2014年6月30日月曜日

憲法改正

可愛いんだ理事長が朝礼で珍しく最近政治で一番の話題の「集団的自衛権行使問題」にちなんで自分の意見を述べた。これはひとえに日本国憲法第9条にどう向き合うかの問題とも言える。理事長は改憲派である。戦争はしたくはないが周辺国が反日教育をし敵愾心を国民に植えて付けている現状で何も手を打たない、いや手を打てない憲法はおかしいとのことだ。例えとして紀元前の古代国家カルタゴの滅亡を上げていた。地中海貿易で富を得ていたカルタゴ市民は古代ローマ帝国と三度にわたるポエニ戦争の三度目で交渉とお金、さらには傭兵を使って解決しようとしたが結局傭兵は逃げだし役に立たず、以前からカルタゴ憎しのローマ帝国は男は虐殺、女子どもは奴隷にし根絶やしにしたのだった。チベットやウイグル民族が中国にどのように扱われているかを見れば今の日本もそうならないとは限らないと。

歴史に学ぶとはこういうことなのだろうが、一方で護憲派は違う歴史に学ぶ姿勢を見せている。内田樹は自信のブログで「ワイマール共和国の末期、ヒトラーへの全権委任についての国民投票では89.9%が賛成票を投じました。第三共和政の末期、フランスの国民議会議員の85%はペタン元帥への全権委任に賛成票を投じました。なぜ、ドイツやフランスの市民たちは自国を近い将来破滅に導く指導者にこれほどの権限を気前よく委譲したのか」との例を上げている。

私は、よく分からない。どちらの意見も聞けばなるほどと思うところがある。安倍総理が憲法を変えずに解釈を変えて対応しようとしたのは改憲を目指しても国民には反対されるからだとの護憲派の指摘は当たっている。日本国民はそれほど平和憲法を守ろうとしているのか。いや、どうもそうではない気がする。

そもそも日本人は憲法のような大本になるような法律は変えたがらない民族なのだ。安部総理でなくても都合が悪くなったら末端の法律を変えたり解釈を変えたりして対応してきた。大宝律令は後の養老律令になりおおよそ200年くらいで実情に合わなくなったのに何と名目上は1885年の内閣制度開始まで残るのだ。日本人はそれらを捨てて新しく憲法のようなものを作ろうとはしなかった。そういう国民性なのだ。

ちなみに先進国と言われる国が1945年以降どれくらい憲法改正しているかというと、アメリカは6回、カナダは1867年憲法が16回、1982年憲法が2回、フランスは27回、ドイツは57回、イタリアは15回、オーストラリアは3回、中国は9回、韓国は9回である。日本は0回だ。大丈夫、実情に合わなくても解釈を変えればどうにかなるから。きっと今後も0回が続くことだろう。

2014年6月29日日曜日

のたうちまわる

夕方から当直だった。最近このパターンが多い。土曜昼から日曜夕方まで一外科のDrが月2回当直してくれるためにこうなる。日曜が完全にはリラックス出来ないけれど朝から当直するよりはいい。夜は比較的落ち着いていて仮眠も出来た。しかし明け方もう明るくなってから「男性二人、どちらもお腹を痛がって外来に来ています」と当直看護師から連絡があった。行ってみると二人いっしょに来たわけではなく無関係だった。ただ共通しているのは非常に痛がっていて一人は椅子に手を掛けしゃがみ込んで痛さをこらえ、もう一人は何と外来の床寝転びのたうち回っていた。ここは野戦病院か・・。

救急のベッドに移らせ順次診察へ。のたうちさんはとりもなおさず座薬を入れ点滴をつないだ。手を掛けさんを先に診てどうやら胆石のようだった。そそくさと指示しのたうちさんに行くと少しだけ痛みが和らいでいる。そのうちどんどん軽減していき点滴が終わる頃にはすっかり良くなった。あのケモノのような痛がりようは何だったのか。CTその他の検査結果で尿管結石と診断した。青雲の泌尿器科受診を勧めたが「もう帰る」だってさ。「石」の痛みでも尿管結石は極端だ。膀胱にポロッと落ちるだけでけろっと治ってしまう。野戦病院は市中病院に早変わりしたのだった。

2014年6月28日土曜日

心拍再開

朝、連絡を受けた救急心肺停止患者はまだ30才代前半の若者だった。詳しいことは分からない。皆と「いったいどうして心肺停止になったのだろう」と推測し合った。母親がアパートに行ったらそうなっていたということくらいしか伝わってきていない。薬物中毒か、なにか自殺でも図ってのことか。ともかく気管内挿管、ライン確保などの準備をして待った。

救急隊が到着し、即蘇生に入った。心臓マッサージは当然続け、強心剤を打ち、挿管チューブは人工呼吸器につなぐ。患者は高校のころから1型糖尿病に罹りインスリン治療を続けていたということだった。これまでも低血糖発作で意識が遠のいたことが何度かあるとのことですぐに血糖値を調べた。しかし測定不能。低血糖ではなく逆に高血糖過ぎるということだ。点滴次いでに当然採血もしていた。心臓マッサージが続き、何度目かのボスミン注で心拍が再開した。脈も触れる。もしかしたら蘇生できるかもしれない。母親に心拍が戻り入院の上で管理し回復を待つと伝えた。しかし数十分後また心拍が止まりマッサージと注射を繰り返した。採血データでは極端な高血糖と酸性の血液(アシドーシス)、高カリウムがあり糖尿病性ケトアシードシスの重症タイプと分かった。もしかしたらインスリンを自己判断で打っていなかったのか・・。

心拍がまた戻り血圧も維持出来たので病棟に上がってもらった。しかし1時間もしないうちに心拍停止となった。病棟看護師が交代で心臓マッサージをし30分ほどでまた心拍再開した。心臓はもともと正常で強かったのだろう。80才90才のお年寄りではこうはいかない。午後1時半になっていて土曜の勤務も1時間オーバーしており後を当直医に引き継いだ。家族には相当厳しい旨説明した。気がかりは母親が「昨夜から連絡ないので今朝様子を見に行ったのだけれどもう少し早く行っておれば・・」と自責の念にかられている様子だったことだ。気持ちは分かるがお母さんには責任はない。自分を責めすぎないように。

この後、5、6回以上心停止と復活を繰り返しおおよそ12時間後ついに心拍戻らず亡くなったという。心臓マッサージは短くて20分、長くて40分かけ心拍再開にこぎ着けたとか。看護師たちには頭が下がる。人が亡くなるのは誰でもそうだが特に若い命が失われるのつらいことだ。合掌。

2014年6月27日金曜日

みんなで力を合わせれば

蒸し蒸し梅雨のさなか、それでも串木野トリオリーグはやって来る。W杯のせいで睡眠不足でボウリングにも集中できないが、そこは団体戦のいいところで仲間が頑張ってくれたりするとそれに乗せられて自分の調子も良くなることがある。今夜はまさにそんな好循環パターンだった。キャップの海広しDrがここしばらく用事が重なり出場出来ず、米将軍MRがヘルプで参加してくれた。彼のマイボールはかつての私のお気に入り'Nsane LevRG(発音が難しく、インセーンレブアールジーと呼ぶ)で私が使っていた時以上に彼にはぴったりはまっている。最初こそオイルの多いレンコンに戸惑っていたけれど2ゲーム目からはストライクを連発し彼が出さない時は私かコンピロ君がストライクと上手く巡り巡って2ゲーム目3ゲーム目は連勝した。将軍は2ゲーム目は214だったのに3ゲーム目なんて136、しかし3ゲーム目の方がハイフレ計算では269というハイスコアだったのだ。まさに団体戦の醍醐味だ。次戦は2週間後、また将軍様、コンピロ君とのトリオだ。がんばるべ!

