30年代までだ。随筆にまとめ1冊の本となったが昭和39年。今はずいぶん環境が変わり登りやすくなった山もあるだろう。

しかし今でも厳しい山もある。その中で読んでいて思わず引きつけられたのが「穂高岳」の最後の文章だ。山と言えばつきまとうのが「死」である。「山男の歌」なんて陽気な楽しい歌に聞こえるが一番の歌詞からして登山死のことを言っている。「♪娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよー 若後家さんだよ」それくらい登山をして死んでしまった話はよく聞く。中でも日本標高第三位の穂高岳は遭難死も谷川岳と並び多いという。その穂高の項のラストは以下のように書かれてある。

「・・・そこで永遠に眠った人も多かった。大島亮吉も、茨木猪之吉も、穂高を墓にした。近年は冬山登山に毎年のように犠牲者を出している。小坂乙彦も死んだ。魚津恭太も死んだ。死ぬものは今後も絶えないだろう。それでもなお穂高はそのきびしい美しさで誘惑しつづけるだろう。」   (↓は穂高連峰)


淡々と書かれてあるが何と怖い文章だろう。特に「小坂乙彦も死んだ。魚津恭太も死んだ。」のところはリズム感、悲壮感がすごい。上に書かれてある登山家らしい4人は皆、氏の知り合いか仲間なのだろうな。そう思って念のためネットで調べてみた。

「大島亮吉・・[1899~1928]登山家。東京の生まれ。大正11年(1922)北アルプス槍ヶ岳の冬期初登頂に成功。登山思想の確立に努めたが、昭和3年(1928)3月、前穂高岳北尾根で墜落死。著「山」「先蹤者」など。
「茨木猪之吉・・1888-1944 大正-昭和時代前期の画家。明治21年5月1日生まれ。浅井忠、中村不折にまなぶ。小島烏水(うすい)らと登山をかさね,「山岳」や烏水の著作に挿絵をかく。昭和11年日本山岳画協会を設立。昭和19年10月2日穂高岳にむかい消息をたった。57歳。静岡県出身。神奈川県立第一中学中退。旧姓は影山。著作に「山旅の素描」「山の画帖」。

なるほど、大正、昭和前半の登山家、画家であったか。しかしである。後半の二人「小坂乙彦」「魚津恭太」はそうではなかった。調べてもはっきりと経歴が出てこないのだ。おかしいと思っているうちに「日本百名山」文庫本の他文庫本紹介文の中に何と二人の名前を見つけた。何のことはないこの二人は井上靖の小説「氷壁」の主人公の名前、つまりは架空の人物たちだったのだ。「氷壁」は昭和32年に出版されベストセラーになった。その後映画化やドラマ化され「百名山」が書かれたころは一般に流布された名前であったことが分かった。今で言えば例えば銀行もので「半沢直樹も出向の憂き目に遭った」とでも書けば違和感ないどころかぴったりくるようなものだろう。今は誰も覚えていない架空の人物名でも実在の人物にこだわって例を挙げるよりはるかに印象に残る。さすがだと思った。

「日本百名山」にはまだまだ紹介したい文章がある。NHKBSの「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」を見つつ文でも味わう。山登りの代理満足が得られこのところ一人山岳ブームの私である。

2015年5月25日月曜日

もう飽きた・・S660

朝礼で可愛いんだ理事長の話で「何か一つ得意なことがあれば(それが他の人には大したことでなくても)ストレスを乗り越える力になる」といった内容があり、「例えばそこにいるこてる先生は・・」と私を例に挙げようとしたので、とっさにボウリングのことかなと思った。まあボウリングの世界からいえば私の腕など大したものではないけれど、青雲会の中なら「得意」な方であろう。が、予想は裏切られた。
「こてる先生は甲子園の高校野球の知識については何でそんなことまで知っているんだというくらい詳しい。これには驚く」と何と私の甲子園(高校野球)オタクぶりを披露したのだった。いやはや、そう言われればそうでしゅけど。そしてそのオタクぶりは三男のチッチにだけ引き継がれていまーす。

月木の週2回勤務のアミヤンDrに「そういえばホンダS660はどうですか」と聞いてみた。彼は鹿児島県で一番早くこの最新軽スポーツカーを注文、今月から乗り始めているはずだ。           (↓以下そのお姿)

「最高だぜっ」とかいう返事を期待していたが、意外や意外「もう、飽きた」と答えるではないか。「は?」と目を丸くすると、「いや、しょせん軽だしね」と自嘲気味の返事だ。「いや、そうはいってもまだ1ヶ月も経っていないでしょう」「うーん、次は新型NSXにでもしようかな」「は?まだ出ていないでしょ。それに値段もS660の2百万越えよりもっと1000万はするはずですよ」「1800万だよ」「・・・」絶句だ。
           (↓ちなみに今年販売が噂されるNSX)