2014年6月26日木曜日

久々病棟歓送迎会

またアロハ出勤。週一くらいで着ていくと必ず誰かが「いいですね」「似合ってますね」と言ってくれるからうれしい。

夜は5F病棟の歓送迎会に参加した。毎月のようにどこかの部署が歓送迎会を居酒屋などで行っているが金曜土曜が多くなかなか参加出来ないでいた。今回は木曜だったのでOKだった。国道10号線沿いにある「モンガ」って店で駐車場もちゃんとあったのだけど通り過ぎてしまってラーメン屋の駐車場に駐め歩いて戻った。ヨッシャーDrは今月で転勤で今度は鹿児島市内の天妖怪病院とのことだ。他病棟替えや新人さんたちの歓迎などあり私も日頃名前だけは覚えるようにしている職員たちとちゃんと話しができ有意義な会だった。20才代前半から半ばの女性看護師らは大半が彼氏がいるとのことだが遠距離だったり年下だったりでそれぞれ悩みを抱えているようだった。私は「あせることはない。別れてもいくらでも次が見つかるよ」とアドバイス。しかし逆に30才前で「いい人がいない」と嘆く独身者には「そこそこでいいからさっさと結婚しなよ」と言う。20才代を過ぎると今度はふさわしい男性はぐっと減る。相手が60点くらいでできたら70点80点の人と結婚したいと思っていても今度は50点40点しかいなくなりこんなことならあの時の60点の人と結婚しておけばよかったとなる。若すぎる時には50点の人も90点に見えるからあせるなと言うけれどネ。最近は独身のままでも特に珍しくなくなってきているので「おひとり様」として仕事と遊びを両立していくのもいいかも。無理してダメ男と結婚して苦労するよりはずっとマシってか。

アルコールは飲まずにいたので一次会でお開きになったあとは即帰宅した。近頃はW杯の観戦でTVを見る機会がぐっと増えた。一次リーグもそろそろお終いだ。コスタリカの1位通過やスペイン、イタリア脱落以外は割と妥当で強豪国が残っている。決勝トーナメントはさらにシビアな戦いが予想され楽しみだ。

2014年6月25日水曜日

はいはいお終いそしてこれからもよろしく

これを書いているのは7月9日、ブラジル対ドイツの準決勝があった日で、この日は日本対コロンビアがあった日だ。2週間も経つとはるか以前のことのように思える。

この日も明け方わずかに期待しながら試合を見ていた。日本は前2試合と違って良く動いていた。余裕なんてないから当然だ。しかし1.5軍のコロンビアを押してはいるものの得点できないうちに今野がファイルでPKを与え先制されてしまう。はあ・・。前半終了間際に岡崎のヘッドで同点に追いつきまだ望み持ったものの、後半、主力のハメス・ロドリゲスなどが出てくるともうダメ。やっぱジツリキがまだまだなんだってことよ。本日のブラジル同様後半途中からは寝ぼけてろくに試合は見なかった。はいはいお終いお終い。また出直しよね。そうそう世界で結果を残せるほど甘くはないっす。

お昼に来月から毎水曜日に非常勤で内科外来を診てくれる「子作り」Drが挨拶に来ていた。2内科にも在籍したことがあるそうだ。名前はもちろん子作りではないが一瞬そう聞こえたのも事実。週1でも大いに助かる。これからもよろしく!

2014年6月24日火曜日

ダブルス戦圧巻

またもや本日6月24日に大腸癌の進行癌の患者が見つかった。実はこの人を最後に2週間後の現在(7月8日)まで出ていない。ようやく連鎖反応が止まったようでほっとしている。もう一人直腸にLST(平坦で幅広い形をしたポリープの一種)が見つかった人は生検で癌は出なかったが、今後癌に進展する可能性があるため切除が必要で、ESDといって内視鏡で粘膜下層ごと剥ぎ取ってしまう技術があり好青年病院のトクジュウDrに依頼した。電話するとちょうど先月依頼した同じような病変の患者を本日切除するとのことだった。うちはお得意様になっていますなあ。どうせ切除するなら後者の方が100倍いい。毎度言っていることだが早めの診察&検査が大事ってことだ。

本日のボウリング練習では最後のダブルス戦がびっくりだった。私とサトリョーMR組対難ガターとスリウェルMR組の対戦でサトリョー君が初心者ゆえハンディを20ピンもらって挑んだが1戦目は込みで11ピン差負け。最後の2戦目は勝利を目論んだが、何と難ガタースリウェル組は255ピンというダブルスにしてはトンデモスコアを出して圧勝したのだった。特に難ガターさんは曲がり過ぎるレンコンに業を煮やしてスペア用ボールで投げそれが見事にはまった。連鎖反応というかスリウェル君もウラにいったりラッキーピンアクションがあったりで後半6フレから7連続ストライクが出た。一人でなく二人だったからこそ出来たのかもしれない。負けた私は良いもの見せてもらい喜んで飲み物をおごって上げた。普段は接戦が多いダブルス対戦、今後もいろんなドラマが待っていそうで楽しいわ!

2014年6月23日月曜日

泣かす王

9週連続大腸癌患者発見は当初腸炎で近医より紹介された高齢男性だった。入院後は下痢も治まり念のための大腸検査のはずだった。患者は兄が大隅方面で医院を開業しており胃カメラなども受けていたが大腸検査は経験がなかった。聞けばその兄Drの息子は私の大学内視鏡室の先輩泣かす王Drだった。少々怖い先生で私も何度か叱られ指導を受けたものだ。翌日外科の信号Drに手術の依頼をし転科となったものの、一瞬「泣かす王先生の関係者ですか・・」と躊躇する様子があった。大学での接触は20年近く前になるはずだがどこまで怖いんだ、泣かす王先生。研修、修業時代の先輩っていつまでも緊張するもんですネ。

2014年6月22日日曜日

W杯印象

今日1日は全く何の予定もなくずっと家の中で過ごした。W杯もドイツやアルゼンチンなどが格下と思われたイランやガーナに接戦を演じやはりW杯は一筋縄じゃいかないと思った。予選リーグで見た中ではスイスが印象に残っている。一時フランスに0ー5と大差を付けられ結局2ー5で敗れたがプレイを見ていて「強いじゃないか」と思った。日本よりは絶対に強い。フランスとの試合は序盤にアクシデントがあってたまたま差が付いただけに見えた。チッチも「スイスは強い」と言う。このあとホンジュラスとの試合は勝たないとリーグ突破は厳しいがきっとやってくれるだろう。毎日明け方にW杯ゲームを観戦して睡眠がぐちゃぐちゃになってしまっている。久々にアフタ性口内炎も出来ているしー。まあ真剣勝負のサッカーは日本が出ていなくても面白い。今大会は得点シーンも多いしスター選手も活躍している。まだまだ眠られない日々が続きそうだ。

2014年6月21日土曜日

お人好し流れ満貫

2週間ぶりの麻雀で今回は倍売る薬品の開けたいゾMRを交えいつものサブアラド、見せたまえDrが相手だった。結果は開けたいゾMRと私が勝ち、サブアラドDrちょい負け、見せたまえDrの惨敗となった。

それを象徴する場面があって、ちょっとしたミスで見せたまえDrは大損をしたのだ。私はイッツードラ1を密かに張っていたが場が重くどうやら流局になりそうな雰囲気であと1巡でお流れという時に見せたまえDrが「あーあ、これで么九牌が切れちゃったよ、流れ満貫を狙っていたのになあ」と北を切った。みんな一斉に河を見るとなるほどそうで「うへー、全然気がつかなかった」と声を上げた。このまま么九牌が河に置かれれば親の満貫ツモ扱いになり一気にトップに躍り出る。そのまま最後の牌を見せたまえDrがつもると何とそれは9ピン、ぎゃっ、流れ満貫完成だよ。そう思った瞬間、見せたいゾMRが78ピンをさらしこれをチー!「あーっ」とため息と歓声が。流れ満貫は捨てた牌を鳴かれるとその時点で不成立になる。見せたいゾMRは鳴いたかといって別に聴牌はせず明らかに満貫阻止に動いたのだった。他の誰も気付いていなかったので漏らさなければ彼はチーはしていなかった。見せたまえDrの親番は流れそのまま浮上出来ずに終わった。「まさか最後持って来るとは思わなかったのよ」とは言うが私だったら絶対に沈黙を貫いていたはず。お人好し過ぎるぜ!

サブアラドDrは苦しみながらの麻雀であったが中盤見せたまえDrとのリーチ合戦になり「よし!ツモった!」と5ピンを卓に置くと何と親の四暗刻だった。三コロドボン役満賞などボーナスがたくさんでこの一局だけで+120も稼ぎ一気にトータルトップになった。「久々の役満じゃー」とご満悦だったが、この後は私と開けたいゾMRが頑張りサブアラドDrはわずかながら沈んでしまった。役満や大トップを取ってもトータル勝ちにまではいかない、なかなかに厳しい場なんである。

2014年6月20日金曜日

鎮魂対馬丸

朝は見ていましたよ、W杯日本対ギリシャ戦。でも通勤時間帯にかかって車の見えない画面からの音声でのみハラハラ、イライラしつつ聞いていた。相手は10人だというのに点を決められない。結局、0-0のドローかよ。がっくり。これで残るコロンビアには勝つのが難しい故決勝トーナメント進出は困難になった。大迫も前半頑張っていたようだが残念だ。

報道番組で沖縄の戦時中の学童疎開船「対馬丸」の悲劇のことが出ていた。魚雷撃沈され学童約780名を含む1400名以上が犠牲になった事件から今年で70年経ったという。私がこの事件を知ったのは初めて沖縄に行った昭和63年のことだ。このほかにも悲惨な沖縄戦のことを本やMOOKなどで知り衝撃を受けた。沖縄の本屋には地元出版のこの手の本がいっぱいあった。有名なひめゆり学徒隊のエピソードも沖縄戦の中ではさほど目立つものではなくヤマトンチュは沖縄の悲劇をもっと知るべきだと思ったものだ。天皇陛下もことのほか沖縄には思い入れがあるようで自分と同世代の学童等が犠牲になったこの事件に以前から追悼の意を示され近々慰問されるそうだ。これは沖縄の文化研究の著名学者外間守善(ほかましゅぜん)の影響もあると聞く。ご進講の際、陛下の質問に外間の身内がそれで亡くなったことを答えたとか。

この対馬丸、うちとは関係なさそうだったがそうではなかった。「もし」があればだがカールは生まれていなかった可能性がある。というのも、カールの父(故人)は当時10才で親のショークンは家族のうち一人でも疎開させようとし那覇港の対馬丸に一旦は乗せたのだが、見送り付き添いの祖母がぐずる孫を降ろさせ(お腹をこわしていたとの説もある)たのだった。祖母が離ればなれになるのを嫌がっただけかもしれない。しかし結果的には正しい判断だった。撃沈され助かった学童は59名2割にも満たなかったのだから。

そのころギボヒサコ一家はキンキサ父だけ沖縄に残りミネキヨ母以下弟妹らと鹿児島の大口に疎開していた。幸い両家とも誰も犠牲にならず沖縄戦を生き延びた。幸運だったと言えるだろう。6月は沖縄戦が終わった月だ。犠牲の上に今の沖縄がある。鎮魂。

2014年6月19日木曜日

1日失1生得

この前も書いた気がするが4月末から毎週必ず大腸癌しかも進行癌が最低1人は見つかっている。今週でついに8週連続となった。(記載時現在9週連続を達成、こんな記録続いて欲しくはない)

それぞれ部位も直腸から盲腸まで形態も様々だが全員に共通する点が一つある。食生活や体質、男女差は関係なく、みんな無症状の時に検診や大腸内視鏡を受けていないという一点である。大腸癌の症状でイメージする血便や便秘、食欲不振、減量なんてかなり進行癌になってからの話で早期癌はまず無症状、進行癌になりかけでも一番多い症状は無症状なんだ。いつも話すのだけれど、風邪の方が癌より症状が重い。風邪になったばかりの人は「風邪かも」と言って病院によく来るけれど大腸癌になったばかりの人が「大腸癌かも」と言って受診したケースは今まで経験がない。風邪は放って置けば大多数は自然に治るけれど大腸癌になって放っておくとどうなるかみんな頭では分かっているはずなのに痛みもきつさもないから放置する。命に関わらないきつい病気ときつくないけど命に関わる病気は対処法が違う。

40才くらいになったら検診かできれば一度大腸内視鏡を受けてほしい。一度でも大腸内視鏡を受けた人は大腸癌で亡くなる危険度ががくんと下がるはっきりしたデータがある。ましてや自分の年齢が70才を過ぎている自覚があれば検査を受けてみよう。以下は早期大腸癌を内視鏡切除してもらい追加手術も不要だった70才代男性が自らのホームページに写真付きで公開した一例である。検査は1日、その後の自制もたった1週間だ。検査が面倒くさい、何もないから受けなくてもいいやと放置している人は「1日」を嫌がり「1生」を失う羽目になると肝に銘じて欲しいものである。

2014年6月18日水曜日

ビッグファイブ

好評のアロハシャツ出勤をまたした。そのままアロハ診察もするも特に患者さんから「何で白衣じゃないの」とのクレームはない。ネームつけて医者らしい仕事をすればOKってか。ただポケットが1個しかないのがポケット大好き人間にはちとつらい。デジカメもズボンポケットに入れて歩くのでやりにくい。それでも受けがいいとまた着ていくわけよね。自分の価値観より世間の評判に弱いのは人の性(さが)だとはその昔芥川龍之介が小説「鼻」で喝破していたわ。

夕方は七五調病院で難ガターさんら病院スタッフと感染症委員会の会議に出席した。過ごし安病院から例によってサブアラドDrも来ていて顔を見るなりニヤリとされた。会が1時間ほどで滞りなく終わり、彼が話すことが「いやー、娘になんて言おうかなと思って」と。実は今度の土曜に麻雀を画策しているがサブアラドDrの胆石退院後初の帰省をする娘が機嫌を悪くするのじゃないかと心配していた。「せっかく帰って来たのにまた麻雀?」とつむじを曲げると怖いんだとか。「うん、そりゃ大変っすね、別に無理しないでお流れになっても私は構いませんから」と答えたものの、どうにかして場を設けたい風だった。いつもは奥さん、今度は娘のご機嫌を伺いながら一家の主(あるじ)は麻雀に臨むのである。プレッシャーに負けるか・・いやいや雀オタクのサブアラドDrだもの、きっとどうにかしてこぎ着けるはず。期待してまっせ!

夜は難ガターさんと国分スターレーンに行き、待ち合わせていたスリウェルMR、タナカッツMRとボウリング練習をした。T-MAXと違ってレーンが速い。少々面食らうも私はアウトサイドに立ってすぐに修正できた。タナカッツ君はT-MAXのイメージが抜けず立ち位置が悪い。この辺は経験がものを言う。

最後は恒例のダブルスで私とタナカッツ、難ガターとスリウェル組に分かれた。やはり接戦になる。今回、超珍しいことに私はビッグファイブをクリア出来た。タナカッツ君が残した467910の6910の3ピンだけ狙ったら上手くピンが飛んで7ピンを倒した。でもたいてい残る4ピンがやはり立ったままだったのでああ残念と振り向いてしまった。しかしその直後にみんなの歓声がー。倒されくるくる回っていた7ピンが触れ、遅れて4ピンが倒れたらしい。うわー、見ていなかったし、デジカメ動画も撮っていなかった。残念!