だいたい車なんて新鮮さだけなら普通の人でも半年もすれば飽きるものなんだ。日常の使いこなしで評価しないと。6年経っても私はプリウスにまた乗りたいと思っていたからこそ今は中古の商用車で我慢している。新型NSXが米15万ドル相当の1800万になるのかどうかは知らないがアミヤン先生なら3ヶ月で飽きそう。ま、きっと買わないだろうけどね。(せっかくのS660も大事に乗って下さいヨー)

2015年5月24日日曜日

当直見学

朝から日曜当直だった。今日は特別に可愛いんだ理事長の息子であるカワゼンDrが東京から青雲当直の見学に来た。実は彼は来月の青雲土日当直が決まっていて今後も月1回程度土日当直をしてもらう予定なのだ。しかし実家の病院とはいえ全くやっていなければ急に対応するのは難しい、ということで事前に来てもらったわけだ。

まずは電子カルテの使い方を集中的に教えた。これを知らないと診察のたびに戸惑ってしまう。しかしすべてを教えるのは無理で実際に患者が来てくれたら具体的な使い方が教えられると待っていたがなぜか今日は少なかった。11時ぐらいに救急車が来てやっと実戦的な対応を見せることが出来た。でもそれ以外もぽつりぽつりで特に入院になる患者がおらず入院指示の出し方は教えられなかった。そして昼過ぎは二人して医局でソファ寝をしていた。夕方5時前になって医局に可愛いんだ理事長がやって来て「おい、そろそろ引き上げるぞ」と言い、私たちはがばっと起き上がった。いやはや、当直も毎回このくらいだと楽勝なんですけど・・。ともかくもわざわざ東京から当直に来てくれることになり実に有り難いことだ。

夜もさほどでもなく明け方入院患者の看取りがあったくらい。比較的穏やかな当直業務だった。

2015年5月23日土曜日

看護師人生、勝ったのはどっちだ

(昨日6/6はAKB選抜総選挙ヤフオクドーム観戦で終わったあとはホテルでコンビニ夜食、ぐったりでそのまま風呂にも入らず爆睡でした。結果はTVやネットで知っての通りですが日記は2週間後アップの予定です)

カールが沖縄に行っていて空港まで迎えに行った。帰宅して昼はこの前サブアラド夫妻と食事した日火炎で今度は長崎皿うどんを食べた。こちらは定番とのことだったのでね。メニューの一部に「AKB100」とあったのでオヤ?と見れば「AあっKこれBビールだプチ生ビール100円」のことだった。あは。

カールが沖縄で昔の友だちとワイワイした話で面白かったのを一つ。
看護師をしているくるよさんはかつて琉球大を受けたが落ち大阪の看護学校を出てそこでずっと仕事をしていた。結婚して子どももいたが離婚し今は沖縄の民間病院でスタッフとしてばりばり働いている。その彼女がスマホの写真を見せ「この人誰だか分かる?」とみんなに見せた。カールも見た。誰だろう、70才くらいのおばあちゃんに見えるけれど・・。他の友だちも分からない。するとくるよさんが「実はナーガなのよ」と同級生だと明かした。みんなびっくりし「え、見せて見せて」と改めて見ればナーガの面影はある。しかしえらい老けて一目で彼女と判別するのは困難だった。

彼女はくるよNsとは違い琉球大の保健学科を出て琉大の婦長もし助産婦の資格も取り看護学校の先生もし最後は国立病院の師長もしていた。ちなみに独身で犬と暮らしているということだ。それが何で辞めたのかは知らないが面接も担当していたくるよNsの勤める病院に就職面接に来た。本人もそんな経歴だからか時給も通常より300円高く希望していたという。経歴を見てすごいなとくるよさんは驚き、会ってみて「えらいおばさんだな」と思った。しかしいきなり「くるよ!」とそのおばさんに声を掛けられ、それがナーガと知り変貌ぶりに驚いたということだ。ナーガさんはデキる人だけあってか元々のキャラか、お高くとまっていて「私はあなたたちとは違うのヨ」という態度が目に付く人だった。カールも知ってはいたがあまり親しくはなく友だちも多くはない人だったようだ。

それでその後どうなったかとというと、お試しの採用となったはいいがきらびやかな経歴とは裏腹に現場スタッフから「くるよさん、あの人使えません」との報告が相次いだ。細かな仕事に「知りません」との返事が多く、見た目も老けてえらいため若い看護師も教えにくいということもあった。それで結局本採用は見送られたという。みんなの前でくるよさん曰く「勝った!」これにみんなも納得したという。カールが思うに、ナーガがそれまで生きてきて友人にあまり好かれていなかったということが如実になった、それがくるよの「勝った」の一言と周囲の同意に現れていたのではということだった。