ビッグファイブ達成にはラッキーも必要でクリア出来た記憶はほとんどなくおそらく初めてだ。さらに難しいビッグフォーや7ー10ももちろんない。今度狙うときは動画撮影をしておこう。人生、いつ幸運が訪れるか分からないしー。

2014年6月17日火曜日

雨だケロケロ

外来で西友Nsに患者の呼び出しを頼んだ。ところが西友Ns、呼び出しの途中で「ぷっ」と吹き出してしまったのだ。どうしたん?「だってー、先生が『呼んでケロ』って言うもんだからー。最初は何にも思わなかったけどしゃべっていて急に頭をよぎってしまって」だと。はあ・・。私は決して笑かそうとして言ったわけではない。自然に口から出た。「あまちゃん」の主人公がよく使っていて結構使いやすいのでたまに使っている。あの種市先輩に「潜水士試験に合格したら・・私とデートしてケロ」のセリフが忘れられない。恋心を方言がうまくオブラートに包んで愛しさと可笑しさが見事に表現されていた。彼女が吹き出したので近くにいたまっぴらNsが「どうしたの」とそっと覗きにきた。いちいち事情を説明してもニュアンスが伝わりそうにないので「いやどうもないよ」と返事した。「ふーん」と不審げなまっぴらNs。私「大丈夫だから、あっち行ってケロ」ふふ。

さて朝から雨気味だったが昼からは本降りで止みそうになかった。今夜は鴨池球場でプロ野球交流戦ヤクルト対ソフトバンクがあるのだ。バックネット裏の前売り券を購入し青雲会病院の野球好きな10名他学校帰りのチッチもいっしょに観戦するはずだった。午後2時過ぎにネットで確認すると「本日の交流戦ヤクルト対ソフトバンクは雨天中止となりました」とすでに出ていた。ああ、やっぱり。仕方ないか。だいたいこの梅雨時期は半分くらいは中止を覚悟しておかなくては。2、3年前にあったソフトバンク主催試合はチッチと2回見に行けたがあれは4月だった。残念だが仕方ない、縁がなかったと思うことにしよう。

2014年6月16日月曜日

1日遅れの父の日

あ、そういえば昨日は父の日だったってか。日本代表の試合ですっかり忘れていた。それにチッチも県外のテル、セージも何も言ってこなかったし母の日とはえらい違いだぜ。で、日付も変わろうとするころにテルから電話があった。親(おや)、珍しい。深夜に電話なんてろくでもない用事だなと思いきや、「父の日に連絡出来なくて」と殊勝なことを言う。ほうほうそれで。でも何かプレゼントをするわけではない、ぼそぼそと現況を語り、パソコンの調子が今ひとつでと切り出した。テルはフォトショップやイラストレーターなど負荷のかかるソフトを使っていてメモリー不足(4M)で動きが遅くなりやすいのだと。ショップの店員にも相談などしたらしい。どうもパワーアップしたパソコン自体が欲しいようだ。ふむふむと言い分を聞いていた私、「ちゃんと勉強して単位も取って順調にいったら新しいのを買って上げてもいいぞ」と釘を刺した。「うんわかった」とテル。うむ、なかなか素直でよろしい。経済力は親の最大の武器だ。1日遅れで父の日を実感してくれたようだ、ハハ。

2014年6月15日日曜日

日本対コートジボアール

土曜の当直が開け、W杯日本の初戦対コートジボアールはFW先発は大迫という情報が1時間前には入り期待と不安で家路を急いだ。日曜午前10時という観戦にはぴったりの時間帯だ。前夜入浴していなかったのでシャワーも浴び、さあて準備万端、チッチやカールといっしょにTVの前に陣取った。

キックオフ後、しばらくしてTV解説が前線と中盤の間合いが良くないと漏らした。コートジボアールに押されるシーンもあり、はらはらさせられたが、それでも本田のきれいな先制ゴールが決まり「うおおっー!」と歓声を上げ、よしよし今度のW杯もやれるぞと一気に高揚、気持ちが高まった。やっぱり本田や、大迫も続けーと、思えばこの時が今大会日本代表の一番いい時間帯だった。この後、前半は内田のシュートが惜しい!ぐらいでまたもや相手に押される場面が多くどうにかハーフタイムゴングに救われた格好だった。後半に入ってもなかなか相手ゴールに迫れないしそのうち左サイドを突破されセンタリングからヘディングで同点、さらに全く同じパターンでついには逆転されてしまった。おいおいせめて同点にしてくれよとの願いもむなしくまさかの逆転負けとは。ここで負ければ8、9割一次リーグ突破は困難になる。どの解説者にもそれが大事と言われ続けた初戦。勝ち点なしではあまりにも痛い。がっくり。

それでもパブリックビューイングなどで観戦を終えた若者らは渋谷に集まり大騒ぎだったとか。中には便乗痴漢も出て、ある女性は「上も下も揉まれた」と被害を訴えていたとか。ちくしょー、お前ら騒ぎたいだけでサッカーファンじゃないだろ、オレにも揉ませろ!おっとこれは本音ではありません。口から出まかせ発言です、悪しからず・・。

2014年6月14日土曜日

カス予想

ワールドカップはグループリーグの戦いが始まりまたもや夜明けにネットしつつTV観戦をしていた。驚いたのはスペイン対オランダだ。前半1-0でスペインがリードしていてふーんいつものパターンだなと思っていたらなにやらファンペルシーがヘディングで同点に追いついたって?頑張るねぇとどちらかといえばパソコン画面に集中していた。そして直前にネット評論で読んだサッカー評論家粕谷秀樹氏のコメントが気になっていた。結果が1-5とスペイン大敗、オランダの圧勝に終わり、すぐにそのコメントをネットで見直した。思えばずいぶんなことを言うなと思っていた。これは、呆れる、笑う、失望する、いずれもあり得るトンデモ予想と言っても差し支えない。ほんまかいなと思ったしネット上ではすぐに異論をつぶやく一般ピープルが大勢で氏に賛同する人はほとんどいなかった。以下にほぼ全文を載せてみよう。タイトルは「前回決勝対決はオランダ苦戦必至 大敗の危険も」である(笑)。

「サッカーワールドカップ(W杯)第2日の13日(日本時間14日)の注目は前回大会決勝カードのスペイン―オランダ戦。サッカージャーナリスト粕谷秀樹氏に展望を聞いた。 

 前回大会の決勝が再現されるのだから注目カードのひとつには違いない。しかし、オランダは苦戦必至であり、圧倒的な大差で敗れる危険性までもが浮上してきた。

 オランダ守備陣はワールドカップの経験者が皆無。1対1の対応、スピード、カバリング、ラインコントロールなど、近代フットボールのDF陣に求められる要素を満たした者もだれひとりとしていない。従って、現世界チャンピオンのスペインに愚弄(ろう)されるケースも覚悟すべきだろう。ファンハール監督が自他ともに認める戦術家といっても、スペイン迎撃プランは構築するのは至難の業だ。それほど、今回のオランダDF陣は層が薄く、脆弱(ぜいじゃく)だ。

 さらに満身創痍(い)のファンペルシーが、スペイン戦を回避するという噂がまことしやかにささやかれはじめた。コンディションがすぐれないポイントゲッターに無理をさせず、残り2試合に決勝トーナメント進出をかける──。プランニングとしては悪くない。

 ただ、ファンペルシーの欠場はスペインからプレッシャーを取り除き、より攻撃的になることを意味している。当然、経験不足のオランダDF陣は追い込まれ、青息吐息、右往左往……。

 過去に出場した7大会の初戦は5勝2分。無敗を誇るオランダだが、そのポジティブなデータも、今回に限っては無用の長物だ。」


もう笑うしかない。真逆の論評とはこのことだ。これまでの常勝スペインに目がくらみオランダの若いDF陣の経験の浅さという事実のみで論じている。この人はあまり現場に足を運び取材をするタイプではないのではないか。それに真剣勝負であるW杯がぎりぎりの攻防を繰り広げよほどの実力差がない限り(出場する国同士ならそんな差はない)大勝大敗はないのはTV観戦したことのない私でも分かっている。大差がつくのは条件不利側がどうしても勝たねばならない状況下か故障、退場などのアクシデントがあった時くらいだ。

いやそれにしてもファンハール監督の戦術が見事にはまったり、ファンペルシーがスーパーゴールを決めたり、若いDF陣が体張ってスペイン攻撃を抑えたり、オランダが初戦に負けたことがないデータ通りになったことといい、この戦前予想はほぼ全てが逆だった。見どころ予想としてはまるでカスや。あ、名前もそうでしたか。

( フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)で氏の項目を読むと「2014年のFIFAワールドカップのスペインVSオランダ戦についての事前予想でオランダは苦戦必至であり、圧倒的な大差で敗れる危険性までもが浮上してきたとオランダの敗戦を予想したが、実際の結果はオランダが5-1でスペインに大勝した。結果的に粕谷のサッカージャーナリストとしての見識に疑問がもたれる結果となった。」と早速書かれてあった。やっぱり。)

2014年6月13日金曜日

ワールドカップ開幕

ワールドカップが始まった。開幕戦は地元のブラジルとクロアチアで朝早くに見ていた。序盤はブラジルも何だか地に足がつかないというかちぐはぐさが目に付いた。クロアチアも頑張っていてどちらかと言えばチャンスが多くそのうちセンタリグ上げたのがブラジル守備のミスでオウンゴールを誘い1点を先取した。おやおや、いきなり波乱の出だしだ。

TVの前に座ってじっくり見ていたわけではなくネットをしつつで、このあとの展開がどうなるかと思っていたらネイマールが相手選手の間をうまくく抜けるミドルシュートを決め同点になった。さすがやねえ。しかしその後例の西村主審のPK判定が来た。私は確かに厳しすぎる判定と感じた。ただ西村主審の毅然とした姿勢は非常に好ましかった。あれでいいのではないか。あいまいだったり自信なさげだったりが一番良くない。このPKをネイマールが決め2-1になり確かにブラジルは楽になった。クロアチアも強く終了近くにオスカルのグッドゴールが決まり3-1でブラジル勝利するも各国が必死に戦うW杯は侮れないと思った。

そのころ天鳳をしていた私は凡ミスでラスに落ちオーラスを迎えていた。9300点しかなく3位とも1万点以上も差があった。配牌はドラの8索が1枚あるだけで超平凡な手。しかしこの手が6巡たつと赤ドラ2枚本ドラ2枚の大物手一向聴になりツモ9索で2枚持ちのドラ8索単騎待ちは聴牌取らず、そして3索持って来て258索3面待ちでリーチと出た。これでハネ満あり誰からでもラス脱出確定だ。2巡後何とドラの8索を持って来てリーヅモピンフドラ6(裏ドラも乗った)のバイ満、2位にまで浮上の下克上で終わった。ううむ、こんな逆転劇があるのも麻雀の醍醐味だ。日本代表も世界の舞台で下克上よろしく勝ち上がってくれんかなー。

2014年6月12日木曜日

女008

少し前のことだがヒラメグDrからメールが届いた。

「せんせーい。イギリスにいったら変な疑いかけられて強制送還になりました。すっごく大変で傷つきました。帰った翌日に大学院から合格のmailが来ていてこれから学生visaの申請をします。visaが降りるまで日本で待機することになったのでまた働かせてください!」

???!いったいどういうこと?詳しいことは後日とのことだったが、女スパイの疑いでもかけられたのか。うーむ、スパイにしちゃやけに開けっぴろげで隠された秘密もなさそうだが・・。理由はともかく仕事をしてくれるのは有り難い。来週火曜から来てくれるとのことで大いに助かる。女008に期待しよう。

2014年6月11日水曜日

あなたはキョンシーを知っていますか?

5F病棟で某ベテラン看護師に「先生、連絡事項があってこのシールにコメント書いています」と言われた。私が病棟を離れようとしていたので元々メモっていたものを渡そうとしたようだ。そのシールが薄い黄色でぺたっとくっつくタイプだったので、私はここに貼ってと額を差し出した。腕を前に伸ばした格好でである。あははと笑うベテラン看護師。そして思惑通りにピタッとマイひたいにシールを貼ってくれた。そこで私は両腕を伸ばしたまま動きを止めた。また笑いが起きる。キョンシー(殭屍)の真似であるのは一目瞭然・・と思いきやまだ20代初めの燃えヒラNsはきょんしならぬきょとんとしていた。ああ、彼女は知らないんだ。「キョンシーって知らない?」と聞くと「ええ」とのこと。やはり。どうも30才以上は知っているようで、キョンシーは以前日記ネタにした「ハチのムサシは死んだのさ」と同じ類いのようだ。ある世代には当たり前でも世代が違うと全く知らない。一言でいえば際物だったのだ。キョンシー映画やドラマが流行ったのは昭和61、62年ごろだったか。テンテンちゃんという可愛い女の子もいたねぇ。でも平成に入るとぱたっと作られなくなった。平成生まれの燃えヒラNsが知らないのも無理はない。

調べると今から9年前にまさにこのことを話題にしたバラエティー番組があった。その時点で20才くらいを境に知っている知っていないがくっきり分かれていた。あのテンテンちゃんが今は日本にいて日本語ぺらぺらだとは知らなかった。懐かしいと思う人は以下をどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=GIV9EkzMvFA

2014年6月10日火曜日

銀婚式

私とカールは今日で結婚25年目を迎えた。そう、銀婚式の日だ。銀婚式って何をする?互いにプレゼントや子どもらがお祝いをすることもあるだろう。しかしプレゼントは私は苦手で子どもらも二人が県外だし特にこちらからお祝いを強制するほどでもない。そんなわけで二人で食事に行くことにした。ここでもないあそこでもないで結局私の提案で城山観光ホテルのスカイラウンジでの食事となった。実は以前「私はテルくんにどこも連れて行ってもらっていない。城山のスカイラウンジに行ったこともない」と言われたことがあったからだ。どこも連れて行かないというのは全くの言いがかりだが確かに二次会などで城山7Fのそこに行ったことはあるものの二人でのお食事はしたことがない。二人ともコストパフォーマンスにうるさいタイプなので割高に感じるところは敬遠しがちだったのだ。でも今日は特別の日だ。こういうときくらい眺めのいい最上階で優雅にお食事もいいだろう。

思い出せばもう30年以上も昔、親戚のスチョルDrの話で「ちょいときれいめの女性を城山のスカイラウンジに連れていくと意外に行ったことがなく感動してもらえる」と聞いたことがあった。学生だった私はそんなものかと思って聞いていたがついぞ利用したことがなかった。さあ、さっそく行こう、スカイラウンジ。