ふーむ。考えさせられるね。

2015年5月22日金曜日

過敏性腸と不登校

中学1年女子が母親に連れられ外来に来た。入るなり背が170cm近く大人びているのにびっくりした。本当にまだ12才?と生年月日を確かめたほどだ。お腹の具合が悪くて学校にずっと行っていないと母が言う。いくつか医療機関を回っての受診だった。

問診、触診、聴診をしての私の診断は過敏性腸症候群だった。絶対にそうとは言い切れないがそう考えるとある程度症状の説明がつく。でも何で学校に行かないのか。母ではなく本人に確かめるといつトイレに行くたくなるか不安だし、そして絶対に学校のトイレには行きたくないのだと。ふふーん。確かに私のころも小用はともかく「大」をすると友だちに何かと言われたりしたもんだった。私はまずこの病気は特別なものではなく自律神経が過敏になって起きるもので若い人にはよくあると母娘に説明し、どうしても排便や腹痛が気になるなら鎮痙剤(ブスコパン)の頓用をしたらいい、実は私の息子も試験前とかいざという時にはこの薬を臨時で服用していたと話した。母は過敏性腸だと言われたことはなかったと言い、娘は本当は学校は嫌いではないと言う。ならばきっと大丈夫、と診察を終えた。

私はあの娘が見た目も並以上で芸能界ならAKBではなく宝塚に合いそうな感じであれで不登校のまま引き込んでしまうのはもったいないと思った。この日から1週間ほど経って母親のみ診察に来た。なんとあれから休まず学校に行っているという。そのことを娘に言うと「学校は嫌いじゃないって言ってたでしょ」だと。薬も毎日飲んでいることもなくいざというときはこれがあるからというお守りみたくなっているとのことだ。その状況が分かったので今日は代診ということでブスコパンをまた出し、次回は本人を連れてくるよう予約をいれさせた。ほーう・・良かった。結果は予想以上だ。母は感謝していたが、薬の減量を徐々にさせるべきかと尋ねてきたので「本人に任せなさい」と指導した。少し娘に干渉し過ぎではないかと思った。今のところは上手くいっているがまた不調を訴えないとも限らない。しばらく見守っていこう。

夜は串木野トリオリーグだった。私は245、203、222と前回に引き続き3連続200アップし今月は絶好調だ。今月のレーンコンディションが自分に合っているのだろう。それとマイボールのマスターマインドインテレクトがいいボールなんだ。マスターマインドシリーズは使っている人は少ないが強力なボールでスリウェル君もこの前自己最高を出したのはマスターマインドで投げたからではないかと私は思っている。しばらくは好調が続きそう。
(↓はこの日唯一撮影した私の投球です。途中邪魔が入るもボールのピンアクションの良さは分かると思います)

2015年5月21日木曜日

「緑ヶ丘の火事を知っているか」

南日本新聞の一面トップは「アイラにアライグマ」だった。今年1月に1匹罠に捕獲されたというニュースだが、最初はダジャレかいなと思い、次ぎに1月に捕まったのが今頃何で、そしてたった1匹ラスカルの仲間が捕まったくらいでと思った。アライグマは「特定外来生物」指定とかでこれらが地域に繁殖すると農作物を荒し生態系を崩す怖れもあるという。九州では鹿児島と沖縄以外は棲息が確認されていて農作物被害額は全国で3億3千万円ほどもあるという。狩猟期間終了後の4月に報告があり確認作業のため発表が遅れたようだ。そもそも日本にはいないアライグマは1970年代にアニメで人気となり飼う人も出てきたが実は気性が荒く逃げたり手放す人もいて野生化したらしい。アライグマちゃん、可愛い顔しておぬし、実は相当のワルよのう・・。

ブックリバーDrが病院に来てなり「先生、昨日の緑ヶ丘での火事を知ってますか」と聞いてきた。「ああ、確か小学生が亡くなったかもとか」「それがですね、私、昨日市立病院のドクターカーで現場に行ったんです」とその状況を語り始めた。彼は週1救急の仕事もやっているのだ。新聞によると小さな遺体があって小学1年のそこの子どもが行方不明とのことだ。彼の話では遺体の状況もあまり見たくない見せたくないものだったそうでやりきれないという表情だった。さらに詳しい情報を彼は知っていたようだがここでは載せられない。

夕方、「せっかくだから平日にも時間あれば打とうよ」と見せたまえ雀荘でいつもの4人がそろうことになり、そこでダイボDrから「緑ヶ丘の火事を知っているか」と尋ねられ、「実は火事に遭ったお母さんはオレの知っている人だった」と裏話を教えてくれた。当初気付かなかったが同じ職場の職員に言われて「ああ、あの人か」と思い出したそうだ。へー、見過ごしそうな記事だったのにさすがはローカル紙、意外に身近に関係者がいるもんだ。