廊下を歩きつつ、私は自撮りでカールと写真を撮ろうとしていたら、向こうから歩いてきた30才代くらいのコックがごく自然に「写真を撮りましょう」とシャッターを押してくれた。さらに「もう1枚撮りますね」と計2枚を推してくれた。後でスカイラウンジでもウエイターに「もう1枚撮りますね」と2枚撮ってもらった。こういうのもお持てなしの社員教育をきちんとしているからなせる業だろう。

ラウンジに入ると平日夕方なのに結構席は埋まっていた。私たちは西側の窓辺の席だった。桜島側がよかったけれどあいにく雨模様で全く見えない。中央駅の観覧車が見えネオンがキラキラしていた。記念の乾杯はビールで、その後カールはワインを少々、私も珍しく城山特性の地ビールを一杯だけ飲んだ。調子こいて二杯三杯飲むと失敗するのは長い経験で分かっているのでワインを勧められてもお断りした。料理はフレンチのコースでまあ裏切らない味だった。少しずつしか出てこないけれどいつも最後は満腹だ。さらに目の前でアメリカンジェリーとアイスのデザートを作ってくれたがグラニュー糖をフライパンで焼き溶かしたものを混ぜいかにも甘そうで実際食べたら予想を超え甘かった。甘党の私でさえ驚くくらいだからカールはさすがに食べきれなかった。

食べつつの話題は結婚式のころのエピソードや子どもらのことなどで25年も経てば一昔でいろいろなことがあった。結婚式に出席してくれた家族親戚などもう何人も鬼籍に入っている。あっという間のような気もするしいろんなことがあったなあと切りがない気もする。「これからもよろしく」と記念のコメントが板チョコに書かれてあった。ホテルのサービスで事前にカールが頼んでいたものだ。ショートケーキにロウソクが1本ささっておりこれを私たちで吹き消した。まだ後25年、次は金婚式か。その時は二人ではなくもっと大勢に祝ってもらおう。先は長いようでいざとなればあっという間と思うことだろうか。

2014年6月9日月曜日

長生きするために生まれてきた

報道によると「111才で世界最高齢の男性だったアレクサンダー・イミックさんが8日、米ニューヨークで死去し、これによりイミックさんの1日後の1903年2月5日に生まれた日本の百井盛(ももいさかり)さんが男性最高齢となった」という。なんてすてきな名前でしょう。まさに100才越えの長生きの名前にふさわしいじゃあ~~りませんか。百井という姓も何となく百十一に見える。百過ぎても老いてなお盛ん、百井盛さんの話題でした。

(このあと日記書こうとしたら椅子寝すること数時間、目覚めても今度はソファ寝から床寝へ。最後はゲンちゃんにぺろぺろされてエサを上げようやくパソコンに向かうも思考能力ゼロ。今度は布団へ数度寝でーす)

2014年6月8日日曜日

アカショウビン

久しぶりにリアル麻雀をいつもの雀好きDr連中と囲んだ。結果からいうと私とサブアラドDrが勝ち、見せたまえDrがチャラ、ダイボDrがほぼ一人負けだった。後でサブアラドDrと感想戦をして「ダイボ先生は手作りのスピードが遅いんだよなぁ」で一致した。とにかく防御を第一に考え手作りし簡単には放銃しないが聴牌が遅くなるので上がりの回数が少ない。逆に私はかなりスピード優先で副露率(ポンチーする割合)が高く(38.6%)先に先に上がろうとする。どちらが勝率が高いかは実は結論が出ていて私の方だ。膨大なネット麻雀のデータがそれを証明している。そこを指摘してもいいのだが長年のスタイルを変えるのは勇気がいるもので多分変えないだろうな。ま、そのままにしておきまひょ。敵に塩を送って損しちゃつまらないし^^。

ダイボDrの現在の趣味はバードウォッチングだ。麻雀のたびに撮影した鳥の写真を何枚かプリントしてプレゼントしてくれる。今日は奄美や沖縄でよく見られるアカショウビンの写真を上げるという。見せる前に「アカショウビンってほら、田中一村の絵に出てくる赤い鳥で、もっとくだけていえば森永のチョコボールのマスコット鳥のキョロちゃんのモデルさ」と聞かされ、ああと理解した。見ればくちばしも羽根も鮮やかだが真っ赤というより濃い橙色で被われ黒いつぶらな瞳が愛らしい。これが奄美ではなく宮崎で撮ったとのこと。渡り鳥で一応全国で見ることが出来るという。山の中に入って根気強く待ちシャッターを切るのだが「ヤマビルといってヒルの仲間が上からぽたぽたと落ちてくることもあってねー」と聞かされ、元よりアウトドアが苦手な私がバードウオッチングをすることはないなと思ったことだった。



2014年6月7日土曜日

総選挙生中継

あー!サッシー2位だぁー。やったねーまゆゆ。そうか、速報で差を付けられての2位だったからAKBヲタが意地を見せたな。それに今年1位を取らないといくら麻友でももうチャンスはない気がする。159,854対141,954か、3位の柏木由紀が104,364だからこの二人が抜けていた。まゆゆヲタでサッシーアンチのテルが今頃喜んでいるだろう。私も予想が外れてうれしい。これで4位でありながら悔し泣きで声が震えていた珠理奈の1位への道が開けた気がする。4年前のAKBドラマでセンネズ(センター=松井珠理奈とネズミ=渡辺麻友)と言われたエース二人の時代が来たな、と。(センネズの意味が分かる人は相当のAKBヲタ)

フジTVもこんな一アイドルグループの人気投票を4時間半も生中継するとはね。去年視聴率が良かったからか時間拡大している。カールも「何も知らないし、誰かも分からない」と言いつつ結果のカウントダウンをずっと見ていたから選挙って無関係の人でも面白いエンターテインメントなんだ。

2014年6月6日金曜日

「オーメン」だから

なぜか6並びの今日はオーメンとか何とか言ってあまり好かれない日だ。Googleのトップページは珍しくも囲碁がデザインされていてGoogleの文字が碁石で描かれていた。中央にお坊さんと碁盤がある。ははあ、本因坊秀策の誕生日か?Googleで調べるとやはりそうだった。江戸時代末期の若き天才棋士で御城碁(おしろご)19連勝や秀策流の布石、耳赤(みみあか)の一手で囲碁の歴史には必ず出てくる。最近では漫画「ヒカルの碁」で主人公に碁を教える藤原佐為が江戸期に秀策に教えていたとの設定だった。よく見れば碁盤の布石が秀策流だった。細かいなぁ。分かる人だけに分かればいいというお遊びが楽しいネ。

午前の救急ピッチ、夜の当直と忙しかった。午前は80才代女性の心肺停止が運ばれ気管内挿管、心臓マッサージ、強心剤注などするも全く反応なく30分ほどであきらめた。心疾患での急死で近隣に住んでいた家族も「もう少し早く訪れていれば・・」と悔やんでいた。でもあまり自分を責めないほうがいい。こういう時まじめな人ほど「自分が悪かった」と思いたがる。例え同居していてもいつかは必ず親は死ぬんだと思うようにしよう。それがうまくいくコツだしそれで世の中は回っているのだ。

夕方、救急やら紹介やらで某患者はブックリバーDrに診てもらいどうにかしのげるかという状況の時に外線で山師だ分かる内科のやまひろDrから患者相談があった。「忙しい?」に「忙しい」と答える。結局、病状について対策できることをアドバイスして受け入れはしなかった。このあたりが忙しさのピークだった。

ふぅー。これってやっぱりオーメン=666だから?昔の映画で私は観ていないがタイトルだけは知っていた。調べると「666」は「新約聖書のヨハネの黙示録において“獣の数字”とされる」らしい。だから欧米では嫌われるのか。おっと来週は「13日の金曜日」だ。いったいどうなることやら。