さて麻雀の結果はまたしても見せたまえDrの圧勝、私が一番負けだった。見せたまえはついにというか私たちと打ち始めて初の役満を上がった。ツモリ四暗刻だ。3年間何度も聴牌まではするが不思議と彼だけが役満を上がれなかったのにどういう風の吹き具合だ。孫が生まれ、雀卓を買って勝ちまくっている。反対にこの3年でその月一番の負け額になってしまっている私。夜帰るときも道を間違い(プロボックスにはナビがないんだ、ちくちょう)暗くてタヌキでも出てきそうだった。ああ、早く抜け出したいよ、この暗い道。

2015年5月20日水曜日

元アイドルがAV女優に

珍しく好青年病院のトクジュウDrからCメールが来た。「お久しぶりです。ナカやん先生に先生のホームページを紹介しました。良く閲覧しているそうです」とのことだ。一瞬ナカやんDrって誰?と思ったけど、去年甲子園での日本シリーズ第1戦のチケットを提供してくれた東京の先生でトクジュウDrの知り合いとすぐに思い出した。あの時はいろんな偶然が重なって幸運にも野球観戦出来たのだった。座席が違っていて試合中も丁々発止やり合うことはなかったし、試合終了後私は大阪のホテルまで急がねばならず(実際たどり着くのに1時間20分もかかった)勝利監督インタビューを聞きたいナカやんDrらと合うことなく甲子園を後にした。メールでは彼も「挨拶ができず失礼しました」とのことで私も同じだった。阪神勝ちソフトバンクは負けたけれどどちらにとってもいい試合だったと言いたかった。その辺は「こてる先生のホームページ」にも書いた。(2014/10/25「日本シリーズin甲子園)ともかくたった一度の邂逅で日記を読んでくれているとは有り難いことだ。

AKB総選挙が投票が始まり各陣営や熱烈なヲタたちが血気盛んなところをネット上で見せつけ合っている。天井まで積み上げたCD(無論その中に入っている投票券が目的だ)やXX選挙対策委員会とか・・。「柏木由紀応援隊」たる名前でどこかの事務所を借りている写真もあった。速報では1位が指原莉乃で2位柏木由紀、3位渡辺麻友、4位松井珠理奈で私は心情的には松井珠理奈1位になって欲しいが予想屋としては昨日も書いた通り1位を柏木由紀にする。万年3位の彼女も1位になるとしたら年齢からして今年あたりがラストチャンス、それをヲタも一般ファンも感じているはずと思うからだ。


それより今日人間ドック室で見かけた週刊現代。グラビアに「元国民的アイドルグループ メンバー随一の巨乳娘がヘアヌードに!」とのタイトルで袋とじがあった。そこは利用者のためにと袋とじを解いて上げる私。見れば三上悠亜という名前の元アイドルが本当にヘアヌードになって写っていた。経歴も書かれてあり調べればそれは元SKEの鬼頭桃菜で間違いない。本人の名前で出ていないのはAKBグループ卒業後数年はグループのイメージを壊すような行動は出来ないとの決まり、契約があるからだ。AKB1期生で中心メンバー中西里菜が卒業後山口りこ名義でAVデビューした時もAKB運営側は苦々しく思っていた(はず)。逆にAV側からすれば元々ファンが付いていてそのギャップもうれしいと売れる要素がいっぱいゆえターゲットになりやすい。


鬼頭桃菜は私はその名前しか知らなかった。SKEのことを詳しく書いているヲタの文章を読んでいた3年前に「桃菜が今度の組閣で昇格出来ない(当時彼女は研究生)のではないかが一番気になる」との一文を覚えていて、へー、一般ファンの知らない世界だなと思ったものだ。彼女はその後正式メンバーになるも一昨年ジャニーズメンバーとの泥酔キス写真(当時未成年)がスクープされるなどでどうにも脇が甘いというかグループ内では今後活躍できそうにはない状況だったようだ。1年前に「自分のやりたいことをやって行こうかなと決断をして、卒業を決めました」と卒業を発表したのだったが・・。近々いわゆるAVのDVDが発売されるとのことだが好き好んでAVをやりたいはずはないのに結局はそれくらいしかオファーがなかったということか。今は評判を呼ぶだろうが芸能人としての将来は相当キビしいだろう。


SKE出身ということで私は珠理奈の心情が気になる。決していい気分ではないだろうし、かといってかつては同じ仲間、頑張って欲しい気持ちもあるだろうし。そもそも私は珠理奈の水着姿などあまり好きではない(貧乳だから?いやいやー)。私の中に娘を応援するような気持ちがあるからだと思う。ましてや娘がAVがらみのことをするなどもってのほかだ。芸能人をやっていくのも大変なんだとつくづく思う。

2015年5月19日火曜日

珠理奈に1票

火曜朝恒例の青雲会病院医局会の司会を信号Drが行った。少し緊張の面持ちだった。この医局長交代でかれこれ10年私の役割も終わったことになる。このほか業務の医局の世話係を引き継ぎをしつつあるところだ。
7月には一外科のDr派遣も交代になるらしいとの噂を聞いた。テッシーDrは後1年あるかと思いきや移動になりそうとのこと。代わりに来るというDrにちょっと意外な名が上がっていた。この時点ではまだ未確定で名前を出すわけにはいかないが知っている先生なので安心感はある。

夜は恒例のボウリング練習。タシケント、スリウェル両MRといっしょで私のスコアはまずまず。このところのT-MAXのレンコンとは相性がいい。1ゲーム目はタシケント195、スリウェル172、私184。2ゲーム目はタシケント163、スリウェル175、私222。3ゲーム目は私とタシケント君はスプリットを同じく3回出して150以下と撃沈したがスリウェル君はなぜか調子良く228と本日の最高スコアを出した。え?自己最高だって?いやはやそれはおめでとう。彼もうれしかったらしく携帯写メで記念にスコア表を撮っていた。ラストゲームは私が181でどうにかレンコン変化をしのいだが自己最高更新したばかりのスリウェル君は106で急降下した。ボウリングはレーンコンディション変化対応もだが気持ちのコントロールも大事だ。いい結果、悪い結果に関わらず平静でいられる必要がある。

帰宅して今日から投票開始のAKB選抜総選挙で松井珠理奈に1票を投じた。これで4回目だが毎回1票のみだ。他の太ヲタと違い何百票も何千票もいらない。推しメンが珠理奈だと確認するとともに自分も選挙に参加しているのだという実績のための投票である。AKB選挙を楽しむためにはやはり自ら参加しないとなー。次世代エースと言われて常に上位にいる珠理奈だがなかなかトップは奪えそうにない。今回は3位くらいに入らないと永遠の次世代エースのままだ。私の現時点での予想は1位柏木由紀、2位指原莉乃、3位松井珠理奈、4位渡辺麻友あたりか・・。それでも予想はなかなか当たるものではない。珠理奈のためにも波乱を期待するゾ。

2015年5月18日月曜日

一昔前のこてる日記〜「まぐVOW」より〜

朝、トシマロDrからメールが来た。以前からこてる日記のブログ化を頼んでいて「こてる日記のバックカップしましたが、掲示板に変な書き込みがあるようですのでできるだけ早く引っ越しいたしましょう。私はGoogleのBloggerというブログを使用していますが、これが広告が入らないので比較的気に入っています。しかし、簡単できらびやかなのはAmebloですが・・」とあった。よろしくお願いすると、夜には「ども、トシマロです。こてる先生のブログとしてhttp://koteru-nikki-2015.blogspot.jp/を用意しました。」と素早い。
この日はまだ眺めるだけで数日後にこてる先生のホームページからのコピペでアップしてみた。背景色を消さずそのままだったり、タイトルが文の中にあったり、日付を2週間前に戻さなかったりとまだまだであるがその後は画像や動画もアップ出来たりとどうにか順調に移行出来ている。トシマロDrに感謝だ。

で、最近は滅多に見直すこともない以前のこてる先生のホームページ日記をまた眺めてみた。本日は特にネタもないのでふと目に留まった10年以上前の日記を一部抜粋してみよう。題して「ああ、勘違い」シリーズだ。以前メールマガジンを受けていた「まぐVOW」からである。阪神星野監督やテトリスやら今からすると一昔前だなあと思うね。

○先日の出張の時、最近増えてきた自動チェックイン式のホテルに泊まった。
60代と思われる夫婦がチェックインの仕方がわからなかったらしく、
隣にあるカウンターにいたホテルマンに、

「今からワシらベッドインしたいんじゃが、やり方を教えて・・・」

と言っていた。そう言われてもねぇ・・・。

○先日スキー場に行きました。
そこのゲレンデ食には「キムタク丼」というものがあった。
ものすごーーーーーーく興味を惹かれたものの、その後の解説が以下のようになっていた。

「キムチとたくあんのどんぶり」

一気に食欲が失せた。

○あるエロサイトの表紙にこう書いてあった。

[18才未満だが素直に帰るわけがない方⇒ENTER]

非常に気になり、クリックしたら、そこは警視庁のホームページだった。

○いくら何でも少しは考えろよーと言いたいのが、うちの会社にある部署の略称です。

性能技術部は「性技」で、運送本部国際担当は「運国際」。

お客様の前でうかつに言ってしまいそうになり、じっとこらえました。

○ラジオでセクハラが話題になっていたときの投稿に、
「私が結婚前に勤めていた職場では、お尻やオッパイを触ることぐらいあたりまえ。
寄ってたかって抱きつくは、キスはしてくるは、時にはイチモツを出して迫ってきます」
というのがありました。
私が大学を出て最初に勤めたところはオッパイぐらいまではなんとかなりましたが、
ここはすごいと感心してしまいました。


今、一番下の娘が毎日バスで楽しそうにこういうところに通っています、「幼稚園」へ。

○私の会社に46歳にしては綺麗な女性がいる。
しかしこの女性、若くてカッコイイ男性と話す時だけ必ず手を頬に添える。
男性が右に居れば右頬に、左に居れば左頬に、正面に居れば両頬に手が貼り付いているのだ。
ブリッコしててキモイという男性陣。
でも、女性陣はみんな知っている。
実はブリッコじゃなくて、指先で目じりのシワを伸ばしていることを・・。

○私は年頃の24才の女性です。
お盆で田舎に帰ると必ず「結婚はまだか?」と聞かれてウンザリ。
そのとき祖母が、「そろそろ孫の顔が見たいねぇ~」。
おばあちゃん、孫って私じゃん!