2014年6月5日木曜日

緑一色目前

床寝してしまい明け方目が覚め寝ぼけた頭がややすっきりしてから日記を書いた。それが終わると天鳳対局を一半荘やる。六段に落ちたのはいつの日か、原点(1200ポイント)はおろかどんどんポイントを落とし4、500ポイントあたりをうろつく日々が続いている。どうにも不調が続いているのだが今日もラスは引かないまでも僅差の3位をうろつきつつオーラスを迎えていた。トップとは4200点差だった。(以下は麻雀を知らない人にはちんぷんかんぷんでしょう。分かる人にわくわくどきどきなのですが・・)

配牌で索子が多いが56ピンの両面受けがあり断ヤオかツモによっては索子のホンイツを目指すかという手だった。しかし第1ツモで2索が暗刻になり元々3索暗刻で8索も対子、発が1枚あるのをみてあの役を狙いに秘めて手を進めることにした。そして第3ツモで6索を持って来てあの役を本線に進めることにした。しかし早めに47ピンツモって筒子で一面子完成すればそれはあきらめ面前断ヤオでリーチを考えよう。で、7巡目発が対子になった。これで腹は決まった。もったいないが筒子の56両面を落とす。しかしこのあと無駄ヅモが続いた。幸いみんな手の進行が遅そう。トップ目の上家があぶらっこいところを切り早そうで聴牌しているかもしれない。11巡目に7ピンをツモりスピード優先ならば打6索でここで聴牌、ツモリ三暗刻高め発の手でリーチに行けたのだが後悔はしない。実は後で牌譜を見直すと6索で上家に5200を放銃だった。その6索を13順目に持って来て一向聴になった。2223336688発発白で役満緑ー色の一歩手前まで来た。もし面前で6索か8索か発を持って来ればツモリ四暗刻にもなり、そうなれば何とダブル役満、おおすごい。

場は煮詰まり誰もが聴牌していそうな局面、14巡目に下家が8索を切った。ポン!当然だ。これで緑一色の聴牌。6索か発で役満成就する。過去緑一色は2回上がったことがある。四暗刻、国士無双、大三元に比べ聴牌することすら滅多にない役満だ。じっと息をこらす。次のツモは南。生牌だけどいらないから切る。これを対面がポンした。ふー、当たらずにラッキーか。だがこのポンで運命が暗転した。もしポンしなければ次の上家のツモは6索で途中待ちを間6索からフリテンの萬子3面張に変えていたのでツモ切るはずで、私が緑一色を上がっていた。ポンですぐに上家のツモになり何とフリテンの赤5萬をツモ上がり満貫でトップ終了と相成った。あーあ。久々に役満それも緑一色を上がれる予感がしていたのになぁ。

牌譜で下家が自分の手を殺してでも発と南の字牌を押さえていたことが分かった。ふーんそうか。役満なんて誰かのミスがあったりやよほど運に恵まれないと手順を尽くしただけでは達成できるものではない。まあ、一瞬の夢を見させてもらっただけで良しとしよう。

2014年6月4日水曜日

「あさはらしょうこ」は本当にいたのか?

夜のボウリング練習に行く前に医局でノサバルデス社のおおしたそうMRが来ていて「先生、やっぱりMacBookAir買っちゃいましたよ」と言うではないか。この間交通違反で買い損ねてWindowsのLenovoにしたと聞いたばかりなのにそりゃまたどういうこと?彼が言うには、安いからと買ってはみたもののすぐに不満が高じた。ソフトの動きは遅し、見た目ださいし、おまけにバッテリーが本体よりでかいんじゃないと見まごうばかりであれじゃ持ち運びもままならない。ショップに行ってMacBookAirに買い換えたいと要求したんだそうだ。簡単には応じてもらえなかったが交渉し追い金払ってどうにかうまくいった。そしてMacを使ってみるとかっこいいし電池の持ちが格段にいいしバッテリーもコンパクトだしとえらく気に入ってしまい、今じゃいとおしささえ感じるという。ほーら、ね。操作感に若干違和感を感じるかもしれないがパソコン以外ではiPadなどでMac製品を使いこなしているのですぐに慣れるはずだ。iMacを買ったばかりのブックリバーDrも気に入って出費が痛いけどMacBookProも欲しくて買おうかナーと言っている。このところMacへくら替えする人が出てきて10年前とは隔世の感だ。いい時代になった。

ある患者の名前があの麻原彰晃に少し似ていたのがきっかけでシホねえNsがこんなことを言った。「サリン事件が起きたころ、私、中学生だったのだけど隣の中学に『あさはらしょうこ』って名前の子がいていじめられていたんだって」ふーーんと聞き流しそうになったが「ちょっと待てよ」と私は問い正した。「隣の調査中学にいたというけど本当に確かめた話しか」「そうだって誰かから聞いた」へー、そう。「もしかすると調査中学では『隣の知れっと見中学にはあさはらしょうこさんがいていじめられているんだってよ』と言われていたのじゃないか。もし(シホねえが在籍していた)知れっと見中であさはらさんがいたならちゃんとした証拠が残っているから信じてもいいがそれってよくある都市伝説ってやつじゃないか」と。誰かが思いつきで言ったことが隣の地域ではまことしやかにささやかれる、オウム事件が世の中を席巻していた時期ならあり得そうな話しだ。「ためしにさ、青雲会病院の患者検索で『あさはらしょうこ』さんがいるが調べてみようか」検索してみた。ヒットゼロ。『あさはら』でも出てこなかった。1件もひっかからないとはこの地域には『あさはら』姓はまずいないと思われる。かなりの確率でこれはガセネタ、作り話と推測できる。「で、シホねえ、お前はずっと信じていたの?」「ええ」「はあ、だからお前はすぐに○にダマされるんだ」おっとこれは言い過ぎだったかね。

2014年6月3日火曜日

敢えて追及せず

がびーーん、寝過ごしたぁー。今日は医局会がある。司会者の私が遅れたら・・。以前もこんなことがあった。今朝は一度目が覚めていたにも関わらずまだ早いとまた寝たのがいけなかった。都合の悪いことにカールも不在だった。親に似て遅刻しそうなチッチを車で駅まで送り届けていたのだ。急いで着替えご飯も食べずに家を出た。携帯で外来当直Nsに電話をかけ5分遅刻すると院長に伝えてもらい医局会を進めてくれるように頼んだ。ここで慌てすぎて事故でも起こしてはならない。事故より遅刻がマシとこれまでの経験でそこは気をつけている。

会議室に着くと薬品説明会が先に行われていた。そうか医局会を後回しにしてくれたか。ふぅー良かった。一言謝って何事もなかったように司会を始めた。いやはや朝から疲れた。

菅直人元首相が、今日発売の漫画誌「近代麻雀」のインタビューで「少し勝つと『次の選挙資金だね』とか冗談を言われた」と賭け麻雀をしていたともとれる過去を”告白”した、との記事があった。「管氏は会社員時代に麻雀の自動計算機を開発し特許を取得するほどの愛好家」とも紹介されていて、それは私はすでに知っていたが、先の記事は一瞬なんでそれが問題になるのというくらいの内容だった。普通の麻雀は小金をやりとりする賭博の側面があるも取り締まるのは実情にそぐわない。パチンコもだが実際は立派な賭博であるにも関わらず妙な解釈でそうは取らない仕組みになっている。麻雀は常習でかつ高額な場を開いている人たちを取り締まり対象にしているようだ。新聞記事も敢えて追及するというよりは大人の対応でその後の記事で「麻雀と政治の共通点について、『しのぐ』かな。政治もいろいろな局面があって行け行けドンドンの時もあれば、今の民主党のように我慢の時もあると持論を述べた」とうまくまとめていた。ま、「それって賭博だろ」と追及すればいずれ自らに火の粉が降りかかってきそうだしな。ハハ。