○新聞のTV欄を見ていたら、NHK教育の番組に「性的腰痛」というのがあって、思わず目をとめた。
よく見ると、上の行の最後に「慢」の字があった。
安心した。

○バイク通勤をしていた上司(係長)は、ヘルメットをかぶらず通勤した日の夕方、
帰り道で検問をしているという話を聞き、一瞬「しまった!」と青ざめた。
が、何を思ったか自分のロッカーに密かにしまってあった剣道の面をかぶって帰ってしまった。
返って目立って止められ注意を受けたらしい。

○とあるデパートのトイレに入ってみると、なにやらあやしい声が・・・。
「はやくっ!長いのいれてっっ!そうそう!!そこそこぉぉっっ!!!!」
やばいとこに来ちゃったかなと思ったら、でてきた女性達の手には、テトリスが。
少し安心しました。


○「阪神の選手は阪神電車の運転手や車掌、阪神百貨店や阪神パークで働いている。
だから練習時間が取れなくて弱いんだ」と、小さい頃父親に教え込まれ、ずっと信じていた。
ちなみに、一軍選手は運転手や車掌、百貨店、二軍選手は地下食料品売り場や阪神パークが持ち場だと教え込まれていた。


○阪神の監督になった星野監督、ラジオのインタビューで今岡選手について
「気合が足りない、一から叩き潰してやろうと思っている」と答えていた。
潰さないで叩き上げてください。阪神ファンより。


○まだ新婚ホヤホヤだった頃、夫が「こっちに来いよ」と私を布団に誘った。
ドキドキしながら布団に入って・・・ん?何か変・・・
布団の中には夫の屁が充満していた。

○最近、携帯をカメラ付きのものに買い換えました。
母親に見せたところ、いまどきグッズにすっかり興奮した様子でいいました。
「そ、それって、携帯で電話できちゃったりしちゃうやつ?」


○うちのおじいちゃんがまだ生きていた頃、バーモントカレーのCMを見て、
「りんごに蜂蜜をかけるとあんな風に割れるんだねぇ」と、一人感心していました。

○アロハを着ている友達に「今日は素敵なアフロだね」と言ったら、
「だろ?」と満足気に言われました。

○中学生の頃、気の弱い同級生A君は悪友のBに好きな女子の名前をクラス中に暴露された。
珍しく顔を真っ赤にして怒り出し、その取り乱し方は尋常ではなかった。
そして言い放った。「くそぉ、怒りが有頂天に達した!」
どうやらとても嬉しかったようだ。


○小学校の時、塾のテストで「母国語」の反対語を書けという問題が出ました。
私は「うちでは、国語を教えてくれるのがお父さんで、算数を教えてくれるのがお母さんなんだけどな」
と思いながら、「父算数」と書きました。

朝のラッシュ時に、山手線先頭車両の一番前を陣取った専門学校生風の女の子2人の会話。
A子「電車の運転席って初めて見たよ~。結構、景色がよく見えるジャン!」
B子「あれぇ?ハンドルついてないよ~!どうやって曲がるんだろう???」
A子「マジちょーやばいジャーン!」
ハンドルついてたら脱線すると思うけど・・・


○お正月を田舎で過ごすため、兄の家族が帰ってきてた。
夜、姪が「一緒に入る」と言うので、一緒にお風呂に入ったときのこと。
姪が顔を洗って、次に私が化粧を落とすべくクレンジングを手に取ると、言った。

姪:「お姉ちゃんは石鹸が違うの?}

私:「そうだよ、お化粧してた人は違うの。」
姪:「どうしてお化粧するの?」
私;「う~んそうだな~。う~ん」
姪;「ブスだから?」
・・何もいえなかった・・。

2015年5月17日日曜日

全自動麻雀卓がやって来た

5月17日は勝手ながら「こてる日記記念日」だ。2000年のこの日に鹿大ボウリング同好会にこてる日記のページが出来てそれから連綿と書き続けてきた。2年後くらいにホームページを作って(もらい)ずっとそこに書き続けてきたがブログに今月移行したばかり。

さあそんな記念すべき日にまた記念すべき出来事がー。見せたまえDrから「今日、13時頃全自動卓が届くから」との連絡で待機していた。するとサブアラドDrから11時半ごろ電話があり「見せたまえのところに行く前にいっしょに昼ご飯を食べよう」とのお誘いがあった。今日はカールが所用で家にいないと知ってのことで、彼の奥さんともども山形屋近くの中華店「日火炎」にいるから冷やし中華を食べようとのこと。特にすることもないしたまには良かろうと出かけた。

日火炎は老舗で大学内視鏡室の忘年会会場として年に1回は訪れていたものの、ランチは私は初めてだった。意外に客が多い。すでに冷やし中華(五目冷麺)は注文されていていっしょに食べた。黄色のスープに特徴があるようだ。いつもは堅焼きそばにするらしいがそろそろ暑くなってきてこれにして冷やし感がなかなかのものだった。

ここで一旦彼らと別れた。私は早めに吉野台地の見せたまえ産婦人科へ、彼らはクリーニング店や菓子屋にまだ用があったようだ。産婦人科に着き、見せたまえの院長室に入り、まずテーブルの脚を外す作業を彼と始めるとついに宅配業者が麻雀卓を運んで来た。脚部と本体が別々でこれを組み立てなければならない。それに椅子と麻雀台の組み立てもある。一人では絶対無理で二人でもどうかと思っていたらダイボDrも来ていっしょに作業に入った。ねじ回しやらレンチやら小道具を駆使してまずは台のとりつけが終わった。椅子は一番簡単で差し込むだけ。テーブルが最初戸惑って上手くいかなかったがちょうどサブアラドDrが到着し「ほらこうすれば簡単確実だ」と手本を示してくれなるほどそれならやりやすいし簡単だった。やはりみんなで協力すれば早いし上手くいく。

さあ、卓は中古でもきれいにオーバーホールされ牌は新品。電源スイッチを入れ一組目の青色カバーの牌を牌投入口に入れる。カチャカチャカチャとセッティングされているようでピーッと完了音が鳴り、二組目の黄色カバーの牌を準備しこれを投入口からまた入れる、そしてスタートボタンを押すと一組目の牌が四方の山からせり出す仕掛けだ。せっかくなのでそのシーンはデジカメでビデオ撮りした。うぉー!うまくいって思わずみんな笑顔に。そのシーンは以下に動画アップしておく。ブログになって動画も簡単にアップできるようになった。日記見るのも楽しくなるわ。

それからどっぷり麻雀に浸かった。雀荘と違うのは飲み物はセルフで食事は今回は一時中断しコンビニに買いに行った。次からは出前を頼むことにしよう。自動卓の調子は良かったのだが途中から牌のリフトが一ヶ所引っかかることがたまにあった。上蓋をちょこっと上げて戻すとすぐに戻るがここは原因を確かめ全く起きないようにしなければならない。その他は築牌はスピーディーで点数表示も快適で見せたまえDrも「思っていたよりずっといいわ」と喜んでいた。選んだ私もほっとした。ただ麻雀の出来は私は最悪で9回半荘やって1回のプラスもなく一人負け。いったいどういうこと?五月に入ってから見せたまえが特に調子いい。孫が生まれたし、出産を気にすることなく打てるしで購入者ならではの効果がさっそく出ているようで明暗分かれた。ううむ。ま、しようがない、次回に期待しようぞ。

2015年5月16日土曜日

外来歓迎会

土曜午後は院外Drが来る夕方まで居残りだった。でも日頃の行いのよい(?)私には全く何の連絡もなく当然診察をすることもなく楽勝の当番だった。私は当初夜まで当直するものだと勘違いしていて、外来の歓迎会参加は断っていた。しかし夕方までだったので参加OK、19時に姶良の居酒屋「前座」に向かった。外来歓迎といっても服裂き魔Nsや福恵Nsら出産復帰組や福香さんら配置替えなどで全くの新人歓迎ではなかった。その分気兼ねなく飲んだり騒いだりが出来るというもので、21時半ごろ私に「副院長として1本締めを」と言われてやったにも関わらずほとんどがまだがやがやして立ち上がる気配がなかった。20分ほど経ち、ラストオーダーも過ぎていたので今度は眼科のブラロックDrに締めを言ってもらいようやくお開きとなった。

「センセーも二次会行きましょうよ、カラオケ歌いましょ」とシホねえNsに誘われるも全く飲んでもいないし、内視鏡室忘年会で歌ったのはみんなが歌いやすいよう最初にマイクを握った訳で、「でも上手かったですよ『若者たち』」と言われてもあれはとても簡単で誰が歌っても上手く聞こえる歌だからねえ。それよりあんた、風邪気味だったつーに二次会行くんかい?まあ台湾で帰国前日の深夜0時過ぎ、ホテルに帰ってきたのに「みんな今からカラオケ行こーよ」と言うくらいだからそれくらいへっちゃらか。あの時は即断ったら結局一人で見知らぬ台北のカラオケ店に行ったんで後でみんなびっくらこいたもんな。ハイハイ、楽しんできなよ。オレは帰るから、じゃーお疲れさん。実際高速では睡魔と戦いながらほうほうの体で帰ったのだった。