2014年6月2日月曜日

推理力

非常勤のナマテツDrが自分のスマートフォンをやおら取り出しその中の写真を見せ質問をしてきた。「先生、私の隣の女性は誰だか分かりますか」

見れば術着姿のナマテツDrとツーショットで事務員服の若い女性が写っている。はて?見たことない人だ。「いいえ分かりません」というのは簡単だが、日頃そう会話をするほど親しいわけでもないのにわざわざ質問するということは実は私が知っている人かもしくは推理すれば分かるということだろう。こんな場合私はあきらめずに考え抜くタイプだ。じっと写真を見つめてみる。

ナマテツDrの術着の胸部分によく見れば「稼いだ病院」との刺繍がしてあった。なるほど南さつまにある病院か。そこに彼は非常勤で行っているとはバスケ部後輩のカメバスDrからこの前聞いていた。してみればこの若い女性は稼いだ病院の事務職員だな。「以前、青雲会病院にいました?」と質問する。答えはノーだった。だろうね、とにかく見たことない顔だもの。となればこの女性は有名な別の顔があるのか。例えば私は知らないが芸能活動をしているとか、何か秀でた特技でもありその道では有名な人とか。でも例え「実は珠算日本一の人ですよ」と言われてもへーそうですかで終わっちゃう。わざわざ彼が見せるほどのことではない。何か私が関心を持つだろうから質問しているのだ。さらに頭を巡らせる。本人ではなく姉や兄弟に有名人がいるのでは?とひらめいた。はて南さつまの出身で今が旬の芸能人とかいるだろうか。むむむ。思いつかない。え、近いの?ナマテツDrがほほうという態度を示したのだ。どうやらそのよう。待てよ、芸能人ではなくスポーツ選手で誰かいるかな・・・はっ!いるじゃん、ヨザク・・大迫勇也!姉か妹?

そこでにこにこしていたナマテツDr「妹です」と答えを教えてくれた。ふーっ、やったよ。3週間前、いっしょに日本代表発表記者会見を見ていて私が大迫ファンと知り見せようと思ったのだとか。なーるほど。それにしても全く知らない女性を5分後には言い当てられ自分で自分を誉めたいと思ったぜ。

2014年6月1日日曜日

あなたは豊かな資産に気付いていない

『抽象的な質問なんですけど、漠然たる不安を感じています。これを打ち払うにはどうすればよいでしょうか。』

こんな質問を内田樹氏が受けた。これに対する氏の答えの中に思わずそうだそうだよねえと肯かざるを得ない内容があったので紹介しよう。

『・・・確かに原発事故処理も震災からの復興も遅れているし、首都圏直下型地震や南海トラフ地震がいつ来るかわからないし、解釈改憲で戦争に巻き込まれるリスクも高まっているし、国の赤字は積もる一方だし・・。いろいろ不安のたねはあります。でも、この程度の国なら他にいくらもありますよ。だから、そんなに心配しなくても大丈夫です。

心配しているような「思いがけないこと」が来ないと言っているんじゃありません。それはやっぱり来るんです。そして、システムががたがたになる。これは避けようがない。でも、日本は他の国とくらべると「負けしろ」の厚さがだいぶ違いますから。地震が来ようが、国債が暴落しようが、年金制度が崩壊しようが、そのときはそのとき、国が破れても山河が残っている限りは大丈夫です。なんとかなります。』

「なんとかなる」それは我が日本には「負けしろ」があるからだと言われる。で、その負けしろとはなんぞやと以下に解説するのだが、これが納得なんだ。

『それは豊かな自然です。国土の68%が森林なんです。これほどの森林率の国は先進国にはノルウェー以外にありません。多様な植生があり、さまざまな動物が繁殖し、きれいな水があふれるように流れ、強い風がよどんだ大気を吹き払う。日本のこの自然環境には値札がつけられません。

経済の話をするとき、エコノミストはみんな「フロー」の話しかしません。でも、日本には「眼に見えないストック」があります。目の前にあるのでありがたみがわからないのですけれど、改めてそれを金を出して買おうとしたら1000兆円出しても買えないような資産です。それはまず自然資源です。飲料水がいくらでも湧き出ている。水のほとんどをマレーシアから輸入しているシンガポールから見たら羨ましくなるほどの資産です。でも、日本人は自分たちがそんな豊かな資産を享受していることを知りません。

第二が銃による犯罪がほとんどないこと。アメリカは銃で年間3万人が死んでいます。一昨年、日本では銃による死者は年間4人でした。殺人発生件数もほぼ世界最低です。このレベルの治安を仮にアメリカやメキシコやブラジルで実現しようとしたら国が破産するほどの天文学的なコストを要するでしょう。
それだけの資産がとりあえずここにある。
その他に温泉もあるし、神社仏閣もあるし、伝統芸能もあるし、ご飯は美味しいし、接客サービスは世界一だし・・・、国民的な「ストック」はさまざまにあるわけです。

でも、経済成長論者の方たちはこのストックをゼロ査定しておいて、フローがないカネがないと騒いでいる。日本がほんとうは豊かな国であること、みんなでフェアにわかち合えば、ずいぶん愉快に暮らせることをひた隠しにしている。そして、経済成長しなかったらもすぐに国が滅びるというような煽りをしている。

だから、原発は再稼働するしかない、消費増税もするしかない、賃金も下げるしかない・・・と勝手なことを言っています。でも、彼らは日本には豊かな山河と文化的蓄積があることを故意に言い落とします。それをたいせつに使っていれば、別にシンガポールのような自転車操業をする必要なんかないということは決して言わない。水も食べ物もエネルギーもすべて金を出して買わないと生きてゆけない国と比べて「経済成長への熱意が足りない」と言うのははなから無理なんです。

麻雀で点棒が5万点ある人と、箱シタの人では打ち方が違うじゃないですか。箱シタは「後がない」から、ハイリスク・ハイリターンな打ち方をするしかない。点棒がざくざくある人はリスクは冒さないで、高い手も安手も自由自在に打ち回せる。「金持ち喧嘩せず」です。でも、だいたい金持ちが勝つんです。経済成長論者は「それがイヤだ」と言っているんです。もっとひりひりするようなバクチを打ちたい、と。そのためには「点棒」を一度全部失った方がいいと(無意識に)思っている。

だからこそ彼らは原発を稼働したがるんです。うまくすればもう一度事故が起きて、国が破れたとき「帰るべき山河」さえ失われるから。だからこそ移民を入れたがるんです。うまくすれば国内の治安が悪化して、暴力的な排外主義運動や民族対立が起きるから。だからこそカジノを作りたがる。うまくすれば勤勉な労働者たちが一攫千金を夢見て、眼を血走らせてバクチにのめりこみ家産を失ってホームレスになるから。

ほんとうにそうなることを経済成長論者は願っているんです。そうなれば日本の「負けしろ」はなくなり、彼らが夢見る「シンガポールみたいな国」になる他なくなりますから。
ですから、どうせ 「不安」を抱くとしたら、日本が向っているこのような未来について不安を抱く方がいいと思いますよ。』

氏は護憲、反原発派、それに麻雀好きというのがすぐに分かるがそれはおいてても現在の日本が如何に恵まれた「資産」を持っているか言われてみてハタと気付かされる。実は素晴らしい環境にあることに我々は気付きにくいもの。現状の不満なんてそう大したことはない、ふと周りを見渡せばそういうことなんじゃないだろうか。