2015年5月15日金曜日

「日本百名山」

深田久弥(きゅうや)著「日本百名山」(新潮文庫)がamazonから届いていた。

NHKBSの「グレートトラバース日本百名山一筆書き踏破」に影響を受けて原著たる「日本百名山」を読んでみたくなったのだ。深田久弥の名前は知っていたし日本百名山を選定した人というのも知っていた。しかし内容は全く知らずどの山が百名山なのかもたまたまBSで番組を見て鹿児島県は屋久島の宮之浦岳と開聞岳と霧島山(韓国岳、高千穂峰)の三山を含むことを知った。番組では九州と中国地方の大山までは見た後、しばらく休んで日本アルプスの山々は見過ごし、富士山のあたりからずっと録画視聴していた。毎回毎回様々な山を登り移動もすべて徒歩の田中陽希氏には敬服するばかりだ。

番組途中でほんの十秒ほど原文が紹介されるが、これがなかなかよくて深田氏がそれぞれの山をどのように紹介しているのかもっと知りたくなった。
「富士山」は「この日本一の山について今さら何を言う必要があろう」で始まる。他の山は自分が登った感想を記しているが富士山の項では一切なくただ歴史と日本人がいかにこの山に圧倒され続けて来たかを余すところなく書いてる。何を言う必要があろうどころか語りまくって実際の登山がどうかを忘れてしまっているかのようだ。ま、それは田中氏が番組でやってくれているわけだ。

「開聞岳」では「・・しかし高さこそ劣れ、ユニークな点では、この山のようなものは他にないだろう。これほど完璧な円錐形もなければ、全身を海中に乗りだした、これほど卓抜な構造もあるまい。名山としてあげるのに私は躊躇しない。」と紹介している。百名山を上げるにあたって氏はいくつか基準を設けている。その中に千五百メートル以上というのがあるが高々924mの開聞岳が選ばれた理由がたった数行的確に書かれてあった。幼いころから見てきた山がそんなに特徴がある山だと言われて初めて気付いた次第だ。

ぱらぱらとめくって気になる山がどう書かれてあるか読むもよし、北の「利尻岳」から順にじっくり読むもよしだ。そして一度読んでもまた読める。ここがすごい。50年ほど前の1964年に出版されてからずっと版を重ねていて文庫版も1978年から私の版で56刷だ。百名山全部を実際に登ることは私にはおそらくかなわない(登ったことがあるのは100のうち1の霧島山のみ)が100編読むことは出来る。そして代わりに田中陽希氏が登ってくれる。この二つで代理満足出来るのだ。本も映像もまだまだ知らない山がいっぱいだ。当分はこれらで楽しめそう。読後感、視聴感はまだまだ続く・・。

2015年5月14日木曜日

プロボックス納車

頼んでいた中古車が整備完了でトヨタまで夕方受け取りに行った。黒色のプロボックス、13年落ちである。前オーナーが丁寧に乗っていたせいか塗装はきれいでとてもそんなお古には見えない。担当のヨシナオさんが言っていたように白やシルバーでなくて良かった。それだといかにも商用車っぽくなる。それとナンバーが500で「特に指定したわけでなく全くの偶然なんです」とのことだった。何となくラッキー!
運転してみて馬力がやや弱く音もうるさい、それにナビはなくオーディオはラジオとAUXがあるだけでエンタテイメント性は低い。iPodがつなげられるのだけは幸いか。でも半年ほどの我慢と思えば値段も安いし我慢できるわ。実は中古車を所有するのは生まれて初めてだ。どんだけお金持ちよと言われそうだが新車を長く乗ることが多かったからだ。思わずスピードを出してしまうこともなさそうだし、今回の事故は安全運転しなさいという神様のお告げだと思うことにしている。↓は納車前の仮ナンバー時の「マイカー」です。

夜は久々に中高の同窓生水床君幹事のミニ同窓会に出た。場所は天文館ややはずれの樋之口町にあるカラオケバーで光頭中同期の益祥さん経営の店だった。え?中1の時同じクラスだった?全く覚えていない。実際帰ってから卒業アルバムで顔を見比べたがそれでも思い出さなかった。すまん。だいたいいつものメンバーでセントラル高卒は共通だが3/4は光頭中出身で、昔の悪さ話で盛り上がった。聞いていて自分や歯科医のノースガーデン君はやはりまじめな方だったんだなと思った。親に黙ってバイク乗り回して事故ったり(それも親には転んだ怪我でごまかした)、スナックに出入りしてバイトしたりとか真似出来んわ。

それと城塞中出身のマサノブ君は今年1月心臓バイパス手術を受け6本血管移植したとかで生々しい傷跡を見せてくれた。みんな50才半ばを迎え健康には気をつけないととうなずき合うことだった。